第4回ひこね市民手づくり第九演奏会

インフォメーション

ひこね市文化プラザグランドホール 2001年12月16日
 指揮者 尾崎 晋也
  ルーマニア国立トゥルグ・ムレシュ交響楽団音楽監督
  トランシルヴァニア室内管弦楽団音楽監督
  ロンドン・シューベルト室内管弦楽団主席客演指揮者
 曲目
 ベートーベン 交響曲第九番「合唱付き」
 チャイコフスキー 幻想序曲『ロメオとジュリエット』
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彦根のみなさん、こんにちは。私にとっては、滋賀県での演奏会での指揮は今日が初めです。私たちはこの演奏会のために秋から練習を始めました。練習のた め彦根に来るたびに、移り変わる天気によって顔色を変える琵琶湖の様子や、紅葉の美しいお城を見るのが楽しみでした。彦根のオーケストラと合唱の皆さんと 一緒に今夜のプログラムの曲を勉強し、また練習することは楽しい体験でした。この出会いに大変感謝しています。私が初めてベートーベンの作品を演奏したのは、ピアノの作品です。母がピアノ教師だったせいか、生徒がレッスンで弾いていてよく聞きなれたソナチネアル バムにあったその曲を演奏して、「あー僕もベートーベンを弾くことができるようになった」とうれしく思ったものです。その後、この作曲家の交響曲を指揮す るようなるとは想像もできませんでした。

 ベートーベンはちょうど18世紀から19世紀にかけてまたがり活躍しました。その時代は歴史の中では、「産業革命」の影響の真っ只中にありました。当 然、作曲家はその時代の人々の精神的背景に影響されています。クラシック音楽はモーツァルトの登場でキリスト教世界からの束縛から自由になりました。ベー トーベンの作品には新しく生まれた「個人」という概念、そして産業革命からの得た人類の自信のようなものが感じられます。それは「人類の努力によって社会 は進化する」というものなのでしょうか。テクノロジーの発展が、その考えに拍車をかけたのは言うまででもありません。そういう意味で、この交響曲曲では ベートーベン彼自身の「希望」が歌われています。しかし、この交響曲はヨーロッパではあまり頻繁に演奏されていません。なぜならまず、編成が大きいということ、そして技術的に大変難しい要素が多いとい うこともあります。現代の技術的にすぐれたオーケストラをもっても、演奏が不可能ではないかと思われるところが多いからです。

 一楽章は大変強く、ベートーベンの力がみなぎっています。中にフーガも盛り込まれ曲はすばらしい展開を見せています。この一楽章の音楽は暗い何もない世 界から始まります。冒頭のバイオリンとコントラバスの対照的な音域のテーマは不安を表しています。その恐怖感を伴った不安が爆発するところから、この楽章 のストーリーが重い足取りで始まります。暴力的なくらいに激しいこの楽章をどうとらえ指揮するか、指揮者にとっては大きな課題です。ベートーベンはこの楽 章の下書きに「絶望」と書いていたらしいです。この楽章は不安感と戦いながら、まるで葬送行進曲のような終結部をもってこの楽章は終わるのです。聴かれる 皆さんには、重たい気持ちが残るでしょう。二楽章はベートーベンらしいスケルッツオです。みなぎるリズム感で音楽が満ち溢れています。短調の主部と長調の中間部分から成り立っています。曲の中にはユーモラスな部分も感じられると思います。

 三楽章は美しいゆっくりした音楽です。私にとってはベートーベンの交響曲の中でももっとも好きな楽章の一つです。ここではオーケストラの楽器が彼らの楽 器の機能の限界までに「歌う」ということを要求されています。ここでこの絶対音楽を聴くときに私はいつもヘッセの言葉を思い出します。「人間は有限なもの だ。その哀れな本質を思い出すときに、人は芸術を求める。芸術は永遠であり、人はその永遠を夢見るのだ。」というものです。あまりにも美しいものを見ると きに、私は悲しい感情に満たされるときがあります。存在の真実に触れ、孤独を感じるときです。四楽章は今までの楽章をすべて否定することから始まります。まるでベートーベンの生きてきた激動の世界のようです。フランス革命、産業革命と過去を否定 して未来に進むもののようです。三楽章で器楽群にその限界まで歌わせたベートーベンは、もうこれ以不のものを表現するには声に戻るしかないと、四楽章に初 めて人間の声を使ったように感じられます。この交響曲になり、歴史不はじめて一番の重きを四楽章に置くようになりました。それまでの交響曲では、作曲家の 言いたいことは一楽章にあったのです。この楽章では声は独唱も合唱も、きわめて器楽的に使われています。

 チャイコフスキーとの出会いは、小学生の時に父が買ってくれたLPでした。オーマンディー指揮、フィラデルフィア管弦楽団の演奏でした。曲は交響曲第六 番「悲愴」でした。何回も何回もレコードが擦り切れるまで聞いた覚えがあります。不思議に部屋を暗くして聞くと、よく心に入ってくるということを発見し、 昼間から暗くして聞いていました。チャイコフスキーの豊かなその旋律が、心のなかにイマジネーションを起こさせてくれたのでしょう。この幻想序曲「ロミオ とジュリエット」は私の好きな作品の一つです。この作曲者の初期の作品は「旋律の巨匠」、チャイコフスキーの特徴をよくあらわして います。彼が国民学派の作曲家たちと交流を始めたこのころは新しい刺激が多くあり、それが作品に大きく影響されていると思います。日本ではちょうど明治維 新のころの作品です。ハーモニーの美しさも大変特徴的です。

 音楽はまるで目に見えるように、モンタギュー家とキャプレット家の戦い、ロミオとジュリエットの愛、二人の死、両家の和解と進みます。まずチャイコフス キーはこの曲を始めるにあたり、背景を表すために中世の影響を受けた旋律を木管楽器に演奏させます。その響きは冷たい石造りの街に、激しい愛のドラマが始 まる予感さえあります。両家の争いの場では、シンバルが印象的です。まるで両家の憎しみを先導するように、人々の心の攻撃性を刺激しているようです。愛の 部分にはイングリッシュホルンが使われています。この楽器はワーグナーやリヒャルト・シュトラウスも好んで愛の場面に使いました。この曲でも愛の楽 器として、特別に用いられているのです。恋人たちの死は、深刻な音楽の進行によって聞く人を悲しみに置きます。長く引き伸ばされたチューバの音は印象的 で、暗い背景を表しています。さらにティンパニーの音は、まるでジュリエットの心臓の鼓動のようです。その鼓動が止まったときに、木管楽器が聖歌風の穏や かな旋律を演奏します。まさにそれはドラマの終結です。和解する両家の心をも表しているようなその旋律の後に、人々の愛の感情を表わしてる旋律が弦楽器に よって高らかにうたわれます。古代ギリシャ悲劇の合唱 群が、終結の歌を歌っているようです。ティンパニーが突如、大きく地面を揺るがすようなロールで人々を威嚇するような空気を作ります。最後はまるで裁判官 が判決を読むような、力強い厳粛な和音で終わります。憎しみあった結果、神から両家に対する厳しい審判を表しているようです。この曲は人間の永遠のテー マ、「愛と憎しみ」の怒涛に聞くものを置くことでしょう。シェークスピアの原作での、両家の当主がお互いに手をとり、息子、娘の像を、その思い出のために 作ろうというくだりでは感動します。若きチャイコフス キーが作曲したこの作品は、多くの人に長く愛されていることが示すように、これからも私たちに新鮮な感動を与えてくれるでしょう。すばらしい芸術作品は、 洋の東西を問わず人類の宝です。
 
尾崎晋也 2001年11月30日 東京にて 
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  <B>はベートーベン<R>はレストラン
          <C>はショパンまたダカーポ
 マエストロは、重要な箇所はできるまで何回でも反復練習させました。そうする事 で、リズムと、ハーモニー、音楽が体にしみ込むまでくり返すわけです。しかし難所を何度も繰り替えしたあと、ダカーポになるとさすがによれよれになってい る事もしばしばでした。音楽はその土地の言語、発音に密接な関係があるので、本当にベートーヴェンを理解するにはやはりドイツ語が分からなくてはならない のでしょう。先生御自身も、ハンガリー語が分かるようになって、オケの古老の方に認められたと話されていました。タクトを見る事、指揮者とコンタクトを取 る事、リズムを正確にする事は繰り返し指摘されました。あたりまえのことですが、譜面に掛りっきりになるようでは、できることではありません。しかしおお むねそのように動いているのと、本当の音楽をする事の間には、深い隔たりがあるように感じます。指揮者からより多くのインスピレーションを受けられるよう に、柔軟でいられる事を忘れないようにしたいです。

マエストロのタクトには、すばらしい魅力と力と美しさがありました。正確な打点と、的確な指示が、 オーケストラのプレーヤーを一段高めてくれたように思いました。前回まで 何度も、何度も、揃わなくてやり直した箇所が、それなりにスムーズに 通ってしまうのは不思議な気持ちがしました。チャイコフスキーは当日のリハで部分的に暗礁に乗り上げたために、本番は安全運転の演奏になりました。大きな ミスはなかったものの、叙情性の点でやや物足りなかったかも知れません。マエストロは金管出身なので、ブラスに対して深い造詣があり、オケから迫力のある 音を導きだしていました。音程の悪い部分があり、この点は演奏者のさらなる努力が望まれました。

 1楽章は重々しく、堂々としていていました。今までと違い好みは分かれるかも知れませんが、アンサンブル的には成長がうかがわれました。くり返しでてく る符点のリズムがパートごとで、甘くなるのはアマチュアの悲しさです。2 楽章は、他の楽章と対比的なリズムの音楽が垣間見えたと思います。中間部が終わってくり返したあとの方がリズムがよかったです。 天上的な美しさを持つ3 楽章、 クラリネットはよい演奏をしてくれました。ホルンのソロもうまくいきました。4楽章のソリスト の四重奏は輝きがありました。、テノールはとても音量がありました。マエストロが言うように最後だけ盛り上がる体育会系の音楽にはならなかったようです。 中間部でもいい音がしている箇所がありました。より多くの聴衆の方に聞いていただけるように、私どもも練習を重ねてまいりますので、御声援下さいますよう お願いします。     (Cb.E.K.)

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