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800-2月1日(金)
朝日新聞夕刊に詩誌『灌木』が廃刊になるとの記事が載っていました発行人は高橋徹氏。徹底した日常詠の試作品を書き続けた人で、月刊を永年にわたって続けていました。しかし、高橋氏の高齢と、後継者がいないため、廃刊を決意したようです。詩の同人誌は、俳句・短歌のような"結社"組織とは少し色合いが異なるために、主宰者に代わる妻や子ども達、あるいは高弟が継ぐといったパターンは少ないようです。困っているのは、同人の人たちで、これまでコツコツと毎月、詩を寄せてきた人たちが来月から急に発表媒体がなくなるといっても困惑するばかりでしょう。
799-1月31日(木)
シェフの倉谷和久が、神戸市立千代ヶ丘小学校に出向いていきました。小学校5.6年生にスペイン料理を教えるという授業があるらしく、5名の子ども達が参加してくれました。みんなと一緒に作ったのは、パエリアとスペイン風オムレツ。子ども用に切れない包丁を使ったりとか、慣れない料理で予測できないところで時間がかかったりとかを、苦労もあったようです。でも、小学生の時にスペイン料理を作るなんて、スゴイ。実習に参加してくれた5名の中から、将来、カルメンのシェフになる人がいるかも知れませんぞ。
798-1月30日(水)
近頃、神戸空港の旗色がよくありません。大田房江大阪府知事が、神戸空港不要説を唱えています。自分の行政区以外の事案について"越境発言"するなど、官僚出身らしくないと思っていたら、何のことはない、地元・関西新国際空港の二期工事に国が予算を付けないかもしれないという危機にみまわれているために、神戸空港建設にまわす建設費を削減することを言い出したのでしょう。
さらに扇千景国交相も不要説に賛意を示すなど、足許から、そして東京から、神戸空港を挟撃しています。一方の地元側。これが悪いことに、兵庫県知事、神戸市長ともども去年当選したばかりのペエペエ首長です。それが大田府知事という少しだけペエペエ首長の先輩に大口をたたかれているわけですから、バカにされたものです。もし、ベテランの貝原俊民県知事が在籍していたら、こういう発言はされなかったでしよう。
それにしても、新人県知事・市長からの反論はでないのでしょうか。たとえ、神戸空港を震災復興の必要不可欠な事業と兵庫県が主張したとしても、現知事が震災の時は、神戸にいなかったのですから、迫力不足は否めません。兵庫県出身であると言っても、中央官僚出身を知事に据えてきた県政のツケがここにもほころび出ています。
しかし、問題は神戸空港の地元住民の意向です。たとえ、ここで神戸空港が建設中止になったとしても、大きなショックはないのではないでしょうか。といいますのは、空港建設の是非を巡って、住民の意思を反映させることが出来た住民投票を行政と議会(ともに神戸市)が実施しなかったために、この事案に関しては、あくまで行政サイトの一人芝居に終始しているためです。
797-1月29日(火)
今年もやってきました。敏感なほうではないのですが、センサーだけはしっかりと働きます。
杉花粉です。
2月、3月の本格的シーズンを目の前にして、少量ではありますが、飛来してきているようです。近年は"連れ合い"の方が厳しく症状が出るために、医者からもらってくる薬を分けてもらっていたのです。筆者もひどくはないとはいえ、やはりピーク時は、薬がないとちょっとシンドイ。花粉症というのは、現代人に課せられた春を迎えるために、"咽"頭試問のようですねえ。
796-1月28日(月)
カルメンの定休日。FMわぃわぃ「南の風」の番組はダブルヘッダーで届けました。
1回目の午後4時からの放送は、奄美紀行の総括。ゲストに高嶋正晴氏と、福田知子さんに来ていただき、出版フォーラムと座談会についての印象を語ってもらいました。そして2回目。午後7時からの放送では、徳之島・亀津出身の俳人である亘余世夫さんをゲストに呼び、この番組出演のために新しく作ってくれた俳句10句を披露しながら、番組をすすめました。亘さんは"余世夫"という名を俳号にしているように、クリスチャンです。そこで、筆者の畏友である元正章氏にも番組に参加してもらいました。元氏は50さいての過ぎてから、関学神学部大学院に進んだ人です。亘さんにさいては、またあらためて別稿にて紹介するつもりです。
番組終了後、4時から組と7時から組とが合流して、いつも行く鷹取の奄美料理店「うたげ」へ。ところが、店が閉まっていて、なにかイヤな予感。せっかく黒糖焼酎が飲めると思っていたのに、板宿に向かい、そこでみつけた居酒屋に入って盛り上がっていました。
795-1月27日(日)
また風邪気味です。どうしたのでしょう。奄美から帰ってきて疲れが出たのでしょうか。それともまだ原稿が出来ていないから、身体がイライラして「休みたい」との信号をだしているのでしょうか。それとも連載コラム(奄美の日刊新聞に隔月で連載しているのです)が書けないので、旅行から続く緊張感が溶けないまま、身体のほうが先に参ってしまったのでしょうか。
794-1月26日(土)
拙宅に帰れば、受験生(高校受験)がいるので、家の中がピリピリしています。たいてて自分の部屋にこもっているのですが、"連れ合い"は、夜食を作ったり、近づく試験本番のために、夜型をやめさせて、朝型に換えさせるために、早めに起こしたりと、家庭内が総受験体制に入っています。2月3月にならないと、安堵できません。793-1月25日(金)
寒いけれど、雪は降らない。今年の冬はこんな感じです。去年の方がよく雪が降ったと思います。
筆者が寝ている部屋は、周囲が隣家に近接しているために、特に冬は日照時間が少なく、冷えます。特に朝は上の階と較べて、2度ほど違うようです。床に入る時は11度になっている時もあります。筆者は寒さにも弱いほうです。「書斎」にあたる本置き場はさすがに寒いので、ガスストーブを使っています。まだ1月。2月という時期を通過しなければ、春は近づきません。"連れ合い"は、「雪がみたい」とブツブツ言ってます。
792-1月24日(木)
今日からカルメン、営業開始です。やはり、神戸は寒いですね。
奄美が寒いといってもマフラーが要るというわけではありません。またズボン下も不要でした。風(北風=ニシ)が強いものの、室内は暖房器具はありません。真冬でこうなのですから、やはり違うのですね。
791-1月23日(水)
旅行最終日。朝、われわれのために鹿児島から船で帰ってきてくれた得本さんが宿に来ていただき、再び島内を一周。喜界のさまざまな面を知ることが出来たのです。昼は夫人と丸山牧師、得本夫婦も交えて、戸外で昼食会。
そして最後は大島経由で伊丹空港へ帰り着き、そこで川村氏と別れ、三泊四日の旅は終了したのです。
790-1月22日(火)
昨夜の議論の余韻が残ったまま、筆者は川村湊氏と福田知子さんとともに喜界島へ渡りました。迎えてくれたのは、喜界町役場に勤める得本拓氏の夫人。車で島内を一周して案内してくれ、便宜を図ってくれたのです。午後8時からは、上嘉鉄集落にて、八月踊りの収録。集落の23人にも及ぶ人たちが、参加してくれました。これはFMわぃわぃ「南の風」の番組用に収録したものです。その後は、村の青年団の人たちと一緒に、カラオケハウスにて、宴会。多くの人にお世話になりました。
789-1月21日(月)
カルメン、本日から休みとなりますが、筆者は奄美大島にいます。午前中は、筆者の希望で、ノロ墓を見学。およそ400年前から存在されるといわれています。つまり琉球王府が奄美を占領してシャーマンをノロと名付けたその前からの巫女たちも葬られているのです。地上に露出している石棺は、すぐ隣のガジュマルの根に大きく抱かれるようにしてあり、その周辺は聖地という表現がぴったりの神々しさが漂う場所です。これぞ奄美といった素晴らしい場所でした。
午後2時からは再び、名瀬中央公民館で『キョラ』7号用の座談会。筆者が司会を務めます。終了したのは、5時すぎ。その後は、「かずみ」へ。呑み会が始まり、日が変わっても呑み続け、黒糖焼酎漬けでした。
788-1月20日(日)
この日から筆者は、休みを一日多くとって、奄美に向かいました。向かったのは、奄美大島。伊丹空港で、文芸評論家の川村湊氏、画家の司修氏、詩人の福田知子さん、立命館大学講師の高嶋正晴氏と合流。大島は、気温18度。神戸と大きく違います。
名瀬市に到着後、中央公民館で行われた藤井令一著『島尾敏雄と奄美』の出版フォーラムと、その後開かれた出版祝賀・懇親会に出席しました。
787-1月19日(土)
そごう百貨店へ買い物にでかけました。ここはいつ「そごう」の看板から「西武」に代わってもおかしくないのです。「そごう」は倒産してしまったので、"そごうグループ"の西の稼ぎ頭の神戸店であっても、運命は西武首脳陣に握られているのです。改修工事が始まっているのでしょうか、店内があわただしいようです。新館に西武系のロフトがトーアロードから移るようです。少し前の辻井喬氏が社長をしていた頃なら、西武の文化戦略がそのまま移植されるために、大歓迎だったのですが、池袋の西武美術館も閉鎖されてしまい、往時の文化を創造している前衛企業のイメージは、なくなってしまいました。でもまだまだ西武の店舗展開は、関西系百貨店のものより魅力はあります。
その新館に紀伊国屋書店がテナントとして入るとのことです。これは読書人の端くれとして、本を買う選択肢が増えて、喜ばしいことです。
786-1月18日(金)
店内にまだフラメンコの余韻が残っています。そして今年もなんらかの形で、震災の日を顕彰できたことに、筆者なりの満足感があります。とはいっても震災が亡くなった人たちが生きかえるわけでも、鎮魂を果たしたということでもありません。しかし、なんとか1.17を、漫然と過ごすよりも、なにか自分の出来る範囲で、鎮魂のセレモニーをしてみたいとの気持ちが強いのです。
785-1月17日(木)
阪神大震災の日。カルメンでは、中川マリさんとアルテ・フラメンコ舞踏団の皆さんに踊ってもらいました。去年までは、震災より前の日に鎮魂のフラメンコを踊ってもらい、震災の日は、正月振替休日として、筆者は琉球弧に行っていることが多かったのですが、やはり神戸の人間は、1月17日の日には、神戸に居なくてはいけないように思うのです。
一度、沖縄の那覇で1.17を迎え、神戸から来た三人は、沖縄そば屋で昼のテレビニュースを見ていたのです。そこに映し出された映像は、三人が見知った神戸の光景です。異郷の地で、神戸の映像を見ることの疎外感をその時ヒシと感じたのです。まるで神戸から逃亡してきたような感覚に襲われ、いい感じはしませんでした。
今年のフラメンコ・ディナー・ショーは、ショーの前に詩の朗読を絡み合わせました。登場していただいたのは、詩人の福田知子さんと、高谷和幸さん。筆者は言葉の力を信じています。震災の被害にあった人が、同じく震災を体験した詩人の言葉によって癒されるのではないかと思ったのです。
ショーは、力のこもった40分間でした。カルメンでのフラメンコ・ショーは、バイラオーラがごく身近で踊っている臨場感を楽しむことが出来ます。そして今年、マリさんに託したテーマは、「希望」。神戸の経済どころか、Japon全体の景気も落ち込んで、高失業率は改善されず、地元企業も次々と倒産して、明るいニュースは殆どありません。しかし気持ちだけは常に前向きにしていたいものです。神戸は震災以来、落ち込んでいる常態が長すぎて、疲れきっています。気持ちを前向きにすること自体、勇気のいることです。しかし、創業45年のカルメンが出来ることとして、神戸の人たちに「希望」を持ってほしいということをメッセージで伝えたいのです。
784-1月16日(水)
拙宅の周辺の話です。西へ三軒先の売土地は、まだ買い手は見つかっていません。惚れ惚れするような50坪のいい土地なのにです。やはり震災で死者が二人でたことが、影響しているのでしょうか。土地を持っていたNおばあちゃん。いつもにこにこ愛想がよく、筆者と毎朝の挨拶も欠かせませんでした。家が潰れたので、丹波の実家に引っ越したようですが、現在はどうなさっているのでしょう。
東へ三軒先の新築家屋は、ほぼ完成。更地率がまだまだ高い拙宅周辺の街区にあって、ひさしぶりに建つ新築です。実はここでも2人の震災犠牲者が出ています。震災時には、平屋の借家が並んでいた場所で、築後そうとう経った古屋でした。震度7の揺れのもとで全壊。それはひどいものでした。新築家屋には、もともとそこの地主の家族が入居します。大きな立派な家です。
783-1月15日(火)
今年の成人式は、騒擾もなく、全国的に閑かだったようです。街にはそれと思われる若者がここぞとばかり繰り出す光景を見るのは、嫌いではありません。この日ばかりは「私は20歳です」と名札をぶらさげて街を歩いているようなむものなので、「若者」と十把一絡にしていた彼らの顔と年齢が一致するだけでも面白いことです。
しかし、彼の将来は、徴兵こそないものの、ニッチ(隙間)さえも、先輩世代に埋められてしまっているような閉塞感の中を生きて行かざるを得ないことを考える時、安易に「頑張れよ」と言いにくいものがあります。会社に入れば、自分たちの世代が築いてきた言葉や文化や生活態度は、いとも簡単に否定されてしまうわけですから、これからが試練なのです。ちなみに筆者の20歳の時は、なんにも世の中のことが分かっていませんでした。
782-1月14日(月)
カルメン、ハッピーマンデーは営業しています。倒産してからの星電社に初めて行きました。これからどうなってしまうのでしょう。
携帯電話の新しい機種を見に行ったのですが、筆者の使っているパナソニック製のものは、魅力的ではなく、しばらく現在の機種を使うことにします。とはいっても去年8月から使い始めたばかりのものです。最近、迷惑メールの防止策が一面広告で載っていましたが、いくら防止策を講じても、発信者のほうが一枚上手です。筆者のところにくる迷惑メールの発信者の3割近くが、なんと自分のメール・アドレスとなっているのです。自分で自分のメール・アドレスを拒絶するなんてそんなバカなことをせざるを得ないのです。
781-1月13日(日)
なんとなく、ですが。いや、こんなことを言ってしまうのは、顰蹙を買いそうです。今年になっても東証一部上場企業が倒産(殖産住宅など)、いまからも次々と倒産ニュースが続きそうです。
しかし、
GDPの6割を占めるといわれる一般消費についててえば、最悪期を越えて、緩やかな回復期に入っている、といえないでしょうか。カルメンにくる人たち、街を歩く人たちの表情をみていてそう感じるのですが。
780-1月12日(土)
風邪気味です。拙宅には、受験生がいるために、神経を使います。あと高校受験まで1カ月。家中がピリピリしています。息子というのは、だいたい無愛想に出来ていて、あまり多くをしゃべりません。返事も"う"とか"あ"とかで済ませ、再度聞きなおすと「ゆったやろうが、何回もゆわすな」と怒鳴る始末。母は腫れ物に触るような態度を受験生にする一方、マンガぱかり読んでいる次男に、大声で叱りとばします。えっ? 読書の皆さんの家庭も似たり寄ったりですか。
779-1月11日(金)
7日の冬休み最後の日に、「ハーリーポッター」の映画を子ども達と見に行こうとしたのですが、整理券を持っていないと入場できず、次回上映なら見ることが出来たのですが、FMわぃわぃの放送があるので、諦めて帰ってきました。専門家の見立てによりますと、「千と千尋の神隠し」の入場者数よりも上回るとの予測です。はてさてどうなのでしょう。
778-1月10日(木)
またまたショックです。カルメンのすぐ北隣りにある喫茶ハクサンがなくなってしまったようです。近隣の事情に詳しい人に聞くと、年末まで営業をしていたけど、今年になって店を閉じ、ハクサンのすぐ南にあったカラオケ屋も営業をやめてしまったようです。
ハクサンは"古典的"な店構えをした喫茶店でした。近頃のカフェブームとは無縁のノリだったのです。近所のおじさん、おばさんが行くような店だったので、生田新道沿いにある好立地ながら、若い人は少し入りづらい雰囲気です。
しかしこの店もカルメンと同様歴史が古く、40年前に新開地から移ってきて、三宮の顔として、店舗を構えていたのです。聞くところによると、持ちビルも売却して、全面改装して次のテナントが入るということです。ジャズ喫茶のバンビもそうですが、結局は風俗の店が入るという結末に今度もならなければいいのですが。
776-1月9日(水)
星電社が倒産(会社更生法適用を申請)しました。星電社といえば、神戸の少年たちにとって、これほど馴染み深い企業はないでしょう。中高生の男の子たちにとって、三宮で無料ですごせる空間というのは、限られています。本屋、レコード屋(今はCDショップ)、そして電器店です。神戸一の繁華街に出かけた際には、必ずといっていいほど寄る場所が三宮センター街の目立つ場所にある星電社です。
この地元に本社機能があるいわば神戸の"民族資本"企業が潰れるのはなんともいたたまれない気がします。本店だけは残ってほしいものですが、これからどうなるのか全く分かりません。もしか大量にレイオフともなれば、また多くの働き盛りの男性が失職することとなります。
775-1月8日(火)
午前3時の話です。筆者が年賀状を出しに夜中の街を歩いていたところ、拙宅の前にある公園のベンチの上で寝ている人を認知しました。冷え込みが厳しい晩です。決して安眠できるものではありません。不況が極まった近年、夏にはホームレスの人が、時々ベンチで寝ているのをみかけますが、夏とはいえ、明け方は涼しくなります。
しかも厳冬の今、どんな人が寝ているのか、確かめてみたいと思い、一歩公園に足を踏み入れてベンチに向かって歩き出したところ、その寝ていた人がムクッと起きだしたのです(その起きあがり方に勢いがあったので、比較的若い人かと思ったのですが)。夜の夜中に公園で見知らぬ人間同士が対置することの危険性を感じて、それ以上は近づかず離れていきましたが、なんとも奇妙な体験でした。
774-1月7日(月)
カルメン、今年はじめての定休日。FMわぃわぃ「南の風」の初めてのレギュラー番組です。
本日は久しぶりに、野村昭彦氏と一緒に番組を進めました。この日放送したのは、シーサーズの今年発売されたばかりの新作CDです。野村氏は、沖縄・宮古・八重山の島唄を紹介。筆者はもっぱら奄美地域の島唄と文化の紹介をしています。番組は毎週月曜日の午後4時から55分間。同日午後7時から同内容の再放送があります。また、FMわぃわぃはインターネット放送局でもあるために、世界中どこからでもリアルタイムに聞くことが出来ます。(詳しくはFMわぃわぃのホームページにアクセスしてください)。
今年も筆者はだいたい隔週に奄美篇を担当します。是非聞いてみて下さい(ちなみに1月の奄美篇の放送予定は、28日ですが、この日は午後4時と午後7時のダブルヘッダーをします。4時からは、奄美紀行のダイジェスト版、7時からは徳之島出身の俳人・亘余世夫さんをゲストに迎えます)。
773-1月6日(日)
冬まっさかりと言っていでしょう。Japonもそうですが、この季節も食材が豊富となり、意外と食環境が恵まれているのです。また、保存食を作ろうとする意思が働くことで、食材をそのまま使うというだけではないバリエーションの豊かさを満喫できる楽しさがあるのです。
そしてスペインは「情熱の国」というイメージがあるように、香辛料たっぷりの南国風の味付け、つまりスパイシーな料理が主流ではないかとのイメージがありますが、実のところ、シチュウものに代表される冬の料理もふんだんにあり、この季節の料理は豊富にあるのです。
だからスペイン料理店としては、冬の季節がむしろ楽しみなのです。冬に暖かいシチュウ料理を食べる。それはスペイン料理の醍醐味が家庭料理であることの所作でしょう。
772-1月5日(土)
初荷が届きました。シードラです。リンゴのむシャンパンといったらいいのでしょうか。
長野にもリンゴのワインが商品開発されていますが、やはりリンゴ酒は、シードラのようにスパークリング・ワインに仕立てた方が美味しいと思うのです。今回入荷したのは、"El Gaitero(エル ハイテロ)"。ボトルデザインには、バグパイプのような楽器を持った青年が印刷されています。シードラは、ビスケー湾側のアストゥーリアス地方の特産です。同地域に隣接するガリシア地方は、ケルト文化が残っている場所です。最近、音楽でも若いガリシアの人たちが、素朴なケルト音楽で自己表現しているので、このアストゥーリアス地方にも、似た民族音楽があるのかもしれません。
さて、この"El Gaitero(エル ハイテロ)"。リンゴのシャンパンなんてあんまり呑む機会のないJaponの人には、「ん!? これはおいしいぞ」と感動してしまう逸品なのです。
771-1月4日(金)
正月早々の団体さんです。今日が仕事始めの企業が多いと思われます。
しかし、三宮を歩いていると、正月の格好をした人の方が多く、本格的な経済活動は来週7日からといったところでしょうか。神戸は今年、少しはマシになるのでしょうか‥‥‥
770-1月3日(木)
今日からカルメンは仕事始め。さてさて今年はどのような新しい料理企画を提供できるのか楽しみです。
この列島の四季、ならびに瀬戸内の海の幸を活かしたスペイン料理を提供していきたいと思っています。皆様を、スペイン料理の魅力に誘っていこうと元気いっぱいですので、宜しくお願いいたします。
769-1月2日(水)
FMわぃわぃの正月特別番組を担当しました。「南の風」奄美篇の2時間正月特別番組を提供したのです。
番組の進行役は筆者と共に、高嶋正晴氏(立命館大学産業社会学部講師)にお願いしました。高嶋氏とは二つのコーナーを作りました。(1)島唄ニューウェーブの紹介(2)新民謡の魅力。そして島唄の生演奏は勝島伊都子さん(瀬戸内町出身)、武島さん(住用村出身、フラダンスの師匠でもあります)、藤崎さん夫婦(喜界島出身)の四人の方々に出演してもらいました。「朝花節」から始まって計7曲をスタジオから生演奏でお届けしたのです。
番組終了後、高嶋氏と三宮で一献。外は雪が降っていました。
768-2002年1月1日(火)
あけましておめでとうございます。世界平和と神戸の復興に今年こその希望を託したい2002年がスタートしました。
今年はいったいどんな年になるのでしょう。
全くの未知数ですが、苦しいとき、哀しいとき、そして楽しいときに、傍らに友人、知人、家族のだれかが、側にいて、共に感情を共有できる雰囲気を保っていたいものです。
767-12月31日(月)
例年なら、子ども達を引き連れて、正月映画を見に行くのですが、今年は休養の日としました。永年見つづけてきた"ゴジラ"も、阪神大震災以降、ビルや都会を壊すシーンを見るのにはつらすぎて、正視できません。今冬の目玉映画は、"ハーリーポッター 賢者の石"なのですが、封切りされたばかりで、よほど根性を出さないと見ることができないので、半分あきらめてしまい、2001年最後の年は閑かに過ごすことにしました(実は、遅れに遅れていた年賀状の印刷をパソコンでしていたのですが)。
最後の日は、家族だけで過ごしました。
766-12月30日(日)
FMわぃわぃの年末特別番組のために、午後1時にJR鷹取駅に集合。本番は午後2時から。2時間にわたり、トークと楽器の生演奏を届けました。番組名は「ながた人物交差点」。今年のゲストは、琵琶奏者の川村旭芳さん、愧儡舞を継承している神戸女子大助教授の鈴鹿千代乃さん、そしてボランティア活動を永年続けている正津房子さん。今年は全員女性のゲストです。
このお三方、みなさん独自の世界を持っていらっしゃって、DJと番組制作を担当した筆者は、楽しく番組を進行することが出来ました。番組終了後、川村さんと三宮へ。居酒屋に集合して、去年末急死した詩人・西谷民五郎さんの追悼を兼ねた飲み会を催しました。
その場で筆者は、西谷さんの詩の一篇を朗読。思い出話をした後、忘年会に移りました。こういう時期にするのは、本当の意味の忘年会と言えるものです。今年もあとわずかです。
765-12月29日(土)
カルメン、今年最終の営業です。今年も多くの皆さんによるご愛顧、ありがとうございます。
来年も、皆さんをスペイン料理の魅力に誘っていきたいと思います。
素敵な料理とワインを用意していますので、ご来店ください。正月は3日(木)正午から営業いたしております。
764-12月28日(金)
筆者は、もう一本、正月にFMわぃわぃの特別番組を担当します。「南の風」正月特別バージョンです。これも2時間の番組枠。ゲストは、勝島伊都子さんとそのお友達の唄者たち。伊都子さんは在関西の唄者の中で最も信頼できる唄者の一人です。
また、番組は、立命館大学講師の高嶋正晴氏も番組進行役に参加してもらいます。
763-12月27日(木)
皆さんは、年末年始いかがすごされるのでしょう。筆者は、30日(日)は、午後2時からFMわぃわぃで年末特別番組「ながた人物交差点」のDJと進行役を担当します。この特番は、数年前から企画・担当しているもので、3人のゲストの人にスタジオに来ていただき、おしゃべりと音楽を楽しむ内容です。
今年のゲストは、琵琶奏者の川村旭芳さん、愧儡舞(くぐつまい)を継承している鈴鹿千代之・神戸女子大助教授、そして在宅訪問ボランティアをしている正津房子さんという三人の女性です。一人に40分ほどあて、その人の活動や、も苦労話を聞いて、番組を構成していきます。
762-12月26日(水)
昨晩がルミナリエ最後の夜だったので、カルメン終了後、ひとり見学してきました。今年のデザインのポイントは"青"。効果的に散りばめられています。もともとこの色が好きな筆者は、評判どおりのデザインの良さに満喫していました。
"青"といえば、今年もっとも気になった"青"は、アフガニスタンのハザラ人が依拠する都市にあるブルーモスク。外壁が鮮やかな青です。イスラム圏の人たちは、偶像を禁止されている分、色彩に対しては、他の宗教の人たちよりも鋭敏なのではないでしょうか。そして幾何学模様についての造詣も深いように思われます。
761-12月25日(火)
みなさんは、昨夜いかがお過ごしでしたか。家族・恋人・友人と楽しく過ごされましたか?筆者の次男坊は、「世の中の子ども達は今晩楽しく過ごしているというのに!」と、懸命に原稿用紙に向かっていました。朝日新聞の一面下コラム「天声人語」を書き写しているのです。一字一句間違えまいと必死です。なにせクリスマスプレゼントに、最新ゲーム機を買ってもらうための"取引条件"なのですから。
この条件を課した父、つまり筆者にとって、次男坊の文章言葉を矯正しようとする狙いがあるのです。彼の国語などの答案用紙を見ていると、文語体で書くべき箇所も平気で口語体が交じっています。論述問題の解答にも友達に語りかけるような安直な文体となっているのです。読書人の末席を汚している父が危機感を感じたのはいうまでもありません--「これはまずい」。母にいわせると「漫画の読み過ぎよ」とにべもありません。
次男坊氏、課題を課した父と天声人語を呪詛しながら、昨晩から今日の午前4時30分までかかって、まず第一関門の10回分を書き写しました。いま、父がその原稿をチェックしています。文章を上達させるためには、まず大量の活字を読むことが第一です。次はお手本となる文章を自分の腕を動かして書き写してみることでしょう。
「天声人語」は、典型的な無記名による新聞記者文体であるという制限はあるのですが、論説委員、編集委員クラスといった書くことを永年飯の種としてきた人たちの文章ですから、こなれていて起承転結がはっきりしています。使用している漢字も中学生レベルの学力で理解できるものを使っているのですから、次男坊でも辞書に頼ることなく、書けるはずです。
さあ、次男坊の"クリスマス苦行"、報われるでしょうか。
760-12月24日(月)
Holly Night!スペインではクリスマス期間は年越しの1月6日まで続き、子ども達へのクリスマスプレゼントは、この6日の日に。いい子はたくさんのプレゼントを、悪い子には"炭"が入れられるそうです。
Japonでは昔ほど、この日の呪力は強くなくなりましたが、やはり独身男性女性の間では、今でもこの日の晩に、一人きりで居ることは耐え難い苦痛なのです。ということは街に繰り出す人が多くなると言うことです。友人のTさんは、女性同士三人でイヴを迎える予定が、一人が急にデートが決まって二人に。それでもこの日のパーティは解散せずに、女だけイヴを挙行するそうです。
こうした平和な神戸の風景があるかと思うと、奄美沖の東シナ海では、国籍不明の船舶と、海上保安庁の艦船「あまみ」等との間で銃撃戦があるという衝撃的な事件が起こっています。またこれで東アジアの政治情勢が緊迫することは間違いありません。
それにしても、自衛隊のP3C機はどうしてその船舶を「不審船」と認知したのでしょう。そのところは軍事機密なのでしょうが(おそらく「不審船」から発信された暗号電文を傍受したのでしょう)、なぜ今の時期に「不審船」の「発見」を公表したのでしょうか。この船が北朝鮮のものであれば、Japonには複数の「不審船」が出入りしていることが予測されているのにもかかわらず、どうしてこの時期だったのかという"裏読み"も出来そうです。
759-12月23日(日)
いよいよ歳末。詩人の福田知子さんが、抽象画家の領家裕隆画伯と共に来店。事務所でワインを一本あけた後、ぎょうざ屋で食べ喰いし、その後、カルメンへ来て、スペインの赤ワインを一本あけるという"なんのこっちゃわからん"のりの二人です。福田さんと、筆者とで、詩人の冨哲世氏の噂話をしていたら、なんと本人がカルメンのドアをあけてばったり。筆者と福田さん、奇遇すぎて「人の噂はしてみるものね」と大笑い。富氏は、オブジェ作家の御着加桜俚さんと一緒。福田さんともどもアーティストと同伴。福田さん一行は、飲み過ぎたのか、ほよほよと立ち上がって去っていきました。富さんとは、来年の"ロルカ詩祭"の朗読に吉増剛造氏を呼びましょうかと筆者が提案。富さんも詩の朗読の達人ですが、吉増氏は名うてのポエット・リーダー。実現できるかどうか分かりませんが、詩祭は毎年開催しているので、いずれゲストとして呼びたい詩人なのです。
758-12月22日(土)
〈 2001年回顧シリーズ 5 〉
今年もパソコン、インターネットなどIT環境が大きく変化しました。携帯電話もFOMAという新システムがDOCOMOに導入され、動画などのやりとりがしやすくなっています。携帯電話でいえば、筆者はDOCOMOを使っていますが、相変わらず、大量の"迷惑メール"が飛び込んできます。NTTドコモは、受信メールにも過料するために、新聞に一面の対策広告をだすなど巨費を使っています。まあ、そんなことをしても大幅に儲かっているはずですから、「迷惑メールを防止するにはアドレスを替えると、三分の一近くが迷惑メールが来なくなる」という"ウソ"を書いてしまうのです。
なぜ"ウソ"かというと、メール・アドレスを替えて迷惑メールがこない期間は少しの間で、またしばらくすると、迷惑メールが着信しだすのです。つまり"いたちごっこ"。筆者の友人には、設定できる最大限の文字数をメール・アドレスにしている人が居ます。さすがに長すぎるそのアドレスには迷惑メールが届かないそうですが、長すぎて書きとどめるのは大変。そのアドレスはいちどその友人からメールを送ってもらわないと、記憶できないという代物なのです。
こういう迷惑メールに腹を立てたり、一度では覚えきれないアドレスを設定せざるを得なかったり、しょっちゅうアドレスを変更しなくてはならない事態を避けるためには、まず受信メールに対する過料をやめることではないでしょうか、NTTドコモさん。
757-12月21日(金)
〈 2001年回顧シリーズ 4 〉
今回のアフガン軍事介入によって明らかにされたことの一つは、やはりわれわれJaponの人たちは、イスラムについて殆ど正確な知識を持っていない、ということです。これは筆者も例外ではなく、学生時代に買い求めた『コーラン』(岩波文庫、井筒俊彦訳)を、少しずつ読み進めています。この井筒さん(故人)の訳が実に楽しいのです。単なる直訳風ではなく、アカデミックな注釈文の後述はいっせいせず、本文に小さな文字で書き込んでいるのです。その内容が面白い。同書はあくまでも聖典なので、自賛の字句で満たされているのですが、この本文中注釈があることで、物語としての面白さを識ることが出来るのです。この井筒版コーランは、われわれの出版文化に残された大きな財産だといえるでしょう。
756-12月20日(木)
〈 2001年回顧シリーズ 3 〉
アフガニスタンを5年間にわたって支配していたタリバーンについてですが、音楽を禁止していたことはマスコミによってよく知られることになりました。テレビ画面では、タリバーン撤退後のカブールで、5年ぶりに音楽カセットを大音量で流す庶民の楽しそうな表情が映し出されています。どうしてタリバーンが音楽や映画などを禁止したのか詳しくは分かりませんが、宗教的な理由だとすると、信仰の邪魔になるからでしょうか。このタリバーンのイスラム解釈に限らず、どの宗教でも宗派によって音楽を禁じているところがあります。
音楽は宗教の持つファナティックな側面を助長したり、ある時は凌駕する時もあります。音楽の持つ呪術性を利用する方が多いのですが、反対に宗教の持つもう一つの側面であるストイシズムの観点からして、音楽を拒絶する傾向も普遍的に見受けられます。
キリスト教にもそういう宗派は存在しますし、Japonでは伊勢神道が音楽を嫌っています。これはひょっとしたら、音楽を鳴らすことで、稲霊(いなだま)に悪影響を与えることを禁止したことの普遍化かもしれません。むかし、農家ではイネの花が咲く頃になると、室内でさえ、大声を立てることを忌み嫌った風習があるからです。
755-12月19日(水)
〈 2001年回顧シリーズ 2 〉
今年、世界で一番注目された国といえば、アフガニスタンでしょう。貿易・文化・情報の十字路と言われたこの国の歴史、文化、宗教など実に多くの情報が世界中に紹介されたのも大きな特徴です。この国を構成する民族のうち、Japonの人たちにそっくりな貌をしたハザラ族がいることを知ったのも大きな収穫でした。中世モンゴル語をしゃべるという彼らは、Japonと同じく膠着語としてのウラル・アルタイ系の言語をしゃべる人たちなのです。
やはりかつてのモンゴル帝国というのは、ロシアを最西端とする中央アジア全般に覇権を確立した歴史があるだけに、その末裔も各地に拡散しているのですねえ。"汎モンゴル圏"の広さ、おそるべし。
754-12月18日(火)
〈 2001年回顧シリーズ 1 〉
今年はなんといっても、米国に対する9.11同時テロが大きなニュースでした。このテロ以前と以後とでは、大きく世界の情勢が変わってしまいました。この日誌サイトでも、9.11前まで、筆者は〈カルメン 01年 秋の俳句徘徊〉シリーズを連載していましたが、同時テロの事実に圧倒されて、no.25でストップしたまま。花鳥風月の世界にたゆたっている精神的位相にはなれません。筆者の中にも大きな変化が生まれました。
753-12月17日(月)
月曜日ですが、カルメンは店を開けています。今年のルミナリエの電飾デザインは去年のものとくらべて好評のようです。まだ筆者は見に行けていないのですが、毎年違うデザインでわれわれを楽しませてくれるのは、素晴らしいことです。そしてこの時期に、近隣各地から神戸を訪れてくれる人が多いのも嬉しいことです。
最近はルミナリエは観光バスで団体ツアーとして組み入れられていることが多いらしく、観光バスによる入り込み客も増加します。ルミナリエとUSJのお陰で、神戸・大阪のシティーホテルは、さぞ稼働率は高くなっていることでしょう。
752-12月16日(日)
読売テレビに紹介されたお陰で、ファバーダを求めて、来店されるお客様が増えています。シチュウ料理は、今の季節にぴったりです。そしてテレビ媒体もこの時季になりますと、さかんにシチュウ商品のコマーシャルを流すようになります。スペイン料理の醍醐味は家庭料理です。時間をかけて作るファバーダ料理は、まさに"家族愛"に支えられた逸品だと言えるでしょう。
751-12月15日(土)
前日の話の続きですが、K建築店のM氏のこと。来年2月で定年退職を迎えて、その後再就職をするのかと尋ねたところ、再就職活動はしないということ。つまり昔風にいえば"隠居"ということになります。収入がなくなるわけですから、年金や貯金で生活していくということになります。Japonでは、年を取ってからも働き続けることが栄誉であるような風潮があります。何歳になっても元気に働いているというのは、生きている実感と直結し、その人を社会が必要としている尺度として見られています。無職のひとは、この社会ではどうもばつが悪い。自分も社会から無用だと思ってしまいがちです。そしてただただ老いていくことに焦燥を感じるのです。
退職してから無職の人でもボランティアをする手もありますし、何か学ぶ、教えるという方法もあります。しかし特にJaponの男性諸氏は、会社生活に殆ど時間も生の実感も絡め取られているのが実態なので、急に退職後に学ぶ/教える、という生活を送れ、と言われても無理な話です。
この点、スペイン人ははっきりしています。もともと仕事中毒ではない上に、過労死や過労自殺なんていうことも殆ど存在しない国民性ですので、年金がつく年齢に達するとさっさと退職生活にはいってしまう人が多いのです。まあ、年金生活ですから、暮らし向きは豊ではありません。しかしスペイン社会にはバルという優れたメディアが存在します。つまりもてあます暇を潰す格好のメディアというわけです。食事もお酒もおしゃべりも楽しむことが出来る、しかも何軒もあって、それぞれが一品料理に工夫を凝らしている。金持ちでない庶民でも一晩に何軒もはしごすることだってある。うらやましい限りです。
Japonでも下町にいくと、喫茶店が馴染み客を迎えてくれます。これは昼のバル。また関西ではお好み焼き屋が、夜のバルといったところでしょうか。そして立ち飲み屋が、スペインのバル日本版と言えなくもありません。筆者はFMわぃわぃの放送が終わった後にたまにJR鷹取駅前にある立ち飲み屋に足を運びます。しかし、スペインのバルのように家族ぐるみで迎えてくれる雰囲気ではなく、地域共同体にとって必須のメディアとまではいきません。
となると、やはりスペインのバルという存在は、退職者にとってはありがたい存在です。スペインは経済はダメで、人も働かないのですが、日々の中での楽しさは、スペインに軍配が上がるようです。(筆者も老人になったらスペインで暮らそうかしら)。
750-12月14日(金)
K建築店のM氏が、集金のために来店。カルメンビルのテナント変更に伴う消防関係の補修工事をしてもらったのです。K建築店とはずいぶん長い付き合いです。もともと神戸市などの公共建築物の受注が多い堅実な会社ですが、このカルメンビルや、筆者の実家である垂水区の家などを建ててもらいました。
そのM氏、来年二月で60歳の定年退職をされるということ。垂水区の実家を建築担当していたM氏と会ったのは、筆者がまだ高校生の頃。30年来の付き合いということになります。
このK建築店、震災で社屋が全壊し、会社再建に苦労した経緯があります。もともと公共工事受注が多い会社なので、3割減といわれる来年度の受注の困難さは厳しいものがあります。そして来年は、大から小の規模に至るまで、建設・建築業が"真冬"の時代になることは間違いないので、むしろ今退職するほうがいいのかもしれません。
749-12月13日(木)
昨日から始まった光の祭典"ルミナリエ"。毎年、莫大な運営費の関係で開催が危ぶまれますが、今年もなんとか開催にこぎつけました(といって、筆者が開催に関わっているわけではないのですが)。今年から消灯が午後10時30分になったのが嬉しいニュースです。午後10時だと、カルメンが早く終わっても、駆け足で会場へいかねばならず、去年など最終日にようやく行けるとなって、ダッシュして急いだのですが、筆者の目の前で消灯したという悲哀を味わったものですから、飲食関係に従事する者にとっては、貴重な30分となります。
このルミナリエは、元町駅が出発点となっているので、南京町がたいそう繁栄しているようです。大丸近くから、会場に入るまでが、人また人でこれまた大変。途中で抜けたくても抜けられず、我慢の歩行です。それでも、このイベントはどこか心ひかれる魅力があります。電球の一つ一つが震災で犠牲になった人たちの"魂(たま)"に見えてしまうのは、筆者だけでしょうか。
748-12月12日(水)
北日本は豪雪。雪のない神戸に住んでいると、ふとたくさんの雪を眺めてみたい気分となります。しかし、屋根の雪下ろしなど一回も経験したことのない太平洋岸住民の立場にすぎないのですから、雪国の人の感情とは違うでしょう。この時期、神戸あたりは"乾期"ともいうべき少雨シーズンになります。ただ気候は、筆者の住む東灘と西の垂水地域では若干異なります。垂水地域の方がより瀬戸内式気候の色彩が濃く、冬でも温暖です。東灘周辺は、例の六甲颪(おろし)が吹いて寒いのです。
さて、六甲の山々、すっかり葉は落ちてしまい、冬の色に日一日となっていきます。少しずつ黄色が目立っていくのです。大量の落ち葉がおりなす色彩がわれわれに黄色の色としてメッセージを送ってくるのです。
747-12月11日(火)
昼間、三人の女性連れのお客様が来店されました。祖母--母--孫の女三代です。祖母の方がいつも来ていただいていて、マルガリータ・カクテルのファンです。
こうしてカルメンのお客様は継承されるのですね。神戸・阪神間の文化というのは、母娘が一緒に買い物に出るという風習があります。そして同じ服を買い、母娘で着回すのです。母は年齢に較べてシジムサイ色ではない若やいだ着こなしが出来るし、娘にとっては流行ではない派手さを抑えた色調でシックに着こなす--といった服装文化の継承がなされています。
こうした神戸・阪神間の文化は戦前から継承されたもので、早くこの不況が終わって、陽気な神戸・阪神間の女性達の華やいだ顔を少しでも多く見たいものです。
746-12月10日(月)
カルメン、今年最後の定休日です。筆者は、午前11時起き。未明までインターネット。アフガン情報も一時に較べて随分少なくなりました。今はビンラーディン氏とオマール師の行方に集中しているようです。
夕方から、大阪・谷町6丁目の"すかんぽ"で、筆者個人が主宰する忘年会へ。総勢8人と今年は小振りな人数でしたが、そのぶん濃密な議論が展開出来ました。話題は主に在日文化論。金里博氏、金丙鎮氏を中心にさまざまな議論が噴出していきます。ジャーナリストは朝日新聞大阪本社の音谷健郎氏(学芸部)、掘内京子さん(経済部)、大阪日日新聞の大山勝男氏、詩人の上野都さん、大阪市教育委員会の伊藤さん、といったメンバーでした。
ところが筆者は途中から酔ってしまい、大山氏に連れて帰ってもらう"てんたらく"でした。情けないことです。でも楽しい会でした。この会は、筆者が阪神大震災に生き残ったことを機縁として、1995年から自ら主宰して行っているものです。あと、大阪城の花見も毎年行っています。
745-12月9日(日)
街(三宮)の風景点描です。1.出勤途中、三劇前を通ると、第一回上映前の行列がいまだできています。「千と千尋の神隠し」。昼すぎに横を通ってみると「現在、立ち見です」との表示が。人気は衰えていません。
2.三宮センター街アーケードから、みたことのある国のnational flagが。12月1日生まれの女の子誕生を祝うためのものです。その大きな布、しばらくしまい込んでいたのでしょう。折り目がしっかりと残っていて、おおきなシミもあります。そういえば、永年その二色旗を掲揚するキッカケ、なかったですねえ。
3.不況は極まっていますが、センター街を歩く人たちの表情は晴れやかです。やはり繁華街に繰り出すというのは、ハレの行為ですので、どんな不景気の時でも心躍る場所なのでしょう。でも、商店街の各店の売り上げは上がっているのでしょうかねえ。
744-12月8日(土)
午後1時30分から、「北の句会」というグループが14名ほど集合。俳人、川柳人交じっての句会を始めました。出席したのは、西は赤穂市、東は滋賀県近江八幡市、南は大阪府和泉市というさまざまな場所でした。この句会というもの、俳句と川柳が交えて一つの場で詩の格闘をするのは本当に珍しいのです。それぞれが自分の文芸ジャンルに収まって、交通しようとしないのです。それを同句会主宰者の堀本吟さんが、ジャンルの壁を取り払って、定型詩という共通の舞台で、面白いか、面白くないかを、各人が判断していこうという趣旨で行っているのです。
筆者は、この句会の中に、友人がいて、亘余世夫さんという徳之島出身の俳人と、カルメンが終わってから、呑みに行きました。(句会は午後5時まで、引き続き忘年会に移りました)。
743-12月7日(金)
今日は満席。さすが師走の金曜日。常連のお客様にも少し待っていただきました。忘年会シーズンです。会社の忘年会をしたくても、会社がなくなってしまったり、失業中の人は無縁の話です。それでもカルメンで忘年会をしている人たちの表情をみていると、今年生き抜いてきた、との安堵感、達成感がにじみ出ています。
さて、来年もまた、"忍"の一字で景気が回復するのを待たなくてはならないのでしょうか。来年急に景気がよくなることはないでしょう。サッカーのワールドカップの予祝的な盛り上がりはあるかもしれませんが、その後の来秋の落ち込みが心配です。景気のいい話はないものです。
742-12月6日(木)
阪神タイガースの野村監督がドタバタの末、辞任することになりました。とはいっても、今回の辞任劇に野村監督自身に責があったわけではなく、夫人の「脱税疑惑」にからんでの決断です。
阪神は、4年連続最下位に沈み、名監督でさえも、浮上することはありませんでした。一体、このチームはどうなっているのでしょう。野村監督も晩節を汚すといった形になってしまったのです。筆者は野村監督にすべての責を負わせるのは間違いだと思っています。
何もしなくても、最下位に沈んでも、200万人を越すファンが甲子園球場にかけつける人気球団です。この不況の最中、最下位でもこれだれの人を集めるのですから、タイガースの親会社である阪神電鉄も、現状に甘んじているというマスコミ評にあらがう様子もないようです。つまり勝っても負けても"儲かる"わけですから、優秀など目指さなくてもいいのでしょう。
次期監督が注目されています。仰木オリックス前監督らの名前も挙がっています。仰木さんも"晩節を汚す"のでしょうか。少なくとも、オフシーズンの関西のスポーツ新聞紙は、売上げを伸ばすでしょう。
741-12月5日(水)
読売テレビにカルメンが紹介されました。夕方午後6時20分から放送されている"ニューススクランブル"という番組です。午後6時45分ごろ、天気予報のあとに、世界のシチュウ料理のひとつとして、ファバーダが紹介されたのです。約2分半。カメラはチーフの倉谷和久の製作過程にもカメラが向けられます。筆者もコメントを言っています。
冬のメニューとして、提供しています。¥1400 です。
740-12月4日(火)
昨日、娘とNHKテレビの動物番組を見ていました。カナダに住むオオカミが登場します。ツンドラと森林を往復するオオカミの生態を甲斐さんというカメラマンが長期間張りついて、録画しています。根気のいる仕事です。ちょうど少し前、娘と王子動物園で本物のカナダ・オオカミを見たばかりです。
オオカミは厳しい極北の大地に生きるために、家族を大切にします。一家の長である父が絶対的な権威を持っていて、トナカイなどを捕まえるのもいつも父の役目です。また子ども達に持って帰る餌を与える順位が厳密に守られています。
しかし撮影三年目に入ると、父より大きくなった長男に、「家長」の座を譲ります。番組の解説ではそろそろ父の寿命がきて、狩りの主役を長男に譲ることになったとしています。そうなると、今度は長男が父の代わりを務め、幼い弟妹達に餌を与えるのです。そして父はいずこともなく去っていくのです。つまり年をとると狩りが出来なくなり、それはつまり死を意味するのです。
父が去ったその年は天候不順で、なかなか餌になるトナカイが夏になっても北上してきません。母は冬に出来た5匹の子ども達と、巣で待っているのですが、それでもトナカイは来ません。やってきたのは1カ月後。しかし幼い子どもオオカミは全員育ちませんでした。餓死したのです。そうこうしていると、「家長」になった長男・次男・長女が母のもとに戻ってきます。じゃれ合う4匹。オオカミは家族を大切にします。母は子育てのために巣を離れませんが、成長したオオカミは、何百キロも放れた場所まで餌を追って異動するのです。
面白い番組でした。
739-12月3日(月)
カルメンの定休日。FMわぃわぃ「南の風」奄美篇の今年最後のレギュラー番組です。
今日は、筆者が奄美で録音してきた島唄や、わぃわぃスタジオで生演奏してもらったものなど、オリジナル音源を中心に構成しました。総集篇を放送していると、今年も多くの奄美の人たちに協力を仰ぎながら、番組を作っていったのだという感慨が起こってきます。さて、来年はどのような番組を届けることが出来るのでしょうか。楽しみでもあり、心配でもあります。
738-12月2日(日)
昼過ぎ、読売テレビの取材が入りました。ウィークエンドの毎日午後6時20分から放映されている「ニューススクランブル」という番組の"世界のシチュウ料理"のシリーズとして、スペインのファバータが取り上げられます。
インターネットで検索してきましたというスタッフから取材依頼を受けて、製造工程からカメラが回ります。(テレビクルーというのは、いつも大人数。余談ですが、この大人数ゆえに、戦場取材では被害に遭いやすいのもテレビ取材のクルーたちのようです)。
このファバータ、豚ばら肉、豚足、豚の耳、鶏肉、ジャガイモ、チョリソなどを煮込み、サフランで味付けをするポトフ風のシチュウ料理です。もともとはアストゥーリアス地方の料理で、木枯らしが吹くような寒い寒い日に食べるのが合っています。スペイン人は家族を大切にする人たちです。そのため、スペイン料理の醍醐味は、家族揃ってつつくような(つまにJaponでいえば"鍋料理"のような)シチュウ料理がその一つとして位置づけられると思います。
737-12月1日(土)
素晴らしい検索サイトを"発見"しました。このサイトは姪っ子に教えてもらったのですが、"Google"という名前です。いままで筆者は、GooやYahooを使っていたのですが、この"Google"というサイトは検索ヒット数が多いのは勿論、アルファベットで打ち込むと、海外サイト分も検索対象になってしまうという凄さです。さらに、イメージ(図象)をクリックすると、関連ヴィジュアルが出てくるという便利さがあります。
この"Google"を知ってから、今まで該当なしの項目について調べ直したところ、出るわ出るわ、楽しくてしようがありません。皆さんも是非お試しあれ。
736-11月30日(金)
いま筆者は二つの雑誌メディアの編集を手伝っています。というより、自分一人でパソコンに向かって、格闘しています。睡眠時間が極端に減っているのです。どちらも偶然に6号。今晩は拙宅に帰って、写真をスキャナーに読み込む作業に徹します。これが時間がかかるのです。しかも画像を扱うために、メモリーをいっぱい使うので、ちょっと違う仕事を同時にさせると、すぐ"すねて"しまいます。つまりフリーズしてしまうのです。ユーティリティを使いまくりです。パソコンにちゃんと働いてほしい時にこそ、よくプッツンするのです。だから大量の画像を扱ったり、長時間パソコンを使う時は、徹底的にデータを外部に移し、アプリケーションはひとつしか動かさず、スキャナーした画像はすぐにMOに移す(ただ、248Mのディスクなので、そう沢山は入らないのです)。そして大切なデータは、こまめにMOに移していく。------こういうこと防御策を講じてもやはりパソコンはフリーズするのです。こまったヤツです。
735-11月29日(木)
まるで、吉良上野介のようです。米同時テロの首謀者と目されているオサマ・ビンラディン氏が追いつめられている様子は、まるで忠臣蔵の吉良上野介のようです。じりじりと追いつめる"義士(=米軍)"、しかしなかなか姿を現そうとしない上野介(ビンラディン)。しんしんと雪が降る。時間が限られている。果たして上野介=ビンラディンは捕まるのか、季節もちょうど忠臣蔵と同じ冬。ビンラディンが12月14日に捕まろうものなら、Japonの人たちは、イメージがぴったりと重なり合って、この一件を見つめていくことでしょう。
義士は本懐を果たした後に切腹するのですが、果たして米軍はいかに……
734-11月28日(水)
21世紀最初の年、今世紀こそは平和な百年と思いなしていましたが、テロとその報復としての戦争。いまアフガニスタンが世界中から注目されています。かの国は部族社会(村落共同体)が確固として存在しているために、難民キャンプでも、共同体の"結(ゆい)"的な扶助システムが人々の生活細部にわたって機能しています。かつて、ソ連に侵攻された時、ごく普通の共同体の男たちが、ムジャヒディン(聖戦の戦士)となって村を出ていき、そしてある期間が過ぎると、村に帰り農民となり、その代わりに別の若者がムジャヒディンになるという循環がありました。今回の20年にも及ぶ「内戦時代」が終わる時、再びタリバーンの戦士も、反タリバーン陣営の若者も、大半は帰農していくことでしょう。しかし彼らは、ことあれば村共同体を離れてムジャヒディンになることは躊躇しないはずです。その時は国境を越えて"難民"になることもいといません。しかし戦争状態が終われば、再びリセットした状態となり、部族社会の掟に従った暮らしを続けていくのでしょう。その循環を許しているのは、共同体の存在であり、その核となるのは伝統的な家族という単位です。
しかし、この「内戦時代」が終結しても、すべて昔通り同じというわけにはならないでしょう。全土に埋められた地雷を撤去するために、大量の人員が必要となってくるし、アフガン人自身も、銃を持たずに、国づくり、村づくりをしていくわけですから、想像力と構想力がこれから試されていくのです。
733-11月27日(火)
ぐんと冷えます。筆者の属しているメーリングリストにウィルスが侵入してきて、無意味なメールが複数送られてきました。最近は添付ファイルを開けなくても、ウィルスに感染してしまうように作られているらしく、こうしたウィルス防御を全くしていない筆者は、ただ不安にかられるだけです。
メールといえば、筆者の携帯はDOCOMOなのですが、今秋から特に迷惑メールが増えて困っています。日に20通以上来ることもあり、その殆どは出会い系サイトと呼ばれる勧誘ものです。こうした業者が巧妙であるのは、発信元を表示しなかったり(つまり拒絶表示を出来なくしている)、一端拒絶処置をしてもまた違うアドレスから、送信してくる、といったことをするのです。つまりは、拒絶--別アドレスによる送信--拒絶--別アドレスによる送信‥‥‥を繰り返すことになるのです。
加入者が圧倒的に多いDOCOMOならではの弊害で、J-PhoneやAUなどは迷惑メールは少ないようです。当然、DOCOMOには毎日のように抗議が殺到しているはずです。このDOCOMOという企業のいびつさは、ガリバー企業でありながら、受信メールに対しても、契約者から料金を徴収するという"せこさ"があるということです。最近は受信料を含めたI-mode使用料を割り引いているのですが、筆者のところにくる迷惑メールの受信料は、割引価格(1000円)を越えています。
DOCOMOは、巨利を得ている企業です。しかし使用しているユーザーとしては、日々の迷惑メールで困惑して、DOCOMO側の対応の"せこさ"と遅さに業を煮やしているのです。このギャップはおおきいでしょうか、小さいでしょうか。
732-11月26日(月)
カルメンの定休日。筆者は一日中、たまりにたまっている原稿を打つために、拙宅にこもって、パソコンをパソパソしていました。拙宅の一階の書斎めいた部屋にパソコンを置いているのですが、周囲が立て込んでいる環境なので、とても寒くしかも地べたに座り込む必要があることから、今回は店からノート型パソコンを持ち帰って、陽が差し込む食堂の食卓で字をうち続けていたのです。
昼が過ぎると、中学生の息子達が帰ってきます。期末テストの寸前なので、殺気だっています。しかも今日は塾がある日。塾の宿題もこなさなくてはなりません。長男は夜型なので、まず昼寝。次男は塾の宿題をぎりぎりになって追い込んでいます。
二人とも試験期間が一緒なので、家の中がピリピリしています。たまらず筆者は小学3年生の娘と夕方の散歩に出ました。見上げる六甲の山々は紅葉の真っ盛り。岡本を歩いていると、また新しいアジア無国籍料理屋がオープンに向けて開店準備をしています。チラシをもらうと、以前は甲南大学への通学路に位置していたようですが、今回は甲南女子大学の通学路に移転するようです。
夕方、空を見上げて、蝙蝠を捜しましたが目視できませんでした。次男は少し前も岡本駅周辺で見たといっています。あのあたりは山手幹線より北に位置するために、まだ少しだけ震災以前の昔ながらの木造住宅が生き残った地域であるのです。そうした家に棲む蝙蝠たちでしょう。
731-11月25日(日)
詩人の冨哲世氏の紹介で、面白い書道展を見てきました。玉井洋子さんの書道展です。会場は三宮のサンパルビル5Fの"ギャラリー・ドゥ"。玉井さんの作品の面白いところは、日本の現代詩を書き記すというもので、なかなかに味があります。しかも、今回は「緋色」を地色にしたもので、その鮮やかな色に、インドについて書かれた詩をしたためています。
作者の玉井さんと話していて、びっくりしたことがあります。震災前の朝日新聞神戸版(1994年)に、玉井さんと師匠の上野賀山さんが、紹介されている記事が会場内に掲載されていたのです。実はこの記事、筆者が大切に保存しているものの一つで、玉井さん・上野さんは、詩を自由に書くという"書道教室"をしているのです。(当日、会場で上野さんから『書の幻----棚夏針手の「抜錨の氾濫」』、『わたしの近しい詩人たち』ともに蜘蛛出版社刊)
筆者が大切に保管しておいた理由は、やがて子どもが大きくなると、この人たちに書道を習わせたいと思っていたからです。人と人との出逢いというのは、どこでつながるか分からないものです。
教室は東灘区。住所を見ると、拙宅のほぼ南に位置する場所です。この教室も震災以来なんどか流転を繰り返したようです。「BOMY 書道塾」の連絡先書は、078-451-4155 または E-mail bomytama@a4.shes.net まで。
筆者がお二人に名詞を渡すと、「ああ、カルメンの」と言ってくれました。今年は不参加でしたが、"ロルカ詩祭"に2年続きで参加してくれていたのです。人の縁は大切にしなくてはなりません。
730-11月24日(土)
ファド歌手の月田秀子さんが、大阪で年末恒例のコンサートを開きます。12月8日(土)午後9時開演、場所は桜橋の"サンケイホール"。全席指定で5000円となっています。
チラシと共に同封されてきた手紙には、アマリア・ロドリゲスのファドの曲を半分、あと半分は、イタリア、ギリシャ、アルゼンチンの曲を歌い、小説家・五木寛之が月田さんのために作詞した「大河の一滴」も披露する予定です、と書かれています。
Japonで、ポルトガル民衆の唄・ファドを歌い続けている月田さん。去年10月には、カルメンでコンサートをしてもらいました。この人は、陽気で愛される性格もあいまって、毎年新しいファンが増えています。感情表現ゆたかに歌う月田さんの歌声は、感動を呼び起こします。
コンサートの問い合わせは、"サンケイ企画"(06-6345-5062)へ。チケット購入は、チケットぴあなどで扱っています。
729-11月23日(金)
カルメンの創業記念日。本日で45周年となります。本日は、先着30組の皆さんに、感謝の気持ちを込めて、シェフ製作のクッキーをプレゼント。今後も宜しくお願いいたします。
きのう、大阪のホテル日航で開かれたスペインワイン&食材のミニ・フェアに参加してきました。
会場には、知り合いの業者の人たちもいて、雑談を交わします。その場で赤ワインを3ケース注文したエージェンシーもありますし、共通のスペイン人の消息についての情報交換をした人もいます。
少々、飲み過ぎてしまったのですが、忘れないうちに、全体的な印象を書き留めておきたいと思います。
■今回は、Japonのエージェンシーばかりなので、スペインのボデガス(蔵元)の参加はありませんでした。いくつか知っている、またはカルメンで採用しているワインもあるのですが、在関西のエージェンシーも多く、新しいワインとの出会いがたんさんありました。
■今回は、Japonのエージェンシーの網の目をくぐってきているので、すぐに注文できる反面、この国のマーケットで流通されることを期待したエージェンシーの営利判断が介在しているので、この国の人たちのワイン志向が反映していることは事実です。
■こうした意味では、ネームバリューのあるリオハ・ワインが、商品数としては、群を抜いていることは確かです。また珍しいところでは、バレンシア、パルデペェーニャスやトロというDOも散見されます。中でもトロ地域の赤ワインについては、これほど近年急速にレベルアップしているDOはないと思います。少し前までは、野暮ったい重く、こてこての赤ワインを作っていたのですが、あれよあれよという間に、リオハや、リベラ・デル・ドゥエロにも負けないぐらいの品質に近づいています。(ただ、品質向上が近年の話なので、熟成を要求されるクラスのワインは、まだ市場には出回っていません)。
他にも、いくつか所見がありまいすが、今日はこの程度といたしましょう。
728-11月22日(木)
不思議なこともあるものです。昨日は、カルメンのホームページ表紙に紹介している特選コースのお客様が集中していました。このコース「シェリー・フィエスタ」という名前で、12月8日(土)までやっています。
今日のカルメンは、コース料理しか出さないフランス料理店のような雰囲気となりました。つまり殆ど、同じコースのお客さまで、時間差で来店されるために、繰り返し繰り返し、輪唱のように最後の料理が出たと同時に、最初に出るエントレメセスが出たりといった追いかけっこをするのです。
でも、こうしたコース料理しか出さないレストランというのは、その日だけのコースメニューに絶対の自信と、仕込みに手間を掛けているのでしょうが、だいたい高額なのが特徴です。
カルメンはなるべくお客様の選択肢が増えるよう、アラカルト・メニューを豊富に用意しています。11月からは、"かきのグラタン アリオリ・ソース風味(¥1000)"を、追加しました(冬期限定)。また、数日のうちに、新しいメニューを増やす予定です。それはまたこのサイトと、表紙ページで紹介することにしましょう。スペイン料理というのは、実は冬向けのメニューもバリエーション豊なのです。
727-11月21日(水)
暖かい秋です。このまま暖冬に突入していくのでしょうか。カルメンは創業45周年事業を終えて、ホッとしたのもつかの間、次のイベントに向けて走り出しています。2002年1月17日(木)の阪神大震災が発生した日、中川マリさんにカルメンで踊ってもらう予定だからです。マリには、好評につき1999年から3年連続で踊ってもらうことになります。2002年は、震災当日のフラメンコディナー・ショーです。
やはり、神戸の人間は、1.17の日に神戸にいなくてはいけないような気分になっています。他都市で迎える1.17は、神戸の街が切なく感じ、身が切られるような思いとなるためです。
マリさんとアルテ・フラメンコ舞踏団の皆さんは、フラメンコの上手さと共に、その芸術性の高さが広く評価されています。(詳しくはホームページ表紙に掲示します)。
726-11月20日(火)
昨日の未明(午前3時ごろ)、しし座流星群を見ました。夜でも明るい都市では、そう多く見ることは出来ないでしょうが、時々、ヒュッと、刷毛を曳くように流星が去っていきます。筆者が見たのは、拙宅前の公園。新聞によりますと、ここ300年間でもっとも多くの流星群だったとか。
300年前といえば、1700年前後。まだ上方文化は元気で、筆者の先祖は大和(奈良)で百姓をしていました。一体何代前のじいさん・ばあさんが見ていたのでしょう。大和は当時まだ、マニファクチュア(家庭内手工業)の綿業も発達していないため、米と麦の二毛作を毎年あきもせず続けていたのでしょう。冬が来る前に、大根を漬け物にしたり、この季節ならではの忙しい日々だったに違いありません。
しかし、往古より、流星群=流れ星というのは、凶兆として、怖れられていました。科学が発達して、そうした"迷信"を信じる人は極端に少なくなり、マスメディアも迷信を鼓舞するようなことをしないために、この天空ショーに対して"怖れ"を抱く人は殆どいません。しかし、ひょっとして凶兆のシーニュ(前触れ)だとすると、来年は本格的な世界的不況が訪れるのかもしれません。
725-11月19日(月)
カルメンの定休日。ゆるやかに冬に向かっています。
FMわぃわぃに着いてみると、2F事務所スペースのレイアウトががらりと変わっています。しかも整頓されているのです。新しくスタッフが増えためだそうです。筆者がDJと番組製作を担当する「南の風」が放送される月曜日はたいてい事務所に局のスタッフはいず、閑かなのですが、今日きてみると常勤スタッフの女性がいました。
今日の放送(奄美篇の129回目)は、ちょうど1年前に尼崎で録音した貴島康男君が参加したウタアシビの様子をON AIRしたのです。迎えたのは、勝島伊都子さん、斉藤美智子さんと喜界島の人たち。
天才少年といわれながらも、20歳前後で挫折。なんとか再起して有為なる唄者になった貴島君の歌声と三線の素晴らしさを放送しました。やはり才能のある人というのは、才能だけではなく、人知れず努力しているのですねえ。
本日のミキシングは、金チュサ氏。今年はチュサ氏と何度かコンビを組みました。(そして局はすでに年末年始の特別番組づくり体制に入っています)。
724-11月18日(日)
アフガニスタン情勢が一日のうちでもちょっと目を離すと、大きく局面が変化しています。こうした情勢の変化を読みとるには、インターネットによる情報収集が便利です。今月、ニューヨークで旅客機が墜落した時、アメリカのCNNにアクセスしましたが、おそらく世界中からアクセスしているためか、なかなかつながりません。仕方なく、文字情報に切り替え、朝日新聞のネットニュースを閲覧。このサイトは、筆者がインターネットをつなげると必ずのぞいているところです。
最近では、Yahoo のニュースサイト海外篇も同時に見るようにしています。ここは毎日新聞と読売新聞の外電速報がリンクされていて、朝日より早く詳細であることが多いのです。本当は共同通信などの通信系サイトが充実していれば、見るのですが、こうした企業はニュースの報道各社に対する卸売りの姿勢を崩していないために、商品を一般市民に小売りしていないのです。
戦争の情報というのは、少しでも早いほうがいいに決まっています。かつてのベトナム戦争では、まだまだ新聞メディアが、即時性において有効でした。中学生だった筆者は、ベトコン(南ベトナム人民解放軍)と北ベトナム軍が、どこの都市・村を攻撃したとの情報に、関心を集中させていたものです。
時代は変わりました。戦場にいるジャーナリストが電源(バッテリー)さえ確保していたら、パソコンとデジタルビデオカメラさえあれば、世界のどんなところからでもリアルな情報を知らせることが出来るのですから、アフガニスタンも身近な存在です。また、現在の時点では、組織に属した記者が後衛の安全な場所から情報を発信していましたが、これからは危険を顧みないフリージャーナリストの情報発信が増えることでしょう。
723-11月17日(土)
三宮の街を歩いて、その変わりざまに驚きました。センター街を歩いていると、"Mitchan"がないのです。この店は、神戸っ子なら知らない人はいないぐらいに流行っていた輸入雑貨店でした。そう広くない店内は土日ともなると、通勤電車並の混雑ぶりです。さらに店員の応対も、繁盛店ならではの無愛想さで、安いから、他では売っていないからその店に通っていたものの、店員のぶっきらぼうさは、不快な印象としていつまでも記憶に残っている、といった店でした。
"神戸経済"の心臓部にあたるビジネス用地も、いまだ空洞化のままです。かつて震災までダイエー三宮店があった敷地は、柵に囲われた"お花畑"のまま。隣地の旧・みどり銀行の本社跡地は、駐車場になっています。また震災でビルが壊れたいくつかのダイエー関連ビルも、高い柵に覆われたまま、土地がフリーズしています。ダイエーに関しては、創業者・中内功氏が経営の一線を退いてからは、神戸が聖都ではなくなり、やがてダイエー以外の企業に転売されていく可能性が高いでしょう。
戦後の神戸を彩ってきた小売り産業の模様が、震災によって大きくさま変わりしています。やがて何年後かには、"SOGO"の文字も三宮の一等地から消えてしまうでしょう。かつて先の戦争にも耐えて生き残ったそごう三宮店が、戦後最大の不況という"経済内戦"によって消え去ろうとしているのです。
722-11月16日(金)
"祭の後"といいましようか。大きなイベントをしますと、その後が淋しくなるものです。準備に忙しかったスタッフも含めて、少々疲れ気味です。フラメンコは見ていて元気になる芸能です。考えてみれば、極東Japonと縁もゆかりもない極西スペインの芸能を、Japonの人間が演じるわけですから、不思議なものです。
昨日、"El Cardamomo"のステージを見ていて面白いと思ったのは、演奏が後半になって、ステージも演奏者も乗ってくると、カンテの人に続いて、ギターラの人も踊り出したということです。スペインのヒターノ社会では、ギターがかき鳴らされると、椅子に座っていた人が、誰が次に歌い出すというルールではなく、ひょいと立ち上がり、踊りながら歌い出します。それがごく自然なのです。"El Cardamomo"の人たちは、ヒターノの"うた"社会を正直に表現していて、ああ、この人たちはフラメンコを楽しんでいるなあ、と感激したのです。ちなみにギターラの人が踊っている時には、カンテの人がギターラを演奏していました。
721-11月15日(木)
月曜日、11月15日(木)
カルメン創業45周年を祝って、本日、フラメンコディナー・ショーが当店にて、行われました。出演したのは"El Cardamomo"の皆さん。伊集院あさか・宮本よしえ・山本なおこさんの女性三人のバイラオーラで結成されたフラメンコ・ユニットです。伴奏は、ギターラの松井たかしさん、カンテ(唄)の岡本進さん。パーカッション(カホン)の中村がくさん。(ちなみにカホンとは、映画「ヒターノ」でホアキン・コルテスが叩いていた楽器です。筆者はあれが楽器だとは今回初めて知りました)。
午後6時からディナータイムとして、食事してもらい、午後7時45分から、創業45周年のセレモニーをしました。筆者(2代目)が司会をして、初代が挨拶。続いて、お客様として来店していた数盛哲夫・神戸日西協会会長が来賓挨拶。午後8時から、"El Cardamomo"のフラメンコ・ショーが一時間たっぷり行われました。
カルメンでは過去になんどかフラメンコを催しましたが、今日の三人の踊りには勢いとパワーが溢れています。三人とも背格好が170センチほどで、それだけで、踊りにパワーとスピードが伴います。三人による群舞も見物でした。また、踊りだけできなく、カンテ・ホンドだけの曲も挿入されるなど、フラメンコ本来の魅力であるカンテを重視した姿勢は、好感を抱きました。
全体に、ノリがよく、三人の若さもあって、最初からグイグイと力で押していく舞台設定は、迫力があり、飽きが来ませんでした。やはりバイラオーラでも、若い人は、それだけで"華"なのですねぇ。最後は、ゼビジャーナス。お客さんも参加できる踊りで、沖縄で言えばカチャーシー、奄美では六調といったところですが、困ったことに4番では、筆者が舞台に出されてしまい、恥ずかしい踊りを見せてしまいました。筆者は、フラメンコは踊ったことがないので、奄美・六調のノリで踊っていました。(伊集院さんが、「セビジャーナス、よかったですよ」と言われてまた恥ずかしくなってしまいました)。
創業45年。これまでいろいろありました。こうしてフラメンコ・ディナー・ショーをしたのは、ちょうど10年前の創業35年の時でした。その時は、筆者の中学時代の同窓生でもある石川淳子さんに踊ってもらいました。しかし創業40年(1996年)は、震災から1年しかたっていず、こうしたイベントをしようという余裕はありませんでした。
720-11月14日(水)
月曜日、親子三人で外食した後、娘と二人で動物園に行って来ました。阪急岡本駅から三駅。すぐ近くにこういう都市施設があるというのも、便利なものです。神戸という都市は、今は震災で元気がないものの、文化的なインフラは整備されていることに驚きます。娘には事前にどんな動物が見たいか、リストアップしてもらいました。
リス、ペンギン、パンダ、小鳥たち、ワニ‥‥
人気のパンダは戸外で昼寝中。いつきてもこの猫科の動物は寝ています。カナディアンおおかみは少し怖かったようです。傑作なのは、アシカの子どもと娘がしばらく遊んでいたことです。半地下の部屋に行くと、ガラス越しに水中を泳ぐアシカを見ることができます。われわれのところにやって来たのは、好奇心旺盛な子どものアシカ。娘が右手を大きく伸ばしてみると、鼻をすり寄せてきます。その手をグルグル回すと、アシカもその手の動きにあわせて身体を器用に回転させます。次に伸ばしたその手をアシカに向けたまま、大きなガラス面に沿って走ってみると、アシカも全速力で追いかけてきます。端までいったら、またとって返して反対側の端へ。それを何度か繰り返して、娘とアシカの子どもは、子ども同士気持ちよさそうに遊んでいます。筆者は思わず"ブラボー"と叫んでいました。娘は終わってから「ぼくやちゃん、アシカとの"かけっこ"に勝ったぞ」と自慢しるのです。
園内の入り口では、満開の桜がありました。"ジュウガツサクラ"という品種で、白く薄い色をした花弁です。筆者は少しだけ頂戴して娘に渡します。帰宅後、娘は押し花にするといって幼稚園時代に使っていた小型の絵本を持ち出して来ました。その本には、ここ数年の桜の花弁が押し花にされていました。(父)親の趣味というのは遺伝するのでしょうか。
719-11月13日(火)
アフガン情勢が、急転回しています。なんでも今のアフガニスタンというのは、Japonでいえば、戦国時代にあたり、各地の軍事勢力が割拠している状態で、統一軍事政権はなかなか確立しずらい情勢だそうです。
今日、北部同盟が首都カプールを制圧しましたが、タリバーン側はたいした軍事抵抗をせずに、南部のカンダハルに退去していきました。このままだと、国土の北部を、北部同盟、南部をタリバーンが制圧するという「南北朝」時代が現出するのかもしれません。Japonの「南北朝時代」は、両陣営がめまぐるしく京を奪還しあっていました。アフガンにとってはカブールが京にあたるでしょうか。
群雄割拠が、アフガンの今にとって自然という状態であるなら、統一中央政府を作ろうとする意思はアフガン国民内部から沸き起こるという感じではありません。また欧米各国は、国内に向けては、地方分権化を進めているのですが、民主主義国家というのは、内に向けた顔と外に向けた帝国主義的な顔という二つの側面を持っているために、アフガンに向けては、強力な中央集権国家を作るよう仕向けていくのでしょう。
718-11月12日(月)
カルメンの定休日。娘が代休になったので、親子三人で、外食をしました。
行ったのは摂津本山駅北側のビルに入ったイタリア料理店。少し大衆風です。ここは"甘太郎"を経営しているグループの一店です。マーケティングは20歳代女性に絞っているのでしょう。価格が安く、ドリンクはカクテルが他種類置いています。ワインはフルボトルでも1350円程度。この価格帯なら、スペインワインなら、Joven か Sin Crianza レベルでしょうか。熟成しない早飲みタイプなので、しっかりしたティストは期待できません。
価格が安いために、親子三人でよく食べました。ソース類はまあまあの出来。ただ、イタリア・スペイン料理のコアであるトマト・ソースはもう少し深みが欲しいところです。そしてこういうチェーン展開している店は、当初展開していたメニューがお客様に一巡してしまうと、こまめに新メニューに替えていくのでしょうか。各店舗の地域事情もあるはずです。気になるところです。
717-11月11日(日)
友人の川柳作家が友人を伴ってカルメンに来てくれました。この文学ジャンルは、俳句と共に、"挨拶句"を大切にします。さっそく作品を作ってくれました。
・三宮 兎の肉が 港町 赤松 勝
二人が注文した一つがコネホ(兎肉)のシャンハイナ。野菜がたっぷり入ったトマトソース仕立ての料理です。
・発句論 兎の肉を 飛ばしつつ 島 一木
私も加わった三人の話は、川柳と俳句の相違について。俳句は発句だけを無理に独立させ、俳諧を拒絶することによって成り立った文芸です。その俳諧が含有していた幅の広い表現世界を、ある意味で引き受けたのが、川柳かもしれません。同時に、川柳という文芸自体、〈和歌--短歌〉〈俳諧--俳句〉という定型詩が辿った近代における"断層"は存在しないようです。"短歌""俳句"が拒絶によって成り立った文芸であることに対して、川柳は、俳句によって切り捨てられた俳諧や、連句、そして狂句(狂歌)などの周縁文芸を引き受けてきたジャンルだと言えるのでしょうか。
また、連句についてですが、最近連句をする人が筆者の周りにも増えています。連句がつちかってきた"座"の文芸のありかたが、21世紀には復権するかもしれません。反対に、俳句という文芸は、結社という共同体の中に依拠しながらも、"個"の作品として屹立しようとした自己矛盾を孕んだ文芸といえるのでしょうか。
・きのこきのこ 三鬼の部屋の となりに居る 赤松 勝
三鬼とは言わずといれた俳人の西東三鬼。戦中から、敗戦直後まで、トーアロードの妖しげなホテルに泊まって、そのホテルに住まう多国籍な人たちのことを「神戸物語」に書いたことで有名です。ただ三鬼は、京大俳句事件で検挙されてから、戦争が終わるまでは俳句の筆を折っています。カルメンからトーアロードまでは目と鼻の先。三鬼が紡いだ物語と同じ風土の中に、われわれは暮らしているのです。
716-11月10日(土)
拙宅の"猫の額庭"に植わっているリラの木の枝を、大胆に剪定しました。この庭は、日当たりが悪いので、枝が上に、南に向けてひょろひょろと成長しがちなのです。もうすこし、幹を太くしたいために、枝を一本だけにしました。今のこの時期に剪定するのがいいのかどうか分かりません。そしてリラの再生力を信じての剪定ですので、素人判断による行為です。果たして、リラは応えてくれるでしょうか。
715-11月9日(金)
不思議な習性というものがあるものです。中町のTさんから買ったお米は、30キロ入り袋に入っています。それを居間に置いているのですが、息子たちが、意味もなく日に何度か、その袋の中を覗き込むのです。そこにお米が入っていることは、一度見れば、分かることなので、何度も見る必要はありません。ひょっとたら、袋の中の米の残量を無意識に、目算しているのかもしれません。
筆者も時々ですが、拙宅で料理を作ります。料理を作っていて、男と女が料理に向かう際の基本姿勢が違うのではないかと思うのです。男は本来的にこの料理は保存食になるのかどうか、心の中で一度は考えないでしょうか。薫製やソーセージを作ることが、キットとして売られているように、こんなに食料が豊に出回っているJaponにおいても、いつどういう形で食べ物が無くなるかも知れないという"飢え"への先験的な怖れがあり、それが保存食を作る動機になっているような気になります。
息子たちが米袋をのぞくという行為は、米櫃の中の米の残量を計るという農耕民族としての"記憶"が無意識のうちに露呈しているのかもしれません。われわれJaponの人たちは、米というのを連綿と作り続けました。勿論、米を作らなかった、作れなかった人たちも少なくないということも知っておく必要があります。米の残量は、視覚的にわかる"飢え"に向かう数値だとも言えるでしょう。少なくなれば、足す、あるいは買いたす、といった経済行為と連関しているのです。
714-11月8日(木)
いま拙宅で食べているお米は、友人のTさんが作った新米です。Tさんは兵庫県中町に住んでいます。西脇市の少し北にあるところです。今年、年老いた父を見送り、ぽっかり空いた心の隙を埋めるために、先祖から受け継いだ田畑でお米を作ることを決意。たんぽに入って、自分でコンバインを動かし、収穫までこぎつけました。筆者にはメールで、「お米、作りました」と連絡してくれました。「買います。送って下さい」と早速メールしたのは、言うまでもありません。
その新米は、ほこほこしていて、Tさんの愛情が伝わってきます。送られてきた手紙には、コンバインに農婦の格好をして座っている写真が貼付されていました。さまになっているので、関心してしまったのです。最初、玄米のままで送りましょうか、と言ってくれたのですが、子ども達が精米されたお米に慣れているので、ライスセンターで精米してもらってから、送ってもらいました。
都会民である筆者は、昔から流通経路に乗ってきたお米を食べ続けてきたので、産地直送の、作り手がはっきりしているお米の味を知りません。最近では、生産者の顔が見える農産物も盛んに流通しています。筆者とわが家族は、そういうお米も食べますが、少し高めの価格設定であることが多いため、いつも食べているわけではありません。
中町は、もうあと少し北にいけば但馬となります。冬は雪こそ積もらないものの、播州平野の最北端に位置しているために、風土もこちら神戸のあたりと違うのです。Tさんは、お米の他に、黒豆の"枝豆"も一緒に入れてくれたのです。----いいなあ、自分の田畑を持っている人は---- 21世紀は、自耕出来る人が、多様な創造性を発揮できるような気がします。
713-11月7日(水)
〈カルメン 01年 冬の俳句徘徊 no.26〉・冬に入り一と日一と日と衣好み 星野立子
今日、立冬。
季語を大切にする有季定型の人たちは、一斉に歳時記と作句心を「冬」にシフトしていることでしょう(かくいうこの「カルメン 俳句徘徊」も今回から「冬」篇に移行しましたが)。この季節は日々、寒くなり、風邪もひきやすくなるなど、乗り切るために、覚悟が必要です。しかし、いままで高かった日差しが、低くなることで、家の中に入り込み、暖かな気分にひたれることも確かです。この作品の「衣」とは、和服のことでしょうか。冬は冬なりに、あの会合にはこの柄にして、あのお呼ばれの時には今年はこれにして、とあれこれ悩むのでしょうか。それとも冬に着るためのよ洋服を沢山持っている人が、夢想しながら、楽しんでいる光景なのでしょうか。冬の日溜まりの中で、微笑している女の幸せが見えてきます。
筆者も冬は嫌いではありません。この季節ならではの、情感が濃厚に漂っているからです。また、各地の民俗などが、比較的表出しやすい季節でもあります。雪が多い日本海側、東北、北海道、乾期にあたる太平洋側、"風の国"となる琉球弧。それぞれの地域に貌があり、それぞれの"うた"が存在します。
712-11月6日(火)
今日も岡本についての話です。この街の店舗の変遷も、三宮なみといっていいのではないでしょうか。商業テナントがころころ変わる原因に、この地域のテナント料の高さが指摘されます。ひょっとして、三宮地区の平均より高いのかもしれません。少しでも売上げが落ちると、賃料の高さに耐えきれず撤退していくのです。
だからしばらくぶりに岡本を歩くと、テナントの移り変わりが敏感に分かるのです。ここの一つの特徴は、街のイメージとしては、高級感があるのですが、商品構成でいえば、高額商品を扱う店舗展開は受け入れられない、ということです。ここのところのマーケティングを見誤ると、新店をオープンした後でも方向転換できる大手以外はしんどいような気がします。例えば、フランス料理店は、長く続かず、イタリア料理店が生き残っているという事実を挙げておきましょう。
また、ドンクが造った商業ピルの二階にあるレストランも開店当初、高級感を出していていました。つまり値段も高めだったのです。しかし、しばらくして、全体の単価をさげ手頃感覚のメニュー構成となり、昨日の時点では、ランチメニューが全面に掲示されていました。つまり、このあたりは主婦層に支持されなければ、難しいということです。主婦の人たちは、学校のクラス委員の集まりの打ち上げだとかで、この周辺のレストランをよく使うのですが、低価格のランチがあるかないかが、選択の第一関門なのです。
また、学生たちも大きなカストマーに違いないのですが、彼らはリピーターとはなりにくいので、彼らの来客を計算しずらいということになります。学生たちは、常に新しい店に行きたがる傾向にあるからです。岡本は店舗の新陳代謝が激しいので、今ここが新しくても、数カ月後には、また新店舗が出来ていて、そこに学生が押し寄せるということになるのです。
普通の寿司店が回転寿司屋に意趣替えして、失敗し、流行の"Cafe"になったり、焼き肉屋から、イタリア風大衆レストランとなり、居酒屋チェーンにめまぐるしく変わった店舗とか、小規模書店が二つ消え(一つは駅前のの典型的な家族経営書店、もう一店は中堅書店チェーンの支店)、新古書店がオープンするなど、この地域の変遷の例をあげようと思えばいくらでもあります。岡本で商売を成功させるのは、難しいのです。
711-11月5日(月)
カルメンの定休日。久しぶりに、拙宅周辺だけで休日を過ごしました。金融機関を回っていると、Japon経済の変化が読みとることが出来ます。太陽神戸銀行時代からの店舗(太陽神戸→さくら→三井住友・岡本出張所)が、今週で閉鎖され、後で進出してきた住友銀行の旧岡本支店が三井住友銀行の店舗として生き残ります。やはり、住友系のほうが、さくら係より政治力が強いのでしょうか。土地の利便性からすると、閉鎖店舗の方がいいのですが。
銀行名が変わったといえば、ダイエー横の"みなと銀行"もそうです。ここはもともと阪神銀行岡本支店だったのですが、みどり銀行を吸収合併した後、みどり銀行の岡本支店が廃止され、旧阪神銀行の支店に統合されたのです。あと、岡本には、三和銀行、大和銀行の各支店がありますが、この二行とも来年になると、経営統合などで、銀行名が変わることが予想されます。
とにると、岡本周辺で、昔から名前の変わらない銀行はなくなってしまうということになります。時代は1990年代から大きく変わっています。
711-11月4日(日)
11月からの新メニューを紹介しましょう。〈カキのグラタン アリオリソース風味〉 ¥1000
これは、リクルートから出している『じゃらん』(12月号)という旅の雑誌の編集ページに紹介されることをキッカケとして、考案された新メニューです。おかげさまで好評です。お代わりする人も多く、すぐ仕込みのカキが無くなってしまうのが悩みとなっているぐらいです。
この一品の特徴は、アリオリソースを使っているという点です。このソースは、ガーリック入りマヨネーズと思っていただいていいのですが、加熱しても、素材を引き立たせるという優れもののソースです。もともと、グラタン料理が好きな人が多いので、注文する人が多いのです。
これから、グラタン料理が似合う季節になってきます。是非、皆さん、お試し下さい。
711-11月3日(土)
〈カルメン 01年 秋の俳句徘徊 no.25〉・小春日の我をとらへて離さゞる 安積素顔
地上の人間のなりわいは、暗気(あんき)つづきですが、一転天空を見つめると、抜けるような秋の空がここ数日続いています(今日は残念ながら朝から雨模様ですが)。陰暦10月のポカッと晴れ上がった日のことを「小春」といいます。女性の名前にもかつてありました。(ちなみに、本土では小さきものに対する愛称としての"小"の字は、名詞の前につけることが多いのですが、琉球弧では、名詞の後に付けることが多く、"ぐゎ"と発音します。〈例〉加那小=かなぐゎ=若いお嬢さん。----すみません、蛇足でした)。
全身を心地よい天候に包まれて、小さな幸せであるけど、身体のすべての毛細血管が活性化するような至福の境地なのでしょう。こうした境涯になるのは、なにか大病の後とか、ひとつ大きな峠を通り越した時こそ感じるものなのでしょう。2001年のJaponは、まだまだ暗気(あんき)が覆い尽くしています。
710-11月2日(金)
午後5時前、在阪すぺてのマスコミのヘリコプターが三宮に集中したかのような騒ぎでした。JR三ノ宮駅の階段でのぞき見行為をしていた暴力団員が、巡回中の私服警官に発見され、同行されている途中、所持していた拳銃を2発、地面に向けて発射したのです。駅構内は一時騒然として、パニック状態になったということです。
この前、神戸に多くのヘリコプターが舞った時は、小泉首相が大丸前で演説した時のことでした。しかし、阪神大震災でイヤと言うほどヘリコプターの音を聞いてきた筆者にとって、爆音のように鳴り響くあの音は決して快感ではありません。
幸い、犯人はその場で取り押さえられましたが、どんな人が拳銃を隠し持っているのか分からず、物騒な世の中です。その暴力団員は、のぞき行為をしていたというのですが、全く稚拙なことをするものです。
709-11月1日(木)
〈カルメン 01年 秋の俳句徘徊 no.24〉・冬耕や石を噛みたる鍬の音 山添斗汐
こういう農作業の作品は、筆者にとってもっとも縁遠いものです。歳時記によると、冬に田や畑を耕すことで、稲刈りのあとの粗起こしだけのための時もあるし、麦を蒔くための、作業であるとも説明されています。
冬に雪に覆われる地域の田畑には、"冬耕"という季語は存在しにくいはずです。農に依拠する俳句は、この21世紀になってもある種、特権的な位置を占めています。農耕儀礼の季題・季語を使用するだけで、なんとなく俳句らしくなるのも確かです。しかし、農耕に携わっている人たちは、この国のごくわずかしか存在しません。
冬が近づく田畑は、弧愁が漂います。(しかし今の農業生産者は、鍬なんて使うのでしょうか。コンバインに乗っている姿を思い浮かべ、彼らと土との距離があるように思えてなりません。むしろ家庭菜園の担い手が鍬を使っていそうです)。開拓した土地に鍬を入れてみると、石にぶつかった。作物を造る厳しさが伝わってくる作品です。
708-10月31日(水)
今日で10月もおしまい。今年もあと二カ月を残すのみとなりました。11月は、カルメン創業記念日(23日)があり、これを記念して15日にフラメンコ・ディナーショーがあります。まだ席は若干余裕がありますので、お早めに申し込んで下さい。
さて、9月11日にアメリカにテロ事件が起きて、不況が世界的に拡大しようとしています。今からすぐにJaponの景気がよくなるとは、誰も予測していません。しかし、国家や自民党、そして銀行団によって何重にも保護されているゼネコン業界だけは、民間業界では例外として大型倒産はないようです。もし、このままこの大不況を乗り切ることであれば、筆者の息子たちには、将来、大手建設t会社へ就職するよう薦めるつもりです。銀行でさえ、倒産していく時代にあって、かの業界はなんと堅調なのでしょう!!
707-10月30日(火)
サントリーの営業マンが、攻勢をかけています。いま、カルメンでは、サントリーの扱い商品として、スペインのワインやテキーラなどを使用しています。スペインのワインは、ペネデスというDOのトーレス社製です。大手企業です。まあ、それなりに味は安定しています。
10年以上前、いまほどスペインワインを扱うエージェンシーが多くなかった時代は、サントリーの扱うトーレスや、リオハのシグロによくお世話になりました。当時は、ワインの輸入を手がけるのは、資金力と販売力が必要だったのです。いまほどJaponの人たちは、ワインを飲まなかったので、ロットもそう沢山でなかったのでしょう。
しかし、今はスペインワインを扱うエージェンシーが多くなり、サントリーへの依存度が極端に落ちています。そしてサントリーも取扱いリストを見ていると、スペインワインに関しては、フランスワインほど積極的ではないことが見えてきます。数年前から殆ど扱い商品の構成は変わっていません。
カルメンでトーレスやシグロを主力として位置づけていないのは、何十年営業しているうちに、こうした商品を"消費"してしまったと言うことができるでしょうか。
もっともサントリーの営業マン君は、カルメンでサントリービールを扱ってほしいのが本音なのですが。
706-10月29日(月)
カルメンの定休日。FMわぃわぃ「南の風」、今日は二度の生放送をしました。
まず午後4時からは、沖永良部島にI(アイ)ターンして、ペンション「フーチャランド王国」を経営している山本一男さんのインタビューを中心に、沖永良部の島唄を放送しました。(唄は前田綾子さん、サンシルとハヤシは新納安栄さん)。西宮市に住んでいた山本さんですが、喘息の治療や、冬に温かい場所に住みたいこともあって、沖永良部島に移住を決意。フーチャという、観光名所の近くにペンションを建てたのです。
午後7時からの放送では、近畿大学文芸学部教授の清(きよし)眞人(まひと)をゲストにお呼びしました。清氏は、奄美二世。瀬戸内町の出身です。奄美には、新婚旅行で一回。そして、姻戚の清眞島という人の葬式で帰った二回だけですが、特に二回目の里帰りは強烈な印象があったようです。
清眞島という人は、かつて沖縄で"マジ組"を作り、戦後の混乱期、やくざ世界ににらみを効かせた人物として伝説化されています。奄美の人は、この人の活躍を自分が見てきたように語ることで、英雄譚として活用しているようです。
番組終了後、清氏と大阪日日新聞記者の大山勝男氏と、JR鷹取駅近くの奄美郷土料理屋"うたげ"で、飲み会をしていました。そこで大きな発見です。この清氏の父上(故人)と、筆者の父が同じ満州の大学「満州建国大学」に学んでいたのです。飲み屋から父に携帯で話してみると、確かに卒業者名簿の"2期"にその名前が載っているとのことです。(ちなみに父は"5期")。いやあ、びっくりするいうのは、こういうことをいうのでしょう。
その清氏、当時の朝鮮半島の学校から、満州の大学に進学したようです。世の中の縁というのは、いつどこでつながっているのか、わからないものです。お互い、建大で学んだ父を持つ同志、このことでいずれじっくりと話し合おうということになったことは、言うまでもありません。(いっそのこと「満州二世団」という知のグループを作りましょうか)。
705-10月28日(日)
昼、大阪・梅田で行われた俳人・堀本吟さん主宰の「北の句会」をのぞいてきました。この会は、川柳と俳句の人が入り交じって、論じ合うという開かれた文芸の場です。今回の句会で出された作品のうち、興味をひいたのは、川柳の人が「時事川柳」と呼ばれる作品を提出していたことです。つまり米テロ事件を題材とした時事的な作品が、いくつか出されていたのです。一方の俳句は、時代の流れに殆ど関係ない季節・季題を重視した作品が出されています。俳人には、世の中の大事件などまるで存在しないかのように、季節のうつろいだけが関心事のようです。
この違いはショックでした。朝日新聞の俳句・短歌投稿欄を見ていますと、この二つの詩型がもっとも違いを顕著にするのは、八月です。一方の短歌が戦争をテーマとした作品が一挙に多くなるのに、俳句は殆どみかけず、季節のディテールを発見していくという"小さな季節みつける言語ゲーム"に没頭しているのです。
そして川柳もまた、時事を詠い込むジャンルがあるのです。その"即時性"は、俳句ジャンルにない分、はっきりと違いが目立つのです。また川柳の人はこうもいいます----「川柳には"消える川柳"というのがあるのです」。つまり、その場・その時だけに通用する作品をつくるというものです。そうした作品は、時間がたてば、"賞味期間"がすぎて鮮度を失い、面白みがなくなります。しかし、川柳作家は、こうした大きな事件が起きると、"時事川柳"を作りたいと思うのだそうです。
筆者はいかに川柳という文芸ジャンルを知らないかを知りました。
704-10月27日(土)
今年は暖かいようです。もうすぐ11月だというのに、ポカポカ陽気が続いて、冷え込みもそうたいしてきつくありません。いま世界中で、本格的な冬の到来が注目されているのが、アフガニスタンではないでしょうか。山が多いあの国では、降雪もまた深そうです。ゲリラ戦術をとるアフガン人たちは、寒さと飢えと闘いながら、壮絶な戦闘を続けるのです。彼らは、ロシア、英国、ソ連を撃退してきたという民俗の誇りを持っています。アメリカもまたいずれは撤退するだろうと、勝利を確信しているのです。
彼らは、自分たちを守るという意味で、聖戦(ジハード)を意識しています。パキスタンでキリスト教会への無差別テロ銃撃事件も起きました。ところで、今は、キリスト教対イスラム教という構図なのでずが、もしか仏教国が、どこかの宗教の「聖戦」の対象となれば、仏教国は団結して"異教徒"に対して闘いを挑むのでしょうか。
いま、アフガンでは、われわれJaponの人たちが何の抵抗感もなく接している「赤十字」の赤い十字架が、襲撃の対象となっています。イスラム世界では、「赤三日月社」という名称に変化するのです。ところで、仏教の話ですが、仏教には、こうした他者救済のための国際医療組織はあるのでしょうか。利他行を宗旨としている仏教のことです。なにかありそうですが、すぐには思いつかないのです。不思議なことです。
703-10月26日(金)
エクストラマドゥーラという地域があります。スペインの南西部。ポルトガル国境に接している大きな地域で、カスティージャ、カタラン、バスク、アンダルシーアといった地域には、どこか"華"があるのに、ここは徹底して地味な印象があります。このエクストラマドゥーラの出身者として有名なのは、インカ帝国を滅亡においやったピサロがいます。徹底した異教徒破壊の行為は、何百年たった今も、その罪は消えることがありません。この地域は、いまでもいくつかの大地主が多くの面積を所有していることで、有名です。こうした地域の逼迫感・閉鎖性がピサロの破壊行為に直結したのでしょうか。
今日、そのエクストラマドゥーラのDO(原産地呼称)ワインを試飲させてもらいました。持参したのは、ワインに滅法詳しい酒屋さんです。輸入元は、スペインのワインを専門に取り扱っている小さな商社です。
この地域のワインはかつて飲んだことがありますが、スペイン国内でも有名でないぶん、価格が安く求めやすくなっています。ラ・マンチャ地方や、かつてのトロもそうですが、こうしたDOの赤ワインは、荒々しいまでの粗野なボディをしています(関西弁でいえば、コテコテの味)。それは樽にねかしすぎのためだったり、また暑い地域なので、葡萄の水分蒸発を防ぐために果皮が厚くなり、糖度が高くなる傾向があります。
おそらく、スペインの赤ワインというのは、ものの数十年前までは、こうしたワイルドなボディが、主流であったのでしょう。唯一、リオハやペネデスあたりのワインのみが、他のヨーロッパ人にも許容されるレベルのティストだったのではないでしょうか。
試飲したのは、Vina Jara (ヴィニャ・ハラ)というボトル名です。熟成期間を示すクラス名はラベルには表記されていませんが、筆者の"舌評"では、CRIANZAといったところでしょうか。さらに最近DOを所得したというだけあって、ラベルデザインが少し"今風"です。そしてソフトに仕上げようと言うボデガス(蔵元)側の意向は反映されているものの、どこかこの地域のワインが持っているヘビィ・ボディの面影も味わえ、その折衷が面白いといえば面白い、中途半端といえば、中途半端です。
こういうワインは、この地方特産のミガスが合いそうです。
702-10月25日(木)
本日、カルメンビルの地下テナントの"日向"さんが、拡張改装工事を終了させて、オープンしました。これで、先月にオープンした1Fの「さむらい新撰組」ともども、新しいテナントさんで、新しい世紀に乗り出すこととなります。そして1F東角の"なべちゃん"も、元気に営業なさっています。カルメンビルは、三宮駅から徒歩1〜3分の交通至便なところに立地しています。帰りの電車に乗るために、そう急がなくてもいいし、駅で待ち合わせしても、すぐ到着できるという便利さです。これからも、カルメンビルの各テナントを利用してください。
701-10月24日(水)
社員旅行でいった信州は、山また山の連続です。Japonという国は国土の60%が山地に占められていることを実感するのです。この国は10ほどの地域に区分され認識されています。地理的な隔絶性もあって、それぞれの地域の風土・人情に特色があるのです。ここから、出版人・知識人が多く輩出したというのも、沃野ではない土地柄で、いかにして生活していくかの知恵を働かせないと、風土に埋没しかねない危機意識が強かったからなのでしょう。