ゼミ読書会  by   新野幸次郎ゼミナール

新野先生のコメント2006年
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松谷明彦・藤正巖著 「人口減少社会の設計」 」中公新書2002年6月及び

高橋乗宣編・共同通信社 「人口減少パニック」PHP研究所2006年8月

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  少子高齢化、人口減少というと、マイナスイメージが強いが、「人口減少社会の設計」では、特に労働時間あたりの所得というユニークな尺度から、戦後日本の経済成長が必ずしも日本人を幸せにしなかったこと、人口減少社会が様々な問題点を抱えつつも、一人当たりの所得の増大や余暇の拡大、地価の下落等、未来を前向きに捉えている。(著者の一人である藤正氏の「ウェルカム・人口減少社会」という著作の中で、さらに楽観的な視点が示されている。)ところで、本書の人口減少=経済の縮小という論点は国内だけの閉鎖経済ならその通りかもしれないが、現下のグローバル経済を前提とすると日本経済は将来も拡大の機会を失ってはいないと考えられること、日本的経営は戦時経済体制の必要性から政府がつくった(p27)というのは誤りで、第一次大戦を経て、技術者養成・確保の観点から終身雇用・年功制が始まったとするのが経済学では定説となっていること、労働時間あたりの賃金の多寡で幸福の度合いを決めるというのは少し一面的であるといわざるを得ないこと、石油ショックの対応で日本的経営の勝利とも言われていた賃金上昇の抑制がその後の技術革新の遅れやバブルを発生させた基本的要因であるというが、論拠が薄い(さらに第一次オイルショックにおいては日本も低迷した)こと、人口減少社会に適合すべき技術革新の可能性についての分析が無いことなどは指摘しておきたい。しかし、少子高齢化は確実に嘗て無い程の大きな変化をもたらす。何よりも大切なのは、この変革による問題点や矛盾点をただ指摘し悲観するのではなく、その変化をどう予想し、対応していくかということである。

 例えば、人件費が割高にならざるを得ない中、国内で成り立つ高付加価値産業とそうでない(海外移転が予想される)産業、或いは付加価値が低くても国内でしかできないものはなにかを見極めることや高付加価値経済を目指す場合、米国で540万人の職業訓練をし、生産性向上に一定の寄与があったとされるコミュニティカレッジを日本で導入出来ないか等々、議論は尽きないだろう。尚、「人口減少パニック」は共同通信社が集めた事例やデータを中心に高橋氏がまとめあげた本で、新しい動きの中に将来へのヒントをお感じになったのではないか?学者はともすると論理を重視するあまり、現場の動きに鈍感であることがあるが、自省をこめて本書をサブテキストにした。(平成18年10月21日、文責:管理人)

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小峰隆夫著 「日本経済の構造変動」 岩波書店2006年3月

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本書は著者の3人の恩師から学んだ市場メカニズム重視(根岸隆氏)、経済は人間のためにある(宮崎勇氏)、世代の自立(香西泰氏)という基本的哲学をベースに、日本経済の短期的なデフレ、中期的な不良債権問題という二つの課題を克服していく課程を明らかにしつつ、長期的な課題である構造改革の行方と方向性を提示しようと試みている。分析対象が日本型雇用や企業経営の改革、産業構造の変化、金融システム及び公的部門の改革、地方分権及び少子高齢化と幅広いが、著者が元経済官僚出身ということもあり、網羅的・総括的によくまとまっており、昨今の経済問題を議論するうえで格好の材料を提供していると言える。

逆に?市場メカニズムがなぜ最高で、そこから生じる所得格差や最近頻発するモラルハザードの問題等市場メカニズムの欠陥をどう改善するか?経済は人間のためにあるという割には、労働問題などを論じた部分等含め、全般的に放任というか、そういった視点で殆ど論じられていない?パソナの南部さん他からお話をお伺いする限り、日本的雇用は本書で論じられている以上に現場では大きく変動している点(今後の特に事例を中心とした研究に期待したい)?香西氏は財政問題の観点から福祉を中心に[世代の自立]というユニークな主張を展開されており、必ずしも本書のように次代の産業まで次世代が決めるという処まで踏み込んだものではないが、最近、家庭に関する悲惨な報道が相次いでいるように、世代の自立といより寧ろ、親子、家、教育といった世代間をどう調整するかといった問題が喫緊の課題となっている点等々、紙面の都合もあるだろうが、少し物足りなさを感じた読者も多かったのではないか。

 ところで「自立」には「正しい個人主義」の確立が不可欠で、河合隼雄さんによれば、阪神大震災の際、日本人は暴動や略奪行為がなかったことで海外から礼賛されたが、一方、他国からの捜索犬提供の申し出を緊急時におけるひとの命の重さよりも、検疫という一面から拒否した事なかれ主義は未だに伝統的な「世間」が日本人の思考の中心にあって、明治時代に「individual」の翻訳から生まれた「個」という概念が日本に十分根付いていないことの証左であり、この問題の根深さを感じる。

(平成18年7月15日、文責:管理人)

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ビル・エモット著 「日はまた昇る」 草思社2006年2月

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経済のグローバリゼーションの大きな流れに適応できず、且つ、負の遺産の処理にも追われた日本は15年にも及ぶ長い低迷を経て漸く復活してきた。その要因として、本書では、小泉政権の掲げた構造改革が極めて漸進的であるが、幅広い分野で小さな変化の積み重ねを誘発し、着実に三つの過剰、即ち企業債務の過剰、生産力の過剰、労働力の過剰を解消させてきたことにあるとしている。特に労働市場においては日本型雇用制度自体が大きく変貌を遂げたこと、正規社員の割合が大幅に低下したこと等、労働コストの引き下げが広範囲に実現したが、同じ問題に悩む仏国や独国が未だに有効な手が打てず、競争力乃至経済が停滞を続けていることを考えると明快な論理を展開していると言える。

 本書の真骨頂と言えるのは後段の政治、アジア外交、靖国を扱った部分である。特に靖国の問題をこれだけ論点を明確にして解説をし解決策を提示してくれているのも貴重だ。中曽根元首相、小沢一郎民主党党首も同様の主張を展開しているが、残念ながら日本国内ではあまり整理された議論がなされていないのが残念である。日本人は原理主義的な行動や議論は苦手で、私自身、先日「赤毛のアン」(ボストン郊外が舞台だそうである)の原書を読んだが、小さな少女が堂々と自説を主張するのに新鮮な驚きを感じた。また、文化庁長官の河合隼雄さんが欧米人は「I(私)」を重視したコミュニケーションをするのに対し、日本人は主語をあいまいにした議論を展開していくと仰っておられたが、こういった国民性がこれらの政治問題に関し冷静な議論できない土壌を作っていると言える。郵貯問題で衆議院の解散に打って出た小泉首相のやり方はある意味では原理主義的で例外であるかもしれない。

 さて、本書でも取り上げられている南京大虐殺が誇張であったかどうかは別にして、ロシア革命前後では数千万人規模、文化大革命では数百万人規模の犠牲者があったとの報告もあるが、国内ではあまり知られていない。TV等で報道される反日デモも実態は数十人から数百人レベルで政治的に殆ど影響のないものもあるようで、素人のコメンテーターが適当な解説を加える報道番組のあり方も含め、マスコミにもそれらの責任の一端がある。とは言え、元々、政治は学問として整備されにくいが故、継続的に政治について知ろうという皆さんの姿勢が何よりも重要である。

(平成18年4月22日、文責:管理人)

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ラケシュ・クラーナ著 (加護野忠男監訳) 

                               「カリスマ幻想」 税務経理協会2005年11月

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    本書を監訳された加護野先生は、元々、米国流の経営が賞賛・喧伝される中、日本的経営の良さを守るべきだと言う自論を展開されているが、本書もその流れに沿ったもの。

 マックス・ウェーバー研究の第一人者で『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を翻訳された大塚久雄さんは、ウェバーの解釈として、単なる利益追求が近代資本主義を成立せしめたのではなく、寧ろ、反資本主義的なプロテスタンティズムがその成立過程で不可欠であったのだということを強調されている。本書に関連して、特に重要なのは、職業倫理観であり、神から与えられた使命としての「天職」に徹し、神の栄光と隣人愛のために営利事業を営むことによって近代社会の発展を促した。

 本書では、投資家資本主義に呼応したかたちのカリスマCEOの台頭により、かつて、資本主義が有していた良き「倫理観」を失わせ、自らの在任期間だけの短期的な収益と法外な報酬を獲得していく過程等、米国流資本主義の最大の弱点と言ってよい問題点を事例を中心にユニークな分析と議論を展開している。 

単純なビジネスの世界以外にもこの問題は波紋を広げている。ハーバードビジネススクールのある理事は在任中、資産の平均的な運用利回りを15%にし、資産を4倍の2兆円に乗せたことで、年俸は2500万ドル得ている。こういった話が米国では一般化している。

 資本主義の原動力は利潤追求であるが、その利潤は財やサービス若しくはアイデア提供しつづける個々の社員が生み出す。経営者と社員との関係を考える上でも、是非、皆さんでこの問題を考えてみて欲しい。 

 ところで、本書の中には新古典派的な経済学について、批判的な論議が展開されているが、新古典派経済学は物理学に類似した分析手法にその源流があり、本書に書かれているようなCEO市場に適合することはご指摘のとおり無理がある。但し、新古典派は既に市場原理主義者と言われる研究者だけではなくなってきていることも事実。古くは不完全競争の議論や、かのコースの提唱した取引コスト、或いは最近目覚しく発展してきた心理学的な発想、行動科学、認知学等を経済学は取り入れつつあることも念のため申し上げておく。

(平成18年2月4日、文責管理人)