ゼミ読書会  by   新野幸次郎ゼミナール

新野先生のコメント2014年
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エンリコ・モレッティ著「年収は住むところで決まる」プレジデント社2014年4月

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フランスの経済学者トマ・ピケティ(Thomas Piketty)の書いた「Capital in the Twenty-First Century(21世紀の資本論)」が、大変注目されている。先日も、東洋経済などが特集本を出版しているが、まだ邦訳(12月刊行予定)は無いので、私も原書を取り寄せようとしたら、アメリカでも人気のようで、やっと手に入れることが出来た次第である。本書によると、10数カ国の研究者の協力を得て、実証研究したらしいのだが、世界的な傾向として、経済成長率よりも資産の成長率が上回る状況が続いており、その結果、持てる者と持たざる者との格差が拡大する傾向にあるという衝撃的ともいえる分析結果が得られたとしている。ピケティは、この分析をもとに、共産主義という仕組が無く、原則マーケットに委ねる資本主義体制をとらざるを得ないとしたら、格差解消のための解決策として、全世界的な資産税を導入するしかないという大胆な主張したのである。氏の母国、フランスはもともと格差容認と言ったら言い過ぎかもしれないが、伝統的に階級社会であり、反応はいまひとつのようであるが、米国を中心に大物のエコノミストや政治家などが賛否を交え、大きな議論となっている。

目下、年初来最大級の株価下落に見舞われており、これを一過性の調整局面と見るのか、上述のビゲティが提起したような「格差」と並ぶ、資本主義が内在的に持つ欠陥である「不安定さ」を象徴するものか、にわかに議論が巻き起こっている。いずれにしても、共産主義に勝利したとは言え、資本主義にはだまだ解決すべき問題が山積しており、アベノミクスの前途も一筋縄ではいかないだろう。

さて、今回テキストとしてとりあげたモレッティの「年収は住むところで決まる」も「格差」とりわけ「地域間の格差がなぜ起こるのか」という視点で議論がなされている。

原題は「THE NEW GEOGRAPHY OF JOBS」で、直訳すると「新しい仕事の地理学」という何の変哲も無いタイトルであるが、日本では勿論、こういったかたちのイノベーションと雇用、地域格差の関係を分析しようとした試みは無いといってよく、多くの示唆を与えてくれている。

モレッティによると、ITに代表されるイノベーションとグローバル化により、古いタイプの製造業中心の都市・地域が衰退していく一方、莫大な富を得ているハイテク企業が立地している都市は雇用も増え、地域として浮揚していく様子が示さる。特にハイテク産業は労働集約的で直接雇用が増えるほか、高給の社員に対する地域密着のサービス産業(本書ではヨガ教室などが例示)が伸び、氏によるとハイテク企業の直接雇用の5倍の雇用(雇用の乗数効果)が生み出されると結論付けている。さらに、これらのハイテク都市の住民は概して健康・長寿で、離婚率も低位、政治への関心が高く、非営利事業に対する理解も深いなどの特徴を持ち、給与水準以外においても、他の都市との地域格差が拡大しているといったユニークな分析がなされている。

勿論、製造業はなくならないのであるが、ITに代表される技術進歩により、省力化が進み、工場ではそれほど従業員がいなくても製造できるようになり、また、かつての熟練工の行っていた業務も技術革新の結果、途上国でも生産できるようになった。既に先進国においては、一部の例外はあるにしても、全体としては、製造業では食っていけない時代になったのである。

本書にはデトロイトの悲惨とも言える例が出ているが、大阪市大の明石教授に送ってもらった報告書にも同様のことが書かれており、かつて栄光のデトロイトが財政破綻する結末は目を覆うばかりである。

一方、ハイテク都市の「引き寄せパワー」の分析もユニークで、有力なハイテク企業が立地すると、そのエリアにビジネスのエコシステム(生態系)が形成され、他のハイテク企業の集積も進み、それとともに、厚遇とチャンスを求めて全世界から人材も集まってくるようになる。そして新しくやってきた彼らが新しいイノベーションの担い手となり、さらに新しいビジネスを創造していくメカニズムが出来上がっていると言うのである。日本ではこういった議論は殆どなされていないが、いずれにしても、国による公共事業や補助金で地方を活性化するという発想は全く時代遅れで、効果を期待することができないことを本書から読み取ることが出来るだろう。

その意味で言うと、地域が栄えるのは、何よりも人と産業ということであり、兵庫県知事や神戸市長にも本書を推薦しておいたのだが、神戸の取り組みは面白いのではないかと思う。

それは阪神淡路大震災からの復興に関し、政府の代表であった後藤田正晴さんが、「インフラの復旧は国が責任を持って行うが、“焼け太り”は認めない」という方針を明確にされたことに端を発する。これを期に国に頼らず神戸をどう復興・発展させていくか議論をせざるを得なかったのであるが、その議論の中で、元京大総長で、神戸市民病院の院長などを務められた井村裕夫さんを中心に具体化していったのが、ポートアイランドの「神戸医療産業都市」構想である。神戸はこの構想に基づき、理化学研究所など中核となる14の施設の誘致に成功したが、地元、神大付属住吉小学校出身でノーベル賞を受けられた理研の野依良治さんにも大変なご尽力を頂いた。今では外資も含め270もの企業が集積するまでになっている。皆さんから、神戸医療産業都市に出来上がった企業ばかりでなく、突出した人をどう集めてくるかが課題ではないかといった意見もあったが、既に来て頂いた方々に住みよく、さらに多くの人が来たいと感じてくれるように環境も整備していかなくてはならない。これらの中から、例えば日本独自技術を駆使した医療器械の世界的企業が生まれないかなどと考えると、この先、楽しみなところである。

さて、本書ではこういった地域活性化の核となる世界的なハイテク産業をどう生み出していくかということは、はっきりとは書かれていないし、今、隆盛を極めているそれらの都市の成り立ちも、本書によれば偶然の産物で、対策を講じれば、必ずハイテク産業が生まれるというものではない。しかしながら、最後の6、7章で、将来を見据えた場合、必要な2つのことが特に強調されている。その1つが「移民の受け入れ」で、今一つが「教育」である。

ゼミ生からはウィンブルドンというか、ロンドンのシティの金融街の事例も提起されていたが、移民政策を徹底して実践してきたのがシンガポールであると言えるだろう。高給で世界中から人を集め、社会インフラを整備、また、英語を公用語にするなど外国人の受け入れ態勢を整える一方、低い法人税と交通・インフラ網などを整備し、ご存知のとおり、アジアでトップクラスの先端産業や巨大企業の誘致に成功、日本を凌ぐ1人当たり所得を獲得するまでに至ったのである。

また、教育にも大変熱心で、実にGDPの27%が教育関連(管理人注:日本は科学振興費を含めても6%程度)につぎ込まれているという。もっとも、あまり優秀な人材に育ってしまうと、彼らは必ずしもシンガポールにとどまらないという悩みがあるようであるが、、、。日本においても、そのような人材をどう集めてくるのか、国民性、社会風土、企業風土の違いがあり、簡単ではないが、大きな課題として意識され始めたように思える。

教育についていくつか申し上げたい。バードランド・ラッセルは教育の目的を四つに分類した。「感受性」「知性」「勇気」「活力」がそれである。まずは「感受性」で世の中に起こっていることなどを感じとり、「知性」で、なぜ、そのようなことか起こったかを理解、分析、そして、どう動くべきか、解決策を考える。そして、その解決策を「勇気」を持って、実践する。その上で、「活力」、、、十分な体力、精神力が必要となるが、、、最後まであきらめずにやり通す、、、そんな、単純に知識だけではない総合的な人材の育成こそが教育ということになる。

神戸高商の初代水島校長も、今度の神戸大のホームカミングデイでお話しするつもりであるが、まさにそれを実践されたと思う。神戸大学出身の山中伸弥さんも、「人間万事塞翁が馬」だとおっしゃる。山中さんは、まずは外科医を目指したつもりが、あまりにも不器用で、周りから「ジャマナカ」と呼ばれ、この道を断念、研究の道を歩んで、ご存知の通りノーベル賞までとられた。大切なのは「失敗談」で、これをどう活かすか、「禍」をいかに「福」にできるかが肝心といったお話をされている。

大学が何ができるか、本書にも言及があるが、これも簡単に結論が出る話ではない。

スティーブ・ジョブズは性格的にも、うまく人と交わることが出来なかったが、何かやろうという活力というか執念は凄まじかったようだ。その意味では、先ほどのラッセルの4つを実践したが、大学(オレゴン州のリード大学)にまじめに通っていないし、結局、中退した。

西田幾多郎さんに至っては、5月の田植えの季節が終わるころに大学(京大)の講義を始め、年末に全講義は終了という教え方だった。今ではとても考えられないことだが、学生もそれでよしとする大らかさがあり、学生は授業がなくても、西田幾多郎さんに刺激を受けて、自主的に勉強し、門下にあまたの哲学者や有為な人材を輩出したのである。

一方、「長嶋さんでも卒業できる」という話があるが、米国では勉強ができなくては卒業させてもらえない。野球で生きていくなら、大学卒業という形式は必要がないというのがアメリカ流である。

 大学の世界ランキングの話があったが、留学生の数、外国人教師の割合など、元々日本の大学が不利な配点になっているが、それぞれに特徴があり、ランキングだけで一喜一憂する必要なはない。

例えば、米国の大学は序列がかっちりしており、PHD・博士号を贈ることができる大学は全体の9%、MBA・修士が16%、バチェラー・学士が30%で、残りの大学にはそのようなものを与える権限がない。米国では大学卒業時に格差社会を実感し、諦めるしかないという卒業生を生むことになるが、日本の場合、大卒は入社時に同じスタートラインに立てるのである。どちらが学生にとって幸せで、また、全体として活力を生むだろうか?

一方、アメリカで大学の先生になるためには、原則として、一般教養を必須とするカレッジを出ないといけない。単なる専門馬鹿では学生の指導はできないという考え方である。

さらに履修制度もしっかりしている。米国では高校までの中等教育は地方・州が行うので、ある意味、教育水準などは州ごとにバラバラである。そのために学ぶべきことの履修科目が合理的につくられているが、それが世界から人材を受け入れる強みにもなっている。

日本の教育を考えるときに、諸外国と競争していくべき大学以外にも、工業高校、商業高校、農業高校にも超えるべき課題が多い。欧米と異なり普通高校偏重の風潮があり、新しい時代にふさわしい改革が急務である。受験勉強が中心の普通高校のあり方も考えていかなくてはならない。昔の旧制高校、ナンバースクールの良さも取り入れたいところである。

さて、著者が本書で一番言いたいことは、今後、旧来型の工場ではなく、互いにつながりをもつ高学歴層が大勢いる都市から、経済的価値を生まれる「人的資本の世紀」に移ってきているということである。そのためにはどんな体制が望ましいのか?今回の読書会ではその分析の中心が米国であったが、ちょっと前に取り上げた北欧モデルも考慮されてよい。もともと社会主義を意識して長年かけて、国民のコンセンサスを得ながら、作り上げた経済システムであり、税金や社会保険の負担は7割であるなど、日米とは全く異なる体制である。勿論、逆に、老人、医療、教育費は無料であるが、日本でいきなりこのような体制をとると優秀な人材は国を出て行くことにもなりかねない。プロ野球がそうで、大リーグは年俸も高いうえ、税金も安く、多くの有力な選手が渡米した。しかしながら、北欧諸国には世界に通用する企業と人材を生み出しており、その一方で、国民の満足度も高い。

いずれにしても安倍政権の地方創生が単なるバラマキではなく、どうしたら、活力ある産業を地方に育てることができるか、具体的な知恵が必要であるが、本書はそのためのヒントを提供してくれていることは間違いない。

(平成26年10月18日 神戸都市問題研究所にて 文責/管理人)

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野口悠紀雄著「変わった世界、変わらない日本」講談社現代新書2014年4月

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今回のテキストは少し議論を呼ぶのではないかと思う。何かと注目されているアベノミクスに関して、専門家のみならず、様々な人が、様々な角度から、同調する趣旨の本や逆に批判する内容の著作を出版している。出版社も当然、商業主義というか、まずは売れなくてはならないということで、理論的にしっかりした背景があるかということは二の次で、兎に角、本屋さんにこの種の本を並べようということになる。

野口さんは、数々の著作以外にも東洋経済、ダイヤモンド、プレジデントなど、いろんなところに連載を持おられたり、あるいは寄稿をされたりと、大変影響力のある経済学者のお一人であるが、量的緩和や公共事業、円安誘導など、安倍政権の一連の政策に警鐘をならされている。本書にもアベノミクスは答えにならないというタイトルの章(第10章)を設け、目的も手段も間違っている(p250)と全面的に批判をされているのである。

ある種のことを否定するために、ある面を取り出し、それを強調するという議論の進め方になっていないか、バランスよく分析されているかといった観点から本書を読んでみると面白いだろう。また、本テキストの主張があまりに明確であるため、現下のアベノミクスや日本の将来をどうしていくべきなのかといった論点を整理することができるだろう。

例えば本書の第四章でとりあげられている中国に関して、改革・解放から世界の工場として躍進を概説、今も熾烈な企業間競争を強調し、中国を高く評価している。三木君などは、本章の論点が少し古く、問題点が過少ではないかといった指摘をしていたが、皆さんはどうお感じになっただろう。

私がよくお話をするケネス・E・ボールディングの議論は「現代経済の常識」(有斐閣1977年11月)に収めれており、この本はいろんな大学でテキストとしてご採用して頂いたこともあり、かなり売れたのであるが、この種の一国の問題を考えるとき有益な切り口となる。即ち、社会全体の問題を考えるポイントは、交換(exchange)、 統合(integration)、脅迫(threat)の3つで、この3つの側面から中国を考えてみたい。

まず、「交換」は経済関係を示しており、市場経済では、お互いに利益があることから、個々が結びつくことになる。「統合」は「交換」の前提とする経済合理性ではないもの、即ち、社会の一体感、信頼感といったようなものがそれに相当するが、各構成員の他者の役割を互いが認識し合う理想の状態であるといえる。組織が、家庭から、コミュニティ、そして国へと大きくなると、「交換」や「統合」だけでは組織を引っ張って行く事が難しくなるから、「脅迫」の役割も重要である。しかし、あまりこの部分が強調されすぎると社会は揺らぎ始め、崩壊の道を辿ることもある。

中国は改革・開放若しくは市場経済移行に伴い、「交換」が国の急激な発展を支えた。

尤も昨今では、シャドウバンキングなどに代表される経済の先行きへの不安を抱える中、成長の負の遺産と言ってよいのだろうが、貧富の差の拡大、環境問題、汚職等、食への安全など国内では矛盾が噴出、チベットや内モンゴルなどの少数民族の問題加わり、ボールディングの言う「脅迫」に頼らざるを得ない不安定な状況が続いている。神戸大学で学ばれた石平さんからは早晩、中国は崩壊せざるを得ないといった主張の近著(「自壊する中国 反撃する日本」ビジネス社)を送って頂いたが、三木君や川口君の言うように経済乃至、「交換」の領域のみで中国を論じることはできないことは明白である。勿論、習近平国家主席も、公務員の汚職撲滅を訴えたり、最近では共産党大物幹部などの摘発が取りざたされるなど、政治への信頼回復に躍起であるが、政治以外にも先に申しあげた格差、汚職など数々の矛盾の背景に国家の仕組に関わる根深い問題を含んでいることもあり、今後の対応は容易ではない。

さて、本書の論点に沿って少しコメントしておきたい。第1章では、サッチャーとレーガンの登場でフリードマンに代表される新自由主義、市場主義が復権する様が描かれている。ソ連の崩壊もあり、市場以外の経済制度はあり得ない(p36)という経済思想上の大転換が起こったとする。尚、ミクロの世界でもMITによる「MADE IN AMERICA」、、、この本自体はアメリカ再生のための米日欧産業比較ということだが、、、のようにグローバル競争の中でどういった戦略をとるべきか米国は真剣に考え、産業構造を変えていったことを付言しておきたい。

第2章にはIT革命が世界を変え、米国が復活した原動力となったことが書かれている。50年も前のことだろうか、大学で研究して頃、例えばヒックスの論文を入手するのも大変で、それを苦労して手に入れた後、ガリ版で印刷して、みんなに渡して、それらを読んだものだが、今なら、こんな苦労はないだろう。ところで、南谷君が話題にしていたように、デジタルエデュケーションも若干の大学で始まっている。2012年にアメリカで始まったオンラインで公開された無料の講座MOOCs(Massive Open Online Courses)がそれで、一流の先生の話が無料で聴講できるというメリットはあるが、学校は単なる知識の提供の場ではない。バートランド・ラッセルは教育の目的は、活力(Vitality)、勇気(Courage)、感受性(Sensitiveness)、知性(Intelligence)の4つの習得させることにあるとしているが、寧ろ、ITをどう活用していくかが問われているのかもしれない。

神戸高商の水島銕也先生の教育はまさにラッセルのそれで、生徒が180人しかいなかったということはあるにしても、全員の名前を憶え、全員を自宅に呼んだり、住むところがなければ寄宿させたりもされた。また、花隈で酒を飲みながら将来を語り、生徒が病気になれば病院を紹介もするし、勿論、就職の世話まで、先生自身が動かれたのである。

また、当時認められていなかった商業学校からの入学を認め、40人を受け入れているし、図書館も夜間まで解放したのであるが、夜間と言えば、一部の講義を夜間に行い、市民にまで公開するといった画期的な試みを実践された。次回の神戸大学のホームケミングデイで詳しくお話しする予定なので、是非、聴いていただきたい。

さて、第3章は市場型経済が復権し、米英の復活とアイルランドが驚異的な発展したことをとりあげる。第4章の中国についても市場経済体制に入ったことで成功したとも言えるだろう。 

本書のユニークなところは、イギリスとアイルランドが付加価値の高い金融業,ITで成功したことを参考に、最終章では日本もそれを目指すべきだとしているが、それを実現するためには何が必要で、どのような道筋でそれをつくりあげていけばよいかといった具体策は本書には示されていない。野口さんはアベノミクスが駄目で、その代案の目玉が金融業と、水平分業、製造業とサービス産業の中間、高齢者ビジネスなどを掲げておらえるが、いずれも、産業育成までの具体策とそれらがどの程度我が国の将来にインパクトを与えるかという視点を示しておられないが、果たして、説得力を持った議論になっているだろうか?

本書とは直接関係はないが、資本至上主義とは一線を画する加護野忠男君は、日本的経営の良さを強調し、米国流の経営を批判するが、ただ批判するだけなら、日本的経営の良さを証明したことにならず、寧ろ、グローバル競争の中でどうやって日本的経営を活かし、守っていくか、その具体策を提言していくことがより重要だと申し上げている。

いずれにしても、単に他者の議論を批判し、自説を展開するだけで、日本の進むべき具体的な道筋を示さず、実践しないのなら、何にもならない。

その意味で言うと、神戸大学の卒業生で高岡浩三君(58年経営卒)は立派だ。彼はネスレ日本株式会社代表取締役社長兼CEO)であるが、食品業界で世界トップの同社の中でも、ネスレ日本の営業利益率は16%と抜群であるようで、それを実現すべく、様々なユニークな対策を打っておられるようだ。収益力や日本人経営者の経営力が課題であるとされる日本でこの実績は本当にすごい。

さて、不良債権問題の発露後も、そこそこの国内市場を持ち、円安のぬるま湯(第5章)の中、失われた20年というのか、本書では「変わらない日本」ということになるのだろうが、政治も弱体化し、制御不能なまで膨らんだ国債残高(第9章)を抱えた中、安倍政権が誕生することになったが、野口さんのアベノミクスに対しては、「答えにならない」(第10章)と書かれるほど、その評価については手厳しい。

量的緩和についてはマネーストックの増加につながらず、効果がないという主張だか、村島君はマネタリーベースとマネーストックの増加率をそれぞれ比較すると、そもそも両者の絶対額が一桁違うのでマネーストックの増加率は僅かで効果がないように見えるが、両者の増加額をみるとストックは伸びているのではないかといった指摘をしているが、これに限らず、全体的にアベノミクスへの批判の根拠となるものに関して、丁寧な説明になっているとは言い難い。

本書は過去の円安で非効率な旧体制が温存されたという大胆な主張(p160)がなされているが、これについては、円高の負の部分について、著者が軽視しすぎているといった指摘を川口君がしていたが、これも議論を呼ぶところであろう。著者はさらに、円安が進行すると貿易赤字が悪化する(p251)と言っているのは、他では殆ど言われていないロジックであるし、実証的にそれが証明されているわけでもない。また、量的緩和では賃金が上昇しないということを主張するための論拠として、賃金低下の原因を産業構造の変化に(p192)求めたのも、根拠となるデータの解釈が甘く、また、例えば、他国の事例との比較分析を行って普遍的な法則性があることを提示するとか、もっとデータを整理し、検証してみるといったことを本来やるべきであった。いずれにしても、昨今の賃上げの動きもあり、説得性に乏しいものになっている。デフレ自体日本経済にとって寧ろ望ましい(p194)というのは、こういった議論をする人も多く、この場ではコメントを言うつもりはないが、議論が分かれるところである。

さらに、著者がこれからは水平分業を目指すべきという主張をする(p268)のなら、米国のIT業界の事例だけでなく、、、そもそも皆の議論の中では、アップルの成功事例は水平分業ではないといった意見があったが、、、具体的に日本企業がどう取り組むべきか示されるべきであろう。

尤も今回のテキストが新書ということで、限られた紙面しかなく、著書も十分な根拠を物理的に示すことができなかった部分もあるだろうが、本書には日本経済の主な論点になるものが、意欲的と言うか、広範に掲載されており、自分なりにその論点を検証し、それが言えるためには何が足りないか、自分ならどう説明していくかなどと考えてみるのも読書の楽しみであろう。本書はその点で良いきっかけ、材料を与えてくれている。-平成26年7月19日/神戸都市問題研究所 文責:管理人-

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藤本隆宏著「現場主義の競争戦略」新潮新書2013年9月

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日本IBMが社会貢献活動の一環として取り組んでおられる「六甲会議」も先日25年目を迎えたが、元大阪大学の総長で兵庫県立大学の学長などを務められた熊谷信昭さんなどの学会関係者や多くの関西財界の方々が参加され、大変有意義な議論の場となった。今回のテーマは農水省の森下さんによる「TPPと農業立国」と吉川良三による「変革によるものづくり」で、お二人のお話を伺って皆で討論した。

 吉川さんはサムスンの李健煕会長に乞われて、同社の重役(常務)を務められ、その後、今回のテキストの執筆者である藤本隆宏さんのおられる東大のものづくり経営研究センターなどで実践的な研究をされている。また、失敗学でも著名な畑村洋太郎さんたちと一緒になって現下の日本企業の「官僚主義」(注:形式主義、数量主義、管理主義など)や、組織全体が「中間管理職化」した企業組織に警鐘を鳴らしておられるのだが、六甲会議でも日本企業及び組織が時代の流れの中でダイナミックに変革すべきであることを特に強調された。

 新年の読書会でもお話しした、日本経済研究センターの岩田一政さんの「2050年の日本経済を展望する」には、3つのシナをリオ、即ち「成長シナリオ」「停滞シナリオ」「破滅シナリオ」があったが、この3つのシナリオを分けるものも、日本経済の構造、諸制度などの改革の度合いにあった。吉川さん、岩田さんとも、日本あるいは日本人の技術力、底力といったものを信じつつ、また、日本の良い部分を生かし続けることが前提であるが、やはり、日本経済が将来にわたって発展するためには、大胆な改革が必要であるという認識でいらっしゃるのである。

さて、今回のテキストの著者である藤本隆宏さんは、東大の教授で、前掲のモノづくり経営研究センター長として、実際に製造現場に入り込み、丹念に実証研究をされておられる他、中堅・中諸企業に対して具体的な経営指導も行っておられるようであり、まさに現場の第一人者である。

テキストの冒頭(p4〜6)にある通り、藤本さんは日本の製造業に関して過度の衰退論や、ものづくりへの情緒的礼賛論などの根拠に乏しい怪しい議論や、それに惑われた産業人の過剰反応が自滅的な人災となって、過去20年にもわたって産業や現場を毀損してきたという危機意識をベースに、100年もの間、主流派経済学がややこしいものとして敢えて捨象してきた「産業」乃至「現場」からの日本経済論、、、著者の言葉にある「下から見上げる産業論」を各地でご講演をされている。本書はその講演録を取りまとめたものであり、そういう意味では皆さんのコメントにもあった通り、同じことが別の講で顔を出すなど十分に整理されたものでないにしても、こういった現場から次代への産業論を論じてみようという視点は極めて意欲的で意義深いものと言えよう。 

著者は第一講などに国際競争において今後とも比較優位を保てる分野は、○○産業が有望といった単純で大雑把な業種ごとの切り口ではなく、現場による「擦り合わせ」「作り込み」といった日本の製造現場の特徴を活かせる、言い換えればモジュール化されていない個々の製品群であるとする。そして日本にはそれに向いた優良な多財現場(工場)が数多くあることを自動車関連業界の例を挙げて説明している。

(管理人注:著者によれば「流れをちょんちょん切って分業させ、それぞれ頑張れ」というのが米国式・テイラー式の野球型分業重視、「みんなで流れをつくるんだ」という協業重視、チームワーク重視が日本の産業経営の根幹(p84)であるが、源流は「移民なき高度成長」を乗り切ったため、慢性的に人手不足となり、協業重視のサッカー型の組織、現場となった(p154)とする。)

また、日本の現場では一人で何台もの機械やラインの受け持つ多能工の存在(トヨタでは多工程持ち)が大きく、円高局面においても、着実にその生産性は高まり、一部製品では中国など新興国にコスト面で再逆転できるまでになっている(p22〜25)とし、こういった現場を見ずに株主を恐れ、近視眼的な判断で国内の生産拠点を閉鎖する本社に対し、著者は「本社よ、覚醒せよ」と訴えている(p96)のである。 

さらに、著者は、既にグローバル展開している企業にとっても、新興国の生産拠点の生産性や品質向上のために、国内にその先生となりうるようなしっかりした「マザー工場」を持つことの重要性を強調し(p103)、モノづくりの良い現場、良い流れを次代に残す責任があるとも主張されている。 

もっとも、一部のゼミ生から指摘があったが、少しものづくりが復活してきた昨今において、日本の工場・現場の努力だけが回復の要因ではなく、1990年以降の長期不況、円高、新興国の圧倒的低賃金、デジタル財の競争力喪失が重なった「苦難の時代」が終わりを告げ、絶望的だった新興国との賃金差が縮小し始めたことなども復活の要因となっていること藤本さんは公平にというか、バランスよく指摘している(p145〜151)。 

藤本さんの国内現場重視の主張はさらに続く。本書には製品の性能や価格のみで勝負するのではなく、リードタイムの商売に持ち込めば十分戦えるビジネスモデルを構築できることを提唱、その実例としてコピー機のリサイクルビジネスの例(p19)を挙げている。私の親しくさせていただいている神戸のシスメックスは、血液や尿、細胞などを調べる「検体検査」に必要な機器や試薬、ソフトウェアを開発し、製造・販売している会社であるが、何かあれば1時間で駆けつけるアフターサービスで他社と差別化し、且つ、機器販売後の試薬販売やサポートなどで収益を稼ぐ仕組みを構築、好業績を収めている。よいもの作れば売れるという単純なモノづくりの発想だけではやっていけない時代であり、すでに多くの企業がこういった動きをしているのである。  

一方、日本の家電メーカーが大変苦戦した「モジュール化」についても、単純にネガティブなものとしてとらえてはいけない。IT技術の発達もあり、製品を機能別にいくつかのブロックに分割、ブロック単位で部品を入れ替えることが可能となったが、これにより迅速に問題点に対処できる上、部品の供給体制を構築すれば、効率的に且つ大量に製品をつくれることができるようになった。これが、モジュール化のメリットであり、その特徴もしっかり押さえておかなくてはならない。要は「すり合わせ」により、複雑で高機能・高付加価値の商品づくりを行うべきか、「モジュール化」による量産コスト削減・大量販売を行うべきか、現場と一体になった戦略が必要である。サムスンは前述の六甲会議での吉川さんによれば、どちらかといえばイノベーションは得意ではないそうだが、従来の技術をうまく組み合わせながら、巧みなモジュール戦略をとり、新興国向けのシンプルな商品分野においても大きな収益をあげることができている。著者も「複雑な設計に負けない統合型の組織能力を堅持し、状況によって単純化にも対応できる『設計の両面戦略』でグローバル競争に臨むべき」とおっしゃっている(P209)。

(これに関連して蔭山様により、ヒュンダイは有名なデザイナーを雇い、デザインで北米市場を開拓してそれなりの地位を築いたが、「すり合わせ」技術の土壌に乏しく、フォルクスワーゲンの巧みなモジュール化(p198)にみられる戦略もない上、昨今、ウオン高に転じたこともあり、今後は厳しいのではないかという見解を示された。)

 少し、テキストから離れて別の議論をしてみたい。最初に哲学の話。阪大の元総長の鷲田清一さんによれば、哲学に関する過剰な期待はさておき、トータルにものを見るためには、断片的な知識ではなく、なんらかの哲学が必要で、成熟した社会には、市民の誰もが哲学的な思考の作法に馴染んでいることが強く求められている。「モノづくり哲学」といった言葉も聞かれるが、今後、企業レベルの組織、現場にもそういった哲学の必要性が益々無視できないものになるだろう。

次に突破力について。キャノングローバル戦略研究所の研究主幹の山下一仁さんは、TPPに関して結果的には日米の妥協が成立するだろうが、自由化の流れを前提に、競争力強化を考えなければならないとし、それには「突破力」が必要であるという。何が何でも突破するという気持ちがないと成長戦略を描けず、寧ろ補助金や所得保証といった後ろ向きな方向に議論が行ってしまうのではないかと仰る。特に農業分野においては、果敢に市場を開拓していこうという意欲のある農家も大勢いらっしゃるが、彼らをどう活かすのか、どのくらいの時間軸で競争力を培っていくかが課題となる。 

今回の安倍首相の肝いりで始める経済特区は国の成長戦略の重要な試みの一つであるが、農業分野において、兵庫県の養父市が選ばれた。プランでは民間企業と組みながら、世界に通用する農業の構築を目指すということであるが、高齢化、農地の集約、農協、国際的な販路の開拓等、問題が山積しており、これらをどう突破していくが鍵になる。勿論、農業以外の分野においても、突破力がグローバル競争の大前提であることは言うまでもない。村島君がドイツでは輸出の3割が中小企業であり、日本においても中小企業のニッチ戦略が重要であると言った話をしたが、既に中小企業でそのようにグローバルな動きをしている例も多くなっており、今後大いに期待したい。但し経営基盤が磐石でない企業が多く、政府等による後押しも必要だ。 

技術革新の問題について。本書では草の根のイノベーションとして僅かに扱っているが(p174)が、より長期にモノづくりを考える場合、すり合わせやモジュール化の問題よりも、シュンペーター流の技術革新の問題が決定的なものになる可能性が高い。80年代はビデオやCD、ウオークマンや液晶など、日本の家電メーカーによる画期的な新商品が次々現れ、エズラ・ヴォーゲルによるジャパン・アズ・ナンバーワンなどに代表される日本礼賛論が世界中で起こった。その後、米国は軍事技術を活かした今のIT革命において完全に主導権を握った形となったが、なぜ、日本では90年代以降、画期的な技術革新が激減したのか?このあたりの議論も整理しておかなくてはならない。今また米国はシェールガス革命や3Dプリンターの分野で新たな変革を予感させるが、日本はどう立ち向かっていくのか?今後ともイノベーションの重要性は揺るぎない。 

これに関連して、科学技術研究について少しお話ししたい。理化学研究所など、国がその技術開発に予算をつける場合、従来は、成果検証などは曖昧であったと言ったら少し言い過ぎかもしれないが、その意味では弾力的な対応も可能であった反面、既得権が発生したり、無駄な投資も多かった。一方、現在では国家財政に限りがある中、綿密な計画と審査、成果・検証及び責任の所在などを厳格に行われるべき時代になってきている。とはいえ、成功したらよいが、失敗したら責任をとらされるということになれば、画期的な発明発見にチャレンジしていく意欲を削がれることにもなりかねない。この場合、大学がそれを補完すべきではないか?大学は技術開発に失敗しても良いということではないが、一義的には、人材育成が優先されるといった側面があり、先を見通しできない分野にチャレンジができるのである。尚、戦前の理化学研所は研究所発の技術を使って事業を興し、理研コンツェルンと言われる企業グループを形成、稼いだお金を研究開発費に充当し、さらなる技術革新を推し進めたという歴史がある。終戦後、理研コンツェルンは財閥に指定され解体されることになるのであるが、一時期大変ユニークな組織であった。 (管理人注:5月13日付日経電子版の小保方氏関連記事の中で博士号取得者が大量に研究機関に入り込むが、短期間で実績をあげないと次の職が得られない過酷な状況を掲載し、先生の懸念が現実となっています) 

勿論、大学・研究機関の補強だけでイノベーションが生まれる訳ではなく、資金面では間接金融たる銀行の組織とその人づくりやベンチャーキャピタルの活用も重要だ。そして何よりもベンチャーを担うべき人材に対する全般的な教育、そして研究活動や起業への支援が不可欠であることも忘れてはいけない。

-平成26年4月19日/神戸都市問題研究所 文責:管理人-

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「日本・海外経済の展望」〜景気見通しとリスク要因について〜

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2014年新年読書会は新野先生による講義という形式をとりましたが、その冒頭に27回生の蔭山様から、「日本・海外経済の展望」〜景気見通しとリスク要因について〜と題してご講演を頂戴しました。以下、蔭山様のご講演要旨です。

◇中長期展望 <

2020年を展望して少し概観を述べると、世界経済は米国経済の回復、新興国経済の持ち直し等により、穏やかな回復軌道に。日本経済もアベノミクスを等により回復へ。中長期的に見れば、人口動態(世界的な少子高齢化の進展)や中国における構造調整、先進国の財政問題を背景に成長テンポは2000年代に比べて鈍化するとみられる。

 

◇国内経済

アベノミクスの三本の矢について触れる。第一の矢である「大胆な金融緩和」により、円高の是正が進展するとともに、企業業績改善期待から、株価も上昇、加えて、資産効果によるマインドの改善等、個人消費が持ち直しており、デフレ脱却も視野に。

第二の矢である「機動的な財政政策」については、総額10兆円の緊急対策に加え、消費税の引き上げによる悪影響を封じるため、5兆円規模の経済対策を打つなど、景気を下支えするだろう。

最後の矢である成長戦略(日本再興戦略)は、2013年6月に産業競争力会議で「日本再興戦略」が、また、経済財政諮問会議において、いわゆる「骨太の方針」が取りまとめられた。痛みを構造改革や諸外国との通商交渉が中心となるだけに、今後の実行力が問われるが、そもそも、成長戦略の法制化・実施するのには1年はかかることも多いため、既に着手している対策についても、もともとタイムラグがあることを理解しておかなくてはならない。

一方リスクとしては、まずは財政リスクで、2015年のプライマリバランス赤字半減という目標達成が極めて困難であることを指摘しておくとともに、今後も高齢化による社会保障給付費が持続的に増大する中、足元の経常収支黒字が大幅減少していることについて危惧している。

また、成長戦略不足によるデフレ、過度な円安によるスタグフレーション、長期金利暴騰リスクにも留意する必要がある。

◇世界経済 

IMF予測をもとに推計してみると、2010年代の世界経済は、先進国で2%、新興国で6%程度の成長が予想される。また、インドやASEANなど、人口増加率が高く、2020年時点の高齢者比率が低い国、地域は総じて今後の発展の可能性が高いとみる。

少し個別にコメントしておきたい。まず、米国経済であるが、雇用環境の回復とともに消費マインドが改善、また、問題となっていた家計のバランスシート調整も進み、経済は復調する。欧州経済は失業率の上昇、住宅価格の下落が継続していることに加え、財政赤字からの脱却の道筋が見えないことや緊縮財政が景気回復の重石になる恐れがあり、今しばらく停滞せざるを得ないと考える。

中国の経済成長率は投資主導から消費主体への構造改革が進められる中、穏やかに低下していく見通し。アジア新興国は今後5年間の平均実質成長率は5.4%と底堅く推移するとみる。 

世界経済のリスク要因としては安倍政権の右傾化(を想起される戦略)と日中韓との関係、好調な米国経済に内在する債務と量的緩和縮小の行方、欧州の債務問題と失業率の高止まり、中国経済の減速と不動産バブル・地方政府債務問題、シャドーバンキングなどのリスク要因についても引き続き注視しておかなければならない。

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新野先生による特別講演「日本の針路を考える」

テキスト:小峰隆夫「日本経済論の罪と罰」日経プレミアシリーズ2013年9月

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 今回は、読書会とうよりは、私が一方的にお話しするということになりますが、大変に多くの方にお集まりいただきました。まずはお礼を申し上げたい。また、蔭山君のアベノミクスや世界経済の見通し等に関して総括的なお話は、皆さんの現下の経済情勢の理解に大いに参考になったのではないかと思うし、本日の私のお話にも関係が深く、大変意義深いものであったと思う。御礼を申し上げたい。

 さて、今回は読書会テキストである小峰隆夫さんの「日本経済論の罪と罰」にも登場する(p4など)金森久雄さんは日本経済研究センターの理事長、会長などを歴任されているが、私も同センターの関西支所立ち上げ以来、大変に親しくさせて頂いている。その金森さんによれば日本経済の高度成長は13の要因があり、①戦前、徳川時代にも遡る遺産・慣習制度②戦後GHQなどによる経済改革③松下・本田などに代表される積極・果敢な経営者の存在④優秀な官僚の存在⑤教育水準が高い労働者の存在⑥労使協調⑦高い貯蓄率⑧メインバンクによる資金供給⑨技術革新、特に米国の技術を使用できたこと⑩経済計画がうまくいった⑪平和が持続、海外から原料を輸入し海外に売るという加工貿易が確立⑫GDPの1%という低い防衛費負担⑬社会及び政治の安定である。

 尤も、これだけたくさんの要因を挙げられると、逆に焦点がぼけるという弊害がある(管理人注:金森著「日本経済の基礎知識」中央経済社においても①④⑩を除く10項目が掲げられています)のではないかと思えるが、経済成長を促すものは何か、もう少し経済理論的に考えてみよう。

 皆さんおなじみの生産関数は土地・地主をR、労働をL、資本をKとすると 

Y=f(R,L,K)であるが、

マーシャルは伝統的な3つの生産要素に加え、狭義では産業組織、広義では知識、ノウハウに相当するが、これをIとすると

生産関数は次のようになる。

        Y=f(R,L,K,I)

Iこそが私が何度もご紹介した「第四の生産要素」で、マーシャルはこの第四の生産要素の方が伝統的な生産の3要素よりも重要になるだろうと主張した。私はかつて中国重慶の経済計画員会で、社会主義経済にない考え方であるこの第四の生産要素が大事であることを説いたことがある。

 ケネス・E・ボールディングは従来の生産関数の議論は、その生産物を土地、労働、資本を提供した地主、労働者、資本家で配分することを正当化しようとするリカード以来の分配の議論の範疇にあると考え、別の定義を示した。それによると生産関数は

    Y=f(E,K、I)で、Eはエネルギー、Kは資本、Iはノウハウである。

 ボールディングは1981年に朝日新聞の後援のもと、神戸にお越しになり、その際開催されたシンポジウムで私は彼と対談をやらされた。ボールディングは資源もエネルギーもない日本が発展したのは日本人の知識やノウハウであると自説を展開しながら、大いに、日本人を称えてくれたのである。

 生産関数の議論をもうひとつ。ソローは実証研究の結果、 以下のような生産関数を提唱した。

   Y=Af(L,K)

ここでは土地は無視して考えるとして、Yは生産量、Lは労働投入量、Kは実質資本ストックであるが、ソローは特にAの技術水準など「全要素生産性」と呼ばれるものを重視した。マーシャル流に言えば、資本、労働、土地に次ぐ、「第四の生産要素」ということになるのだが、資本や労働の量的変化では説明できない部分の寄与度を示す指標として、ここ数年、この全要素生産性※を議論することが増えているが、今日のテーマとも関連するので改めて紹介させて頂いた。

 ※(管理人注)アジア諸国の経済成長に関するクルーグマン論文(Krugman、Paul.1994 "The Myth of Asia's Miracle" Foreign Affairs)が、大きな議論を呼んだ。クルーグマンはソローの考案した「残差法」という手法を使い、全要素生産性の算出を行った。

 今日のテーマである「日本の針路」を考えるということと関連して、ダイナミックな観点から分析をされているという意味で、日本経済研究センターの岩田一政さんの提言する「2050年の日本経済を展望する〜日経センターの長期予測から」というレポートが傾聴に値すると思う。 

 レポートの中では、経済成長に関係する、「政治の安定度」、「市場開放度」、「女性の活用(現状世界101位と最低レベルのジェンダーギャップの解消度)」、「起業のしやすさ」、「労働市場の自由度」の5つの「制度の質」をベースに、2050年に向けて3つのシナリオを用意する。尚、5つの「制度の質」の中では成長シナリオに対し、「市場開放」の寄与する割合が圧倒的に高く、寄与度は全体の72%。2位の「女性の活用・ジェンダー」の12%を大きく引き離していることも押さえておきたい。  

 さて一つ目のシナリオが「成長シナリオ」で、今後、平均1・3%の成長を達成、2010年の1人当たりGNIが4,2万ドルであったものが、2050年に8.8万ドルとなり、世界第3位になるというものである。このシナリオを達成するためには貿易、投資、金融の分野で市場開放を推し進めることが最も重要であるとする。また、労働人口の減少を補うべく、女性の活躍も必須である。具体的には、結婚・育児に伴う女性労働の中断、所謂M字カーブの解消を目指すと共に、オランダ、北欧並みの女性の労働参加を目指し、同時に女性の経営幹部への登用も進めなければならないとする。また、柔軟に職場を変えることができるよう労働市場の改革も必須で、これは、今回のテキストの主張に近い。最後に、大学発の起業については現状、米国とは雲泥の差(2011年で日本79社に対し米国1700社超)であり、その意味では改善の余地が大きいとの見通しを示す。 

 二つ目の停滞シナリオでは、失われた20年と同様と言ってよいだろうが、緩慢な改革の実施のとどまるという前提。成長は平均して0.1%、人口も減少していることから、1人当たりGNIでは0.6%の成長になるのだが、絶対額で5.4万ドル(同15位)と低迷、GDPも世界5位に転落する。 

 最後の「破綻シナリオ」では、痛みを回避して改革後退。保護主義へ傾斜が顕著で、消費税も引き上げない。結果、マイナス成長が常態化、貧困が拡大する他、政府債務はGDPの400%に達する。財政破綻が現実となり、この場合、停滞が持続するか、スウェーデン型(不良債権の早期処理+民間活力)で再生するケースが考えられるとしている。この破綻シナリオでは1人当たりのGNIは3.9万ドルで29位と転落する。 

 勿論、このシナリオには長期予測という性格上、今日の蔭山君のレポートにあったように、不確定要因やリスク要因があり、逆に幸運もあるかもしれないが、自ずと限界がある。また、そもそも、5つの「制度の質」がどのように経済成長に作用するのか、本当に説得力のあるロジックになっているか不明であるが、改革の重要性を再認識するには十分だろう。 

 諸外国では、例えば、米国はシェールガス革命の恩恵もあり、製造業が復活、2050年においても覇権を維持すると予想する。一方、中国は「中所得の罠」を脱することが出来ない上、諸制度の質的向上が難しく、人口がボーナス期からオーナス期に転じること、さらにキャッチアップはできても自立的イノベーションが難しいことなど、1人当たりのGNIでは90年の3百米ドル、2010年の4千米ドルから、2050年は1.2万米ドルと低迷せざるを得ないという予想をしている。OECDなど、2050年までに米国とGDPで肩を並べるというような予測が多い中、このレポートを大々的に発表すると中国から反発を食らいそうなほど衝撃的であるが、一方では、中国にも日本と同じように3つのシナリオがあってよく、現状のような一党独裁体制や肥大化した国有企業群のみを前提とする必要はないかもしれない。  

 自然災害のリスクも重要なポイントである。東南海地震は2050年までに起こる可能性が高いといわれているが、日本経済の大動脈を襲う地震の影響はこのシナリオでは触れられていない。

 「列島強靭化論」という著作が話題となった京都大学の藤井聡さんによれば、安政年間は日本で多くの巨大地震が発生した時代で、1854年に安政東海地震(M8.4)が発生、その約32時間後に安政南海地震(M8.4)が続き、翌年に約1万人が死亡した有名な安政江戸地震(?7.4)が起こった。そして、追い打ちをかけるようにその翌年に台風が江戸を直撃、十万人が亡くなったと言われている。ペリー来航とそれに続く外圧が討幕を生んだという論理だけでなく、これら一連の天災が政局の不安定さを生み、幕藩体制の弱体化を惹起、明治維新の遠因の1つとなったという論理を展開する。(管理人補足:藤井氏は1755年に起こったポルトガル大地震によって、スペインと並んだ強国であったポルトガルの地位低下は250年後の今日ですら解決されていないとする) 

 また、南海地震は必ず起こると主張、「減災」という言葉を提起する等、災害分野での第一人者で関西大学の河田恵昭教授も天災が政治や社会に与える影響の大きさを強調している。

 このように、長期のシナリオというのは、そう簡単にはいかないことはご理解頂いたと思うが、一方で、日本経済研究センターの試み、今後日本の成長に関係のありそうな5つの切り口をマクロ的に捉え、「日本の進路について見通してみる」意欲的な試みの重要性も是非、理解してほしいところである。 

 さらに、今回の成長シナリオがある種の痛みを伴うだけに、どうやって国民的合意をとりつけるかとか、政治がどうリーダーシップをとっていくかということが極めて重要になってくることを、皆さんも感じ取られただろう。戦後の改革はGHQ主導で、財閥改革や労働改革、そして、戦時国債の処理のために、預金封鎖を実施、新円切り替え、財産税の賦課など、現状では考えられないような荒療治を実施することができ、その後の日本の高度成長の礎となった。しかし現在では、戦後のような緊急避難的な対策をとれない経済大国としての立場や文明国としての制約がある。また、かのケインズも当時、既存権益を守ろうとする者の多いことを嘆いていたように、現在の日本もやはり、あらゆる分野に既得権益者が存在する。そのような状況の中で、今、何ができるか、どう実施するかプランを決め、果敢に未来を切り開いていかなければならないのである。  

 さて、小峰さんの本であるが、本書のタイトルにあるように、本書の狙いは、誤った経済理論を放置することは罪であり、その結果、我々は経済が停滞するという罰を受けている状況から脱したいということにある。脱成長論、人口減少・市場縮小論、公共投資主導型成長論、反TPP論など、経済学的見地から、これらを冷静に見つめなおし、誤解を解きながら、改革を進める後押しをしたいということなのだろう。

 一つの狙いは、著者の危機意識、危機感を伝えたいということである。

 小峰さんは、本書の「はじめに」ということころで、仰っておられるように、日本経済研究センター時代に金森久雄さんと一緒に仕事をしていた時のお話を持ち出しながら、自分自身もかつては経済に対し極めて楽観的であったとおっしゃる。、日本には数々の危機、例えば、戦後の混乱から石油危機、バブルの生成と崩壊、リーマンショックなどの出来事があり、その度に「日本経済は沈没する」「日本経済はもうダメだ」という議論が繰り返されてきたが、小峰さんは一貫して、「日本経済には適応力があるから、経済環境の変化に応じて再生するに違いない」考えてきたし、そう考えて間違ってこなかったと言う。  

 ところが、最近、「日本経済は本当にダメなのではないか」と思うようになってきたらしい。遅々として進まない財政再建や社会保障改革、進まないどころか逆行しつつある構造改革、グローバル化どころかますます内向きになる政策姿勢、そうした中で確実に進行しつつある人口の少子高齢化、そして絶望的な政治の状況。とてもではないが、痛みを乗り越え、将来の成長のために、今、大改革を断行するというようなことは望みがたく、先ほどご説明した話で申し上げると、このままではせいぜい、「停滞シナリオ」が描ければよいということを嘆いておられるのだろう。 

 経済学の罪という観点で申し上げれば、小峰さんの仰る通りで、経済学は過去発生した危機がどんなもので、また、それをどうやって克服していたか、きっちりとした検証や総括ができておらず、従ってそれをベースに、仮説を立て、具体的提言を行うといったところまで切り込むといったことが殆どなかったと思う。そして、事が起こるたびに、一部のことを大きく取り上げたり、思い付きというか、言いっぱなしということも少なくないのである。 

 そういう意味では、この本では「罪と罰」というかたちで、過去の経済政策や事象の実証からスタートしようとする試みは、大変意義のあることであると思う。

 私は阪神淡路大震災の後、都市再生戦略策定懇話会座長として、現在、東北大震災の復興推進委員会委員長として頑張っておられる五百旗頭さんたちと、震災で起こったこと、行ったことなどの被害や問題点、そして行った対策との抽出し、効果を検証してきたつもりであるが、伊藤光晴さんは科学であるからには実証ができていないと駄目で、実証研究がきちんとできているなら、その分野を高く評価したいとのお話を頂いたことがある。  

 さて、話を戻すと、本書の構成は前半が過去の検証、後半の6、7章は上述のような危機について書かれているのであるが、まず、罪にについて見てみよう。例えば小泉構造改革については、この改革が実施された時期に、実際には所得格差が縮小したにもかかわらず、逆のことが喧伝されていたことが記されている。

 また、ブータンという国が世界で一番幸せな国と言われているが、実際にはブータンの統計処理の方法を理解しないで起こった錯覚で、ブータンと同様のやりかたでデータ処理をすると寧ろ日本人の方が幸せを感じているといった意外な結果を披露している。 

 意外な統計結果ということで言えば、少し本書と離れるが、英国の経済誌「ロンドンエコノミスト(The World in2014)」が、国家の安定・安全に関するいくつかの指標を基に、いま世界でどの国が政治的に安定しているのか、社会的な不安が小さいのかを評価している。これによると日本は世界で北欧のノルウェーに次ぎ、2番目に安全な国と言うことなのだそうだ。

 *管理人注:同誌の安全の定義は下記の5項目でランキング

 ①核物質の取り扱いをめぐる政府の管理能力

 ②憲法体制が秩序のある政権の交代を可能にしているか

 ③政体を揺るがすような国際紛争に巻き込まれているか

 ④武力衝突の有無や可能性

 ⑤デモや市民の暴力的な集団行動があるか  

 話を元に戻して、もう成長しなくて良いとする脱成長論について、小峰さんは、無責任な議論であると退ける。低成長下で起きた原発事故まで経済成長の負の遺産であるという極端な僧侶の発言が、世の中で大きく採り上げられていることを憂うるとともに、この種の脱成長論は昔からあるが、本来国がやるべきことから目をそらす危険があるとして、批判しているのである。 

 人口減少論も然りで、この問題に関して悲観論が言われて久しいが、人口減少と1人当たりGNIとの間には全く関連性がないという本書の主張は正しく、生産性の向上と女性の積極活用が鍵を握るという指摘も正鵠を得ているだろう。

 日本型雇用慣行についての指摘についても、一般には日本の強さの源泉であるという言い方をされることが多いが、グローバル経済下において、本当にそうなのかという視点で、冷静にその弊害を論じている(本書では日本型雇用慣行は「罪」と言い切っている)。 

 以上、少々、ポイントを絞って、日本経済に関する誤解について見てきたが、では、どうやって改革を行うか?本書の終章には、改革への最大のバイアスは民意という思い切った主張をされているが、これに関して、少し別の視点から考えてみたい。 

かつて、三木谷良一さん、伊賀隆さん、村上敦さんと「現代経済の常識」(有斐閣1977年11月)を上梓したが、いろいろな大学で教科書として使っていただいたこともあり、17刷も版を重ねることができた。その中で、ケネス・E・ボールディングが提唱した交換(exchange)、 統合(integration)、脅迫(threat)という考え方を紹介したい。 

 交換は経済関係を示しており、自分自身ですべてを充足できない以上、お互いに利益がある限り、一定の組織内で個々が結びつくことになる。尤も、交換システムは、ともすると、金融システムというか、マネーゲームが代表的であるが、短期的収益を追及しがちであるというのが難点である。

 さらに一歩進んで、理想的な組織のあり方は「統合」によるものであり、交換がうまくいって、お金がたまっても、統合が不十分であると、必ずしも幸せということにならない。例えば、皆さんの家庭が幸せなのは、透明性が確保されており、別の言葉で申し上げると、隠し事がないということだが、その上でお互いが夫々の役割を認め合い、必用な協力を惜しまないという関係が出来上がっている。たとえ何かの事情で収入が少なくなったとしても、夫々がお互いを慮って、我慢し支え合うのが良い家族である。そういった中で、信頼感が生まれるのであり、これが、統合の状態ということになる。 

 統合がうまくいかない場合は、脅迫の出番ということになるが、国家レベル、政治の領域では一定のところまで、この脅迫システムを機能させなくてはならない。即ち、法規制や警察、裁判制度などである。但し、この脅迫を家庭に持ち込むことは禁物である(笑)。きっと不幸な結果しかもたらさないだろう。 

 以上、「交換」「統合」「脅迫」とい3つのシステムを論じてきたが、これらのシステム或いは、制度だけで世の中がうまく機能し、発展するわけではない。特に改革を断行しなければならない時には、優れた、そして私心のないリーダーの存在も欠かせない。例えば米沢藩の上杉鷹山がそうである。藩主自ら粗食に耐え、藩士とともに地道な改革を行った。また、松代藩の恩田木工も、質素倹約に加え、領民の声に耳を傾け、さらに、皆に痛みを求めるような改革をするため、妻と離婚し、子供とも別れ、本気で改革を行ったのである。

 話は飛ぶが、離婚してまで使命を達成しようとする人がいる一方で、別のことでお騒がせしているリーダーもいる。

 ポール・クルーグマンはニューヨーク・タイムズ紙の最近のコラム(JAN.?、2014「Scandal in France」)の中で、「フランス大統領が緊縮財政を選択したことは、自身が起こした女優とのスキャンダルと同様、恥ずかしいこと」と揶揄、「きっと、フランスは日本型デフレーションに陥る」と警告している。  

 さて、「民意に従う財政再建はあり得ない」という見出しで始まる、第7章の「民意のバイアス」に関し、一言申し上げておきたい。小峰さんの主張では民意は短期的で、自分の周りのことだけで判断しがちであり、民意が改革の敵であるとの思い切ったことを仰っておられる。そして、政治家の行うべきことは単に「民意に従うこと」ではなく、「民意を説得する」ことである旨、特に強調しておられる。

日本の将来を考えるとき、小峰さんが言われるように、政治家の果たすべき役割は特に重要性を増していることは間違いないところであるが、日本の国会議員は欧米とは異なり、立法者(lawmaker)ではない。例えば、米国では独占禁止という立場から制定された、シャーマン法、クレイトン法などがあるが、法案名は基本的には法案を提出した議員の名前に因んでいる。今もその伝統を引き継いでいるが、それを可能にしているのがシンクタンクの存在である。米国全体でシンクタンクは1000近くあり、ワシントンDCだけで100団体もある。シンクタンクには政治家、学者、官僚、財界などから、多くの人が入り込み、いろんな意見を取り込みながら、国家戦略から個別の政策まで具体的な提言をつくりあげている。

 残念ながら、日本では、こういった仕組みはないが、シンクタンクの仕事を担っていると言えるのが官僚である。蔭山君は安倍内閣が長期政権となる可能性が高く、また、官僚に対する一定の人事権を有していることから、最近の歴代政権の中で、最も官僚をうまく使いこなすことができるのではないかといった期待感をこめた発言をしてくれたが、確かに、抜本的な改革を可能とする環境が漸く整ってきているのかもしれない。つまり、向う3年、選挙がない政治家が主導して、官僚が構想した政策を、ボールディングの「交換」「統合」「脅迫」の3つを使い分けながら、民意のバイアスを回避すると同時に、ともすると東日本大震災を上回るダメージが予想される東南海地震の被害を最小限にできるように、十分な備えをする。この場合、東京一極集中リスクを排除することも重要であることを付言しておきたいが、こういった自然災害にも事前に対策を講じながら、着実に未来の成長に向けた対策を打っていくチャンスが巡ってきたのかもしれない。  

 最後に、本日は、私が今年卒寿ということもあり、多くの方に集まって頂いたのだろう。改めて御礼を申し上げたい。医者によると、寿命は遺伝子と生活習慣に依存するそうであるが、どうも、私はあと、最低2年くらいは生きられるとのことである(笑)。皆さんも、私の年までは、少なくとも生きられるよう、生活習慣というか、お体に留意され、引き続き頑張ってください。本日は本当にどうも有難う。 

   -2014年1月18日神戸ステラコートにて/文責:管理人