表紙ページへ回帰 | お得なお任せコースを知りたい | カルメンのイベントを知る ||1話から100話|201話から300話| 200-6月7日(水)
わがオリックス・ブルーウェーブは、強いのか弱いのか分かりません。一応は首位戦線に留まっているのですが、平気で連敗したり、下位チームに負け越したりで、すっきりと頭ひとつ抜け出せないでいるようです。ライバルの西武も強そうで、オリックスと一緒に仲良く連敗したりして、付き合いのいいチームです。去年の覇者であるダイエーは、三位につけて虎視眈々と首位を狙っているのですが、去年ほどの強さはありません。去年のダイエーは、いつもなら夏が来ると息切れするので、筆者近辺のダイエー・ファンもこの時期はまだ達観していました。それが、西武、オリックスと言う自力のあるチームに馬力が出ずに、あれよあれよという間に優勝してしまったのです。
今年はオリックスファンとしては、4年ぶりにリーグ優勝を果たして欲しいものですが、最後までもつれるでしようねぇ。ともかく頑張ってほしいものです。そして梅雨の時期にいっぱい雨がふって順延となり、筆者の休日である月曜日にグリーンスタジアム神戸で試合をしてほしいものです。そしてそんな時は、勝たなければいけません。ここ数年、筆者が見たオリックス戦はすべて敗け。敗戦が続けば、せっかく球場に足を運んでも子供たちはファンになりません。
199-6月6日(火)
兵庫県下の公立中学の2年生が、学校を飛び出し、事業や施設で"労働"を体験する"トライアル・ウィーク"が3年目を迎え、筆者の長男も今週は、学校へいかず、拙宅近くの工場へ"出勤"しています。わが長男の第一希望は、歩いてすぐいけるという理由で神戸市立の保育所だったそうですが、抽選ではずれ、第二希望だった"サティ"もダメ。第三希望の芳香剤の製造会社に決まりました。ジャージ姿で出勤した後は、ベルトコンベヤーで次々とやってくる芳香剤を段ボールに詰めていく作業を繰り返します。3人が一組となり、段ボールを用意する、ベルトコンベヤーから取る、詰める、といった作業分担です。ただひたすら、この作業を繰り返すのですが、この三つの役割を時々、交代します。
息子に聞いたところによりますと、ベルトコンベヤーから少しでも地面に落としてしまうと、その商品は、別のカゴに入れなくてはなりません。中身が変型する可能性があるからというのです。このあたりは、日本的ですね。少しでも瑕疵(かし)があればはねてしまう。
火曜日に梱包したのは、フランス向けの風呂に入れる入浴剤です。息子は、はねられたそのフランス向け入浴剤をひとつもらってかえってきました。筆者も息子の"労働"の余沢に浴し、フランスの香り(?)がする少々きつめの色・香りのする湯船につかりました( 娘は「あたま、くらくらするわ」と言っていました)。
"トライアル・ウィーク"の"仕事"には、新聞記者というのもあるそうです。読売新聞の記者になって、インタビューをするのです。それにひきかえ、わが長男の仕事場は、単純労働です。筆者は、こうした仕事場を知ることの方が大切だと思っています。この芳香剤の会社は、中身は別の工場で作っていて、長男が出勤している場所では、ただ詰めるだけの仕事を分担しているようです。しかも立ちっぱなしです。長男は一週間働いてどのような感想をもつのでしょう。仕事というのは、どんな仕事だって複雑なようでいて、実は単純作業の積み重ねなんです。そうでしょ? 読者の皆さん、そして万国の労働者の皆さん。
198-6月5日(月)
カルメンの定休日。今日一日の筆者の行動を書いておきましょう。
午前10時、拙宅に一人の来客。52歳で関西学院大学神学部大学院に入学し、牧師の道を歩もうとしている元正章氏です。7日(水)に関学のチャペルで、初の"説教"をするので、筆者の家族を前にしてその予行演習を行ったのです。本番さながらに15分間"説教"した後、感想を筆者の家族に聞きます。
同居人の女性(妻)は、感動。父親参観日の翌日で休みだった息子、娘は、学生向けの"説教"なので、難しい言葉が多く、感想を言えといわれても、ただただ困惑気味。筆者は、話の間の取り方など、細かい注意点を伝えました。
キリスト教関係の"説教"は、必ず聖書の中の言葉を引用することがルールとなっているのです。この日は、「ヨハネによる福音書」の一節。姦通した女性がユダヤの律法によって石打ちの刑にされるという話です。
周囲の人間からイエスの対応を注視するまなざしが向けられます。イエスは、地面に何かを書いてすぐには応えようとしない。もう一度「いったい、あなたはどう考えているのだ」と問いつめられると、イエスは「いままで罪を犯していない者だけあの女に石を投げよ」と周囲の人に言う。すると"石投げ"ゲームを楽しもうとした周囲の人たちは、一人また一人去っていく。イエスは、まだなにか地面にモノを書いている。やがてイエスはその女に聞いた。「おまえに石を投げる者はいるのか」。女は言う「いえ、誰も」。
聖書というのは、物語性に富んだ面白い書物です。決して最初から最後までイエスの礼賛ばかりではないのが、面白いところです。牧師・神父の人は、この聖書・神の話をいかに上手に伝え、"語り"として面白く仕上げるかが、勝負です。説教はだいたい一回15分程度が多いようです。30分以上する人もいるそうですが、15分を過ぎると人々は飽きてくるのです。説教の上手な牧師・神父は人気が出ます。信者の数(=教会に通う人の数)も増えてくるのです。"説教"もまた"口誦文芸"なのでしょう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
続いて昼前から、娘と二人で吹田の千里万博公園内の"国立民族学博物館"に行ってきました。筆者はここへ一年に一回は行きます。平日の館内は空いています。じっくり眺めることが出来て大変気に入っているのです。しかしこの博物館の展示内容にあまり変化がなく、入館者がジリ貧状態なのです。そういえば20年前と基本的には、そう大きく変わっていません。だから最近では大きなイベントがある時ぐらいしか、行かなくなってしまってます。
娘は、ここに来ると、アフリカ・コーナーにある数多くの仮面がこわい、と半泣き状態になります。そして館内に人気(ひとけ)が少ないために、仮面たちに見つめられているような恐怖心がわき、しかもエアコンがよく効いて、「さむい、さむい」と言い、「早くでようよ」と促すのです。
でも彼女は、"民博"が嫌いではありません。ミュージアムショップにお目当ての品物があるからです。それは"ビーズ"です。インドネシアとかインド産のきれいなビーズが売っていて、娘は、怖い仮面から逃げ出すように、"ビーズ"コーナーへ向かうのです。筆者は、その近くの書籍コーナーに張り付いています。娘は選択し終わると、筆者を呼びに来ます。会計を済ますと「もう帰ろうよ」と言います。娘は明日でちょうど8歳になります。
帰宅後、筆者はパエリアを作りました。今月18日に奈良県生駒市公民館で行われる"スペイン料理"の講習会に筆者が講師をつとめるために、予行練習をするのです。ここ数週間、毎月曜日は、腕をならすために、スペイン料理をつくっているのです。詳しくは後日まとめて紹介しましょう。今日作ったパエリアは、家族にはなんとか好評であったので救われました。
朝から来客があり、"民博"へ行き、帰宅後料理を作ると、かなり疲れました。息子、娘と一緒に風呂に入った後、言葉も出ずに午後10時前には、蒲団の中に入っていました。
197-6月4日(日)
昨日、筆者の友人である詩人の誕生会が、カルメンでもたれました。そこでまず最初に出したのが、スパークリングワイン(シャンパン)です。このシャンパンが少し変わっているのです。赤のシャンパンなのです。皆さんはシャンパンというと、グラスの中で気泡がシュワーッと元気よく出るイメージがあると思います。その時のグラスの中の色は白あるいはロゼ色が多いことを思い出して下さい。何故でしょう。答えは簡単です。シャンパンの生命は、元気よく出る気泡です。その気泡が見えやすい背景色は、白やロゼがベストなのです。つまり赤だと気泡がよく見えないのです。原理的には、赤のシャンパンを作るのは可能です。難しいことではありません。しかし、気泡をきれいに見せるというこのお酒の属性を活かすのには、赤は適さないために、赤のシャンパンは多くないのです。でも、少し変わったものを好む向きには好評なのです。
(なお、このシャンパンという名称はフランス・シャンパーニュ地方でつくられたスパークリングワインのみ許される商号です。スペインではCAVAという名称のスパークリングワインが有名です。ただし昨日出したスパークリングワインはポルトガル産なために、あえて一般通称として誤使用されている"シャンパン"の名称を使用しました)
196-6月3日(土)
別に"操(みさお)"を守っているわけではないのですが、カルメンで使う国産ビールは、1956年の
開店以来43年間ずっと、アサヒビールなのです。近頃では、スーパードライが、Japonのトップブランドとして認知されていますが、"キリン・ラガービール信仰"がまだ根強かったほんの10年前までは、「えっ、アサヒなの、キリンはないの」とお客さんから言われたものです。時代は変わったものです。アサヒの勢いは、とうとうキリンを追い抜いてしまいました。
カルメンには、苛烈なビール競争を展開している国内ビール各社の営業マンが、やってきます。このうち"押し"がイマイチ足りないのが、キリンです。長い間トップブランドの座に居続けている間に営業マンが"お公家集団"になってしまったのでしょうか。その反面、いかにも営業マンらしい元気印体育会系イケイケモードなのが、アサヒとサントリーの諸君です。競争が厳しい世界なので対応が俊敏で、見ていて気持ちがよくなります。
ただ筆者のごく個人的な好みでいうと、サッポロから出している"ヱビスビール"をよく飲みます。このビールは米など副原料を一切使わない本来のビールなのです。この"こくみ"が好きになると、他のビールの味が物足りなくなります。サントリーも"モルツ"そしてアサヒも"スーパーモルト"といった麦芽とホップだけを原材料にしたを出しました。やはりお酒は、"ウソ"があってはいけません。
195-6月2日(金)
筆者は、ワイン・ボトルにコルクを詰める作業を初めて見ました。
そごう三宮店地下食品売り場で行われている"カタシモワインフード(株)"の樽ワインの瓶詰めサービスで見ました。派遣社員の女性が、樽からトポトポと瓶に詰めた後、手動のコルク栓詰め器(正式な名称は知りません)を使って、コルクを詰めてくれるのです。その器械は、まずコルクをギュッと締めます。圧縮されたコルクをグィッとそのまま押し込むのです。この器械、Bodegasが持ち込んだもので、かつてはすべてこうして手作業でコルクを詰めていたのですね。コルクは、熟成期間の長いもの(スペインのリオハでいえば、Reserva またはGran Reservaといったクラス)は、長めのコルクを使っています。「いいワインは、コルクもいい」-----これは、年に何百本とワインのコルクを開けている筆者の"実感"です。
194-6月1日(木)
筆者の親戚に、Bodegas(=ワイナリー・蔵元)を経営している人がいます。大阪府柏原市にある"カタシモワインフード(株)"という社名です。このBodegasがある河内という地域は、ワインづくりと大いに関係が深いと言うことは意外と知られていません。450年前からワインを製造している歴史があるのです。山梨と同じくらいの古さだそうです。河内には"竜眼"という固有ブドウ種もあり、江戸時代には天満でワインが売られていたという記録が残っています。昭和初期には20以上のBodegasが河内だけであったそうです。
"カタシモワインフード(株)"は、6月4日(日)まで、三宮そごう百貨店地下食品売り場で、ワインの試飲を含めた展示をしています。瓶詰めされた商品の他に、樽詰めの赤と白を飲ませてくれます。白は、デパート側の要望にそって甘口を出品したために、ワインを飲み慣れた人にはすこしシンドイのですが、初心者には、飲みやすい味です。2年ものの赤は、Bodyがしっかりしていて、ワインづくりへの情熱が伝わってきます。赤・白ともこの樽でしか飲めないそうです。筆者は赤を薦めます。
そごうの展示が終了してカルメンに駆けつけてくれたのが、"カタシモワインフード(株)"の社長である高井利洋氏です。筆者の父方の遠い姻戚となります。この会社は高井さんの祖父が創業した会社で、もう70年以上の歴史を持っています。かつてカルメンは、ハウス・ワインとしてこの河内ワインを使っていました。その後、同社が他の食産業に事業拡大して、ワイン製造量が減ったためでしょうか、取引を中止してしまったのです。
高井氏とは親しくワインのことを話しました。ワイン製造責任者だけあって、筆者の質問になんでも丁寧にかつ詳細に答えてくれます。さすがです。高井氏は、かつて神戸でサラリーマン時代を過ごしたこともあるそうです。それを切り上げ、実家を手伝うにあたって、ワインづくりを最初から徹底して勉強しなおしたそうです。今では3代目当主である利洋氏のカラーが着実にワインづくりに反映されているのです。
カルメンは今でも、"カルメン特選ワイン"として国産ワインを提供しています。750mlレギュラーの赤・白・ロゼを揃えています(¥2200)。利洋氏が来店したことをキッカケとして、またこのBodegasのワインを皆様に提供しようかと思っています。
このBodegasは、いいホームページを持っています。アクセスしてみてください。商品説明だけでなく、ワイン全般の知識も知ることができます。
http://www.kashiwara-wine.com
E-mail uk9t-tki@asahi-net.or.jp193-5月31日(水)
5月も今日でおしまい。例年ならゴールデンウィークの三宮は、人々の沸き立つように賑わう街なかが、今年はどうしたことでしょう、閑かな日々でした。みんな淡路島の花博(ジャパン・フローラ)へ行ったのでしょうか。その後も、三宮は閑かな日々が続きました。神戸は観光都市でもあります。GWなどは、全国から観光客が集まるのですが、今年の観光は淡路に集中したようです。神戸と淡路は同じ"商圏"のようです。今年の夏も淡路は賑わうことでしょう。関西は、全国的な景気回復の傾向に乗り遅れているようです。これは産業構造がIT(情報技術)関係にシフトしていないため、現在はリストラという名の首切りがまだ進められているためでしょうか、全般に元気がありません。いつまでこうした状況がつづくのでしょう。最近、景気回復を待つことが少々疲れてきました。
192-5月30日(火)
今日もガルバンソー豆の続きを。この豆、スペインの家庭料理に欠かすことの出来ない食材なのです。観光などで、スペインのレストランで食事をしてもなかなか出会うことはありません。しかし、フェニキア人がイベリア半島にもたらしたというこの豆は、地方ごとに料理内容が多様なスペインにあって、どの地方へいっても出会うことが出来る基本食材であるのです。
スペインには、乾燥豆がこの他にも、金時豆、白インゲンなど多様にあります。今日もスペインの多くのお母さまたちが、家族のために愛情を込めて豆料理を作っていることでしょう。
191-5月29日(月)
カルメンの定休日。
今日は、第五月曜日だったので、FMわぃわぃ「南の風」は、沖縄担当者と奄美担当のわたしの二人で共同でつくる「琉球弧」の番組となります。
ネーネーズや、徳之島の島唄、波照間島の島唄など、琉球弧の北から南にかけての島唄を聞いてもらいました。そして7月の沖縄サミット開催に向けて、沖縄が注目されていることを取り上げ、サミット反対や、名護市辺野古沖に建設が予定されている米軍ヘリポート基地反対についての動きを紹介しました。帰宅後、筆者はスペイン料理を試作。ガルバンソー豆の料理です。一晩たっぷりの水につけて戻したガルバンソー豆と一緒に煮込むのは、たくさんの野菜たちです。ホウレンソウ、長ネギ(ポロネギの代用品)、ニンジンなど。それにタマネギとトマトを煮詰めたものを入れます。ローリエも忘れてはいけません。味付けの素は、固形ブイヨンです。この料理は、サフラン入りの団子を入れるのですが、サフランがこの日なかったので、コシード風に骨付き鶏肉(手羽先)を入れて、グツグツ煮込みました。これは、もともとコンソメ・スープの料理なのですが、鶏肉を入れたのでスープではなく、立派なおかずとなりました。筆者の子供達も文句をいわず、食べました(いつも筆者がつくるスペイン料理は、子供向きに作らないので、まだ小学生の子供には"大人の味"すぎるのです)。同居人の女性(妻)は、「いままであんまり食べたことのない複雑な味やわ、美味しい美味しい」と喜んでいました。
スペインには、甘く煮ない豆の料理がいっぱいあるのです。また豆料理をつくってみることにしましょう。
190-5月28日(日)
夕刻、イスパニック・クラブの黒田有彦氏が来店。4月に創刊された『ラテン手帖』を持ってきてくれました。タブロイド版12ページのフリーペーパーです。ラテン、スペイン関係の音楽、踊り、文化・イベント情報が満載されています。発行しているのは、森元ゆうきさんという人。大阪市北区天満に事務所があります。なかなか頑張っている内容で、ちゃんと広告も集めていて、読み応えがあります。店情報など取材もしていてレイアウトもすっきりしています。黒田氏は、「スペイン語の会」「ラテンアメリカ映画上映会」などを主催していて、『ラテン手帖』に紹介されています。黒田氏が持ってきてくれたのは、vol.2。どうやら月刊で出しているようです。この手のメディア、細く長く続くことを願っています。黒田氏は、カルメンが毎年8月19日に開いている"ロルカ詩祭"について、同誌に案内しておくとの話です。この"ロルカ詩祭"について、まだこのサイトで詳細は紹介してなかったと思います。いずれ本格的に紹介したいと思います。今年は、ちょうど土曜日なので、みなさん集まりやすいと思います。
なお、ちなみに『ラテン手帖』については、発行元の(文字文字社) 06-6357-0999
FAX06-6357-0902に連絡してください。189-5月27日(土)
6月7月だけの限定メニューを紹介します。今回のコースは新作メニューがずらりとならんだ力の入った内容です。
ご予約される方は、電話078-331-2228(FAX兼)か、表紙ページを開いてメールでお申し込み下さい。>>>>>>夏のさわやかコース<<<<<
夏に向けての料理を用意しました。今回は新作がずらり。夏野菜の煮込み、カタツムリのトマトソース、イカスミ・パスタ、マリスコスのフリートス、牛フィレ肉のチーズ焼き、アーモンドのババロアなどなど。これだけ新作がずらりとならぶ企画はめったにありません。豪華なコースです。お早めにご予約下さい。お二人様から多人数様まで、そして年齢に関係なく楽しんでいただけます。日本で一番早くできたスペイン料理店が自信をもって提供する内容です。
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
1.スペイン・リオハ産 白ワイン(95年産クリアンサ)
2.夏野菜のスペイン風煮込み
3.プルポ アリオリ
(バロセロナ料理 蛸とアリオリソースのエントレメセス)
4.カタツムリのトマトソース
5.待望 夏の冷製スープ・ガスパッチョ
6.マリスコスのアンダルシーア風フリートス
7.チェリー・トマトの夏サラダ
8.牛ヒィレ肉のチーズ焼き・地中海風
9.aイカスミ・パスタ(今回初登場)
b.パエリア
(サフラン使用の炊き込みごはん、魚介・ハム・鶏肉入り)
c.パン a b c いずれかを選択
10.(デザート)アーモンドのハバロア
11.a.シェリー酒(甘口)
b.コーヒー
c.紅茶 a b c いずれかを選択□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
平常料金/ 9800 円相当
優待料金/4880円
(お一人様)(税別・サ無)
期間/6/1(木)〜7/30(日)
(月曜定休日)
時間/12:00〜21:00(ラストオーダー)〜22:00
188-5月26日(金)
みなさま、お待たせいたしました。
本日から、スペインの夏の冷製スープである"ガスパッチョ"を始めました。ずっと前は4月1日からガスパッチョに切り替えたのです。4月はまだ季節はずれの雪が降ったり、花冷えといわれる冷え込む日があるなど、不安定な気候が続きます。そうした肌寒い日に冷たいガスパッチョは、ちょっとつらい。最近では、ゴールデン・ウィークが終わった後で、お出しするようにしています。しかし、今年は例年に比べてガスパッチョ初日が5月末にずれ込んでしまいました。気温が上がらないため、制作の日をずらしたためなのです。
カルメンで、ガスパッチョが出るともう季節は夏に向かいます。夏はスペインらしい季節でもあります。6月7月の限定メニューを明日紹介することにしましょう。
187-5月25日(木)
今日は、サッカーの話題です。24日(木)パリで行われていた"チャンピオン・リーグ(CL)"の優勝決勝戦が行われ、スペインのクラブ・チーム同士の対決となりました。このCLは、欧州にあるクラブ・チームのナンバー1を決める大会で、国別ではなく、ヨーロッパ人が日頃応援している"おらがチーム"が出場することもあって、応援にも熱が入るのです
今回対戦したのは、マドリードの"リアル・マドリード"と、バレンシアの"バレンシア"です。最初は、"攻め"のバレンシアが優勢に立っていたのですが、徐々に実績を誇るリアルが盛り返し、まず1点を先取すると、反対にリアルのペースとなっていきます。結果はCL初出場のバレンシアを3-0で下し、2年ぶり通算8度目の優勝を飾りました。8度目の優勝というのは、初めてだそうです。このCLという大会は、欧州一を決めるという以上に、世界のトップ・フレーヤーがヨーロッパ各地のクラブ・チームに所属して活躍している現状を考えると、その優勝にはワールド・カップと同等の重みがあるのです。
同じ国同士のクラブ・チームが決勝を戦うというのもCL史上初めてということだそうです。リアルは、スペインのプロ・サッカーチームの中でも、世界のトップ選手を高額な年俸で集めていることで有名です。選手の顔ぶれだけをみていると、毎年スペイン・リーグで優勝してもおかしくないぐらいの実力なのです(まるで極東の国のあるプロ野球チームに似ていますが)。しかしリアルでさえ、そう簡単に連続優勝しないところがスポーツの面白さなのです。今期のスペイン・リーグでは5位という散々な結果でした。
バレンシアもよく頑張りました。かの地方は、アラブが技術導入したコメ作地帯として、Japonと同じような田園風景が拡がっているのです。そして明治時代にはJaponからコメ作の農業技術員がバレンシアに派遣されてもいるようです。こうした背景があってパエリアがスペインを代表する料理となったのです。美味しいVino Blancoがあることも記憶しておいて下さい。いつかバレンシアのことをまとめて紹介します。
186-5月24日(水)
オリックスが好調です。昨日は日本ハムに2-16と"こてんぱん"にやっつけられてしまいましたが、今日は"リベンジ"してくれました。前半は6点をとられて昨日の勢いを示されたのですが、7回、怒濤の反撃(すみません、ちょっとオーバーな表現です)で逆転。最後は7-6で勝たせていただきました。これで12回お疲れドローの2位西武とのゲーム差は、2.5と拡がったのです。クククッ。今年はシーズン前から、仰木監督も「今年はいける」との気概が満ちていたのをファンも感じていました。だから今年のオリックスは、"いけてる"チームなのです。(この"いけてる"という言葉、いつまで寿命があるのでしょうね)。それにしても、一介のファンでしかない筆者にとって分からないことは、"星の王子様"と言われた星野投手が阪神に移籍して、かのチームの大黒柱として活躍していますね。オリックスの立場としては"大黒柱"の一人を失ってしまったわけですが、それでも優勝戦線に参加ではているというのは、どうしてなんでしょう。かつても石嶺とかいったいい選手が他チームに移籍しても、ずっと10年間、Aクラスにいつづけることの出来るこのチームの実力は並大抵のものではないようです。オリックスの魅力は自前の選手を着実に育てているということでしょうね。
1995年、1996年と連続してバ・リーグ制覇。そして96年には巨人を破って日本一になっています。97年、98年、99年と残念ながら優勝出来ませんでした。2000年は、阪神大震災からちょうど5年。神戸の人たちを勇気づけるという意味でも今年は気張ってほしいものです。
185-5月23日(火)
春の遠足シーズンです。筆者の子供達は学校から言い渡された「予算」内でおやつを買い求めます。小学校6年生の「予算」は、一人200円。今時この金額で買えるおやつは限られています。拙宅の周辺にいくつかあるスーパーややコンビニでは、一個買えたらいいほうです。そこで筆者は子供にききました。「どうするの」「市場にある店に行くねん」「へぇー、どんな店?」「駄菓子屋さん」。そうか駄菓子屋さんか。まだこの種の店が棲息できたのですね。「そこ行ったら、10円のおかしも売ってんねん」。ほほぅ、10円の菓子、それは珍しい。「そこの店、遠足の時になるとはやるんやで」と鋭い観察つきです。
184-5月22日(月)
カルメンの定休日。今日は休日にかかわらず早起きして、映画を見に行くことにしました。同居人の女性(妻)を誘ったのです。映画にいくぞといったのは、出発一時間前。急に筆者が言い出したので、さあそれから大変。わっさわっさと大急ぎで家事をすませて、なんとかぎりぎり上映時間に間に合うよう電車に乗り込みました。目指すは、神戸市営地下鉄"湊川公園"駅を下車したところにある「パルシネマしんこうえん」という映画館。演目は、「ジャンヌ」。そう、ジャンヌ・ダルクを映画化したものなのです。
舞台は1400年代のフランス。Japonなら室町時代に当たります。どうもこの世紀は、アジアの島国もフランス・イギリスも「戦国時代」だったようです。殺伐とした空気が漂っていました。首都のパリをはじめ国土の半分をイギリスに占領され、しかもフランス国内の有力諸侯であるブルコーニュ候もイギリス側についているために、国土の半分以上を失っているフランス。正当な王位継承者がいるものの、"ランス"という都市の大聖堂で戴冠式を行ってこそ、正式な王となれるのです。しかし、"ランス"はイギリス軍の占領地。軍事的にはイギリス軍の圧倒的な優位のもとに、フランスは常に劣勢に立たされています。そこに現れたのが、神の啓示を得たというジャンヌ・ダルクという少女だったのです。
フランスには、昔から救国の士がジャンヌ・ダルクが生まれた地域から現れるという民間信仰があり、ジャンヌの噂はもちきりだったようです。やがて、フランス王候補(太王子)と接見。太王子の信頼を得て、ジャンヌはオルレアンに向かいます。ここは、フランス北部の主要都市。かろうじてイギリス軍の包囲の中で持ちこたえています。映画では、ジャンヌを「大人たち=男たち=の常識をまったく無視して、果敢に立ち向かうルール無視の女性」と捉えています。男たちは、闘いの常道に縛られているために、生死をかけた闘いでも、なかなか自分たちの発想をかえることができません。そのなかで神の啓示を得たジャンヌが、闘いの常識を次々と無視して、"無謀"な闘いを仕掛けるのです。
連戦連敗のフランス軍にとって、その"無謀"さこそ必要な要素だったのです。時代は、イギリス軍によって国土を好き放題に荒らされていたフランス国民が、愛国心を高揚させていた時でした。映画冒頭にあるジャンヌの生まれ村に対するイギリス軍の焼き討ちと略奪シーンは、強烈な印象です。ジャンヌの姉は、イギリス兵によって、立ったまま剣で貫き殺されたあと、剣が刺さった状態で"死姦"されるというすさまじいシーンが展開されます。そのシーンをジャンヌは、一枚の板越しに見ている。このほかにもこの映画は、戦闘のリアルなシーンがふんだんに盛り込まれているのです。
当初、ジャンヌの神かがりを利用していたフランス王も、ランスで正式に戴冠をすますと、現状維持で満足し、莫大な費用が必要なこれ以上の軍事的勝利を望まなくなります。ジャンヌを疎ましく思うようになり、首都パリの攻防戦にも援軍を送らず、やがて、イギリス軍の捕虜となるよう仕向けていくのです。ジャンヌは、大人たちの政治の取引とされ、やがて火あぶりの刑とされます。
ジャンヌ・ダルクはこれまで何度も映画化されています。今回の作品の特徴は、ハリウッドらしい大がかりな予算と、CG技術の駆使によるリアル感でしよう。そしてジャンヌを神々しさの面ばかりみずに、神との関係に揺れる信仰面での葛藤をテーマのひとつにしたことも特徴でしょう。しかし非キリスト教者にとって、ジャンヌと神との"対話と葛藤"シーンは、少々間延びして面白くありません。それでも人間の精神面に分け入った台詞まわしを確立しようとする努力がみられます。ジャンヌを"異端"で裁こうとする神父たちとの問答も評価できるレベルです。
総合的に評価してみると、この映画、部分としては優れたところが多いのです。フランス王の王としての役柄演出や、ジャンヌが初めて王子と接見する際には「王殺し」のテーマも盛り込まれています。王にまつわるピカレスク的三貴族の存在は、ジャンヌと戦場を共にするにしたがって強い同志となってくストーリーの設定も成功しています。また戦闘シーンは、首がびょいーんと簡単にすっ飛んだり、死んだ兵達や農民の肉をオオカミや烏がついばむシーンなど、同居人の女性(妻)が「リアルやわ」と顔をそむけるぐらいによく出来ていたのです。そして神父たちが神学上のアカデミックな詰問をジャンヌに投げかけてきても、ジャンヌが翻弄してしまう見事さ。しかし、総合的にみると、ジャンヌの描き方が神学上においてどれだけ有効であるのかを問おうと強調するあまり、生身のジャンヌの姿がもうひとつ見えてこない。78点ぐらいの出来ではないでしょうか。
ちなみに、ジャンヌ・ダルクは、死後20年後に裁判のやり直しがローマ法王によって命じられ、今世紀には"聖人"に列せられたそうです。火あぶりの刑から500年後のことです。
183-5月21日(日)
最近、筆者はテレビを見る時間が減っています。年齢を重ねるごとに、テレビを見る時間が減っていった上に、パソコンを始めてからというものの、テレビ番組でもっともよく見ているニュース番組でさえも、インターネットのWebページで確認することが多くなっています。テレビニュースはどうしても"絵になる"ニュースや案件を重視します。一人の人が1分以上しゃべっている姿を映し出す"静止画像"はあきられるという厳しい現実があるために、どうしてもじっくり一つの論点を掘り下げるという媒体ではないようです(勿論、そうした番組はあります。そうした番組はもともとそういう作りを貫いているものです)。Webニュースなら、なにもテレビ番組の放送時間に合わせなくても、いつみてもいいし、リアルタイムに情報が更新されている面白さがあります。筆者の管見では、JaponのWebニュースでは朝日新聞のサイトが一番即時性があり、かつそのニュースの裏付けサイトも添付されているので、評価しています。残念なのは、共同通信のサイトのつまらなさです。この通信社へは、世界各地からWorld Newsが刻々と入ってきているはずですが、同社のサイトは静的なイメージがあり、Activeではないのです。おそらく、同社は各新聞社にニュースを配信する会社であるという建前を重視しているため、Web視聴者には直接"商品"を販売しないということなのでしょう。
日本語で世界のニュースを常に配信しているサイトはあるのでしょうが、いまのところCNNの英語ニュースを毎夜見ています。ここは動画サイトです(音声はちゃんと届くのですが、画像はインタビューのように対象が殆ど動かない場合以外は鮮明さに欠けます)。筆者の英語力では、どれほども内容を理解できていないのですが、毎日更新されるサイトをみていると、どんな事項がアメリカ人にとって"ニュース"なのかが分かります。
182-5月20日(土)
桜の開花宣言です。といっても神戸の話ではありません。北海道の稚内と網走のソメイヨシノが開花したとのことです。おそらく今年最後の開花宣言でしょう。かたや沖縄では、例年より少し遅めの梅雨入り宣言。沖縄のすぐ北の奄美では、蒸し暑い日々が続くものの、梅雨入りが遅れているそうです。
そして本土中央部に位置する神戸は、例年に比べて寒い五月です。夜や早朝に拙宅の一階でパソコンを触っていると、肌寒く靴下をはいています。
例年なら、カルメンでは、夏のスープであるガスパッチョをゴールデンウィーク後に登場させるのですが、今年は温度が上がらないために、お客様にお出しするのを遅らせています。この寒さ、Japon経済と政治の不全さと呼応しているようで、気持ちは晴れません。
181-5月19日(金)
本屋で立ち読みしたイタリアに関する本の中で、イタリアの男性は親離れしないマザコン男が多いという記述がありました。現在イタリアでは30歳台の25%が独身でしかも親と同居している統計があるそうです。これは、イタリアの住宅事情が悪い上に、失業率も高率だからというのが主な原因のようです。親と一緒に暮らしていれば、生活に困ることはないし、アンマ(母)もとびっきり息子に甘い。これは文化風土です。Japonの女性には、イタリアの街角を歩けば、女性なら誰でもイタリア男から声を掛けられるという無邪気なまでの"信仰"が定着しています。こうした風聞の背景には、イタリア男性にはマチスモが強いという先入観念があります。しかし現実は違うのです。そしてイタリア男だけがマザコンではありません。同じラテン世界のスペイン男もマザコンにかけては、決してイタリアにひけはとりません。30歳を過ぎた大の男が、ママン(母)に毎朝ネクタイを決めてもらったり、風邪をひこうものなら大変、ママンは、まるで大病にかかったかのように大袈裟に息子の世話をするのです。それは独身であろうと、目の前に嫁がいようとお構いなしです。こうした話は、スペイン男と結婚したJaponの女性からため息まじりに告白されるのです。
どうです、皆様。近代的自我を確立していると思いなしているヨーロッパ人の中でも、イタリアやスペインの男たちは、いつまでたっても母親に甘え、母親も息子は何歳になっても、かわいいかわいい"わたしの坊や"なのです。Japonでは親離れ、子離れすることが、社会において絶対達成されるべき基本的態度とされています。これは"欧米社会"を規範としているのですが、その"欧米社会"というのは、実は多様なのです。現状では、Japonの男たちの方が、よっぽどイタリア男、スペイン男より、親から自立しているのかもしれません。
180-5月18日(木)
教皇のヨハネ・パウロ6世が、今日80歳の誕生日を迎えました。キリスト教世界にとって、重要なミレナリオ(千年紀)を迎えた教皇として、歴史に名をとどめる位置にあります。ヨハネ・パウロ6世の出身地は、ポーランド。教皇に就任した時、まだ故国は社会主義国だったので、この意味からも注目されました。この人は篤いマリア信仰の持ち主であることでも有名で、先日訪れたポルトガルのファティマは、今世紀に誕生したマリア信仰の聖地です。1917年に子供数人が、マリアの出現を幻視し、そこで三つの預言を得たことは、有名です。その三つ目の預言が、教皇の襲撃(1981年)を予告したものであったことが、最近になって明らかにされました。ちなみに教皇が襲撃された日は、子供達が一番最初にマリアを見た64年後の同じ日だったのです。
その預言の一つ目は、社会主義国の跋扈を予測したものでした。これを最大限に利用したのが、ポルトガルの長期独裁政権でした。社会主義の恐怖をあおりたてることで、みずからの恐怖政治を正当化しようとしたのです。その独裁政権に対して、叛乱を起こしたある将軍は「三つのFがポルトガルをダメにした」と吐き捨てるように言ったそうです。一つ目のFは、ファティマ。社会主義に対する恐怖と独裁政治に正当性を与えたからです。二つ目のFは、フットポール。つまりサッカーです。ポルトガルもまた、他のヨーロッパ諸国と同じように、国民の大多数が熱狂的なサッカー・ファンです。しかしこれもまた政治が、現実の暗愚や不満をサッカーに向けさせるという衆愚策として活用したのです。
そして三つ目。皆さんなんだと思います? 筆者はこの三つ目を知って、ため息をついてしまいました。三つ目のFはFADOのF。ポルトガルを代表する音楽であり、Japonにも最近多くのファンを獲得している哀切きわまりないあの音楽。アマリア・ロドリゲスが唄い、Japonには、月田秀子という優れたファド歌手がいて、郷愁と愛惜の心をかきむしるあの音楽。そのファドが、人々から現実に対してあきらめの心を定着させ、現実を変革する積極性を奪いとったのでしょうか。ヨーロッパの中でも最貧国のひとつであるポルトガルの人たちは、フランスを初めとした各地に底辺労働者として出稼ぎに出ています。そんな彼らが異国でアマリア・ロドリゲスの公演を聞くとき、彼女がステージに上がっただけで、ウォーという地鳴りとも雄叫びともつかぬ声が上がるそうです。それはおそらく、"貧"を強いられているポルトガル人としての心からの呻吟ではないでしょうか。
179-5月17日(水)
5月ともなると、スペインも暑くなり、冷たい飲料が欲しくなります。筆者はまだ飲んだことはないのですが、ビールをサイダーで割ったパナッシェというのがあるそうです。これはスペインだけではなく、ヨーロッパ各地で飲まれている飲み物です。またスペインの若い人はワインをサイダーあるいは炭酸で割って飲んでいます。12日(金)朝日新聞の夕刊に、スペインでは、白ワインをソーダで割ったものを「貧乏人のシャンパン」と呼ぶのだと、歌人の俵万智さんが報告しています(「俵万智の百人一酒」)。その白ワインですが、リオハやリアス・バイシャス産のものを推薦しています。しかし、万智さん、「貧乏人のシャンパン」の原材料に使うものとしては、リオハやリアス・バイシャスものは、ちと高価な白ワインですぞ。スペインには、DO(原産地呼称ワイン)ワインといっても限りなくテーブルワインのレベルでしかない白ワインがごちゃまんとあるので、そうしたワインを使うほうがよろしいのではないでしょうか。まあ、そうした白ワインは、「貧乏人のシャンパン」にするにしろ"生"で飲むにしろ、キンキンに冷やすことをお薦めします。
178-5月16日(火)
カルメン・ホームページのインターフェイスを若干替えました。今年1月13日に行った中川マリさんとアルテ・フラメンコによる「阪神大震災 追悼フラメンコ」の記録を別リンク(「カルメンのイベント記録」)の中に収録。この「店主のつぶやき日誌」の入り口(バナー)は、目立つところに移動しました。また「お得なお任せコース」のリンクも新たに設置したのです。筆者は、ホームページというのは「小に産んで大に育てる」といった考え方を採用しているのです。立ち上げた後のしばらくの期間は、シンプルな構造でもいい。そのサイトになにかひとつ独自なものがあればいいのではないかとの考えです。そして徐々に内容を充実させていく。
まだまだカルメンのサイトは発展途上です。その中で、この「店主のつぶやき日誌」は、(少々の遅れは時々発生するものの)毎日更新しているという、筆者の性格からすると、驚異のサイトなのです(!!)。読者の皆様、これからもよろしくおつきあいのほどを。時々メールでお便り下さい。このHPには、「伝言板」を設けていません。設けても着信するメール数が少ないと恥ずかしいし、格好悪いからです。筆者の語りが応答を予期しないタイプであることも理由となっています。そして読者といってもまだまだ少数です。少数だからこそ、筆者と読者の皆様が共有できるうるわしき仲間意識感覚を楽しんでいるのです。
177-5月15日(月)
カルメンの定休日。FMわぃわぃ「南の風」の番組を放送する日です。今日の特集は、名瀬在住の唄者・西和美さんの島唄です。和美さんは、"かずみ"という島唄の店をやっていて、ここの島料理は絶品です。
去年に発売されたCDは、和美さんの師匠にあたる坪山豊さんと組んだ六曲も収録されています。以前ソロテープも出しているのですが、やはりCDの音質の良さと、テープ発売時に比べて、唄者として爛熟していることが分かります。和美さんの声は、太くありながら、遠くまで響く"かなしく"そして"なつかしい"感じなのです。
番組終了後、拙宅で飲み会を催しました。ドリンクは、ワイン、黒糖焼酎、ビール。午後7時から始めて11時ぐらいまで盛り上がりました。会合の名目は神戸奄美研究会の『キョラ』編集会議です。
176-5月14日(日)
JR摂津本山駅の近くに、クワガタを売っている店を発見しました。中学生の息子に聞くと、去年からあるということ。間口一間といった表現がぴったりの小さな店舗ですが、クワガタの餌なども置いてあるようです。クワガタだけで商売になるのですね。店舗が小さいので、ひょっとしたらネットで販売しているのかも知れません。ちなみに拙宅で飼っている動物は亀2匹、金魚6匹。最近は「亀の餌」というのも売っているんですよ。金魚を飼っているポリバケツの上には、網かごを逆さにしてつなげています。野良猫に金魚を捕られないためです。近所の野良猫たちは、頭がよくて、簡単な装置なら、人間をあざ笑うかのように、猫防止セットを取り外して、金魚をかすめとってしまうのです。
その猫たちも震災直後は大変でした。拙宅の周辺は、殆どの家がつぶれ、更地ばかりになってしまっていたために、猫たちの隠れる場所がなくなり、何度かカラスに追いかけ回されている猫たちを目撃しました。カラスって、猫より強いのですね。
175-5月13日(土)
今月から拙宅でつないでいるインターネットの接続方法を「テレホーダイ」に替えました。午後11時から午前8時までの間なら、インターネットをずっとつないでいても、定額の料金になるというものです(しかし午後11時台というのは、本当に込んでいます。先日も昼寝をして寝られない息子と一緒にインターネットを見ようとサーバーへ接続したのですが、何度つないでもダメ。とうとう息子は大きなあくびを残してベッドにいってしまいました)。筆者が住む東灘区で、一番インターネットが安くすむのは、CATV(ケーブルテレビ局)が行っている接続サービスです。月6000円で24時間つなぎ放題です。ただ、これは契約した場所からでしか有効ではなく、現在のように拙宅と事務所といった別々な場所から、一つのサーバーに対してメールの送受信をしたり、インターネットを閲覧するということは出来なくなります。
筆者が拙宅でCATVサービスを導入するようになるのは、子供たちが昼間にインターネットをするようになってからでしょう。子供達がパソコンをさわるのは、わたしが日曜日の夜にカルメンから持ち帰った"iBook"を使って、埼玉に住むいとこに向けてメールを送る程度なのです。
テレホーダイにして、接続時間を気にせずにインターネットにつなげている分、いままで見ることのなかったサイトを見て、感激しています。例えば、Quick timeというインターネット上の動画を動かすソフトを作っている会社のホームページを見ると、CNNやBBCなどのニュースサイトにリンクすることが出来ます。世界のニュースが画像と共に(画像の質はよくないのでいが)一瞬のうちに、世界を駆けめぐるのです。たいへんな時代になりました。なにも衛星放送と契約しなくてもインターネットで情報を得ることできるのです。
174-5月12日(金)
筆者の家族に今流行しているのは、「ワンピース」という連作漫画です。筆者以外の全員が愛読者なのです。「お父さんも読めばいいのに」との大合唱です。筆者も漫画は好きです。ただし流行の漫画雑誌は一切読みません(拒絶しているわけではなく、時間がもったいないからです)。特定の作家を偏愛するタイプの読者なのです。その作家の作品集なら殆ど持っています。その作家とは、"花輪和一"という人。知っておられる読者の方は少ないと思います。『ガロ』という雑誌などに作品に掲載していた作家です。時代ものを書くことが多く、舞台は平安・鎌倉期の京洛が中心です。時代考証はしっかりしているようですが、詳細はわかりません。おどろな世界がよく書かれています。時々、宇宙人なども出てきますが、花輪ワールドの中で整合性があるのです。今でも作品集が収まっている書架に目が向くと、年に何回か読み直します。筆者は好きな作家がいるためか、新しいお好みの作家を開拓する努力をあまりしません。
家族の中でも、「ワンピース」の一番熱心な読者は、同居人の女性(妻)でしょう。彼女の読書は、子供達の読書傾向と共に変化していきます。かつては絵本を中心に読んでいました。児童文学はあまり読みません。子供が夏休みの読書感想文用に選んだ児童文学は読んでいるようです。自分で漫画をよく読むくせに、子供が読んでいると叱りとばす。子供はたまったものではありません。さてはて、彼女は漫画から進化するでしょうか。それともこれからもずっと漫画の読者としてきわめていくのでしょうか。
173-5月11日(木)
生ビールが美味しい季節となりました。カルメンの生ビールを導入したのは、去年のことです。飲み物で売っている店ではなく、スペイン産の飲料も多くあるために、あえて生ビールを置かなくてもいいと思っていたのです。
しかし去年の夏は暑すぎました。筆者自身、我慢できず導入しました。暑い夏にはやはり生ビールがぴったりです。残念ながら、スペインの生ビールは入ってこないので、Japonのビールです。スペインでは瓶ビールのことを、cervesa(セルベッサ)、生ビールをcana(カーニャ)といいます。夏になると40度以上になる地方もあるスペインでは、canaが定番的人気です。
172-5月10日(水)
これは、口誦(こうしよう)文芸と言い得るでしょう。カルメンのすぐ横にパチンコ屋があります。パチンコ屋のオーナーがビルのオーナーも兼ねています。今年はじめまで、ビル地下のテナント"アサヒビアホール"が撤退。それを機に地下をスロットマシーンのフロアーとして増床したのです。筆者は、パチンコあるいはスロットマシーンについて知りません。パチンコにいたっては、学生時代(20年前)にしたきりで、いま流行のCR機といわれても、さっぱり分かりません。
それはともかく、最近このパチンコ屋に、一時間に一回程度男性がマイクを握り、景気づけのアナウンスをするのです。それがとてもサマになっていて、雰囲気にあっています。業界用語でこのようなトークは名前が付いているのかも知れません。ただ、カルメンにいて聞き耳をたてても、何を言っているのかわかりません。独得の抑揚とパチンコのリズムにあった早口、露天商のトークにも似た勢いです。昔からあったような気がしますが、最近おしゃれなパチンコ店が増えて、従業員もTシャツなどを着て、イメージ・チェンジしているところが多くなっている中、こうしたレトロなアナウンスは懐かしくもあり、かつこれは立派な口承文芸だと感服するのです。
171-5月9日(火)
"I love you"というメールがくれば、どうしても開けたくなってしまいます。世界的に話題となっているコンピュータ・ウィルスの名前です。どうやら発信元はフィリピンだということなのだそうですが、真偽のほどは分かっていません。このウィルスは、OUTLOOKというメールを使っていれば、そのパソコンに登録されているメールアドレスすべてに転送する機能つきだそうです(筆者も現在このソフトを使っています)。このウィルスの被害は、全世界に拡がっています。しかし、危機管理意識の強い大企業は、ゴールデン・ウィーク中にすべて対応を完了したというのです。つまり、休暇中に関係部署の社員を出社させたということでしょう。休み返上で出社されたJaponのサラリーマンの皆様、ごくろうさまです。
こうした新種のウィルス伝播は、世界がインターネットで瞬間につながっているからこそ起きる事態なのですが、残念ながら筆者のところには、誰からも"I love you"は届きませんでした。
知人からのメールに読んでいると面白いものがありました。さきほど英国国教会の大主教が"インターネットは「悪の可能性」を秘めている"と警告したそうです(4/8付の英紙タイムズ掲載記事)。それに似た警告を発する人がいて、それは沖縄の「ユタ(=シャーマン)」です。いわく「コンピューターはよ、ひとをヤーグマイ(家に閉じこもること)させるさー」(東京のS氏発のメール)。みなさん、どうです。パソコンのディスプレーから顔を上げて、実際のリアル世界と接触する時間を多く持つようにしていますか。
170-5月8日(月)
カルメンの定休日。
筆者は、牡丹の花を見たくて、奈良県桜井市の長谷寺へ行って来ました。JRと近鉄を乗り継いで2時間近く。ほとんど三重県に近いところにあります。平安時代から巡礼地として有名で、流浪する王・花山院もお気に入りの場所だったそうです(この院、面白い存在で、生涯のうち何度なく熊野詣でをしたのです。早々に天皇を退位させられた花山院は何かに取り憑かれたように、旅を重ねた"彷徨王"なのです)。長谷寺は観音信仰の霊場として有名で、東大寺の本殿に継いで大きい木造建造物におさまった観音像は、大きくよく目立ちます。筆者は観音霊場を時々巡りますが、どうも好きになれません。一般の人たちの信仰は篤く集めるのですが、宗教としての厚さに欠ける恨みがあるのです。
この寺は、今でも多くの寺坊が残っている奇跡を体現しているような場所です(織田信長軍によく攻撃されなかったものです)。その上、空海の遠忌を記念して数年前に御堂を新調するなど、観光名所の寺坊では珍しく、新陳代謝があり、寺勢がいまでも衰えていません。山内には、頭髪を剃りたての若僧たちが、ぼたん見物の中高年に混じって歩いています。詳しい内容は確かめなかったのですが、若僧のための修行施設が存在しているのです。この寺は単なる"花"を売り物にしているだけではなさそうです。これからもう少し注意深く観察してみることにしましょう。
筆者にとって、多くの寺坊のうち、納経堂に注目しました。堂内を眺めていると、六角形の御堂が内蔵されているのです。薬を入れておく多くの引き出し付きタンスのもっと大きいものと思ってください。それが六面あり、引き出しに経典を入れるのです。現在は使用されている様子はありません。障子は破れ、外から雨風に晒されています。現在は物置にしているのでしょう、さまざまなものが放置されています。筆者が感動したのは、他の大きな寺坊では、礎石だけの「納経堂跡」はよく見るのですが、現存している納経堂を見たことです。長谷寺の納経堂は、16世紀に建てられたもので、わが読書人の先輩たちが使っていた"図書館"だと思えば、感慨が深いものです。
さて、ぼたんですが、ちょうど盛りを迎えたところです。さまざまな品種があるうち、筆者は「連鶴」の透けるような白色に見入っていました。
169-5月7日(日)
早朝の出勤前の時間を利用して、保久良山に登ってきました。これは、喘息の次男坊に少しでも体力をつけるために毎月一回行っている家庭行事です。ところが、喘息持ちの子供にとって、今の"木の芽"時期というのが一番つらい時なのです。気圧の変化の加減でしょうか。季節がうつろい春を満喫するこの時期こそ、呼吸困難になりやすくなるのです。
ぜぇぜぇと息をするのさえ、苦しそうにしている子供を見ていると、親としてはどうしてやることも出来ず、切ないばかりです。しかも筆者は子供の時、喘息で苦しんだ経験がないだけに、励ます言葉も慎重になります。本人は、喘息がひどくなってくると、吸入の回数を増やしたり、薬の数を調整したりして、自分という存在と、病という存在を客体化して必死に闘っているのです。
次男は前日から調子が悪く、この日の早朝登山も元気なくトボトボと歩いています。子供のことなので、歩くことで元気になってくるかと思ったのですが、表情に精気が感じられず、やっとのことで歩いている様子です。仕方なく、拙宅から歩いて7〜8分のT商店のところまでとして、引き返すようにいいました。
筆者はその後、娘と二人で保久良山の山頂まで登ったのです。面白いことに、もう既に散り果てていたと思っていたソメイヨシノにまだ花びらがついていたことです。桜というのは、少しでも葉桜になってくると、途端に見向きされなくなってしまいます。
娘はというと筆者より土に近く生きている分、地面の毛虫などをめざとく見つけます。「きゃっ、きゃっ」といいながら飛び跳ねて坂道を登っていくのです。毛虫をよけているつもりです。娘につられて筆者も地面を見ながら歩いていると、見事な漆黒色をした毛虫を発見しました。気持ち悪ががる娘をおだてて、きれいな「黒」をしばし二人で見ていました。
娘が次に発見したのは、藤の花です。山の中腹の木々に寄生するように絡み、そして花を咲かせています。そういえば、5月は、藤の季節でもあるのです。筆者の母は藤が好きです。筆者もまた花の色、そしてかたまって咲いている形状が気に入っているのです(紫陽花も好きなのでどうやら群れて咲いている花が好きなようです)。娘もめざとく藤を見つけたので、ひょっとして藤好きの家系ゆえの発見なのかもしれません。
保久良山への登山道は多くの人が利用し、多くの市民に愛されています。震災後、紫陽花の苗木が植えられています。次回の家族早朝登山は、紫陽花が見頃な時にするつもりです。
168-5月6日(土)
いよいよゴールデンウィークも終盤です。読者の皆様は楽しい休暇を過ごせたでしようか。筆者はもちろんずっと仕事をしていたのですが、最近ではこのゴールデンウィークの方が、夏の盆休みより長くなり、海外旅行や、別荘に滞在するのもちょうどいい季節です。今年のゴールデンウィークの三宮は、去年に比べてすこし人手が少なく、カルメンへ来ていただいたお客様の総数も伸びませんでした。ここ数年気になるのは、家族連れのグループが減っていることです。不況の影響なのでしよう。働き盛りの世帯が今リストラ等の危機にさらされています。不況が克服されるということは、カルメンに家族連れグループが増えるということでもあるのです。JaponとJaponの人たちはこの10年間、どんどん萎縮してしまっています。特に神戸はせっかく震災以来、徐々に復興しつつあったのに、この1〜2年、全国的な不況の影響でまた元気をなくしてます。
# # # # #
個人的なことですか、筆者は本日付の朝日新聞(大阪本社版)夕刊(今日は朝刊がやすみ)の中面にある"BOOKMARK"というコラムに紹介されています。自分の記事というのは、書いたものであるにせよ、取材されたものであるにせよ、何度載っても恥ずかしいものです。
167-5月5日(金)
筆者の友人に商社に勤めている人がいます。その人と商社の行く末についてしばししゃべっていました。20年前、就職人気がすこぶる高く、商社に入社が決まったと言うだけで、周囲から祝福されたものです。体力と知力に自信がある有能な人材が、この業界に入っていきました。ところが、いま商社は「真冬の時代」といわれています。経済構造が大きく変化、情報が一瞬にして世界を駆けめぐり、情報・流通・生産が一挙にグローバル化。いまさら野武士的な商社マンの存在など不要なのです。いま商社の主な仕事は、新規事業の「口入れ屋」的仲介業のような内容にシフトしていっているのではないでしょうか。商社の資産といえば、ほとんど人的資源です。いかに多くの"やんちゃ坊主"を抱えているかで、会社が伸びるかどうか決まっていたのですが、今ではいかに会社(事業)と会社(事業)とをバランスよくまとめるかというデスクワーク的気配り人間の能力が問われているのです。
筆者の友人にいわせれば、現在の日本経済のもとで、生き残る総合商社は三社ぐらいといいます。グローバル経済というのは、ガリバー的企業を生み出すようになっていて、大手とその他との差は拡がるばかりです。筆者の友人たちを見ても、商社には有能な人材が多く集まっています。その彼らが40歳台の中堅どころとなって、将来がまったく見えてこなくなってしまっているのです。まったく10年後、20年後の日本経済でどんな業界が生き残っているのか本当にわかりません。
昔の話ですが、その時々の人気業種に勤めたがる、つまり安定指向の強い東大生が多く就職する企業の株は「売り」だといわれていました。
166-5月4日(木)
筆者の拙宅に、奄美出身の詩人・山中六さんが泊まっています。六さんは、奄美大島の名瀬市出身。実家は「浜の屋」という旅館です。ここは面白いところで、研究者や出版関係者がよく泊まっていました。筆者も奄美に行けば必ず立ち寄っていたのです(現在は廃業)。新婚旅行で琉球弧を訪れた時、名瀬でとまった宿もこの「浜の屋」でした。六さんの新しい詩集は『フルーツジュースの河』という題名。本にCDが付いています。詩の全作品とあとがきの朗読がそのCDに収録されているのです。FMわぃわぃ「南の風」でも二篇ほど"放送"しました。六さんのイントネーションが、奄美の人独自の「トン・ヤマトグチ」なのです。活字を追うだけでは分からない香りが漂っています。
六さんは本日、神戸国際会館で行われた「奄美フェスティバル2000」に出席するために、鹿児島市からわざわざ神戸にやってきたのです。筆者も休憩時間に少しのぞきに行きました。会場からあふれんばかりの満員盛況でした。成功に自信をもったフェスティバル関係者は「次は大阪ドームで奄美フェスティバルを開いて3万人を集めよう」と意気軒昂でした。
165-5月3日(水)
ゴールデン・ウィークの真っ最中です。埼玉県に住む筆者の親戚は、休暇を利用して山梨県へ向かったそうです。午前7時に出発したものの、高速道は50キロの渋滞。ようやく目的地に着いたのが夕方だったのです。途中、ノロノロ運転でバッテリーを使いすぎ、オーバーヒートしてダウンし、JAFを呼ぶはめになってしまったようです。
高速道といえば、佐賀発福岡行きの高速バスが、17歳の少年にバスジャックされ、大騒ぎになっています。最近、10代後半の少年少女と、警察官の犯行がやたらに目立ちます。誰かが何年か前にインストールした「狂い」のソフトが今となって、起動しているのでしょうか。
164-5月2日(火)
オリックスがパ・リーグの首位に躍り出ました。今年は、シーズン当初から飛ばしていることもあり、かなり期待できそうです。ところが、神戸グリーンスタジアムで行われている試合のテレビ・ラジオの中継がないのです。地元の市民球団の試合が、地元で見聞きすることができないのです。このチームの中継内容がなかなか電波系マスコミに乗らない現状は、何回かこの日誌で取り上げました。他の球団はインターネットで試合中継しているところもあるのです。そういう球団には、ちゃんとテレビ中継されているところもあります。阪神や巨人といった人気球団はほっておいてもマスコミが試合中継します。また広島や中日、ダイエーなどその地域にひとつしかない球団も地元のファンにとっては、試合中継に困ることはありません。しかしオリックスは、残念ながら、阪神の試合がないとき、中止になったときなどしか中継されません。衛星放送では見ることは出来るのですが、別途契約する必要があり、敷居が低くないのです。オリックスこそ、インターネットで試合中継するべきでしょう。
オリックスに勤めている筆者の友人に、インターネット実況放送の必要性をとくとくと話したことがあります。その友人いわくに、オリックス・ブルーウェーブのホームページは12球団のなかでは、最低に近いレベルだそうです。今オリックスの本体とともにホームページを刷新するべく準備しているとか。ファンとして大いに期待したいものです。欲をいうと、試合の実況中継は勿論のこと、過去の試合のダイジェスト版コーナーをクリックすれば、2〜3分程度でその試合をまとめているサイトもあっていいでしょう。技術的には問題はないのです。オリックスは常に時代の先端をいく企業です。ブルーウェーブのホームページ刷新も期待できると思います。
163-5月1日(月)
5月となりました。
今日はカルメンの定休日。筆者はFMわぃわぃ「南の風」の番組があるために、午前中は放送準備の仕上げをしていました。本日の番組のゲストは、古村好昭さんです。この人、5月4日(木)に神戸国際会館でひらかれる「奄美フェスティバル2000」の仕掛け人なのです。
このイベントは3部構成。1部は、大島紬に関するトークとショー。和装研究家の市田ひろみさんや、大島の名瀬市から「ミス紬」が来神します。2部は奄美観光大使による歌謡ショー。嶺よう子さんらが演歌や、演歌風にアレンジした奄美の島唄を唄います。3部は、関西在住の奄美出身者による郷土芸能(島唄、琉舞、民舞ほか)や、奄美(沖永良部島)からもジューテが出演します。ジューテとは、琉舞のバックでサンシル(三線)を弾く人で、コンサート・マスターのような役割を演じる人です。
開場は、午後1時45分、開演は午後2時から。3部が終わるのが、午後6時近く。たっぷりと奄美ワールドに浸ることができます。まだ若干当日券が残っているそうです。奄美を体験したい人は、お薦めです。
番組終了後、古村さんと分かれ、筆者は家族とJR住吉駅で合流。神戸市東灘区の六甲アイランドにあるホテル・ベイシェトランのディナーバイキングに行って来ました。
162-4月30日(日)
昼の休憩時間、湊川神社へ赴き、知人の出版社から上梓された『新釈・古事記伝』についての出版記念会に出席しました。この本は昭和15年に発行されたもので、当時の軍国主義的な世情を反映して、「日本精神」の鼓舞が声高に唱えられています。出版当初、2万部以上売れたのですが、昭和20年のJapon敗戦と同時に絶版となります。内容からして、戦後まで持ちこたえる内容でないのは確かです。知人は、本書を執筆した著者の教え子にあたるらしく、心を決して再刊にいたったというのです。
わたしは記念会で挨拶をすることとなり、半分当惑しながら、『古事記』というエクリチュールについての感想を語りました。批判的に読むことを含めて、この書物は興味深い存在です。いまこの『古事記』をアジア的広がりの中で、捉える必要があると思っています。例えば、大国主の尊が因幡の白兎を助けた話があります。白兎がだまそうとしてだましきれず、反対に生皮をはがされてしまった「ワニ」について、これは出雲地方の古語で「サメ」のことをいうのだという説明が定説になっています。しかし、これに異議をとなえる学者・研究者がいます。「ワニ」はワニだったのではないか、と。この説の拠り所は、豊玉姫が産屋にこもって出産するときに戻った姿である「ワニ」はワニとして理解されています。また司馬遼太郎は「ワニ」を南から渡ってきた海洋民族の異称として呼んだのではないかとの推論を書いています。
Japonとワニという組み合わせは、唐突すぎるように思えますが、18世紀に書かれた『南島雑話』(名越左源太著)という書物には、奄美大島(今の住用村)にイリエワニが漂着して、マングローブの間に隠れていたが、村人が捕まえて、食べてみると海亀の肉のようで美味しかったという記述があります。このイリエワニがどのような種類のワニなのか、分からないのですが、奄美へは黒潮に乗って南方のワニが漂流してきたとも考えられます。また揚子江(長江)には小型の揚子江ワニが棲息しているので、日本列島のごく近くにワニが存在していたことは事実です。
『古事記』を日本だけの視点でみていては、戦前のようにヒステリックな国粋主義のテキストに終わってしまう可能性があります。それを今アジアの中で読み直すという作業がわれわれの仕事であると思うのです。
161-4月29日(土)
筆者が毎日乗り降りしているJR摂津本山駅南口の改札を出たところに、燕の巣があり、今年も燕たちが帰ってきてくれました。この燕たち、3月のおわり頃に神戸の街に到着します。かれらは1995年に帰ってきた時はさぞびっくりしたことでしょう。それまで見慣れていた街が崩壊してしまっていたわけですから。その年の冬、駅舎の補強工事をしたため、せっかくあった燕の巣が撤去されてしまいました。なんと無粋なことをするものだと思っていると、案の定、次の春、燕たちは帰ってきませんでした。もう、この街には燕たちさえ、帰ってきてくれないのかと、落胆していたところ、97年春なにげなく改札口の上を眺めると、なんとつがいの燕が懸命に営巣しているではありませんか。帰ってきてくれたのです。巣の下には、JR職員が置いたのか、紙箱があります。巣の中で育つジュニアたちが、出す糞を受けとめるためです。
今は卵を育てているのでしょうか。どちらかが巣の中にいることが多いようです。もうすぐするとミレニアム・ベビーが誕生します。今年の秋まで、彼らとの付き合いが続きます。この場所は、カラスや猫といった天敵がこないので、安心なのです。
160-4月28日(金)
みなさん、「こごみ」という食べ物をご存じでしょうか。筆者の友人で、兵庫県多可郡中町(西脇市の北に位置)に住むTさんから送っていただいたのです。「こごみ」は山菜です。読者のみなさんの地域では、呼び方が違うかもしれません。つくしよりも少し大きめのサイズです。Tさんも、友人からもらったというのですが、その友人もどこで摂ったかは教えてくれないそうです。その人にとっては誰にも教えたくない大切な場所なのでしょう。(余談ですが、奄美の島唄に、これと似たエピソードを唄った島唄があり「キンサク節」といいます。石原久子さんのお得意の唄です)。
さっそく湯がいて食べてみました。「こごみ」そのものは味があるわけではなく(ということはアクも強くない、という意味でもあります)、Tさん推奨の鰹節とポン酢をかけて口に運びました。不思議な味です。たしかに味はさっぱりしているものの、最後に"ぬるっ"とした触感を感じて、これが快感なのです。山菜の妙味に触れた感じです。同時に「そうか、Japonのひとたちは春の野山に分けいって摂ってきた山菜というのは、こういうものか」と一気にこの列島のひとたちの、春の採取行為が理解できたような気分になったのです。
面白いのは「こごみ」の先頭部分です。くるっと巻いている姿がLovelyで、同時につくしの"くるっ"の部分より大きいので、まるで胎児のように見えます。そこで筆者はまた感激してしまったのです。「そうか、こごみの"くるっ"が胎児だとすれば、それはきっと冬の間に土の下で育まれた"春という胎児"に違いない。こごみは春そのものなのかもしれない」と。
都会育ちの筆者が春の野山に分け入っても、なにが山菜なのかどうか判別できません。自然というのは、あまたのシーニュ(記号)に満たされています。
159-4月27日(木)
今日もワインの話の続きを。昨日行ったワインの試飲会でのこと。筆者はスペイン・ワインをある程度、賞味し終わると、他国のコーナーに漫遊することにしています。まず行くのは、リオハの赤に近いとされているボルドー地方。ただ、残念ながら今回はボルドーの出品はわずか。続いて行くのは、イタリアのコーナー。最近、イタリアの赤ワインも盛んにワイン試飲会で出されるようになりました。なにしろこの国はフランスについで世界第二位のワイン産出国なのです(ちなみにスペインは第三位)。といってもイタリア・ワインのことは殆ど知識がなく、高そうなワインから順番に飲む程度です。
ドイツの白ワインも必ず飲むようにしています。ドイツ人という人たちは、どうして白ワインを作るのがああも上手なのでしょう。どちらかというと"剛"のイメージが強いDeutchですが、作られるワインの殆どが甘口の白というギャップが面白いのですね(この意味ではスペインはまったきの赤の国なので、国・国民のイメージとそぐうことはありません)。
実は、ドイツの白を飲むために、ため息が出るのです。「あ〜あ、これに比べたらスペインの白は……」と。そうなんです。カルメンに今置いているスペインの白ワインは、筆者なりに苦労してセレクトしたもので、おかげで美味しい白を確保しているのですが、どうもスペイン人というのは、白を作るのが下手のようです。だから美味しいスペインの白に巡り会うと宝物でも掘り当てたようなラッキーな気分となるのです。
スペインの名誉のために言っておきますが、この国にも美味しい白はあります。そのなかでダントツに有名なのがリアス・バイシャスという産地です。イベリア半島西北部に位置するガリシア地方のほとんどポルトガル国境沿いです。白ワインの適種・アルバニーニョをふんだんに使った優れた産地です。筆者の見立てによると、この産地の白なら、充分ドイツの白と対抗できるレベルではないかと思っています。このアルバニーニョは、サンチャゴ・コンポンステラへの巡礼者がヨーロッパ中央から持ち込んだというエピソードも伝えられるなど、おいしさの正当性をこの産地なりに主張しているようです。カルメンでは、「サンチャゴ・ルイス1997年産」を出しています。スペイン王室御用達ワインでもあり、これはいけます。値段も3500円と他店に比べて安くしているのも魅力です。
ワイン試飲会でしばらく歓談したINABAの稲葉社長によると、もうすぐスペインの「ルエダ」という産地の白が入ってくるとのこと。これもなかなかのレベルだそうです。D・O(原産地呼称)ワインで、場所は最近Japonに輸入が増えているリアル・デル・ドゥエロというの産地の西南の位置。ドゥーロ河が流れているところです。この河を下流に下ると、ポルトガルに。川沿いにボート・ワインの産地や、白ワインの産地・ヴィーニョ・ヴェルデがあります。Japonに「ルエダ」産白ワインが到着すると、筆者あてにmailを下さいと伝言して会場を去りました。
158-4月26日(水)
ワインの試飲会に行ってきました。主催は「INABA」という名古屋のワイン輸入商です。
会場のホテル・モントレー(神戸市三宮・東急ハンズ裏)の会場につくとすぐスペイン・ワインのコーナーへ。まず試飲したのが、マルケス デ グリニョン(Marques de Grinon)。赤、レゼルバ、コセチャは1996年です。リオハといえば、樽の匂いをきつすぎるほど出すのが特徴です。最近はフランス風な製造方法を採り入れるボデガス(蔵元)も増えているとか。つまり以前はアメリカン・オーク樽で熟成させていたのが、フレンチ・オーク樽も併用して、後に両者をブレンドするという手法なのです。マルケス デ グリニョンは、この作り方で出来たワインなのですが、飲んでみると、リオハらしさは少し後退して、飲みやすくなっています。このワイン、フルボディとの表示ですが、コセチャも若いということもあって、まだ浅い感じです。INABAの稲葉吉彦社長も言っていましたが、もうすこし寝かせたほうが、味がよくなるのです。
カルメンにもこうした「寝かせたほうがいい」ワインがあるのです。リオハ1995年産赤のマルケス デ リスカル(Marques de Riscal)レゼルバです。このワインは名の通った商品です。1995年というコセチャ評価も抜群です。去年暮れ、5ケースほどまとめて仕入れ、お客様の希望に応えて数本出したのですが、まだ若さが勝ちすぎで、飲む方が飲まれてしまう。もう少し時間をかけて(=瓶熟させて)落ち着きをだした方がいいと判断し、今秋まで寝かせるようにしているのです。夏を過ぎ、秋が深まっていくころに、カルメンの推薦ワインのひとつとして提供するつもりです(もしこの時期にもまだ"やんちゃ"であれば冬いっぱいかけて熟成させようかと思っています)。
日本の酒文化の中では、作った酒(日本酒)は早めに飲むという定則があります。日本酒と同じ醸造酒の仲間でも、ワインは、飲み頃を見計らってお客様に出すというタイミングが問われます。早すぎてもダメ、またワインならなんでも長く寝かせけばいいというものでもないのです。日本酒もワインもそれぞれの文化が背景にあり、その文化のありかたを尊重しながら、つき合っていくという楽しさがあります。
157-4月25日(火)
JR三宮駅からの帰宅途中の電車の中。筆者は車両の端っこに位置する四人掛けの席に座っていました。向かい側には一人の初老の男性。続いて偶然に同僚なのでしょうか、同じく同僚の男性が横に座ります。二人の会話を聞くとはなしに聞いていると、会話がちぐはぐなのです。会話がとぎれとぎれなのです。灘駅で一人おり四人掛けの端っこが空いたのに、初老男性の二人は、席を詰めようとしません(Japonのひとたちは、車両の端っこが空くと誰に命令されたわけでもないのに、端っこの席に移動する癖があります)。なにかに集中しているのが分かります。初老男性のひとりは「高校出のルーキーやそうや。こういう選手を使うのは広島、上手やな」と。膝の上には携帯ラジオ。ははん、阪神VS広島の首位攻防戦を聞いているな。隣りの同僚を無視してひとり聞いているのか思いきや、その同僚も片耳から細い一本の線。この男性も携帯ラジオで野球を聞いているのです。
阪神が弱ければ、このような車内光景は見ることはありません。この10年ほど阪神ファンにとってペナント・レースのシーズンは4月から5月ぐらいまでと短いのです。梅雨以降は早々と"シーズンオフ "でした。
この日の試合、延長15回までもつれこみ、引き分け再試合に。終了は午後11時20分ごろ。筆者が帰宅してからもサンTVで実況放送をしていました。ちなみに、初老男性の横に座っていた20歳代の男性は、三宮駅からずっと携帯電話でしゃぺりっぱなし。筆者と同じ駅で降りて後も通話を続けていました。車内で読書をしていた筆者が読んでいたのは赤坂憲雄著『王と天皇』(筑摩書房)。
2000年4月25日午後10時、Japon・関西の車内光景です。
156-4月24日(月)
カルメンの定休日。筆者は、とある用件があり、正午すぎJR神戸駅から、元町駅を歩きました。まず旧三越百貨店のちょうど裏にあるビルに事務所を構える友人の事務所に顔を出し、軽く挨拶。続いて、元町商店街にある黒木書店に久しぶりに顔を出しました。
ここは文芸書専門の優れた古書肆です。古書ファンなら思わず立ちよりたい店ではないでしようか。少しだけ寄るつもりでしたが、内容の濃さに感動して、棚を隅から隅まで見回して、島尾敏雄の『私の文学遍歴』(未来社)、中野重治の岩波文庫版『自選・中野重治詩集』を買い求めました。
二書をレジに持っていき「俳句関係が多いですね」と声をかけたところから、当主の黒木正夫氏と会話が始まりついつい長居し楽しい時間を過ごしました。黒木氏とのやりとりを再現してみました。以下のようになります。
「わたしは大正2年生まれだから今年88歳。商売しているから、長生きしているのかもしれません。この古書肆の仕事をする前は、蔵書家でした。戦前は満州に住んでいて、何万冊とあったわたしの蔵書は、日本に引き揚げる時に持って帰れないので、友人に託して置いてきたのです。ところがその中国人は、共産党から「漢匪」と呼ばれて目をつけられていた人物なので、わたしの蔵書もたぶんだめでしょう。日本に引き揚げてから古書肆を始めるようになったのです。ほら、わたしの名刺を見て下さい。「格調の高い本専門」と書いているでしょ。これ福永武彦が名付けてくれたのです。
本の買い取りに関してはいろいろなエピソードがありましてね。大阪の堺東に行った時は、まず家の人から、好きな本をとってくれ、と言われたんですね。これ普通と反対なんです。普通なら残しておきたい価値のある本を最初から決めていて、それ以外を買ってくれといってくるのですよ。そこの家では茶菓子もでましてね、待遇いいなと思いながら本を選んでいた。そして本を選び終わって「こんなものでしょうか」と家人に伝えた。するとその家人「わかりました。今あなたが選んだ本は売りません。それ以外の本を買って下さい」とね。こっちはもうびっくりしましたよ。やられましたよ。
本を買う人にはね、本を投資の対象として所有している人がいる。一冊の本を10冊まとめて買うんです。徳島にわたしが買い付けにいった人もそんなタイプだった。二日間息子と一緒に泊まり込んで思い切って200万円ほど買い込み、トラックを借りて神戸まで運んだ。運送料が17万円かかった。どうやって売ろうかと悩んでいた時に「市」があったので出してみると、ちょうど200万で売れた。売れたのはよかったけど結局17万と宿泊代の足が出てしまったのですよ。
もうひとつ、鹿児島の指宿にもそういったタイプの蔵書家がいましたよ。三島由紀夫の『天人五衰』セットを10部買って持っている。ところが版元に聞いたら、一部につき8万部印刷したっていうんだね。この部数じゃ100円本だって思いましたよ。最近では新刊本の人に聞くと、10冊まとめ買いというより初版を一冊ずつ数多く買うタイプのひとが増えたようですね。でもわたしは「賞本」は扱わないんです。絶対扱いません。
蔵書家の本は本人が亡くなるとたいてい散逸します。父の蔵書にかけたエネルギーと情熱を理解する家人は多くなく、息子は特にダメですね。たいてい売り払ってしまう。それに本として残っている時はいいのですが、これが換金されると、子供たちが争うようになります。わたしはいくつもそんな例を見てきました。わたしのような商売やっていますとね、弔問のタイミングがむつかしんですよ。生前蔵書家と名がしれている人の葬式にいっても、物欲しそうに思われるでしょ。だからタイミングを見計らって連絡するようにしています。
俳句の本ですか、坪内稔典? ああありますよ。わたしは「ちょうねんてん」と読んでいるのです。和田悟郎? あなた好きなんですか。いい俳人ですね。わたしはね、俳句、短歌、詩を問わず第一本(第一作品集)を狙えと50年前から言っているのですよ。第一本はその人のエネルギーが噴出していますからね。加藤郁乎、あの俳人はダメです。年齢を重ねるたびに作品がダメになっていく。ああ永田耕衣はこのあたり、沢山あるでしょ。高柳重信の多行俳句? わたしかつて沢山この人の句集を売りましたよ。でもね、ある時からやめたんですよ。永田さんの句集発行の集まりに行って高柳さんと名詞交換しようと思って用意してたのですが、なにか人物がうさんくさくってね、やめました。それから彼の句集はそんなに売ってないです。
俳句の世界で今売れてる本ですか、鈴木真砂女です。あの人は毎日何時間もかけて丁寧に化粧をする。そして80歳を過ぎた今も飲み屋の女将として働くです。俳句もいいですね。短歌では斉藤文、エッセーでは白州正子がよく売れてます。全員女性だな。男はダメだ(笑い)」
155-4月23日(日)
今日からイースターが始まります。毎年イースターが始まる日時が違うのは、春分の日の後の満月の次の日曜日から始まるという規則があるためです。キリスト教国ではないJaponでは想像しにくいのですが、スペインなどヨーロッパ各地では、身近な行事として定着しています。イースターとは、キリストの復活を祝うというイベントですが、春の到来という生命の復活とセットになっているのです。キリスト教を定着させていった人たちはは、ヨーロッパに生きる人たちの季節感を上手に利用して、生活の中に定着させていったのです。
この時期、キリストが復活するまでの苦難を体験しようと肉を食べてはいけない期間を設けたり、チョコレート製のイースター・エッグがスーパーで売られたりします。このイースター・エッグというのは、春に新芽を出す作物が順調に育つことを願い、土の上で卵を転がすレースをしたというキリスト教以前の土着信仰が形をかえて伝承されているものなのです。
154-4月22日(土)
三宮センター街にあるジュンク堂書店が、地下1階から、2F〜4Fに移動して、その後にHMVという外資系の巨大CDショップが昨日からテナントとして入りました。こういう新しい店が大好きな筆者は、さっそく行ってきました。神戸・三宮にはすでにタワー・レコード、ヴァージン・メガストアという二つの外資系大型CDショップがあり、星電社、ジョーシン電器といった「民族資本」をあわせると、神戸のCDショップは充足しています。この街が、音楽産業の観点からみて独立した商業圏を形成していることを証明しているのです。さてそのHMVです。筆者は仕事柄、まずワールド・ミュージックのコーナーへ行きます。スペインのコーナーを見るのです。神戸のCDショップのなかで、このジャンルに関して一番品揃えがいいのは、ヴァージンです。カルメンでかけるスペイン・ポップス、フラメンコは、ヴァージンのワールド・ミュージック担当者と相談して買うことが多いのです。HMVもまあヴァージンに比べて遜色なく、品揃えがしてあります。ただ、ワールド・ミュージックの試聴コーナーがヴァージンに比べて少ないことと、試聴盤にスペイン関係がなかったのは寂しい限りでした。
ヴァージンには、ワールド・ミュージックを担当する小林君という感性のするどい人がいて、彼が棚を育てたという実績があります。小林君は、ワールド・ミュージックに滅法くわしいばかりではなく、試聴コーナーにかけるCDの選択にもセンスがあり、ライナーノーツも購買意欲をそそる文章を書ける人なのです。また神戸店でヒットした輸入盤の実績を見た日本の輸入元が国内盤をいくつか作ることもあったとか聞いています。ヴァージンとタワーを比べると、タワーはワールド・ミュージックのコーナーが貧弱で自然と足が遠のいてしまいました。HMVのワールド・ミュージックのコーナーがカルメン御用達となるかどうかは、この棚の担当者の企画力にかかっているようです。
筆者が次に訪れたのは、同じワールド・ミュージックのコーナーの「沖縄」。これは、筆者がFMわぃわぃというラジオ局で、琉球弧の音楽に関する番組のディスク・ジョッキーを担当しているところから、どのようなCDが並んでいるのか興味があるためです。筆者は琉球弧の中でも奄美地方の島唄が担当なので、目を凝らして見ていると、「里国隆」が並んでいました。JABARAという奄美の島唄を専門に制作しているレーベルからの出されているものです。この盲目の唄者、樟脳を売りながら、街頭で竪琴を弾くという大道芸人でした。島唄であると同時にブルースなのです。ただ、奄美関係ではこの一枚だけ。島唄については、ヴァージンの方に軍配が上がります。
最後すこしだけのぞいたのはJAZZのコーナー。1590円で、昔筆者がLPレコードで購入した名盤がずらりと並んでいるコーナーがあります。ジャケットを見ただけで、涙が出てきそうに懐かしいものばかり。でも今日はJAZZの話はよしましょう。後日たっぷりとお話したいと思います。
153-4月21日(金)
筆者の拙宅の前にある公園は今「春の落ち葉」でいっぱいです。晩秋の落葉は、多くの詩人たちに詠われていますが、春にも落ち葉があることは、詩人たちの念頭にはないようです。この落ち葉は、常緑樹の葉が中心です。一年中葉が茂っている常緑樹でも、春に新芽が吹き出すと、それまで冬の期間、樹木の生命を支えていた葉が、世代交代で"人知れず"散っていくのです。周囲は春の陽気にうかれて、公園の落ち葉に見向きする人は少ないようです。
考えようによっては、常緑樹という会社を延命するために、人知れずリストラされていく社員のようにみえてきます。2000年春の日本社会は首切りというリストラをすすめている成果もあって、減収ながらも増益するといういびつな構造なのです。会社は落葉樹であることは認められません。常に社員、収益という"葉"を繁らせておく必要があるのです。しかし、今の経済状態の中で、落ちた葉の行き先は全く保証されません。
もうすぐ、筆者の好きな新緑の季節。六甲の山々はにぎやかな宴会をしているような華やかさとなります。そしてその木々の下には、「春の落ち葉」が積み重なっているのです。
152-4月20日(木)
子供の微妙な変化に気づいた母親が、間髪を入れず片手は自分の額に、もう片方の手は子供の額にあてて「あら、この子、熱があるんとちゃう?」と言うシーンがぴったりあてはまるようです。なんのことを言っているのかって? 阪神タイガースのことです。巨人をついに三タテして、6連勝を果たしたのです。東京ドームで巨人に三連勝したのは12年ぶりだそうです。筆者も記憶が途絶えていました。母親(ファン)が子供(タイガース)の変化を心配して「いやあ、この子、ちょっと変やわ」と言うシーンがちょうど今のタイガースの現状に当てはまるようです。
去年もこの時期、タイガースは躍進して、ついには一時首位まで上りつめたのです。スポーツ新聞は野村監督の野球哲学がタイガースの選手に浸透したと書き立てましたが、タイガースの選手気質を熟知しているファンは「そんなこと、ないやろ」と浸透ぶりを信じている人は少なかったようです。事実、梅雨あけの時期からの凋落ぶりは、目を覆わんばかり。結局シーズンが終わってしまえば6位だったのです。
今年の躍進も春恒例の知恵熱かもしれません。母(ファン)の心配の種は、連勝してもなくなることはないのです。
151-4月19日(水)
"春の椿事"といえば、阪神タイガース・ファンに怒られてしまうかもしれません。タイガース、今日も巨人に勝って5連勝です。なんて強いのでしよう。あのチームも真剣に闘えば勝てるのです。僅差をものにしての勝利ですから、勝ちにも重みがあります。今年のセ・リーグのペナントレースは、巨人のぶっちぎり独走かと多くの人が予測いや落胆していました。某N監督も開幕30試合を20勝10敗で乗り切るとシーズン前に宣言。選手層の厚さから、巨人ファンでなくともその宣言にうなづいたりしてしまったのです。いっそのこと巨人Aと巨人Bという二つのチームに分けて、どちらかをパ・リーグに出向させても、優勝するのではないかと筆者は半ば真剣に考えていたものです。
しかし勝負ごとは始めてみないと分からないものです。
タイガース、まだ消化試合ではないぞ。
150-4月18日(火)
わが神戸のオリックス・ブルーウェーブが好調です。本日の西武ライオンズとの「首位決戦」を制し、とうとう単独首位に躍り出ました。ヴェテラン監督の仰木監督の指揮もさえています。今年はそうとういいところまでいくと信じています。阪神タイガースに移籍した星野投手が抜けた穴を心配したのですが、今のところ大きな欠落は生じていないようです。
パ・リーグの試合はなかなかマスメディアで実況放送されないのがしゃくの種です。どうしても途中経過を知りたい時は、インターネットで日刊スポーツのサイトを見ます。すべての試合がリアルタイムで途中経過が紹介されています。球団によっては、独自にネット上で実況放送しているところもあるようで、オリックスも是非みずからネット実況をしてほしいものです。なにしろ神戸の地元放送局を自認しているAM神戸ですら、ごくたまにしかブルーウェーブの試合を放送しないのですから。
149-4月17日(月)
カルメンの定休日。筆者は、午後4時からのFMわぃわぃ「南の風」を放送するために、午前中はその準備。今日の番組は、今年一月にわたしが沖永良部島で収録してきた地域医療に携わる徳洲会沖永良部病院の小平院長にインタビューした内容を中心に、この島の民謡を絡ませて、構成しました。
番組が終わると、JR鷹取駅から、急いで大阪方面へ向かいました。大阪城で花見の宴をするためです。これは筆者が個人的に主宰している夜桜会で、震災の翌年(1996年)から始めたものです。本当は先週にする予定でしたが、皮肉にもその日だけ大雨。仕方なく、今日に延期したのです。
会場は、西の丸公園入り口近くの芝生。ソメイヨシノは殆ど散っていましたが、われわれが陣取った場所は、満開のしだれ桜の下。桜に抱きかかえられるように円陣を組み、ビールと日本酒で飲み交わしました。参加者は、筆者を入れて六人と去年に比べて少人数でした。一週間延長したことなどが影響したのでしょう。参加したのは、朝日新聞記者、在日の表現者、詩人(印刷会社経営)、写真家といった面々。話した内容は、中野重治の詩から、朝鮮民族の定型詩である「時調(しじょ)」についてなど。今年も楽しい会でした。
午後6時30分から始まり、終了したのは、午後11時を回っていました。神戸の拙宅に還ってきたのは、午前一時前。相当に酩酊していました。
148-4月16日(日)
帰宅後、レンタルビデオ屋で借りてきたスペイン映画を観ていました。サウラ監督の「タンゴ」です。この監督は、「カルメン」「セビジャーナス」「フラメンコ」と優れた作品が多く、スペインを代表する監督といっていいと思います。
さて、「タンゴ」ですが、舞台はアルゼンチン。徹底してタンゴ音楽とダンスが追求されます。群舞、ソロ、創作タンゴなど、観る者を圧倒する映像的手法は見事です。ストーリーは、舞台演出家が、有能な女性ダンサーとの生活に破綻したところから始まります。失意の監督は、近づく新しい舞台作りに懸命になっていく経過で、若く才能のある女性ダンサーと巡り会います。しかし、その女性のパトロンは、主人公の舞台事業に投資している出資者であり、黒社会のボスでもあったのです。本番に向けて練習を重ねていくうちに、かつて同棲していたダンサー、新しい恋人、監督、そして出資者が、タンゴの音楽とダンスに絡まりながら、展開していく……といった内容です。
二日に分けて観るつもりが、見始めると最後まで通してみてしまいました。見終わったのは午前一時半。たまたま横にいた筆者の同居人の女性(妻)は、アイロンかけを中座して最後までビデオの前に座っていました。しかしエンディングが、彼女が常日頃みている爽快単純ハッピーエンドのテレビドラマの終わり方ではなかったので、最後の字幕が流れても、席を立とうとせず、「もう、これで終わりなん?」と筆者に三度聞きただしていました。
147-4月15日(土)
筆者の友人である陶芸家の松井寿男氏が来店。氏の出身地であり、さきほど個展を開いた和歌山の話となりました。和歌山の中でも、山深い熊野の地で個展をした関係上、熊野の話になったのです。松井氏としゃべっていた自治体の首長がいうには、熊野の夜は「闇が動く」のだそうです。「闇が動く」----なんと凄い表現でしょう。真っ暗闇になる熊野に身を置いていると、目では見えないが、なにかモノが動く気配がする。都会生活をしていると、闇のこわさ深さはわからないものです。なにかが動いている。なにかが自分の知らないところで蠢いている。それがなんだか分からないこわさ。昼みる景色は、可視であるから理解・把握しているような錯覚に陥ってしまう。しかし夜の闇は、こうした昼の了解をすべて拒絶してしまうのです。
熊野の作家というぺき中上健次は、小説「草木」のなかで熊野についてこのように記述しています。
山中で男に会った。………最初、その男を、この熊野山中に棲む神か、と思った。ここには、一本足の、つまり片方の足の機能を損じたイッポンダタラと称せられる大きな神がいた。男は神ではなかった。………彼は幻だろうと思った。山中で、よく人は、死んだ近親の者、縁あってなお遠く離れているものの姿をみた。彼もみた。
熊野は山中他界という表現がぴったりとくる場所なのでしょう。山の中では、なにが起きても不思議ではない。時制と場所を飛び越えて異者と出会う空間であるのです。ちなみに、熊野古道の巡礼路は、昨日書いたスペインのサンチャゴ・コンポンステラへの巡礼路と、姉妹提携を結んでいると聞きます。
146-4月14日(金)
午後11時からNHK教育テレビで「人間講座」という30分番組があります。4月から始まった新しい講師陣に、建築家の安藤忠男氏が入っています(担当は木曜日)。筆者のお好みの建築家です。この人、大学を卒業していないのにもかかわらず、日本建築界の象牙の塔である東京大学建築科の客員教授に迎え入れられたことで話題をさらいました。これは安藤氏が、権威が好きで東大教授になったわけではありません。彼が迎え入れられたのは、この学科出身の丹下健三以来の伝統であるモダニズム建築の系譜を継ぐ建築家であるため、東大建築科にとっても、安藤氏の作品傾向は、許容の範囲であるのです。安藤氏の作品は、鉄、(打ちっ放し)コンクリート、ガラスが中心となって構成されています。いわば、モダニズム建築の最後の勝利者といっていいと思います。
安藤氏の作品は、スペインとも関係しています。1992年に行われたセビィジャ万博の日本館を設計・建造したのは彼でした。建築を依頼した堺屋太一は、集成材を使うことを条件としてだしたところ、なんと木材だけで、巨大な日本館を作ってしまったのです。
安藤建築のスペイン的要素は、現在、淡路島で開催中の花博「フローラル・ジャパン」会場の中に、恒久的施設として建設されたホテル周辺にあるのです。建物の周辺にいくつかの水深の浅いプールがしつらえてあります。その水底にびっしりとホタテ貝が埋め込まれているのです。ご覧になった方もいらっしゃると思います。
ホタテ貝というのは、サンチャゴ・コンポンステラ大聖堂に向かう巡礼者のシンボルです。この貝殻を持ち歩くことが、巡礼者のシーニュなのです。(ちょうど四国のお遍路さんの同行二人と書かれた白装束と似たところがあります)。
この建築家の作品は記号に満ちています。読み込めば読み込むほど味があります。
145-4月13日(木)
知らないけど、知っている曲というのがあります。カルメンが立地する場所は、三宮の繁華街のど真ん中。さまざまな業種の店が集まっているのです。ゲーム店や携帯電話ショップなどから、有線放送が流しっぱなしにされています。どうやら流行している曲ばかりを、繰り返し繰り返し放送するチャンネルがあるようです。外に向かって意識的にそのチャンネルを流している店が多く、周辺の同様な店も同じチャンネルに合わせているためでしょうか、繁華街をしばらく歩いていも同じ曲が"追ってくる"という感じになります。
春のような窓を開けっぱなしにしている季節でも、夏・冬のようにエア・コンをつけている季節でも、こうした街の流行歌は店内に進入してきます。
なんとなく聞こえてくる音楽のなかでも、記憶に残る曲と残らない曲があります。おそらくその分岐点は、サビの部分が決め手になっているようです。いまどんな曲が流行っているか敏感であった年齢から遠くなっている筆者にとって、放送されている曲の名についてほとんど頓着がないのですが、そんな筆者でも曲を覚えて後、題名を知る曲があります。今ならサザン・オールスターズの「TUNAMI」です。数年前は、スピッツの「ロビンソン」でした。
144-4月12日(水)
「非常に多い」---------ここ数日の兵庫県南部における花粉情報です。花粉も松から檜(ひのき)にバトンタッチしたようです。筆者も数年間花粉症に悩まされていました。ところが、ある年を境に、小康状態となったのです。
この花粉症は、単に大量の花粉が飛散しているだけではなく、大気汚染が被害拡大に拍車をかけているようです。筆者がこの花粉症にかかり始めた時期は、はっきりと特定できるのです。学生時代にインド旅行から帰ってきた直後から、鼻がむずむずして、くしゃみが止まらなくなったのです。1977年のことです。やはりJaponは、インドに比べて大気汚染がひどいようです。インドから、Japonの「普通」と受け止めていた空気が「異常」であると教えられたのです。
当時、花粉症という言葉は普及しておらず、筆者の知る限りおいては、上村一夫の劇画で、「花粉症の女」が描かれていました。その女性はいつも大きなマスクをかけていました。当時「花粉」に敏感に反応するなどというのは、なんと繊細な感性の持ち主だろうと、今とは反対に憧憬のまなざしで見ていたものです。
一時激しかった症状がここ数年、筆者の身体の中に抗体が出来たのかどうかわかりませんが、涙がとまらず、くしゃみばかり繰り返すという重傷を脱したのです。そのかわり、筆者と同居する女性(=妻)が、ひどい花粉症になっています。東灘区にほぼ一日中いることが、症状を悪くしているのかもしれません。
143-4月11日(火)
花冷えの日です。晴れてはいるものの、温度が上がらず、男性ならスーツの上着だけでは、肌寒いと感じる日です。こんな日は、
・花冷えのイカリソースに恋慕せよ 坪内稔典
といった俳句を思い起こします。この俳人、現在朝日新聞・読書欄の常連執筆者として活躍しているひとなのですが、戦略的な奇想句を作ることで有名です。
・三月の甘納豆のうふふふふ 坪内稔典
など、俳句文学が本来持つ口誦性に富む(つまり覚えやすく、ついそらんじてしまう、という意味)作品をつくることで、俳句の魅力を引き出そうとしているのです。
筆者の拙宅から見える保久良山の桜が、ピンク色に染まってきています。JR摂津本山駅南の八重桜も、二分咲きぐらいになっいてきました。桜の見所は、あと数日続きます。
142-4月10日(月)
カルメンの定休日。今日、本当は筆者のごく親しい友人たちを集めて大阪城で夜桜宴をする予定だったのです。この企画は、筆者が阪神・淡路大震災に生き残った証拠を残そうと、震災の翌年から毎年大阪城でおこなっているものです。
ここ数日、好天が続いたのにも関わらず、今日だけは雨。なんと、うらめしいことでしょう。
仕方なく一週間延期するとの通知を昨日あわてて参加を呼びかけた人にしました。友人たちに通知したメディアの内容が面白いのです。E-mail、FAX、ハガキがちようど三分の一ずつ。ここにもメディアの変容のあり方が見えてきます。
そして筆者は、花見が延期したことで、がっくりきて、風邪をひいてしまいました。
141-4月9日(日)
春休み最後の日。筆者は、早起きして子供達と、拙宅の裏山にあたる保久良山に登ってきました。ここは普通に歩けば30分で眺望のいい頂上に行ける便利な場所です。先月は、喘息の次男坊をつれての毎月登山が出来なかったので、二カ月ぶりということです。保久良山への登山道は、この時期桜並木が素晴らしい。面白いことに、少し標高を上げるだけで、開花の程度が違ってくるのです。里に近いところは、6.7分咲き、頂上に近くなれば、5.6分咲き、といったところでしようか。
保久良山の桜並木の醍醐味は、保久良神社からおたふく山に到る山道につきるでしよう。何百メートルかずっと道路両脇に桜が続くのです。それはそれは見事です。しばらく歩くと桜に酔ってしまうほどです。思わず坂口安吾の小説の中の「桜の木の下には死人が埋まっている」との字句を想起したりします。
里へ下りてくると、保久良神社の御旅所から祭り囃しの音が。そうです。岡本、本山、御影、深江、青木あたりは、毎年5月4日5日の両日、多くのだんじりが街中を練り歩くのです。あと一カ月です。東灘という都会化された場所にだんじりが有ること自体不思議です。また、祭りの時期が近づけば、レポートしましょう。
140-4月8日(土)
マーフィの法則というのを、覚えていらっしやいますでしようか。一時流行しました。なんでもない事だけど、一度ある事が起こると不思議と連続してその事が続く。単なる偶然と片づけていたのが、なにかそこに法則性のようなものがありそう。かつて「二度あることは三度ある」などの俚諺で片づけられていた事が、マーフィの法則という形で編集されると、あるあるそうそうわたしも知っているうんうん、とたちまち何冊かの本ができあがってしまった、あのマーフィの法則です。
今では、マーフィの法則という記号自体、消費されてしまったので、この言葉を知っている10代の若者は少ないようです。今日、マーフィの法則と言い得るような事が起こりました。
カルメンのマーフィの法則に該当するのは、黒ビールです。店には昔から黒ビールを置いているのですが、不思議に一本でると、その日あと数本は注文が続くのです。注文するお客さんは全く違う席に座っています。確率的にいえば、単なる偶然なのですが、この黒ビールの不思議は、きっちりとマーフィの法則なのです。
日常は、なんでもないことの集積です。ケという退屈な日常を生きる上で、なにか生活にアクセントをつけて変化をつけようとする庶民の知恵なのでしようか。
139-4月7日(金)
昨日、買った『西脇順三郎詩集』を読み始めています。そのなかで、四月を詠った作品の一部を引用しましょう。四月の末の寓話は線的なものだ
半島には青銅色の麦とキャラ色の油菜
たおやめの衣のようにさびれていた
考える故に存在はなくなる
人間の存在は死後にあるのだ
人間でなくなる時に最大な存在
に合流するのだ私はいま
あまり多くを語りたくない (「近代の寓話」より冒頭部を引用)いかがでしようか。西脇のモダニズムの香りと、ギリシア的地中海風の乾いた感じのする作風に、10代の少年は感応したのです。
筆者はいま10代の時に愛読した詩人たちの作品がいとおしく感じ、再読し始めています。この再読は同時に、すぎし日々の私自身に対するいとおしさでもあるのです。
138-4月6日(木)
本屋に行きました。今日の目的は、岩波文庫の新刊『おもろそうし(上巻)』(外間守善校注)です。『おもろそうし』は、琉球弧の基本テキストの筆頭格なのですが、これまで岩波古典叢書や角川書店から出版されているものの、前者は出版社に在庫なし、後者も入手しずらいということもあって、手近にある書目ではありませんでした。(実は筆者もまだ手に入れてなかったのです。)
改装・拡大なった三宮のジュンク堂書店センター街店に行ったところ、品切れなのか在庫なし。その代わり『西脇順三郎詩集』(岩波文庫)を買うことにしました。この詩人は、高校時代から好きでした。おそらく筆者の書く文章や、好む韻文のタイプは、この詩人の作風を基盤としているようです。去年あたりから、西脇の作品を集中的に読みたいと思っていたので買ったのです。
西脇の詩は、今読めば、そうでもないのですが、高校時代に読んだときは、やたらカタカナの花の名前が出てきて感動したことがあります。こんなにたくさんの花の名前を覚えるためには、花屋でアルバイトをしなくてはいけないのかしら、とさえ思ったほどです。
137-4月5日(水)
メールを開けると、「リンクを張って下さい」といったメッセージ付きの情報が。あなたのホームページを見たが、素晴らしい内容なので、是非リンクして下さい、と書かれています。もうひとつわけが分からず、指定のサイトを開いてみると、リンクしてほしいバナーが出てきました。バナーとは、Web上でよく見かける棒状のもので、そこにマウスを持ってきてクリックすると、リンク先へ飛ぶというものです。リンクしてくれとの要望のあったサイトは、「美尻倶楽部」。あらら、アダルトでした。若い女性のお尻がいくつかWeb上に並び、ダウンロード出来るのです。他には「縛り」の写真が並んだサイトも。
もう一度送られてきたメールを読むと「このリンク要望は、アダルト・サイト以外の方にも送付されるかもしれませんが、ご了承を……」などと書かれています。果たしてカルメンのサイトをちゃんと見て「素晴らしい内容で」と判断したのかどうか怪しいところです。それとも「カルメン」というネーミングだけで、アダルトと思ったのでしょうか。失礼な話です。(筆者にとって「美尻」も「縛り」も趣味ではないだけに、余計に失礼な話です)136-4月4日(火)
兵庫県は大きな事業をやってるものです。
淡路島で行われている「ジャパン・フローラ」に行ってきました。筆者は、神戸日西協会という団体が主催して募集したツアーに参加。入場料・バス代込み、弁当付きで大人3500円という格安料金でした。
会場は思いの外広く、県の外郭団体主催という特典をいかして、会場に付設されている国際会議場も見学できました。天候はよく最高の日和でした(ちなみに筆者はこの神戸日西協会の理事をやっています)。
筆者が一番感動したのは、国際庭園コーナーにあったクロアチアの展示物でした。かつてユーゴスラビア連邦に属していて、連邦解体後、内戦を経てようやく落ち着き始めているという国です。最近ではワインが輸入されていて、評判を呼んでいます。このクロアチアの庭園は、果たして庭園と呼んでいいのかどうか分かりません。イタリア風でも勿論イスラム風でもない。「田」の字型に空間が仕切られていて、その「田」が縦横に拡がっている。田の字の横棒縦棒の所は、白い石がひきつめられている。そして空間部分に木を植えるのです。(その木が何の木かはわかりません。またそこには花は植えられていないようです)。この庭園は鑑賞のためのものなのか、植樹のためのものなのか判別つきがたいところもあるのです。しかし今までわたしが知っている「庭園」の概念とは全く違う「自然の創造」とも言うべきクロアチア庭園に創造力をかき立てられたのです。
135-4月3日(月)
カルメンの定休日。
FMわぃわぃの放送がある日です。
今日の番組は、二本のインタビューを中心にお届けする予定でしたが、急遽番組を変更。沖縄県立芸術大学付属研究所助教授の久万田晋氏をゲストに迎え、タイから帰国したばかりの最新情報を盛り込んだ番組としました。
久万田氏がタイに行ったのは、マレーシア国境に近いところに影絵があるというので、その調査に行ったというのです。この調査は琉球がかつて東南アジアと広く交易をしていたことから、沖縄を深く知るには、近隣の東南アジアの事情を知る必要があるという目的で行われたものです。
久万田氏の研究者の原点は、奄美八月踊りの研究。東京芸大の小泉文夫先生に引き連れられて行った場所が、奄美大島だったそうで、以来ずっと奄美のことを研究し続けている人です。
134-4月2日(日)
小渕首相が倒れた----という衝撃的なニュースが日本列島を駆けめぐりました。有珠山噴火への対応や、自由党の政権離脱、警察の連続する不祥事対策など、相当心労がたまっていたようです。まだ62歳の若さ。健康が取り柄のように見えたかの人も、首相という激務はこたえたようです。やはり2000年というのは、世紀末なのでしょうか。今年はまだこれからもまがまがしいことが起こりそうです。せっかく1月2月は数字的に景気回復の兆しがみえ(3月は少し足踏みしましたが)始めたのに、"神"はまだまだJaponの国と人々に、試練を課しているようです。
133-4月1日(土)
新年度のスタートです。今日からパ・リーグの公式戦が始まりました。わがオリックスは、午後1時からグリーンスタジアム神戸で、近鉄を迎え撃ち、4-0のスコアで下し初戦を飾りました。仰木監督は、今年ひそかに思うところがあるようで、チームの活躍が期待されます。10年連続Aチームという安定したチーム力を誇るオリックスです。4年ぶりのリーグ優勝に向けて頑張ってほしいものです
132-3月31日(金)
年度末に間に合うよう帳尻を合わせたのでしょうか、北海道の有珠山が噴火しました。30年か50年周期で噴火するというのですから、律儀なものです。周辺住民が多く避難しています。震災という天災を経験したわれわれにとっても人ごとではありません。自然の大きな力にあらがうことは出来ません。しかし、避難民の処遇の仕方如何で人災ともなります。震災できつかったのは、震災後の住民へのフォローの少なさという人災でした。本日は暗いニュースがもうひとつ。失業率が4.9%へ上昇。近畿は6%だそうです。(となると、近畿のなかでも最悪の雇用環境にある神戸は7%程度でしょうか)。1999年度は暗いニュースばかりでした。
131-3月30日(木)
学校は春休み。筆者の拙宅のちょうど前には、公園があります。
朝、家り窓から公園をのぞくと、子供達が元気よく遊んでいます。筆者の子供たちは、家でごろごろ。「ほら、君たちと同じ子供が元気に公園で遊んでるぞ」と言うと「ああ、あれは学童保育の子たち。晴れている時は、公園で遊ばなきゃならないの」とまるで異人種のような言い方。そういえば、休みになっても公園が子供達で充満することはないのです。少子化が叫ばれる中、筆者が住むあたりは、子供が多く、高齢化もそう進展していません。いわば子育ての街といっていい所なのですが、公園に子供達の姿はあまり見受けません。130-3月29日(水)
普段なら、三月といえば年度末なので、会社のその年度の成績も確定し、月末には、ひょっと時間があく事業所もあって、そうした勤め人グループが昼間から、カルメンで飲んで食べて大騒ぎする人たちもいたのですが、不況が極まったここ数年はそうしたグループは絶滅してしまいました。まだまだ不況は厳しく、これからも企業のリストラ、倒産が続くと思います。景気回復は一体いつなのでしようか。今のJaponは、自力で景気回復する力がないのは、十分に分かっていて、それ以上にアメリカの好景気のかげりが見えることにおびえているのです。129-3月28日(火)
今日は、合計52名の団体さんです。そのうちの一組は、大学病院のひとたち。一つの診療科で40人なのですから、大所帯です。中央にProfesserがどんと鎮座。ドクター、看護婦、事務方などが勢揃いです。ひとつのグループで40人を受け入れたのは、カルメン始まって以来(イベントの時はもっと大人数ですが)のことです。もうひとグループは、神戸に本社がある大手企業の懇親会でした。
128-3月27日(月)
カルメンの定休日。筆者は、この日DTPの作業で一日パソコンに向かっていました。昨夜からの完全徹夜(完徹)でした。拙宅の一階にある書斎で、目をしょぼしょぼさせながら、パソコンの画面と格闘。面白いもので、締め切りが近づくと、パソコンというのは働きかし過ぎで機嫌を損ねるのか、なにかトラブルが起こるものです。今回のトラブルは、文字変換機能である「ATOK」が突然作動しなくなり、「ことえり」で対応したため、時間ロスが生じたのです。去年などは、買ったばかりのMacがシステムダウン。頭が真っ白になりました。
127-3月26日(日)
寒の戻りもそう厳しくなく、着実に春に向かっています。テレビ・ラジオでは高校野球の実況放送。プロ野球の開幕ももうすこしです。プロ野球について、筆者はいつも、同居人の女性(妻のこと)と、セ・パ両リーグの優勝チームを予想しあいます。同居人は、この時期に書かれるマスコミの優勝予想に多大に影響されて、決めるのです。奥ゆかしい筆者は、同居人の選択を優先し、同居人が選ばないチームを選ぶことにしています。
毎年毎年、秋になって思うのですが、評論家諸氏の言うことのアテにならないこと。戦力からすればセ・リーグは巨人、パ・リーグは西武、と判でも押したような予想しかしないんですね。筆者が、テレビのプロ野球ニュースを見なくなったのは、東京地方で番組が作られているせいもあるのでしようが、評論家諸氏は口を開ければ、巨人巨人とうるさくワンパターンで、内容が陳腐なためです。本当は客観的にそう判断していなくても、巨人OBが多い評論家諸氏は、巨人コーチ陣に再就職を狙っているためか、巨人をほめることが仕事だと思っているようです。
さてさて、今年も今晩あたり同居人と優勝チームを予想しあおうと思っています。二人が決めたチーム名は、毎年10月のカレンダーの余白に書き込むことにしているのです。
126-3月25日(土)
筆者が毎日利用しているJR摂津本山駅の南口にある「たらく堂」という書店が閉店しました。
ここのご主人は、震災前まで、同じ屋号でうどん屋をやっていて、筆者も一家で時々利用していました。震災後、業態をがらっと変えて、書店営業にチャレンジ。典型的なパパママ書店だったのですが、駅前書店として便利でした。筆者の次男坊主(小学5年生)が、この書店の"常連さん"でした。次男が店に入ると、「いらっしゃい」と声を掛けてもらっていたようでした。次男は小遣いがたまるとマンガを買いに走るのです。現在のお気に入りは「ワンピース」。マンガばかり買って読んでいる次男ですが、近隣の大手書店のチェーン店には行かず、なるべくこの「たらく堂」で本を買うようにしていたとのことです。こうした11歳の少年の心意気も通じず、閉店という結果になってしまいました。
どうして店を閉じたのかは知りませんが、この書店の目と鼻の先に「ブックフォーラム」というチェーン店があって、先日店舗面積を拡充したばかりでした。この不況は同業者の共存をを許容しないようです。
125-3月24日(金)
コンビニというところは不思議な存在です。24時間こうこうと電気がついている。年中無休をつらぬいている。まるで瞼をもたない魚のように眠ることはありません。夜中にコンビニの横を通ると、電気がついていることに、妙な安心感を覚えたりします。といっても、コンビニで買い物をすることは年に何回かあるかないか、なのです。筆者が利用する時はこういう使い方です。カルメンのイベントが、その日の朝刊で紹介されている。朝刊は午前5時までにコンビニに到着しています。掲載紙を午前5時に購入。関連場所を切り抜いて、イベントに配るパンフレットの中に入れて印刷する――といった具合です。どうです、皆さん、コンビニは、"ビジコン(ビジネス・コンビニの略)"でもあるのですぞ。
124-3月23日(木)
通勤途中、JRの車窓から眺める六甲の山並みは、なんとなくぼやっとしています。天気のいい日には、こういう眺めとなることが多いのですが、カルメンに着いてスタッフから「今日は黄砂がすごかったですね」と言われて、気づきました。ちょうど今なんですね。小さな蜘蛛や、水性で卵性の蛸(中国にはそんな蛸がいるそうです)の卵も一緒に黄砂と共にやってくるというのです。123-3月22日(水)
JR摂津本山駅の南口を出た東側に、早咲きの桜があります。三月の下旬には満開を迎え、四月に入ると人知れず、葉桜になっているのです。なんという種類の桜なのでしようか。
桜といえば、ソメイヨシノが開花予測の観測種に指定されているところから、桜そのものの標準種がソメイヨシノであるとの錯覚があります。しかし、このソメイヨシノの歴史は浅く、江戸時代末期に江戸近郊の染井村の植木職人が、交配させて作り出した「早咲き系」の桜なのです。春の遅い東北などは、春告花の桜が少しでも早く咲いて欲しいために、「早咲き系」のソメイヨシノが好まれたようです。そしてこの種を観測種にした気象庁の"犯罪"もあるのではないでしようか。
122-3月21日(火)
カルメンの休みの日。
筆者は朝から大阪へ。そして長田へ。東灘の拙宅に帰宅後は、ひたすらパソコンに向かい、あっという間に日が暮れてしまいました。
三月の下旬になると、昼はさすがに暖かく、季節は確実に春に向かっているのが分かります。寒がりの筆者も昼間に出かける時は、薄めのコートを羽織るようになりました。
121-3月20日(月)
今日は、月曜日ですが、祝日なので、カルメンは営業をしています。
筆者は、オリックスファンなのですが、めったに野球観戦が出来ないのが悩みの種です。オリックスは、夏休みの最後が月曜日なら、試合をすることがあって、筆者も観戦することが出来ます。ただ、この数年、筆者が見るオリックスの試合はすべて負け。こどもたちを、だらしのないタイガースのファンではなく、神戸市民球団であり、優勝に近いオリックスのファンに仕立てたいとのもくろみは、今のところ成功していません。
120-3月19日(日)
ここ数日、早朝に起きて拙宅で仕事をしているのですが、夜明けが随分早くなりました。拙宅の狭い庭に植わった南天の実を食べに来るヒーヨの夫婦は、だいたい午前9時すぎに、けたたましい鳴き声をたてながら、やってきます。ところが、もうほとんどの実を食べ尽くしてしまい、あと数個を残すのみとなりました。それでもほぼ毎日の朝食時に、やってきます。毎年、一つも残さず食べてしまいます。春は彼らはなにを食べるのでしょう。もうすぐ燕がやってきます。
119-3月18日(土)
最近の大学生は、テレビを見ないそうです。下宿に、CD-MDコンポや、パソコンはあるけど、テレビを持っていない学生が少なくないようです。彼らは経済的にテレビを持てないわけではありません。あえて持たないのです。テレビ番組がつまらない、という理由だそうですが、彼らは、パソコン(インターネット)、ゲーム、携帯電話などすべて双方向性としてのメディアに囲まれています。テレビのように一方的に受け身に置かれるメディアは、彼らの肌感覚に合わないのかもしれません。メディアは進化し、メディアを受ける・操作する若者も(彼らにしても若者は初めてであるはずですが)進化しています。118-3月17日(金)
最近の大学生は、テレビを見ないそうです。下宿に、CD-MDコンポや、パソコンはあるけど、テレビを持っていない学生が少なくないようです。彼らは経済的にテレビを持てないわけではありません。あえて持たないのです。テレビ番組がつまらない、という理由だそうですが、彼らは、パソコン(インターネット)、ゲーム、携帯電話などすべて双方向性としてのメディアに囲まれています。テレビのように一方的に受け身に置かれるメディアは、彼らの肌感覚に合わないのかもしれません。メディアは進化し、メディアを受ける・操作する若者も(彼らにしても若者は初めてであるはずですが)進化しています。
117-3月16日(木)
筆者の同世代の友人たちに、高校受験をする子供達を抱えている人がいます。公立の中学は卒業式のすぐあとに公立高校の受験が控えているのです。
合格発表がある来週以降は、カルメンにも受験から解放された子供を連れた家族連れが食べに来てくれます。
116-3月15日(水)
カルメン物語 その1カルメンの前身は、「サロンみなと」という店でした。サロンというのは、女性が接待する店でキャバレーよりも小型の規模のことをいうそうで、戦前はカフェという名で呼ばれていました。
第一代オーナーが「サロンみなと」の経営を始めたのは、昭和24年12月20日。以来カルメンが開業する寸前の昭和31年11月10日まで営業していました。この「サロンみなと」を始めたのは、神戸市兵庫区の中央卸売り市場の近くで「ミヤガミ食堂」を経営していた岩城数男という人だったそうです。ところが、店をオープンして半年たった時、経営をやめることになったのです。第一代オーナーに、経営譲渡を仲介したのは、神戸朝日会館でJAVAという喫茶店を経営していた人でした(現在も神戸朝日会館にJAVAという喫茶店はあります)。第一代オーナーは「サロンみなと」を始める前は元町5丁目で「三日月旅館(後に大和旅館に改名)」をしていました。JAVAの経営者は「三日月旅館」近くのブローカーのたまり場に出入りしていたことで、第一代オーナーと知り合ったそうです。
「サロンみなと」は、午後5時に開店。当時の風営法では午前零時までしか営業は許可されていませんでした。警官が回ってきて監視していたようです。店は午前零時で閉店したことにして実際は午前1時まで営業していたようです。お客さんは、午後7時か8時ごろに来店。当時景気がよかった長田のゴム業界の人たちがお客さんとしていたようです。
筆者は、昭和30年6月10日生まれ。生後1年たってカルメンが創業されました。3歳まで、カルメンの店舗の上に住んでいたのです。当時の建物は、木造2階建てで一部3階でした。なんとなく昭和30年代前半の三宮の光景が目に浮かんできます。ただ「サロンみなと」の思い出はありません。
「サロンみなと」は最初一階だけで営業。二階は筆者らの居宅として使われていきました。のち二階も店舗としても使用したようです。店舗内は細かく区切っていたために一階、二階ともに19席あったそうです。筆者がこうして「サロンみなと」のことを書き始めたのは、本日「サロンみなと」に勤めていた中村さん(源氏名・エミコ)がお客さんとして訪れたためなのです。中村さんが働いていたのは、昭和27年。今から48年前です。中村さんは「「サロンみなと」に勤めていた女の子はみんな真面目だった」と述懐していました。
115-3月14日(火)
スペイン南部へレスで、5月に「へレスの馬祭り(Feria del caballo=フェリア・デル・カバージョ)」が行われます(21日が最終日)。へレスの街は、シエリー酒の産地として有名です。へレスはJerez de la Frontera というのが正式名称です。シェリーとは、このJerez が英語風になまってSherezからSherry に変化したと言われています。(シェリー酒は、スペインで消費される以上に英国人に好まれているため、昔からイギリス資本がヘレスの街に入り込んでいます)この馬祭りは、ヨーロッパ最大の馬祭りだそうです。馬術競技、馬車のコンクール、スペイン馬の品評会や売買などが行われます。祭典の会場には、大遊園地が出現するほか、2000を越す「カセータ」とす呼ばれる仮説小屋がたちならび、そこでシェリー酒が振るまわれます(これだけでも"買い"ですね)。
またこの祭りの楽しみは、へレスがフラメンコの本場・アンダルシーアに位置することから、本場のフラメンコを堪能できるということです。みんなで踊れる「セビジャーナス」で飛び入り参加でフラメンコを踊れるということも可能です。ヘレスからそう遠くないサンフェルナンドは、偉大なるフラメンコ歌手だったカマロンの関係した場所です。カルメンでもよくカマロンのカンテをかけます。不出生の天才と形容されることの多いカマロンですが、筆者は否定しません。アンダルシーアの乾ききった大地から沸き起こってくるようなかすれ声を聞いていると、まさに天才の名にしおうレベルだと思います。
5月のアンダルシーアは、長い長い夏の始まりの時期。真っ昼間から、シエリー酒に酔っぱい、フラメンコに酔うのも一興です。
114-3月13日(月)
カルメンの定休日。FMわぃわぃ「南の風」の生放送。今日の特集は、奄美・徳之島の島唄特集その2。徳之島は、まだまだ知られていない島唄が沢山あって、素晴らしい文化・民謡の宝庫だといえます。何度もこの島へ行って、島唄の奥深さを極めたいものです。
番組終了後、大阪谷町6丁目にある「すかんぽ」という居酒屋へ。S教授の関西離任の宴に参加。共同通信大阪文化部のG記者、朝日新聞のH記者、大阪日日新聞のO記者といったマスコミの人たちと、神戸大学のK助教授とわたしというメンバーで、楽しいひとときを過ごしました。店には、「すかんぽ」のオーナーである詩人の金時鐘氏。久しぶりにお会いしたので挨拶。他にも共同通信のK記者など、筆者の友人が多く、あちらこちらの席で挨拶を交わしました。
113-3月12日(日)
本日、スペインで総選挙が行われました。全350議席のうち、国民党が単独過半数以上の189議席を制し、勝利しました。フランコの死後(1975年)から、1996年に行われた総選挙まで政権の椅子に座っていたのは、社会労働党でした。国民の歓呼の中で迎えられた政権だったのですが、左翼社民政権が生みだしたのは、20%の失業率と汚職でした。同党の今回の獲得議員数は125。前回より16議席減らしています。他は、カタルーニャ同盟(15)、統一左翼党(8)、バスク国民党(7)などとなっています(カッコ内は獲得議員数)。
フランコが牛耳っていたファランヘ党の後継政党である国民党が政権を担当したこの4年間。失業率は15%に下がり、経済成長率も3.7%(去年度)と、順調な国家運営の実績を残しています。
ただ、スペイン人の中に、フランコ嫌い=右派・国民党嫌いのアレルギーも相当深く、国民党が圧勝しないのは、このためだといいます。なにしろフランコ時代は、スペインの暗い時代でした。西側社会の仲間に入れてもらえず、経済・社会は停滞していました。世界中の良心的知識人から総スカンを食らい、悪い意味でのラテン的暗黒政治が跳梁していたのです。筆者が初めてスペインを訪れたのは、1976年。フランコが死んでまだ一年と立っていなかったので、国民同士の疑心暗鬼が抜きがたく、社会もなんとなく暗いイメージでした。112-3月11日(土)
神戸名物といえば、何を連想されるでしようか。洋菓子やパンなどがすぐ思い浮かびます。こうした神戸という都市文化が産み出した産物ではなく、山海で採れる産物といえば、イカナゴが筆頭格でしょう。ちょうどいまイカナゴ漁が最盛期です。筆者の実家がある神戸市垂水区の魚屋さんには、朝早くから行列が出来ます。夜に出漁して垂水漁港に水揚げされた「新子(=イカナゴ)」を買い求めるためなのです。これを佃煮にして製品化したのが、「くぎ煮」です。この「くぎ煮」は、垂水の漁家が開発したそうです。まさに神戸特産といえる食品です。筆者の周辺にも、「くぎ煮」を食べなければ春を迎えられないと言い切る人が多くいます。佃煮があまり好きでない筆者もこの「くぎ煮」だけは好物なのです。また「新子」を酢醤油で食べるのも大好きなのです。これは日本酒、ワイン、焼酎と酒ならなんでも肴できるという"すぐれもの"なのです。
関西というところは大きな広がりのある地域なのですが、関西人の季節感にはひとつの共通した法則のようなものがあります。神戸のイカナゴ漁があり、梅も見所になると、奈良のお水取りが始まって、大阪で大相撲の春場所が開かれます。やがて甲子園球場で春の選抜が行われ、各地で花見が始まって本格的な春がやってくるというものです。関西人はこの季節サイクルの中に身をゆだねて生きているのです。これは関西の文化の基層として根付いていることでもあるのです。
花の季節まであとすこし。今年も筆者は、関西の花の名所を巡ります。その様子を読者の皆さんにお知らせしようと思っています。
111-3月10日(金)
今日も書肆の話を。さらに巨大になったジュンク堂書店とセンター街を挟んで向き合っている旧駸々堂書店は、倒産しているので、当然シャッターは閉まっています。大きな店舗だっただけに、無惨な廃墟の様相です。
それでは古書肆の状況はどうでしょう。筆者は一時期、古書肆でしか本を買わない時期がありました。古書肆というフィルターを経ている本は、店主の店頭販売に耐えうるという「試験」をパスした本だと言えるのではないでしょうか。古書肆は決してベストセラー本は取り扱いません。そして話題書、経済書なども売りに行っても門前払いをくわされるか、古紙同然の値段でしか引き取ってくれないのです。選択眼のしっかりした古書肆に足を運ぶと、「わたしの買うべき本がここにある」との安心感を与えてくれるのです。ここいう意味で、神戸市内における筆者のお薦めの古書肆は、JR六甲道駅から北の宇仁菅書店です。神戸におけるぴかいちの品揃え。そして卓見を持った店主の存在。読書人冥利につきる店です。
110-3月9日(木)
三宮の繁華街といえば、センター街。そこにあるジュンク堂書店が、3月からさらに巨大書店に生まれかわりました。この書店の社長はもともと、ブックローンという教育図書訪問販売会社に勤めていた人です。父上が経営していた会社です。息子が、神戸で大型書店をつくりたいとの提案した時、大反対したのです。「神戸で大型書店は無理だ」と。ジュンク堂書店が開店した当初は、ブックローンの売上との比較で10対1の比率だったそうです。その時は、子供の数も多く高度成長期だったので教育関係訪問販売が全盛期だったのです。ところが瞬く間に、売上げが逆転しジュンク堂が10に対して、ブックローンが1の数字なってしまいました。そして今では比較の対象にもなりません。以後、ジュンク堂書店は、全国に大型書店を展開しているのはご存じの通りです。このたび拡大オープンしたセンター街店は、大阪・堂島にある店舗(大阪本店)の作りに似ています。大きな書店がさらに大きくなるのは、読書人にとっていいことです。ただ、筆者が好きな人文系(思想・評論・民俗学・哲学)の棚の内容は、同じジュンク堂書店のブックセンター(サンパルビル内)の方が優れているようです。そして人文系の棚に平棚がなくなったのは、寂しい限りです。
109-3月8日(水)
スペイン関係のイベント案内です。1.
18日から、淡路島で行われる「花博〈ジャパンフローラ2000〉で、5月27日(土)にスペイン・モンセラ修道院聖歌隊が、出演します。この聖歌隊は、ウィーン少年合唱団と共に世界的に知られたグループで、世界最古の歴史を持っているそうです。この時、スペインのホァン・レニャニ在日大使が現地を訪れる予定です。会場は、博覧会野外ステージです。2.
スペインに"タラセア"というの寄せ木細工による工芸品があります。Japonでは星野尚さんという人が、この"タラセア"を製作しています。自然の木が持つ色、木目、節目のさまざまな模様を利用して、形を作っていくというもので、星野さんは、さらに「焼く」という作業を追加して、独自の"タラセア"を作っているのです。1992年には、バルセロナで個展を開き、地元の新聞でも大きく取り上げられたそうです。星野さんは"タラセア"製作20周年を記念して各地で展覧会を開きます。その一端を紹介します。
3月29日(木)〜4月4日(火) 神戸そごう(神戸・三宮)
11月9日(木)〜11月15日(水) 近鉄百貨店(大阪・上六)108-3月7日(火)
筆者の知人であるS教授夫婦が、カルメンを訪れ、会食。沖縄、奄美から駆けつけた人もいて、盛り上がりをみせました。面白いのは、料理の共通性です。スペイン料理に"イカのスミ煮"があります。奄美、沖縄にも「スミ汁」というイカすみを使った料理があります。筆者が那覇で食べた「スミ汁」は、昆布でとったダシの中に、イカスミを入れて、イカの本体も入れるというものでした。昆布ダシの味と、イカとは相性がいいのか、筆者は那覇に滞在中、毎日食べていた記憶があります。
107-3月6日(月)
カルメンの定休日。
この日、筆者は、FMわぃわぃの番組を放送するため、午後長田区のスタジオへ。午後4時からON AIR。今日の特集は、徳之島の島唄。私が1月に収録した内容を二回にわたって放送します。徳之島の島唄は、北の奄美大島、南の琉球の影響を受けながらも、独自の島唄世界を作っています。放送終了後、長田から大阪八尾へ。S教授が今春から静岡大学へ転出するので、関西でのお別れ宴会。沖縄、奄美からもわざわざ駆けつけた人もいるなど、盛況でした。午後10時に八尾を出発して、神戸の拙宅に戻ったのは、午後11時半。帰宅後、午前3時半まで、奄美から来たM氏と飲み交わしていました。
106-3月5日(日)
三月から始まった特別コースを紹介しておきます。
今回もまた魅力あふれる内容です。予約は、078-331-2228 まで電話して下さい。春を呼ぶ3月の特別コース
3月、春の予感がします。今回のコースは選択肢が多いのが魅力のひとつ。もうすぐやってくる季節を先取りした今回のコースは、年度末の"おつかれさん"ミニ宴会にぴったりの内容。新しい2000年度に向かって、精気を養って下さい。サラダも地中海シーフードサラダとするなど細かいところに気配りしています。人気のカツレツが登場していることも要チェックです。
//////////////////////////////////////////////////////
最初にお出しするワインは、日本についたばかりの呑みやすい逸品です。カリニェナという産地は日本の方にはあまり馴染みがありませんが、ちゃんとしたDO(原産地呼称)ワインなのです。そしてコセチャ(収穫年の意味)は、全スペイン的に評価の高い1995年。ミディアム・ボディの呑みやすい赤です。ボトル(750ml)でも2500円と低価格に値段設定しています。//////////////////////////////////////////////////////
1.新着'95年産 カリニェナの赤ワイン
2.チョリソ風味ソーセージのシェリー酒いため
3.トルティージャ(スペインのオムレツ)
4.甘えびのエントレメセス
5.a.サフラン入り魚介入りSopa
b.たまごのSopa マドリー風
a. b いずれか選択
6.イカのハーブ焼き
7.牛フィレ肉のカツレツ カルメン風
8.地中海風シーフードサラダ
9.a.パエリア(スペインの炊き込みごはん、海老、ハム、赤ピ
ーマン、あさり入り)
b.パン a. b いずれか選択
10.(デザート)クレーマ・カタラナ
11.a.cafe(コーヒー)
b.te(紅茶)
c.デザート・ワイン(ポート・ワイン)
a. b. c いずれか選択////////////////////////////////////////////////////
平常料金/9590円
優待料金/4880円
(お一人様)(税別・サービス料なし)
期間/3/2(木)〜 4/9(日)
(ただし、3/6.13.21.27 と 4/3はのぞく)
時間/12:00 〜 21:00(ラスト・オーダー)
105-3月4日(土)
社会人のチームと間違われないでしょうか。われらがオリックス・ブルーウェーブのファーム(かつては二軍ととう直裁的なネーミングでした)が「サーパス神戸」というチーム名に変更しました。ファームのみ、チーム名を変更する例はすでにあり、セ・リーグの横浜ベイ・スターズは「湘南なんとか」というチームになっています。
これはファームの独立採算制を重視するという発想によるものです。「サーパス」という名は高松市に本店がある穴吹工務店のマンション・ブランド名だそうです。その穴吹工務店が、年間1億円のスポンサー料を3年間払うことで、自社ブランドの名を冠したプロ野球球団を「所持」できるという仕組みなのです。
こうした「一軍」以外でも、独立採算で運営していくスタイルは、アメリカで行われています。よく耳にする3A、2A、1Aという球団は、大リーグ所属の「二軍」の場合もあるし、全く独立した球団の場合もあります。野球の盛んなJaponで、こうしたアメリカ・スタイルをいち早く採用したのが、横浜と神戸というチームだということに、なにかこの両都市の共通点があるのかもしれません。
オリックス・ブルーウェーブのホームページには、「サーパス神戸」の試合スケジュールもちゃんと掲載されています。
http://www.orix.co.jp/BW/
104-3月3日(金)
きのう未明の放火事件は、カルメンのごく近くで起きました。トーアロードとサンキタ通りが交差する角にあるテレホン・クラブ「リンリンハウス」で起きた火炎瓶事件は、暴力団がらみといわれ、再び神戸が「事件の街」となってしまうのではないかと危惧されています。カルメンがある三宮駅の北界隈は、神戸随一の繁華街なので、さまざまな業種の店が入り乱れています。これも都市の諸相であることには違いないのですが、テレホンクラブやファッション・ヘルスなど風俗の店もあります。カルメンのちょうど裏にも何店か集中しているのですが、今日のぞくとはなしに見ていると、一軒廃業していました。かの業種は、栄枯盛衰が激しく、ここ一、二年店舗の転廃業が少ないと思っていましたが、さすがに風俗も不況には勝てないのでしょうか。不況に強いと言われた出版界がいまガタガタになっている様をみていると、景気と関係のないとされた風俗業界にも影響が出ているのでしょう。
それにしても、震災後の風俗の立ち上がりは"見事"なものでした。激震地でいち早く営業を開始したのは、風俗店でした。カルメンも店舗ビルが生き延びたので、震災後三カ月後に営業再開したのです。再開したての頃、この周辺でビルに灯りがともっているのは、ごくわずか。「風俗かカルメンか」といった状態が続いていました。
103-3月2日(木)
踊るということは、人間の原初的な情動です。現代人は、日常生活の中の所作でしか、身体を動かさなくなりました。郷土の踊りが伝承されている地域では、ハレの行事の中で踊りがあります。舞踏の中に、かつて暗黒舞踏と呼ばれた表現形式がありました。筆者は学生時代よく見に行ったものです。関西における暗黒舞踏の流れを汲むグループでは、大阪に本拠地をもつ「維新派」が元気で、現在オーストラリアへ公演に出かけています。そして京都では、「白虎派」というグループがありました。そこに属していた今井千草さんと久しぶりに電話でしゃべりました。
今井さんには、数年前に筆者が主宰した大阪城での花見の宴で、満開のしだれ桜の下でひと舞、踊ってもらったことがあります。それはそれは幻想的で見事な光景でした。
102-3月1日(水)
ようやく3月となりました。2月は寒い寒いひと月でした。本日は、カルメンの一代目オーナーの誕生日。1926年生まれなので、齢74歳。大正15年の生まれです。出身大学は、満州帝国立の建国大学。「五族協和」を掲げた石原完爾らが「理想国家」を作ろうとした満州国の官吏養成を設立の第一義として誕生した大学だったのです。集まった学生は、日本人、中国人、満州人、朝鮮人、白系ロシア人、蒙古人といった各民族。これを数えてみれば六民族となるのですが、日本に「併合」されていた朝鮮は、独立した一民族としてカウントしなかったのでしょうか。建国大学は、満州国の首都、新京市(現・長春市)にありました。日本の敗戦と同時に潰えてしまったのですが、現在「建国大学」という大学が、同じ場所に立っています。そこに建大OBが訪れると学生から「先輩」と呼ばれるそうです。中国という民族は面白い民族です。
建大OBは、韓国で首相や国会議員を輩出するなど、各国で活躍しています。OB間の結束は強く、今でも日本や韓国、中国でさかんに同窓会をしています。建大に集まった各民族のOBたちは、青春の一時期を共にした学生時代を、とても大切にしています。時代が生んだ特殊な青春時代だったのですが、若者たちにとっては、どんな状況であっても普遍である青春時代をたまたま建大で送っただけなのかもしれません。そこには建大の政治的な設立趣旨は入り込む余地はありません。
101-2月29日(火)
今日は400年に一回という珍しい巡り合わせの"うるう日"です。普通4年に一回訪れる閏年も、100で割れきれる年は、閏年にはしない法則があります。しかしそれだと微妙な誤差が生じるため、400年間に一回、100で割り切れる年でも閏年にするというのです。Japonで400年前といえば、関ヶ原の戦いがあった年です。勿論、その時のJaponは太陰暦を使用していたため、閏年・閏日はありませんでした。太陰暦は、月の満ち欠けをもとに暦を決めていくので、視覚的に分かりやすいのですが、誤差が大きく生じるために、閏月を設定するのです。
当時の政府が太陽暦を採用したのは、明治5年(1872)11月。年末に向かうややこしい時期に、殆ど突然太陽暦に替えてしまったようです。明治の新政権を作った人たちは、欧化のために、なんでも急激に改革をしましたが、太陰暦から太陽暦へのチェンジもいきなりの変更です。もっとも"元号"を替えるというのは、為政者に与えられた特権だったので、この変化も東洋的王権の権限内で施行されたにすぎないのかもしれません。
ただ、明治政府が年も押し詰まっていた時期に太陽歴に変更した本当の理由は、その年が太陰暦では、閏月があり、一カ月分多めに政府職員に月給を渡すのを避けたかったためでした。新政府の金庫は当時空っぽだったのです。