店主つぶやき日誌(毎日更新しています)

  2002年〜200303年の辞書から「希望」と「回復」は消滅しました)
 
店主のつぶやき日誌の
バックナンバーです
001

100
101

200
201

300
301

400
401

500
501

600
話 
601

700
 
701

800
800

900
900

1000
1001

1100


  表紙ページへ回帰 | お得なお任せコースを知りたい | カルメンのイベントを知る |


1200……3月15日(土)
雨。

休憩時間に大型古書店「MANYO」、ジュンク堂書店を巡ります。(古)書店というのは、面白いもので、ただなんとなく入った時は、これは、と思う本がないものです。なにか原稿を書いている時とか、あることに集中しなくてはいけない時に、ビビッとくる本に出会うのです。やはりそう言うときは、テンションが上がっている時であり、知的センサーが活発に動いているからでしょう。

昨晩、瀬戸内を航行する船から筆者の携帯電話にメールが着信しました。友人のMT氏が、下関の大学に助教授として就任するために、大阪・南港から船出したのです。面白い発想です。MT氏は京都在住なので、新幹線に乗っていけば、3時間もあれば下関に着いてしまうのですが、わざわざ船に乗るところが"数寄"です。西日本という場所は海運によっても移動出来るのだということをMT氏によってあらためて確認することが出来ました。

そのMT氏、なんと段ボール100箱分の荷物があったそうです。書籍やらCD、生活用具などを併せてのことでしょうが、すごい量です。本など実家にいくらか置いてきてもよさそうなのに、身ぐるみ担いで赴任するといった印象です。「もう引っ越しはしたくありません」とそのメール。そうでしょう。段ボールを開けて、再構築するだけで、こりゃあ大変です。
1199……3月14日(金)
昨晩から今日にかけて、拙宅と店にあるPC(パーソナル・コンピュータ)内のメールを整頓しました。MOディスクに移し換えたのです。いままで一年に二度ほど大掃除をしているのですが、前回は去年6月でした。長めの原稿締め切りが次々とあって、多忙だったのと、こうしたメール整理はなにか一段落していないと、心が向かないものです。また、もうすぐ筆者がDTPを担当する雑誌を一冊仕上げないといけないので、Finder上をなるべく片づけておきたかったのです。

筆者のパソコン歴もはや5年を過ぎました。MACというマシーンは、直観がするどい人向きだと言われています。だから頭が考えるよりも、キーボードとマウスが動物的に動かせる人向きなのでしょう。つまり若者の方が向いているのです。筆者よりいくら遅くMACを始めた若者でも1年もたてば、筆者が教えを請うほどに成長しています。

昨晩はある料理のレシピを検索していました。やはり今の生活に、PCとインターネットは手放せません。今年は一回5枚の連載コラムに集中するつもりですが、長文の原稿依頼がないので、余裕があります。拙宅で料理を作る機会を増やそうと思っています。
1198……3月13日(木)
戦争とうさぎ肉についての話です。

Conejo (コネホ、うさぎ肉)が、ひた迫る戦争の影響で、現在在庫分のものがなくなると当分入荷しなくなり、提供できなくなる可能性が出てきました。ついに今回の戦争がカルメンにも波及してきました。この原因ですが、おそらく世界の海運業界は、リスクの高いスエズ運河を避けて、喜望峰まわりの航路を選択しているのではないでしょうか。当然、日数がかかり、コストも高くなってきます。それでも船舶や荷物そのものを無くすよりもまだまし、といったところでしょうか。

また、戦争やミレニアム祝賀行事といったアメリカに関わる事態となると、牛肉の動きがアメリカに集中するようになるとのことで、Japonに入ってくる量が減ってしまうのではないかとの情報があります。これもまた、今回の戦争と無縁ではありません。戦争と食材は、現代のグローバル化した食品流通の中では、敏感に推移します。

もうひとつ、アメリカにあるフランス料理店はいま慟哭しているのではないでしょうか。アメリカは、ブッシュ・ジュニアばかりではなく、対イラク戦争に対して評価を与える国民が多いだけに、"NON"をアメリカに突きつけるフランスに対して、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」との理屈で、文化そのものを拒絶するのでしょうか。そうすれば、今回の国連安保理で、アメリカの味方をしているスペインの株が上がり、スペイン・ワインがフランス・ワインに代わって飲まれるかもしれません。そうなると、またJaponにスペイン・ワインが回ってこなくなります。
1197……3月12日(水)
現在、国連の安保理でイラクに対する武力行使を容認するかどうかの議論が闘わされています。今日の時点では反戦ムードが高まっている英国抜きでも米国は単独でイラクのフセイン政権打倒を行おうとしています。もうこうなれば、米-イラク戦争といった方がいいのかもしれません。歴代の大統領の中で最も教養のない男と言われながら、追いつめられた時は"強き一辺倒"となるブッシュ・ジュニアの頭の中は、戦争モードしかないようです。

一方、安保理で米英に強調路線をとる数少ない国にスペインが登場します。なぜ、スペイン? と唐突に出てきた感をぬぐい去ることはできません。そこで思い起こすのは100年前。米西戦争が行われました(1897年)。この時、スペインがいとも簡単にしかもこっぴどくアメリカにやられてしまい、当時残っていた主な海外領土(キューバやフィリピン)を一挙に失うことになります。この戦争は帝国主義の重心が、アメリカにシフトし始めた象徴的な出来事であると言えるのです。いわば、いつ倒れてもおかしくない老帝国主義国家であったスペインが新大陸の新帝国主義国・アメリカに敗れ去るという歴史的メルクマールだったのです。

近代から現代という時代は、世界の多くの国、とりわけ帝国主義として覇権を競っていた国々が、一つずつアメリカに負けていくという時代であるとっいってのかもしれません。イギリスはアメリカの独立戦争の際に破れ、Japonとドイツは第二次大戦で敗北。ソ連はほぼ自壊的にアメリカの資本主義に破れさりました。Japonの保守陣営はイラクに対して「アメリカに負けるんだったら早く負けてしまったらいいのに。すっきりするぞ」と言いたいのでしょう。

ひたすらアメリカに追随するしか能のないJapon。そういえばこの国はスペインが破れたちょうど半世紀後にアメリカにこっぴどくやられた歴史を持っています。かつて大帝国を誇っていたスペインともども"アメリカの忠犬国"となっているのです。
1196……3月11日(火)
3月になって、何度か雪が降ります。といっても積もることはありません。

次男とすすめている「聖書を読む会」。日曜日に二回目をしました。一回目のテーマは"レギオンと豚"。二回目は"種の喩え話"。道路に落ちた種は鳥に食べられ、土の浅いところに落ちた種は、根を出すものの太陽が昇るとひからびてしまいます。茨の中に落ちたものは、ある程度成長するものの、やはり茨が邪魔してしまいます。良き土地に落ちた種は、20倍30倍もの実をつけるというものです。

ここで面白いのは、茨の中に落ちた種の喩えです。ある程度成長するという前提でイエスは語りますが、世俗の論理、都合をその種(人)が優先するために、成長しなくなります。この喩えに示されている人たちこそ、多くの世俗の論理に振り回されている大多数の人間の姿でしょう。仏教では真理諦と勝義諦というように、二つの「真理」があって、最終的に目指すのは、真理諦ではあるものの、世俗諦の存在も許容しようとしています。

この落ちた種の喩え話、筆者は幼稚園と小学校がカソリック系だったので、何度繰り返し聞いたことでしょう。この「良き土地」とはいったいどんな状態、どんな信仰の持ち主のことを言うのでしょう。イエスが説いた真理諦は抽象的です(まあ、宗教というのは世俗を批判するのには具体的で、真理を説くのは抽象的であることが多いのですが)。

次の「聖書を読む会」のテーマは「ユダ」についてです。

1195……3月10日(月)
カルメンの定休日。

昼過ぎ、K新聞へ。生活文化部のY氏が、副部長の肩書きが外れて編集委員の専任に。書くことをもっぱらとするセクションだけに、Y氏にとってはいいことではないでしょうか。朝日新聞の場合は一度編集委員になれば、ずっと書く専門になりますが、他の社は必ずしもそうではないようです。

Y編集委員としばし歓談後、FMわぃわぃの放送に時間があったので、久しぶりにハーバーランドを散策しました。阪急百貨店とダイエーはあったものの、星電社は撤退。アパレル関係のビルに模様替えしています。また旧西武デパートの跡地にあった"チュロス屋"は跡形もなく、古本屋などが入居しています(稲垣足穂の初版本『少年愛の美学』が3000円で出ていました)。

MOSAICの方がもっと変わっています。Jリーグのオフィシャル・グッズ店などが2階のメインストリートにあったのですが、いまはなく、ずらっと雑貨屋さんが並んでいます。また飲食関係も3.4年に行った店がなく(例えばクェクェなど。ここでもパエリァを出していました)、方々で改装工事が進んでいます。このハーバーランドも去年たしか10年を迎え、三宮との棲み分けが完了したようです。出来た当時は、ハーバーランドに人が流れ、三宮の集客力が落ちました。といっても、三宮がその落ち込んだ分を回復すべく何か魅力的な街づくりに着手したかというとそうではなく、放って置いても集客力がある地域というのは、自己変革力がないものです。

でも、このハーバーランドの魅力は、海がすぐ近くにあること。ここにくれば「神戸らしさ」を満喫することが出来るということです。

午後4時からは、FMわぃわぃ「南の風」の生放送。奄美篇は今回で163回目の放送です。特集は、沖永良部に在住の前田綾子さんのCD特集。サンシルと囃しを担当するのは、新納安恵さん。知名町田皆にお住まいのことです。この二人のコンビは、現在沖永良部で聴ける最高の島唄コンビではないでしょうか。

家に帰ると、"連れ合い"がまだ帰っていなく、塾に行く次男が腹を空かして帰ってきました。いつ帰るか分からず、ご飯は炊きあがっているので、では筆者が台所に立ち、冷蔵庫の中にあるものでオカズを作ることにします。"だしじゃこ"となめたけ、もやしを炒め、それに最後は泡盛を落としたオキナワンティストの健康にいい一品です。

1194……3月9日(日)
買い換えた携帯はカメラは付いていません。カメラ付きは最初、面白くていろいろなものを撮影してみるのですが、撮りたいものが一巡してしまうと、急に使用しなくなるのです。この意味で読売新聞が募集している携帯電話で撮影した写真の紙上コンテストという試みは面白いものです。この企画がもとで、その人それぞれの日常の光景を大切にする多くの「フォト作家」が生まれるキッカケになるかもしれません。

しかし、携帯電話に要求される機能について、そろそろ頭打ちではないでしょうか。あれば面白い機能はいくらでも考えられますが、これだけ軽量化された機器が当然だと思っている人たちにとって、多機能になることで重量化することを許容するでしょうか。90年代の一般消費をひとり牽引した感のある携帯です。人々はどんなに不況にあえいでいても「欲しいものは欲しい」という原初的な物欲は満たそうとするものだということを証明してみせたのです。

新しい携帯というのは気持ちのいいものです。ひとつ前の機種だったためと、貯まっていたポイントを利用して事務手数料だけで買い換えることが出来ました。筆者が一番こだわっているのはメール作字機能ですが、少しだけですが"進化"しています。以前ならユーザー辞書で登録していたものが、今回では普通に漢字変換されます。といっても賢い漢字変換能力ではありません。難しい単語は別冊にある区点コードを調べて入力するという手間が必要です。

さてさて、文字盤が大きくなったので、メールが打ちやすくなりました。今年になってまだ2.3通しか発信していない携帯メール通信を作ることにしましょう。

1193……3月8日(土)
携帯電話を機種変更しました。

筆者が使っているのはDocomoです。しかし、料金が高い上に、サービスも優れているとは言えません。迷惑メール受信に対しても課金するのは、言語道断です。近頃は毎月100円分のメール使用料が無料になっていますが、アドレスを変えたり、受信拒否を何重にもするという処置を一切しない場合、一日に30通近く迷惑メールがやってくることを考えると、焼け石の水の行為です。筆者は@docomo.ne.jpからの受信を拒絶していますが、それでも日に3.4通@jp-k.ne.jpからの迷惑メール(内容はすべてアドルト系)が飛び込んできます。

読売新聞に「Docomoなど携帯会社は、この迷惑メール受信に課金することをすでに収入の一部として見込んでいるのではないか」と疑っている記事が掲載されています。受信指定は10名だけとか、受信サイトを指定するのにも10件だけとか、およそ利用者の実状とかけ離れた防止策しか講じていないDocomoに、熱心さは感じられません。

最近Docomo専門ショップに行っても、4.5年前の熱気は感じられません。その代わりJ-Phone やAUショップにはいつもお客様が入っています。関西地区ではJ-Phone の方がアンテナが多いそうです。筆者の長男にはJ-Phoneを薦めました。これから"連れ合い"、次男と携帯を持っていくと思われますが、Docomoを薦めるつもりはありません。筆者が不満たらたらでもDocomoを使い続けているのは、島唄の録音などで、奄美に行くためです。奄美では圧倒的にDocomoが強いのです。

1192……3月7日(金)
コーランは、無料配布すればそれは冒涜行為にあたるそうです。

公立中学に通う次男が帰宅するため、校門を出る時、なにやら小冊子を配る人がいます。新約聖書です。キリスト教ではバイブルを配っても勿論罪にはなりません。むしろ信仰の種を蒔いているという意味で積極的にとらえているのではないでしょうか。(そういえば去年にもJaponでコーランがゴミ焼却場で焼かれたと報道され、ムスリムの人たちは抗議していました)。

「レギオン」、どこかな----次男は聖書をめくります。かつて怪獣映画「ガメラ」に登場した出てきた敵の名前です。筆者がその名前をたまたま読んでいた聖書の中から発見して、次男に教えたのを覚えていたのです。

福音書の中に登場する悪魔の名前です。イエスがある街にたどりつくと、イエスに向かって叫ぶ者がいます。「レギオン」という名の複数の悪魔に取り憑かれた人です。悪魔たちは近くにいた豚どもに乗り移ることの許可を乞い、イエスはそれを許します。すると悪魔に取り憑かれた2000頭の豚が突然走り出し、崖の上から次々と落ちて死んでしまうというなんとも壮絶な光景が展開。それを見て驚いた住民がイエスに向かって「なんちゅうことすんのや、あんたこの街から出てってくれ」と言い、イエスは「わかった。私は行く」といって次の場面に移ります。

実はこの「レギオン」に隠喩が込められています。もともと福音書というのはギリシア語で書かれているのですが、この言葉はラテン語だそうです。つまり外国語として、イタリックで表記されるような名辞をなぜ持ってきたかと言うことですが、この「レギオン」、ローマ軍を意味しているとのことです。これを教えてもらったのが、今春から高砂市の曽根教会で牧師となる元正章氏です。そうか、崖から次々と落ちていく1000の豚はローマ兵だったのですね。この隠喩はユダヤの民の潜在的な願望なのかもしれません。

次男「(配られた聖書を)朝読で読もうかな」と言います。中学校で行っている「朝(授業前)にする読書の時間」の略でしょう。活字離れを懸念している学校現場が実践している窮余の策です。実際に効果はあると聞きます。それに刺激された筆者、「では聖書講読会をしようよ」と次男に提案します。聖書のある箇所を選んで読み、話し合うのです。キリスト者でもなんでもない筆者なのですが、5回ぐらいは続けることが出来そうです。この「レギオン」が豚というのも、いろいろな見方が出来て歴史の教材となります。なぜ、同じ宗教風土から生まれた三つの宗教のうち、イスラム教、ユダヤ教は豚食を禁止し、キリスト教は許しているのか、などなどです。
1191……3月6日(木)
薬を飲んでくるのを忘れたので、目頭がウルウルとします。

杉花粉飛散のピークです。筆者と"連れ合い"は共に薬を飲まなければ、この季節を乗り越えることが出来ません。今日はうっかり朝飲んでくるのを忘れたので、連続くしゃみをしそうです。

「黄砂のほうがもっとイヤよ」と"連れ合い"。海を越えてやってくる降りかかる大量の黄砂で、せっかく干した洗濯物をもういちど洗濯しなおさなければならなくなるからです。その季節はもうすぐやってきます。
1190……3月5日(水)
100円ショップで買ってきた砂時計で、娘と遊びました。

「3分間お話ごっこ」。砂が落ちきるまでなにかのテーマに添って話し続けるのです。まず筆者の番。昨日朝から降り続いていた雪について話し続けます。でもなかなか3分は過ぎません。

次、娘の番。なかなかテーマが決まらない様子なので、まず砂時計をひっくり返して「今日おこったこと、順におしゃべりしよう」と筆者が指定。筆者がしゃべるのを見ていた娘、「わあ、3分は長いなあ」と最初は言っていたのです。ところが、朝起きて母親にしかられながら学校へ行く準備をして、学校で友達と遊んだことを話し始めると止まりません。3分たつと勝手に砂時計をひっくり返して「それでね」と続けます。終わるやいなやまた「それでね」。そうして続けること3回。やはり女の子というのは、しゃべり始めると止まらないものです。

1189……3月4日(火)
次男が通っている公立中学校の話です。

いわゆる「不登校」児童が、クラスで3人になっているとのこと。一人は小学校から6年間続いて学校に通っていない人。あと二人は「家庭崩壊」と「ひきこもり」が原因だと言うのです。

そういえば、筆者の中学校時代にも「不登校」の同級生はいました。当時は珍しい存在でした。西宮市は中学校でも給食があったので、その「不登校」児の近くに住むクラスメートは、パンを毎日届けていたと思います。

筆者が風邪で休んでいる時、パンを届けてきてくれたのは、筆者が好きだった女の子でした。といって無理に休んだわけではないのですが、彼女が筆者の当時住んでいたアパートの玄関に立つだけで、嬉しくなったものです。

神戸の小学校は、欠席児童にパンを届けるのでしょうか。聞いてみることにします。
1188……3月3日(月)
カルメンの定休日。

朝から厳しい雨。筆者と"連れ合い"は、傘を差して阪急電車に乗り、東へ。十三で乗り換えて、市民病院へ。遠く西宮の甲山が遠望できます。

最近の新しい病院は4人部屋なのですね。ナース・ステーションがオープンになっていて、どこへ行くのにもナース・ステーションを通るようになっています。

"連れ合い"がこまごまと世話を焼きます。このところ毎日この病院に"連れ合い"は通っています。
1187……3月2日(日)
昼、六甲の勤労会館で筆者が司会役を務める会合。

その中で一人の女性。綺麗な黒髪です。漆黒の輝き。Japonの女性達は、もともと黒髪ですが、純度の高い黒髪の人は多くありません。鴉羽のような美しさ。

その女性、中学校から神戸女学院だったそうです。ここ阪神間ではダントツの難易校です。人によっては「女・灘中」と言うぐらい簡単に入れる学校ではありません。阪神間で、頭のいい娘をもったら、まずこの神戸女学院を受験させることを考える親は多いでしょう。

「入ってみると。"塾閥"があったんです」と。その彼女の出身は神戸市西部。通った塾も著名な進学塾ではなかったそうで、この学校に入るまでにいかに塾がトップクラスの女の子たちを手塩にかけて鍛錬していったかが分かります。
1186……3月1日(土)
初代の誕生日。今日で77歳です。まだまだ元気。

今日、ふらりと創業した日に撮影した写真を店に持参しました。貴重な写真です(いずれ「カルメンの歴史コーナー」サイトを作ります)。1956年(昭和31)のことです。創業以来使い続けているモノがいくつかありますが、伝票を差しておく金属製の台もそうです。これはカルメンの前身の"みなと"でも使っていたものです。先代が"みなと"の権利を買ってオーナーになる時すでに、使っていたというのですから、昭和20年代前半から使っていたものであることは確かです。この「伝票差し」、昔は先頭部分が折り曲がようになっていました。その先頭部分が鋭利だったために、筆者は子どもの頃よくこれでケガをしたものです。現在はその先頭部分はどこかにいってしまい、ケガすることもありません。

1185……2月28日(金)
そういえば、あのイスラエル人たちはいったいどこへ行ってしまったのでしょう。

三宮の街頭で宝飾類(ジュエリー)を売っていたジューイッシュ(ユダヤ人の意味、ただし差別的呼称であるとの評価あり)たちの姿を見なくなってしまいました。あれだけ毎日姿をみていたのに、気づいてみれば、風のごとく去っていったのか、見なくなりました。Japonの不況が深刻なので、この国を見限ったのでしょうか。「ユダヤ資本は移動(逃亡)する」の見本とみるべきでしょうか。ちょっとうがった見方ですが。

この国にやってくるイスラエル人は、兵役にとられるまでの一年間を、世界各地で過ごし、たとえばJaponでは宝飾類を売っているのだと聞いたことがあります。物価の高いJaponでは、狭いアパートの一室に男女関係なく雑魚寝して、倹約生活をしながら過ごすのだそうです。

イスラエルはいつも戦時体制です。右派勢力を取り組むことによって、パレスチナとの和平の道は遠くなっています。しかし、最近の若者の中には兵役を拒否する者もいるそうです。
1184……2月27日(木)
今日も、MACのアプリケーションの話を。

MACを買ったばかりの頃、ワープロソフトは、WORDをつかっていました。ワープロ機から乗り換えたので、専用ソフトを使うのは当たり前と思っていたのです。しかし、このソフト、突然フリーズするのです。何度絶叫したか分かりません。せっかくその日書き込んだ何十行かの原稿を最後の最後になってフリーズさせるという悪魔でさえも遠慮するような非業な所業を平気でやってのけるのです。

そうしたいくつかの地獄を体験して、WORDを使うのをやめました。今は、Windowsからやってきたメールの添付原稿を開けるためにPCに入れているだけです。文字入力は"Jedit"というMAC定番のソフトを使うようになりました。するとこのソフトが直接の原因となるフリーズは殆どなくなり、安心して文字入力に専念することが出来たのです。

このたび、シェアウェアであるJeditに会員登録して、新しいバージョンのものを使い始めるしました。新バージョンは、級数やフォント、文字色も選択できる多機能です。これはこれで進化したということで評価していいのでしょうが、さまざまな級数・フォントのドキュメントを、旧Jeditに写せば、同一級数・フォントになるという特性があったのを利用していたのが、今度はいちいち指定しなくてはいけない煩雑とつき合わなくてはいけないようになってきました。

1183……2月26日(水)
MACのアプリケーションの話です。

Quick Time Player の調子が悪いので、機能拡張マネージャーをいじっていたら、再インストールせよ、と言われてしまいました。もともとそんなにパソコンに詳しい方ではないので、MACの指示通りにするしかありません。

そこで何度か失敗するうち、インストールに成功。これでしばらくはサクサク動くと思います。でも、動画にしろ、他のアプリケーションにしろ、このQuick Time Playerがなければ、動かないのですね。

筆者は活字入力中心なので、音楽ソフトはほとんど使いこなせていません。ここ1、2年は、FMわぃわぃの番組編集は、パソコンでしたほうがはるかに便利で早いので、iTuneを使っています。でも、恥ずかしいことにCDをMidiファイルにして、パソコンにダウンロードする方法や、MDをパソコンに取り組む方法など、音楽関係者が聞いたらびっくりするような初歩の初歩の操作が出来ないのです。

こういう時は姪っ子に頼るしかないのですが、最近演劇活動にどっぷりつかっている姪っ子は忙しそうなので、なかなか機会がないのです。

1182……2月25日(火)
久しぶりに効果の長いメディアです。

『Pen』という月2回刊の雑誌にカルメンが紹介されたのは、以前にも書きましたが、この雑誌を読んだという方がいまも来店してくれます。筆者、残念ながらいままで詳しく読んだことがなかったのです。バックナンバーを贈ってもらったところ、『ブルータス』のような、通・渋好みの人たちの、ちょっとハイレベルなものと、いつも身近に接していたいと願っている階級の愛読誌、といった感じです。

近年は、テレビで紹介されても、長くて2週間の来店効果しか続きません(以前は1カ月影響がありました)。ところが、「在日スペイン人が推薦するスペイン料理店」というストレートなテーマだったこともあるのでしょう、現在にいたるまで来店効果があるのです。

来店されるお客様のなかには「おたくは古いんですってね」とおっしゃいます。まあ、カルメンより古い歴史を持つスペイン料理専門店は、東京地方も含めて存在しないことから、この国で一番古く出来たレストランと言っていいと思います。でも、いままでいくつかの地元メディアでこの情報を喧伝してきたのですが、東京発のメディアの情報によって初めて関西の人が知るというのは、なんとも複雑な思いです。

そして今日「静岡から来ました」とおっしゃる女性が「『Pen』を見てきました」と自己紹介した後、「実は私たちは蕎麦屋をしているのですけど、来月の『Pen』に紹介されるんです」と。そこで筆者「効果ありますよ。期待していてくださいね」と励ましのエールを贈りました。面白いものですね、同じ媒体に紹介された同士の共振感情と申しましょうか。気分の悪いものではありません。

1181……2月24日(月)
カルメンの定休日。

FMわぃわぃ「南の風」は、本日一日に2回放送しました。
一回目は、午後4時から。沖永良部の島唄を放送。国頭集落の林茂さん、鍋田さん、東ヒロ子さんの島唄も再び3年ぶりぐらいにオン・エアー。

二回目は、午後7時から。沖永良部国頭集落の唄者、鍋田俊夫さん、沖吉重盛さんらの唄を7曲、スタジオから生演奏したのを、お届けしました。

番組終了後、今日のためにわざわざ東京からFMわぃわぃ「南の風」に取材に来た共同通信文化部MG記者と一緒に、沖永良部出身者が経営している「高倉」へ。ここはステージもある居酒屋です。座って食べるというところが面白い。土曜日と日曜日にはライブもあるそうです。当然、黒糖焼酎も置いてありました(沖永良部の「天下一」「稲之露」)。以後、この店は、筆者のいきつけの店になりそうです。

散会してからは、MG記者と二人で拙宅近くの店へ。彼とは、大阪支局時代からの付き合いです。沖縄支局にもいたこともあって、その時に詩人で思想家の川満信一氏の生き方に共感を感じたとのことで、川満氏の言説を信奉する筆者とは、この点だけは意見があいます。しかし、それ以外のことでは、多くの点で意見が食い違い、二人の議論は果てしなく続きます。翌日午前3時の閉店の時まで、平行線のまま。MG記者はこの日宿泊地を決めていなかったので、拙宅へ。玄関近くの狭い書斎部屋で議論の続き。黒糖焼酎を飲みながら、やいのやいのと。筆者、眠たくなったので、毛布をMG記者に与えて、解散です。(翌日、二人とも起きるのが精一杯。ほうほうの呈で電車に乗り込んだのです)。

1180……2月23日(日)
美人ではなく佳人と形容したい女性がいます。

大阪で開かれた定型詩作家たちの集まりで、滋賀県から参加した俳人のKKさんは、着物姿で登場しました。「おばあちゃんのものもありますが、古着なども活用しています。機会があれば着物を着ようとしているんです」。20人ほどの会合のなかで、着物姿のKKさんが、とりわけ異彩を放ったのは言うまでもありません。

美人ではなく佳人という表現にこだわりました。佳人を広辞苑でひくと「美人」としか書いていなくて素っ気ないものです。筆者がもう少し解釈を付け加えると、美人というのは、姿・格好が美しい人で、内面性を抜きにしても形容は可能です(「十人並みの美人」という表現もあります)。佳人は美人に付加価値を付け足した状態(女性)か、あるいは、美人という尺度とは違う位相で存在する女性に対する美称といっていいのではないでしょうか。

それにしても、文学者の女性が着物姿で登場すること自体、なんて素敵なことなんでしょう。今のJaponにとって、若い女性がハレの祭事(日)以外で着物姿で出歩くことそのものが、強い思惟性・自己表現意欲を背景にたたえていなければ難しい、と言えるのではないでしようか。

1179……2月22日(土)
やみそうにない雨。こうしてひと雨ごとに温かくなっていくのです。

イラクに戦雲が立ちこめようとしています。アメリカは、すでにサダム・フセイン大統領を失脚・追放・殺害した後の、イラン統治に「日本方式」を援用しようとしていると報道されています。この意味でいまだアメリカにとって「日本占領モデル」は有効な事例なのです。

サンプルにされてしまった「日本」にとって、この国がアメリカの軍事力に屈服して、戦後から半世紀の間、アメリカの意向に影響された社会・政治・軍事・文化などの構造を作っていったことが分かります。ずっと勝者であり続けるアメリカ。軍事制圧した後のイランの在り方として、アメリカナイズに成功して、以後無思考の対米追随を続ける体制、価値観を作ったことに成功したわけです。

筆者は、東京裁判史観に反対も賛成もしているわけではありません。50年前にくらべてはるかに軍事的強者になったアメリカに対して、ただ追随をするしか能のない現在の政府首脳の発言を見ていると、思考しないのが「国益」であるかのような無能ぶりです。「仮定の話には答えられない」と官僚的な理屈から、国家意思の体現の場である国会の場ですら、「日本」の態度と国益を表明しえない外務大臣の無能さ。あの人は場慣れした官僚であったとしても、一国の国益を言表化する能力と度胸に著しく欠けているのです。

こうした無思考の国家意思体現者を、行政府のトップにいただいていることの不幸。「石油の原産国なので、他岸の火事のような態度はとれないし、金だけだすのも通用しなくなった。反戦運動もうっとおしいだけ。自衛隊派遣もお茶濁し程度だったら野党も反対しないだろう。戦争が始まっても早く終わるというのだから戦争をしてもいいのではないか。とにかく、あんまりイランのごたごたにこれ以上関わりたくない」というのが政府関係者の本音ではないでしょうか。
1178……2月21日(金)と
先週の金曜日夜、友人と東急ハンズ裏手にあるJazz Bar"S"に行ってきました。カウンターが主で、ウィスキー、バーボン、ラム酒、シェリー酒など多くの種類の酒が並んでいます。店内に流れているのは、ボーカルを中心とした佳き時代のジャズ。アメリカがまだベトナム戦争の泥沼にのめり込んでいない時期のジャズ黄金期です。

この店のマスター、かつて北野でジャズのライブハウスを経営していたのですが、店を閉じ、大阪の野崎町に食べ物屋を兼ねたジャズ・ハウスを始めました。ちょうど読売新聞大阪本社の近くだったので、記者の人たちも来ていたそうです。

ところが、その店も閉め神戸に何年かぶりに帰ってきて、今度は一人で切り盛りするJazz Barを始めます。決して広くない店なのですが、月に一回はジャズライブをするそうです。ピアノはおけないので、ボーカルとギター、ベースといった編成です。

一緒に行った友はかつてのベーシスト仲間。もう二人とも楽器を手放して何十年となるのですが、こうしたシックな雰囲気の店で、少しずつショットを飲み続けるといった飲み方が、いつのまにか似合うような年齢になってしまいました。

そして二人とも子どもに多くの教育費がかかる世代に属しています。学生時代のように、好き放題にできるわけではありません。でも、いずれの日にか、かつてのように自由気ままに酒を飲み、語り合いたいと思っています。まあ、その時は二人とも髪の毛は真っ白になっているのでしょう。
1177……2月20日(木)
目まぐるしいといえば、電話勧誘してくるインターネット関連の営業内容です。

かつてはグルメサイトへの参加への呼びかけ。これは原稿や写真を出稿するだけのパターン。次はホームページそのものの代理製作。つぎはレンタル・サーパーの勧誘。ここまでくると、この国の殆どの企業がホームページを持たない"ホームレス"状態はなくなり、ホームページ制作そのものの仕事の絶対量が減っていることが分かります。同時に進行していたのが、携帯電話からアクセスするサイト作成の勧誘。携帯サイトなのでそう凝った作りが出来ない分、利用者には、現金やポイント還元など"オマケ"を多くつけているのが特長です。

飛び込み営業にくるインターネット関連の営業マンや、アポをとって来社した営業マンにでも、こちらのホームページを閲覧してこなかった人には、その場で帰ってもらうようにしています。最近では検索サイトで簡単にカルメンのサイトにたどり着くことが出来るからです。だいいち訪問先のサイトを前もって閲覧するというのが、いまや営業に携わる者の最低限のエチケットになっているはずですから。

そろそろ手詰まり感が出てきたインターネット営業。あと可能性として考えられるのはネット販売でしょうが、レストラン業のカルメンには無縁なようです(いや、なにかあるかな)。

1176……2月19日(水)
カルメンのコシネーロのH君、鼻をぐすぐすしています。

「どうしたの風邪が長いね」と筆者。「いやあ、どうやら花粉症のようなんです」。「花粉症?!  いままでかかったことなかったでしょ」。「はい、今年から花粉症デビューのようです」。H君、去年秋に結婚したばかり新婚ホヤホヤ。うむ、これは「愛の花粉症」ですなぁ。

1175……2月18日(火)
「ようやく認められました」。

俳人の伊丹三樹彦氏がひとりで、ぶらりと来店。80歳を過ぎても、いくつもの俳句教室の講師をこなしておられます。また俳句結社誌『青玄』の主宰者として、選句や句会など多忙に過ごしていらっしゃいます。「写俳」という写真と俳句を合体させた独自の表現ジャンルを開拓。みずからカメラを持って、自由に撮影に飛びまわります。

今日、来店されたのは、今月はじめ結社の人たちと、奄美を訪れることになったことで、筆者がいくつかアドバイスをしたことに対して、その御礼としてこられたのです。唄者の西和美さんが経営する「かずみ」に行かれたとか。現地で島唄を聞いて「参加者全員、満足でした」と。

そこで筆者はFMわぃわぃ「南の風」にゲストとして出演していただくよう依頼しました。放送予定日は4月21日(月)。午後7時からの再放送枠を使って生放送します。ラジオなので、「写俳」の写真はお見せすることは出来ませんが、奄美紀行で作った俳句を披露していただくことにします。

さて、巻頭の発言は、伊丹氏が今回俳句協会賞(大賞)を受賞されたことを喜んでの発言です。いままで多くの文学的実績を築いてこられた割には、俳句界からの受賞が多くなかったのです。おめでとう、の言葉を贈りたいと思います。
 

1174……2月17日(月)
カルメンの定休日。

FMわぃわぃ「南の風」の生放送の日です。今回は"2003奄美冬紀行"の第二回目として、与論島の菊(きく)千代のシマグチを聞いていただきました。「与論民俗村」を運営されている方で、きれいなシマグチで、挨拶と、与論のよさ、そして一年のうつろいなどを語ってもらいました。いいものですね。

菊さんは、『与論方言辞典』を今年刊行されます。1万語以上の語彙と、会話実例が収められているそうです。

今回の録音は、一月であるのにもかかわらず戸外のおだやかな気候のもとで録音されました。まるで四月のヤマトのようなさわやかな気候でした。やはり温かいのですねえ。与論のような一年中パナ(花)に囲まれている環境で生きていると、心もおだやかになるのですねえ。

「言葉は文化の源」--菊さんは何度も強調されます。翻って筆者のことを考えると、都市化された神戸の中にあって、言葉を果たして大切にしているでしょうか。やたら言葉にスピード感を求めたり、ぞんざいな表現で済ませてしまったりしていないでしょうか。筆者、思うところがあって、毎日の日常言葉の一つずつを丁寧にしていきたいと感じ入っているのです。このことこそが「言葉は文化の源」という言辞を具体化することだと思っているのです。でも「美しい日本語」という表現に込められたウソ・偽善には組みしたくないのです。
1173……2月16日(日)
雨。

だからといってお客様の入りが悪いかいうと、そうではありません。雨がお客様を呼ぶ----といったら言い過ぎかもしれませんが、雨の日ならでのお客様の入り方があるのです。むしろカラッと晴れた秋の"日本晴れ"のような天候の時こそ、郊外に出かける人が多くて、お客様の数が減ってしまいます。極端な話、嵐の日にこそやってこられるお客様もいらっしゃいます。そのお客様にとっては偶然嵐の日だったにすぎないのですが、カルメンにとっては、"嵐のお客様"ということになります。

『Pen』という日経ブリタニカが出している月二回刊の雑誌(3月1日号)に「カルメン」が紹介されています。特集名は「在日スペイン人が選ぶ本場より美味い スペイン料理店」。カルメンを紹介していただいた"在日スペイン人"は、京都外国大学でスペイン語を教えるハビエル・マルティネス先生。感謝です。マルティネス先生とは、娘さんが、筆者の姪っ子が卒業したスペイン修道院会系ミッションスクールの後輩にあたることもあって、お付き合いをさせていただいております。紹介されているスペイン料理店は、この雑誌の読者の密度によるのでしょうか、東京地方が多いのです。関西は勿論のこと、名古屋や他の都市にもスペイン料理店はたくさんあるのですが。

1172……2月15日(土)
スペイン語を話す会の定例会が午後1時から行われました。今回は、少し前にお客様としてこられた女性二人も参加。ともに中級者の達者ぶりなので、常連参加者の中にすんなりと入っていき、おおいに会話が盛り上がったようです。来月の話す会は、3月15日(土)。やはり午後1時からスタートします。参加費は無料。ただしカルメンのランチ(¥1000〜¥1300)を食べてください。このランチには、話す会の人たちだけに提供する特選ランチも含まれます。今月は、「タコのイカスミソース 野菜のテリーヌ添え」(¥1200)でした。

昼休み、元町の海文堂書店へ。詩人の福田知子さんから、同書店で、矢川澄子、久坂葉子、多田智満子の著作がならんで置いてあるとの情報を得て、買いに行きました。いずれも神戸に関係している作家、詩人です。久坂葉子については、筆者の先代が自殺する寸前の彼女と接していたのはこの日記サイトでも紹介したとおりです(この筆者の記述に触発されて、久家義之氏が先代に会いに来てその模様を「久坂葉子研究Vol.3」に書き記しています)。

店長のF氏としばし歓談。この人、店長としての風格が出てきたことに気づきます。また彼らしい棚揃えも、演出されています(先代社長の得意分野だった美術関係は売り場が縮小、ギャラリーは事務所に変わっていました)。話題としたのは、物書き・読書人の子どもということについて。島尾伸三、冨士重人という文学者を父に持つ息子たちの営為を比較しながら、そうした父の姿を見続けた息子たちの得も言われぬ立場に思いを馳せます。F店長は夫婦ともに本好きなのだそうですが、二人いる息子たちは、親ほどは本に執着していないとか。本好きの親の多くがいだく素朴な疑問「あれだけ家に本がありながら、どうして子ども達は本に興味をしめさないのだろう」を共有していたのです。

1171……2月14日(金)
バレンタインデー。

現在、阪急電車が発行している"TOKK"2月増刊号で、カルメンが登場します。これはクーポン特集で、阪急沿線のさまざまな店が掲載されていて、その店の部分を切り抜いて示せば、掲載サービスを受けられるという仕組みです。

カルメンが提供しているサービスは、「飲食代金の10%OFF」か「ワインおひとり1杯サービス」のどちらかです。すでに沢山のお客様が、このクーポンをお使いになっています。この"TOKK"2月増刊号は阪急電車の各駅に置いているもので、人気があるために早々になくなってしまうそうです。お得なクーポンなので、是非ご利用ください。

このクーポンは切って当店に渡していただくのですが、アンケート箇所もあります。それをみると「ラガールカード」を使っている方が多い(特に週末)ことが注目されます。阪急としても、こうした情報がほしいのでしょうね。

この"TOKK"は、判型(タブロイド版)や、フリーペーパーであることなどリクルートの「HOT PAPPER」誌に体裁が似ています。ただし、レストラン側からすると"TOKK"は掲載無料という大きな違いがあります。
1170……2月13日(木)
二日酔いで頭痛。

昨晩、二軒目に入ったところが、奄美龍郷町出身の人が経営する飲み屋さん。黒糖焼酎を飲み、油ぞーめんを食べます。しかし、この時相当に酔っていて、何を話したか、詳細な記憶が飛んでいます。京都では、いざとなれば、下宿まで歩いて帰れる街の規模であり、タクシーに乗って帰っても高くはないので、終電によるお開きということはありません。筆者の学生時代の飲み方はまさにこれで、店が閉店するのが、宴の終了といった感じです。筆者の体質では、京都・奄美・沖縄タイプの方が合っているようです。

1169……2月12日(水)
この日、カルメンは休み。

京都で宴があるので、昼過ぎから阪急に乗って四条河原町へ。時間に余裕があったので、ジュンク堂書店へ。鶴見俊輔著『書評10年』(潮出版社)を購入。ネットでも購入できるのですが、あえて捜していたのです。さすが京都という地元だけあって、彼の著作は十全に並んでいます。また、鶴見和子や西谷啓二といった京都学派の著作も並んでいて、土地柄を反映しています。ちなみに京都の書店の傾向として、沖縄・奄美関係は大阪、神戸に較べて少ないのが現状です。

鶴見さんの書評文は、朝日新聞書評欄に掲載されていた時以来のファンです。単に書物を紹介する"書物の腑分け作業"に終わらず、間口の広い評論で、一篇のエッセィとして読める面白さがあるのです。

宴は立命館大学在籍の研究者、大学院生が主。筆者が独自に声をかけたのは、読売新聞の冨士重人氏。彼が文化部に在籍していた時から友人。そしてこの人を紹介するのに分かりやすいのは、小説家・冨士正晴氏の長男だということ。42歳の時で出来た子どもだそうで、親子といってもそうとう年齢が離れています。

「重人さんは表現しないの」と筆者は、かつても聞いた質問をぶつけます。新聞社という父と同じ文字を扱う仕事をして、表現活動をしないのでしょうか。「いやあ、生活で苦労した母をみているから」。どうしても息子というのは、母の味方になりがちです。特に強烈な個性と、独自の世界を構築した父を持つ息子は、そうした父を受け止める母を同じ家庭人の視線で見続けているので、父と同じ道を歩むことに、根からの抵抗感を感じるのでしょう。

「父と二人で飲んで酔った時ね、「おい、日記を読めよ」と言われて、「読んでやるよ」と答えたのです」。父・正晴氏は中学時代からつけている未発表の膨大な日記があるらしく、先の岩波書店から出された「冨士正晴著作集」にも含まれていないとか。重人氏は「研究者から問い合わせがあれば、該当個所は開陳しますが、全体は未発表です」。

同じ文学者を父に持つ島尾伸三氏は最近になって、父・島尾敏雄氏のことや奄美のことを書き始めています。しかし重人氏は父が始め今も発行されている「Viking」誌にも、父についての文章を書いたことがないそうです。「父は好きだった」と語る重人氏。「私は(重人氏がお父さんのことを書こうと思うまで)待ちます」と筆者は言いました。親のことを書くというのは今でなければ記憶が薄れるといったものではありません。永遠に親は親なのですから。

そういえば、筆者にも整理すべき遺稿集が部屋にあります。母方の祖父・岸本邦巳が残した段ボール箱ひとはこ分の原稿類です。在野の歴史研究者で歌人であった祖父の仕事をまとめ、活字に残すことが筆者の仕事なのです。

1168……2月11日(火)
神戸は朝から雨。その代わり寒さはやわらいでいます。

今日の朝食は肉じゃが。昼のカルメンでのまかない料理も肉じゃが。偶然の一致です。でもこうした偶然は時々あるのです。

そういえば、最近、"恋猫"たちのすさまじい求愛の声が少なくなりました。オニャンコたちは、寒い時期ほど燃えるのですねえ。筆者は一階で寝ているので猫たちの麗しき嬌声は間近で聞くことができます。あの表現力の豊かさは一度MDにとって録音してみたいほどです。地域差や、種類によって、さかり声に違いはあるのでしょうか。動物学者で誰か研究した人がいそうです。さかっている最中は人間が通ろうと、車が来ようと、はばかることなく道のど真ん中で"ファゴォ、ファゴォ、ファニヤ〜"とやってますものねえ。
1168……2月10日(月)
カルメンは月曜日ですが、火曜日が祝日の場合は休まず営業しています。

普通の月曜日なので、家には人が少ないはずですが、子どもが二人風邪で学校を休んでいます(学校を休んでいない子どもは今日が実力テスト。遅くまで"一夜漬け"をしていたようです)。そして風邪をひいても休めないのが、父親業の宿命です。

最近、午後11時からもう蒲団に入って、睡眠を多くとろうとしています。年末からずっと忙しかったので、このあたりで休息をかためて取ろうと思っているからです。睡眠時間がおおいせいか、夢を多くみます。昨晩見たのは名瀬市で迷う内容です。タクシーに乗っても間違ったところに連れて行かれるし、いくら乗り換えても目的地につかない。しかも風景はあきらかに奄美とは違う。滞在時間が迫っているのに、会いたい人とのアポも取れずに焦っている、といった内容です。そこに出てくる名瀬は港町としての街です。いったい何を意味しているのか分からない夢です。

1167……2月9日(日)
「文庫本を買いたいけど」。素っ気ない言葉しか発しない長男(県立高校1年生)が筆者に向かって言います。先日「本を買うんだったら特別に小遣いを渡すよ。何を買うかも聞かない」といった筆者の言葉を思い出し、やってきました。どうやら恋愛小説を読んでいるようです。たいていこの年頃の若者たちは何を読んでいるか恥ずかしくて家族にも見せないものですが、長男は読んでいる本をポンと食卓の上に置いたままにしていることがあるのですぐ分かります。

「太宰治の話を先生がしてた」と言うのは次男(市立中学2年生)。授業で習ったのか、先生が話題にしたのでしょうか。筆者も当然読んでいます。「国語の先生ならみんな読んでいると言ってた」と。そうでしょう、そうでしょう。数日後、文庫をしまっている本棚から太宰治のものばかり4冊ほど取り出し、食卓の上におきました。筆者も久しぶりに手に取ります。『斜陽の家』の本文見出しページに読了の日付が書き込んでいます。〈1971.7.26〉。なんとすでに30年以上昔になります。ちょうど長男の年齢で読んでいたことになります。もし次男が今読めば父である筆者より若くして太宰の世界に触れることになります。日頃、テレビゲームと漫画本ばかりの次男ですが、一冊でもいいから筆者の渡した文庫本を読んで欲しいものです。かの四冊、次男の部屋に移動したようです。

1166……2月8日(土)
ランチを食べにいらっしゃった女性5人づれのグループ。その中にスペイン人の方が。続いて来店された男性二人のお客様のうち一人がスペイン人。どちらから話すことではなく、会話が始まります。女性の方はある程度滞日期間があるようです。かてて男性はJaponにきてまだ4日目。神戸大学にある化学関係の研究所に赴任されたとのこと。神戸のスペイン人コミュニティを捜していらっしゃったとか。女性達はスペイン語を達者にさぐる人たち。いつしか、そのスペイン人男性も女性達のテーブルに参加して、スペイン語、英語、日本語のチャンポンによる賑やかな会話が始まりました。

1165……2月7日(金)
阪神大震災の記憶を考えるグループである[記憶・歴史・表現]フォーラム(事務局・寺田匡宏氏)のメンバーたちが、カルメンに来てくれました。これは詩人の季村敏夫氏が中核メンバーとして運営されているもので、中には震災で弟を亡くした人もいて、明日からのフォーラムの準備に余念がありません。

神戸に生きる者にとって、震災の記憶をいかに継承させていくかが、いつまでたっても大きな課題です。彼らの活動もまた神戸から発信する重要な動きです。8日に講演、9日に講演やミニ・ディスカッションが行われます。
1164……2月6日(木)
筆者の住んでいる地域は教育熱心なほうなのでしょうか。

もともと阪神間では、経済に少し余裕のある家庭なら、私立学校へ子どもを通わせようとする傾向があります。親たちもそうした私立学校出身者が多いのですから、我が子も同じ道をと思う気持ちは強いはずです。

ことに女の子を私立学校に行かせるのは、ある意味でのステータスシンボルのような感さえあります。特に父親が、自分の娘がどこそこの私立学校に通わせていると語るときの、ほんのりと自慢げな表情になることをご存じでしょうか。その私立学校が醸し出しているブランド力と自分の社会的地位をオーバーラップさせて、まんざらではないという表情をするのです。

そうして育てられた娘達は、私立学校(たいてい大学まである一貫校)に行くのが常識となっていき、結婚して娘が生まれると、自然に同じ学校に通うよう娘に遺伝子を注入し受験勉強に駆り立てるのです。筆者の周辺にもこうして私立学校を何代にもわたって通わせている一家が少なからずいます。どの私立学校を選ぶかは、その家庭、父親、母親の実家の意向が反映してきます。

1163……2月5日(水)
この時期になると、子どもをどこの塾に行かせるか、または現在の塾でいいのか親たちは頭が痛いところではないでしょうか。大不況の中でも、家計における塾など教育関連の出費は増えているという統計もあり、少子化が進んではいるものの教育費は減ることはありません。筆者の子ども達も今まさに教育費がかさむ年齢にさしかかっています。

筆者の同年齢の人でも、女性で早く出産した人なら、子ども達は大学生となっていて、学費を払うのにも「あと何年」とカウントダウンが出来る人もいます。これは筆者にとっては羨ましい限りです。筆者はまだまだこれから教育費を払い続けなくてはならないのです。

塾業界にとってもどこの学校に何人入ったかが、次の学年の入塾者数を決める大きな要素になっているので、必死です。あまりにも悪ければ、折り込み広告を入れることさえ出来ません。または「ここ数年の実績」というヌエ的数字を印刷せざるを得ないのです。

筆者の子ども達が行っている塾は、どうも私立中学を目指す子どもたち(新4年生)が集まらず、小学生部門は補修塾機能に特化するようです。つまりは公立中学校から公立高校へ進む子ども向きのコースに絞るようです。このため、一人の講師がリストラされてしまいました(ヘッドハンティングされたとの説もあり)。その人と筆者は会ったことも話したこともないのですが、長男を初めお世話になってきたいわば受験の同志が寂しく去っていくのは、なんとも切ないものがあります。私立中学受験コースを廃止したのは「大手(日能研や浜学園)との競争に負けました」との塾長の言葉が、この塾業界のシビアさを物語っています。
1162……2月4日(火)
昨晩、30歳台女性の生き方をめぐるドキュメンタリー番組を見ました。たまたまテレビにある部屋に洗濯物を持ち込んだ"連れ合い"もペタンと座り込んで見入っていました。

現在この国の30歳台女性の約20%が独身。東京に限って言えば3人に1人は独身だそうです。これはかなりの高率です。筆者も周囲を見回してみると、独身の30代女性は少なからずいます。最近ではその多さに慣れてしまうほどになっています。

ある不動産業者の人に言わせると、関西ではワンルームマンションに住んでいる人たちの多くは、地元に実家があるとのこと。ここが東京と違うところです。全国的にみても女性は35歳以上になると分譲マンションの所有率がぐんと高率になるそうです。

さて、番組に出ていた38歳の会社を経営する女性。「なぜ結婚するのですか」というレポーターの質問に二つの理由。「寂しいから」それと「セキュリティーのため」。つまり老後を考えると、一人で生きていくことの不安が募るのです。経済力があるその女性「別に私は働き続けたいとは思っていません」と。でも財力もあり社会経験をたっぷりと積んだ女性の厳しい選択眼に合格する男性は世の中にあまたいるのでしょうか。
1161……2月3日(月)
カルメンの定休日。

久しぶりのFMわぃわぃ「南の風」の生放送。チーフディレクターの野村昭彦氏は"チムダルサー"の状態。マブイが落ちたかのような元気のなさです。「男の更年期障害かも」と茶々をいれても反応鈍し。番組の進行でも0.05秒遅れるといった感じ。いつもの鋭さはどこへやら。

番組は奄美篇159回目の放送。1月に筆者が奄美を巡った時に集めた音源を中心に、今回はそのダイジェスト版を放送しました。「奄美北紀行」と題して、以後10回にわけて放送する予定です。

また、今月24日の日には、神戸在住の沖永良部出身者の唄者によるスタジオ生演奏を予定しています。出演するのは、沖吉重盛さん、鍋田俊彦さん。いずれも和泊町国頭集落の出身。ここは、素晴らしい唄者がたくさんいることで有名な集落です。

今回の島唄録音の成果は与論島の島唄にたっぷり接することが出来たこと。この島の島唄も名曲が多くあり、それはそれはステキな世界でした。
1160……2月2日(日)
日付が変わるころから、スペースシャトルが爆発したとの情報が飛び込んできて、ちょうどテレビの定時ニュースが終了した時間だったので、こういう時は、インターネットのネット・ニュースに切り替えるしかありません。CNNが、はるか上空を飛ぶコロンビア号が太い飛行機雲を発生させている様子を伝えています。

乗組員にイスラエル人が乗船していたまので、テロの可能性が取り沙汰されましたが、この件はどうやら関係がないようです。大気圏に突入するときの摩擦熱による温度上昇に機体が耐えられなかったからでしょうか。スペースシャトルは、この耐熱タイルの完成がなければ誕生しなかったというのは有名なエピソードです。

アメリカ経済は今年度、単年度の赤字幅ではここ数年にない額に上昇しているとかで、90年代に圧倒的に「勝ち組」であった地位があやしくなっています。経済を打開するための戦争突入など2世紀も前の発想に依存しているのでしはないでしょうか。そういうJaponも、第一次世界大戦と朝鮮戦争の特需によって経済が潤った過去があることから、遠い地域の戦争は儲かるというとんでもない幻想を持っていないでしょうか。
1159……2月1日(土)
2003年も一カ月が過ぎました。

神戸どころかJapon全体が元気がなくなっていき、活気が感じられません。こんな時は思い切ったことをしなくてはいけないのだと実践する人がいますが、なかなかそこまで元気を形にするには、腰が重くなっているのが現状ではないでしょうか。

やはり大阪が失業率の高さでは群を抜いているようです。中小企業中心ゆえの基盤の不安定さ、本社機能が次々と東京に移動している中、産業の空洞化に歯止めがかかりません。ただ、救いは若者たちが作りだす文化はまだまだ元気だということです。関西のもともとのパワーの素は人財力といえるでしょう。これからも"けったいでおもろい"文化を創っていってほしいものです。

1158……1月31日(金)
アルバイトの大学生Uさんが今卒業旅行中です。行き先はハワイ。そういえば、去年もアルバイトの大学生O君も卒業旅行はハワイでした。いえ、カルメンで働けば、卒業旅行はハワイに行くのだという不文律があるわけではないのです。O君もUさんも自分で決めたのではなくて、友達が提案したのを受託した模様です。

そりゃあ、ハワイというのは、観光地として成熟しているので、楽しませてくれる装置はいっぱいあると思いますよ。昔は年寄りか芸能人が行く場所だと思っていたのですが、最近はそうでもなさそうだし、それにバリ島では爆発事故が起きたりして、親にとっても安心して送り出せる場所として(テロの可能性があるアメリカ本土ではなく)ハワイは最適なのかもしれません。

でもねえ、せっかく知見を広める好機である大学卒業旅行に選んだのがハワイだなんて、なんとも小さくまとまりすぎてはいませんか。そこに若者の特権である冒険心は発露されているのでしょうか。阪急沿線に住んでいる人が大阪は梅田しか知らない、それ以外は行くのは怖じ気づくといった感覚に似て、チャレンジ精神が不足しているような気がするのです。

なぜアジアを目指さないのでしょうか。われわれは間違いなくアジア人なのです。まず隣人を見ること、同じ黄色の肌をしたアジアの人たちが住む国・地域を訪ねてみよう、感じてみようと思わないのでしょうか。

1157……1月30日(木)
今日は、3月末までの特選コースを紹介します。
コースの名前は、「 春待ちさわやかコース」。

                      #  #  #

(はじめに)今年ほど"春"の到来が待たれる年はないのではないでしょうか。 カルメンはインターネットでこのサイトをご覧になっている皆さんに、少しでも希望と勇気を持っていただきたいと考え、元気の出る料理コースを企画しました。素材の旨味を活かして、日本で一番古い歴史を誇るカルメンならではのさわやかな味付けで提供いたしたいと思っています。今回初登場は、DOビエルソの白ワイン。これは秀逸コセチャの2001年ものだけあってかなりおいしい。やりました。カルメンもとうとう2001年ものを扱うことになりました。スペインのテリーヌは面白いことに寒天を使いません。さてどのような味となるのでしょう。タコとイカスミソースの相性はいかに。そして今回の目玉のひとつは猪肉。野禽ものはスペイン料理の醍醐味のひとつです。今回のコースでは、赤ワインを使って肉質を充分柔らかくして後に、特選ソースで仕上げをしています。デザートはサンチャゴの名物タルトです。これだけお出しして4300円。"お得"だと思います。(カルメン店主拝)

(コース内容)
1.スペイン・白ワイン DOビエルソ
2.ワカサギのフリートス
3.野菜のテリーヌ スペイン風
4.Sopa De Quesos(チーズを使ったソーパ)
5.ロシア風サラダ
6.イイダコのイカスミソース
7.a.牛フィレ肉のステーキ  b.猪肉の赤ワイン煮込み   a b いずれかを選択
8.a.ミックス・パェリャ   b.アリカンテ風アロース(米料理) c.パン
 a b c いずれかを選択
9.タルタ デ サンチェゴ
10.a.コーヒー  b.マンサニージャ  a b いずれかを選択

//////////////////////////////
平常料金/  8580円相当
優待料金/4300円
(お一人様)(税別・サ無)
期間/2003年1月25日(日)〜2003年3月30日(日)
 時間/12:00〜14:30
16:00〜21:00(ラストオーダー)〜22:00
ご希望の方は、078(331)2228(FAX兼用)へ(ご予約は、料理の仕込みむの関係上、3日前までに連絡して下さい。連絡はメール、電話、ファックスいずれでも結構です)。

1156……1月29日(水)
言い慣れてしまった言葉ですが、今日はとりわけ寒い一日です。

朝、雪がちらついていました。岡山県で幼い姉妹が行方不明になって一週間がすぎます。同じ人の親として他人事ではありません。もし近くに住んでいたら、休日にボランティアとして、探索に参加したいぐらいです。でもどうしてこうも女の子がこうした案件に関わるのでしょう。

朝は氷点下にも下がる寒さです。どうか元気で生きて欲しいと希うばかりです。不況がきわまるとこうした事件が多くなるのは、どうしたことなのでしょうか。

1155……1月28日(火)
「私は1歳半の時、二階から親に落とされました。落下している自分をはっきり覚えているのです」とある女性。これが彼女のトラウマの始まりです。「母は私を嫌っていました」。その女性、強いセジ(霊威)を持っている人で、その霊力ゆえに母に疎まれたらしいのです。もし、その人が奄美の人だったら、カミンチュ(神人)になるべくユタ神さんのもとに修行していたのかもしれません。ヤマトではこうしたセジ高い人を受け入れる文化体系がないために、「変わり者」としてしか認識されない不幸をかこつことになります。

ある霊感師に「修行をするなら徹底してしなさい」と助言されたそうです。高校に入った時、ある女性の前に出た時「あっ、この人と会ってはいけない」と逃げ出しました。でもその女性の方から肩をポンとたたかれ「あなたはこっちの人間なのよ」と言われたそうです。もともと霊威の高い家系らしく、二人とも同じ家系だったそうです。

母に嫌われたその女性、叔母のもとに育てられ、そこでも虐待を受けたそうです。大学進学を目指したものの、叔母一家から教育費を出してもらえず、進学を断念。最初は学歴コンプレックスはあったものの、調理師免許や英会話を習得して人生を積極的に切り開いてきました。

その女性とは、知人の詩人と同席していた今日のお客様です。

1154……1月27日(月)
カルメンの定休日。

本当はFMわぃわぃの筆者担当日なのですが、風邪をひいてしまい声がでないので、野村昭彦氏(沖縄篇)に代わってもらいました。

でもなかなか寝付かれず、昼は空いている長男の部屋の大きなデスクを使わせてもらって奄美から持ち帰った資料や、新聞の切り抜きの整理などをしていました。そのバックにかけていたのは、長男に贈ったチック・コリアの"Return to Forever"。子ども部屋というのはまだ置いているものが少なく、ゆったりと出来ます。

その部屋の窓から、六甲の山並みが少しだけ見えます。神戸薬科大学の学舎です。かつては甲南女子大学の建物も見えていたのですが、マンションが建ったので見えなくなってしまいました。

筆者の部屋でしてもいいのですが、奄美旅に出るたびごとに本を買い込んでくるので、ますます本だらけになってしまっています。でも寂しいのは、子ども達が"父の部屋"に"探検"に来ないことです。筆者は父の書棚を目を皿のようにして見ていたのですけどね。

1153……1月26日(日)
金曜日の読売新聞夕刊を見てビックリしました。詩人の多田智満子さんが亡くなっているのです。しかもいきなり高橋睦郎氏の弔文を読んだので再度ビックリしたのです。その日さっそく詩人の福田知子さんに連絡。多田さんと親しかった福田さんですが、まだ知らなかったようです。

この日は多田さんの葬儀。高橋さんが仕切っていたらしく、死への準備は周到でした。葬儀会場で句集『風のかたみ』が配られました。カルメンで待機していた富哲世さんがその詩集を筆者の分も含めてコピーしてくれました。詩人であり仏文学の翻訳者だった多田さんですが、最後の著作が句集になるとは意外です。

筆者の母も病床で"自由律俳句"を人知れずノートに書き残していました。それを葬儀会場に来た人たちに冊子の形で作り配ったのです。多田さんの場合、高橋さんが病床に寄り添い、作品を練っていったそうです。最後まで言葉に生きる人であったようです。ここにまた神戸在住に素晴らしき表現者がひとり舞台から退場していまいました。

1152……1月25日(土)
昼、甲南大学へ。

3月に名瀬で開かれるシンポジウムに関する打ち合わせもあったので、参加しました。「久坂葉子研究会」事務局のY氏も列席。なんでも徳之島二世だそうです(父が濡徳之島町諸田、母は伊仙町)。

この日の発表は「ヤポネシア」の可能性について。筆者は島尾のヤポネシアという発想に、〈ヤポネシアのコインの裏側の日本〉を垣間見てしまうのです。

筆者はさきほど奄美から帰ってきたばかりですが、3月末にもう一度、奄美へ行きます。今度はシンポジウムのパネラーとしてです。

1151……1月24日(金)
"島酔い"というのでしょうか。これは名瀬在住の詩人・藤井令一氏の名付けた症状ですが、筆者はすっかりこの症状に取り憑かれています。まあ、旅の強い余韻から抜け出せない状態を言うのでしょう。

朝、メールを明けます。旅行の最中にサーバーに貯まっていたメールがいっせいに表示されます。このメール群と格闘するのが、帰宅後の大きな仕事です。一瞥してすぐゴミ箱にいくもの、それより以前に読まずにゴミ箱に入れる企業系広告メール、カルメンへの予約メールは最後にゆっくりと確認して見て、その場ですぐ返事を書きます。メールの返信は直ぐ出さないといけないものと、じっくり考えて数日後でもいいから出していいものと二つに分けて考えています。

1150……1月23日(木)
奄美滞在最終日。

二日酔いで朝食どころではありません。午前10時30分から、奄振について独自の意見を持っている大津幸夫氏に会いに行きます。この人に会おうと思ったのは、1999年に南海日日新聞に連載した奄振を総括する特集記事を面白いと思ったからです。

1953年の奄美の日本復帰後、巨大な資金が奄振という形で投入され、その成果は、インフラストラクチャーの「本土並み」を限りなく実現することが出来ました。しかし、その奄振も2003年度で、現今の10年計画の最終年を迎えることになり、根本的な見直しが叫ばれています。この奄振はもともと、復帰した当時の奄美の社会状況が、戦前からの鹿児島県による不熱心な地域開発のおかげで、大幅に本土から遅れていたことを克服しようとしたことから始まります。

港湾、道路、橋など産業基盤整備は確かに投資の成果があって、「本土並み」に近づいてきました。しかし、1970年から奄美の基幹産業である紬(大島紬)産業、黍(農業)などが、様々な要因で衰退することによって、地域経済が停滞し、人口減少を招きます。一時22万人を数えた奄美の総人口も今や13万人代。新しい産業も勃興しないまま、若者が働きたくてもその職場がないという停滞状況に陥っているのです。

大津氏は、いままでの奄振では奄美の産業育成を初めとした活性化につながらないとして、活性化を訴えてきました。そして来年春に終了する奄振に向けて、民間側から提案していこうと東京の奄美出身者の識者と連帯することによって、打開しようとしているのです。勿論、いままで国(旧・総務省)の奄振関連の審議会で、あまたの提言、発案がなされてきたのですが、それは国の審議会のことですから、「聞き置く」といったことで、提言はひとつでも実現されたのかどうか疑わしい限りです。

また、奄美側も十年一日のごとくハード面の要求しかしてこなかったし、基盤整備をした後に、はたしてどんな産業を産み出していくのかという、グランドデザインを持っていたか、持っていたらどれだけそれを実現化いる実行力があったのかどうか、疑わしい限りです。そもそも奄振そのものもフレキシビリティに欠けた制度であることが災いして、基盤整備後の産業育成につながる「非公共部門」がたった3%しかとれないというのが、予算執行の柔軟性をなくしている一因だと言えるでしょう。

では奄振をなくしていまえ、という意見があります。昨日お会いした薗(その)博明先生は、開発の名においてこれ以上奄美の自然を破壊する元凶である奄振はもう必要ない、と訴えています。こうした考えは少数意見です。しかし、ひょっとして何百年後のことを考えたり、長いスパンでみると、この薗先生の言っていることが正しいことになるでしょう。現実のしがらみとか、目先の利益などというものは、ものの10年むもたてば何の普遍性も獲得しないからです。

この大津氏、面白いのは、奄美にかつてあった琉球大学奄美分校に入学した人であるということです。教育学部だけがあったそうですが、復帰後に鹿児島大学奄美分校にそのまま移管するよう、誓願したそうですが、願いなかわず廃校になりました。ちようど鹿児島県が財政難でそれどころではなかったという悪条件が重なったのですが、この分校がなくなって以降、奄美には大学・研究機関は現在にいたるまで存在しないのです。大津氏は分校に関する小冊子を発行しています。その中で「分校を継続するよう誓願しなかったのではないか」と書いていますが、実島さんの本を読んでいると、公的文章の中にもちゃんと誓願の記録が残っています。しかし、鹿児島県が握り潰したものと思われます。

大津氏と別れてO記者とは、奄美博物館の前で別れます。筆者はコラムを担当しているN新聞の社屋へ。編集室がある部屋が、IT用に大改装されているのにはビックリ。そこでM編集局長と会いました。去年夏まで文化欄を担当していたS記者の後を継いで、文化面の編集も担当している敏腕の人です。話の理解が早く、スピード感があります。アクティブな感じがして好感を持ちます。筆者はS記者に育てられた者ですが、M編集局長は自分のカラーを出すのだという気概に満ちた人です。これからもN新聞の文化欄が楽しみです。

M編集局長と昼食。写真家のKH氏と、東京から来ているライターのSYさんと一緒でした。KH氏は、コラージュを交えながら表現している人で、こういう手法で奄美を表現できるのだと驚きました。もともと奄美は被写体としてはすぐれた素材に溢れている場所なのですが、そのなかでもKH氏の作品は異彩を放っています。これからも注目していきたい写真家です。

食事後、M編集局長の車で送ってもらって空港へ。貴重な時間を割いていただいたM編集局長に感謝の気持ちを表しつつ、今回も濃密な四日間を過ごすことが出来た奄美と奄美の人たちに感謝の気持ちを抱き、機上の人となったのです。

1149……1月22日(水)
午前中は、M氏から聞き書き。東京に永らく住んでいた人で、奄美の復帰運動の東京での活動をつぶさに見てきた貴重な人。このS氏の叔父が戦前の翼賛会系の代議士をしていて、敗戦後の公職追放で議員を失職しているのです。S氏もその叔父の影響で児玉誉士夫といったどちらかというと右側の人たちとの接触がおおかったのです。

奄美の復帰運動は、地元・奄美での盛り上がりはともかく在京出身者の活動が、地元と両輪の輪となって、進んだことはよく知られています。国の最新情報など逐一地元に知らせて情報を共有するなど、連帯の深さを実践していきました。

S氏は奄美出身学生と青年の会合を組織化するなど当時の東京における復帰運動の熱い息吹を伝えています。このインタビューもFMわぃわぃの番組用に使う予定です。

今、沖永良部の二町(和泊町、知名町)と与論町の合併話が浮上しています。与論側からすると、広域行政の利点はなく、役場が沖永良部に移ってしまうと、簡単な法手続でさえ、二泊三日かかってしまうのです(与論から沖永良部に船で到着するのは事務手続きの受付時間が終了する午後3時を過ぎてしまい、その日は島で一泊。次の日に手続きをしても帰る船便の時間のためにもう一泊する必要がある)。

同時に沖永良部内部でも、国や県の出先機関のある和泊町と、そうでない知名町が合併すれば、役場の所在地も和泊の方に行くのが当然という空気があります。この島は農業が盛んで、和泊の方が人口、農業生産額ともに、知名より勝っているのですが、この両町が競う形で、島全体が活性化してきたという経緯があります。特に今回の合併話では、知名町側の危機意識が強く、このままだと町そのものが消滅してしまう可能性だってあるというものです。

奄美の人たちは、「昭和大合併」の際に役場がなくなった喜界島・早町村、奄美大島南部と加計呂麻島の各村(鎮西村など)の地区そのものが、いまや衰退の極にいたっている現実をが充分知り尽くしています。今度合併すれば、役場がなくなってしまう自分たちの自治体は確実に衰退するだろうと予測するのです。この予測、おそらく間違っていないと思います。役場周辺には、納品業者や、飲食店もあり、そうした人たちを雇用したり、地場産業がも一挙に消滅するでしょう。

また大きな自治体になるといいことばかりではありません。行政というのは、つねに効率性を求めますから、効果が認められる地域に集中投資するのがもっぱらの姿であるため、役場周辺の地域への施設偏重が今以上にすすむことになります。役場がなくなっても支所を置けばいいのではないかという話もあります。しかし、喜界町の場合、旧早町村に支所がありますが、人数が減らされ、いつ閉鎖されてもおかしくない状況であることを考えると、役場がなくなった地域は火が消えたようになってしまうことが大いに考えられます。

人口規模が大きくない町村にとって、役場は大きな雇用の受け皿であることは確かです。生まれた場所で働き続けたい人に雇用の場は多くありません。役場、農協、郵便局といって定番の職場があることで、若者から、中堅層、熟年まで幅広く雇用の機会を設けているのです。ただ、効率の面からすると、決してコスト面で見合っているとは言い得ないのです。

今回の自治体合併は、例えば大都会に住んでいると殆ど実感がありません。例えば、神戸の住民であるわれわれにとって、身近な合併例といえば、淡路が全島一市になるのかどうか、神戸市の北に隣接する吉川町が三木市と合併するのか、丹波では篠山市以外の地域がどのような合併を望むのか、といったことになると思います(播州と但馬の例は省いています)。ところが、いずれも神戸市民の一般感情として、それらは海のむこう(淡路)か、山向こう(六甲より北)の話であるという"あっちの世界"のことであり、実感が湧かないのです。もし、尼崎、西宮、宝塚、芦屋、伊丹各市を包含する大阪神市(だいはんしんし)が出来るかどうかといった場合は、大きな話題を呼ぶことになるでしょう。

今のところ、兵庫県下が奄美にくらべて平穏なのは、県にとってはこれ以上、自分の裁量権が及びにくい政令指定都市(神戸市)の領域を県下に増やしたくない地政学的な本音に対して、もともと市域拡大意欲のある神戸市が震災後の財政の極端な落ち込みでそれどころではない状態なのが、いまの平穏さを作りだしているのです。

もともとこの「平成の合併話」も、国家財政が逼迫しているツケを、地方自治体の数を減らすことで、行政経費(交付税を初めとした各種補助金など)を減らそうとする上からあからさまな国家戦略によるものなのです。いま合併しても15年は交付税は変わらない、新しい役場庁舎を作れば、その補助率を高くするなど"アメ"の部分がありますが、それも結局はいずれ返さなければならないものであるのです。国は自らの贅肉を落とすことなく、弱者の小さな自治体を潰すことで、国家として保身に入っているといえるでしょう。

インタビューが終わり空港へ。そこでM氏とO記者三人で食事。そして飛行機に乗り込み、三番目の訪問地である奄美大島へ向かいます。空港から名瀬市内まで1時間。やはり大きな島です。少しずつ北にいくと、気候も風も山容も異なっていきます。まずホテルで荷物を下ろして、予約していた越間誠氏のスタジオをお邪魔しました。

越間氏は写真家であり、映像作家でもあります。笠利町佐仁集落の出身。八月踊りの継承が集落全体で熱心に行われているところで、その八月おどりも独自性も知られていて、多くの研究者が研究対象としています。越間氏をインタビューしようと思ったのは、去年の島尾敏雄に関するフォーラムで、発言内容が緻密で、正鵠を得た内容であったために、単独でインタビューしようと考えたのです。

その発言は、島の文化の独自性をどれだけシマンチュが自覚して、これからの未来に向けて役立てていくか、また、その心意気を尊び、かつ活用していくのはどうしたらいいのか智恵を出し合うべきである、といった内容です。越間氏の写真に写しだされた奄美の人々は働く人であり、毎日の生活をシマの自然と共に交歓しながら生きていく人たちなのです。作品の数々は、シマンチュと同じ目線で撮られてあり、シマンチュに対する深い愛情を感じるのです。

このインタビューは筆者にとっては心地よいものでした。続いて、筆者にとっての奄美のベースキャンプである「本処あまみ庵」へ。森本眞一郎氏と再会。ちょうど店に、薗先生(奄美環境ネットワーク代表)がいらっしゃったので立ち話。今秋、アキヒト天皇が奄美を訪れる話題に。皇太子時代に奄美を訪れたことのあると聞きますが、天皇として奄美を訪れるのは、戦前の昭和天皇以来ということになります。

あまみ庵で何冊かの本を購入。間弘志氏の『軍政下の奄美 資料集』をはじめとして、今年が奄美「復帰」50年ということもあり、奄美関係の本が沢山刊行されていることに驚きます。筆者は奄美の本はなるべく奄美で買う(奄美でお金を使う)ことにしているのです。

続いて「かずみ」で宴。定例の呑み会です。新年宴会のような位置づけです。越間氏、間氏、瀬戸内から義富弘氏(「しまがたれ」発行人)、弓削政巳氏、久岡学・南海日日記者、朝日・O記者と近年では少な目の参加者です。後で、そうとう出来上がった森本氏が登場。まあ、いつものことですが。役者が揃ったところで、またまた盛り上がりを見せます。唄者の西和美さんに三線を弾くのは初めて会う若者。やはり奄美は唄者の幅が広い。

閉店までいると、雨が本格的に降り出し、タクシーを呼ぶことに。さうとう酔った森本氏をまずタクシーに放り込み、義氏と筆者、O記者は別の車に。ホテルにO記者を送ったあと、義氏と共に、高校の同級生がしているというスナックへ。

ここが面白く、そこのママが篠川・芝家の出身。ユカリッチュの中でも、琉球王にも系譜がつながる名門といわれ、やはり幼い頃は、お嬢様として育てられたとか。そのママから"イマジョ"の話を採話。他にも、宇検村出身の女性の家はかつてノロの家系だったらしく、その遺物が残っていることが分かり、義氏はさかんに聞き取り調査をしていました。こういうところが奄美の面白さです。やはり文化の奥深さを知ります。

無事、スナックを出て、ホテルに帰り着いたものの、着衣のまま寝ていたらしく、全く記憶が飛んでいたのです。奄美ではまいどのことながら、恥ずかしいかぎりです。こうして奄美の三日目の晩は過ぎていったのです。
 

1148……1月21日(火)
二日目は、午前中は福地町会議員の案内で島を巡ります。O記者が赤土を採取していくというので、適地を捜します。ちょうど黍の刈り取り作業をしている老夫婦にことわって、土を採取。同僚の記者に頼まれたそうです。ついでに黍を拝借していただきます。土に近い場所が糖度が高いところで、白いほど甘いそうです。この黍を食べるのには、丈夫な歯が必要です。カシカシと歯で裂かなければならないからです。「あんまり旨くないなあ、ここは」と福地氏はブツブツ。筆者も懸命にかしいで甘味を楽しもうとしますが、なかなかに大変な作業です。

与論の島々を巡っていると、ここが一時本土資本によって、その観光適地(特に砂浜、ビーチ)をほとんど買い占められた過去が今も現在形として残っていることを物語っています(だから町がなにか新しい事業をしたくても島外所有者に高く値を言われるそうです)。また別荘も多く、目立つのはカラオケで財をなした「第一興商」のオーナー、専務、従業員用の別荘がそれぞれかたまって建てられています。「最近は島にあんまり来ていないようですよ」。カラオケ業界もオーバーショップや過当競争などて一時の勢いはなくなりました。別荘というのは与論に限らず(軽井沢や六甲山でも)、業界の消長を端的に表しているようです。

海岸べりにはモクマオウの並木。去年の台風で立ち枯れてしまったらしく、殆どの木に緑はなく茶褐色に変色しています。この外来種、導入した当時は、シマ(集落)の人々がこぞって植林したほど熱心だったのです。成長が早く、樹高もあるというので防風の救世主的な存在でした。ところが、今はこのモクマオウは万能とはみられていなく、落葉した葉もなかなか腐葉土にならない性格があるらしく、植林した時の情熱は過去のものとなったようです。

続いて行ったのが、与論の民俗村。ここにはシマの昔から伝わる民俗資料が集積されています。ここでA親子に話を聞きます。ここのお母さんは完璧なシマグチをさぐるため、筆者はFMわぃわぃ「南の風」の番組用にインタビューとしてそのシマグチを録音します。1万語以上の与論語辞典が今年夏までには完成するとのことです。これをパソコンにデータ化しているのが福地さんで、索引機能をもたせるCDも添付する予定のとのこと。これは沖縄にある大学の研究者と組んで行われているものです。島の文化というのはこうして多くの協力者(ボランティア)によって結実していくのですね。

ちなみに最近、Aさんの息子さんは教育課程で設けられた「総合学習」の時間で、シマグチを家庭内ではなすよう島内の学校で喧伝しているとのこと。言葉は話されなくなればその生命は終わります。関西弁を残そうという運動がない地域から来ると、いかにここ奄美でかつて「方言撲滅運動」がすさまじく、また現在においてはマスコミなど野影響が大きいか分かるのです。

インタビューの後、ヤマトからの観光団体客がやってきたので、その人たちの後をくっついて民俗村に置かれているさまざまなものの説明を受けました。面白いものが多くあるうち、焼酎を製造する蒸留装置を初めてみました。『南島雑話』にでてくる写真とそっくりなのにはビックリです。

去年の台風では倉がひとつ潰れてしまったとのこと。風速40メートル以上だったらしく、建物が揺れていたのがはっきり分かったそうです。さぞかし凄まじかったのでしょうね(あとで分かったのですが、新聞記者というのは、台風が直撃しそうな島にあらかじめ入るそうです。そして停電や野菜不足にも耐えて、その被害の模様を社に送るそうです。スーパーから食糧がどんどんなくなっていき、停電が起きると、冷凍食品もダメになる。台風が来て食糧がなくなっていくとなぜか牛乳が飲みたくなるとのことです)。

民俗村を辞して、向かったのは喜山さんところ。島の中心地である茶花という集落に喜山さんは、家電屋兼レンタルビデオ屋兼本屋さんを経営しています。かつてはディスコやダイビングショップも経営していたようです。その時はたいそう儲かったとか。この喜山さん、なんでも島一番の事業をするのが得意な人なのですが、周囲に同業者が現れると、途端に興味をなくしてしまうそうです。面白い人ですね。人柄もまったくもって愛すべき人です。

昨晩は幼い頃に「樹上葬」を見たことがあると言っていました。これはノロクメの中でも神高いゆえに地下の埋葬できないことで、地上に露出して埋葬する方法で、筆者は石枕に支えられたノロ墓を見たことがありますが、さらに空中に埋葬する「樹上葬」も存在したなんて知りませんでした。喜山さんが見たそのノロ墓は正確に言うと、崖の上から吊されたものだったそうです。さぞかし生前はセジの高いひとだったのでしょう。

筆者が出航前にこだわっていたのは、喜山さんのお母さんの手の甲に針突(はづき)が残っているということを昨晩教えてもらったからです。『与論町史』には確かに何例かの針突紋様例が筆者されていました。お母さんは1908年生まれ。与論ではパンヂキと呼ぶそうです(ちなみにハンヂキになればカナヅチとなるそうです)。喜山さんのお兄さんがやっている酒店にどやどやと入っていって、中にいるお母さんをなだめすかして、見せてもらいました。二カ所ほど直径1センチほどのぼんやりとした丸形です。自分で突いたと証言しています。まだ気がしっかりしているおばあちゃんで、小学校3年生の時、いたずらでしたそうです。奄美ではとっくに潰えていたと思っていた針突ですが、自分の目で確かめることが出来たのは、大きな悦びでした(喜山一家が「ばあちゃん、見せんばあ」といいながら、筆者とO記者に見せてくれた光景はほほえましく、この島のことをもっと知って欲しい、この島の文化の独自性をもっと知って欲しいという情熱を感じることが出来たのです)。

やあやあすごい発見、おばあちゃん、ありがとう、といいながら喜山さんと話していると、2月1日に発表するのだという「合併を反対する唄」とその趣意書を手をしてくれました。与論島にとって沖永良部と合併しても広域行政のうまみは殆ど享受することは出来ません。また現在観光では"ヨロン"という名で充分流通していることを考えると、自治体名で与論が消えるのは、これからも観光立島で生きていくこの島の人たちには酷なことかもしれません。

船というのは、遠くにいる時はまだまだすぐには着岸しそうにないのですが、近づいたらまあ早いこと。沖縄・那覇港から奄美の島々を寄る船で次の沖永良部に向かいます。そういえば、この与論島の出身者として有名な経済人は、有村さんです。奄美の民族資本として海運業を担っている会社として大きな足跡をもっています。ただし弟さんの有村産業(沖縄)は先般倒産したということです。

与論の人に聞いてみました。どうしてこの島から有村さんという傑出した経済人が出たのですか、と。それ対して「与論拳法」と関係づけて説明してくれました。これは焼酎を回し飲みするというある意味で過酷な行為なのでずが、こうした習慣を重ねることで、この島の人たちは、「与論拳法」に参加した他人に対する心遣いを学び、されが会社を大きくする上でプラスに作用していったのではないかと言ってくれました。

2時間ほどの船旅の中で、O記者と食事。濃い人達と交わった与論はステキな島でした。島の人たちは「トゥトガナシ」を一日のなかで何度も交わします。こんにちわ、ありがとう、感謝します、すみません、さようなら、といったいくつかの意味をあわせもったこの素晴らしいユムタに満たされた島に、今後も訪れることになるだろうと思ったのです。
2時間ほどの船旅の中で、O記者と食事。濃い人達と交わった与論はステキな島でした。島の人たちは「トゥトガナシ」を一日のなかで何度も交わします。こんにちわ、ありがとう、感謝します、すみません、さようなら、といったいくつかの意味をあわせもったこの素晴らしいユムタに満たされた島に、今後も訪れることになるだろうと思ったのです。

船の中では、たとえ数時間の航海であっても目をつむって睡眠をとろうとするものです。やがて和泊港に到着。今日泊まることになるフローラル知名の送迎バスが待機しています。この島は農業の島。島の玄関の作りもどことなく地味です。また、与論から来ると、この島が大きく感じるから不思議です。

しかし、この島の人たちの仕事熱心ぶりはどうでしょう。もうすぐ出荷するジャガイモを防護するネットが丁寧に張り巡らせています。そのネットの張り方も几帳面です。花卉を栽培するハウスも方々に見ることができます。奄美はひとつひとつの島に個性があります。

二年ぶりに訪れた沖永良部では、「二島分離反対」運動についての聞き書きを中心にすすめます。今年は奄美がJaponに復帰(1953年)してちょうど50年になります。ところが復帰の前年(1952年)に、毎日新聞の誤報によって、沖永良部と与論の二島が分離して復帰されるとの情報がたちまちのうちに広がり、この二島の復帰運動を燃え上がらせる大きなキッカケとなったのです。

フローラル知名で旅装を解いた我々は、大浴場で汗を流しました。続いて知名町役場のKM氏に会いに行き、新装なった自治労組合棟で、当時沖永良部の復帰運動の先頭に立った沖永良部高校の先生をしていたHさんに話を聞きます。当時の高校といっても、その校舎は茅葺きで、冬になるとそうとう寒かったでしょう。

「二島分離騒動」で、危機意識をもった沖永良部高校の先生と生徒達は、島の集落をひとつずつまわって、寸劇や楽隊の演奏によって、奄美が復帰する際にハードルになっている話題と「第三条の撤廃」などを、シマンチュに分かりやすく説いてまわったそうです。いわば島のインテリとして、高校生が果たした役割は大きいものでした。

Hさんの話をラジオ用に録音。筆者らが取材している様子を、地元の新聞記者がまた取材するといった格好です。録音が終わって、次は呑み会です。たまたま来ていた南日本新聞のY記者や、もうひとつの地元新聞のS記者も同席して、わいわいがやがや。島料理もおいしく、黒糖焼酎は当然新納酒造の「天下一」。食べました。飲みました。この店、初めて行ったのですが、料理がとてもおいしいのです。沖永良部は、働き者の島なので、観光で生きている与論が持っているような彩りは少ないものの、堅実な島民気質が魅力的です。

二次会ではすでにそうとう酔っています。上平川集落に住むA氏と歓談。ここは重要無形文化財に指定されている「大蛇踊り」があるところです。A氏は昔パンクロックをやっていたらしく、翌日フロントに降りていくと、彼から自作音楽のテープが届けられていました。

1147……1月20日(月)
今日からカルメンはしばらく休み。

ここ数年続けている奄美紀行へ。今年の同伴者はA新聞社学芸部記者のO氏。三宮で落ち合い、リムジンバスで伊丹空港へ。今年は初めて与論島に向かいます。この島、観光で有名なので、筆者の中でどこかで避けていたところがあって、今まで何度も奄美に行っているのですが、足が向かなかったのです。

沖縄経由で与論島に着いたのは午後1時すぎ。かつてこの島に年間15万人もの観光客が訪れたそうですが、現在は約7万人。往事の運搬手段は船だったために、一度で入島する人数が違っていたとか。その時は多くの民家がにわか民宿となったそうです。筆者の友人もその全盛期に与論を訪れていて、大部屋にシキリを立てて、男スペースと女スペースを分けていたようです。筆者の泊まった「汐見荘」の人も「あの時は廊下にも蒲団を敷いていた」と述懐します。沖縄返還(1972年)以降も与論ブームは続きますが、やがて下火に。

今は、リピーターが中心であるものの、島の人たちはかつてのにぎわいをよく覚えていて懐かしむ声を方々で聞きました。賑わっている時は、対応が悪くてもお客様はやってくるものです。沖縄が返還されるまでは日本国の最西南端という位置を活かして一大観光地だったのです。1970年代前半まではヒッピーたちのコミューン志向のもと、オルタネイティブな生き方の「楽園」的な場所と仮想されていました。

いまでもこの島にはヤマトから住み着いた人が多く、"ヤマト妻"も多くいるそうです。「この島は観光で活きるしかない」と言うのは、喜山幸三さんです。かつてこの島は何度も移民を送り出すなど、耕地面積の少なさからこの島で活きていける人間の数が限られているために、長崎や満州に移住する運命を背負っていたのです。ようやく島外に移住をしなくてもいい糊口として観光産業が誘致されました。依然、島民所得は奄美群島の中では低いままですが、この島を成り立たせていくのには、観光しかないという覚悟の深さを知ることが出来るのです。

空港に到着後、与論民謡保存会の皆さんの導きによって、町の中央公民館へ。そこにはすでに10人前後のみなさんが揃いのパーカーを着て我々を迎えてくれていました。筆者は奄美の島々を巡っていますが、与論の島唄を収録するのは初めてです。この島独自のものとして名曲がいくつかあります。「昔いきんと」「道いきんと」などがその代表でしょう。元気そのもの。やはり島には島のしまうたがあって、いいものです。いきなり至福の時間を授かりました。

続いて高田さんの車で、島唯一のライブハウス「かりゆし」へ。そこのバンドリーダー田畑哲彦氏がこれまた島の文化のコアを作っている人。音楽の力を知りました。そこに喜山氏、福地氏がやってきてわいわいと島文化談義。 南海日日新聞の久岡学記者が紹介してくれただけで、全員濃い人達です。この談義に加わっていて、与論が沖縄に近い地理的要件を実感しました。「奄美、奄美といったって、われわれはいざとなったら沖縄が近いんだから」とする決意みたいなものがみなぎっています。喜山氏は「ナショナル・ミニマム」を確立することの必要性を訴えます。

一度汐見荘に帰って、腹一杯の夕食をたいらげます。O記者はそんな筆者を見て「食中毒にかかる人は食べ付けない量を最後の一品まで食べる人がなるんだよ」と牽制。ははは、それでも奄美に来ると、酒席が多いので、まとまって食事をとる機会が限られているので、無理でも食べきってしまうのです。

その席で久しぶりに与論で作られる黒糖焼酎「有泉」を飲みました。産出量が少なく、島外出荷もそんなに積極的ではないので、1980年代の「焼酎ブーム」では「幻の焼酎」と目された時もありました。しかし、2003年の今も島外出荷に積極的でないのは変わらずのようです(これは経営方針のようです)。しかし、汐見荘には隣島である沖永良部の新納酒造「天下一」が置かれていました。おそらく島内消費分も足りないぐらいなのではないでしょうか。ちなみに「天下一」は四季を通じて筆者が飲み続けている筆者の血となり肉となっている「成分」なのです。

午後8時30分から島内唯一のライブハウス「かりゆし」へ。ここがなかなか素晴らしい。与論は観光の島なので島外からの入り込み客が多いために、こうした島の人口規模を超えた装置があっても経営が成り立ってしょうね。今日は筆者が来ていることもあって、なるべく島の民謡をベースにした唄を歌ってくれました。

すると、面白いことにこの島ではバンドの演奏をバックにして、フツーのおじさん、おばさんも踊るのですね(この日は商工会の皆さんでした)。これは沖縄風です。奄美の他の島々ではこうしたライブハウスは、名瀬ではあるのですが、島唄に乗せて踊るというのはあるのでしょうか。奄美の伝統的な踊りというのは、特にウタアシビの場合、六調など最後のお開きをも意味したものなのですが、沖縄の民謡酒場のように曲によって勝手にカチャーシー風に踊り出すというのは習慣としてありません。

与論は「踊りの島」です。筆者も周囲の人たちに促されて踊りました。田畑氏は「この島では踊って初めてシマンチュよ」と三線片手にステージ上から言ってくれるのですが、どうも上手ではなかったらしく喜山氏は「踊りは場数を踏むことよお」と慰めともとれる言葉。その喜山氏がなんとも抜群の踊り上手なのはビックリしました。その踊りもすでに奄美のものではなく、沖縄の琉舞のタンチャメ節(雑踊り)を見ているような勢いのある、まるで琉舞のお師匠さん格のような身のこなし方なのです。

演奏の合間に喜山氏と与論町と沖永良部二町との合併反対話にも及び、これもまた面白い話でしたが、話は明日にしましょう。
1146……1月19日(日)
寒さに耐性がついた身体にとっても、今日の寒さは格別のものがあります。

毎年、一月「小正月休み」に入るまでに従業員の新年宴会をします。ただ、この会でタブーとしていることがあります。「カニを食べない」ということです。

震災の前の日も同じように従業員の新年宴会をしたのですが、その時に選んだのが、かにすきでした。だからといって、そこまで縁起を担ぐこともないでしようが、幸を呼ぶものであったらともかく、震災(大災難)前日の食べ物をあえて食べることもないだろうと思っています。今回選んだの豚しゃぶ食べ放題・飲み放題コースでした。

1145……1月18日(土)
去年より参加人数は少なかったものの、無事中川マリさんを迎えてのフラメンコ・ショーも終わり安堵しています。

今年は実現しなかったのですが、来年こそは、フラメンコ・ショーの前に、詩人たちによる詩の朗読も実現したいと思っています。去年は、二人の詩人たち(福田知子さん、高谷和幸さん)に詩を朗読していただきました。踊りでいやされるもの、言葉でいやされるもの、といくつかの方法で1.17を表現していいと思っています。

1144……1月17日(金)

阪神大震災から8年目です。

今年も例によって、筆者の一家も数日間を過ごした神戸市立の小学校で行われる追悼会に参加しました。震災がおきた午前5時46分に1分間黙祷をするという簡単な行事です。今年は家族の誰も参加してくれず、一人参加を覚悟していたのですが、今春から高砂市で牧師をする元正章氏が参加してくれました。一人で閑かに黙祷するのも意義がありますが、共に祈ってくれる人がいれば、祈りの共振状態が作ることができます。祈りのために、手を合わせる行為の前には、宗教・信条の違いはありません。

本日は、中川マリさんとアルテ・フラメンコ舞踏団の皆さんによるフラメンコ・ディナーを行いました。テーマは「出発」。いつまでたっても厳しい神戸の状況ですが、なんとか気持ちだけでも前向きに持っていきたいと思っているので、このテーマを設定いたしました。マリさんは「テーマに合わせて陽気な踊りを中心にしました」と。マリさんは、芸術性高い踊りも独自の境地をもっていらっしゃいますが、今回のような陽気な曲をバックにしての踊りもよく合っています。またバックのバイレの皆さんも、舞踏団の中では師匠格とかで、ソロを踊れる力量をお持ちの方なので、全体に密度の濃い内容のフラメンコでした。

この日用意した特選料理は、(1)スペイン産ビエルソの白ワイン2000年(2)ピンチョス盛り合わせ(3)ミートボールのトマトソース(4)ホタテ入りアロース(米料理)(5)タルタ・デ・サンチェゴ(6)コーヒー。

カルメンにとって、また神戸に生きる者にとって、この1.17をどう迎えるかは精神的に大きな荷になっています。筆者もこの震災の日は大変重たいものを感じ意識しています。神戸の人はこの1.17をどこでどのように迎えるかを問い続けているのではないでしょうか。筆者がフラメンコ・ディナーショーを1.17当日にぶつけるようになったのも、筆者自身の身の振りどころを意識したためです。

1143……1月16日(木)
やはり、神戸に住む人間にとって、1.17を迎えるというのはナーバスな気分になるものです。この日を超えなければ、本当の意味での"新年"を迎えた気分ににりません。

カルメンは1.17にフラメンコ・ディナーショーを企画しているので、被災者としてのメンタルな面と興業主としての両面で気が気ではありません。マスコミの探れば、どのチャンネルも震災特集を組んでいます。

1142……1月15日(水)
朝から小雪が舞う天気です。

これからが冬本番です。"永い冬"にはもう慣れっこになっています(まるで社会主義政権下の東欧国民のようでずが)。

昨日、小泉首相が靖国神社を参拝しました。よほどこの神社に参拝することにこだわっているのでしょう。国家のために若い生命を散らしたその純粋な死を称える気持ちを持つのは結構ですが、ではそうした彼らが結果的にアジア侵略の片棒をかつぎ、Japonの人たちの何倍ものアジアの人たちを殺戮したことに対する想像力が彼に欠けているようです。どうもあの人は、声だけ大きくて改革は出来ず、さらにひとつのことの思いこみが強すぎて、他者を含めた全体を俯瞰するおもいやりを発揮することが出来ない人のようです。いままでは保守側の「抵抗勢力」がもっぱらの敵でしたが、これからはこの国の「アジアと共に生きていることを大切にしたい」人たちをも敵に回すことになるでしょう。

1141……1月14日(火)
カルメン、今日は休みです。

放送の日ではないので、欲張って二本の映画を見ようと計画しました。「たそがれ清兵衛」と「夜を賭ける」。ともに映画館は大阪で時間差を考えると充分ハシゴ出来ると踏んだのです。ところが、起床したのが正午前、それからひとつふたつ用事を済ますと、「たそがれ‥」は諦めざるを得なくなり、梁石日原作、金守珍監督の話題作「夜を賭ける」を観ることにしたのです。

一度つぶれ、再びスタートした第七芸術劇場。阪急十三駅を降りて栄町商店街というダウンタウンのど真ん中に位置しています。恥ずかしながらこの映画館は初めてです。この監督はアングラ劇団系(こういう表現は今の若い演劇人に通用するのでしょうか)の新宿梁山泊を主宰している人で、状況劇場出身です。このため、作品には唐十郎、李麗仙らが出演しています。

この作品、原作は買っていたものの、未読でした。十三に向かう阪急電車の中で読み始めたら面白く止まりませんでした。作者の梁石日氏とは、大阪の"すかんぽ"で一度二度会っています。あちらは筆者を覚えていないと思いますが。"すかんぽ"といえば、前オーナーの詩人・金時鐘氏は梁石日氏ともに「アパッチ族」と言われ、東洋最大の兵器工場「大阪造兵工厰」の跡地に忍び込んで金目の鉄を盗んでは警察の手入れを免れるといった手に汗握る事実を小説化したものです。

彼らの活躍は、小松左京らも小説に書いています。梁石日氏も勿論「アパッチ族」の一員だったのですが、かつては取材された立場として、そして何年かたって自分で作品化する立場になったのです。

映画はとにかく面白い。金監督は状況劇場がもともとのベースなので、とにかくよく動く。飛び跳ねる。一言でいえば"ビンビン"。観ていて爽快、なにがなんでも元気になってしまう映画です。久しぶりの筆者お薦めの映画です。

1140……1月13日(月)
月曜日でも祝日なので、カルメンは営業中です。

昨日に成人式をするところもあったそうですが、神戸市では今日晴れ着をたくさん見ましたので、式典は今日なのでしょう。天気は曇り。時々、太陽が顔を出します。まあ、雨が降らず、低温でないので今年はマシといえるでしょうか。

晴れ着を娘に着せた親たちはきっと目を細めていることでしょう。Japonの人たちはこうして特別のハレの日でなければ和装をしなくなりました。普段見かける和装の女性とは、着物着付け教室の業界の方々、お茶会に参加する人、京都に観光やお忍びのツーショットをする中年女性、または文学表現者で授賞式に臨む人。奄美の女性の正装は大島紬。凛として素晴らしいものがあります。大島紬は奄美の人にとって"民族衣装"だといえるでしょう。

そういえば、かつて筆者は正月に着物(大島紬)を着て三宮に繰り出したことがあります。駅で待ち合わせた女性も着物姿でした。その人は着物の着付け教室に通っている人で、一人で着こなせるのです。筆者は亡き母に手伝ってもらいました。母は着物道楽の人でした。その時、二人そろって着物姿で生田神社などに行ったと思います。その女性とは、筆者の"連れ合い"になった人です。それ以来、夫婦で着物姿をした記憶はありません

1139……1月12日(日)
やはり冬だからでしょうか、めっきりビールの消費量が落ちました。代わってワインがよく出ます。

筆者はどちらかというと、ワインのハーフサイズ(375ml)が好きではありません。車に乗っているからとか、アルコールそのものがそんなに飲めない人は別として、カルメンのような西洋料理店に食事をしにくる場合は、少なくても二人で一本のボトル(レギュラーサイズ、750ml)を飲んでほしいものです。

今でしたら、ハーフサイズと同じ価格(¥1600)でレギュラーサイズのスペイン産ワインをお出しすることが出来ます。赤、白ともにそろっています。安いからと言って、味は落ちません。充分においしいのです。ただし、メニューに載っていないので、店内で店の者に希望を伝えてください。

1138……1月11日(土)
マドリー在住の大橋由美さんから、メール(バイレ由美のマドリー日記の原稿)が届きました。今回の通信文は、スペインのクリスマスから年始にかけての、マドリーの様子が活写されています。

この中でフラメンコとは結局ヒターノたちのものではないかとの意味深長な書き込みがあります。つい先日、石川敬子さんの通夜に出席していると、親族の方々よりはるかにフラメンコ関係者が多く、会場の両脇には所狭しと並べられた献花の送り主名を読んでいると、Japonで活躍するそうそうたるメンバーの名前を確認することが出来ます。会場ではフラメンコ関係者とみられるそれらしき人たちが一堂に会していました。

こうした光景を見ていると、Japonにおいてもフラメンコに生命・人生をかけている多くの人たちがいることが分かります。でも由美さんはスペインに居るからこその思いが深いものがあるのでしょう。少なくても言い得ることは、フラメンコとうものは、舞台の上で倒れるまで踊るほどの魅力があるということです。

1137……1月10日(金)
5日にもう一人の訃報を重ねなくてはなりません。

奄美の島唄界を代表する唄者の一人である勝島徳郎さんが、この日83歳の生涯を閉じました。眠るように息をひきとった、とのことです。

徳郎さんは今年元旦、元気がよかったので、三線を手に取り、夫人がハヤシを担当して「朝花節」を歌います。続いて「長雲節」になりますが、さわりを弾いただけで、「塩道長浜節」に移ります。この歌のフレーズが好きだったようです。しかし、この唄が、一時代を画した徳郎さんの生涯最期の演奏となっていまいました。十八番(おはこ)としていた「イト(仕事唄)」ではなかったのが、深い感慨を催します。

徳郎さんにとって孫の世代にあたる元ちとせが牽引した島唄ブームがこの国を席巻している中、閑かに舞台から去っていきました。思えば筆者が1997年11月に徳郎さんに無理を言ってFMわぃわぃ「南の風」用に演奏してもらった4曲が、最期の録音となったのです。

1136……1月9日(木)
一年ぶりにJaponに還ってきた北京在住のSさんと筆者との会話です。Sさんは中国の国立シンクタンクの日本経済担当アナリストです。

筆者■「ああどうもSさん、一年ぶりです。きっと、Japonの不況の深さを実感すると思いますよ。日銀 の短観では見えてこない不況の深刻さを肌で感じると思います」。
Sさん■「そんなにひどいのですか」。
筆者■「11月から一般消費が失速した感があります。毎月発表されるデパートの前年度比売上げ折れ線 グラフは一般消費の動向とリンクしている感じがありますが、最近"街角景気"という指標があるの 
 で、その深刻さは理解してもらっていると思います」。
Sさん■「中国は去年、約8%の経済成長を達成しました」。
筆者■「羨ましいな。Japonは人も経済もすっかり自信をなくしています。今年は殆どの経済アナリスト
 が景気が後退すると予測しています」。
Sさん■「中国の経済・社会はとても元気です。特に北京は2008年のオリンピックに向けて、発展を続
 けています」。
筆者■「オリンピック開催という大きな国家目標があるので、まだまだ経済発展は続くでしょうね。で
 も、Sさん、Japonでも韓国でもオリンピック後の経済の落ち込みは相当厳しいものがありました。特
 に韓国は経済破綻してIMFの介入を招いたのはご存じの通りです。経済アナリストであるSさんは、ポ
 スト・オリンピックのことも充分に予測しておく必要があるのではないでしょうか」。
Sさん■(ちょっと渋い顔)「キッシンジャーは、経済が破綻しても、昔のように中国は国家として分裂す
 ることはないと書いています」。
筆者■「19世紀から20世紀にかけて、中国は自国の国力が弱くなれば外国の介入を招くという歴史の
 教訓を充分学んでいるはずです。経済が減速しても、国が分裂することはないでしょう。記憶の民で
 ある中国の人たちは、なんとしてでも国家の分裂は避けると思います」。

1135……1月8日(水)
きのうの夕方、一人でふらりと俳人の伊丹三樹彦氏が来店。「大正9年生まれの現役ですよ」と元気そのもの。写真と俳句を合わせた"写俳"という独自の表現世界をつくって、現在も俳誌『青玄』を主宰するなど、年齢を全く感じさせません。

伊丹さんは昔からのカルメンのお客さんです。筆者と知り合いの知人の情報交換をさせていただきました。この人のすごいところは、多くの実績を残しているのにもかかわらず、全く偉そぶらいところです。たいてい俳句の結社主宰者というのは、結社員から祭り上げられている分、"小天皇"になっている人が多いのです。伊丹さんは、カメラをすることから、80歳を過ぎた今も自分の足で撮影に出かけていきます。

その伊丹さん、今年の2月に奄美に行く予定だとかで、「それでは是非地表に露出しているノロ墓を写してください」と筆者は提案しました。「ひとりでその場所に立つと鬼気を感じますよ。私などとうてい独りで行けません」と伝えると「大丈夫、カメラを持っていたらなにも怖くない」と伊丹さんはキッパリ言うのです。短いひとときでしたが、筆者にとっては貴重な時間でした(伊丹さんは娘さんが三人いるのでずが、いずれも表現の世界に入っておられます。また夫人の公子さんは俳人であり、詩人でもあるのです)。
1134……1月7日(火)
訃報です。

バイレ・石川敬子さんが5日(日)午前3時、急逝されました。

去年12月24日に神戸・元町の"ロス・ヒターノス"に出演している最中に倒れ、そのま
ま意識が回復せず、還らぬ人となりました。死因は、くも膜下出血。

享年47歳。あまりにも若い死です。敬子さんは、筆者と西宮にある中学の同級生です。たしか2年生の時のクラスメートでした。

カルメンとの縁が出来たのは、敬子さんがが関西学院大学の在学中にカルメンでアルバイトをした時以来のことです。その時はギターラ志望だったのですが、徐々にフラメンコにひかれるようになり、スペインに渡り、バイレとしての修行を積み、実績を重ねて、プロとしてデビュー。筆者の結婚式でも踊ってもらった他、カルメンでも創業記念イベントとして踊ってもらったことがあります。

近年は、大阪にスタジオを構えて、ヒターノたちとも競演するなど、本格仕込みのフラメンコを披露してくれる素晴らしき表現者でした。同じ教室で一年間学んだ者が、偶然スペインという共通の絆で結ばれ、またいつかカルメンで踊ってもらおうと想いつづけていたのです。倒れる前に投函されたのか、筆者の許には敬子さんから2003年の年賀状が届いています。

しかし、それにしてもタブラオの舞台の上で倒れるなんて。バイレにとってこれほど壮絶な死に至る装置はないと思います。奄美・沖永良部では、言葉に宿る"言霊(ことだま)"、島唄など唄そのものに宿る"歌霊(うただま)"の他に、舞踊そのものと舞台に宿る"踊霊(おどりたま=これは正式な名称にあらず)"があると聞きます。敬子さんは死んでも、この"踊霊"となって、フラメンコを愛する人たちを支え助けてくれるものと信じています。

(通夜の会場では、おそらく石川さんのフラメンコ教室の教え子であろう若い女性たちが、フラメンコの舞台衣裳に身を包んで棺に収まる石川さんの閑かな顔を見て、泣き崩れていました。石川さんは多くの人たちから愛された人でした)。
1133……1月6日(月)
カルメンの定休日。

まずは銀行回り。そののち「復活書房」に寄り、島尾敏雄著『死の棘』を購入。650円(税別)。ハトロンで函、本体ともに丁寧に包んでいます。きっと愛書家の蔵書だったのでしょう。後で気づいたのですが、初版物でした。それがこの価格なんて。愛書家が鬼籍に入って、遺族が蔵書を一括「処分」したのかもしれません。きっと『死の棘』の仲間たちは大切にされて書棚に収まっていたのでしょう。人の死は蔵書のうるわしい棚(書籍の共同体)の解体でもあるのです。

本日はFMわぃわぃ「南の風」の今年初めてのレギュラー番組。朝崎郁恵さんのCDを特集しました。大ヴェテランの朝崎さんの歌声をたっぷりと提供しました。でもちょっとヤマトのまなざしが入ったアルバム作りなので、"生成り"の島唄を聞いてきた筆者にとっては、違和感があります。

奄美の島唄は、今さかんにヤマトから「再発見」され、ヤマトの眼差しによって"編集"されようとしています。これがいい悪いというのではなく、あくまで途中経過のような気がするのです。次のステップとして筆者が期待するのは、シマンチュみずからによる新しい島唄の創造です。これは既に島唄の先輩たち(坪山豊さんや築地俊造さんら)が実践していることですが、これが点から面へと拡がっていってほしいものです。
1132……1月5日(日)
長かった冬休みもあとわずか。今日はひときわ寒く、一時吹雪いていました。朝もしんしんと冷え、真冬といった感じです。今冬は11月から始まったので、不思議と寒さには耐性が出来ているようです。これは不況に対する"耐性"のようでもあります。しかし、いくら皮膚感覚に耐性が宿っていても、不況を克服するのとは次元が違います。いったいいつまでこの"冬"は続くのでしょうか。

ジュンク堂書店に行って、平凡社ライブラリーから出されている小泉文夫の著作を二冊購入(『日本音楽の再発見』『音楽の根源にあるもの』)。筆者はこの人のNHKFMの「世界の民族音楽」が大好きでした。

1131……1月4日(土)
雪が舞っています。

今年はどうやら正月から、暗雲たちこめるJapon社会を予兆しているかのようです。

新聞各紙の正月論評を読んでも、希望の持てる要素を見いだすのは難しく、それに現実の気候が困難を現実化しているかのようです。元気をだせ、と言われても、そんなこともう何年も鼓舞されてきたことだし、こんな時こそ貯蓄に回せるのだという論に対しても、これから新たにどこを削って、新たに借金を起こさなければ生きていけない人が多い中で、そんな空論を振りかざしてみても仕方のないことです。

この不景気を実感として感じていないのは、公務員の皆さんぐらいでしょうか。いや、この不況下でも業績を伸ばしている企業は存在します。民間に生きる我々はなんとか智恵を出して、今年一年を乗り切らなくてはなりません。しかし、今年、希望が持てないですね。何か一時でも我を忘れるものがあればいいのですが。

1130……1月3日(金)
さあ、今日から、カルメン、2003年の営業開始です。

朝から雨。どんより曇っています。筆者が乗る電車もそう多く人は乗っていません。今年は天候が悪いので、初参りの人数はどうでしょうか。筆者の親戚は一家でスキーを年越しで楽しんだのはいいのですが、子どもをかばおうと思って、骨折してしまったようです。大事に至らなかったのが不幸中の幸いですが、6日の初出勤は無理だとのこと。その人は東京で働いているので、過酷な2時間通勤をこなしているために、早く治ることを祈っています。

1129……1月2日(木)
FMわぃわぃ正月特別番組「南の風・奄美篇2時間スペシャル」を正午より放送しました。一部は高嶋正晴氏と共同進行。この一年の元ちとせ・島唄ブームをわれわれなりに総括します。そして今年復帰50周年を迎えた奄美の「新民謡」も絡み合わせて、戦後50年たった奄美の社会そのものも振り返りました。

第二部は、米川宗夫さんと向江登美江さんによる徳之島の島唄のスタジオ生演奏。徳之島の島唄ばかりを7曲演奏していただきました。最近、島唄ファンの掲示板に筆者が書き込んでいるので、インターネット・ラジオ番組である「南の風」を全国から聴いて頂いているのです。さて、今年の島唄ブームはどうなっているでしょう。
1128……2003年1月1日(水)
あけましておめでとうございます。

年が明けて、みなさんは何をなされましたか。

筆者は、息子たちと一緒に、拙宅から歩いていける保久良山に初日の出を拝みに登りました。新聞によると、日の出は午前7時5分。金剛山系から上がるので山並みを通過する時間、さらには曇りがちな天候なので、雲間から出てくる時間を考えると、15分くらいかと推測していました。

保久良山には早朝から多くの登山者がいます。保久良神社の境内では甘酒を参拝者に振るまっています。筆者は神祇信仰を持たないので、息子たちに10円玉をそれぞれ与えて、賽銭とします。彼らはなにやら拝んでいました。

午前7時ごろになると世間はだいぶん明るくなり、われわれも日の出を見るよう位置を確保。ところが、次男がむずかります。日の出を見ずに帰るといいだしました。理由は、同じ中学校の友達に何人か出会ってかっこわるいのと、そのうちの一組はカップルだったのがショックだったのかもしれません。さらに「寒冷じんましんも出てるし」と言われると、「ほんなら帰るか」と父である筆者はいいます。本当のところは、眠たいところを起こされて、気分が乗らないままに、山に行って機嫌が悪かったのが最大の理由のようです。

日の出は午前7時20分近くにようやく雲間から出てきました。気分としてはどこかで今年は拝めないだろうと覚悟を決めていたのです。出てきたのは、くっきりとした見事な朱色がかった太陽でした。近くに居たおばさんが「やっぱり待たなあかん。待たなあかんねん。これ、今年の教訓にせなな」とひとりごちていました。それを聞くとはなしに聞いていた筆者と長男。「おい、あのおばさんの言葉、覚えてるか」と後で長男に確認しました。「ああ」と短く長男。二人にとっても今年の"教訓"になったのです。

1127……12月31日(火)
どこへも出かけない一日です。

連れ合いが、忙しく働いています。筆者は石油を買いに。昼は「マクドよ」と言われたので拒食しました。事前に了承を求められたのならともかく、いきなりマクドと言われても、食べたくありません。旅行帰りでもなんでもない日に、家族がそろってマクドのハンバーカーを自宅の食堂でほおばっている姿は異常であり、一家を構える当主として容認するわけにはいきません。

子ども達が紅白を見ようとしていたので、これも激しく拒絶の信号を送りました。今はかつてほどの拒絶を示す人は少なくなりましたが「反-紅白」を標榜して大晦日を過ごすというのが、一種のオルタネィティブな生活スタイルでした。

ちょうど日付が変わる頃、神戸港に停泊しているすべての船が一斉に汽笛を鳴らします。これぞ、ミナト神戸の新年です。

1126……12月30日(月)
FMわぃわぃ年末特別番組です。

筆者は琵琶奏者の川村旭芳さんとダブル司会で「ながた人物交差点2002」という2時間特別番組を企画・進行しました。

ゲストは三人。在日の李ヨンボ氏は、フォークシンガー。戦前、母国語で詩を書いたという「罪」で投獄され、福岡刑務所で病死した詩人・尹東柱や姜舜の詩に曲をつけた自作曲を披露。

続いては推理作家の浅黄斑氏。近著『走る死体』(実業日本社、J-NOVELS)の面白さを紹介。2003年は2本ほどテレビ番組化されるとのこと。さらに関西文化を元気づけるために、エンターティンメント系作品を対象にした「三都文学賞」を主宰するそうです。三人目は詩人の季村敏夫氏。『かむなで』という詩集は、長田・高取山の異名である「神撫で山」からとったもの。震災以降も、死者と共に生きている想像力が求められていると説きます。

番組は琵琶奏者の川村さんが、平家物語から「那須与一の段」を演奏。琵琶の平家物語は原典とは違う歌詞が多いのですが、この段ばかりは、原典のままに、そのリズム感の良さを活かしているとのことです。

番組終了後、三宮で「懇親会」と称して、呑み会を催しました。参加したのは番組出演者以外に、神戸と播州で活躍する詩人たち。終電のある人はぎりぎりまで、そして筆者は浅黄斑氏に最後までつきあって何軒かハシゴしていました。よく飲みました。ただ、今日は早朝から番組準備をしていたので、途中で疲れてしまい、最後の店では殆どウトウト寝入ってしまっていました。
1125……12月29日(日)
一年最後の営業日というのは、独得の雰囲気が漂っているものです。今年は、昨日から9連休に入っている人も多く、永い正月休みになっています。皮肉なもので、こうした不況の時の方が、連休の日取りがよく、景気がいい時というのは、意外と連休にならないものです。

どんなに景気が悪い年であっても、終わりは終わり。一月一日になれば、また一年がリセットされる。こんな状態でからこそ、このリセットはありがたいものです。家族づれのお客様もいらっしゃってます。正月休みは、たまさかに家族が復権する時でもあります。みなさんの"家族"は今年一年いかがでしたか。
1124……12月28日(土)
年末ぎりぎりになって、二冊の文芸誌が送られてきました。

『半どん』。代表の詩人・小林秀雄氏が死去して初めての刊行です。一冊は「小林武雄先生と先人達に捧げる No.139」、もう一冊は「特集 21世紀の出発--自然は如何に? No.137、138合併号」。

この雑誌、実は筆者も何回か投稿していますが、祖父(岸本邦巳)、父と筆者と三代にわたって、投稿していることになるのです。それだけ息の長いメディアであることが言えると思います。物故された小林さんとは懇意にしてもらっていて、筆者の結婚式にも出席していただいています。

いわば、神戸・兵庫の総合文芸誌というえるでしょうか。詩、短歌、俳句、川柳、小説、エッセィ、児童文学といった文芸ジャンルに多彩な書き手が参加しています。ベテランの人ばかりではなく、中堅で活躍している人もその執筆陣に加わっています。また美術関係の人も参加しているのが特徴といえるでしょう。

この『半どん』が主催しているものに、「半どんの会文化賞」というものがあります。「現代芸術賞(文芸)(美術)」「文化功労賞」「県民感謝賞」「及川記念賞」と多彩です。これは兵庫県も同文化賞に対して理解を示していることから、民間の賞でありながら、「兵庫県文化賞」と同等の体裁を整えていると言えるでしょう。ここまで行政を味方につけて同賞を発展させてきたのは、小林さんの手腕によるところが大きいと思います。

「半どんの会」の新しい代表は「豆本"灯"叢書」を出している仙賀松雄さんが就任されておられます。
1123……12月27日(金)
寒い一日です。

未明、京都の銀行に立て籠もっていた拳銃男が逮捕されました。不動産会社を経営する男で9億円の借入金があったそうです。ベテラン刑事の説得で誰も傷つけることなく投降したようです。まずはけが人がなかったのは幸いでした。

銀行こそいい迷惑でしょう。いま世の中は銀行を悪役に祭り上げています。ひょっとしてこの事件の背景に「貸し剥がし」があったのではないかと、巷では疑っていることでしょう。今は銀行すべてが悪役になっていますが、不良債権問題がほぼ解決して自己資本比率が安定している中堅銀行もあることはあるのです。銀行イコール悪者と一緒くたにしてしまうのは問題があります。

でも、こうした事件が起きる事態、金融業界に対する拭いがたい不信感が存在することは事実です(この事件の背後に何があったのか、当該銀行は決して公表しようとしません)。かつては企業を育てるための公的な側面を持つ共助組織であったのが、いまは自己保身のためになりふり構わず取引する自己保身組織になり果ててしまったのでしょうか。

1122……12月26日(木)
俳句・川柳に新しい動きがあります。

今日、『豈(あに)』に所属している俳人・川柳人の人たちが集まって、懇親会を開いていました。このメディアは珍しく、俳句も川柳もジャンルの分け隔てなく入会できる同人誌で、もともと摂津義彦氏の主宰誌だっのを、摂津氏が逝去したために、同人仲間がその跡を継いだのです。

閉塞感が漂うと言われる定型詩の世界ですが、ジャンル・結社を超えた動きが、ここ関西から蠢動しようとしているのです。

1121……12月25日(水)
ルミナリエ、見てきました。

今年も最終日です。警備が厳重になって、大丸をずっと迂回しなくては入れません。やはり明石の花火圧死事故以来、ナーバスになっているようです。

一年ぶりに見るその姿はやはり心ときめくものです。しかし、少しアーチが小振りになっているような印象です。最後の消灯を見るのが忍びなく、ひとりそっと消灯前に帰りました。

1120……12月24日(火)
この国民にとってのクリスマスとは一体なんだったのでしょう。

こんな書き出しをしたのは、以前なら今日のように週の初めであろうが、中日(なかび)であろうが、24日は何が何でも、恋人たちのHolly Night でした。この日を中心に一年が回っているといっても差し支えないほどでした。

ところが、今日の繁華街はいったいどうなったのでしょう。まるで普通の日のように人通りが少なく、華やいだ雰囲気もありません。カルメンもそう忙しくはなく、肩すかしをくらったかのようです。マドリーから届く大橋由美さんの文章では、スペインでイブの日を一人で暮らすのは、相当つらいようです。少し前のJaponでも適齢期の男女に限ってこうした現象がありました。あのキラキラ輝いていたHolly Night はいったいどうなってしまったのでしょう。
1119……12月23日(月)
スペインの料理書を買いました。

渡辺万里さんの『修道院のウズラ料理』(現代書館)という本です。渡辺さんはもう何冊もスペイン料理に関する料理書を出している人です。今回買い求めた本は、エッセィ集なので、残念ながらレシピは載っていません。

この人と一度お会いしたいものです。スペイン料理を愛する気持ちでは、カルメンも渡辺さんも一緒です。彼女から多くの刺激を受けたものです。

1118……12月22日(日)
冬至です。二枚組のCDを買いました。

何故か、冬になるとクラシックを聴きたくなる筆者。ヘンデルのメサイアを買い求めました。拙宅の筆者個人のミニコンポに入れています。今年の冬は、ヘンデルづくし、といったところでしょうか。

1117……12月21日(土)
昨晩、たいへんな目にあいました。三宮からJRで帰宅しようとしたら、マイクを持ったJR職員が人身事故が起きたので、阪急か阪神に振り替えろとのことで、阪急の駅へ。キップ売り場の長蛇の列に並んでようやくホーム。そこに特急が止まっていて、これはラッキーと思って乗りこんだたものの、御影を過ぎたあたりで、筆者が乗っていた車両の5メートル先で「誰か、お医者さんか、看護婦さんは乗っていませんか」と叫びにも似た声。超満員の車両だったので、倒れた人がどのようになっているか全く分からず。二度三度医者・看護婦を求める声にも車内から応答はありません。

すると、筆者が立っていた場所に近い窓ぎわの人が非常用ベルを作動して、またたくまに車内はけたたましい警報音。特急でも本当に駅のないところで止まるんですね。びっくりしました。耳をつんざく警報音がなりっぱなし。むせかえる車内。なんだかやばい雰囲気。ようやく車掌がやってきて、倒れた人の状態を把握。続いて、筆者が立っている場所まで来て、警報を解除(あれは、車掌が持っているカギがないと解除されない)。ようやく警報音は止まり、列車は動きものの2分で岡本駅に。降車して倒れた人はどんな人かと見ていたら、中年の女性。意識はあるよう。「救急車! 救急車!」と叫んでいる中を、「ふう。普段なら12分で帰れるところを1時間かかった」といいながら改札口へ。

でも順調に梅田についても、鶴橋経由、天王寺経由でぎりぎり終電に間に合うかどうか心配していた筆者の隣の女性たち。どうしたんでしょう。これじゃ終電どころか。梅田に着くまでも相当遅くなっているはずです。「困ったな、携帯の電池も切れそうだし」と半泣きの女性も。こうしてルミナリエ臨時特急の車内はさまざまな人生を乗せて、岡本を去っていったのです。

1116……12月20日(金)
スペイン産ではないのですが、Aguarguendeの紹介を。

いわゆる河内といわれている土地で、もう何百年も前からぶとう酒を作り続けてきたことはあまり知られていません。南河内の緩やかな斜面がぶどう育成に適していて、この国固有の「独眼種」というぶどう品種もかつて作り続けていました。

柏原市にある"カタシモフーズ(株)"というワインナリーは、筆者の親戚筋が経営する会社です。既に80年以上の歴史があり、カルメンのハウス・ワインはここの会社のものを使っています。同社が今年、スペインでいえば"Orujo"、イタリアでいえばグラッパを作りました。ぶどうの絞りかすを蒸留させた「かすとり焼酎」です。

商品名は「葡萄華」。ここのボデガの質のいい白ワインのティストがそのまま"Orujo"に移って、とてもいい感じです。ボトルもイタリア・グラッパと同じ細長いお洒落なデザインです。50ml 800円。ヨーロッパのレストランでは、食事の後、ワインを飲み干した男性客が、コーヒーというノン・アルコールではなく最後までアルコールを口にしていたいと思うとき、こうした蒸留酒(Aguarguende)を飲む人が多いのです。一度皆さんも試してみて下さい。

1115……12月19日(木)
ワイン輸入のエージェンシーの人としゃっべっていました。

カルメンはなるべく安い値段でスペイン・ワインを楽しんでいただくために、推薦ワインは価格を抑えています。現在、カルメンがもっとも力を入れているのは、Riojaの赤ワイン"LAN"1998cosecha Crianza です。税別3000円。98年は、五段階評価中、上から二番目の"Muy Buena"。ちようど2002年から2003年が飲み頃といえるでしょう。いわば、力強さを感じる"旬"のワインです。

"LAN"の上位品種である"LANCIAO"は単一畑で収穫されるもので、特に1994年ものは秀逸です。2001年ものの"LANCIAO"RESERVAの登場が楽しみです。あと数年後となるでしょうが、またその時は大量に買い占めようと思っています。

もうひとつ、ワインの話題を。今年のフランス・ボージョレー地区のワインの出来は去年(2001年)に続いて素晴らしい出来だそうです。まあ、味がいいのはいいことなのでずが、そのエージェンシーの人は「こうした素晴らしい年は、高額ワインと廉価ワインの味に差がなくて(高額ワインを売るのに)かえって困ってしまう」と言っていました。01年のRIOJAは傑出年なので、JOVEN、SIN CRIANZAレベルでも美味しいでしょう。でもエージェンシーの人は困るんだよね。

1114……12月18日(水)
OSを更新したせいか、メールソフトのOutlookの調子がいまひとなので、インターネット経由で新しいバージョン版をダウンロードしました。

ダウンロードしている最中、部屋を片づけたり、読書をしています。音楽もかけたりします。いま毎日かけているのは、ヘンデルの歌曲「イタリア・カンタータ」。マグダレーナ・コセーナがメゾソプラノ。マルク・ミノコフスキー指揮。ヘンデルのポリフォニックな声楽の組み立て方が好きで、心地よく聞いています。「メサイア」にも挑戦してみようと思っているのです。いかにもドイツ的な音の重厚な構成と、メロディーの可憐さ。その対比がヘンデル音楽の妙味でしようか。

筆者は、原稿を書くことが多いので、やはりインストルメンタルが合っています。ジャズは好きですが、聞き込んでしまうので、執筆の邪魔になります。なぜか年末にになるとクラシックが聴きたくなるのです。どうしてでしょう。それも思い切り重ためのもの。ヴィオリン協奏曲ならシベリウスのような紡ぎ出される音も氷点下のようなあの雰囲気。ある意味狂者のようなグレングールドのバッハ。そしてマーラーの交響曲。わくわくします。

1113……12月17日(火)
「サーパス神戸」??

サロンパス神戸ではありません。オリックス・ブルーウェーブのファーム球団名です。四国・高松に本社がある「穴吹工務店」が、一年契約でファームの意匠権を買い取って、同社のマンション・ブランド名である「サーパス」を冠したチームが誕生したのです。一軍とファームと球団名が違うのは、確か横浜ベイスターズもそうだったと思います。

ところが、来月にどうも「サーパス神戸」は消滅しそうなのです。穴吹工務店が次年度の契約をしないと発表したために、現段階ではファームも「オリックス」の名に戻ることになるのです。まあ、「神戸」という名のついた球団名であっても、同球団名が消滅しても惜しむ声は少ないでしょう。何年後かに収まるであろう「神戸現代歴史博物館」(現実にはこういう博物館は存在しません)にそのユニフォームが展示された時に懐かしく思う程度でしょう。

貧すれば鈍する----オリックスという球団、どうもこの一年やることなすこと、マイナスに作用することばかりのようです。アメリカ大リーグ的経営手法を導入するのだという意気込みで球団経営をしているのですが、空回りすることが多く、プロ球団にとって必要な強いチーム、魅力的なチームづくりとなるまで結実していません。

この球団、来期に向けて大型補強をするのだというニュースは伝わってきません。来期も最下位を渇望しているのでしょうか。これだと渡辺・読売新聞オーナーから「金貸しの球団」と罵倒されている(らしい)宮内・オリックスオーナーの面子はまるつぶれのままです。

1112……12月16日(月)
月曜日ですが、カルメンは営業中です。

今日から12月の後半。早いものです。
やはりルミナリエが始まると、三宮周辺は賑わいます。
筆者は営業時間中なので、店が早く終わらないとルミナリエを見ることができませんが、今年も大変な混雑しています。5メートル歩くのに10分かかることもざらのようです。迂回路マップをみているとまるで「市中引き回し」の末に会場にたどり着くといった感じです。

1111……12月15日(日)
次男が面白いことを言っていました。

テレビゲームをしていると、読む本は「攻略本」だけになる、とのこと。筆者はテレビゲームをしませんが、どうもあれは攻略本を見ないと、先に進めないような仕組みになっているらしいのです。筆者は攻略本というと「なんだ虎の巻か」と思ってしまいます。しかし、複雑な構成になっている現在のゲームには、ナビゲートする書籍が必要なようです。すなわち攻略本はそのゲームの売却本数と比例する部数が出るということです。

かくいう次男も試験が終わった時などは、殆どテレビゲームに興じていて、マンガか攻略本しか手にしません。現在は子どもも大学生も大人も老人も本を読みません。若い世代に「いまの若者は」と警鐘をならす老人たち自身も一カ月に一冊も本を読まない人が殆どなのですから、彼らこそ読書をすべきでしょう。いま本を読んでいる階層は子育てから解放されたか、解放されつつある主婦層でしょうか。それか読書というものがまるで空気を吸うように日常化できている「読書人」といわれている人たち、出版・編集など関係業界人、研究者、教員、日曜日の朝に説教するためにネタ捜しをしている牧師・神父などなど。

1110……12月14日(土)
晴れているものの、寒い一日です。

来年はさらに消費が冷え込むのではないかと心配しています。医療費の本人負担分の増加、発泡酒、ワイン、タバコといった大衆商品の増税、配偶者特別控除の廃止など、どれひとつとってもごく普通に生きている家族の家計に影響を与えるものばかりです。筆者の友人は、忘年会でビールを手にしてしみじみ語ります。「ビールなんて飲むのは何年ぶりやろか」。いつも家庭では発泡酒。そして外で飲む金もないために、質素な生活を送ってきたその友人は決して「希望」を口にしません。

庶民に明日はありません。企業に対する減税の財源を、こうした大衆課税で賄おうとしているわけですから、企業会計にとってはプラスになっても、それが家計に結びつかないのが政府・与党は理解していないようです。というのは、企業が払う税金が少なくなったとしても、その浮いた分が、就労者の賃金や新しい雇用に直結せず、毎月の借金返済にとどこおりが少なくなる程度でしょう。企業は守りの体制に入っていて、今回の税制「改正」は、決壊が心配されている堤を補強する程度の意識しか効果はないはずです。その堤の内側で働く民百姓(就労者)への食糧(賃金)が増えることには直結しないのではないでしょうか。

企業に対する税制を減税することで、経済を立て直す材料にしたい国家は、その国家を支える一人一人の国民が抱く明日に向かっての「希望」を理解しようとせず、国民という「沈黙の臓器」に負担をかけ続けることで、自分たちは傷つかず改革を先送りしようとしているのです。

1109……12月13日(金)
民主党党首になった管直人のホームページをのぞいていました。

サイトで気になるのは、日記サイトです。これは筆者も「店主のつぶやき日誌」を書いていることもあって、他人の日記記述が気になります。「民主党党首へ立候補表明した理由」を述べた日は長いものの、たいていは7〜8行といった簡潔なものですが、彼の政治性がよく現れていて好感が持てます。

政治家のサイトをのぞいたのは、今回で何度目かといった頻度ですが、筆者はどうせ秘書が書いているのが大半だろうという思いこみがあるので、もとから興味が無かったのです。ところが、管直人の日記サイトはどうやら自分で打ち込んでいるようです。

党首になる前は、「充電期間」と称して、台湾を訪れ、李登輝前総統らにも面会しているようです。こうした件りはもう少し詳しく記述してほしいものですが、政治的内容に分け入ることにもなり、慎重になるのでしょう。

1108……12月12日(木)
昨晩から今日の朝刊まで、和歌山毒物カレー事件の報道一色です。

筆者の友人が毎日新聞の論説委員をしています。今日の朝刊はそのI氏が担当することになっていて、月曜日の忘年会でもどう書くかそれで頭がいっぱいだと言っていました。

通勤途中に毎日新聞を購読。さっそくI氏の書いた社説を読みました。(ちなみに毎日の社説は、大阪本社3人、東京本社20人の論説委員が担当しているそうです)。林真須美被告に対して「死刑か無罪か」という両極端な判定予測はあったものの、減刑の要素となる未必事項を判決文に入れながら、死刑という和歌山地裁の判決は厳しいものでした。

I氏の社説は、被告が黙秘することで自白による証拠が無かったという事実もあるでしょうが、自白による証拠ではなく、科学的なデータを積み重ねることによって、判決を導いたことに一定の評価を与えています。これまでは、警察の無理な取り調べによる自白調書の作成と、その調書を殆ど無反省に採用した検察が立件することによって、裁判の審議に有利を進めてきた累々たる実績があります。こうした流れは冤罪の温床になってきたことは事実です。裁判所(官)とて、果たして自白調書に対して、常に根元的な疑いの目をもって対応していたかというと、胸を張って自慢できるでしょうか。

こうした検察・裁判所といった法権力に対して、I氏の社説は一定の距離を保つというジャーナリズムの姿勢が透徹されています。「法」に限らず権力というのはすべからく抑止力がなければ暴走する性格を具有しています。真須美被告の黙秘に対しても、これから様々な内外からの圧力がかかってくるでしょうが、自白という法権力にとって審理継続のための常套手段が使用できない状態で、どのように一般に分かりやすい言葉でもって、この事件を解明していくのかを国民に向かって示しつづける必要があると思います。

1107……12月11日(水)
朝、冷え込みました。

真冬なみの寒さです。それは手袋、マフラーなしでは歩くのはつらい、といった気候です。神戸は真冬でも露出した皮膚が痛いというほどの寒さは殆どありません。また寒いといっても降雪にはつながらず、からからに乾いた日々が続くのです。

今年の冬がこれから気象庁の長期予報のように暖冬になるなんて、信じられません。でも11月に入ったその時から"冬"なので、覚悟はできているのです。

明日から神戸はルミナリエ。この光の祭典はやはり寒い方が似合います。今年のレイアウトはどのようなものなのでしょう。震災で犠牲になった6000余名の魂(たま)に再会できます。

1106……12月10日(火)
とある事典に執筆した項目の校正が終わり、ホッとしています。

400字詰原稿用紙で20枚ほどの長さだったのですが、やたら読むべき資料・文献が多く、それらを求めて読み、まとめるまでが大変でした。資料購入費と、執筆にかけた時間を考えると、決して儲かる仕事ではありません。むしろ経費の方がかかってしまうのです。ただ、実績は残ります。そしてそれによって再び原稿依頼がくることも考えられます。筆者に原稿依頼がくるのはこうした評論・批評といったジャンルなので、資料をしっかり把握する必要があるのです。となると、原稿を書けば書くほど持ち出しが多くなるという構造なのです。

でも、脱稿したときの解放感というのは、なにごとにも変えることのできない素晴らしいものなのです。

1105……12月9日(月)
カルメンの定休日。

長男が期末テストで早く帰ってきたので、昼は三人で食事。高校生というのは、特に男の子はあまりしゃべらないものです。親から問われてめんどくさそうに答えるだけ。親からのテイクオフが進行中です。

FMわぃわぃは今年最後の通常番組。2002年の総集篇を放送しました。今年はなんといっても、元ちとせと島唄ブームのために、筆者が制作とDJを担当する「南の風」もずいぶん注目されました。また総集篇だというのに、新作CDを紹介するなど、今年発売された島唄CDの質量ともに豊作であったことがわかります。

番組の一曲目は元ちとせの「この街」。現在、NHK朝の連続テレビ小説「まんてん」の主題歌です。いい曲です。ただこの曲をかけてから筆者はこのようなコメントを言いました。「みなさん、この番組はJ-POPSの番組ではありません。奄美しまうたの番組です」。他の媒体でもばんばんかかっているヒット曲を、筆者の専門番組で流すとは思いませんでした。

午後6時30分から、大阪・谷6の「すかんぽ」という店で、筆者が主催する忘年会。筆者のような仕事をしていると、なかなか忘年会に参加することはできないので、自分で企画して会うようにしています。今年は参加人数は多くなかったものの、隣の宴会の主催者も友人だったので、二組が入り交じって、盛り上がり最後は合同で記念写真をとりました。

隣の宴会に、上野英信をよく知る女性がいて、話し込んでしまいました。この人のことはまたいずれ、このサイトで書いていくつもりです。ちなみに筆者の父と上野英信とは大学の同窓(満州建国大学)なのです。

1104……12月8日(日)
今日は、ジュンク堂書店をのぞきました。

一冊雑誌を買い求めました。『現代思想02年11月号/特集「難民とは誰なのか」』。世界にいまだ頻発する民族紛争によって、あらたに多くの難民が発生しています。この難民とは何なのかの認識を巡っていまあらたに定義しなさざるを得ない状況になっていることは確かです。

かつてスペインでは、先祖がキリスト教に改宗したはずの人たちを、追放してしまった歴史を持っています。また息を潜めて生きてきたユダヤの人たちは再びディアスボラとして流浪を余儀なくされるのです。

この「難民」(あるいは亡命者エグザイル)というテーマで、どこかに文章を書こうと思っています。

1103……12月7日(土)
HMV(外資系大型CDショップ)へ。

まず、スペイン・ポップスのコーナーへ。新譜をチェック。ヴィラ・ベラ・カーリの新作が並んでいます。ロム・ポップと言われているもので、厳密にはスペインものではないのですが、ジプシーキングスといったヒターノたちが音作りに関わっているようです。ちなみにロム(ロマ)とは東欧のヒターノのことです(おそらく差別的表現も含まれていると思いますが)。〈ジプシー・キングスはスペイン語で歌っていますが、厳密に言うと彼らもスペイン・ヒターノではなく、フランス・ジタンなのです。ジタンとはフランスでのヒターノの名称〉。

最近、HMVが元気です。少し前は、何をおいても三宮におけるスペイン・ポップスはVargine Megastoreでした。この三宮店で売れた輸入CDの販売実績をみて国内版を発売するものがあったというぐらいですから、当時は勢いがあったのです。しかし若者が携帯電話にお金をかけるので、CD売り上げ状態が落ち込んだりして近年商品数そのものを減らしてしまいました。担当者も変わったりして、スペイン・ポップスが試聴コーナーに登場する機会が減ってしまったのです。

HMVは当初、商品をならべただけといった風情だったのですが、行くたびに棚が進歩しているのがわかるのです。試聴コーナーはVargineより多く、スペインものも積極的に売り出そうとしている姿勢が見えてきます。「2枚買えば一枚が1570円」という企画も購買意欲をそそります。また、この店はセンター街の中にあるという地の利もあるのです。土日はライブ演奏もやっていて、かつては元ちとせもやってきたこともあるぐらいです。

1102……12月6日(金)
パソコンでひと騒動です。

最近、インターネットを使っていると原因不明の事態が発生して「再起動」をしょっちゅうする羽目になっています。筆者のパソコンの師匠である姪っ子にメールで聞いてみると、「OS9.21にすべき」と回答があったので、さっそく9.1からバージョンアップを試みたのですが何度しても「Systemなんとか」がないので、アップデートは出来ないといわれます。

そこでSherlockでその項目をインターネット検索すると、筆者と同じ悩みを持っている人がいて、どうもMAC OSの構造的なバグのようなのです。わけがわからないうちに色々模索していると、なんとか解決しました。参考になるかどうか分かりませんが、解決にいたった筋道を書いておきます。

まずアップルメニューの中から「コントロールパネル」を選び、一番上の「セット」が「省略時セット」となっていれば「MAC OS 9.10 すべて」を選びます。次にインストールするOSが入ったCDをPCに入れ、9.21アップデータを、PCのシステムフォルダーにコピーします。そしてそのシステムフォルダーにコピーした9.21アップデータを起動させて、インストールしたら成功したのです。そしてそのアップデータはゴミ箱に入れて棄てました。

これでインターネットを稼働してみると、フリーズがなくなりました。またおかしくなるかもしれませんが、その時はその途中経過をお知らせします。
1101……12月5日(木)
もう、お気付きの方もいらっしゃるとは思いますが、カルメンのホームページの中に、もうひとつの日記サイトがデビューしました。マドリー在住のバイレ・大橋由実さんのエッセィです。題して「バイレ・由実のマドリー日記」。

由実さんはマドリー生活7年目。フラメンコの修業をしている人です。フラメンコといえば、南部のアンダルシーアが本場ですが、最近ではマドリーに演者が集まっているそうです。由実さんはフラメンコの教室に通いながら、旅行社にバイトとして勤め、スペインに来る日本人旅行者の世話をしています。

この日記サイトは、スペインに暮らしている人ならではの情報が満載されると思います。筆者も期待しています。みなさんも読んでくださいね。
(このサイトは不定期にスペインからメールで送られてきます)。