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表紙ページへ回帰 | お得なお任せコースを知りたい | カルメンのイベントを知る | ひみつです
900-5月15日(水)
沖縄返還の日。30年前(1972年)といえば、筆者は17歳。高校2年生で、いっぱしに社会問題に関心を持っていました。数年前には全国的に大学闘争が展開されていて、高校生も社会問題の関心を持っている者も少なからずいて、当時の「新左翼セクト」に身を投じている者もいました。
当時読んでいた雑誌は『世界』と『諸君』。いま考えれば、全く思想傾向の違う総合雑誌を読んでいたことになります。当時は月刊の総合雑誌に込められた知の先駆性がわれわれ高校生を魅惑していたのです。筆者はどちらかというと『世界』の記事を熱心に読み、今でも記憶に残っている連載があるほどです。
熱い政治の季節にすこし遅れてやってきた筆者の世代。ほんの少しの時間差だっただけに、乗りおくれたことを悔やみ、先をいくバスに乗った人たちがやってきたことが気になって仕方ないのです。
899-5月14日(火)
今年の"神戸祭り"は再び、5月開催に戻りました。どうしてでしょう。ワールドカップと重なるからでしょうか。理由はよく分かりません。この祭りは神無き祭りであるために、開催日が人間の都合によって、コロコロと変わるのです。農耕儀礼と結びついているのなら、予祝行事となるのですが、そうでもなさそうです。去年までのように、7月開催の方が、関西三都まつり(大阪・天神祭、京都・祇園祭)と三くくりにして覚えやすいかったのですが。
898-5月13日(月)
FMわぃわぃに向かう途中、せっかく今日の放送のために準備した音源(MD)を持ってくるのを忘れていることに気付き、携帯で拙宅に連絡。電話に出た次男にMDを捜してもらい、駅まで持ってきてもらいました。すぐもらって、JR鷹取駅からFMわぃわぃまでダッシュ。放送開始2分前にぎりぎりスタジオ入り。冷や汗もののスタートでした。本日の放送は、「奄美 うたの風景(5) 宇検村の島唄 三回目」として、1991年録音の石原久子さんの島唄を特集しました。
放送終了後、神戸駅で下車。神戸大学付属病院に寄って帰宅したのです。
897-5月12日(日)
昼間の休み時間を利用して、武庫川の西宮側河川敷で開かれている「関西喜界会総会」にお邪魔しました。荒木集落出身の知人に弁当をいただき、よもやま話。今回筆者が訪れたのは、今年1月に八月踊りでお邪魔した上嘉鉄集落の皆さんに挨拶をするためです。今回は出し物が多いので、一曲だけの披露となりました。
この時期、武庫川の河川敷ではいくつもの奄美の郷友会が運動会や芸能大会が開かれます。896-5月11日(土)
ある場所に原稿を書いていて、あれっと思った言葉があります。それは"神戸っ子"という言葉です。神戸の皆さん、最近使いますか? 震災前なら"神戸っ子"を使ったり、自称したりしても自分自身齟齬はなかったのですが、震災からこの方、どうもこの言葉がしっくりきません。
ひょっとして、震災で"神戸っ子"は解体してしまったのではないでしょうか。"神戸っ子"と同時に"神戸"も解体してしまったのではないでしょうか。この言葉を使う背後には神戸という地域実体が確固として存在しているとの幻想がありました。しかし震災で、神戸のありようがガラガラと骨組みから崩れ去ってしまった以上、「神戸」という地域幻想を土台にして確立していた"神戸っ子"や"神戸らしさ"、"神戸風"などの諸概念もまた解体してしまったのではないでしょうか。
895-5月10日(金)
20世紀に神戸で築かれた文化が徐々に消えてなくなり、21世紀の都市文化が生まれようとしているのでしょうか。震災で感じたことは、神戸は哀しすぎるほどに「地方」であるということでいす。つまり地域としての自律性が確保されていないのです。これだけ情報流通が発達しているのだから、別に個別の都市としての独自性がなくてもいいではないかと言われればそれまでですが、このままだと、かつてあった「神戸文化」というのが、震災以降、潰えたまま再興されることなく、「中央」に対する一地方に埋没したまま、どこにでもある「東京コピー都市」になってしまう危険性があります。こうした都市の自律性に対する危機意識をどれだけ神戸市民は共有しているのでしょうか。
894-5月9日(木)
画家の小松益喜氏が逝去しました。97歳。天寿といえるでしょう。筆者も震災前に何度か、北野で異人館街を描いている小松氏を見たことがあります。阪神大震災で灘区の自宅を失い、以後東京に居を移しました。小松氏は愛した神戸の街が崩壊したことにさぞ落胆したことでしょう。高知市出身、1934年から神戸に住み始めました。1905年生まれでしょうか。戦前の神戸をも知る文化人でした。筆者の母方の祖父・岸本邦巳が生きていたら、同世代の人です。小松氏のような神戸を代表する文化人はカルメンとも関わり合いが深く、筆者の実家には小松氏の作品があったと思います。父によると「飲み代としてもらった」と笑っていました。
小松氏の作品は96年に神戸市に401点ほど寄贈されていると聞きます。彼が描いた異人館は、震災とは関係なく、時代の変化の節目で消えていったのは残念なことです。しかし彼がいてくれたおかげで、作品として"神戸の記憶"として残っているのは素晴らしいことです。
893-5月8日(水)
二日連続で休みをとったので、行きたいと思っていた奈良国立博物館「東大寺のすべて」展を見てきました。、美術館の殆どが月曜休館であるので、見る機会がめったにないのです。会場は修学旅行生でいっぱい。彼らをよけて避けながら館内をじっくり見て回ります。この東大寺は、創建時と、二度にわる再建時に有能な勧進僧が現れたのです。勧進とはようするに総合プロデューサーといえるでしょう。
創建時の「四聖」を今風に言い換えると、聖武天皇は「発起人代表」、行基はプロデューサー(または営業・渉外担当)、インド人僧はディレクター(またはコンサートマスターか編集長)、そして良弁は初代社長といったところでしょうか。会場には、良弁像が印象をひきます。理知的な顔をしているのです。一方で、事業家の顔を見せるのは、鎌倉時代に再建を果たす勧進僧の重源。
鎌倉時代の再建は、重源の浄土系思想と運慶制作集団との合作だといえるでしょう。この時代の仏像はそれ以前のものと大きく変わっています。凛々しく緊張感にあふれ、尚武的であり、シャープなのです。Japon仏教美術の頂点のひとつが見えてきます。
ひさしぶりの奈良。すこし心が和らぎました。
892-5月7日(火)
社員レクリエーションのために、カルメンは休み。昼は、大阪・北浜のスペイン料理店へ。筆者とカルメンのコシネーロたちと、食べに行きました。コネホ、フィデアス、うずら、すずきなどなど単品を頼みました。vinosも注文。ところが3500円より安いワインは見あたらず、カルメンと同じワインでも値段設定は少し高めでした。続いて、甲子園球場へ阪神タイガースの野球を見に行くつもりが、雨で中止。仕方なく、大阪南までとってかえし千日前の吉本の新人たちがでる劇場へ。かつても社員レクリエーションで、「心斎橋2丁目劇場」に行ったことがあります。その時に出ていた新人たちもいまや30歳前後となり、中堅どころとして活躍しています。
当時と較べて、"コント系"が減り、よりオーソドックスな"しゃべくり系"が多くなったということです。以前は素人にちょっと毛が生えたようなグループもまじっていたのですが、今回みた芸人たちは、"しゃべくり系"が中心ということもあって、日々訓練を重ねていることが推察されます。
荒削りな面もありますが、既存の漫才に枠にとらわれない新人ならではの斬新な試みも随所に見られて、筆者なりに興味深く観察していました。
さらに面白いのは、観客の殆どが中高生女子ということです。やはり劇場が近い大阪の女性たちは、平日の夜でも熱心に見に来るのですね。こうした客層があってこそ、大阪の芸人が育てられるのだと関心していました。大阪(関西)は、客も芸人も層が厚いですねえ。
以前は、若い女性が大半の環境でしか受けないようなレベルのしゃべくりをするグループもいて、世代を越えた笑いをとれるグループが果たして何組あるのか疑問に思ったのですが、今回の出場者は、筆者でも充分に笑えるレベルりものでした。やはり時代が不況続きで、芸の世界にもより甘えが許されなくなり、芸人たちみ必死なのでしょうね。
891-5月6日(月)
カルメン、営業しています。長かったゴールデン・ウィークも今日でおしまい。筆者の"豚児"たちは、世の末が到来したかのような憂鬱な顔をしています。反対に、筆者はようやく休みが明日からとれるとあって、表情は明るいのです。
店から出て、三宮駅に向かうとき、午後10時台の繁華街を歩いているのは、若者ばかり。筆者と同世代の人たちは、見かけることはありません。こういうときは、電車もすいていて、ゆったりと腰掛けることが出来るのも素晴らしいことです。
さて、みなさんのゴールデンウィークはいかがでしたでしょうか。いいことはたくさんありましたか。
890-5月5日(日)
筆者が住む東灘区には毎年、ダンジリが地区内を練り歩きます。今年は残念ながら、早起きして見に行くことは出来ませんでした。近くまで来ている音だけは確認したのです。ところが、筆者の子ども達は、地元で行われる祭りにほとんど興味を示すことなく、過ごしています。まあ、筆者の一家も現在地のネイティブではないので、土地への執着はすくなく、"連れ合い"の実家で行われる祭礼には必ずといっていいほど毎年参加するのです。
889-5月4日(土)
バルセロナに9年間住んでいた人が、夫婦で来てくれました。Callosを「ひさしぶり」といいながら食べ、Fideus も注文。二人でvino tinto を一本。ゆっくりと時間をかけて、おしゃべりを楽しみながら、ひとときを過ごしておられました。やはり西洋系レストランにいけば、ワイン(750ml)は一本あけたいもの。その開ける時間と共に、会話を楽しみ、人生を楽しむというのが、ヨーロッパ流幸福の構図といったところでしょうか。
888-5月3日(金)
しばらく空き地のままだった三宮・センター街のダイエーのファッションビルに、ユニクロが進出してくることがマスコミによって報じられました。かつて神戸は、ダイエーと中内さんにとって"聖地"でした。新しい事業を展開するのに、かならずといっていいほど神戸の地が選ばれたのです。しかし、震災でファッション・ビルは倒壊し更地になっていました。そののち、神戸復興が遅れているのを見計らって、債務軽減のために、土地を売却したのでしょうか。
今は、中内色は薄くなり、ダイエーにとっても神戸は特別な意味を持たないようになってきました。どこか淋しさを感じます。
887-5月2日(木)
筆者の周囲にはサッカーの嫌いな友人が何人かいます。理由は簡単です。Japon代表が出る試合には、サポーターが「国旗」と言われている白地の赤丸の旗を振ります。あれが会場に何本も何本も振られている様子を見るのが耐えられないというのです。
神戸ウィングスタジアムで、Japon代表とホンジュラスが対戦しました。結果は引き分け。ホーム試合で引き分けは負けと同じではないでしょうか。いまさら国威発揚のためのサッカーもないだろう、と思いつつ、「白地の赤丸の旗」を無心に振るサポーターが不思議な存在に見えてきます。
886-5月1日(水)
今年も、パルケー・エスパーニャから、"フィエスタ・デ・フラメンコ"のポスターが到着しました。これは5月10日から7月10日までパルケー・エスパーニャで行われているもので、全国のフラメンコ・グルーポが参加する祭典です(問い合わせは、0599-57-3315「パルケー・エスパーニャ"フィエスタ・デ・フラメンコ"係」まで)。
USJが開園して以来、在来の遊園地が元気がありません。宝塚ファミリーランドや阪神パークの廃園が決まりました。筆者のように阪神間に生まれ育った人間にとって、どちらも思い出深い所です。西宮で中学校生活を送っているころは、宝塚ファミリーランドへ男女数人で遊びにいったものです。そうした場所が消えてなくなるのは淋しい限りです。1990年代から、既存のものが次々と姿を消していきます。
こういう環境なので、スペインを売り物にしているパルケー・エスパーニャには頑張って続いてほしいものです。カルメンも応援することにしましょう。
885-4月30日(火)
本棚を整理しました。人生できわめることの出来るジャンルというのは限られてきます。20歳代に読んでいた本と40歳代に読んでいた本は大きく違います。かつては外国文学、エコロジーやエネルギー関係の本を読んでいましたが、いまでは本棚の隅においやらてしまっています。評論を読み始めたのは、30歳代からでしょうか。この時ぐらいからの本はいまだ読み返したり、引用したりする本も多いようです。
整理して、増え続ける琉球弧関係の書棚を大幅に増やしました。どんどんこのジャンルは増殖していきます。まるでジャンルの本たちが、申し合わせたように細胞分裂するようです。
とはいっても筆者の蔵書数は、家が傾くほどのものではありません。ただ、震災前に建て替えていなければ、当時2階の置いていた本の重みで、家は簡単に潰れたでしょうし、本の厚みで筆者が生き埋めになったであろうことは間違いありません。
884-4月29日(月)
朝、去年の夏から脱稿できずに悩み抜いていた原稿を、メールで送り終え、ホッとしているところです。なにせ締め切りは去年の9月。400字詰原稿用紙にして40枚ほどなのですが、だいたい筆者は原稿を書き始める時は、とてもナーバスになり、自信喪失気味です。とっても40枚は書けないと、諦め、20枚のケースにしてもらおうかと、メールを送ろうとしたほどです。
ところが、原稿を書き始めると、筆が止まらない自分の性格をすっかり忘れていました。規定の40枚をあっと言う間に越えて、マックスの50枚まで書き進んでしましました。
今は、脱稿しおえて、すっきりしているのですが、相手の編集担当がどう判断するのか、分かりません。"没"になることだったあるのです(筆者の友人であるT君は早々に原稿を書き上げたものの、編者趣旨と違っていたのか、"没"になってしまいました)。
でも、ともかく、何カ月ぶりの解放感を今日はたっぷりと味わいましょう。
883-4月28日(日)
さすが、ゴールデン・ウィーク。お客様の顔ぶれが変わります。家族づれが増えるのです。一家や一族の人たちが、固まって来店していらっしゃいます。とその一方で、常連さん方も、顔を出してくれます。また常連とはいかないまでも、一年に一度くらい来てくれるお客様もいて、今日は終日にぎやかな店内でした。
今年のゴールデン・ウィークは少し寒い気候です。半袖では風邪をひきそう。「肌寒い」という表現がぴったりとくる気候です。
882-4月27日(土)
ゴールデン・ウィーク前半の初日。筆者の子ども達は、「名探偵コナン」のアニメ映画を観に三宮まで出てきました。筆者は仕事柄、ゴールデン・ウィークは、子ども達の相手をしてあげることは出来ません。子ども達は小さいときからずっとそうなので、自分たちでけなげに行動に出るのです。そういえば、「千と千尋の神隠し」の興行成績を軽く抜くだろうと予測されていた「ハーリーポッター」がすでに上映がされていないことにはビックリしています。この休み中に子どもたちが見れたらと思っていたのですが、こんなに早く上映が終わるとは思ってもみませんでした。
881-4月26日(金)
パソコンで文章を書くとき、フリーズするのを嫌うため、早い時期から、安定度が高いエディット・ソフトを使っています。"Jedit"というソフトですが、メールで原稿を送る必要が出てきて、相手がWindows なのかMacなのか分からないので、Wordで送るようにしたのです。ところが、このWordが曲者で、実によくフリーズするのです。パソコン初心者だった頃は、原稿は専門ワープロソフトで打つものだとしていたのでずが、大切な原稿がひょんひょんとよく飛び、何度も何度も泣かされました。そのために、Wordは極力避けるようになったのです。
ところが、このWordを久しぶりに使うと、日本語チェック機能がついているのに気が付きました。"A-tok13"にも付いているのですが、Wordはより"小姑"らしい嫌らしさ。筆者のプライドも手伝って「ええいっ、黙れ」と画面に向かって怒ってしまうのですが、時に助けられることもあります。それは、文字読みとりスキャナーで拾った箇所で「じ」が「し」になっていたり、「日」が「目」になったりいたりするのです。
880-4月25日(木)
ビール、Cervesaの話です。スペインというところは、時々急に方向転換をするところです。いままでお客様に好評で、定着してきたスペイン・ビールである"エーデル・ダム"が終売にするというのです。カルメンでもせっかくリピーターが出たところで、止めにするというのは、よくありません。
しかし、メーカーがもう製造しないというのであれば仕方ありません。東京の輸入元の推薦にしたがって、代替商品をお客様に用意しました。"Estrella Damm"(エストジャ・ダム)という名前です。値段は一緒で、Japonのビールの小瓶サイズ(330ml)で600円です。
さて、その"Estrella Damm"のお味は、一言で言うと"ラテンな"味なのです。原材料を見ると麦芽とホップ。えっ! それでこの風味? と思ってしまうほど、Japonのビール・メーカーなら絶対作らない味です。製法が違うのかもしれません。ピールはお国柄が出ます。ドイツ・ビールのようなサイダー味は、スペイン人には物足りないのでしょう。個性はエーデルダムより豊かです。カルメンに来て、いきなり"ラテンな"気分になりたい時は、この"Estrella Damm"をご賞味あれ!!
879-4月24日(水)
昨日、午後11時から始まったNHK教育の人間講座「イスラームの世界」を途中から見始めて、面白く最後まで見てしまいました。筆者がテレビを観るとき、ニュース番組がある時は、そのチャンネルに直行します。数あるニュース番組のうち、NHKのニュースは、参考程度しか見ないのです。時に「テレビ官報」のような「国営放送」的ノリの内容になるので、辟易するからです。
同じNHKテレビでも筆者がよくチャンネルを回す(古い表現ですなあ)のは、教育テレビです。時間つぶしというか、漫然とテレビを見たいときは、教育テレビに限ります。
878-4月23日(火)
カルメンのすぐ南隣りあるパチンコのWが、「店舗改装中」という理由で閉まったままです。どうしてしまったのでしょう。機械のリース代も払わなければいけないはずです。このWの入ったビルは8階建てです。震災でも頑丈に建っていました。震災後にビル・オーナーと思われる人と無事をたたえあったものです。パチンコ屋というのは儲かるのでしょうか。かつては、全台総入れ替えがあった時などは、フリーターらしき若者たちが朝早くから、行列をなして並んでいたこともありました。
Wのシャッターが閉まったままだと、カルメンの界隈の夜が少し暗いのでいす。早く店を開けてほしてものです。
877-4月22日(月)
カルメンの定休日。朝は歯医者へ。筆者の母もかかっている二代かがりの歯医者さんです。その歯医者さんも二代目。付き合いも長くなっています。
午前11時には、コープリビングセンターから、次男の部屋用に整理ダンスの搬入。家具がすこしずつ入ると、男の子の部屋らしくなります。
この後、筆者は昼食を挟んで、FMわぃわぃの番組づくり。今日は、「奄美--うたの風景」シリーズの第4回目として、奄美大島宇検村の特集をしました。フューチャリングをしたのは、坪山豊氏。1998年に尼崎で収録した「徳之島花徳会」でのライブ演奏と、かつて唄者の勝島伊都子さんが経営していた民謡酒場「奄美」でのウタアシビの様子を、放送するのです。勿論、初公開です。
ウタアシビでは、シマンチュの集団ならではのシマグチが飛び交い、濃密な島唄の交換がありました。(また、こんなウタアシビのキッカケを作ってみたいなあ)。
FMわぃわぃの番組終了後、JR鷹取駅の南、国道2号線沿いの家電量販店"コジマ"へ。先週買ったCDラジMDの調子が悪く、本体部分を交換してもらったのです。そして次に向かったのは、JR六甲道駅北の、宇仁菅書店へ。吉本隆明の「異族の論理」が入った全集の一巻と、島尾ミホの短編小説集『海辺の生と死』を求めていったのですが、どちらもなく、代わりに島尾敏雄著『記夢志』(冥草舎、1973)を買い求めました。
久しぶりにあった店主としばし話し込んでいました。そして筆者は店主から最近のなんでもパソコンに頼りたがる風潮に対して、筆者が代表して怒られてしまいました。最近の古書肆もパソコン、インターネットを駆使するところが多い中、ここは頑固に自店に来てもらうことを前提にしています。
ここは、人文系の書籍が好きな人なら、垂涎の的となっている素敵な書肆です。神戸の中心街の三宮になく六甲にあるのが不思議なところで、いやその故に残っているのかもしれません。店主は店の奥まったのまさに「穴」の中の住民のように、世界の書肆世界を凝視しているかのようです。
長く話し込んだ後、帰宅を急いでいると、自宅の手前10メートルのところで、携帯電話がなります。"連れ合い"からです。「いまどこやの? みんな(晩ご飯)待ってるのよ!」。「はいはい、すみません、すみません」と筆者。この日、宇仁菅店主におしかりを受けたものの、なぜか爽快な気分で、食事が進み五膳も食べました。
876-4月21日(日)
一匹の猫が、カルメンの二階の踊り場にずっとただずんで、動こうとしません。たったそれだけのことですが、野良猫なので、いつもは近づくだけで逃げていくのですが、今日に限って、近づいて触ったりしても、動こうとしません。やがて雨が降ってきたので、カルメンを傘がわりに使ったのかとも思ったのですが、お別れに来たのかもしれないと思い、確かその猫はカルメンの三階の屋上で生まれたことを思い出しました。
それとも今日は、スペイン料理を食べたかったのでしょうか。野良猫とはいえ、グルメな街に住んでいる彼らです。和洋中華、エスニック、無国籍までなんでも揃っているのです。ですから野良猫にしてはみな血色がいいのです。「最近、イタリアンもフレンチも和も飽きたから、今日あたりひさしぶりにスパニッシュにするか」などと考えていたのかもしれません。
875-4月20日(土)
筆者のパソコンのホームページはカルメンのサイトにしています。インターネットにつなげると、まずカルメンのホームページが立ち上がります。で、次はYAHOOのニュースヘッドラインを見ます。ここは読売新聞と毎日新聞のサイトと連結していて、速報がほぼリアルタイムに入ってくるのが魅力です。そして次は朝日新聞のサイトへ。まあだいだい情報は重複しているのですが、ざざっとめを通します。そして地元の神戸新聞と、鹿児島の南日本新聞、奄美の南海日日新聞は一週間単位の更新なので、あわてなくてもいいのです。
今年はプロ野球の阪神が面白いのですが、動画のニュースサイトには、スポーツ・ニュースがなく、文字だけなので少しもの足りません。著作権の関係でしょうか、ひいきのチームが勝った日は何度も、スポーツ・ニュースを繰り返し見たい衝動にかられるのですが、残念です。
874-4月19日(金)
朝早くに起きると、気持ちがいいものです。早起きで得するというのは、インターネットがつながりやすいということです。例えば、ちょっとした調べものをしようとした時に、検索サイトを使います。するとスイスイと実に気持ちよく、サクサクつながるのは快感です。
原稿を書く行為に集中しているので、ふと疑問点がある時に、インターネットが捜すと本当に便利です。ただ、辞書の場合もそうですが、ちょっと脇見をしてしまう危険性もあります。(この脇見でみた情報がこれまた面白いものなのです)
873-4月18日(木)
ここ数日、早朝に起きだし、パソコンに向かっています。原稿を書いているのです。しかも締め切りが去年の9月。とっくの昔に脱稿していなくてはならないのですが、どうしても書けなくて、版元の担当編集者に迷惑を掛けっぱなしで、のばしのばしになっています。原稿枚数は、40枚と長くないのですが、才能がない分、書き進めるのに苦労しているのです。その本は筆者以外にも何人か書き手がいるので、共著ということになります。どうやら筆者にとっての40歳代は「共著」の時代となるようです。そうして貯めた原稿を集めて、あと数年後の50歳になった時、第一評論集を出そうかと思っているのですが、新しい原稿を書く分、産みの苦しさを味わなくてはなりません。
来月から、神戸新聞夕刊にも4カ月間、コラムを執筆することになります。これで合計2本の連載です。プロと較べると決して多くないのですが、遅筆な筆者としては、ぜえぜえいいながら、パソコンのキーボードと格闘しなければなりません。
872-4月17日(水)
ガリシア人のホセ・アントニオ・ノボ君がカルメンを訪れてくれました。身分は、ガリシア州経済開発公社に属し、ビジネス交流研究員-関西地区担当と名詞に刷られています。筆者の語学力ではこみいった会話は出来ませんが、昨日スペイン・ワインを楽しむ会をしたばかりなので、ホセ君に向かって、「ガリシアはリアスバイシャスという素晴らしい白ワインの産地がある。スペインの白ワインの中ではナンバーワンだと思う。いずれ、カルメンでリアスバイシャスのVino Fiestaをしたいので、考えておいてほしい」と言いました。
ガリシアは三つほどDOがあるそうですが、いずれもvino blanco だそうです。スペインの中で別天地のような白ワイン地帯。このあたりから、ガリシア人としての矜持やアイデンティティが生まれてくるのでしょうか。
カルメンでももっとリアスバイシャスの白ワインを仕入れたいのですが、少し高どまりしている価格に少しだけ不満です。スペインの数少ない白ワインの名産地として、もっと多くの人に、おいしい白ワインをなるべく安く味わってほしいのです。
昨日のワインを楽しむ会が、筆者に強く印象に残ったので、カルメン独自でも「スペイン・ワインを楽しむ会」をしてみたくなりました。どこか協賛・サポート・賛助してくれる会社、小売店を探してみようかしら。
871-4月16日(火)
午後7時から、アサヒビール主催の「ワインを楽しむ会」。カルメンが料理を提供し、アサヒビールがワインを持ち込んでするものです。15名の参加がありました。同会は三回目。今の神戸支店長氏が企画してスタートさせたイベントです。ワイン、まず最初はなぜかドイツのスパークリングワイン。本当はスペインのスパークリングワインであるカバを出すべきでしょうが、アサヒビールは扱っていないので、他国のスパークリングワインで代替です。続いては、リオハの赤ワイン、エル・コト。クラスはSin Crianza。コセチャは2000年。飲みやすくまあまあの味です。
続いては、同じくリオハのエル・コトのブランコ(白)。筆者も初めてのみますが、シャウト感があってなかなかの出来。コセチャは2000年。触手が動きました。カルメンに導入も考えています。やはりリオハのしっかりしたボデガのブランコは安心できます。
さらにエル・コトの赤1998年のCrianzaが続きます。しっかりしたボディです。しかもコセチャも申し分なしです。料理もブイヤベースのサルスエラや、豚ロースのポルトガル風シチュウなど、メリハリの効いたものが出ます。筆者は、アサヒビールのワイン解説者A氏の間隙をぬって、時々スペインワインの応援団として、スピーチを挟みます。
このエル・コト、今年の7月に、なんと1994年産グラン・レセルバを発売予定のこと。これはすごいニュースです。小売価格は3000円。出る前からむすでに伝説化している94年コセチャのグラン・レセルバ! 値段も「こんなんでいいの」と言いたくなるほどです。しかし、スペインのことですから、7月に入荷予定だとしても、奇跡的に早くて9月。普通だと来年の2月、よくある話だと1年後の来年7月、さらにごく普通の話では「入ってこなかった」という幻の入荷パターン。理由を聞けば「アメリカから早く出荷しろと言われて、Japon向けに予定していたものも一緒に送ってしまった」と何とかいってオシマイ。よくあるんですよ、こんなケース。
870-4月15日(月)
カルメンの定休日。午前10時から歯医者。
岡本に出てワイングラスなど購入。拙宅に帰って後、"連れ合い"と共に、コープ甲南リビングセンターへ、次男坊主の部屋に置く整理ダンスを購入しに行ったのです。といいますのは、長男(高校一年)と次男(中学二年)が共用していた部屋を二つに分けたためです。やはり中高生はお年頃。別々の部屋を持ちたいものです。午後4時から、FMわぃわぃ「南の風」の生放送です。今回は「奄美-うたの風景」三回目として、奄美大島の真ん中あたりの住用村、宇検村の島唄を特集しました。このあたりから、山深い大島らしい風土が展開します。
放送終了後、JR鷹取駅の南にある家電量販店の"コジマ"へ。次男の部屋に置くCDラジMDを購入。ボディがブラックの洒落たデザインです。当初29800円の値札が付いていました。「いくらに出来るの」と筆者。「さらに値引きします」とのポップが付いています。電卓をはじいて「27800円で」と店員。「ジョーシンでは26800円だよ」と店員に言うと、「では26500円で」となり売買成約。
このいかにも関西的=アジア的な商慣習は、筆者の好みとするところです。正札販売であるはずのデパートでも、関西人はきっちり値切ります。勿論、アジアでもそうでした。筆者も下手な英語で、随分値引き交渉をしたものです。これはちょっとした楽しみです。売る方も買う方もちょっとした役者ぶりです。でも関東方面の人はこうした「アジア的段階」を嫌うようです。東京系家電量販店は、値引き交渉に応じないとか。そうなると、店頭に立つのは社員でなくてもいいのです。アルバイトで充分でしょう。
869-4月14日(日)
「みて、父さん」庭の草むしりをしていた次男が、一階書斎のサッシを開けます。
四つ葉のクローバーです。
「おう、これはラッキーな」と歓声をあげると、数分後「ほら」とまた四つ葉のクローバー。 ん? 一度ならともかく二度も。娘も声を聞きつけて探索し「ほら、私も」。詳しくは分かりませんが、確率が低いといわれている四つ葉のクローバーですが、こうも沢山見つかるということは、発生率が高い品種、土壌なのかもしれません。筆者は最初にもらった四つ葉のクローバーを、本の中に入れて、押し葉にしました。
868-4月13日(土)
亀が発見されたことのお知らせです。数日前、猫たちによって拉致されて行方不明になっていた亀のことを書きましたが、次男が庭の草むしりの手伝いをしている時に、排水溝の中で身動きがとれない亀を発見。水槽に返してやり、無事いのちをとりとめました。もう少し、亀を守るための防御装置を作らなくてはなりません。
"連れ合い"はまた「亀のエサ」という名の餌を与えるようになりました。
867-4月12日(金)
K高校の卒業者には多くの有名な人がいますが、中でも全国的に有名な人に、樺(かんば)美智子さんがいます。「あっ」と声を出された方もいらっしゃると思います。1960年、日米安保条約に反対するデモ隊が国会議事堂に突入。東大生としてデモに参加していた彼女は、その時混乱にまぎれて官警によって圧殺されてしまったのです。
当時、「女子大生が殺された」と反響がすさまじく、警察側の非道に対して抗議する人が多かったのです。あれから42年の歳月が流れました。樺さんの若い死をわれわれは乗り越える社会づくりをしてきたでしょうか。時代・状況は大きく変わっています。しかし、自分の住む国が再び戦争の道に走らないよう、純粋な動機でデモ隊に参加して、殺されてしまった彼女の"生の叫び"に、われわれは今も真剣に対峙していかなくてはならないと思っています。
866-4月11日(木)
K高校の入学に際して配られた資料の中に、この学校の伝統を思わせる資料が交じっていました。この学校には四つのスローガンがあり、その内容説明を、同校卒業生で、東大総長にもなった矢内原忠雄氏が記念講演した小冊子があります。K高校の前身である旧制中学校の初代校長だった人が、札幌農学校の二期生だったのです。ここはキリスト者である矢内原忠雄氏が大きな影響を受ける内村鑑三も二期生として在籍していました。看板は官立の農学校となっていますが、初期のころはキリスト教的色彩の濃い校風でした。(後に北海道大学になるにあたって、キリスト教的要素は排除されていきましたが)。
当時としては自由な校風だったのです。こうした中で教育を受けた人が、校長になるのですから、K高校の前身校は、官立学校の中でも独自の校風があったのでしょう。(たしか札幌農学校の生徒たちは、「札幌バンド」という信仰の集団を形成します。これはプロテスタントの大きな三つの集団として有名です。他に「熊本バンド」「横浜パンド」があります。また新島襄が京都に起こした同志社もまた明治期における重要なプロテスタント運動の核となっていくのです)。
865-4月10日(水)
月曜日、筆者の長男が入学式を迎えた兵庫県立K高校は、旧制一中からの歴史がある伝統校です。今春の入学生から使用される新校舎は、ぴかぴかと新しく、新一年生を祝福しているようです。入学式の中で、挨拶に立った複数の先生たちは「ここの生徒は勉強するのが当たり前」と、生徒たちにしゃべった上に「勉強だけではダメです。クラブもしなさい」とこともなげに語ります。"文武両道"というやつでしょう。入学式では、この学校がいかに伝統があるのか、生徒たち、父兄に対して何度も繰り返して語りかけ、「刷り込み」作業が行われます。この調子だと、このK高校の生徒たちは、卒業した時すでにいっぱしのプライドを持っていることになるでしょう。
筆者の卒業した神戸市内の私立高校との差を思いながら、たいへんな学校に長男が入学したものだと思ったのです。
864-4月9日(火)
Japonの学校(小学校-中学校-高校)で使われる教科書の内容が、3割以上削減されることについて、議論が沸き起こっています。受験戦争に翻弄されない「ゆとり」を求める永年の教育界や親の希いが、授業量を大幅に削減することで、勉強以外の創造性を高めていこうとするものなのです。ところが大学に入学する生徒たちの「基礎学力」が低下していると言われる中、授業内容の削減は、こうした危機感に対応しないまったく逆のことを文部省がやろうとしているのではないかと、非難の声が上がっています。
ゆとりを求める声を実現した途端に、基礎学力の低下が危惧される。悪者扱いされている文部省役人は、変化した時代の空気についていけず、非難されることに憤りを感じているようです。いかにもお役人的な独善ぶりです。
863-4月8日(月)
カルメンの定休日。長男の高校入学式に"連れ合い"と参加。神戸市内を一望できる高台にその学校は位置しています。今日はかすんでいたものの、視界がよければ遠く紀伊水道まで見ることができる絶景の場所なのです。
夕方から、花見の準備です。今年は「季節はずれ」となってしまいましたが、毎年筆者個人が大阪城公園で夜桜会を催しているものです。
今年は、琵琶奏者の川村旭芳さんをゲストに呼び、平家物語の中から、静御前が源頼朝の前で舞うくだりを演奏してもらいました。静は義経との想いを詠い、その文言が頼朝の逆鱗に触れます。有名なシーンです。静は泣く泣く頼朝の命にしたがいます。平家物語の中では珍しく男女の愛情を謳いあげ聞く者の涙を誘う場面です。
20人近く集まった参加者は、旭芳さんの美声に酔いしれます。筆者は日頃、琉球弧に伝承されている口誦文芸(島唄や八月踊りなど)に接する機会が多く、かの地に脈々と受け継がれている「民族の物語」の深さに感銘しているのですが、筆者が属しているJapon民族にも、おおくの「民族の物語」が継承されていることを改めて認識したのです。
午後6時に始まった夜桜会。月曜日開催で、しかも花の盛りが過ぎてしまったということもあり、花見客はあの広い大阪城公園(西の丸庭園入り口近くの芝生)で、われわれだけ。最初は三人の小さな円だったのが、次々と参加者が現れ、大きな円となっていきます。
フリーライターの田中淳夫氏が「割り箸=間伐材有効利用説」を説いている時、どこから聞きつけたのか、われわれの周辺には人はいないはずなのに、突如闇の中から、若きモンゴル人が発言を求めて、我々の宴に参加しました。大阪大学に留学しているという青年です。あまりにも突然だったので「桜の精」かとも思ったのです。しかも、だいたいモンゴルという国に、木材、樹木というもの自体多いのかどうかわからないために、余計に不思議に思ったのです。
楽しい会でした。大阪で催していることもあって、大阪本社の新聞各社の記者が何人か参加。他も詩人、文学者、画家、神学生、ミュージシャンなど多様な顔ぶれとなり、楽しい会となりました。また来年も企画したいと思っています。
862-4月7日(日)
春休み最後の日曜日。この休みに何本かビデオを借りてみました。新しい機種はDVDも見られる装置なので、「新・猿の惑星」を借りてきたのです。もともと筆者はハリウッド系どころかアメリカ映画を極力見ないようにしていますが、今回は息子たちと一緒に見るために、ストーリーが分かりやすい映画を選びました。
B級映画でした。驚いたのは、宮崎駿の影響が見られたことです。ラストシーンで猿の軍団と戦うシーンは「風の谷のナウシカ」の明らかな"パクリ"。やはり続編ものはボルテージが下がるのは定石ですが、第一作にはとうてい及ばない出来にがっかりしました。まあ、ラストシーンだけは最後の土俵際の踏ん張りを見せたといったところでしょうか。
しかし、第一作も考えてみますと、基本的コンセプトは「黄禍論」の映像化だという指摘も否定できません。黄禍、つまりJaponの経済成長と、共産中国の脅威に対するアメリカ白人社会の警戒感が反映しているとも言えなくもありません。
861-4月6日(土)
昼から雨が降ってきました。昨日は背広族が町中に充満していました。年度始めの週末。いつもならおそくまで会社で仕事をしているサラリーマン諸氏が、歓迎会などを催すために、この時ばかりは集団で社外へ繰り出すためなのです。普段なら、週末の夜の三宮は、若い人たちが闊歩するカラフルな街なのですが、昨晩はこの国の経済を動かしているのは私たちだ、と言わんばかりの濃紺・ネヅミ色の背広集団が群れをなし、若者なんて我々の経済活動の余沢で生活をしているのにすぎないんだぞ、という示唆行為をしているように見えました。
カルメンも今日は、大阪の外資系会社の団体さんが、奥の客席スペースを使って、おおいに盛り上がっていました。他にも何組かの団体さんが来店され、満席状態がずっと続いていました。さてさて、今年度はどのような年になるのでしょうか。
860-4月5日(金)
今年も拙宅の庭に植わっているリラ(ライラック)の花が咲きました。ところが今年は筆者が昨秋、徹底して剪定したために、一輪しかつきませんでした。それを見た"連れ合い"、筆者をなじります。彼女は筆者の剪定の仕方が気にくわないのです。曰く「愛情が感じられない」。いいや、そんなことはありません。筆者の書斎は別名「りら庵」と名付けているほどなので、窓越しに毎日眺めている樹木に愛情を感じないはずはないのです。弱々しく伸びきったいくつかの枝を思い切って切除して、二本の枝だけ残し栄養が集中するようにしたつもりです。
リラもまた去年よりも早めに若葉を出しています。今年は暖かいのです。しかし"連れ合い"は「今年はフリージアを世話しなかったから花は咲かない」とブツブツ言っています。このフリージア、筆者が1970年に沖永良部島に行った際、買い求めてきたものが、実家で永年にわたって育てられ、拙宅用に株わけされて"帰って"きたものです。
859-4月4日(木)
それにしても、タイガースと全く反対に昨日まで一勝も挙げられないのが、石毛オリックスです。どうしてしまったのでしょう。もともと筆者は、石毛監督就任をストレートに歓迎していたわけではないのです。「なんで関西と関係のない人が監督なんや!?」というのがその理由です。どうもオリックスという会社は旧・阪急ブレーブス人脈を一掃したいようです。かつても無能な巨人OBである土井を呼んできて、さんざんせこ〜い野球をして、実績を作れず石持て追われるがごとく、飛ぶ鳥の跡を濁して去っていきました。
今回の監督人事も、とにかく旧・阪急人脈を忌避することが第一で、たまたま空いていたのが(契約金額の安そうな)石毛であって、神戸=関西のチームにふさわしい監督を熟慮の上に、決定したのか、深い疑問が残ります。他の関西二球団は、一つはリーグ優勝チームであり、一つは同リーグから監督を迎えるという話題が豊富なことに較べて、もともと勝ってなんぼのチームカラーのオリックスで、弱ければ「なんのこっちゃ」ということになります。
がんばれ石毛監督、とにかく今シーズン最終試合まで「監督」の肩書きが付いてますように。
858-4月3日(水)
さてさて、みなさん。驚いているでしょう。びっくりしているでしよう。気の早い人は「今年こそ優勝や」などと叫んでいます。まあ、あのチームに限っては4月にしか言えない雄叫びなので許してあげましょう。阪神タイガースの快進撃のことです。
まるで別のチームのようです。まあ、野村監督の時も4月に一時首位に立ちましたから、このチームの選手は時々春に力を出すのかも知れません。今年は12年ぶりにオープン戦首位だったので、すぐ「優勝」幻覚をみてしまう可愛そうなタイガース・ファン患者は、今回もすっかりその気になっています。シーズンは全140試合、10月まであることを、彼らにそっと教えてあげましょう。
857-4月2日(火)筆者が毎日使う駅へ向かう途中にあるソメイヨシノです。
去年のこの日誌(4月4日付、No.500)にも登場しましたが、震災で潰れた大きな家の敷地に咲いている二本の桜です。やはり満開の時期は早くなっているようです。駅前の八重桜も今年は早く開花して、筆者の目を楽しませてくれています。(今年は開花が早いと報道されていますが、去年もこの時期既に日誌に載っているので、二年続けてそう変わりないようです)。
また六甲の山々はいま桜色がまだらに散らばったパッチワークのように見事です。
856-4月1日(月)
カルメンの定休日。年度初めの日。きょうこの日に社会人になった若者はなにを考えているのでしょう。朝早く出勤して帰宅するのは深夜近く。こうした労働環境が多いJaponの会社生活に慣れていくのは、相当のエネルギーが必要です。自分の部屋(アパート、自宅)に帰り着いた時はおそらくクタクタに疲れ果てて、好きな音楽を聴くとか、趣味に没頭するとかといった余裕はないはずです。学生時代までの"貯め"をあっと言う間に使い果たし、精神的な余裕がなくなっていまうのも、すぐのことです。茫然自失の状態になる人も多く、この第一の危機を乗り越えなくてはならないのです。
この日、放送は「奄美-うたの風景」の第二回目として、名瀬周辺の島唄を特集しました。もともとこの地域は、"カサン"の島唄地域ですが、なにせ奄美大島の中心地であるので、"カサン"も"ヒギャ"も多くの要素が入ってくる全大島的な要素が認められるミックス状態となります。
番組で取り上げた中(あたり)孝介さん、貴島康男さんの二人は、まだ20歳代前半。ともに坪山豊さんの薫陶を得て、素晴らしい唄者の道を歩んでいます。彼らは、島唄はいいものであれば、場所を問わず採り入れていこうとする積極的な姿勢がみられ、評価できるところです。
855-3月31日(日)
好天が続いています。昨日、王寺動物園に行った次男が「人人人だった」と報告します。神戸で桜の名所といえば、何カ所かありますが、ここの桜も見事です。広大な敷地の中は、花見の客だけを受け入れる空間的余裕があり、桜の周囲は人でびっしり埋まっていたようです。(ちなみにパンダ舎の周囲も人だらけだったそうです)。ここは、酒類の持ち込みもOK。ビールなども売っているために、家族連ればかりでなく会社の職場仲間による団体客も多いのです。
次男が動物園に行ったのは、彼が小学校5年生の時に担任をしてもらったS先生の同窓会としてです。この先生、若く元気で人気があり、次男の小学校から転任してからも、元クラスメートに声を掛けてくれるのです。次男はこの先生に好かれた一人で、毎回出席組の一人です。
そういえば、筆者にも似たような思い出があります。小学校3年生の時、担任となったのは、なりたての元気いっぱいの可愛い先生でした。いつもポニーテールをしていて、筆者はその先生に気に入られていたと思っています。そして今から考えると「初恋」のような感情をその先生に抱いていたのかもしれません。数年後、結婚退職したあともずっと記憶に残っていました。
その人は先生をやめてしまったのですが、筆者にとっては永遠に先生です。そして次男にとってもS先生はずっと先生であり続けることでしょう。親子つづいてそういう小学校の時に若く元気できれいな先生に巡り会えたことになるのでしょうか。
854-3月30日(土)
8年ぶりに、セ・パ両リーグが、本日そろって開幕試合を戦います。「球春」という言葉もあるほど、春の到来とともに、シリーズが始まるのは、国民の殆どが今は農民ではないものの、春は農作業をふくめたすべての始まりでもあるというこの列島民が永年培ってきた気分と同一であるのも、プロ野球が人気を保っていることの一因なのでしょう。しかし、このプロ野球も今年は危機感を持っているようです。今年はJaponでワールドカップも開かれることもあって、サッカー人気が沸騰。プロ野球の人気をつなぎ止めたいとの関係者の思いは強いようです。星野仙一氏が同じリーグの中日から阪神の監督に就任したのも、阪神が強くなって巨人と対等に戦わないと、プロ野球が盛り上がらない、という球界全体のことを視野に入れた発想があったからです。
Japonのプロ野球はいままで、大リーグという異人を迎えて時々見せ物小屋的な興業試合を行っていたものの、あくまで一国主義でした。すなわちJapon内での国産ゲームでしかなかったのです。アメリカが本場であることは知っていても、Japon国内で独自に発展してきたスポーツです。
いままではそれで充分に通用していました。しかし、近年大リーグで活躍するJaponの選手たちが出るアメリカの試合をテレビなどで見ていると「なんだ、違うじゃないか」と多くの人が思うようになったのではないでしょうか。こうした背景のもとに、セ・パ両リーグの交流試合、韓国・台湾リーグを含めたアジアン・カップ、またはアメリカを含めたワールドカップの設定を考えてはの声が上がっているのです。
さらにシーズンオフの時期に暖かい沖縄や台湾で、東アジア三国のプロ球団による短期決戦によるペナントレースや、トーナメント戦も発想も面白いでしょう。この意味で今年初めてJaponのプロ野球の公式試合が台湾で開かれるのも注目に値します(ダイエー対オリックス)。
853-3月29日(金)
こまった猫の話です。寒い時期、猫たちは"さかり"の時期を迎えます。数日前など、筆者がJRの駅を降りて帰宅している最中、何カ所でけたたましい猫たちの求愛の"ニャゴ、ニャゴ、ファゴー"の声を耳にしました。拙宅のとなりのビルの一階に、設備工事関係の会社が入っていて、資材が沢山置かれています。その中に猫たちが住みついていて、拙宅の猫の額庭を猫たちが我がもの顔に通り過ぎていきます。
その猫が拙宅の亀を拉致してしまったのです。といいますのは、隣家の猫たちにとって、亀を飼っているベビーバスは、日に何度か訪れる水飲み場なのです。水飲み場に小動物がウロチョロしているのは目障りだったのでしょう。無抵抗な小亀をひょいとくわえてどこかに「移動」させてしまったのです。
もともと寒さに弱い猫たちです。ホームレスの猫たちの冬ほど苛酷なものはないでしょう。飼い猫より寿命が短い彼らです。生きるために亀をくわえて拉致するぐらい何のことはないでしょう。しかし、その亀も拙宅の家族にとっては、一員であることには違いありません。"連れ合い"は「亀のエサ」(本当にこういうネーミングの商品があるのです)を買わなくてもよくなったのでずが、彼女にも飼えた貴重な"友人"を失ってしまったことになるのです。
852-3月28日(木)
今日のもっぱらの話題は、議員辞職の問題でもなく、勿論阪神タイガースの話題でもありません。今日の日付が変わった時間から、始まったサッカーのJapon代表とポーランドの親善試合の結果です。Japonは中田英の活躍で、前半に2点を入れて、後半はしのぎかろうじて逃げ切りました。試合の行われたポーランドは摂氏6度と真冬の気候です。Japon代表は長袖とその下にもなにか着込んでいましたが、ポーランドの選手は全員半袖。まあ、なんということでしょう。
最近のJapon代表は層が厚くなったからということで安心して見てられます。特に中田英が、重要な場面に必ずといっていいほど関わっていることが多く、ゲームを見る勘が動物的に働くのでしょうか。
ワールドカップまで、あと何回かJapon代表はヨーロッパの各国代表チームと対戦します。その中でひとつだけクラブチームが入っています。リアル・マドリード。文句なく世界最強チームの一つでしょう。おそらくスペイン代表チームなど相手にしないのではないでしょうか。
そのリアル・マドリードと対戦すると知って、よくもまあすごいチームと対戦するものだと感心し、同時に相手にしてくれるのか不安になるのです。以前のフランス代表チームとの試合のように0-5と、全く相手にされないような気がします。それともあちらも最初から主戦級をぶつけてこないのかも知れません。(でも、もしかひょっしとしてリアルがJapon代表チームに負けるようなことがあれば、今日のポーランド戦の自軍ゴールキーパーに向かって投げつけられた花火どころの騒ぎではないでしようね)。
851-3月27日(水)
年度末、という雰囲気が店内全体に拡がっています。今週でちょうど2001年度が終わり、来週の月曜日から新年度が始まります。特に年度単位で動いている官庁関係は今の時期、議会の予算審理はおわり、人事も発表され、仕事もどこか浮き足だっています。
さて、来年度はいったいどのような年になるのでしょうか。相変わらず、景気浮揚のキッカケを見つけることが出来ず、Japon経済は漂流したままなのでしょうか。こう永く不景気、不況が続くとかつての中南米諸国で、うち続くクーデター、テロ、ハイパーインフレ、またクーデター‥‥を繰り返した出口の見つからない絶望的な社会情勢に身を置いていた人たちの気持ちが少し分かるような気がします。
850-3月26日(火)
日曜日にFMわぃわぃ・野村昭彦氏が連れてきてくれたお客様は、山形からです。1.17追悼イベントでローソクを供与してくれたのが山形の人たちで、神戸と山形が連帯しています。二人のお客様のうち、一人は養蜂業を営む人でした。西洋ミツバチにとっての天敵は蜂なのです。特にスズメバチは蜂類の中でも最大級の大きさで、鋭い歯で噛まれると、西洋ミツバチはひとたまりもありません。しかもあの大きなスズメバチに向かって半分ほどの身の丈しかない西洋ミツバチが一匹ずつ立ち向かっていくのですから、かなうはずもありません。
筆者は次男が数年前に蜂の本を読書感想文の対象にしたことがあるので、次男につられて蜂の本を読み少し詳しく知ることが出来ました。強者のスズメバチに対して一匹ずつ立ち向かっていく姿は、まるで騎士(ナイト)のような潔さと思っていたのです。養蜂業を営むその人は、Japonに導入された西洋ミツバチの先祖はイタリアで、イタリアにはスズメバチにあたるような同類の天敵は存在せず、どうやら戦い方を知らないために、一匹ずつ立ち向かうのが真実であるようです。
一方のJaponの蜂たちは、集団でスズメバチに立ち向かっていきます。まるで肉団子のように一匹に襲いかかり、地上に落ちても攻撃の手を緩めません。集団で襲うことで温度を高め、そのことによってスズメバチを殺すようです。強者のスズメバチも集団でやってこられると、たまったものではなく、殺されてしまうこともままあるようです。でも種類によっては、スズメバチがやってくると、早々に巣そのものを放棄して逃げてしまう種類もあるようです。
スズメバチは立ち向かってくる西洋ミツバチを倒した後に思う存分蜜を吸って立ち去っていくのです。ですから養蜂業者は一日に何度か見回らないといけないそうです。相手は生き物です。一日たりとも気を抜くことは出来ません。
849-3月25日(月)
カルメンの定休日。親戚の母子づれが、"連れ合い"の実家に向かった後、筆者の一家は三宮へ。今度は筆者の実家の人たちとの昼食会です。筆者の長男と姉の次女である姪っ子は同学年。高校入学を記念して、一族総勢10人が集まって創作料理を食べに行きました。筆者は風邪気味で、かかりつけの"ホームドクター"のところに寄って、薬をもらっての参加です。
その店は、日本酒や焼酎も置いてあって、料理もおいしく、会話も弾み楽しい会となりました。こうして一族が寄り添うというのもいいものです。ラテン的気質の濃厚なスペインではこうした親族・家族の寄り集まりを大切にしていて、ヨーロッパイコール個人主義という理解は、ある意味でJapon近代の過剰な他者意識ではないでしょうか。個と家族、個と親族というのは、対立するべきものではなく、充分に共存できるものではないかと思っています。特に筆者のように事業を立ち上げている者には、こうした親族・家族の連帯意識の共有が大切なのです。
848-3月24日(日)
只今、拙宅の人口が急増しています。"連れ合い"は一卵性双生児。二人は幼稚園から大学まで一緒だという徹底ぶりです。その双子の片割れが、男の子二人を連れて、関東から拙宅に遊びに来ているのです。子どもが大勢になると、にぎやかなこと限りなしです。一番下の子(関西では"おとんぼ"と言う)がようやく今春小学校に入学するほどですから、その子を中心に盛り上がっているのです。
子ども達がおとなしくしている時は、4人プレーが出来るテレビゲームをしている時です。ソフトとコントローラーをわざわざ持参してきたというのですから、子ども達にとって、テレビゲームは、生活の一部となっているのです。
休みごとに帰ってくる子ども達を見ていると、自分の子ども達の成長ぶりが反対に見えてくるのです。
847-3月23日(土)
来週から、メニューの一部が変わります。現在カルメンの食事メニューは、本メニューと、別添えの季節ごとのメニューの二本立てにしています。本メニューには、45年間お客様と共に築いてきた伝統の品々が並んでいます。これは永年にわたって定着したもので、一品ごとに、数え切れないほどのファンの皆さまの存在があり、めったに増減できるものではありません。
別添えの一枚物メニューは、季節の香りを充分に反映させて、お客様に選択の自由を楽しんでいただくようにしているのです。4月から実施する新メニューには、"ファバーダ"や"牡蠣のグラタン"といった冬物が姿を消し、"カジョス(牛胃のトマトソース煮込み)"や"うずら卵のディアブラソース"が登場します。
このうずらについてですが、どこかの本に、西洋ではうずら肉料理があるのに、うずら卵料理がない、反対にJaponではうずら卵料理があるのに、うずら肉料理がないのは不思議だ、と書いてありましたが、なるほどそうです。食肉会社は勿論、うずらやハト肉も扱っているのですが、西洋系のレストラン以外はあまり出ないようです。
846-3月22日(金)
黄砂がひどく、六甲の山並みが黄色くかすんで見えるほどです。
北京でも、黄砂被害は甚大であるらしく、ゴビ砂漠から飛来した大量の黄砂が視界を悪くして、マスクがないと歩けないほどだそうです。しかし、黄砂は中国各地から大量に排出される煤煙を"中和"させる作用があるとかで、思わぬ効用もあるようです。ただ、奄美地方では、この時期大量の黄砂飛来のために、空港が閉鎖されるなどこの地域が大陸に近いことを実感する事態ともなっています。
中国では、砂漠化が進行していて、年々黄砂被害がひどくなるとも聞いています。しかし、黄砂は小さな蜘蛛を載せてやってくることはよく知られているなど、生き物をも運んでくる"メディア"でもあるのですね。
845-3月21日(木)
CDラジカセが修繕されて戻ってきたことをキッカケに、それまでの置き場所を買えてみました。といっても三畳の書斎の中なので、少しだけの移動なのですが、パソコンの近くに置いてみることらしました。筆者はパソコンを触っている間、音楽は聴きません。集中力がそがれるからです。しかし、FM番組用に音の編集をする仕事をしている関係上、なるべくPCでデジタル編集をしていこうと思っているのです。
筆者の夢は、自分でインターネット・ラジオ局をたちあげることです。といっても、月に一回程度、例えば満月の日の午前零時から15分程度放送するとか、いといったかわいいものですが、それくらいの夢なら今のネット環境ならそう難しくはなさそうです。一度、筆者が契約しているプロバイダーに相談してみたら(今はどうか分かりませんが)、ラジオ局をたちあげても筆者個人のURLに、アクセスが10件もみたない程度で回線がパンクするので、放送内容をMDに収録して、プロバイダーにあらかじめ送る必要がある、と言われました。音楽編集に関しては、殆ど知識がなく、インターネット・ラジオ局についても、永年にわたって「構想中」の域を出ません。
844-3月20日(水)
修理に出していたCDラジカセが戻ってきました。CDを読みとる部分にゴミが溜まっていたのでしょうか。一番修理要請が多いところと聞きます。同時にそこは心臓部なので、代金も高いところです(安いCDラジMDが買えるぐらいの値段でした)。このCDラジカセは、CDラジMDにかわる寸前の商品なので、MDは聞けません。筆者は奄美や神戸などで、島唄生演奏を録音するので、MDの編集は重要な仕事です。音楽関係の研究者は、MDより音質がいいDATを使っています。しかしDATテープは高額で、カセットテープと同様に巻き込み式なので、編集には不便です。
ただ、MDの安全性を問題視する人がいて、この記憶媒体はどこか一カ所でもおかしくなると、そのMDそのものがダメらにる可能性だってありうるのです。この点、一度光学情報を焼き込んでいるCDの方が安全だとの指摘があります。筆者は奄美島唄の貴重な録音をしていることから、MDよりCDとして残して置いた方がいいのかと、思っています。
843-3月19日(火)
駅前の彼岸桜はすでに葉桜に。今年はなんてまあ、桜の開花が早いのでしょう。今日は今シーズン初めてのプロ野球の話をしましょう。筆者はオリックス・ブルーウェーブのファンです。石毛新監督となって、地味なチームが余計に地味になったような気がします。テレビのスポーツニュースでも、オリックスはたいてい一番最後。人気の阪神戦の時こそは、トップ扱いですが、勿論話題は阪神の"躍進ぶり"にスポットが当てられています。
石毛監督は、話題づくりより、勝つことによって、アピールするつもりかもしれませんが、やはりプロ・スポーツというのは、フランチャイズのスタジアムに足を運んでもらう環境を整えることが大切です。強いけれど人気は今ひとつの"伝統"があるブレーブスの後身球団です。でも、イチローがいた頃は、平日でも2万人近く入っていたことも珍しくありませんでした。
今年は、話題づくりでは一枚も二枚も上手な阪神がダントツの注目度です。星野新監督はともかく、なにせ何年ぶりかに、あの田淵クンが帰ってくるのです。選手でないにしろ「田淵、見にいかへん」といった調子で、甲子園にあしを運ぶファンもいることでしょう。オリックスも田口という唯一残っていた看板選手を"放出"してしまって、勝つことに専念するチームづくりを目指しているのでしょうか。しかし、"華"がなければ、スタジアムに行こうとするでしょうか。
842-3月18日(月)
カルメンの定休日。まわりは女子大生ばかりでした。今日は甲南女子大学の卒業式。同大学は制服で卒業式を迎えるために、一目で判別できます。筆者は"連れ合い"と中学校を卒業したばかりの長男と、イタリア風レストランで食事をしていました。
別れの季節です。学生街でもあるその街は、卒業式で多くの若者たちがその街を去っていきます。そして数週間もすると、また新しい顔がその街を初々しく歩くようになるのです。メタボリズム。新陳代謝とでもいいましょうか、学生街とよばれる街はこうして毎年、多くの人が入れ替わることで、新陳代謝を果たし、"生"と"死"を繰り返しているのです。それを見つづけている地域住民の立場からすると、このメタボリズムがあるからこそ、その街がいつまでも活性化し続けるのでしょう。
午後4時からFMわぃわぃ「南の風」の生放送。今日は「島唄の風景1」と題して、カサン唄を特集しました。番組では筆者が録音した上村藤枝さんや松山美枝子さんの島唄をたっぷり聞いてもらったのです。
今日は、番組終了後は、まっすぐ家路につきました。駅前の書店でマック関係を購入。息子ににコンピューターにもっと習熟するようお小言。でも、今朝は沖永良部の前利潔氏の電話で午前9時に起こされたので、ねむたくてお小言は続きませんでした。
841-3月17日(日)
筆者の娘までもが「この人、"アホの坂田"に似てるね」と言わしめた鈴木宗夫衆議院議員。たしかに似ています。"アホの坂田"本人は、芸人魂のたくましさから、ネタのひとつとして活用しているでしょう(でも、電波系マスメディアは〈鈴木代議士に似た"アホの坂田"〉を登場させるのは、腰が引けるでしようね。電波系マス媒体は、許認可権を握っている政府・自民党から常に恫喝・監視されていますから)。"田中真紀子(この人、既にイメージ=記号化しています)外相"の首をとったことで、自民党内部から評価され、将来の幹部候補の道をばく進する予定だったのが、思わぬところでとん挫してしまいました。真紀子さんにかわって、主役(悪役の)に躍り出た宗夫さんは、よもや自分が自民党を離党するなどとは思ってもみなかったでしょう。
外務省の対応も問題があります。筆者は以前から、この役所は三流官庁だとにらんでいました。政府機構の「改革」でも無傷で生き残り、「無能」がそのまま保存されただけでした。ODAにしたって、土建型公共工事の海外版が多いと指摘されています。また、情報収集能力のお粗末さは、湾岸戦争の勃発時にクウェート大使が、休暇中であったということからでも十二分に証明されています。
この官庁の呼び方ですが、「がいむしょう」と呼ばないで「外部へ情報をリーク省」つまり「がいぶへりーくしよう」と呼ぶべきではないでしようか。ひたすら自己保身に汲々としているお役人の集団は醜悪です。
また、マスコミについてですが、真紀子降ろしは、朝日・読売両紙も加担していますが、特に読売は、真紀子降ろしの「過激派」でした。外相を更迭されてからでも、いかに彼女が外相として不適格かくどくど書き続けていました(読売の論調をみていると、真紀子さんが男の大臣だったらこうもくどくど論難しなかっただろうと思うのですが、いかがでしょう)。読売も本当は今もくどくどと自説の正当性を書き続けていたかったのでしょうが、世の中の関心事は「悪漢・宗夫」の悪党ぶりに関心が移ったために、真紀子ヘィティング記事は、減っていきました。
宗夫さんは商業マス媒体から「平成一の悪役」ぶりの役割を背負わされ、自民党を離党して(=放逐され)、まずは北海道に帰って、次回の衆議院選挙で当選するようリベンジを果たそうとしています。もし再選を果たし、自民党に復帰することにでもあれば、蘇生した宗夫さんの恫喝におびえる役所がおおいでしょう。でも「議員辞職」を勧告している野党の皆さん、宗夫さんの役所に対する姿勢を「ヤクザのようだ」と形容するのなら、彼を議員のままにして置いた方がいいのではないでしょうか。議員を辞めたら「のようだ」が取れてしまうかも知れません。
840-3月16日(土)
全面改装された"そごう"デパートへ行って来ました。昨日、オープンしたばかりなので、店内は鈴なりのお客様です。筆者は、ロフトが入っている新館に向かいました。新生"そごう"は、看板は「そごう」となっているものの、内実は西武百貨店神戸店であり、看板さえ書き換えれば、なんの齟齬もないはずです。かつて西武百貨店は、ハーバーランドに神戸店を出店しましたが、震災前、早々に撤退してしまいました。売り場面積が広くなかったのと、堤流の文化戦略が神戸に受け入れなかったためです(ちなみに筆者は堤的西武デパート戦略は好きでしたが)。その後、「無印良品」の専門店がトーアロードのBALビルに展開するなど、少しずつ西武グループの進出がありました。このたび、"そごう"にLOFTが入ったのは、ハーバーランド店で撤退を余儀なくされたことへのリベンジなのかもしれません。
(ついでにいうと、三宮商圏と神戸=ハーバーランド商圏は、客層が若干違います。三宮商圏は阪神間住民を難なく三つの鉄道会社が運んできてくれるものの、神戸=ハーバーランド商圏には、阪神間住民より、神戸の西のヒンターランドである播州地域住民が顧客の主流ではないでしょうか)。
LOFTを一階ずつ見て歩きます。筆者は年に何度か、梅田ロフトに足を運びます。しかも朝早くです。ロフトビルには、テアトル梅田という映画館が地下にあり、早朝一回だけ上映という映画を観るために出向くのです。ここで見た映画は、北朝鮮映画の「プルガサリ」(ゴジラの北朝鮮版)をはじめ何本かあります。
そして5Fの紀伊国屋書店へ。ワンフロアーのほぼすべてを使った大型店です。三宮にはかつて、駸々堂三宮店があり、品揃えも悪くありませんでした(店員の態度はいまひとつでしたが)。ジュンク堂と駸々堂という二つの大型書店で、神戸の読書人も満足していたのではないでしょうか。しかし、駸々堂が倒産。そのかわりジュンク堂が大規模増床と、ダイエー三宮店に増床移転をしてからというもの、どちらかの店舗にいけば、なんとか揃っている環境となっていました。
そこに紀伊国屋が出店すれば、今日はどちらに行こうか悩むほどになるだろうと踏んでいました。筆者はさっそくお得意の思想、民俗、文芸評論、詩歌短歌俳句の書棚に向かったのです。全体の印象は、床面積の広さに較べると、筆者好みのジャンルの棚は広くありませんでした(いずれも熱心な読書層がいるのですが、売れないのでしょうねえ)。棚はこれから担当者が「育てて」いくので、今はなんともいえないのですが、「まあまあ」といったところでしょうか。それは特設されている「神戸の本」コーナーでも言い得ると思います。
839-3月15日(金)
今日は30人様の団体客で、カルメンは賑わっていました。30人ほどの団体様は普段なら、対面式の長テーブルを二列セッティングするのですが、お客様の希望により、5人掛けのテーブル(コロニー)を6つ用意するという変則型となりました。これはテーブル=コロニーごとに自由に往来しやすいからという発想で、参加者は一社だけではなく、複数の企業が同居していたようです。この国の宴会でよく見られる長テーブルか、ダブル・アイ(I)型の宴会レイアウトは、会場全体の一体感を演出するのに、最適であると思われます。浄土真宗・中興の祖である蓮如は「平座」であることを強調します。つまり僧侶と信者も序列をつけず同じ高さの場所に座るということです。こうした宗教共同体の考えは、村落共同体のありかたにもリンクしていると思われるので、「日本人」は、ケを共有する人たちの集団(会社関係など)が宴会というハレの舞台を形成するときには、参加者の一体感を重視するという"民族の記憶"が顕現されるのでしょう。
しかし今日のように、少人数のコロニーを形成する手法は、若い人たちの生理的要望なのかもしれません。欧米の立食形式による"個"が単位になるパーティにまでは「個人主義」ではないものの、大集団ではなく小集団に立脚していこうとする思考なのでしょうか。複数コロニー形式を提案したのは、20歳代後半と思われるサラリーマン氏です。この世代やこれより若い世代の思考に、こうした発想の共通性が見られるのでしょうか。興味は尽きないところです。
838-3月14日(木)
いわゆるホワイト・デー。筆者も何人かの女性にたいしてバレンタイン・デーにチョコレートをいただいているので、"連れ合い"がお返しの品物を買ってきてくれました。考えてみれば、こうしたプレゼントの交換は、筆者の20歳代では存在しませんでした。
交換といえば、中学校を卒業したばかりの長男が、メール交換をしたがっています。友達の多くは携帯電話を持っていて、メール・アドレスを各個人で持っているからです。聞くところによると、現在の高校生で携帯を持っていないのはごく少数と聞きます。高校の中には、校則の厳しい私学の場合など、厳格に禁止されているところもあるでしょう。しかし公立高校の場合は、所持率が高そうです。
携帯メールは、パソコンのように、米語を理解しての操作をしなくてもいいし、誰でもすぐにメールを送れることが利点です。要は簡単なのです。筆者は、携帯電話は、現代の若者にとっては必須のコミュニケーション・ツールだと思っているので、持ちたければ持っていいと思っています。
しかし、ただ持っているだけでは想像力の欠如であるので、筆者がしているように、携帯メールをすこし「進化」させて、仲間内にメール・ニュースを発信するとか、交換日記通信を交わすといった工夫があっていいのではないでしょうか。
すでに家族全員がそれぞれ携帯電話を持つという時代になっています。家族同士のメール交換や、メーリングリスト的な使い方をすれば、日常生活の中では、オーラルなコミュニケーションが不足がちな家庭内会話も、書き(メール)文字によるコミュニケーションによって少しだけ活発になるという現象も期待できそうです。
837-3月13日(水)
筆者の長男が今日、神戸市立中学校の卒業式に臨みました。親にとっても中学校の三年間はあっという間でした。ついこのあいだ、顔と制服が分離しているような初々しさを漂わせていた入学式に参加したばかりなのに、と思っています。
長男が通っていた中学校は、東灘区の住居が多い地域なので、ごく近くに隣の中学校が目視できます。一学年は6組あり、30年前に筆者が通っていた西宮の公立中学校の12組とは大きな違いです(しかも中2の時は、プレハブ教室で、夏は酷暑、冬は寒さが直撃したひどい教育環境でした)。
卒業式は、淡々と進み、淡々と終わりました。厳粛なセレモニーであることは分かっているのですが、もうすこし工夫があっていいのではないかと、いつも思います。(例えば、東灘区の郷土芸能であるダンジリのお囃子を舞台で演奏するとか)。
しかし、シンプルな会であっても、その子にとっては、一生に一回のセレモニーです。会が進んでくると、会場全体がジーンとくる雰囲気が熟成されていきます。もともと涙もろい筆者は、卒業生代表の挨拶や、全員で合唱する卒業の唄を聞いていると、眼がウルウルとなってきます。
学校の校庭からは、見事に晴れわたった空が拡がっています。それと対象的な六甲連山の若々しい緑色の山容が、青空と見事にコントラストを形成しています。まさに、その学校は六甲に抱かれてあり、生徒たちは六甲の山々に育まれて三年間を過ごしたといっていいかも知れません。中学校の卒業式は、小学校の卒業式のような6年間の締めくくりとしての華やな式典の雰囲気はなかったものの、徐々に大人社会に順応していくための「規律」を教え込まれてきた三年間の経緯が、生徒たちの所作に刻み込まれていることを発見して印象的でした。
836-3月12日(火)
ふと、ジャズを息子に聞かせたいと思ったりしたのです。筆者がジャズを聴き始めたのは、中学3年生のころから。ちょうど長男と同じ世代です。そして高校時代はまるでジャズに浸っていた3年間でした。明けても暮れてもジャズ。朝の目覚まし代わりにかけていた曲が、ジョン・コルトレーンのスウェーデンにおける海賊版"マイ フェバリット シングス"。今から考えても、朝っぱらからよくもあんなヘビーな曲を聴いていたものだと感心します。
時は巡って、LPからCDの時代へ。かつての名盤も2000円を切って発売されています(それでも割高感はありますが)。息子はいま、J-popを母の影響で聞いています。まあ、このジャンルも悪くはないのですが、やはり高校生になるのですから、もう少し精神性の高いジャズやクラシックを聴いてもいいのではないでしょうか。人ひとりひとりの個性は、音楽の趣味とも連動しているように思えます。高校生になってもJ-pop一本やりでは、工夫がなさすぎるような気がするのです。
息子には、まず聞きやすい"Return to foever"とか"Weather Report"の名盤をプレゼントし、次にマイルス、コルトレーン、ソニー・ロリンズ、ビル・エバンス、ウェス・モンゴメリーなどのCDも贈る予定です。(でも、聞いてくれるかなあ)。
835-3月11日(月)
カルメンの定休日。とある要件があって、在神戸の新聞社まわりをしました。
まず、JR神戸駅を下車してから、神戸新聞本社文化部へ。去年、文化部に帰ってきたY記者と数年ぶりにあい、当方からいくつかの資料・本を謹呈。話はもりあがり、楽しいひとときでした。筆者は5月からしばらく神戸新聞でコラムを書くことが決まり、これで新聞連載コラムは二本。資料をため込み、読み込んで書くタイプなので、速筆家ではないのですが、せっかく書くチャンスをいただいのです。しゃかりきになって、いい文章を書こうと思っています。
ハーバーランドを出てからは、歩いて海岸通を東へ。毎日新聞、読売新聞の各支局・総局へ。新しい記者と出会いたいために、アポをとらずに、いきなり支局を訪れるようにしています。こんな時、数社に一社、素晴らしい出会いがあり、そういう記者が大阪本社の学芸・文化部に行くこともあったりするのです。最後は朝日新聞神戸支局。ここのベテラン記者ともしばし話し込みました。
無事、支局回りが終わると、昼間から開いている立ち飲み屋へ。暖かくなったことをいいことに、生ビールをぐびぐびと飲みます。昼間から飲むビールのおいしいこと。ひとりで飲むときの楽しさは、酔いに任せて携帯電話から気まぐれにメールを送ることです。時に、すぐに返事が来ることもあり、相手が居なくても、独酌しつつ、メール交換で遊べるのです。
834-3月10日(日)
「間違ってます。訂正してください」。本日、ひさしぶりにカルメンに来てくれた二人連れのお客様の一人から"抗議"を受けました。その二人とは俳人の赤松勝氏と、島一木(いちぼく)の両氏。抗議したのは、島氏です。といいますのは、この「店長のつぶやき日誌」2001年11月11日版(第717話)に、島氏のことを「友人の川柳作家」と書いたのですが、「ぼくは俳人です。近年、川柳的作品も書きますが」と主張。と言うが早いか、筆記具を持ち出し、ささっとテーブル上のナプキンに作品を書き上げました。
・知らぬ間に川柳作家になってゐた 島一木
「これじゃ、ますます川柳作家と思われてしまいませんか」と筆者。島氏は「"俳人・川柳人"と併記してもいいのです」とのこと。あとは、同行した赤松勝氏と、時に筆者も交えて俳句談義。(去年11月も島氏は赤松氏と一緒に来てくれました)。
・ワイン飲み牡蠣でほろ酔ひ俳句論 島一木
・ろうそくが七度傾く春の夜 赤松勝
・ほろ苦きフラメンコギター排おぼろ 〃俳句の"本質"は挨拶句だといいます。即興で作品をつくる術は、日頃から「句材」を豊富に持っていることが大切です。俳句とは楽しい文芸ですね。
833-3月9日(土)
今日も「非常に多い」なのですが、今年は「裏年」にあたるせいか、筆者は今年2.3度しか、花粉症の薬を飲んでいません。先日の朝日新聞神戸版をみていますと、支局長が新しい「記者の目」のようなコラムを新設するということです。その中で何年かぶりかに神戸支局に赴任となったけれど、震災と不況によって、神戸の街が光彩を失い、以前はあったこの都市独得の香りが消え失せ、神戸が「地方都市」に成り下がったのではないかと、指摘していました。
「地方都市」--神戸は、震災の時に、いやというほど、日本国の中で「地方都市」であることの残酷なまでの処置の仕方をされてきただけに、この支局長氏の指摘は、身につまされるものがあります。街全体に元気がないために、覇気というものが失われ、不況都市特有の沈滞観が漂っているのです。どうすれば、この停滞感を払拭できるかというと、少しずつ出来ることをやり始めることです。そして回復が本格的になった時に、なにか新しいことを始めるのではなく、すでにその時は、景気がその何かを後押しするような雰囲気になっていればいいと思っているのです。
832-3月8日(金)![]()
久しぶりに、フォト付きダイアリーです。この桜、去年もこの日誌に登場しましたが、筆者が乗降する東灘区のJRの駅にある早咲き系の品種です。早咲きといっても、考えてみれば、今日はまだ3月の上旬。今年は桜の開花を見ている限り、去年と較べても早いようです。
筆者は不思議なことに、早春から春を経て梅雨の時期にかけて、花の咲き具合が気になります。この時期は、筆者が好きな花が咲き続けることもあって、一度は必ず京都や奈良方面カメラを持って花を撮影に出かけます。
これから約1カ月の間、神戸をはじめヤポネシア全体が、桜の話題に染まることになります。今年の桜はどうでしょうか。筆者は4月に入ってから、毎年恒例の大阪城夜桜会を催すのですが、数年に一回、雨にたたられることがあります。天候頼みの夜桜会。今年はてるてる坊主に願掛けをしなくてはなりません。
831-3月7日(木)
いま、春に向けてメニューの改訂作業を進めています。現在、ランチは3種類あるのですが、ビーフシチュウは秋冬のメニューなので、フィレ肉のミニステーキに変わります。価格は1200円(税別)。スープ、サラダ、ミニパエリア、コーヒーも付いているという豪華コースです。これまで、カルメンのホームページにはランチは紹介しませんでしたが、これからは新しく紹介サイトを設けます。
ランチ改訂のもうひとつの目玉は、1000円ランチに、もうひとつ新顔が登場するということです。Callos(カジョス)。牛胃のトマトソース煮込みです。この料理は、スペインではごくごく普通に食べられている料理で、牛胃のサクサク感が、トマトソースと実に相性が良く、広く愛されている料理です。
カルメンはゆっくりランチを食べることが出来る店としてもお客様の評価をいただいております。特に女性の皆様には、ゆっくりと長時間話し込める店として、評判をいただいております。なにせ、JR、阪急、阪神、地下鉄ともに三宮駅から徒歩3分圏内という便利な場所に立地しています。土日祝日もランチをやっていますので、どうぞご利用下さい。
830-3月6日(水)
神戸市西区で起きた神戸商船大学院生・浦中邦彰さんの痛ましい傷害致死事件は、筆者の周辺に大きな衝撃を与えています。まじめな性格で、将来研究者になることを希望していた浦中さんは、こうした暴力団員の凄惨な暴力を受けるのにはもっとも縁遠い環境に生きていたはずです。少し前にも、大阪ミナミで、結納を収めるために上阪していた若い男性がささいなことで、男二人に暴行を受け「頭部をサッカーボールのように蹴」られた結果、結婚寸前で殺されてしまうこととなったのです。
どうして、ごく普通にまじめに生きている人間が、こうも簡単に暴力を振るわれて殺されてしまうのでしょう。暴力を行使する側はどこまで殴れ続けば人が死ぬかどうか、判断力がつかないトランス状態になっています。おそらく相手(浦中さん)が動かなくなっても殴り、蹴り続けたのでしょう。
事件の全容は、浦中さんの知人という人の証言などで明らかになっていくと思いますが、兵庫県警の対応も問題です。県警職員といっても官僚組織であり、県庁や市役所の"お役人"世界となんら体質的に変わることはありません。しかし県民の生命に直接かかわっているという点では、仕事の重さ、責任感の深さは、行政関係職員とは全く異質なものがあります。おそらく、この事件は数多くある喧嘩トラブルの一つとして処理しようとしたのではないでしょうか。
警察署長には翌朝出勤してきたときに初めて事件の内容を報告したというのは、役人組織のなかで、(夜中に仕事のことで日常生活を煩わせたくないという)上司に対する気遣いを優先したのではないでしようか。今回の事件でまず無念だったのは横死した浦中さん自身であり、珠玉のように息子を大切に思っていた母親だったに違いありません。一人息子を失った母の哀しみを思うとき、暴力団員の執拗な暴行は断じて許すことはできません。
829-3月5日(火)
今年は桜前線が早めにやってきそうです。とはいっても、それはソメイヨシノの話で、筆者が利用するJRの駅の南口にある桜は早咲き種であるために、すでに満開に近い状態です。
季節は冬から春へと正直に巡ってきます。ただ、拙宅近くの「売り土地」はまだ更地のままです。もともと住宅地として人気の高いあの地域で、売り残っているのは、信じがたいことです。駅にも近い50坪のいい土地です。ここで二人の方が震災でお亡くなりになったことが影響しているのでしょうか。
眼の手術で入院している詩人の富氏に励ましのメールを送りました。携帯メール文字はなんとか読めるとのこと。筆者は今、携帯からメールを打つことに少しだけ疲れているので、PCから発信しています。このメール応答は面白く、富さんの内容は短い文章でも、さすがに詩人らしく言葉が珠のようにキラキラコロコロ輝き転がっています。二人の応答、皆さんにも公開したいぐらいです。
828-3月4日(月)
カルメンの定休日。未明までインターネットやメールを返事を書いていて、起床は午前11時。いそいでFMわぃわぃの番組準備。今日は、島唄の女性デュオグループの新作CDを用意しました。午後2時には、JR甲子園口へ(この駅に降り立ったのは初めてです)。友人である詩人・富哲世氏が、眼の手術をするために、入院しているのです。私と一緒に見舞ったのは、福田知子さん、磯田ふじ子さん、高谷和幸さんといった詩人たちです。
無事先週に手術が成功した富氏、なんとベッド脇には詩集が何冊か積まれているではありませんか。「なんだ字が読めるのか」と全員あきれ顔。お土産に持ってきたのは、全員活字ではなく、"耳系"(福田さんの命名)のMDなどの音もの。筆者は去年カルメンで行った「ロルカ詩祭」の様子を収録したMDを持参しました。清水昶氏が朗読しています。
発売しているのは、JABARAレーベル。5曲だけの短い構成ですが、島唄のバックに三線を使わず、ギターとウクレレを使うという斬新さです。最近、奄美の島唄が徐々に変わっています。若い人たちの新しい感覚が採り入れられて、一種の「島唄ブーム」にさえなっているのです。この傾向も目が離せません。
番組途中に、友人でありFMわぃわぃのチーフプロデューサーの野村昭彦氏と雑談。一分一秒を正確に刻む仕事であるために、神経を相当に使います。大きくない放送局なので、ミキシングと同時にディレクターを兼ねなければならず、音と同時に、番組内容も同時にチェックする必要があります。
筆者も番組の構成とDJを担当して6年目。放送現場のシビアさは、筆者の立場からでも充分伝わってきます。筆者はたいてい生番組の緊張感が好きなので、生に徹していますが、この方法は失敗が許されない厳しい世界です。また何かトラブルが起きれば瞬時に対応する機敏さも求められます。そうした対応は、ディレクター兼ミキシングの局スタッフがするのですが、DJ担当の私もいつも心構えはしているのです。野村氏、仕事が終われば毎晩、酒を飲むそうです。そうでもしなければ、張りつめた神経を解きほぐすことが出来ないのでしょう。
827-3月3日(日)
桃の節句。カルメンでは、現在コース料理を頼んだお客様につけるデザートを、〈桃のタルト〉にしています。これは季節感をデザートに反映してみようとする試みの一環で、先月はバレンタインデーを意識してチョコレート・ケーキを用意しました。
この〈桃のタルト〉の後は、セレッソ(桜)の時期に合わせて、チェリーを使ったデザートを考えようかと思っています。神戸は変化に富む四季の恩恵を受けています。それを少しでも料理に反映させて、お客様に満足していただこうと思っているのです。
826-3月2日(土)
早春の神戸名物といえば、イカナゴです。本日、神戸という風土に立脚した食材イカナゴを使って、スペイン料理に仕立てました。作ったのは、2種類。ひとつは 〈イカナゴ アル ピルピル〉。形状がスペイン産ウナギ稚魚に似ているために、料理方法と器(スペイン産カサエラ)は、ウナギ稚魚のオリーブ油いため(アングラス ア ラ ビルバイーナ)と同じにしました。
もうひとつの料理は〈パプリカ風味 イカナゴのスクランブルエッグ〉。この二つの料理に共通するのは、イカナゴが身崩れしやすい食材であるために、苦労したということです。フリートスも考えたのですが、コロモをつける段階で、くっついて"かきあげ"のようになってしまい、諦めました。
そしてこの食材、買ってきてその日のうちに食べないともたないために、余ったイカナゴは、釘煮にしました。それにしても、神戸という土地柄は、瀬戸内の海の幸に恵まれていることを今回つくづく感じました。またいずれの機会か、チャレンジしてみようと思っています。
825-3月1日(金)
春の気配がすこしずつ漂ってきました。ただ、本格的な春到来までには、杉花粉の洗礼をたっぷりと受けなければなりません。なんでも淡路島の兄弟たち(ニホンザル)も、花粉症に悩まされているとか。顔もこの列島民と似ているかと思えば、花粉症のお付き合いもしてくれ、さすが同朋と言い得るものです。
しかし、春の気配がいっこうに見えないのは、この国の景気です。神戸はもともと震災以後沈んだままですが、国全体が回復のキッカケを見つけることが出来ず、どう、なにをあがいても、景気は上向きません。GDPの6割を占めるというわれる個人消費を上向きにさせるには、不安材料がありすぎるのです。
果たして私企業にすぎない金融業界(銀行)にこれ以上、公的資金を注入することが、経済危機を回避する不可避な行為なのでしょうか。国民はデフレスパイラルという聞き慣れない経済状態への危機感より、たとえ5年後10年後でもいいから、この社会がどのような形になっているのか、また目指そうとしているのか、ヴィジョンが示されていないこと(ヴィジョンを描けないこと)に不安を抱いているのです。
いや、いままでこうしたヴィジョンは政府や為政者によって策定されてきましたが、それらはこの国の人々の心に届かなかったために、いつまでも未来に対して不安を抱いているのです。官僚・役人諸氏は役所が倒産することがありえないので、自治体住民のために、必死になってヴィジョンを示さなくてもよく、仕事を淡々とこなしているだけと写ってしまいます。
824-2月28日(木)
子ども達の期末テストが終わって、拙宅内はすでに"春待ち"気分。子ども達は今日到着したテレビにさっそくプレイステーションをつなげて、ゲームをしています。最近のテレビゲームは高度になったのはいいのですが、「攻略本」をみないと、ゲームをどう進めていいのか、どこをクリアしていいのか分からない構成になっています。いわば「虎の巻」を見ながらのゲーム進行ということになるので、テレビゲームをいっさいしない筆者からすると不思議なことです。また最近のゲームは双方向性の度合いが強くなってきて、主人公の名前を自分の名前に設定できるなど、思い入れを注入できる仕組みになっています。しかし、人気ゲームの内容は、敵を倒すというバトルものが主流で、殺戮シーンもリアルになっている(剣を刺すと血しぶきがあがる等)のです。
最近は筆者と同世代の大人たちもテレビゲームに熱中する人がいて、ゲーム人口のすそ野の広さは注目すべきものがあります。しかし、基本的には他人が作ったソフトを使って時間を消費するということには変わりありません。それなら、自分でパソコンに向かって下手でもいいからアニメ作品(動画)を作っている方が、はるかに創造的ではないでしょうか。
823-2月27日(水)
カルメンが立地している場所は、神戸でも老舗格のレストランや喫茶、バーが集まっている場所でした。ロシア料理のバラライカ、カウンターバーのローハイド、喫茶ハクサン等々。ところが震災を契機に、老朽家屋・ビルが多かった阪急三宮駅西口の北側地帯は、大きな被害を受け、老舗がテナントとして入っているビル・建物が崩壊し、蜘蛛の子を散らしたように、近辺から転居していきました。カルメンのビルはなんとか生き残り、震災以前と変わらぬ店内のままで営業を続けています。これはまさに"神の思し召し"といえるものです。
ところが、今日こられた老夫婦からこんな質問がありました。「おたくは前からここやった?」。この質問は1カ月に何度か、年配の方から受けます。カルメンが木造家屋からビルになったのは、1976年(昭和51)。ほんの少しだけ(約5メートル)北に移動しました。それ以前に来ていただいたお客様にとっては、カルメン周辺の変貌ぶりが、震災で大きく変わってしまったことを通り越して、驚きであり続けるのです。
街は変わり続けます。行きかう人々の様子も時代によって、変化します。カルメン周辺は交通の便がいいので、通行する人も多いのですが、これから先、この周辺がどのように変貌していくのか、誰にも分かりません。これぞまさしく"神のみぞ知る"といったところでしょうか。
822-2月26日(火)
結婚して間もないカップルのお客様と話していました。新婚旅行でバルセロナやマドリーに行ったそうです。バルセロナでは、スリにあったそうですが、その後レストランで食べた"サルスエラ マリスコス"が美味しくて、元気を取り戻したと語ってくれました。「いろいろなレストランで食べたけど、バルでの食事が一番美味しかった」とのこと。
お二人がスペインを訪れたのは、12月のクリスマス時期。殆どの店が閉まっていて、食事をするのが大変だったとか。ようやく見つけたレストランでは、「今から家に帰って家族と過ごすつもりだたのに」と店主にブツブツ言われながらも、パエリアを作ってくれたそうです。そしてその量の多いこと。
今度は、アンダルシーアや、バスクなども行ってみたいと楽しそうに語ってくれました。スペインは何度行っても楽しい国です。一日の食事が3回(スペイン人は5回ですが)なのは物足りなく感じてしまうのです。皆さんも是非、「美味(うま)し国」スペインを訪れてください。
821-2月25日(月)
カルメンの定休日。高校進学先が、世間より早く決まったので、期末テストの最中とはいえ、緊張感が感じられません。昼前から珍しく"連れ合い"と二人で、三宮に買い物にでかけました。家電の耐用年数はまだ来ていないのですが、子ども達が酷使するビデオ、テレビが故障がちになってしまい、買い換えることにしました。
家電量販店に出向いた時、ちょうどソルトレークシティオリンピックの閉幕式の様子が放送されていました。「ちょっと、まずいな」と思ったのは"夫"である筆者。あらかじめ予算を決めて、テレビならこれぐらいとシミュレーションをしていたのですが、ずらりと並んだテレビ画像から、ここぞとばかりの華やかな映像が流されていると、その華やかさに見合うテレビジョン・セットが欲しいと思うのは、人の子の道理。"妻"である"連れ合い"は、みごとに感応してまい、筆者が考えていた二つぐらい上位の機種を主張。ここで最初の予算オーバー。
次はビデオ。今回はプレイステーション2も購入するため、DVDはそれで見ればいいと思っていたのですが、舞い上がっている"連れ合い"は、「ビデオだけのものでは"へぼい"と子ども達はきっと言うわよ」とビデオ&DVD兼用の機種をおねだり。画像再生メディアはちょうど、VHSビデオからDVDに移り変わろうとしている端境期にあたります。3月からの新商品では、10万円を切るDVD-R機種が発売されますが、まだビデオ機器よりもはるかに高額です。今買う商品が故障するようになる数年後には、DVDの時代になっていることでしょう。という現実を当方が分かっていることもあって、ビデオについても"連れ合い"にうっちゃられてしました。二番目の予算オーバーです。
さてさて、今春はなにかと子ども達のために、買い換えたりしてやらなくてはなりません。それに予算オーバー因子が、すぐ横に控えていることもあって、ますます筆者の臑(すね)はかじられていきます。
820-2月24日(日)
昨日、「スペイン語の話す会」の皆さんが、月一回の定例会。今回は、4人が参加。会が始まった途端にスペイン語が飛び交う中級者対象の熱心な会です。参加したのは今回は全員日本人ですが、時にネイティブが参加することもあります。毎月開かれているこの会のために、カルメンでは、毎回何か違ったスペイン料理を提供するようにしています。今回は"Callos(カジョス)"をメインディッシュにしたランチ・コースです。こうしたスペイン料理らしい一品は、スペインをよく知る人にはたまらないものです。しかし、一般のお客様には、いきなり「牛胃料理」を薦めても、一歩ひいてしまうのが、現実ではないでしょうか。
リゾットもそうです。スペイン、イタリアのリゾットは生米を洗わずに使います。微妙に"芯"が残っているかどうかといった具合がリゾットらしいのですが、この醍醐味を、Japonの中年以上の人に説明すると、"芯"が残っているという一点で、拒絶反応を示す人が多いのです。何千年もの間、営々と米を食べ続けてきたこの列島民には、米に対して強いこだわりがあります。中年以上となると、すっかり「日本人」になりきっているので、米に対する固定観念をなかなか離れられないのです(この点、若い人は、芯のあるリゾットをすんなりと受け入れる傾向があります)。
カルメンは、もちろんスペイン料理専門店で、スペイン料理以外は出していません。また、一部の西洋系レストランのように"お箸"を出すこともしません。いわばスペイン料理の「純文学路線」なのですが、当店に来られるお客様の大半が初めて"Paella"を食べる人であることも事実です。伝統店ならではの間口の広さを保ちつつ、より専門性の高いレストランを目指すというのは、一見矛盾するようにも思えますが、なんとかこの両面の良さを保ちながら、より多くの人にスペイン料理の魅力を味わってもらおうと思っています。
819-2月23日(土)
ぽかぽかと暖かい一日。今日からプロ野球のオープン戦がスタート。関西三球団のなかで、今年抜群の注目を集めているのが、星野阪神。阪神球団という企業は、チームが優勝することの発想力は貧弱でも、話題をあつめる能力にたけてます。
実力からすれば、近鉄のパ・リーグ二連覇なるかどうかの話題の方が面白いはずです。さらにオリックスの話題はどうなったのでしょう。宮古という遠隔の地でキャンプを張っていることもあるのでしょうが、神戸の人たちにもあまり話題にのぼりません。神戸の同じプロ球団なら、サッカーのヴィッセル神戸のほうが、大型補強を果たして上位に食い込めそうで、話題性に富んでいます。
オリックスは、勝ち進めば注目されますが、地味な試合運びに、目立たない試合結果に終わるようであれば、「だいたい関西や旧阪急人脈と関係のない人間を監督にして」と言われるでしょう。このオリックスという球団、大リーグのアメリカ的手法を運営に採り入れているというのですが、チームの顔というべき田口を(結局のところ)捨てたりして、ビジネスライクに傾きすぎなのではないでしょうか。企業にとっては、チームが強くなればそれでいいのですが、チーム人気を支えるのは、ファンであることを忘れてはいけません。今期、球場に来る人が少なくなれば、身売りしたらいいという魂胆があれば、オリックスという企業は、「夢を売る」プロ・スポーツ球団を持つ資格などないのです。
818-2月22日(金)
暖かくなり、杉花粉が飛んでいるようです。街中でマスクをしている人をよく見かけるようになりました。そろそろ三月が近づいてきて、三寒四温の季節となったのでしょうか。気候が変化しやすいために、筆者の周囲に風邪をひいている人をいます。受験生だった筆者の長男が早々に第一志望に合格したために、家全体に張りつめていた緊張感が溶けて、期末テストが終わると、ゲーム機を買え、との攻勢に晒されそうです。
"連れ合い"も、気がゆるんだのか、筆者が至近距離で話しかけるつぶやき声に何度も「え?」と聞き直します。「耳、遠なったんか!」と筆者は悪態をつくのですが、"連れ合い"も志望校合格で気分が弛緩していることは目に見えて明らかです。これから本番を迎える受験生を持つ家庭がある読書の皆さんは、まだまだ大変ですぞ。
817-2月21日(木)
とあるところから、牛胃を無料でもらったので、"Callos"(カジョス)を作ってみました。トマトソースで煮込んだ有名な料理で、スペイン全土で食べられています(その中でも、中央部のカスティーリャ地方で特に好まれているという)。もらったのは、第二胃袋。そのものには味はなく、さくさくとした食感を楽しむという料理です。安価できるスペイン料理。庶民の味といったところでしょうか。816-2月20日(水)
筆者の住む阪神間といわれる地域は、子弟の教育に熱心なところです。中学受験がまず大きな子どもと親たちのハードルとして立ちはだかっています。優秀な子ども達は、男の子なら灘、甲陽、六甲、関学といった私立中学を目指すのです。ですから、筆者の長男が通うことになる「旧制一中」の高校でさえも、地区内の本当に優秀な子たちは、私立中学校に通っているために、公立高校で好成績をとっても決して"天狗"にはなれないことを、子ども達自身がよく知っているのです。
こうした公立学校をしのぐ私立学校がたくさん存在している阪神間の教育環境で育つと、私立が公立の補完的位置にあるなどとは、決して言えないことを経験的に知るのです。"連れ合い"が育った大阪は、つい少し前まで、公立優位の教育風土でしたが、近年は私立学校への注目度が高まり、阪神間の事情に少し近づいているようです。
特に今年は私立高校へのシフトが近年より増して高まっているのではないでしょうか。来年度から始まる新学習要領は、授業数が減り「ゆとり」が重視されます。それでなくても「学力低下」が叫ばれている昨今、さらに「低下」に拍車がかかるのではないかとの心配が親サイドからつぶやかれています。こうした意味で、私立なら大学受験という出口のために、新学習要領に惑わされない授業を子ども達にしてくれるのではないかという期待が、この大不況の中でも、切実な思いとして伝わってくるのです。
815-2月19日(火)
筆者の長男が春から通う高校が決まりました。"父"よりも真面目に勉強に取り組む子なので、その努力が成果となって結実しました。決まったのは、昔で言えば「旧制一中」。"母"である"連れ合い"も、場所(府県)が違うものの、やはり「旧制一中」の高校に通っていたのです。いわゆる「伝統校」といわれている学校はそれなりの雰囲気というものがあるものです。校舎の雰囲気や敷地内にある巨木などに囲まれて授業を受ける子ども達には、それなりの"矜持"が生まれてくるものです。
814-2月18日(月)
カルメンの定休日。昼近くに起床。
原稿が一杯たまっているのですが、どうも休みの前は、夜更かししてしまいます。メールを確認したり、返事を打ったりでこまごまとしたルーティンワークで忙しいのです。そしてPC内の「大掃除」をしました。仕事がたまってくるとどうしても、PC本体に貯めてしまい、バックアップに取ることを怠ります。午後4時からFMわぃわぃ「南の風」の生放送。沖永良部島の唄者・川畑先民さん待望のファーストアルバムをオンエアしました。沖永良部の島唄は豊富にあるのですが、CDとなっているのは少ししかありません。
番組終了後、国道2号線沿いの家電量販店へ。安さで知られている店です。拙宅の家電がそろそろ買い換えの時期になっているのです。不思議なもので、何かひとつイカレルと、次々とイカレテしまうのです。テレビは震災で壊れたために、その年に買い換えたのですが、画面に斜めの線がずっと入っていて、高画質なんという世界とは無縁の世界です。ビデオもまた子どもたちが、高頻度に使うために、これもまた数カ月前から"オシャカ"になったままなのです。
813-2月17日(日)
朝から雨。そのせいか、少し暖かめです。どうもオリンピックの成績がよくありません。もともと興味はないのですが、「惨敗」に近い今までの成績をみていると、もうそろそろマスメディアが大騒ぎすることもないスポーツイベントではないのではと思うのです。「日の丸飛行隊」だの、名称もよくありません。ジャンプなどスキーの選手がメダルを取った後に、「日の丸」を持ってはしゃぐ姿をみれば、すぐにチャンネルを換えてしまう方ですから、今回は金メダル獲得後のそのシーンがないのを好意的に思っているのです。
813-2月16日(土)
卒業旅行のシーズンです。筆者が大学生の時代から、卒業旅行はありました。当時は1ドル=180円程度の「円高」時代。少し前まで200円を超していたので、気分的にも楽でした。しかし、卒業旅行に現在のように誰もが行くほど豊ではなく、国内旅行が主だったように思います。
カルメンでアルバイトをしている大学4年生のA君。男友達とハワイへ行くことを計画しています。その計画を知った時、思わず「ハワイねぇ」と唸ってしまいました。勿論、テロ事件以降に冷え切っているアメリカ観光をあえてするという義侠心がその背後にあるかもしれませんが、"若さ"と"元気"が服を着て歩いているような大学生の男性がハワイとは、発想が安直すぎるし、情けない話です。筆者はハワイどころかアメリカ大陸にも一度も足を踏み入れたことがありません。アメリカが嫌いというわけではなく、それ以外に行きたい場所がいっぱいあってそちらを優先したからなのです。でも考えてもみて下さい、筆者がアジアやヨーロッパにバックパッキングひとつ担いで長期旅行をしていた25年前ですら、ヨーロッパの諸都市で卒業旅行らしき大学生の男女の集団に会うと、女性たちはともかく同性の男たちに対しては、思っきりの軽蔑のまなざしを向けたのですよ。「なんだこいつら、パック旅行か。てめえの足で旅行してみろよ」。それが現在はずっと円は強くなって、旅行の情報がたくさんあるのに、時代を逆流するかのような「ハワイなかよし卒業旅行」もないでしょ、A君。
813-2月15日(金)
階級上昇、ひらたくいえば"金持ち"の話です。とある"実話"です。
神戸の真珠・宝石業者が、さる金持ちの夫人に真珠を売りつけました。このご時世ですし、宝飾関係は買った時は高額でも、売却するときは二束三文。そんなに売れるものではありません。ところが200万円分をぽんと現金で払っていったそうです。その女性、ミンクのコートを羽織っていらっしゃいます。そして家には4台ぶんの駐車スペースがあるとか。そのうち三台はベンツ。もう一台は耕作用トラクターです。おそらく居間にはシャンデリアが燦々と輝いていることでしょう。阪神間や大阪近郊には百姓をしながら、土地もちで、アパート・マンションからの賃貸収入などで高額収入がある人はそんなに珍しくありません。そういう人たちが、お金を使う使途には一定の傾向があるようです。女性ならミンクのコート、宝飾関係、着物は大島紬‥‥。男性も負けていません。コテコテのノリの悪趣味大御殿、ベンツ、大型犬、競走馬‥‥。
これはつまり、Japonの人たちが金持ちになるということは、こういうお金の使い方をするんだという暗黙の文化的了解が存在することを意味します。見事に類型化されたそうした購買傾向は、和洋混交。こうした環境の息子・娘たちは若いときから贅沢に慣れているので、いきなり外車に乗ったりすることも当然という育ち方をします。
筆者は皮肉を込めて書いているつもりですが、筆者にも「階級上昇」の"夢"があります。それは「別荘」を持つと言うことです。しかし、これはあくまで"夢"に終わってしまいそうです。"連れ合い"は「別荘!? 誰が掃除するのよ!」の一言。てんでに相手にしてくれません。
813-2月14日(木)
バレンタインデーです。Japon各地でチョコレートが行き交っています。
息子たちの成果はどうだったのでしょう。中学3年生の長男は受験でそれどころでしありません。それでも同学年の従姉妹(つまり筆者の姪)から自家製チョコレートをもらっていました。中1の弟は、「クラスでもらっているヤツはいた」と、他人事のようにいいます。どうも事情を聞いていると、教室内で"義理チョコ"をもらう男子生徒というのは、女の子にとってちょっと"トリックスター"的な役割を演じている男の子のようです。きっと"本命"は、クラブの部室や、帰宅後に公園で待ち合わせて密かに渡しているのでしょう。さて、皆さんはいかがでしたでしょう。男というのは単純なので、会社でもらった"義理チョコ"はたいてい持ち帰るのです。しかし家で待ちかまえている妻というのは、しっかりチョコレートの中味を吟味して「義理度」をチェックするのです。ホワイト・デーでお返しを買うのは、彼女たちの役回りであることが多いために、送られた主の名前をチェックすることも忘れません。男が「こんなに食べたら鼻血が出るよ」と言っている間にも、妻のチェックが働いているのです。
812-2月13日(水)
今日は、タバスコの話です。そのお客様は、30年ぶりにカルメンを訪れてきてくれました。秋田に住んでいる人です。30年前といえば、まだカルメンがビルになっていない木造家屋の時代です。その時は青年だったその人が経験したのは、初めて使ったタバスコの味です。
トマトソースだと思ったそうです。それにしては少しずつしか出ないので「関西人というのはケチだなあ」と独り言をいいながら、それはそれはいっぱい料理にかけたそうです。ところが、タバスコです。そんなに沢山かけるものではありません。料理を食べてビックリ。舌が使い物にならないくらいヒリヒリしたそうです。
これがその人にとって、生まれて初めて使ったタバスコの味だったのです。それ以来、秋田に帰ってからは、「カルメン・タバスコ体験」を営々と語り続けます。同伴した女性は、「この人の周辺でタバスコのエピソードを知らない人はいないのよ」と付け加えます。秋田の人、しげしげと感慨深かそうに、タバスコを見つめます。それは過ぎ去った30年間の自らの来し方そのものをも見つめていたのかも知れません。
811-2月12日(火)
最近、月曜日が祝日であることが多く、火曜日が休みになることが多くなっています。オフの日として、午前11時に起床。今日は朝刊が休刊しているので、少し手許が淋しい限りです。正午までNHKラジオの国会中継を聞いていました。12時のテレビニュースは、どこもオリンピックの話題。筆者の見立てによると、今回Japonは、金メダル獲得は、ゼロか1個におわるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
昼から岡本の銀行まわり。三和銀行あらためアルファベット(UFJ)の名前に。覚えにくい行名です。関西の人間はどうしてもUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)と、混同してしまいます。少し前の流行では、ひらかな名だったのですが、グローバル化に合わせて、アルファベットにしたのでしょうか。それにしても凡庸な文字の組み合わせに、もう少し工夫があっていいのではないかと思ったりしたのです。
山手幹線沿いの「復活書房」に立ち寄り、久しぶりに二冊買い求めました。一冊は笙野頼子の短編小説集。芥川賞を受賞した作家で、筆者とほぼ同世代の人。幻想小説風な作品を書きます。賞をとったものの、もともと地味な作風なので、刷り部数もそう多くないでしょう。100円の値段がついていました。将来にわたっても細々と少人数のファンによって、読み継がれるタイプの作家でしょう。二冊目は、司馬遼太郎の対談集。没後しばらく経つ人ですが、あいかわらず人気が高く、古本市場でも一定の評価を得ています。これは600円。筆者も司馬遼太郎に深く影響されている一人です。
午後7時から、呑み会。拙宅近くの店屋なので、電車の時間を気にせずに飲めるのが利点です。まるで学生時代か、沖縄・奄美で呑んでいるようです。今回は、筆者の奄美旅行の報告と、今年4月からサバティカルで、沖縄に一年間住む甲南大学のK教授の話などを中心に、4時間半にわたって話し込みました。
帰宅後、息子に勉強のアドバイス。床についたのは、日付の変わった午前2時でした。
810-2月11日(月)
読売新聞朝刊の「編集委員が読む」というコラムに橋本五郎という人が、不快に思う言葉を三つほど挙げて言葉の乱れに警鐘を鳴らしています。「立ち上げる」「生きざま」「視野に入れる」の三つ。ところがこの表現、どれも筆者がよく使う言葉なので、ドキッとしたのです。言葉に対する感覚は人それぞれなのです。しかし、言葉を紡ぐことを飯の種としている新聞記者は、敏感になるのはよく分かる話です。さらに編集委員ともなると、記者暦が長く、自分の言葉が新聞という多くの人の目にさらされることで、訓練を積んできた人たちです。
筆者がこの三つの言葉を使うのは、友人に表現者や研究者が多いためと思われます。いまやごく普通に使われている言葉を、疑問視されるのは、言葉に対する向かい方をもう一度真摯に考えるキッカケになります。
809-2月10日(日)
テレビはいきなりオリンピック一色です。その一方で筆者は、米国が数日前ミサイル攻撃したのは、オサマ・ヴィンラディン氏ではないかという情報をめぐって、インターネットを探っていましてた。現在の情報では、ミサイル攻撃を受けた村の長老は、「あの背の高い者は、若者で、オサマヴィン・ラディンではない」と言っている情報があったりして、否定的な見解です。
それにしても長い間オサマ師とヴィンラディン氏は「逃亡」を続けています。アメリカがハイテク機器を駆使しても、なかなか見つからないのですね。アルカイーダが支配した国は消滅し、Japonでいえばさしずめ"敗残兵"なので、この国の規範からすると「いさぎよく降伏する」ということになるのでしょうが、"never never give-up"。このまま逃げとおしたら、「神話化」が始まりそうです。
808-2月9日(土)
ソルトレーク・オリンピックが開幕しました。アメリカ・ユタ州はロッキー山脈の麓。本土でも州として成り立ったのは、比較的最後の方ではないでしょうか。中年以降のJaponの人たちにとって「モルモン教」の聖都と紹介した方がいいかもしれません。かつて「一夫多妻制」を採り入れたなどで弾圧を受けたモルモン教の人たちは、当時の「辺境」ユタにやってきて理想の国造りに従事したのです。現在ソルトレーク市の人口の約半分がモルモン教徒だということです。Japonでいえば、さしずめ天理市や金光市でオリンピックをやるようなものです。
開幕式では、ニューヨークのグランド・ゼロ(爆心地)に立てられた星条旗が運ばれ、アメリカ合衆国の国歌が合唱されたということです。少し前の夏期オリンピックもアメリカのアトランタでした。また、アメリカか、と筆者は思ってしまうのです。国威発揚のための開催ではないはずのアメリカ開催で、ナショナリズム高揚の一大イベントになったのは、妙な巡り合わせです。
807-2月8日(金)
首を傾げたくなる話を今日もしましょう。東京の輸入業者から一片の通知が来て、スペイン・ビールのエーデルダムが終販になるというのです。
このビールも最近リピーターがついて、注文する人が増えてきた矢先のことなので、その決定に驚きあきれています。「なぜ?」。輸入業者のレターの中には、「こうした突然の措置はスペインでは時にみられるものです」。そうなんです。売れているはずなのに、きっと何か小さい出来事があったんでしようね。その一事を万事と思いなして、製造中止に踏み切ったのかもしれません。スペインと付き合うのは、疲れることがあります。「なぜ?」
806-2月7日(木)
続いてもワインの話です。リオハで最近、ボデガス(蔵元)の要請で、白ブドウ種の木を引っこ抜いて、赤ワイン用の品種を植え替えている畑が多いらしいのです。原因は、もともと赤ワインの国・スペインで「赤ワイン・ブーム」が起きているからというのです。
けったいな話なのですが、これも大消費地のアメリカでの傾向のようです。ブームにひっぱられるようにして、赤ワイン品種に乗り換えようとしているのです。おかげで、現在カルメンで使用しているBodegas Lan の白ワインLanが製造中止となり、せっかくおいしくリピーターがついたと思ったら、突然中止になってしまいました。このLan 1995crianza はカルメンの在庫分でおしまいということになります。
805-2月6日(水)
スペインワインの話です。近年のスペイン・ワインの傾向として、樽香を抑えて、"メローな感じ(古いな、この表現。20年前の美称ですよね)"に仕立てることが流行っているようです。これはリオハに限らず、スペイン全土のワイン産地に共通しているようで、一大消費地であるアメリカの消費傾向に照準を合わせていることは、言うまでもありません。
しかし、一大消費地に合わせて、本来の味を変えるなんて、どこかで聞いたことがありませんか。そうです。1980年代のJaponにおいての「焼酎ブーム」と事情が似ています。焼酎はもともと南西Japonの地酒であったのが、降って湧いたような「焼酎ブーム」に便乗して、都会向けにクセの少ない新商品を大量に製造したのですが、ブームというのは、移ろいやすく、そういう急ごしらえの都会向け焼酎は、売上げが急落してしまいました。
アメリカーに合わせて、本来のスペインらしさを替えてしまうなんて、ちょっと情けなくないですか。スペイン全土の蔵元(ボデガス)さん。
804-2月5日(火)
携帯メールに、毎日20通以上の「迷惑メール」が飛び込んできます。筆者はドコモなので、その数たるや、去年の夏から急増しました。毎日、「未読」のまま消去するのですが、約10分ほどかかり、時間の無駄です。変更したくない携帯メール・アドレスのために、ゆるやかな防止策を講じていたのですが、効果は殆どありません。このため、受信用アドレスを、@docomo から@aol に変更しました。そして受信できるドメインを10カ所指定するという防止策を選んだのです。すると、その途端にびたりと「迷惑メール」が来なくなりました。これで、消去するための時間を浪費することなく、ごく限られた人たちに送るメール・ニュースの発信に集中することができます。
803-2月4日(月)
カルメンの定休日。予定なしの日です。
ゆったりとしたいところですが、銀行などを回っているうちに、昼時に。年末年始の慌ただしさから、解放され一段落したところなので、夫婦で外食をしました。行った先は、岡本の「山海山人」。柳田國男の著作である『遠野物語』を店づくりのコンセプトに仕立てているラーメンチェーン店です。筆者は息子たちと一緒に行ったことがあるのですが、"連れ合い"はまだだというので、足を運んだのです。
802-2月3日(日)
周見氏が来店。毎年3月まで神戸大学に研究生として派遣されている人です。筆者の周囲にいる中国の人たちは、大学に研究生や学生として来日する人がいるのですが、なぜか理由は分かりませんが、この国で就職・結婚したりする人が多いのは気のせいでしょうか。夫婦、親子づれで来たRさんも、子ども一人は守りつつ、Japon暮らしです。
周さんは東北部(旧・満州)出身。普通語(北京官話)を使う地域なのですが、あの広い中国です。アクセントが違って当たり前。「時々、東北部訛りを北京の人たちに真似されたりします」と。外国人が聞くと、北京で話されている普通語は、はっきりした発音と棘がささったようなきつさが印象的です。しかし、神戸で耳にする中国語というのは、台湾の人が多いために、福建語を基本にした台湾の言葉なので、そうきつい言葉の響きはありません。
801-2月2日(土)
寒いのですが、雪が降るほどではありません。ふと見たテレビのドキュメントに、最近岡山あたりにホームレスの人たちが増えているということです。大阪や東京などはすでに満杯なために、岡山のような中堅都市に流れていっているそうです。
そういう人たちは、駅コンコースに段ボールを敷き詰めて寝るか、橋の下に"住居"をこしらえて住むかしています。ドキュメントによると、食べ物には困らないそうです。コンビニやファーストフード店の賞味期限切れの食品を集めるだけでも、ことたりねそうです。
不況が極まっています。経済が好転する兆しは見えてきません。大阪ではすでに溢れんばかりのホームレスが生活しています。この厳しい季節を乗り切ってくれればいいのですが。