店主つぶやき日誌(毎日更新しています)

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1500……1月14日(水)
神戸の朝は晴れ。豪雪となっている日本海側の人たちには申し訳ない天候。ところが昼過ぎから曇り空に。今日は、北陸、東北、北海道などで、大雪の情報。ところでこの「日本海」という呼称、韓国の人たちは、「東海(トンヘ)」と呼びます。あちらの地図や教科書には「東海」としか書かれていないのが殆どではないでしょうか。しかしそれはJaponでも同じ。将来は「日本海/東海」と併記されるようになるのでしょうか。竹島(独島)の記念切手が韓国から発売される(今回で3度目)ことで、いま「日本海/東海」は大荒れです。

そしてもう一つ大荒れなのは、韓国と中国との関係です。高句麗を中国内少数民族の一国家として位置づける歴史論文が掲載・発表されたことに反応して、中国の「覇権主義」に猛反発しています。高句麗時代の武将姿をした人たちが抗議文を読み上げています。韓国・朝鮮民族にとって、高句麗を否定されるということは、韓国・朝鮮の成り立ちそのものを根元的に否定されることと一緒なので、決して肯定されるものではありません。その論文では、「朝鮮」という国号も、中国の「地方勢力」だった「箕氏朝鮮」から「盗用」したものだと書いているらしく(本日付け読売新聞)、民族愛がどこよりも深く厚い朝鮮民族を刺激しないはずはありません。筆者の友人・知人である在日韓国・朝鮮人の人たちの怒りに満ちた顔が浮かんできます。

でも、今回の歴史論争で一番ホッとしているのは、小泉純一郎首相ではないでしょうか。自らの靖国神社参拝の国際問題化がすこしでも分散化されることになるわけですから。
1499……1月13日(火)
カルメン、本日は休みです。

身体の休養を考え、行動を慎みます。
ただ、一件だけ外出します。
阪急・春日野道駅で下車。沖永良部出身者が多い大日商店街へ。高校時代の同級生であるM氏が経営する茶舗へ。M氏もまた沖永良部二世です。去年、発掘したM氏の父が写した16ミリフィルムが、NHK鹿児島で放送されたので、その録画テープをダビングしてくれたのです。

M氏と、沖永良部の話。その次は、お互いの家族の話。M氏一家とは二つの偶然の一致があります。家族構成と、長男がいずれも県立K高校であること。同一校区であるために、話題は子ども達の学校の話題で盛り上がります。二つ目の偶然は、互いの長男の担任が一年違いで同じ先生であったことです。筆者がK新聞に当時執筆していたコラムに、M氏のことを書いた時、それを読んだ先生がクラス全員にコピーして渡し、話のネタにしたのです。

M氏とは、まだまだこれから何年も学費を払い続けなくてはならないことを確認して別れました。春日野道駅から阪急電車の普通に乗ったのが、午後3時30分ごろ。次の王子公園駅でなんと、K高校に通う長男が、筆者の座席の横に座るではありませんか。万にひとつの確率でしょう。おそらく長男がK高校に通う3年間でもこういう偶然は一回こっきりでしょう。長男は、父である筆者と並んで座って語ることを、さして嫌がる風でもなく、英語・長文読解の成績アップについて、語り合ったのです。
1498……1月12日(月)
月曜日ですが、カルメンは営業しています。

晩、すばらしく沢山食べていただいた男性3人組のお客様がいらっしゃいました。
30歳前後の人たちでしょうか。そういえば、最近の若い男性は食が細くなりました。
カップルが来る男女二人組みの若者でも、男性と女性の食べる量にそう大きな差はありません。

筆者はもともと大食いだった上に、京都で5年間下宿生活をしていて、100%外食であったために、常に"半飢え"の状態でした。つまり、食べることは、金がかかることでしたので、本代との兼ね合いで、「定食腹(定食を食べることで満足せざるを得ない状態)」であることを要求されていました。その分、実家に帰った時は、食べ貯めをしていたのです。いまの若い人たちは、食べることに対してそう執着しなくても生きていけるからでしょうねえ。
1497……1月11日(日)
Today is a Kimino-day.

20歳の着飾った女性達は、Japonの民族衣装としても最も晴れやかな意匠をまとっていることもあって、ある意味で「完成品」という感じがします。一方、男性は比較される異姓の華やかさの前という越え難きハンディを背負って、まるで「ガキ」のように幼く見えます。これを"連れ合い"に言ったら「じゃあ、男はいつ"大人"になるの?」と聞きます。「少なくても30歳を過ぎてから、いやあ40歳を過ぎてからかなあ」と筆者。「40歳? 20年も差があるの。ふん」とその後は沈黙。

成人式の日には毎年書いているような気がしますが、筆者の時代は「お上に祝ってもらわんでも勝手に"大人"になるわい」と祝典拒否が当然の空気でした。「成人」だの「大人」だのと大人から規定されること自体、拒絶の対象だったのです。でも、時代は変わりました。最近は中学校の同窓会を兼ねたメディアとして機能しているとも言えます。筆者も馬齢を重ねて、「成人」となった若者たちに祝意を伝える立場となりました。かつては、和服を着ないで出席する若者もいたのに、不況といいながらも、女性は和服を着た人たちが殆どなのは、Japon社会が豊かになったということでしょうか。
1496……1月10日(土)
今日も、M氏を囲む会。出席したのは、筆者を含めて3人。大切な客人なので、風邪をおして付き合い。もう一人参加した大山勝男氏は、大阪日日新聞記者。関西において奄美の出自を意識して、奄美のことを書き続ける数少ないジャーナリストの一人です。人格的にも、多くの人に愛されるタイプの人です。

三人で「少年A」のことや、沖永良部や奄美の合併話をします。奄美はどうやら、「昭和の大合併」に懲りて、今回は合併話があまり進んでいないようです。合併特例の設立期限は来年3月末。合併協議会を立ち上げなければならず、時間はありません。

奄美の中でも、自ら合併を提唱・推進しているのは、徳之島の伊仙町。ここの町長は熱心な「一島一自治体構想」の持ち主です。ただ、徳之島を構成する三町の足並みが揃っていず、合併に向けてはいくつかハードルがあるようです。同島のなかでも、一番上昇志向の強い人たちが多いとされるのが伊仙町です。そのパワーはどこまで発揮されるのでしょう。
1495……1月9日(金)
奄美・沖永良部からM氏が来店。合計8人で、M氏を囲む会。この中には、1月17日のフラメンコ・ディナー・ショーに出演する沖縄出身のウタサー・新垣優子さんも参加。三線を弾いて「ジントーヨォ」と彼女の出身地である沖縄本島北部の辺土集落の唄を歌います。でも、その三線、奄美仕様のもので、持ってきたのは、山内由紀子さん。由紀子さんも「朝花節」を歌ったのですが、仕事の疲れが出たのか、途中からウトウト。牧師の元正章氏も高砂から参加。のち、K新聞のM記者も顔をみせました。
1494……1月8日(木)
昼、雪が降ってきました。

朝から急に寒くなりました。今日から新学期。中高生はいきなり実力試験です。テスト漬け、という批判はあっても、学生というのは、もともと勉強するのが仕事です。短い3学期ですが、冬は頭が冴える時期でもあります。頑張ってもらいましょう。拙宅にも、ひとり受験生がいるのですが、のんびりしているのが気に掛かります。
1493……1月7日(水)
風邪気味です。

経営者である筆者には交代要員がいません。職場には風邪気味であっても出社しなくてはいけないのです。いままでが暖かい冬だったのが幸いしたのでしょうか。それとも神戸の人間にとって、1.17が近づくとなんとかなく神経症的な気分になってしまうものなのです。FMわぃわぃが主宰するメール・ニュースを読んでいると、1.17に関するイベント、特別放送の予定メールが、多く送られてきます。今年も、阪神大震災の日はめぐってくるのです。
1492……1月6日(火)
日本軍がイラクへ行こうとしています。

朝日新聞を読んでいると、最近、「自衛隊」のイメージも変わって、志願者が増えているとのことです。神戸の場合でも、彼らは実によく災害救助活動に頑張ってくれました。その姿を見てきた筆者や神戸の人たちは、実直に彼らの活動を評価すると同時に、彼らが間違いなく軍隊であることも間近で確認できたはずです。たかが60年前、この国では軍隊が大いばり。今の北朝鮮やイラクなども比べて自慢できる国家ではなかったはずです。戦後というのは、ようやく軍人の影響力を排除できた時代だったと言えます。軍隊・軍人が堂々と世の中を渡り歩く国に「民主主義」なんてあるのでしょうか。
1491……1月5日(月)
カルメンの定休日。

今日はFMわぃわぃ「南の風」、2004年初めての放送なので、2時間特別番組を組みました。ゲストは、下関市立大学助教授の高嶋正晴氏。島唄に詳しいと同時に、専門の経済学の分野からも、今後の奄美についての所見を聞きました。豊かな自然に恵まれている奄美です。ヤマトのどこよりも早く循環型社会が達成できるのではないでしようか。

一部は、2003年に筆者が現地録音してきた島唄や、「復帰50年」ということで多く発売された島唄のCDの紹介。二部は高嶋氏ともに、新民謡から、RIKKIから元ちとせといった奄美出身歌手の曲をかけ、奄美の持っている可能性を探ったのです。

番組終了後、三宮で、"ごくろうさま会"。京都の立命館大学院に通学する途中だった福田知子さんとも合流。すると偶然、筆者の小父にあたるM氏が友人を連れて表れ、正月の挨拶。そういえば、と筆者が思いだしたのは、いま福田さんと、詩人の安水俊和氏が進めている「竹中郁資料集成」のことを関連づけ、かつてM氏のやっている酒屋さんの向かいにあった西村旅館で、神戸の文化人が集ったことを思い出し、「へちま倶楽部」のことを話題にしたのです。M氏は、近所ということもあり、「へちま倶楽部」にはしょっちゅう顔を見せていたとのことです。思わぬ情報に福田さんは大喜び。

高嶋氏、2日前に入籍したばかり。新居に妻となった女性と帰るために、いそいそと三宮を去っていきました。
1490……1月4日(日)
カルメンの周辺が、すっかり門前町となっています。サンキタ通りには多くの屋台が並びます。こうした屋台は、年にあと一回。夏の生田祭りにも出店されます。

そしてこの初参りの時期に特長となるのは、注連縄がずっと張られるということです。筆者、不勉強で正確なことは言いえませんが、注連縄はおそらく"結界"のシーニュであることは確かです。つまり注連縄(結界)の内側は、神(神々)の領域(テリトリー)でふると言えるでしょう。神仏習合が進んでいるこの国にあっても、神々の結界内は、ブッタ(異国の諸仏たち)は、遠慮したのではないでしょうか。かつて伊勢神宮(内宮)にも、仏教者(僧職=異教者)の参拝はここまで、という結界が設けられていたとか。

ひょっとして、今でもこの時期の注連縄が張られた結界内に入ることをためらっているstranger がわれわれの周囲にいるかもしれません。 
1489……1月3日(土)
カルメン、2004年の仕事はじめです。

さてさて今年はどのような年になるのでしょう。
幸いにも天候にめぐまれ、温度も高いようです。
神道的にいえば、正月は"歳神"が来訪する時期でもあります。筆者の家は、3年続きで身内に不幸があったので、神の依り代である注連縄飾りはつけていません。西洋の神の依り代であるクリスマスリースをつけて、それを外したと思えば、Japonの神々の依り代を飾る。この国には神さまがいっぱいいます。

とまあ、冗談とも皮肉とも判じがたいことを今年も書きつづっていきますので、読者のみなさん、よろしくお付き合いのほどを。

1488……1月2日(金)
昨日は、筆者の実家へ。娘と二人で行きました。昼からちびちびと飲酒。気持ちがいいのですが、疲れるのも確か。長男が付いてくるはずでしたが、勉強をするとかで不参加。実家では社会人で筆者のMACの先生である姪っ子と、姉、初代などと会話。

本日は、午後6時前から、研究者夫婦と、拙宅近くで痛飲。仲のいい夫婦の姿を見ているだけで、他人ながら倖せになるものです。今年の計画や、沖縄・奄美での予定を話し合います。これからも、いくつかの仕掛けをしていく、筆者にとっては重要な人物です。
1487……2004年1月1日(木)
あけましておめでとうございます。

年が変わる頃、窓をあけて汽笛の声を待っていたのですが、聞こえません。隣家のY家もすごすごとサッシを閉める音が聞こえます。去年まではなんとか聞こえていたのですが寂しいかぎりです。やはり青木にフェリーセンターがなくなってしまったからでしょうか。それとも最近は海際までマンションが増えているので、クレームが出たのでしょうか。筆者の実家は垂水ですが、遠くから聞こえてきたといいます。筆者など、昔から、年が変わる時にはすべての船は港に停泊しているとばかり思っていたのが、航行している船舶もいたりして、その存在が不思議でならなかったのです。

1486……12月31日(水)
まずい、と思いながら、ようやく年賀状に取りかかりました。なにせ、2年続きで喪中欠礼を出したので、賀状を制作して、宛名を書き、コメントを書くという流れを忘れてしまったのです。

昼は、買い物隊として、近隣を徒歩と自転車で、回遊。夕方になってようやく本格的に取り組みます。まず3年ぶりとなるので、書きたいことが多いので、文章を作成。それを基軸にレイアウトしていきます。文字は10Qが限度。これ以上小さくすると、見えなくなってしまいます。最近は、インクジェット紙と、パソコンの性能向上で、10Qでも字も潰れずに読めます。

夕ご飯は、昨日に引き続いて鍋物。筆者のリクエストです。調理の手間が省け、しかも年末の「家族物語」を演出するのにはぴったりのツールです。子ども達が育ち盛りになっているので、肉類が煮えた途端、すさまじい争奪戦がはじまるのを見るのも、親としてまた一興なのです。あと何年、こうした光景を見ることが出来るのでしよう。
1485……12月30日(火)
今日からカルメンは休み。

日頃つき合ってあげられない娘と一緒に行動。ディズニー映画「ニモ」を見ました。映画の内容は、あらためて筆者が説明するほどの内容ではありません。小学5年生の娘が最上級学年であろと思われるレベルです。気になったのは、映画の中の会話の運びがアメリカ人の日常における俗っぽさがストレートにでているつまらなさ。まあ、娘が気に入っていたので、批判は一切いわず、居眠りもせず、最後までみました。

観た映画館は、国際会館に入っている松竹系のシネコン。チケットを持っていても、全席指定なので、あらかじめ鑑賞当日の座席指定を受けなければならないのです。このシステムは、気に入ったら何回でも観たり、途中から入って1・5回観たりしていた筆者の世代からは、いつまでも違和感がつきまといます。一回だけではもったいないと思う作品はあります。また、全席入れ替えても、満席にならない上映回でも出ていけというのは、少々酷です。

この日、映画の時間まで行ったのは、ジュンク堂書店ダイエー店。「気に入った本ががあれば買うよ」と、筆者は自分の文章が掲載されている雑誌が置いてあるコーナーへ。しばらくしてもどると、一心に娘は一冊の本を読みふけっています。「これ、買う」。みると『星の王子様』。父である筆者が首を横に振るはずもありません。今日は、筆者にとって、娘が「ニモ」というジャパニーズアニメのレベルからすると、数段レベルが落ちる映画を観た日というより、『星の王子様』に出会った日として、永く記憶される日となるでしょう。
1484……12月29日(月)
カルメン、年内最後の営業日です。

天気は曇り空。今年もいろいろさまざまありました。
この日誌を一年を通じて読んでいただいた読者のみなさん、ありがとうございます。カルメンの営業は今日でおしまいですが、日誌は休みなく続きます。読書のみなさんすべてがよきお正月を迎えられることを祈っています。

年末は、ここ数年、FMわぃわぃで特別番組「長田人物交差点」を放送してきましたが、今年は、FMわぃわぃがスタッフ削減のために、特別番組はなし。今年はゆっくりと過ごすことにしましょう。

1483……12月28日(日)
今月から入ったスタッフに聞いた話です。

「私の高校時代の友達に〈風の谷のナウシカ〉の台詞を全部覚えている人がいるんです」。スゴイ。尊敬します。筆者も何度かナウシカの映画を観て、だいたいどのシーンでどのような台詞がしゃべられているかは分かりますが、悉皆的に覚えているわけではありません。この映画はさまざまな寓話に満ちた作品です。何度観ても面白い。それを全部台詞として覚えようとする人がでてくる。覚えていることをスゴイと思う筆者がいる。そこに価値は発生するのです。

1482……12月27日(土)
カルメン・スタッフが営業終了後に忘年会ならぬボーリング大会。

呑み会なら率先していく筆者でも、夜遅くにボーリングをしてもセラピーにならないので、パス。おかげで年末のひとときをゆっくり過ごすことができました。
1481……12月26日(金)
筆者の高校時代の友人が、お客様をつれて来てくれました。筆者は神戸市内の私立高校に通っていたのですが、高校からいきなり神戸の学校に行ったので、知り合いは少なく、今でもつき合っている友人はさらに少ないのです。友人のA氏は、気さくな性格で、会っていても肩のこらない好人物です。勝手に問わず語りでしゃっべってくれ、気遣いもしてくれます。でもこういう気配りが筆者よりも数段格上のA氏でも、一度たちあげたアパレル関係の会社を倒産でなくしています。エネルギッシュなA氏なので、過去のことにこだわることなく生きているようにも見えますが、やはりどこかトラウマになってたいるのかもしれません。A氏は娘さんが二人。長女は高校卒業後、アパレルの専門学校として有名な大阪の某学園へ。「それがな、授業料がウン百万円もするんやで」とブツブツ。二代つづけてアパレルに関わろうとしています。父娘のアパレル産業に対する挑戦はまだまだこれから続くのです。
1480……12月25日(木)
クリスマス。

最近のスペインの若者は教会に行かない人が多く、キリスト教国といっても、世俗世界として理解した方が分かりやすいかもしれません。もともとキリスト教人口が総人口比3%前後であるJaponも、商業主義的な色彩の強いクリスマスは普及しましたが、宗教としてのクリスマスは、依然どのような儀式が行われるのか、判然としないまま、習俗としてだけ定着しています。

アメリカは、12月のクリスマス商戦が、GDPの大きな指標となるほど重要な経済動機となっています。要はクリスマス・プレゼントが、大量に消費/流通されるのです。この時期こそ、家族・恋人たちが親族(恋愛)共同体の一員であることがモノの交換を通じて、確認される重要なセレモニーであると言えるでしょう。

Japonも欧米社会とまで行かないまでも、クリスマス商戦は、第三次産業にとって大切な商機です。筆者も、父である一代目は「クリスマスではなく"苦しみます"だ」といったオヤジギャグを毎年のように繰り返していました。ひるがえって、筆者がクリスマス・プレゼントを子ども達にあげる立場なると、「サンタ幻想」が通用しなくなると、様子が一変しました。"連れ合い"は子ども達に対して、手のひらを返したように「うちはね、クリスチャンちゃうのよ!」と、この国ではまことに珍しい宗教的理由を前面に押し立て、プレゼント給付を拒絶するのです。とすると、敵もさるもの。合併話を持ち出し「誕生日プレゼントは要求しなかったでしょ、合併で買(こ)うて」と交渉。この手に"連れ合い"は陥落したのです。

1479……12月24日(水)
午前中から、カルメンの上空を烏たちが、忙しく往復しています。烏たちのクリスマス・パーティでしようか。それとも、プレゼント交換?

この周辺でしたら、生田の森が格好の住処でしょうね。六甲の山々も烏にしてみれば、そう遠い距離ではありません。なにせ神戸は海と山が近い。彼ら、風を利用して移動するモノたちにとって、つねに、海と山は一望のもとに鳥瞰しているのでしよう。

鳥瞰よりもう少し高度から見た場合を、俯瞰というなら、さらに高い高度から、この世俗社会を見つめたのは"神瞰"と言えるのではないでしょうか。

その"神瞰"についての面白いエピソードを。

お客様から聞いた話ですが、1995年1月17日の朝に、永らくドイツに滞在していたお客様が帰国するため関西新国際空港に到着します。しかし、紀州の山並みが確認できても、なかなか降下しようとせず、関空の周囲を旋回します。おかしい、と思い始めました。飛行機会社は、Lufthanza 。機内では客室乗務員が、ドイツ人だけを集めて、なにやら話し合っています。いまから降下する関西で大きな地震があり、被害がかなり出ていることを、自国民だけに知らせたのです。一体どうするのか、このまま、ドイツに引き返すのか、といったことも提案があったのでしょう。話してくれたお客様はいまでも、問わず語りに、筆者に話すのですから、よほど腹にすえかねた一件だったのでしょう。

飛行機が飛んでいる高度から被災した神戸を見つめれば、すべてが見通せる位置にあります。まさに神の目の位置。これがつまり"神瞰"と言っていいのでないでしょうか。
1478……12月23日(火)
実際の供給量は足りているはずですが、現実は市場原理で変動するため、米の価格が上がっています。93年ほどのパニックになっていないのは、いざとなれば、味が変わっても外国産米があるという現実があります。また、「著しい不良」年であっても、耐寒性の品種が増えているために、篤農家は万全の準備をしていることを消費者は学んでいます。このため、全的にすべてがダメではないのでは、と思ったりするのです。

今回のコメ不足で、消費者も少しずつ学習しているようです。ひとつの例は"連れ合い"の消費動向です。コメ不足の前までは全くのブランド志向。間違いなく「秋田小町」「コシヒカリ」を買っていました。それが今回のブランド米価格上昇によって、いままで手を出さなかった岡山産米を買うように。すると「それが美味しいのよ」。「そうでしょ、生産量以上に、ブランド米が多く流通しているのは、だいたい不思議なんです」と筆者。

コメという作物、長い間、食管法の規制によって、政府(政治/国家の意思)が掌握すべき政治的作物でした。それは、戦前体制下における食糧難と、コメの配給制の遺制であるわけですが、筆者が考えるのに、食管法が出来た「昭和10年代」こそ、コメを常食しなかった地域にもコメが薄く広く届くようになったこの列島民にとっての歴史的な出来事であり、この制度施行によって、米を統べる王としての天皇の意味性が国民の間に浸透した「戦時天皇制」(ソ連のナップ・戦時共産制に発想を得ている)が完成したものと筆者は見ているのです。
1477……12月22日(月)
今日もパソコンの話。

最近、いきなり原稿打ちは、QuarkXPessを使うことが多くなりました。提出するメディアによって、一行の文字数が違うので、その行数にあわせて、組んでいくのです。そうすると、全体の行数の中で、このあたりで、そろそろ締めの部分に入らないとまずいとか、ここはこういう情報を入れて全体にテンションをかけよう、といったことを考えることが出来るのです。

この手法は、原稿用紙10枚までの文に有効なのでしょう。それ以上となると、こうした掲載メディアでどう見えるかは、最後の自己編集の段階だと言えそうです。
1477……12月21日(日)
早朝、一本の原稿をメールで送稿。

いやはや何度も書きますが、ほんとに便利になったものです。これが郵便だと年末の混乱期ということもあり、何日かかるか知れず、ファックスで送っても、字がかすれたり、相手の用紙が途中でからんだり、またそれをデータ化するときも打ちミスをしたり、と幾重もの壁が立ちはだかるのです。

メールを送った人は、ワープロでメールを受けるというなんとも前世紀的なネット環境にいる人なのです。だいたいネットというのは、自分が到達した環境が他者も同レベルのものを所持していると思いたがるものなのです。相手が同じ機能を持っていないと「なんで?!」とすぐ苛立っていまいます。

メールはすぐ返事が来て、「もう一本、依頼した評論も送稿せよ」とのことです。ひぇ〜、約8枚。そのメディアは論者が揃っているので、下手な論考を書けず、これから"必死モード"に入ります。
1477……12月20日(土)
今日もたくさんのお客様に来ていただきました。

今年は団体客のお客様は、去年に比べて少ないのですが、その代わり二人のカップル客が増えているようです。先日、KissFMの昼の番組にも紹介されたことも影響しているのでしょう(あらためて、KissFMのみなさんと、リスナーの皆さんに感謝!)。

高校2年生の長男も調理場のアルバイトにこの日だけ参加。黙々と食器洗浄機を動かします。なにをどう思って働いているのでしょう。筆者は、幼い頃(小学校時代から働いていた)カルメンで働くのがイヤで仕方なかったのです。昔はいまよりクリスマスの威光が強く、クリスマスイブに働いている少年というのは、世界で一番不幸な少年に違いないと強く信じていました。長男には、高校からバイト料をつけています。筆者は大学の途中からようやくアルバイト料をもらったぐらいですから、その辺のリアリズムもあったかもしれません。
1477……12月19日(金)
関西/神戸における若い女性同士の相づちが変化しているようです。

相手の話を聞いて、軽い相づちを打つ場合、今は「そうなぁん」と言っているのではないでしょうか。しかも語尾が疑いの意味を込めた「?」が付いているようです。もう少し前、つまり90年代は「そうなんや」でした。口調も優しげでした。「私とあなたの距離」を意識しながら、その差異を越えて同調しましょう、といった感じで不必要な摩擦(接触)をさけたい、とする時代の風潮を反映していたように思えます。

しかし、このままだと00年代も含めて、Japon経済は「失われた20年間」にならないとも限らない様相を呈しているので、若い女性たちにも苛立ちと開き直りの気分が出てきたのてはないでしょうか。もともと関西は、人と人との距離が短い文化を持っているので、今の「そうなぁん?」の方が似合っているような気がするのですが、少々怒気を孕んでいることが気になります。

筆者が20年代の時は、今の「そうなぁん」「そうなんや」に当たるものは、「うっそぉー」「ほんまに」だったのではないでしょうか。相手の話に対して自然に疑義を申し立てる。文化や空間などの共時的な感性を共有しているのにも拘わらず異見を言う相手に対しての応答とも言えますし、人と人との関係の垣根の深さを確認するという意味での「うっそぉー」「ほんまに」だったのかもしれません。

こうした応答句は、ゆっくりとした速度で変化するものかもしれません。(ひょっとして、琉球弧のしま唄のハヤシもまた、こうして日常の中のやりとりが歌詞に取りいれられることによって、定常化し、いつのまにか本来の意味が忘れられてしまう、ということは考えられないでしょうか)。
1477……12月18日(木)
今日から神戸新聞に「しま唄は語る--伝説の唄者・武下和平」の連載コラム記事が始まりました。担当するのは、筆者もよく知る大山伸一郎記者。奄美復帰50年に向けて、なにか奄美に関する記事を書いてみたいと意欲をもっていた大山記者だったので、筆者も若干のアドバイスをさせていただいて、実現したので、筆者も喜んでいます。今日から5回ほど続くそうです。

尼崎在住の武下和平氏は、「百年に一人の唄者」と言われた人です。こうした素晴らしい人が尼崎に住んでいるということ自体驚くべきことです。ただ、去年からの島唄ブームでも、実力の割には、マスコミへの露出度が高くないのが、筆者としても不思議であり、不満でもありました。和平氏は、天才としての風格を備えた人です。それがゆえに近づきにくいイメージがあるのかもしれません。

まだ70歳、これからますます円熟味を増して、奄美の島唄の真髄を披露してくれるでしょう。(奄美の島唄に興味を持たれた方は、まずこの武下和平氏のCDを買い求めることをお薦めします。そして坪山豊さんのCDも出来れば、一緒に買ってください。かつて「天才・武下、地才・坪山」と並び称せられた素晴らしき唄者です。そしてもう一人の築地俊造氏を加え、さらには現存者では、上村藤枝、朝崎郁恵といった女性の唄者のCDを揃えると、一時代を画したベテラン唄者のオールスターが勢揃いします)。
1476……12月17日(水)
昨日、奄美から佐竹京子さんが来神。

奄美で佐竹さんにお世話になった人たち数人で、囲む会をカルメンで催しました。「奄美女性史サークル"さねんばな"」を主宰する佐竹さんは、名瀬の中心地で、「さねんばな」という民芸関係の店を営みながら、さまざまな運動に取り組んでいます。いわば奄美の女性たちネットワークの要(かなめ)的な存在です。

「囲む会」に出席した人の中には、稲垣氏という人も入っていて、この人は関西学院大学院で「神戸におけるエスニシティ世界」について論考を書いた人です。筆者も神戸/関西における奄美の復帰運動について年表化、資料化したばかりなので、これから稲垣氏とさまざまな仕事をすることになると思います。

最近は、カルメンで筆者の知り合いが会合をすることが多くなっています。
1475……12月16日(火)
いつもより早く起きて、早朝にまず顔写真をメールで送付。つづいて原稿も指定の午後3時よりも早く出来たので、カルメンからメールを出そうとしたのですが、なんとサーバーから「ユーザーとして認証されませんでした」と拒絶のメッセージ。まずい、せっかく締め切り時間前に書き上げたのに。これでは原稿用紙に手書きしてファックスで送るしかないかと焦り始めます。

焦る筆者、次にしたことは、サーバー元に連絡することです。事情を話すと、「利用中ですね」との返答。筆者はひとつのサーバーを、自宅とカルメンとで使っているのです。「利用中?!  んなバカな」と一瞬思ったのですが、すぐ分かりました。次男が帰宅してインターネットを触っているのです。中三の彼は現在、三者面談があるので、早く帰宅しているのです。

「どうしたらいいのですか」と筆者。「一回強制的に切りましょう。それですぐそちらからアクセスしてみてください。ちょっとした賭けですが」。なるほど。さっそく実行。すると、電話がかかってきて座席予約について。数分経過。まず、自宅に電話して利用中かどうか確認して、ダイアルアップ。そしてなんとかアクセスに成功。締め切り15分前になんとか送稿することが出来たのです。ほんとに、なにがあるか分からないものです。
1474……12月15日(月)
年末なので月曜日でもカルメンは営業しています。

昼、筆者の携帯に東京から一本の電話。「神戸における奄美の復帰運動についてまとめて下さい。字数は11字×90行です」。「締め切りは?」「明日、午後3時なんです」「え゛!」 。

今回の原稿は、書くというより、指定字数にまとめる、といった風なので、いかに効率よくまとめるかが勝負です。「顔写真も送ってください」。それが自信をもって提出する写真がないのです。鬢のところに最近白いものが目立つし、40代後半になって急に老け顔になったとがっかりしているし。

まあ、それはともかく、さっそくパソコンに向かいます。原稿というのは、完成というのはありません。あるのは締め切りなのです。
1473……12月14日(日)
「ランプの家フラメンコ教室」の皆さんが出演するフラメンコ・ディナー・ショーが行われました。

カルメン、これで11月から1月まで毎月一回、フラメンコをしていることになります。「ランプの家フラメンコ教室」には、いくつか少人数で別れたクラスがあって、今回出演したのは、そのうちの一組です。

リハーサルを見学して思うに、やはり講師役をつとめる"Yumiko"さんが秀逸です。表情ゆたかに踊るさまは、「お金を取れる」レベルです。課題があるとすれば、"哀しみ"の表情と踊りを表現することでしようか。まだ若い人です。これから5年10年踊り続けていけば、立派なバイラオーラになると思います。二人で扇子(?)を使ってぴったりと息を合わせて踊った"Akiko"さんと"Miho"さんの"Guajiras"も見事でした。

やはりバイレの皆さんはステージ(舞台)の数ほどに上達していくものなのです。今日のステージを大きなステップとしてほしいものです。

1472……12月13日(土)
俳人の大井恒行氏が来神。

俳句雑誌『豈』の編集人をつとめ、かつては弘栄堂出版から『俳句空間』の編集人を勤めた人です。同席したのは、姫路から樋口由紀子さん(川柳)、妹尾健さん(俳句)、富岡和秀さん(詩・俳句)。

大井さんは、広島県福山市で、教職員を前に俳句について講演を行い、その帰りに神戸/カルメンに寄ってくれたのです。福山には「保命酒」という養命酒に似た薬草酒があってまずそれで乾杯。俳句をめぐる状況や、俳人の動向など、話題は尽きません。

奇跡的に取れた元町のビジネスホテルでその日は泊まり、ルミナリエを見学しにいきました。

1471……12月12日(金)
14日にフラメンコ・ディナーショーを行います。席がまだ若干空席があります。午後5時開場、午後6時開演。特選ディナーと、ショーチャージを含めて税込み5000円です。フラメンコを踊るのは、「ランプの家フラメンコ教室」の皆さんです。先生は木下美登里さんです。まだ間に合います。御予約を。

カルメンが提供いたします特選料理は、次の7品です。
(1)ナバーラ産 1998年 赤ワイン Crianza
(2)ピンチョス盛り合わせ
(3)有頭エビの南蛮焼き、サラダ添え
(4)若鶏のロースト・クリスマス風
(5)パエリア
(6)コーヒー
(7)チョコレートケーキ・カルメン風

どうです。豪華な内容でしょ。
1470……12月11日(木)
昼から雨。

そろそろ背広を着る男性の半数近くがコート着用になってきました。冬なんですね。

街にはクリスマスのイルミネーション。

年末気分だけは盛り上がるのですが、経済・景気の方はさっぱり。いくら企業の収益が改善されても、消費動向に反映されません。このままではひょっして、00年代も経済は沈んだまま、90年代に続いて「失われた20年」になるのでしょうか。来年は景気回復すると断言できるエコノミストがいれば手を挙げてください。アメ玉一個ぐらい差し上げましょう。
1469……12月10日(水)
いよいよあさってから神戸ルミナリエ。

震災の年から始まったこの光の祭典について、さまざまな思いが重なります。ああざやかな電飾の素晴らしさ、喩えようがありません。仕事柄、混雑している時は見に行くことができないため、その人いきれの凄さをこの文章で伝えることはできませんが、毎年かならず観るようにしています。本日は、試験点灯が行われ、一般公開の前に招待された人たちの特別デーです。
1468……12月9日(火)
曇り空。

今日からコートを羽織っています。去年と比べると随分遅いようです。

さて今年の冬はいったいどうなるのでしょうか。近年、里雪があまりないので、今年ぐらいは、この神戸あたりでも多くなるのかもしれません。落葉樹の木々は、冬に備えて自衛のために、残った葉をすぺて身体から放出しようとしています。これから永い冬を耐えて、春を待ち続けるのです。落ちた葉はリストラされた労働者、裸木になってまで自己防衛を図る企業。いまこの真冬の時代を、企業は葉を落としてまで来春(次の景気回復)まで生き延びても、落葉された労働者はどうなるのでしょう。まだましなのは常緑樹。冬を耐えた後は、春に大量の落ち葉を発生させるのですが、冬の間も葉(労働者)を雇用させているだけマシのような気がします。しかし、現今の不況の特色は、老舗(創業30年以上を言うそうです)の倒産が多いとか。老舗は老舗なりに常緑樹的な雇用を展開していると思うのですが、それも今となっては通用しないということなのでしょう。葉を落とすのも地獄、残すのも地獄。大変な時代を生きています。
1467……12月8日(月)
カルメン、今年最後の定休日。

朝早く起きて、番組の準備。今朝はその上、ある冊子を仕上げるために必死です。
「南の風」の今年最後の放送は、与論島の島唄です。与論民謡保存会の皆さんによる9曲をお届けしました。これは筆者が、今年1月に与論を訪れた際に収録したものです。与論は沖永良部と共通の島唄(アンチャメー小など)もあるのですが、今回は与論だけしかない島唄を選んでくれました。みなさんの日頃の練習の成果もあり、充実した放送を届けることができました。

まだ、「南の風」は続くのですが、奄美篇は今日でおしまい。去年まででしたら、年末年始に2時間特別番組を二本制作するのですが、今年はFMわぃわぃの制作スタッフの数がすくなくなるなどの影響で、元旦しか特別放送はないそうです。毎年恒例の大晦日のカウント・ダウンも無し、ということだそうです。

番組終了後、筆者は大阪へ。梅田でN新聞のK東京支局長と会い、関西に於ける復帰運動の件について取材を受けます。筆者が今朝いそいで作っていたのは、K東京支局長の来版にあわせて作った関西における奄美復帰運動の資料編(年譜方式)なのです。

続いてK東京支局長と、谷町6丁目の"すかんぽ"へ。筆者が主催する忘年会に出席します。面白いことに、この日は一字姓の人たちが、半数近くいました。朝鮮、中国、奄美民族の人たちは、一字姓が多いのです。しかも、ヤマト民族の出席者が半数を割って、少数民族となるというものです。面白いものですね。

筆者主催の忘年会は、楽しく進みます。ルールはただひとつ。一人ずつ立って自己紹介していく、ということです。これがまた楽しい。その人が一年生きてきた思いを凝縮して語り合います。筆者は、仕事の性格上、人が忘年会をしている時は働かなくてはならないので、自分で主催して宴を用意するしかないのです。

1466……12月7日(日)
午後1時から18人ほどのお客さんが集合。五七五の定型詩にかかわる人たちの句会(「北の句会」)です。俳句、川柳、自由律とさまざまなジャンルの人たちが集合。ここ3年ほど、カルメンで、12月の句会と忘年会を兼ねて集合しているのです。この句会は、今年になって、句会報や事務手続きをしてくれている人も出現して、きめ細かな対応ができています。

午後5時30分からは、忘年会に。この会に筆者も少しだけ参加。定型詩の人たちの持っている雰囲気、詩人達の集まりの空気、小説を書いている人たちの合評会の雰囲気、それぞれ微妙に違うものです。文学でも違うのですから、研究者といってもジャンルによって違うのでしょうね。

カルメンには時々技術屋さんの宴会がありますが、「ステンレスには錆びるステンレスと錆びないステンレスがあるのです」といった会話を聞き取ることができます。う〜ん、技術屋さんたちの会話も刺激的です。
1465……12月6日(土)
もう出るだろうとずっと本屋を覗いていたら、「校正紙」が送られてきて、びっくり。筆者はたいてい「出稿責了」が多いので、原稿を出稿する時点ですでに繰り返し原稿に目を通しているので、校正といっても殆どありません。

その校正をしたというのは、『G』という月刊誌の別冊。かつて哲学や民俗学の特集が多く、30年前のバックナンバーを何冊か持っています。最近は、臨床心理学関係が多いので、筆者の視野に収まらなくなったのです。

特集は奄美。今年、奄美がこの国に復帰して50年経過しますが、東京発のメディアが特集したのは数限られています。沖縄の復帰30年の各マスメディアの旺盛な取扱いと比べて、その違いは歴然です。
1464……12月5日(金)
「今年は無いんやなあ」と気づいたのは、東急ハンズのファサードに毎年出現するはずだった巨大リースです。

不況のせいでしょうか。いつもならあの地域一帯を代表する華やかな符丁のような存在でしたが、今年は"すっぴん"のような印象です。

冬になって、若い女性達は、寒くなるとは逆に、ミニスカートとロングブーツという"03年冬統一規格"で装っているようです。今夏、パンツルックという猫も杓子ものブームという"私服の制服"をまとっていた女性達が、冬になって短いスカートをはいています。神戸の女性なら、流行をまとわない比率がもう少し高くなってもよさそうなのですが。大阪は時代/流行に関係なく、「光りもの」を求める傾向がありますが、神戸は震災以後、東京発の流行に全く取り込まれて、個性がなくなってしまったのでしょうか。
1463……12月4日(木)
筆者の友人が来夏の参議院選挙に自民党公認として立候補することが決定しました。現在は神戸市垂水区選出の県会議員です。とても優秀な人材です。その父の代から知っている人で、偶然にも互いの父とその本人の年齢がともに筆者と一緒なのです。その父はかつて国会に打って出ることが夢だったのですが、夢に終わり死去。息子である友人は衆議院議員選挙にチャレンジしましたが落選(この時はまだ一人区になっていなかった。ここはもともと自民党が弱い選挙区)。県会議員に戻って、捲土重来をきしていたのです。自民党本部は、落選した衆院議員を候補としようとしましたが、県議団が反発。県議の中から、候補者を出すようアピールしたようです。

自民党の県議団は優秀な人材が多く集まっています。この人なら赤絨毯を歩いていてもおかしくない、と思えるような才能の持ち主が少なくありません。しかし、自民党の国会議員が死去したり、引退しても、その夫人や2世3世、娘婿、秘書などが出馬したりして、自民党内部でさえ、席はなかなか空かないのが現状です。どちらかというといつも損な役割を背負わされているのが県議団の人たちででしょう。国政選挙ではフル稼働を要求されてもなかなかお鉢が回ってこない。こうした積年のルサンチマンが友人の立候補選定につながったものと思われます。

さてはて来夏のことなので、これから政治情勢はいったい自民党にとってどうなるのか全く予断を許さない状況です。兵庫選挙区は定数2人。定員減によってさらに選挙戦が熾烈になってきました。ここは以前、共産党も議席を確保することが多かったため、同党にとって重要な選挙区です。また公明党、民社党も投票数では互角であり、前回(5年前)は自民党の議席がなかったのではないでしょうか。自民党にしても次回は創価学会の協力を得られるのかどうか微妙なところです。与党の自民党と公明党が真剣勝負で向き合う全国でも数少ない選挙区の一つです。筆者が信頼する友人に国会へ行って欲しいと思う気持ちと、自民党haitingの本音に挟まれて複雑な心境です。
1462……12月3日(水)
読売新聞に、ハポンさんの紹介が載っています。

本当にJaponの人たちの後裔かどうかは、DNA鑑定すれば分かるそうです。何百年もたっているのに、分かるのですか。記事を読んでびっくりしました。スペインは、多くの民族の血が混じっているはず。アラビア、ユダヤといった人たちも、永くこの国に住んでいたのです。ですから、ヨーロッパといっても、顔立ちがフランスやドイツとも違います。

でも、自分たちが「日本人」の子孫だと信じているのだから、それだけで充分なような気がします。なにもDNA鑑定までして白黒をつける必要もないでしょう。

1461……12月2日(火)
イラクで昨日、Japonの外交官が殺害されました。

スペインの情報機関員も殺害されています。
戦争状態に再び突入したのでしょうか。
民間で行うより10倍のコストがかかるいわれる自衛隊を派遣することの意味はどこにあるのでしょう。
自衛隊は軍隊であることを忘れてはいないでしょうか。決して災害派遣隊ではないのです。海外にでれば「日本軍」です。さんざん海外派兵をしておいて、アジアの国々を蹂躙した「日本軍」と自衛隊とどこでどう線を引け、というのでしょうか。軍隊を派遣するのに国益にたった理由、屁理屈、大義などいくらでもあります。

1460……12月1日(月)
カルメンの定休日。

「南の風」の放送時間が、午後1時からに変更されたので、今日も休日に関係なく早起き。玄関に一番近い筆者の仕事部屋から、子ども達に「いってらっしゃい」を時間差で伝えます。高校生午前7時58分ごろに門から出ると猛烈にダッシュ、中学生は午前8時5分に三年間ずっと迎えに来てくれている友人がピンボーンと鳴らしてくれるのを合図にして出発。最後は、母に髪の毛を結んでもらっている小学生が最後に出ていきます。

今日の「南の風」は、今年1月に沖永良部で録音してきた東京において復帰運動を展開してきた宗前清輝さんへのインタビューを中心に構成しました。宗前氏は、松田清さんといった共産党グループとちがって、どちらかというと右翼サイドの人脈とつながっていた人です。これは、戦前に、鹿児島全県区から翼賛議員として出ていた宗前清氏の人脈が活用されたもので、話の中にも、中宗根康弘、佐藤栄作といった名前が出てきます。

東京在住の奄美出身者の青年学生たちが、新橋駅前で、復帰請願署名活動をしたときの背景や、裏話を聴くことが出来て、貴重な情報を提供することができました。

番組終了後、まっすぐ帰宅。喪中欠礼のハガキをパソコンのプリンターで2時間かけて印刷。筆者の家は、目の前に他の人からの喪中欠礼が届かないと、行動できないのです。
1459……11月30日(日)
ビール(Cervesa)を替えます。

いままで、バルセロナのビール会社のビールを使っていましたが、来月から、スペインでトップセールスを誇る"Mahou"に替えます。いままで"Edel Damm"、"Estorella Dam"を使ってきたのは、安定的に供給されるということと、輸入元の東京の商社が、ビール以外にもスペイン・ワイン、シエリーを扱っているためです。

今回、替えたのは、とある場所で、"Mahou"を呑んで、そのビール好きなJaponの人たちにも充分耐えられるティストを確認することが出来て、これならイケルと思ったからです。面白いことに、スペインでメジャーではない"Estorella Dam"を扱っているのは、東京の商社、"Mahou"を扱っているのは、大阪の商社というねじれ現象が起きています。
1458……11月29日(土)
クィックタイムの保存機能を獲得しました。

今日は、パソコンのマックの話。動画や音を再生できるQuick Time というアプリケーションに保存機能をつけました。

そこで皆さんに推薦のサイトを。
それは兵庫県自然博物館(三田市)が開設しているサイトで、ここがJapon列島に棲息している昆虫、両生類などの鳴き声が登録されていて、ダウンロードすれば聴くことが出来るのです。これは一度訪れてみる価値のあるサイトです。また、ここは自分が採取した音も登録することが出来るようです。

筆者が楽しんだのは、奄美のオットンガエルの声、そしてここで初めて知ったのは、河鹿カエルの声。皆さん、知ってはりますか。ヒョルヒョルヒョルといった、おおおよそカエルの「ぐぇっぐぇっ」といった類(たぐい)とは違う清廉な声なのです。

筆者、さっそくクィックタイムの保存機能を使って、PCに、お好みのカエルの鳴き声をダウンロードして、繰り返して聴いています。面白い機能なんですぞ。

1457……11月28日(金)
別刷りメニューを冬用に一新しました。

冬に還ってきたメニューもあり、新しく導入したメニューもあります。このうち、ファバーダ(豚肉、チョリソー、鶏肉入りスペイン風ポトフ ¥1400)を紹介しましょう。今年のファバーダは、スペイン産チョリソーを使用して味を作っています。しかもダシにとるためのチョリソーではなく、生食用のイベリコ種豚のチョリソーを使っているので、贅沢です。さすがにいいダシが出ています。そして去年と違うところは白インゲン豆の大きさをか代えたところです。大きな豆としました。シチュウの中に入っている豆は、美味しいですね。まるで豆に詰め込まれたさまざまな時間や出来事の記憶を一緒に食べることが出来るようでもあります。
1456……11月27日(木)
期末試験前なので、家中がピリピリしています。

特に次男が中学3年生なので、高校受験の直前。15歳はそう簡単に日々を送らせてくれません。長男とちがってノンピリ屋さんなのですが、夏以降は本気モードを出しているようです。"連れ合い"からの怒られ役を担わされている次男。性格がおおらかなので、"連れ合い"の悪鬼のような言葉の銃弾を浴びても耐えているのですが、これが長男となると、母上に「うるさい、だまれ」と一喝。母はなぜか長男にそれ以上はいいません。この違いって、なんでしょうかねえ。
1455……11月26日(水)
ライラックの葉はまだ付いています。

今年も水やりを熱心にしなかったので、水分不足による"葉枯れ"状態です。毎年、今の時期になると、可哀相なライラックの惨状を、筆者の仕事部屋から眺めることになります。

今年は南天の実が少ないようです。これではヒーヨの餌が少なくなってしまいます。
筆者の猫の額庭は、猫たちの通り道になっているために、小鳥たちがよく狙われています。ヒーヨたちも気をつけなくてはいけません。

それにしてもヒーヨたちはいつも"つがい=夫婦"で一緒に行動します。仲がよいというのか、よく飽きないものです。でも、一方の"連れ合い"が死んでしまうとどうするのでしょう。そういえば、韓国映画の"シュリ"では、"連れ合い"で生きている魚の喩えが出てきて、その魚はヒーヨと一緒でつねに二匹で泳いでいるのですが、片方が死ぬと、生き残った方も死んでしまう、といった内容でした。Japonだって文芸評論家の江藤淳も、夫人に先立たれると自死しました。鳥も魚もヒトも"つがい"は、自足世界の完結宇宙なのでしょうか。マルティン・ブーバーの箴言を思い出します。
1454……11月25日(火)
ワンダフル神戸の最新版が届きました。

この年一回発行されるメディアに広告を出稿して、もう何年もたちます。時々編集ページが面白いのですが、「神戸文化」を捉える視点がワンパターンです。いきなり全国に名の知れた著名人が登場するか、音楽・ファッション系の関係者が「神戸文化」を語るか、といったところでしょうか。文学、演劇や、神戸の街が持っているモダニズムについての考察、目配りが薄いようです。筆者の知っている、「神戸文化」の担い手が殆ど登場しないのは、同誌の編集サイドのパーステクティブの広角度が問われていると思いますが、いかがでしょう。
1453……11月24日(月)
昼から雨が降り始めました。

二日前、書店の次に行ったのが、携帯電話ショップ。長男が"Vodaphone"の「機種変」をするというので、ショップの兄さんから情報収集。"Vodaphone"はDocomoと違って、新機種が発売されたからといって、価格の変動はなく、ポイントがどれだけ貯まっていればこれだけ値引きされるという表も作成されているなど、価格の可変性が緩やかなようです。

写真機能付き携帯を持つと、画素数の高いものを求めたくなるものです。ちょうど12月にむけてが携帯商戦の真っ直中です。「携帯の会社が変わるとボタン操作も一から覚えなあかんよ」と言うのですが、若い人には関係ないようです。筆者は一度手になじんだ"P"(パナソニックの頭文字)を連続して「機種変」しています。

今日も一冊購入。佐々木高明著『南からの日本文化(上)』(NHKブックス)です。読売の書評欄に紹介されていたためか、棚にはあと二冊ほどしか残っていませんでした。いや、この国の人たちは"ルーツもの"が好きだと言うこともありますが。

1452……11月23日(日)
カルメンの創業記念日。今日で47歳になります。

昨日から来店していただいたお客様に感謝を込めて、スペインのお菓子をプレゼントしました。去年もしたのですが、今年はトレドの"マサパン"てす。すると、偶然でしょうか、今日は常連さんが多く、中には30年以上通っていただいているK夫婦の姿や、大勢を引き連れてきてくれた今日が誕生日だという女性、いつも筆者お薦めのワインを信じて呑んでいただいているカップルの方々らとともに創業記念を祝うことが出来ました。

話は変わって、金曜日の晩、大学時代の友人とカルメンが終了して後に呑みに行ったのですが、そろそろ子どもが高校を卒業して大学に進学する年頃になってきました。つまりその友人と知り会った年齢に、自分たちの子どもたちが達しているということになります。その友人の長男君、大阪にある私立大学に今春進学したのですが、大学近くに下宿しているそうです。

となると、いままでいた家族が一人、また一人と生活の場を別にするということを意味します。子どもが成長するということは、いままで夫婦から始まった家族の一員から独立していくことなのですね。ここは関西なので、たくさん大学があり、自宅から通う子どもたちも多いのですが、それでも大学進学を機に家族の数が減っていくという減少に直面することになるのです。筆者の場合も進学による家族数減少に直面するのは、あと数年後になります。

1451……11月22日(土)
昼の休憩時間、ジュンク堂書店へ。上野千鶴子著『文学を社会学する』(朝日文庫)、『現代思想/サイード特集』(青土社)を購入。サイードは徹底して読まなければならないのですが、大著『オリエンタリズム』は読書途中。ネグリ=ハート著『帝国』も結局、翻訳著は読まず、『現代思想』の特集を読んだだけという前科があるので、サイードはなんとしても主著の何冊かは読破したいものです。

上野千鶴子は、筆者と同じ"吉本隆明ユーゲント"の先輩として、フォローしておきたい人。言説を展開する人には批判はつきもの。筆者周辺の研究者/思索者にも上野批判を展開する人がいます。近著を読んで、筆者も上野の言説の位相を俎上にのせようと思っています。

本日のA新聞夕刊文化欄(ただし西部本社版)に、筆者が書いた奄美復帰50年と島唄をからみあわせた文章が掲載されています。九州で夕刊のない地域は、明日(23日)の文化欄に掲載されます。「鹿児島県版」「沖縄県版」を読んだ筆者の知人・友人たちの評価が気になるところです。
1450……11月21日(金)
昼、アラカルトの料理数品と、スペイン・ワインを三本めしあがった常連のお客様がいらっしやいます。

呑んだワインは、リベラ・デル・ドゥエロ99年産赤ワイン"Torremitanos"のCrianza。このワインを輸入しているのが、名古屋のイムコという輸入商です。ちょうどたまたま名古屋からカルメンの担当営業ウーマンが来店していたので、お客様と引き合わせます。自分の商品が目の前で、気分良くたしなまれている光景を見るのは、気持ちのいいものではないでしょうか。

筆者、この赤ワインが大変気に入っていて、今年の冬の一番のお薦めワインとします。ワイン通ほどこのワインの美味しさが分かってもらえるはずです。99年のリベラ・デル・ドゥエロのコセチャ評価は、"Excellent"、傑出年です。二番目の"Muy Buena"もいいのでずが、やはり"Excellent"の年の味は他年を寄せ付けない凄みがあります。

こうした"Excellent"の年は、スペインの人たちこそがまず感動するのでしょう。この素晴らしさは、誰かに感謝したい気持ちになります。誰に?  形而上学な存在、神? そうですね、神に感謝しましょう。

1449……11月20日(木)
野球が終われば、バレーボールですか。サッカーはどうなったのでしょう。わがヴィッセル神戸は、恒例のJ2 降格阻止のために、必死の闘いを展開しています。

でも、これって毎年繰り返される出来事です。降格すれすれシーズン最後の火事場のバカ力を発揮するために、いつもこのチームは"ドンケツ"に近い位置にあるのか、と疑ってみたくなります。

今年もどうやら、神戸ウィング・スタジアムに行けそうにありません。ヴィッセル神戸も今年の阪神のように、何十年ぶりかりかで優勝するのでしょうか。それともJ2 にいったん沈んだら、そのまま定位置となるのでしょうか。

1448……11月19日(水)
長男が不機嫌そうに「携帯かえる」と言い出します。J-Phoneを使っているのですが、"写メール"の画素数が少なく、満足していないとか。Docomoにすると言い出します。父である筆者は「やめとけ、Docomoは高い」と制します。筆者は島唄の録音などで奄美に行くことがあるので、かの地では絶対的にDocomoが強いので使っているだけで、料金的にみると利点はありません。

なんでも第3世代の携帯は、ムービー写メールの画素数が200万画素と、安価なデジタル写真なみになっているそうです。こうした高性能のデシタル写真を送信する時の通信代はきっと高くなるものと思われます。筆者が現在使っている携帯には写真機能がついていません。別に必要としないからです。しかもDocomoは、写真機能の開発が遅れているために、荒い画素数で写したデジカメなど興味がないからです。

J-Phoneのカタログをみていると、スマートメディアを装着する機種もあります。これだとますますパソコンとの連動性が高くなります。もはや携帯はミニミニパソコンに近くなっているような気がします。
1447……11月18日(火)
昨日は早い時間から布団に入ったので長時間眠りました。

しかし、布団に入ったものの、すぐには寝付かれませんでした。頭が疲れない本をと思い探すのですがなかなか見つからず。本棚の天井近くに置いてあるアイヌの民譚集を見つけ、ぱらぱらと読んでいました。でもこの本、いつ買ったのか記憶にありません。筆者が北海道に行ったのは、学生時代の1976年。新書タイプのその本は北海道の版元なのでその時に買い求めたのかもしれません。

読み出すとこれが面白い。樺太アイヌの人からも採話しています。ただ気になるのは、語り口がどちらかというと東北の言葉になっているということです。北海道には東北からの移民が多かったからでしょうか。

現在、このような民間説話をアイヌモシリから採話することは可能なのでしょうか。

1446……11月17日(月)
カルメンの定休日。

朝早く起きて、今日のFMわぃわぃ「南の風」の番組準備。
ひさしぶりに、島唄を放送するので、MDに落とした音源にトラックマークをつけていきます。そしてその局の演奏時間をチェックしていきます。こういうところがデジタル編集の優れた点です。この分かりやすさで、音楽編集が筆者のようなプロでないレベルの人でも可能になったのです。

午後1時から生放送開始。ところが、(LP)モード(ロングプレイ)で録音したMDが読み込まず、スタジオはパニック。急遽、武下和平氏のCDを使って、「奄美この50年を考える」シリーズ第4回目の「島唄からみたこの50年」を進行しました。こういうところが生放送の怖いところ。何が起こるか分からない。スリリングなうちに、ともかく音を出し続けなれればならないので、先に進めるしかありません。

なんとか無事、放送を終了。LPモードで録音していた内容も放送したかったのですが、まあまたいずれ提供するといたしましょう。

鷹取を離れて三宮へ。喉が渇いたので、ちょっとカーニャ(生ビール)を二杯。ピンチョス(Japonの串カツ)を三本ほど。これで1000円からお釣りがくる。バルいや立ち飲み屋だからこそです。

帰宅後、家人に挨拶せずいきなりパソコンに向かいA新聞文化欄に出稿する原稿の仕上げと送信。小一時間かけて原稿をメールとファックスにて送りホッと一安心。缶ビールを飲んでいると急に眠気が。ずいぶん緊張した原稿執筆でした。
1445……11月16日(日)
昨日の余韻もすこし店内に残りつつも、早くもコシネーロたちと、次のフラメンコ・ディナーショーの打ち合わせ。

実は12月と1月にもフラメンコ・ディナーショーが企画されています。14日(日)です。バイレの皆さんは、「ランプの家 フラメンコ教室」の皆さんです。また1月17日の阪神大震災の日には、例年のごとく中川マリさんとアルテフラメンコの皆さんによるフラメンコ・ディナーショーを予定しています。それぞれご期待ください。
1444……11月15日(土)
カルメンの創業祭を催しました。

創業記念日は11月24日なのですが、だいたい11月の好日に催します。

今年は第1部として、沖縄の島唄を。新垣優子さんに出演してもらいました。約40分の間に、徐々に客席は盛り上がっていきます。フラメンコを主に聴きに来た人たちに筆者は司会がてら説明します。沖縄の島唄で使う楽器の三線と、フラメンコで使うギターの起源はひとつ。ペルシアの弦楽器です。これが東の果てに行くと三線となり西の果てにいくとギターになったのです。このユーラシアをはさんで進化した二つの親戚の弦楽器が、今日ここカルメンで一堂に会したのです。

新垣さんはまず「繁盛節」でスタート。沖縄にはこういう時にぴったりの唄があるのですね。その度量の広さには驚きました。続いてヤマトの人たちにも知られている「19の春」「花」を披露。「19の春」では会場からデュエットの相手として、甲南大学の先生である胡金定先生が出演。終わった後、やんやの喝采を浴びました。

午後8時からは、エル・カルダモモの皆さんのフラメンコ。今年、なんといっても話題なのは、初めて男性バイレが出演してくれたことです。向山口真哉さん。とてもセクシーな踊りです。でも男性バイレは痩身であるほうが似合いますね。

このグルーポは、ユニットなので、今年三回目の出演となりますが、バイレの伊集院麻果さんと、ギターラの松井高嗣さんをのぞいて毎年変わります。今回のメンバーは、"エルパンチョ北野"に出演している人たちだとか。筆者は三年連続で、伊集院さんの踊りを観ていますが、一年たつごとに上達していることが分かります。また松井さんのギターも磨きがかかっていることも聞こえてきます。やはりフラメンコというのは、踊れば踊るほど凄みが増すものなのですな。芸事は鍛錬を忘れてはいけません。

エル・カルダモモの皆さんのリハーサルを見ていると、ギターラの人がステージマスターのような役割を果たしていることが分かります。「はい、ここで出てきて」と軽い指示をしています。これはちょうど奄美・沖永良部における琉舞のジュウテの役割に似ています。

さてさてフラメンコは今年も熱くもりあがり、盛況のうたに終わりました。参加していただいた皆さん、ありがとうございます。ただ、最近関西でフラメンコを踊れる小屋がどんどん少なくなってきているとのことです。寂しいことです。せっかくフラメンコの優秀なバイレたちが多いのに、発表の場が少ないというのは、残念なことです。カルメンは時々しかフラメンコをしませんが、関西のフラメンコ演奏者・舞踏家のみなさんの鍛錬の場として、また一人でも多くの人がフラメンコの魅力に接することが出来る場になれば、と思っています。
1443……11月14日(金)
去年とくらべて随分あたたかな11月ですが、ようやく冷え込んできました。

紅葉が進むと、落ち葉が大量に舞い落ち、その掃除も大変。冬になると山に食糧が少なくなるので、人間を小馬鹿にしているイノシシどもが、里に下りてきて、生ゴミをあさります。奄美や熊野でみた実物や剥製は痩せていてスマートなのに、東灘のイノシシたちは憎らしいほどに丸々と肥えています。大型犬を散歩させている人が、夜中にイノシシと遭遇するとどうなるのでしょう。犬というのは、もともと人間社会の番犬だったはず。闘ってほしいものです--と勝手なことを考えています。犬愛好者のみなさん、気にしないでください。そういえば、筆者の拙宅近くにペットショップが出来ました。

1442……11月13日(木)
いま執筆している原稿で行き詰まっています。

4枚ほどの分量なのですが、今回は書籍・資料を読み込んで書く、というものではなく、今までの思惟をまとめて言説としてまとめてみる、といったタイプなのです。考えてみると、原稿の完成なんてないんですね。あるのは締め切り。これを目指して原稿をまとめる。

いまはこの原稿に集中していますが、年内にすますべき校正、編集、執筆がいっぱいつまっていて、筆者の鬢にますます白髪が増えそうです。

1441……11月12日(水)
朝夕、少しずつ冷えてきました。昨晩、"連れ合い"は「さぶいさぶい」といいながら、石油ストーブをつけていました。

帰宅したら、次男が筆者のパソコンをいじっていることが多くなっています。放送部に所属しているためパソコンに触る機会が多いとか。ただし、それはWINDOWSマシーン。筆者の家は長男のPCもMACです。筆者はMACしか使えませんが次男は両刀使い。MAC派の姪っ子は職場でWINDOWSを動かしていますが、「WINは美しくない」と言いつつキーボードに向かっているのです。

FMわぃわぃの新しい運営スタッフは、映像・音楽制作を扱う仕事が多いために、MAC機を使いこなしています。OS9であるのが、筆者と作業環境が同じで、いままでFMわぃわぃスタッフとパソコンのことで共通の話題が少なかったことを比べると、風通しがよくなりました。

1440……11月11日(火)
日曜日の夜、カルメンの新しいスタッフを迎えてのささやかな歓迎会を持ちました。会場は「からす」という店。最近和風創作料理の店が隆盛です。カルメンの北裏にある「金魚」の同系列の店です。こうした店がいま若者がいく「飲み食べ系」のマジョリティーであると思われます。

特長を箇条書き風に列挙してみますと
(1)室内装飾が"和"ないしは、"ジャボネスク"を意識していて、いずれも凝っている。
(2)「個室」ないしは「半個室」をメインのコンセプトにしている。つまり他のグループとの混じり合いがないということで、自グループでの宴会の自足性が達成される。しかし店舗の有効利用ということを考えると、「個室」「半個室」展開は、収容人数の減少を意味するのでコスト高である。
(3)ホールスタッフは和風の衣裳(ユニフォーム)であることが多い。よく社員訓練されている。
(4)のみものは、少しだけ差別化されている。(つまり本格的ではないということ。種類もそう多くない)。例えば今流行っている焼酎専門店のように多種類から選択出来るコンセプトではなく、居酒屋と比べて、少しだけ凡庸ではないといったレベル。食べ物も、ドリンクも多くのものから選択出来る至福さを"売り"にしている。
(5)「和風創作」というジャンルでくくれるほどに、まずネーミング(料理の名前)が今までと差別化されている。つまり既存の食材を使っているが、産地名、調理方法(その意外性を含めて)を明示することによって、料理の名前自体に、以前より多くの情報を付加しようとしている。ある意味で情報を食べてもらおうというコンセプトなのだろう、といったところでしょうか。

1439……11月10日(月)
カルメンの定休日。

FMわぃわぃ「南の風」の放送時間が午後1時からになったので、番組準備のために、週一回の休日の月曜日にもかかわらず一番早起きして、音の編集作業をしています。今日は「奄美この50年を考えるシリーズ」第三回目として、沖永良部の復帰運動(二島分離反対運動)について特集しました。登場してもらったのは、平山里島さん(分離時代に沖永良部高校教諭)。

この島の復帰運動の担い手は、沖永良部高校の先生と生徒たち。ブラスバンドの演奏にのせて島内の各集落をまわり、復帰運動を鼓舞したり、奄美に置かれた国際的位置を知らせたようです。その宣伝隊を運んだのは、当時大山に駐留していた米軍レーダー基地所属のトラックだったというエピソードもあるのです。

帰宅後、午後6時から高砂市の曽根教会所属・元正章牧師と歓談。奄美のこと、宗教のこと、高砂という場所のこと、無二の親友との語り合いは尽きることはありません。家族と共に食事。食前に短い祈りを捧げます。
1438……11月9日(日)
衆議院選挙の投票と開票があわただしく進行します。

自民党・民主党が勝ったのか負けたのか判然としないヌエ的な状況の中で、公明党が勝ったことと、社民党と共産党の敗北だけがはっきりしていることです。なんでも「雨が降っている時は公明党が強い」というジンクスがあるらしく、60%に達しなかった低得票率とともに、公明党に有利な条件が揃ったようです。ここ数年、守りの選挙をしてきた同党が議席を増やしたことは画期的なことです。筆者は、与党になってからの公明党は全く評価しませんが、ここの選挙戦術の的確さと、議席増加を下支えした創価学会の献身的な運動には頭が下がります。

1437……11月8日(土)
来月、大阪で行われる筆者推薦の演劇をひとつ紹介します。

いまからちょうど100年前、大阪・天王寺で開かれた第5回内国勧業博覧会で、人類館という建物が出展されました。沖縄人、アイヌ民族、台湾先住民族などのブロックが設けられ、それぞれの出身人物が「陳列」されていたのです。この展示を知った沖縄の日刊紙である琉球新報が、誇り高き琉球・沖縄人を、アイヌ、台湾先住民族と同列に扱うとは何事か、とキャンペーンを張ったのです。のちに、「人類館事件」とまで呼称され、沖縄差別の典型例として語り続けられていました。これを劇にしたのが、知名正真氏で、1976年「劇団 創造」による講演は、1978年第22回岸田國士戯曲賞を受賞しています。

その「劇団 創造」による演劇「人類館」が、12月6日(土)、同7日(日)の二日間にわたって、大阪市浪速区の「リバティホール」(大阪人権博物館内)で公演されます。筆者は演劇そのものはまだ見ていないのですが、戯曲として読んでいます。読んでいるだけでも面白い内容になっています。残念ながら筆者は仕事中なので、観にいくことが出来ないのですが、日程であいている人は是非とも、筆者の分もたっぷりと鑑賞してきて下さい(チケット代は出ませんが)。

この劇を上演するよう努力したのが、熱血漢の金城馨さん(関西沖縄文庫代表)です。少し前に電話で話した時に「人類館が設置された場所も特定できた」と熱く語っていました。彼の執念がなければ、事件100年後の今年に上演されることはなかったでしょう。やはり一人の情熱がものごとを動かし、それが多くの人たちの感動を派生させるのです。

ちなみに、戯曲でみるかぎり、沖縄人の在り方を徹底追及した作品として、完成度が高いのです。一方、この「人類館事件」が持っているもうひとつの側面である、沖縄人がアイヌ、台湾先住民族と同列に列せられることを忌避したという沖縄人による「民族差別」という側面は触れられていません(この点はアイヌモシリのチカップ美恵子さんが、アイヌの立場から沖縄のとった行為を糾弾している)。しかし、触れられていないからといって、この戯曲「人類館」が作品としての価値が損なわれるかというと、全くそういうことはありません。

もし、日程と時間が合う人は、鑑賞されることをお薦めします。

チケットは、チケットぴあでも扱っています。また、「関西沖縄文庫」(電話06-6561-7173)、「大阪人権博物館」(電話06-6561-7173)でも扱っています。
公演は6日(土)開場午後6時、開演午後6時30分。7日(日)は2回。マチネは、午後1時開場、午後1時30分開演、2回目は、午後6時開場、午後6時30分開演です。チケット代は大人で前売り3000円、当日3500円、大学・高校生前売り2750円、当日3000円。

1436……11月7日(金)
お客様から「お釣りに新札をくれるのは神戸だけやな」と。なんでも大阪では、お釣りに新札はないとのこと。真偽のほどは確かめようはありません。ただ、カルメンは昔からお釣りは新札を使っています。いままでずっと1代目の美意識かとも思っていたのですが、お客様から「神戸だから」というパターン認識を示されますと、都市間の文化比較にも発展して考えることが出来るのかも知れません。

1435……11月6日(木)
4日の休みの日、近鉄・御所駅から神戸に帰るのに1000円以上かかるので、"Jスルー"カードを買いました。近鉄は、"スルっと関西"も両方使えるのです。

あべの橋駅から天王寺駅で乗り換え。環状線内回りに乗って、鶴橋駅で途中下車しました。以前、同駅前書店で見かけ、神戸の書店では置いていなかった詩人である宗秋月さんのエッセィ集を購入するためです(「思想の科学社」刊)。かつて地下鉄中央線・緑橋駅周辺でスナックを経営していた時に、詩人の作井満氏とその店を訪ねたことがあります。本の巻末にある著者略歴を見ると、現在病気療養中であるとのこと。一日も早い恢復を祈っています。

1434……11月5日(水)
昨日の読売新聞に亡命中のダライ・ラマ14世が、チベットに香港・マカオと同じ「一国二制度」を導入するよう訴えています。それによりますと、現在のチベット統治の決定権は殆ど中国政府が握っていて、チベット人の自治はないということ。ダライ・ラマ14世側が望んでいるのは、中国の嫌う独立ではなく高度な自治であるということ。かつてチベットは中国領土内における「一国二制度」的な高度の自治を歴史上経験していることなどを、その発想の根拠としてあげています。

中国、中国人に向かって帝国主義的膨張主義の傾向を指摘するほどいやがるものはありません。筆者は、親しい友人に向かっては「あなたたちの国は"中華人民共和国帝国"だ」と言っていますが、それは日本の状況/コンテクストを熟知している知日派の人だから通じる言葉であって、一般の中国人に向かっていえば、西安・西北大学における日本人留学生が行った寸劇に対するような大きな反発を呼ぶでしょう。

Japonもまたアジア周辺国家から、常に軍国主義復活の芽吹きを察知されている現状があり、そうした警戒心をJaponの人たちは、現実のものではないと即断しようとしています。これについて、Japonの人たちは外国という鏡像を常備しようとしません。

しかし例えば、帝国主義的膨張主義の傾向を指摘されている中国(人)から、北海道や沖縄の日本国化(内国植民地化)を指摘されればどう応えるでしょう。あれは明治以来の日本国の領土であると当然のように答えるでしょう。チベットでも清朝以来の領土なのだから外国(人)からとかく言われる筋合いはないと断言するでしょう。

こうして見てくると、チベット問題というのは、所属国家がどこであるかというのが決定的な問題ではなくて、チベットで人権が抑圧されている、チベット人による自治が抑圧されている、ということが問題だと言えるのです。さて、ダライ・ラマ14世の提案について、中南海はどう返答するのでしょう。それとも黙殺でしょうか。
1433……11月4日(火)
カルメンの休みの日。

昨日とうってかわっての晴天。筆者、休日にしては早く起きて、出発の準備をします。目的地は奈良県御所市。一言主神社に向かいます。

奈良というのは、近いようで遠い。特に、天王寺から乗り換える南大阪線は、神戸からでは遠く感じます。奈良へは目の前に立ちはだかる生駒/葛城山系を乗り越える時が一番スリリングで楽しい一瞬です。旅気分に浸れる至福の瞬間であるともいえます。

天王寺から近鉄急行で二つ目の尺土駅で、御所線に乗り換えて、ようやく御所に到着したのは、神戸を出発してすでに2時間たっていました。それからバスで15分。バス停を降りても標識なんてありません。東に仰ぐ葛城山系というのは、高いのですね。なだらかな六甲の山並みを見慣れている神戸の人間にとって、それは神々しくあり、かつ威圧的でもあります。まさに神の住まうトポスといったところです。

まあ、山に向かって歩けばつくだろうと思い、集落の中に分け入ります。大和の百姓家はどこも立派で、壁ではなく屋敷で四囲を囲んで建っていて、まるで大陸風です。大阪と近いところにありながら、御所あたりは通勤範囲ではないようで、古い集落がそのまま残っているのです。道が狭いために、行き交う車は殆どが軽四輪。道路端に農作物を天火干しにしているところもあります。

集落を何度か行き過ぎていると、「一言主神社」に向かう道標がやっと見つかり、時々にデシタルカメラで稲刈りの終わった田園風景を写しながら、ゆっくりと進みます。やがて松並木。参道らしくなってきました。

一言主は、かつて大和政権の前に大和地方の有力勢力であった葛城族の象徴とされています。葛城という地名は奈良以外にも散見することができます。たいてい山端に位置していて、先住民族の居住地と伝承されているところが多いようです。つまり以前はもっと平野の中心部に勢力があったのが、軍事的敗北によって、山端に追いやられたのでしょうか。

一言主というのは、当時の倭人と異なる言葉をしゃべっていたために、外国語である倭人語は殆どしゃべることが出来ず、隻言の状態であるために、数少ない倭語を象徴的に語るが故に名付けられたのでしょうか。

神社は思いの外、小社でした。少し小高い場所に位置して、箱庭的な奈良盆地が一望できます。そうか、一言主はここで大和政権に敗北し続ける民として、この歴史と情念が蓄積される一方の盆地を眺め続けていたのか。

社殿横には、「蜘蛛の石」というのがあります。謡曲や文楽などで有名な渡辺頼光に退治される糸をまき散らすあの大蜘蛛のことです。蜘蛛の正体がばれたときに、われこそが葛城に住む傀儡の者なりと宣言します。大和政権に弾圧された恨みが、怪物となって、大和政権の継承者に襲いかかるのです。

神社の背後は竹林が拡がっていて、小鳥たちのさえずりがやみません。閑かなところです。あべの橋駅で買った缶ビール2本とソーセージ入りパンを食べ、小鳥たちの泣き声を聞き、友人たちに、筆者がいまどうしてここにいるのかメール文を発信し、醜男だったという一言主神を想っていました。

雄略天皇の発する言葉を完ぺきに鸚鵡返しに発語した一言主神。反復することはどんな意味があったのでしょう。言語/存在の完全な鏡像になりきることで、征服された大和政権の中での延命を自己保存の原理として獲得したのでしょうか(その雄略天皇でさえ、それまでの天皇系譜からすると異系の王だっので、当時の反雄略天皇側からの異議申し立てを一言主神の言動に仮託させたのかもしれません)。

役小角に使役されて、期待していた役割を果たせずに、成敗されてしまった一言主神。大和国家ばかりではなく修験道のエスパーからも怠惰を処罰されたということになります。一方的に「語られ/処罰された側」であるところの一言主神。葛城の山端に依拠しつづけて千年以上。いまも閑かに、「語られる」側/場所に居住まっているひとで、存続し続けているのです。敗者はまた敗者ゆえに土地に呪縛される形で永続しつづけるのです。
1432……11月3日(月)
こんな沢山の人手、みたことがありません。

阪神優勝パレードを見るために、開始直前に三宮を歩いていた時のこと。センター街から南に行くことが出来ず、ユニクロ横を東に曲がってフラワーロードへ。そこも人でいっぱい。神戸祭りの時も、ルミナリエの初日/最終日の時もこんなに多くの人手は見たことがありません。いかに、関西/神戸の人たちが祝い事に飢えていたという証拠でしょう。震災後に見たオリックスの日本一凱旋パレードも筆者にとっては大きな刺激となっていますが(まだオリックス選手だった岡田次期阪神監督やイチローを車上で見た)、今回のパレード参加者はその数が違います。

パレード車は遠くで殆ど選手を識別できません。しかし「オマリーは背ぇ高いから見えたわ」などと人々の間に阪神の選手・コーチ陣の人名が浸透していることに驚きます。ひょっとしてこの阪神の大進撃で、自殺を思いとどまった人、延期しようと思った人もいるかもしれません。

筆者はフラワーロードで人混みにまみれていただけですが、姪っ子はパレード出発5分前に到着したのにもかかわらず元町に向かったために、ばっちりと選手たちの写真を撮っていました。なんという差でしょう。
1431……11月2日(日)
三連休の中日(なかび)。明日の阪神優勝パレードを見るたるもあるのでしょう。関西以外からのお客様もちらほらとおられたようです。

今日は、温度が上がったために、この季節にしては珍しく白ワインが何本か出ました。しかしビールがでるほどでもなく、ちょうど赤ワインと白ワインの潮目が混じっている、といった感じでしょうか。
1430……11月1日(土)
2003年も残すところあと二カ月。この日誌の読者の皆様にとっては、どのような10カ月だったのでしょう。これから残すところの二カ月で仕上げてしまわなくてはならない仕事のピッチをあげなくてはなりません。

姪っ子から、USB接続ですが、CD-R(W)機に焼きこむ機器を譲り受けました。これで筆者が奄美などで録音してきた島唄を、CDに焼き込むことができます。まずはMDで録音している貴重な音源をCDに焼き込むことから始めましょう。しかし、MDからパソコンにコンバートする時にもうひとつ機器が必要なのです。それさえあれば音楽系の編集は飛躍的に便利になります。
1429……10月31日(金)
太陽で大爆発があり、その巨大な電磁波が地球に届き、地球上のすべてのパソコンのデータが消えて、都市機能が麻痺して、日常生活は大混乱、電車は止まるわ、スーパーから商品は消え、近代的ビルのエアコンは使えず、高層ビルは階段を登り降り。一方、影響を受けなかったのは、土を相手にする農業、紙と鉛筆だけを使う詩人。政治家はウソがばれ、銀行は大群衆の略奪におびえ、官僚たちは「本日も前例通り、異常なし」と業務日誌に綴る。

な〜んて大袈裟なことになるのかと思っていたのですが、低緯度のオーロラも神戸でも見られると思っていたのが北海道どまり。パソコンは順調に動いているし、"連れ合い"はあいかわらず子ども達に「今晩中に明日の時間割をしてしまいなさい!」と言っているし、関西のおじさんたちは太陽よりも国政選挙よりも阪神が負けたことを一生懸命に忘れようとしているし、ゴミの日は火曜日と金曜日のままだし、官僚たちは「本日も前例通り、異常なし」と業務日誌に綴っているだろうし……

※(それから山梨などといったさらに低緯度の地域でも88年ぶりにオーロラが観測されていた)

1428……10月30日(木)
テレビ・新聞は選挙一色です。

先日、選挙権がある姪っ子と話していて、目が点になりました。彼女曰く「小泉改革を支持するために自民党に投票する」。

なんということでしょう。20歳前半の若者が、理由があるにせよ、自民党に投票するなんて!!  筆者は自民党がいままでやってきた犯罪的な政策の数々を思う時、とてもこの政党に一票を投じることなんて考えられません。筆者が選挙に行き始めたのは、30歳になってから。特定の支持政党はありません。ただ、自民党は嫌いです。かつて公明党シンパ的に投票したことがあることも告白しておきましょう。しかし公明党が与党になってからの余りの変節ぶりに驚きを越えて怒りを覚えます。だから公明党は見捨てました。

1427……10月29日(水)
A新聞のF編集委員が福岡から来神。

偶然、筆者はF編集委員の記事を読んでいて、切り抜いていたので、話が弾みました。西日本本社の学芸部に所属していて、意欲的な記事を書いている人です。筆者は、沖縄のKS氏に紹介されたとのことです。

昼、しばし歓談。F編集委員も奄美の復帰50年について考えてみたいとのことで、おそらく紙面に反映されるでしようから、楽しみです。やはり学芸部の記者氏と話すのは、刺激になります。
1426……10月28日(火)
気が付いてみれば、昨日で日本シリーズは終わっていました。

結果は4勝2敗でダイエーの勝ち。知人の葬式が入ったので、精神的に野球を受け入れる状態ではありませんでした。これで、おおいにもりあがった関西の都市風景も落ち着きを取り戻すでしょう。怖いのは盛り上がった反動です。その傾向はすでに現れていて、三宮周辺を歩いている人の数が少ないように思えます。

タイガースの次期監督は岡田だそうです。45歳。筆者より若い監督が誕生することになります。

年齢のことを書きましたが、中曽根康弘元首相(85歳)が引退に追い込まれたニュースが連日マスコミを賑わかせています。85歳からみれば、50歳60歳は洟(はな)垂れ小僧ということになるのでしょう。そうするさ48歳の筆者はどうなるのでしょう。そうか、筆者はまだ子供か、と妙に納得した時、ああ筆者の今の年齢なんて、年をとったなんて言えないんだと感心したのです。そうです。高齢化社会の中にあって48歳なんでまだまだ子供なのです。そう考えると、気持ちがすぅ〜と軽くなります。

1425……10月27日(月)
カルメンの定休日。

FMわぃわぃ「南の風」の番組が午後1時開始となったので、生活習慣を替えました。日曜の夜から月曜の朝にかけて夜更かししていたのを改め、早く寝ることにして、月曜日は午前7時に起床。番組の準備にとりかかります。今日の放送も、インタビューの編集があったために、時間がかかりました。「奄美この50年を考える」の第二回目として名瀬市在住の写真家で映像作家の越間誠氏へのインタビューを放送したのです。

越間氏は、ここ数年名瀬に寄ると必ず会うようにしている人で、筆者が信頼している人です。映像ばかりではなく、奄美についての根元的な話や分析が出来る人なのです。

今日の放送で、チーフディレクターの野村昭彦氏とはお別れ。次に約束があったので、挨拶もそこそこに局を離れました。

次に向かったところは東灘区の葬儀会場。知人の詩人の告別式です。ロルカ詩祭にも参加した女性です。25日(土)遅く、自死されました。

告別式は、ちょうど番組の時間と重なったので参加できなかったのですが、シンプルな祭壇と関係者だけの参列。筆者が到着すると、知人たち(富哲世氏、福田知子さん、御着ゆかりさん)がちょうど会場から出てきたところだったので、死に到る経緯を聞くことが出来ました。

なんとも痛ましいことです。筆者はこの詩人の作品が好きだっただけに、今後この女性の作品が読めないかと思うと断腸の思いです。また、自死を止められなかった無念が重たくのしかかります。最期にメールを交換したのは、9月26日。表現を続けることによって治癒されていくものと信じていただけに、自死という選択は、残された者に大きすぎる荷物となりました。

骨挙げの後、居酒屋に集まったわれわれは尽きることなく、この死の意味について、涙を交えながら、探っていたのです。
1424……10月26日(日)
ある小冊子の編集の一段階を終了。プリントアウトして、三校目に入っています。一段落ついたのでパソコンを置いてある拙宅の仕事部屋を片づけていると、関連書籍・資料を「発見」。あやや、これを執筆中に見ていたら、変わっていたのにと急いでページをめくりました。えてしてこういうことなのですね。終わった後から出てくるものなのです。まあ校正途中なので良しということにしましょう。

いま進めている小冊子、二校では36ページだったのが、ページ数が増えて50ページとなりさらにもう少しページ数が増えそうです。また、完成してもこれを第一版とするので、さらにページ数が増える可能性が高いのです。でも今年中に完成して関係者に配りたいものです。

1423……10月25日(土)
一代目にカルメン創業当時(1956年/昭和31)から残っているメニューを聞いてみました。正確ではないかもしれないけど、という前提であげたのは以下の9品です。

(1)白身魚のカクテル(メルルーサのエスカベッチェ。カクテルグラスに盛っている):現行価格\700
(2)ソーパ デ アホ コン ウェボ(マドリー風ガーリック入り卵スープ)\800
(3)魚貝入りサフランスープ(サフランの芳ばしい香りが素敵)\900
(4)ミックスミートのコンビネーションサラダ(かつてはコールドミートのミックスサラダという名前。豚肉・鶏肉で作った逸品)\1100
(5)フラメンカ・エッグ(おなじみのカルメンを代表する卵料理)\900
(6)若鶏のトマトソース(かつてはスパニッシュ・チキンという名前でした)\1600
(7)チキンレバーの黄金焼き(チキンのレバーとドミソースをからめたもの)\1500
(8)パエリア(ただし創業当時は、パエジャラ・パンではなく、サフランライスとして)2人前\3000
(9)あさり入り漁夫風スパゲティ(トマトソースで作ったパスタ料理)\1200

さてこの品揃えはカルメンのオールドファンにとってはたまらないラインナップでしょうね。
1422……10月24日(金)
チーフと冬の季節メニューについての打ち合わせ。

スペイン料理というのは、この日誌で何度も強調していますが、秋冬の季節料理が豊富なのです。なので、スペイン料理店経営者としては、この時期が到来するのは嬉しい限りなのです。

冬のメニューとして帰ってくるのは、(1)ファバーダ(2)カジョス(前季よりバージョンアップします)(3)かきのグラタン。いずれも帰ってくるほどの料理なので、人気商品です。新作は(1)エスカルゴのアリオリソース焼き(2)エスカルゴのAjillo(3)まぐろのトマトソース・バルサミコ風の3品です。

冬のメニューは、木枯らしが吹いて、カキで出回る11月ごろ。「ああ寒むなってきたなあ」と筆者が思った時に、導入します。もちろんそれまでは現今の秋の季節メニューをお楽しみください。今その中でイチオシなのが、イベリコ産チュリソーと砂ズリ、キノコのソテー(\1000)です。またいまスペイン料理界を席巻しているピンチョスの盛り合わせを始めました(\1000)。いずれも好評なのです。
1421……10月23日(木)
朝夕が冷えてきました。

中学校に続いて高校が中間テストの真っ最中です。家の中がピリピリしています。甲子園球場では、日本シリーズが行われています。なにせ18年ぶりですから、世代がまるごと二つ三つ抜けています。特に10代の若者たちにとっては、タイガースは物心ついて初めての日本シリーズ進出です。高校生にとっても試験の最中なので野球どころではないようです。

でも、昨日のニュースを騒がした27歳主婦の愛人も高校三年生。主婦の家に入り浸っていたのでしょうか。その女性の4歳のいたいけな幼児を虐待死させてしまいました。絶句です。その幼児、お母さんと一緒に寝たかったそうです。心が締め付けられます。保育所は虐待の事実を把握して児童相談所に連絡していたそうですが、母親と面談する必要なしと判断して、結果この惨事となったのです。テレビニュースでお役人らしく多くの資料を持参しての記者会見。それも多人数での会見です。いかにも自分たちの仕事の怠慢を証明しているようです。

1420……10月22日(水)
11月15日(土)に行われる「カルメン創業祭」に出演してくれる沖縄出身の唄者・新垣優子さんが、打ち合わせのために来店。筆者とは、FMわぃわぃ「南の風」のDJ仲間なのですが、出演依頼するのは初めて。当日は30分ほど歌ってもらう予定にしています。

ところが、残念なことに、来年3月をもって長崎・五島列島に引っ越すということです。それまでの短い期間となってしまいましたが、カルメンで唄ってもらう機会を作ることができました。

今年の「創業祭」は一部沖縄の島唄、二部はフラメンコと、贅沢な内容ですぞ。御予約は早めにどうぞ(詳細は、カルメン表紙サイトをご覧ください)。

1419……10月21日(火)
朝から雨。

夜、1代目の体験話を聴聞するため、5人の文学研究者が集結しました。
久坂葉子を最後に目撃した貴重な証人として、これまで何度か注目されましたが、今年11月に新たな「久坂葉子全集」(全3巻、鼎〈かなえ〉書房刊)が刊行されるとのことで、その編集総責任者の佐藤和夫氏(神戸親和大学)が訪れたのです。

死後50年以上たっても全集が再編集されるということは、この作家が相変わらず人を引きつける魅力があるということです。
1418……10月20日(月)
カルメンの定休日。

あしかけ8年目に突入したFMわぃわぃ「南の風」、筆者は奄美篇を担当していますが、17日から大幅な番組編成が行われ、番組が午後1時からの55分間番組となりました。また再放送は土曜日午後6時からに変更されます。この改変によって、多くの番組が来年3月まで姿を消していく中で、「南の風」は多くの皆さんのご理解と声援を受けまして、引き続き放送することが出来ました。

番組時間変更後の第一回目として、「奄美この50年を考える」シリーズを放送。名瀬市在住の大津幸夫さんにインタビューした内容を中心に番組構成。復帰運動のこと、米軍時代を振り返って、琉球大学奄美分校のこと、奄振のことなど多岐にわたって話していただいたのです。12月25日の奄美復帰50周年に向けてしばらくこのシリーズを続けます。

番組が午後1時スタートなので、終了したのは、午後2時。まだ陽は高く、ビールをひっかけるというわけにはいかず、まっすぐJRに乗って帰宅しました。来年3月までこの構成になるのですが、今回は120分ほどのインタビューを聞いてまとめる作業があったために、番組編集に時間がかかりました。早朝7時に起床してからの準備でした。
1417……10月19日(日)
K夫婦が来店。いま筆者が薦めている赤ワインは、Revera del Duero 99cosecha の赤ワインcrianza "Toremitanos"です。99年のRevera del Dueroのヴィンテージ・チャートは、"Excelent"、つまり最高評価です。 "Excelent" の年にしか出ない卓越した味わいがすでにこのワインから香り立っています。ワインを呑み慣れている人ほど絶賛する内容です。筆者は自分が美味しいと思うワインは価格を抑えて注文しやすいようにします。つまり"幸せ" を低価格でお裾分けしようと思っているのです。750ml  3500円。 

さて、K氏は沖縄に帰るためにリムジンバスに乗り、Kさんとは「神戸文化批判」についてトーキング。 
1416……10月18日(土)
昭和20年代に神戸にあった文化サロンである「へちま倶楽部」についての続報です。

一代目から聞いたところによりますと、「へちまくらぶ」というひらかなの名前だったそうです。会場となった西村旅館は、海岸通から中突堤へ向かうロータリーに面していました(中央に噴水がありました)。戦前、ここは中突堤から南米などへ移民として渡る人のための旅館が並んでいたようです。それが空襲によって西村旅館の本館が焼失。隣接していた別館(他の業者に経営委託していた)が無事だったので戦後ここで営業を始め、「へちまくらぶ」の会場となりました。

主宰者は西村旅館の西村貫一氏。ちなみに貫一氏には二人の息子がいて、長男は写真についての特許を持っていて、後に甲南カメラを創業。この会社は多くのカメラメーカーの心臓部を造っている優良メーカーです(工場は西宮の浜にあります)。この長男氏の夫人が小泉製麻の令嬢だとか。次男はシャングリアという西洋レストランを戦後すぐの時期に経営していたが、「奢侈禁止例」(?)によって廃業、カルメンの前身である「サロンみなと」に半年ほど働いていたことがあるとのことです。

さて、その「へちまくらぶ」ですが、一代目は昭和21〜24年の期間通っていたようです。この時期、一代目は元町五丁目で「やまと旅館」の経営に携わっていたので、同業の西村旅館の文化的事業に参加したのがキッカケです。会は貫一氏が司会・進行をして、各界で活躍している人を講師で呼んできました。例えば、望月信成(仏教学者/焼失した法隆寺の壁画の話など)、木原均(大阪大学・生物学、中国雲南省にてそれまで幻の存在といわれたメタセコイアの現物を"発見"。昭和天皇にもその苗を献上したという話など)といった人が記憶に残っているようです。

会はそのほかにも、英会話の教室や、「カレーを食べる会」というのもあったようです。この時にスタッフとして来ていた人に、永年住友生命で営業をしていた藤波さんという女性がいます。また同くらぶが発行するメディアに「金曜」がありました。一代目は現物を持っていませんが、表紙は小磯良平だったのではないかとの話です。この雑誌、いつまで続いていたかは未確認ですが、同くらぶの経済的後見人というべき増田製粉の増田五朗社長や、岸本産業の社長らは大部数を購入したようです。ちなみにこの「金曜」の誌名の語源は「金曜は受難の日である」(イエスが最後の晩餐会が金曜日であったことに起因するのか)から付けられたそうです。

「へちまくらぶ」の由来は、「世の中はなんのへちまと思えどもぶらりとしてはくらされもせず」といった江戸時代の狂歌に由来するそうです。一代目が同くらぶでよくみかけたのは詩人の竹中郁、後に桂米朝も顔を出していたようです。クリスマスパーティ で、竹中は、「これは椎の実のドングリです」と一人に二つずつ渡したこともあったようです。

この「へちまくらぶ」について、筆者は昔から一代目から聞き及んでいましたが、関わった人たちによる文章化の存在、または「金曜」の実物などこれから検証していくことはたくさんありますが、昭和20年代に存在した神戸文化の華というべき存在です。
1415……10月17日(金)
就寝する前、つまりパソコンをシステム終了する直前、その日インターネットにつないでいたら、「朝日新聞」とYahooのサイトを見て、臨時ニュースがないかどうか確認します。ワールドニュースのネット配信は、CNNニュースよりは遅いのですが、朝は新聞しか読まないので、ネットをのぞきにいきます。

午前2時30分、一瞬目を疑いました。星野仙一・阪神監督、健康上の理由で、今期限りで退任--とあります。来期も当然監督職にいるものだと信じていただけにショックです。

筆者の個人的な好みとしては、いつの日にか掛布雅之・阪神監督vs江川卓巨人監督の対決を望んでいるのです。この二人は、筆者と同世代。そろそろ40代後半にさしかかっているので、監督に就任しても不思議ではありません。(広島前監督の達川・現阪神バッテリーコーチも同世代で、すでに監督を経験しています)。

しかし、風評によると、掛布は阪神の監督になれないというのが、不文律として確立しているらしく、江川ともども一生三枚目的タレント業をするしかないのか、とも思っています。いっそのこと、掛布の出身地千葉をフランチャイズにしているロッテに入って、江川監督、掛布ヘッドという両頭体制をとったらどうでしょう。注目度は断然高くなります。どうせ今の状況なら二人とも古巣のユニフォームを着れないのですから、現場に帰って実績を積むほうがいいのではないでしょうか。

阪神の次期監督と目されている岡田は、一度も解説者をすることなく(たぶん)、選手、コーチ、二軍監督と現場を離れずに、はい上がってきました。岡田だって阪神を首になり、オリックスに移籍しましたが、筆者が見たオリックス時代の岡田なんて腰がひけて見れたものではありませんでした。そういう意味では、掛布も江川も愚直なまでに、阪神/巨人のユニフォームに固執しすぎているのかもしれません。

1414……10月16日(木)
「今や日本を救う道は、日本人が日本人たりうる道は、マイノリティーの知恵を借りることでしかないと、ぼくは言い切ります」。

二日前に読み終わった趙博著『ぼくは在日関西人--歌う浪速の巨人』の一節です(p58)。「日本人がマジョリティーとしてそのまま開き直るかぎりは、マジョリティーの「プライド」をまたどこかで探さなくてはならない」との続く表現も、心を打ちます。筆者も日本人という日本の中にあってのマジョリティーの一員なのですが、日本人がマイノリティーを排斥し続けて作った日本の社会が行き詰まり、窮屈になってしまった現状を見るとき、この趙博氏の在日というエスニシティーからの発言は有効ではないかと思っているのです。

 もっと見つめ見つめられて
 もっと伝え伝えられて 
 もっと教え教えられて
 もっと触れて触れられて 
 もっと感じ感じられて 
 もっと抱き抱かれて
 もっと愛し愛されて
 山も河も海も
 越えてゆく     (趙博「彼処此処(おちこち)」より引用)

いい詩/表現ですね。

1413……10月15日(水)
昨日、鶴橋でキムチを買ったついでに、かつてよく通っていた駅横の「高坂書店」を覗きました。すると面白いですね。こうした駅前書店には珍しく独自の企画棚がしつらえてあり、在日関係の本が並んでいました。所持金があまり多くなかったので、一冊しか買えませんでした(本当は詩人の宋秋月さんのエッセィ集もほしかった)。

趙博(チョウ・パク)著『ぼくは在日関西人--歌う浪速の巨人』(解放出版社)。書店には「鶴橋が生んだビックスター」といった文句が書棚に張ってありました。まさにご当地出身ですね。またそれが鶴橋に合うのです(宋秋月さんもそうですけど)。趙博氏はFMわぃわぃの同じDJ仲間。著者略歴をみると、年上と思いこんでいたのが、ひとつ年下。同世代です。筆者は一浪していますから、全く同じ年に大学入学をしたというわけです。読み始めるととまらない。実に面白い本です。「在日」「碧眼」を背負って生きていながら、なんともパワフルな生き方です。同世代の筆者にはとうてい書けない内容です。

神戸外大ロシア語学科、関西大学大学院を出たインテリなのですが、現在予備校の英語教師をしながら音楽活動をしているのは、読者の皆さんもよくご存じだと思います。なにせ同世代なので、趙博さんが聞いた音楽、読んだ本に多くの共通点があり、読んでいて、共感するところしきりなのです。

実をいうと、趙博さんにこのカルメンで演奏してもらおうと思って、虎視眈々と狙っているのです。筆者は趙博さんのような音楽スタイルが大好きなのです。

1412……10月14日(火)
カルメン、休みです。

せっかくなので司馬遼太郎文学記念館へ。しかし代休で休み。わざわざホームページでチェックした上で東大阪市まで行ったのになんということ。仕方ないのですごすごと引き返し、鶴橋で途中下車。いきつけのキムチ屋へ。白菜、大根、ごまの葉を一袋ずつ購入。実は考えてみると、筆者、しばらく鶴橋で働いていたことがあるのです。あの迷路のような鶴橋商店街は慣れたもので迷うことはなかったのですが、今日は大いに迷いました。まず東西南北が分からない。しばらく迷った末に、いつもの店に到着するという始末です。でも気になるのは、筆者が鶴橋で働いていたのは、1980年代、まだバブルの真っ最中で、活気があったのですが、商店街でシャッターが閉まっているところが多く、10年以上のタイムラグを感じたのです。

1411……10月13日(月)
貯まっていたメールを朝にチェック。

昨晩、沖縄からのお客さんとK先生とカルメンが終わった後に痛飲。2時間半という決して長い時間ではなかったのですが、二日酔い。生ビール2杯と、黒糖焼酎お湯割り4杯だけなのですが酔っぱらってしまいました。このK先生とは、神戸で定期的に呑んでいます。

午後1時から、尼崎杭瀬でウタアシビの会があるので録音機とマイクスタンドを持って参加。若林英樹さんという若手の唄者を中心とした会で、唄者の勝島伊都子さんが企画したものです。「朝花節」「嘉徳なべ加那節」「いそかな節」「塩道長浜節」の四曲を録音したのです。男性ながら8というピッチで歌うとすごさ。裏声がきれいに伸び上がり、すでに"なつかしつさ"を感じることができます。

午後4時からFMわぃわぃ「南の風」の生放送。月曜日が祝日の場合、筆者は放送担当から外れるのですが、今回はこの時間帯で放送されるのが最終回となるために、筆者がDJを受け持ったのです。昼に録音した若林さんの「嘉徳なべ加那節」を放送しました。放送終了後、筆者はカルメンへ。

1410……10月12日(日)
昼、一代目が神戸市立小磯良平美術館に出向いていきました。一代目がまだ20歳すぎた頃に存在していた"へちま(糸瓜)倶楽部"のことについて、学芸員から聞きたいとのことで、インタビューされに行ったのです。中突堤に向かうロータリーにかつてあった旅館で月に一回程度集まっていた文化サロンで、小磯良平や、詩人の竹中郁なども参加していたようです。ちょうど50年前でしょうか。神戸の文化を担っていた文化人、芸術家たちが自由に意見交換していたんでしょうね。この都市の文化を考える時、筆者の世代でやるべきことはたくさんあるわけなので、ちゃんと一つずつ実践していきたいと思っています。一代目が参加した"へちま倶楽部"もまた神戸文化の大いなる遺産というべきでしょう。

1409……10月11日(土)
やっと、原稿を書き上げました。

メールとファックス、さらにプリントアウトしたものとフロッピーに入れたものを封筒にいれるという何重にもセキュリティーを重ねた方法で送稿しました。出来上がったのが日にちが代わった午前1時半。封筒を郵便ポストに入れて完了。いつも通り慣れている道ですが、この時間、電車もすべて終わっているので、通りは誰一人通っていなくて、街灯はこうこうとついているのですが、まるでゴーストタウンを歩いているよう。聞こえてくるのは、自分の足音だけ。何度か後ろを振り返ってしまいました。

帰宅後、使った資料や山と積まれた参考文献を片づけ。書いている時は、脱稿するのに精一杯ですが、脱稿後は目的を失った喪失感がすぐ襲ってくるものなのですね。

昼、甲南大学で行われた研究発表会に参加。沖縄の芸能集団「京太郎(チョンダラー)」の研究や、近世における幕藩体制の海外情報摂取の琉球国チャンネルなどの発表を面白く聞きました。
1408……10月10日(金)
明日から「神戸ジャズストリート」。

デキシーが多いので、筆者の好みと少し違うのですが、神戸・北野周辺がジャズ一色になるのは素晴らしいことです。カルメンも会場にしていいと思っています。カルメンに合うジャズって何でしよう。ラテンジャズ、サルサバンド、スティールパン、ボサノババンド。筆者の好みではアヴァンギャルド。でもこのジャンルのプレーヤーって現在いるのでしょうか。ヴォーカルも合いそうです。ピアノがないので、ギター、ドラム、ベースのトリオがバックとなるでしょう。いつの日にか、実現してみたいものです。

1407……10月9日(木)
FMわぃわぃのことです。

今月17日の新クルー開始から大幅に番組編成が変わります。
既存の番組が一旦すべてなくなり、平日の生番組は昼の一時間のみ。夜の多言語放送番組はあらかじめ録音されたもの。土日にかぎっては、生番組が若干増えます。

7年続いた「南の風」もこの方針によって、一旦番組がなくなりますが、例外的にいくつか継続される番組があり、どうやらそのうちの一つとなるようです。ただし放送時間はいままでの午後4時スタートではなくて、午後1時からになります。

筆者が番組継続を受け入れたのも、今年が奄美復帰50年にあたる年で、是非12月25日に向けてさまざまな角度から、この件について放送したいと思っていたためです。それに去年から続く島唄ブームで音源もたまっています。

今回の番組改訂で残念なことは、FMわぃわぃの常駐プロデューサーである二人が退職するということです。これは経営環境の悪化のためであり、筆者としても断腸の思いです。特に「南の風」は、チーフ・プロデューサーが始め、以降二人で育てていいった経緯があるだけに残念です。
1406……10月8日(水)
9月末で閉店してしまった隣の"がんこ"。関係者とみられる人が時々店舗に入っていきますが、本格的に撤去作業を開始するまでに到っていません。外装・内装ともに大幅に替えてそう何年もたっていないだけに、その投資費用が回収されないままというのは、たいへんなことでしょう。次のテナントが決まっているなら、まだ美装の店舗を使うという手もあります。なにしろ、脱店時にスケルトンに返すというのがだいたいのルールなのですが、解体工事だけでも安くできるものではありません。次のテナントも12月開店を目指そうと思えば、店づくりのコンセプトや改装など急がなくてはなりません。
1405……10月7日(火)
すずめが拙宅の庭で死んでいます。

鳥そのものにアレルギーを持っている"連れ合い"。きっと前世は鳥だったか、鳥をいじめたのに違いありません。小さなすずめという生命。時々、われらが狭き庭を臨終の地に選びます。発見して数日後に処理すると、なんと驚きです。周囲から参集したさまざまな虫、微生物たちが、屍体を解体・分解しているのです。筆者が今朝処理した雀もおおかた分解作業が終わり、あと数日で姿も形もなくなってしまうだろう「土に帰る」状態だったのです。自然とは偉大なものです。これほど狭い空間でも死を超える生の循環のサイクルが動いているのです。考えてみると、本来人間もこうして自然に「土に帰っていく」ものなのでしょうね。

死のドラマはない、すべてあるのは生のドラマである、と感心しながら処理していました。"連れ合い"にはこの感動は分かりますまい。

1404……10月6日(月)
カルメンの定休日。

ダイエーの優勝記念セールが行われているため、筆者と"連れ合い"の二人で、三宮店に買い物に行きました。ボロボロになっている運動靴、一着もない上下揃いのスーツなどの買い換えを中心にいくつか買いそろえました。3年前の優勝の時に買った革靴をいまでも大切に使っています。

買い物とは疲れるものです。自分の買い物以外にも、相手の買い物にもつき合わなくてはなりません。午前中から出かけたのですが、帰ってきたのは午後3時前。軽く食事をした後、長い昼寝をしました。

1403……10月5日(日)
息子が毎月講読している「NEWTON」を、買いにジュンク堂書店へ。今月号は「恐竜特集」。小さい男の子たちには、いつの時代もこの恐竜が大人気です。マメンチサウルスのような巨大な恐竜がノシノシとこの同じ地球を闊歩していたというのですから、驚き以外のなにものでもありません。あのティラノサウルスやアノサウルスが今生きていたら大変でしょうね。
1402……10月4日(土)
新開地の神戸アートビレッジセンターへ。

KHさんに面会。頼んでいたテープダビングを貰いに行きます。KHさん、来週は山形で行われるドキュメンタリー映画祭に6日間出席するとのこと。羨ましい限りです。

今年の同映画祭は「沖縄特集」。来年、同センターでも「沖縄特集」をするというので、そうしたら、「奄美映像特集」も入れましょう、と筆者が提案。これがうまくいくと面白い企画になりそうです。奄美をテーマにした映像が一カ所に集中するいい機会です。
1401……10月3日(金)
オイオイと呼んではいけません。OIOIと書いて「マルイ」と呼ぶそうです。三宮の駅前に今日オープンしました。若者向けらしく東京地方では有名です。事前にチラシを配っていましたが"おじさん"である筆者にはくれなかったので「ああ、関係のない店」と思って、興味がわきません。どんな商品が並んでいるかというより、筆者の周辺の若い人たちの反応をみてみることにしましょう。その反応で、マルイのマーケティングがうまくいっているどうか評価できるのです。

神戸は不景気で街全体に元気がないのですが、三宮周辺は専門学校が集中しているせいなのか、若者が多いということです。都市力を考える時、若者が多いというのは、時代を継ぐ、あるいは新しい文化を創造する可能態として、期待がもてます。