ゼミ読書会  by   新野幸次郎ゼミナール

ー新野先生のご講演録ー
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ホームページ管理人が聴講させて頂ぎました新野先生のご講演やゼミ総会等でのご講演録です。

-文責は管理人にあります-

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平成29年幸ゼミ読書会の新年会でのご挨拶/2017年1月14日(於:松迺家)

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 先ほど読書会が25年目を迎えたということを聞かされたが、本当に有り難いことだと思っている。五百旗頭君は大学卒業後、こういった形で読書会を定例的にやっているのは他にないんじゃないかと言ってくれている。そう言えば、凌霜会がやっている凌霜午餐会の方も毎年、新年の例会で私がお話しすることが恒例になっており、こちらの方も平成5年より始めて、25回目となったという話を先日してきたばかりなのだが、後から考えて、本当によく続いたなあと思う。私は今もいろんな団体や会とお付き合い頂き、座長などをさせられるものだから、いつも自分自身がなんかやらないといけないという気持ちを持っており、それが支えになって、結果、長く続いてきたのかなとも思う。

 幸い、大きな病気は患っていないが、最近、少し腰が痛いので、ちょっと鐘紡記念病院で診てもらった。因みにそのお医者さんは私が大学にいるときは、神戸大学の学生だったようで、私をその頃からよく知っていると言ってくれているのだが、そのお医者さんの骨粗しょう症の診断では、私の骨は20代と同じ密度があり、同年齢の平均の120%なんだそうである。

 また、耳も少々遠くなった。狭い部屋ならまだいいのだが、テレビでも音量を「20」にしないと聞こえなくなってしまった。尤も、こんな話をしたら、元阪大の熊谷君は私より四つ下なのだが、熊谷君の奥様によると「うちの主人は28までボリュームを上げないとダメだから、ずっと若い」と言って笑っておられた。補聴器でなく何か良い集音器があるようなので、これを買い求めて、頑張るつもりである。

 かの日野原重明さんは105歳で、私なんかより、ずっと凄いが、秘書が3人もついているらしく、一人ではできることが限られるみたいで、私は今のところ、一人でやるべきことはすべてできるのだが、動けなくなっても、誰かに手伝ってもらいながら、何かやりたいと思う。

 蔭山君も忙しいところ駆けつけてくれたが、100年前まで、大阪は東京を圧倒しており、その頃は経済のいろんな指標で神戸も東京より上だったのだが、大企業の本社が東京に行ってしまってから、地盤沈下してしまった。企業が関西に戻ってきてくれたらいいなと期待しても仕方がないので、新しい発想でいろいろ企画してほしい。京阪神は日本で文化の集積度が圧倒的に高く、いろんな知恵もある。どうか京阪神の良さを生かすような構想を持って、関西を盛り上げていってもらいたい。

 最後に、ゼミ生では森君や三木君が病気で大変なようだが、何かやるんだというような気持ちを持って、頑張って、何とか病気を克服して欲しいと思う。また、皆さんも、それぞれの分野で何かやってみようと前向きに考え、行動を続けると、病気になりにくいし、なっても、それを支えに頑張れる。そんな気持ちで、また、一年、頑張ってほしい。

 本日は本当に有難う。                  (2017年1月14日 松迺家にて)

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新野先生の平成28年度幸ゼミ総会でのご発言

−平成28年9月25日 於:神戸大学六甲台学舎社会科学系アカデミア館−

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今日は35名のゼミ生に集まっていただいて、今年もまたOB会を開催できましたことをうれしく思いますし、また、お礼を申し上げたいと思います。また、田中先生にはいつも会の企画、ご手配、司会などお引き受け頂き有難うございます。

今日の背広ゼミは32回生の豊田君の「日本の企業文化を考える」というお話で、グローバリゼーション化や情報革命などの影響もあり、崩れてきているとは言え、労使協調で長期雇用を前提とした日本の強みについて、いいお話を頂いた。豊田君は調査マンとして活躍してこられたが、これからは、シンクタンクの経営者としての、組織を率いていかれることになるとのことのようだが、是非、頑張ってもらいたいと思います。

話は飛びますが、この前、凌霜会の辻本君が訪ねて来られて、神戸大学の名簿を見せてもらったのだが、相変わらずOB会費を納めていない卒業生が多いとこぼしておられた。今日、お越しいただいた方々はそんな方はおられないのかも知れない(笑)が、宜しくお願い申しあげます。

さて、先日、五百旗頭君と話す機会があったのだが、背広ゼミや読書会など、卒業してからもこうして定例的に勉強してみようというのは、他に聞いたことがないと言って、随分持ち上げてくれたのだが、これも、みなさんのおかげと思います。私はここ数年、いろいろ、やらされている仕事を後進に譲っているが、これからも、このゼミの活動は、続けたいと思っておりますので、是非、来年も時間の許す限り、集まって頂き、議論や旧交を温めて頂ければと思います。

今日は本当に有難う。

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新野先生の平成27年度幸ゼミ総会でのご発言

−平成27年9月26日 於:神戸大学六甲台学舎社会科学系アカデミア館

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本日は遠方を含め34名ものゼミ生の方々に、集まり頂き、このようなかたちで、OB総会を開くことができて、大変うれしく思っています。

 先ほどの和田君のスピーチの中に民主主義国家の代表のように言われているアメリカで、黒人の参政権が認められたのは1965年のことであり、そんなに昔のことではないと言った話がありましたが、(管理人注:米国の普通選挙制度成立は1920年であるが、1965年投票権法を経ても、1970年の「文盲テストの廃止」となるまで、大半の黒人は選挙から締め出されていた)少し話を付け加えますと、黒人が住民の8割を占める首都ワシントン特別区で、市長選挙が行われたのが1975年でありまして、黒人市長の誕生を阻止するということがその背景にあったんだろうと思いますが、それまで、米国大統領がワシントン市長(行政委員会委員長)を任命していたのです。70年代初めにワシントンで日本の市長は選挙によって選ばれると言った話をしますと大変にうらやましがられたものです。近代思想と呼ばれているものでも必ずしも、日本よりアメリカが進んでいるというわけでもないということなんでしょう。

 これと関連して、マックス・ウェーバーは名著「プロテスタントの倫理と資本主義の精神」の中で、近代西洋社会は、利潤追求と正反対の利他的で、その意味では、反資本主義な考え方であるプロテスタントの精神が支配的であり、神から与えられた職業、、、「天職」ということなのですが、各人がこの天職を全うし、倹約しながら勤勉であったことにより、その後、西洋のみ資本主義発展が実現したのだという主張がなされたことは皆さんも良くご存知だと思います。

 一方で、山本七平さんの「日本資本主義の精神」(カッパビジネス、復刻版有り)には、17世紀半ばに活躍した鈴木正三(しょうさん)が取り上げられており、マックス・ウェーバーより240〜250年も前に日本にはプロテスタントの精神に匹敵しうる考え方が生まれたと書かれています。鈴木正三はもともと徳川の家来、三河武士でしたが、40歳半ばで出家、禅僧となり、思索の世界に入ります。中公クラシックスの『鈴木正三著作集Ⅰ・Ⅱ』(加藤みち子編訳)の「萬民徳用」というところには、万民の職業即ち武士、商人、職人、農民という天職を生涯、精進すると誰もが仏になれるということが書かれていますが、まさにマックス・ウェーバーの天職の議論を先取りしているようですね。

 さらに山本七平さんは、石田梅岩の思想、誠実さと勤勉、節約などを説いた所謂、石門心学が江戸時代中期以降、日本で町人は勿論、それ以外にも広く受け入れられたといったお話を展開していくのです。米国は、一見すると、消費者保護の強い国と言ったイメージなのかもしれませんが、ごく最近においても、サブプライムローン問題に見られるように、売り手はなんでもありであり、買い手に責任が集中するといったようなことが起こっています。一方、日本においては鈴木正三や石田梅岩など、古くから「貪欲」「贅沢」などを戒めており、その後、資本主義体制をとり、経済が発展するウェーバー流の精神的な基盤があったと言えるのでしょう。

 私は以前からケネス・ボールディングの交換(exchange)、 統合(integration)、脅迫(threat)の3つの話を皆さんにご紹介しておりますが、明治時代以前の精神文化があったこともあり、日本は理想的だと申し上げたらよいと思いますが、比較的、交換(exchange)と 統合(integration)の二つが程よく機能してきた国なのであり、多くの国でみれれるような脅迫(threat)システムを多用する必要が無かったのです。ITやグローバル化の時代にあって、日本のこれらの精神文化は世界に誇れるものであるとも思いますし、サブプライム以降、最近の中国問題などもそうだと思いますが、混迷する世界経済を再建する上で重要なポイントになる考え方ではないかとも思います。

 以上簡単ではありますが、私の話はこれくらいにしたいと思います。皆様におかれましては、益々元気で頑張って頂きたいと思うところですが、、、和田君でも、確か72歳だったかな、私は70歳の時に阪神淡路大震災に遭遇し、以来、10年に亘って神戸の復興のために頑張ってきましたが、そういった意味では、皆様はまだまだ、お若いし(笑)、それぞれの分野で力を発揮され、活躍できる場も多いのではないかと思います。

 最後に31回生の鈴木君の訃報に接し、本当に残念でなりません。興銀では特に中国ビジネスの第一人者でご活躍され、ゼミでも中国経済について興味深い講演をしてもらった記憶が蘇ります。心からご冥福をお祈りし、私の挨拶とさせて頂きます。  文責/管理人

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【神戸大学ホームカミングデイ/水島銕也先生生誕150年記念事業】

             ご講演 「これからの神戸大学−水島銕也先生から学ぶこと」

-平成26年10月25日 於:出光佐三記念六甲台講堂-

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本日は、神戸大学のホームカミングデイの一環として、今年生誕150年をお迎えになる神戸高等商業学校の初代校長である水島銕也校長に関するお話をさせていただきます。今年の5月に水島校長がお生まれになった大分県の中津でも「中津の偉人、水島先生と神戸大学」と題する講演をさせて頂いておりますが、本日はこの会場に7名のご一族の方がお見えになっておられ、また、会場というのが水島校長の教え子の出光佐三さんの創業された出光興産のご支援で、全面改装いただいた六甲台講堂(出光佐三記念六甲台講堂)。そして、皆様の方からよくご覧になれると思いますが、この講堂の正面にある壁画は、中山正實画伯が描かれた絵ですが、中山画伯も水島校長の教え子です。そのような水島校長とのゆかりを感じざるを得ない場所で、こうして講演をさせて頂くと言うのも何かのご縁だと感じざるを得ません。

 さて、本日の講演は大きく3つに分けてお話をしたいとお思います。1つ目が学校経営者としての水島校長で、2つ目が教育者としての先生、最後が水島校長のお話から、何を学び取り、これからの神戸大学をどう考えていくべきかという3つです。

水島銕也校長先生は今ではとても考えられないことですが、僅か38歳で官立神戸高等商業学校の校長に就任されました。しかも、少し略歴を振り返ってみますと、中津から姫路に出てこられ神戸商業講習所、そういう意味では、この時、既に、神戸との接点があるということになるでしょうが、この講習所で勉強された後、当時唯一の高等商業、今の一橋大学ですが、ここをご卒業されました。そして大阪商業学校(校長心得)を経て、25歳のとき、藤田組に入社。さらに、横浜正金銀行(ニューヨーク支店)に移られた。私と違い、7年間も実業界にいらっしゃったというのが、重要だと思えるのですが、後に神戸高商で発揮された広い視野と数々のアイデアの源泉はこのご経歴にあったのかもしれません。その後、ご病気をされたこともあり、(東京)高等商業の教授に就任、簿記会計を教えておられます。そして、神戸高商設立を具体化していくことになる第二高等商業創立設計委員に就任。明治35年神戸高商が設立後、翌年36年1月に初代校長としてまさに白羽の矢が立ったわけ、以後、数々のユニークな試みを実践されたのです。

まず、最初に取り上げたのが、商業学校の卒業生に入学の機会をつくられたことです。当時、高等教育制度は、英国の「イレブン・プラス」を真似たものと言われておりますが、中学卒業の資格がないとその上位にあるナンバースクール(一高、二高)や高等農林学校、高等工業学校もそうなのですが、こういったところに入ることができなかったのです。水島校長は、国や東京高商からも反対されていたようですが、神戸高商の180人の入学定員のうち、40名を商業学校卒業者に充てるという当時としては画期的とも言える英断をされたのでした。

次に、水島校長は入学時期を前倒しされた。当時の帝大は7月入試、9月入学というのが一般的で、東京高商だけが6月の入学だったのですが、これを3月入試、4月入学に改めた。もっとも最初の年だけ、準備ができず5月に入学ということになったのですが、蛇足ながら、神戸大学はこのときの5月15日を開学記念日としています。さて、この3月に入試を実施するということになりますと、一高を受けるものたちが、まず、神戸高商の試験を受けるというような動きが生まれ、さらには、そのまま、神戸高商に入学する学生も多かったようです。先ほど申し上げたように、一方では全国の商業高校のトップクラスも受験しましたので、神戸高商の入学試験は大変な難関で、優秀な学生が集まったのです。

カリキュラムにも面白い工夫をしておらます。上述のように、商業学校の出身者を入学させましたので、中学卒業者とのレベルの調整が必要となって参りますので、水島校長は高商での4年間のうち本科3年と予科1年に分け、予科で一般教養、とりわけ商業学校卒業生には論理学や哲学、そして理系の数学、物理・化学などを学ばせたのです。一方、中学卒の学生には簿記や商売の仕方・人との接し方などを教えています。

先行する東京高商との違いや特徴を出すためというか、地元神戸の地の利もあったのでしょうか、神戸高商では貿易実務をしっかり教えるとともに、海外に羽ばたく学生の為に、語学教育を充実させた。英語以外の第二外国語としてドイツ語、フランス語、中国語に加えロシア語、そして、少し遅れてスペイン語まで選択できるようにしたのは当時、殆ど例がなく、まるで、語学専門学校のようだとも揶揄されたほど、国際的に通用する実践的な人材の育成に力を入れられたのです。

図書館の充実にも特筆すべき事例があります。それは、校長自ら電力会社と交渉され、図書館の夜間開館を実現しました。家や下宿にろうそくしかない学生の利便性を図ったものですが、そればかりではございません。なんと大学図書館を神戸市民にも開放したのです。海外では図書館は夜遅くまで開けるのが一般的で、なにしろ、授業を受けるための課題、宿題が多く、図書館にこもることが一般的ですので、自然にそうなっているのですが、私も学長時代、図書館の延長なども検討したところ、職員の手配や予算など、いろいろ超えるべきことが多く、実現できませんでした。水島校長の先見の明と実行力には本当に頭が下がります。

さらに、水島校長は図書館の市民への開放に続き、大学の講義も公開された。今では、いろいろな大学が公開講座を開いていますが、当時としては例がないと言ってよいと思います。1万人もの市民が、夜間講座を受けたのです。

日本には古来、空海が始めたという寺子屋の教科書、実語教というのがあり、江戸時代には庶民まで「読み書き算盤」ができたといわれる文化の素養があったのですが、こうして、一般に勉強する機会が与えられ、多くの市民がこれに参加したのです。参考までに、この実語教は安岡正篤さんの教えを伝える関西師友協会などが公開しています。

「友団」という制度も極めてユニーク。もともとドイツにブント(BUND)と呼ばれる「同盟」を意味する仕組みがありますが、これにヒントに、学生を主に出身地別に最終9つの友団に分け、さらに、教職員もその中に割り振り、お互いに、学問やスポーツなどを中心に交流する仕掛けをつくられた。中には下宿まで一緒ということもあったようで、そんなこともあり、神戸高商の学生は本当に仲がよく、吉田松陰の松下村塾を文字って、当時神戸高商のあった葺合をかけて「葺合村塾」と呼んだようであります。

ゼミナール制も特筆すべきでしょう。当時東京高商の専攻部で行っていたゼミナールを学部レベルにまで導入されたのですから、、、。原則週一回の開催で、先生を中心に皆で議論を深め、最終、研究論文に仕上げていくというものです。もう40年も前になりますが、大学の75周年事業の際に、出光佐三さんや石井光次郎さん等ともご一緒にお会いしたことがあります。本日、その出光佐三さんの筆で書かれた立派な論文が展示されています。いずれにしてもゼミナールにより、教師と学生の距離が極めて近くなり、家族ぐるみで学生と付き合う先生も多かったのです。

最後に、教職員に対するリーダーシップについて申し上げたいと思います。

小林喜楽先生によりますと、水島校長は、特にもの言わずして、周りの人が動くといったことであったらしいです。勿論、先ほどから申し上げております、従来の学校になかった数々の制度を整えていくにあたり、各方面に働きかけ、粘り強く説得し、果敢に実践されたのですが、一方で大変に細やかな心遣いをされたのです。この心遣いが人をやる気にさせたのでしょう。

例えば、経済地理学の石橋先生が結核になられて入院された折、本来なら、3ヶ月、職場を離れると給与カットをしなければならないのですが、水島先生は石橋先生が復職される約1年もの間、全額給与を払いつづけたのです。しかもそれだけではなく、復職後、すぐに出された辞令は「別府出張を命ずる」というもので、暫くゆっくり療養することだと悟った石橋先生は、水島先生の思いやりになんとか応えようと、以後、懸命に努力されたそうです。

ロイ・スミス先生が結婚のためアメリカに一時帰国しなければならなかった時もそうでした。水島先生はそっとスミスさんに旅費を渡し、さらに、アメリカの大学院での研究費まで支給されたらしい。こうやって、職員のモチベーションを引き上げ、そういった人をつくることで、結果としてすばらしい学校にしようとされたのでしょう。

次に教育者としての水島校長の足跡をお話したいと存じます。

先ほど、神戸高商は定員が180人と申し上げましたが、予科、本科を併せて4年ですから学校全体では700名くらいの学生がいたことになります。水島校長はこれらの学生のひとりひとりの名前を覚えておられたらしい。

 現在の神戸大学は7,000人の学生がいますので、とても、生徒一人一人の名前を覚えることは不可能でしょうが、ただ、学生との関係に限らず、人と接するには、まず名前を覚えることが基本です。実はハーバード大学ではこの基本を実践しているらしいです。何しろ、生徒の成績は単にペーパーだけではなく、大学で議論する中で決まるのですから、生徒の名前がわからないと点数がつけられない。トイレの中で必死になって生徒の名前を覚えた先生の話を耳にすることがあるくらいです。

 さて、東京高商で教えておられたころ、身寄りがない学生が結核にかかると、先生は療養関係のお世話を全部引き受けられ、不幸にしてその生徒がなくなられたとき、お墓まで建て、「友人水島銕也之を建てる」と揮毫された。また、学生の下宿が火事で焼け出されると、次の下宿が決まるまで、自分のところに宿泊させたいった話も伝わっております。

 この講堂の壁画を描かれた中山正實さんは神戸高商を出て、本格的に絵描きを志すことになりますが、その為にもなんとか東京に出たいと水島先生に無理なお願いをした。即ち、「両親が尊敬する水島先生の元を離れ、東京で絵を習うなどと言おうものなら、特に母親は泣いて止めようとするだろう、、、。」すると水島校長は「東京高商の専攻部に中山君を行かせてほしい」と両親に中山さんの東京行きを説得されたのです。このようなことまで、面倒を見てくれたことに対して、感謝の気持ちでいっぱいの中山画伯はこの講堂以外にも、図書館に壁画を残しています。図書館に壁画が残っているのは神戸大学だけですが、中山画伯はこの壁画に水島校長の思いを描いている。タイトルは「青春」で、お手もとのパンフレットにある絵がそれですが、左手に天に向かって指さす老人が描かれており、この老人が水島先生だそうです。水島校長は同郷の漢学者広瀬淡窓の詩をよく口ずさんでおられたようで、この絵は淡窓の詩「桂林荘雑詠」の一節がモチーフになっていますが、ご覧のとおり、水島先生と若い教え子たちを描いたものなのです。淡窓自身3500にとも5000人とも言われる塾生を抱えていた教育者で、常々、人は単に品行方正であるだけではだめで、情を尽くすと同時に、詩の心を持つべきであるといったことを言われているのですが、水島先生との相通ずるものがあったに違いありません。ちなみに中津での講演会において電報を頂戴した現大分県知事は広瀬淡窓の血筋を引いておられるようです。その中津では福沢諭吉が有名で多くの人材を育てましたが、水島校長が育てた人材も、例えば前述の出光佐三さんや石井光次郎さん、トヨタの初代社長豊田利三郎さん、白鶴の加納さん、そして、日商の高畑さん、、、この時代、商社と繊維は高商出身者ばかりだと言われたこともあったようでありましたが、福沢諭吉さんと遜色ない教え子の顔ぶれではないでしょうか?

 少し話が飛びましたが、そんな先生ですから、水島校長が肺炎にかかられたときは、多くの教え子が神社仏閣で祈祷し、まるで自分の家族が病気であったように心配し、一刻も早いご回復を願ったということです。ところで神戸大学は「真摯」、「自由」「協同の」3つを校風として掲げていますが、これは神戸高商の後身、神戸商業大学の初代校長となられた田崎慎治が「水島先生の高徳の下に吾等一同が同心協力して事に当たるに因るものであると信ずる」として、真摯,自由に加え,協同を大学のモットーとして加えたものなのです。

さて、最後に神戸大学のこれからを考えたいと思います。今、日本の大学は大きな変革を迫られています。資源のない日本では科学技術の発展こそ大事で、それを実現するための社会制度とそれを生み出す人づくりの重要性は益々高まっていると言えるでしょう。

ところが、今の文科省のやりかたは、一律の基準をつくり、それを達成できると補助金を出すというやり方ですが、これで、大学は新しいことを創造し、それにチャレンジし、また、教官や研究者の自主性や、やる気を引き出すことができるのだろうかと考えてしまうのです。文科省のコントロールも問題ですが、さらに、大学にかける予算はGDPの0.5%で、米国の半分、世界的にみても最低レベルで、しかも、毎年のように引き下げられているのが実情なのです。

ところで、バートランドラッセルは「教育論」の中で教育の目的は「感受性」「知性」「勇気」「活力」の4つを掲げておられ、単に知識の習得を目指すことではないと言っておりますが、本日お話した水島校長はまさにその4つを慈愛をもって実践されたことがおわかりでしょう。このような時代だからこそ、我々は原点の水島校長の精神に立ち返り、単に知識だけではなく、人間をつくる。神戸大学でしかできない人材を生み出して行く。そんな大学にしていかなくては、ならないのではないでしょうか。本日はご清聴ありがとうございました。(平成26年10月25日、神戸大学出光佐三記念六甲台講堂にて/文責:管理人)

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新野先生の平成26年度幸ゼミ総会でのご発言

−平成26年9月21日 於:神戸大学六甲台学舎社会科学系アカデミア館−

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本日はご多忙にもかかわらず、こうして皆さんのお元気な姿を拝見する事ができ、本当に嬉しく思っております。また、今年は私が卒寿を迎えたということで、皆様からいろいろお祝いをしていただいた。改めて御礼を申し上げます。

さて、長寿ということで申し上げと、健康を維持するためには、主に二つの要因に依存する。そのひとつがDNAで、これは親から受け継いだものであり、ある意味、運命のようなもので、どうしようもない。いまひとつの要因が生活慣習で、こちらのほうは自分の努力でなんとかなるわけで、そのためには適度な運動と何か一生懸命やれるもの、趣味だとか仕事などがそれにあたるが、なにか新しい事に挑戦したり、体験する事が大事である。 本日の皆さんが順番に近況を報告してくれたが、いろいろなことに打ち込んでおられるようで、寿命にとって大変によいことであり、今後も是非続けてみてほしいし、また、さらに別の分野にもチャレンジしてほしいと思う。

私はこの年になっても神戸都市問題研究所の仕事をやらされているが、そのうち、自分で自分のことをちゃんとけじめというか、処置したいと思っているのだが、研は所の仕事も常に新しい事を考えたり、問題点を整理してみたりといった作業が必要で、皆様のお役にたっているか、自分では良くわからないが、少なくとも私の認知症の予防にはなっている。

さて、英エコノミスト誌(2014年6月14日)は「The Great Wall of Japan」というタイトルで特集を組み、東日本大震災後の復興計画を批判的に捉えている。同誌によると、農林水産省と国土交通省が作成した報告書には、延べ35,000qに及ぶ日本の海岸線のうち、14,000kmの部分に堤防や防潮堤を築く必要があると記されており、このレポートに基づき、巨大な防波堤・防潮堤建設計画が進められているという。安全のためとは言え、防潮堤は景観の破壊することは勿論、財政負担と効率性の観点、さらに堤防があるという安心感が事態を悪化させた事例も報告されているようであり、ゼネコン以外に笑えないといった内容となっている。かの安倍首相の奥さんも同様の主張をしておられるようであるが、まだまだ、より広い議論が必要であろう。

そういった意味で、本日の背広ゼミでの神谷君の女川町のお話は、大変意義深く示唆に富んだ内容であったように思う。若い経営者を中心に、事業を復興しようと頑張っている様子だけでなく、寧ろ、震災をばねに新たなリーダシップが生まれているという事例が大変に興味深い。それにしても若き須田市長の行動と考え方は素晴らしい。海沿いの大幅なかさ上げを行って街づくりをするが、反面、一切、町を堤防で囲わない、それどころか、町は危険なのだということを敢えて意識し続けるというのが、一番の防災だと考え、女川町の住民の考えをまとめあげたのである。

6000人を超える犠牲者を出した阪神大震災の時の復興委員会の顧問は後藤田正晴さんで、事実上、実務上政治家のトップとして陣頭指揮に当られたのであるが、インフラの復旧は国の責任おいて確実に実施するが、それ以上のことはできない、震災による焼け太りというのはあってはならないという基本的なスタンスを示された。

とは言え、神戸には隆々とした民間企業も多く、それらの企業は勿論のこと、役所、ボランティアから住民にいたるまで、よく頑張って、復興に邁進したのである。 

しかし、いつか、関西にもかつての南海地震にような巨大地震や津波が襲って来るだろう。さらに関東や東海も同様の危険が存在することは間違いない。寺田寅彦さんは、日本は常に天災と向き合って生きて行くしかなく、必ず天災が起こることを前提に国づくりを行う必要があり、同時に国民意識を高めていかなければならないと考えた。この考え方はそのまま現代にも通用するが、残された時間と予算の制約の中で具体的にどうすべきか、早急に考え、対策を施していかなければならない時期に差し掛かっている。神谷君、そして、お集まりいただいた皆さん、本当に有難う。(文責:管理人)

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新野先生の平成23年度幸ゼミ総会でのご発言

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 今年も総会に、多くのゼミ生にご参加を頂きました。本当に有難うございました。これもひとえに、幹事の田中君のおかげだと改めてお礼を申し上げる次第であります。

 私も来年米寿ということになりますが、阪神淡路大震災が70才の時で、あの時、復興の仕事をやらされたのですが、今回の東日本大震災では、日本では大規模な自然災害が必ず起こるという前提で国づくりをしていかないといけないことを、今、痛切に感じております。

 先日(9月8〜9日)、元兵庫県知事の貝原さんのアイデアで自治体対策全国会議が、神戸で開催されました。宮城県の村井知事や南三陸町の佐藤町長、相馬市の立谷市長など、被災地の窮状を訴えられました。

 一方で、東日本大震災の復興対策本部で活躍されている自治省の岡本次長のお話がありました。氏によると震災直後より、各省庁に連絡をとるだけでなく、関係団体、有力企業などに掛け合い、食料、飲料、毛布から薬品、燃料、生理用品まで確保、自衛隊による配布を即実施したそうです。マスコミは政府批判ばかりで、なぜか、このような動きは伝えようとしないようですが、、、。 

 さて、会議の中では、従来型の近隣自治体との援助協定が無力でありまして、先に申し上げた首長さんが個人的につながりのある自治体に援助を要請したといった話がありました。近隣もみな、被災地であり、県のみならず地域の枠組みを超えた行政運営を行う必要性と被災地全体を統括する自治組織を設けることの重要性を強く感じました。

 今回の震災では今のようなお話以外にも、多くの課題があり、克服すべき問題がたくさんあります。物理学者の寺田虎彦は、日本は古来より天災の国で、天災が必ず起こることを前提に国の制度や仕掛けをつくり、教育を含め、国民意識を高めていかなければならないと考えましたが、今ほど、この考え方が重く受け止められている時代も無いのでしょう。

(管理人注:寺田寅彦は「防災」という言葉・概念を提唱、「天災は忘れたころにやってくる」も有名)  

さて、話は変わって、神戸都市問題研究所には「学海無涯」という書が飾ってあります。「学問の海は果てしなく、その大海を渡る船をつくって、それを乗って広い海に乗り出す。」といった意味があるのですが、私にとって。その果てのないものを求めていると感じることが楽しみでもあり、また、足りないものを自覚し補って行こうとすることが健康の秘訣なのかなと思うのです。皆さんも、ご健康には留意され、また、お会いできたらと思います。本日は大変有難うございました。

(平成23年9月18日 文責:管理人)

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新野先生の21年度幸ゼミ総会でのご発言

−平成21年9月20日 於:神戸大学六甲台学舎社会科学系アカデミア館− 

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 私も今年で84歳になり、60代、70代までは感じることがなかったが、流石に、人生のターミナルを意識するようになってきた。特に、今年、体調を崩し、皆さんに大変心配をおかけしたが、幸い、早期の治療をすることができたので、こうして、皆さんの前に顔を出すことができた。或いは「もう少し長く生きて良い」ということかと、そこは素直に受け止めている。

 幸せといえば、学者には「完成」ということがない。常に何かしなくてはならないという気持ちがあり、絶えず本を読んだり、議論したり、考えたりしていることが、幸せではないかと考えている。私のいる神戸都市問題研究所には「学海無涯」という書が飾ってあるが、私にとって、学問の海は果てしなく、その果てのないものを求めていると感じることが楽しみでもあり、また、幸せでもある。寿命とか健康は遺伝子と生活習慣に依存するということらしいが、遺伝子はある意味では運命であり、どうしようもないところがあるが、生活習慣は自助努力ということだから、こういった気持ちを持つこと大切であろう。このことは何も学問だけということではない。「かっぽれ」を外国にまで出かけて踊るというゼミ生がいるようだが、皆さんの身近なところで、こういった幸せがあるはずである。

  さて、本日の発表者の西田君がイノベーションを取上げてくれたが、為替を円安にして、従って、製品価格を割安にして、輸出で稼ぐという従来のやり方は、常にコスト競争に晒され、絶えず人員の合理化を伴い、豊かな今の日本では、既に限界に来ている。そういった意味で、やはり「科学技術」が国を牽引するような、体制とか、かたちにしなくてはならない。そのような事例と言って良いと思うが、神戸に篠田プラズマという会社があり、もともと富士通の技術者の篠田さんが、起こした会社。富士通では、プラズマの研究が打ち切られた後も、個人で技術開発を続けていたそうであるが、その篠田さんが、この度、横3m、縦2mの大型プラズマ画面をつくりあげ、相当な値段で販売したそうである。誰も作っていないからこそ、いい値段で売ることができる。賃金の安い分野でなく、このような技術革新型の企業のあり方こそが、今後の行きかたというか、進むべき道を示唆しているように思える。 

 また、読書会の参加者はじめ、いろいろなところでお話をしているのだが、NHKの「ルソンの壺」に取上げられた伊那食品工業の塚越さんが提唱されている「年輪経営」が興味深い。良い木はゆっくり成長し、したがって年輪が蜜で丈夫な木となるように、企業もゆっくり成長するほうが良いと考える。今の売り上げを一時のブームと見るか、フォローの風によるものなのか、または、当社の商品力がニーズを引き出したのかといった視点で冷静に分析し、商品力、言い換えれば本当の実力によるものでない限り、設備投資はしないし、大口の受注も受けないという。また、会社の金庫の中には社員の写真が納めてあるそうで、人を中心とした経営を実践されている。

 これと関連して、田坂広志さんは「Invisible Capitalism(目に見えない資本主義)」(東洋経済新報社)という本の中で、資本主義の成功はモノやカネのような目に見えるものではなく、人間関係などの目に見えないものの果たす役割を強調されている。日本の伝統的な企業の特徴は、このような目に見えないものを多く持っていることであり、サブプライムを引き起こした、お金を中心とした企業のありかたを否定し、もっと日本的経営が再評価されるべきであるとする。ヘーゲル哲学の立場を強調するあまり、論証の仕方が本当に説得力のあるものになっているか、或いは、そのような「インビジブル・キャピタリズム」をどう実現させていくべきかということについては、あまり触れられておらず、少々わかりにくい部分があると思われるが、いずれにしても、大変に面白い視点を提供しており、皆さんも是非、一度手にしてお読みになったら如何だろうか。 

 最後に、こうして忙しい中、30有余人が、ゼミの総会に集まってくれて、本当に有難いと思っている。また、有馬温泉に一緒に過ごしたメンバーから、自分も頑張ろうという気になったという手紙を頂戴したが、そんなところに私の生きている意味があるのではないかと思う次第であり、そういった意味で、皆さんに改めてお礼を申し上げたい。(幸ゼミ総会にて:文責管理人)

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新野幸次郎先生 幸ゼミ総会 ご講演要旨

           −平成19年11月23日 於:神戸大学六甲台学舎社会科学系アカデミア館−

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 冒頭から、少しおかしな言い方かもしれないが、80歳を超えてくると「生きることはターミナルに近づくことである」と体で実感するようになってきた。私が軍隊に入ったのが昭和20年2月で、沖縄に出征すると聞かされていたこともあり、国旗に「生死一如(せいしいちにょ)」と書いて、お国のために命を捧げることを覚悟していた。道元は「生と死は互いに相手を妨げるものではない」とし、生死一如の考え方を伝えているが、そんな教えを出征前に般若林(神戸市兵庫区の曹洞宗八王寺)の住職から教わった。以来、道元に関していろいろ読んだ。「正法眼蔵」はなかなか難解であるが、中野孝次さんの『道元断章』(岩波書店)や栗田勇さんの『道元いまを生きる極意』(日本経済新聞社)などがわかりやすいかもしれない。 

 さて、渋沢栄一翁の一族で家族法の大家である穂積重遠(ほづみしげとお)さんの話が興味深いのだが、歌舞伎の「馬の足」を担当する役者が、馬場などに出掛けて馬の脚の動きを必死に研究し、日本一の馬の足を演じたと言う(筆者注:穂積重遠の『歌舞伎思ひ出話』という著作があります)。決して表舞台に出るわけでもないのに、こういった無名の役者が舞台を支えている、そんな生き方がある。東大の田中耕太郎さんは、学生相手に雑談(?)の中で、人生というか生き方と言ったものを学生に語っていたそうであるが、大学で指導していた頃のことを振り返ると、私は皆さんにそういったお話をあまり申し上げていないのではないかと少々反省している次第である。その田中さんによると今の教育は知識偏重で、特に名門と呼ばれる受験校は、昔の旧制高校と違い、自分の人生をしっかり考えるような指導が殆ど出来ていないから、政治家や官僚などの情けない不祥事が連日、新聞を賑わすことになるといったことをおっしゃっておられた。

 私が永年好きな言葉に「自然知人」というのがあるが、人間はただ知識を勉強するだけでなく、自然人のように迫力のある、たくましい生命力を持ち、人のためにその知恵を生かす人間にならなくてはいけないことを今更ながら思い起こすのである。  

 さて、神戸大学の野尻武敏さんと同じ建国大学出身で「現代の帝王学」や「左遷の哲学」などの著作のあるのが伊藤肇さん。「左遷の哲学」(筆者注:岩田弐夫(東芝)「おでん酒 すでに左遷の 地を愛す」、中山素平(興銀)「随所に主となれ」など)は、そういった環境で苦労されていたゼミ生にも推薦したことのある本である。そして、伊藤さんの師匠が、陽明学の大家である、かの安岡正篤(まさひろ)さん。20冊くらい読んだと思うが、四書五経や陽明学のみならず、反対の立場をとる朱子学なども取り込みながら、単なるテクニックや知識ではなく「徳」或いは「人間」に訴えることを強調される。  

 安岡さんや伊藤さんが説かれているのは、マックス・ウェーバーの反資本主義的なキリスト教精神が弱肉強食で危険極まりない資本主義を支えるとした『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の捉え方や渋沢栄一さんのような進め方(筆者注:『論語と算盤』などが代表例、算盤−資本主義と対極をなす論語−儒教的精神が日本的資本主義発展の原点)とも通じるものがあるが、安岡さんらの考え方を信奉する経営者が多いことはご存知の通り。日本では伝統的な老舗企業を中心に「理を求めて利を追わず」を経営哲学としているが、謂わば、利益を上げようとする会社には、非利益主義的な要素が必要であるという考え方であり、現在グローバルスタンダードとなっている典型的な株主至上主義的な欧米流の経営とは一線を画しているのである。  

 一方、神戸大学の金井壽宏さんに代表されるアプローチの仕方。金井さんは占部都美さんに学び、経営心理学を研究。MITにも行かれたことがあるが、精力的に著作を書かれており、幸ゼミ読書会では『リーダーシップ入門』を取り上げたこともある。最近、資生堂の池田守男さんとの共著『サーバントリーダーシップ入門』を送ってもらったが、神学校出身の池田さんが社長秘書を永年勤め上げたあと、社長となり、現場重視で数々の改革をされたことが書かれている。金井さんの議論の方向性は当然のことながら「科学としての経営」で、リーダーシップ論や人事・組織のありかたなど体系的に整理して、良い経営をするための仕組みづくりを具体的に提言するというかたちである。安岡さんや伊藤さんの人間の魂に訴えるやり方とどちらが正しいと言えるようなものではないが、皆さんも是非考えてみて頂きたい問題である。  

 その意味では次回読書会で取り上げる予定のデヴィッド・ボームの「ダイアローグ」は面白い視点を提供していると言える。従来型の討論では「相手をいかに説得するか」ということが前提であり、そこには「勝ち」と「負け」が発生し、対立が生まれることが多い。そこで、ボームはまず、相手の言うことを辛抱強く、理解し、補正し、新しいものをつくりあげるというやりかた、これを対話と言っているのであるが、これによりお互いWin−Winの関係を築き、対立から共生へ持っていこうとするものである。

  その「共生」について。この言葉をつくったのは、『共生の思想』などの著作のある建築家、黒川紀章さんで、あるお坊さんに学んだ「ともいき仏教」の「ともいき」と生物学用語である「共棲(キョウセイ)」の両方の意味を複合させて「共生(キョウセイ)」を定義したそうである。(筆者注:「共生」とは対立、競走し、矛盾しつつ同時にお互いを必要としている関係。「ともいき仏教」は黒川さんが通った中学・高校の学園長で東京の芝増上寺の管長でもあった仏教思想家、椎尾弁匡師がはじめたもので、有と無の二元論を排して有も無も識(阿頼邪識)が表わされているにすぎないとする唯識思想)私が『日本経済の常識と非常識』などに紹介したケストラーのHolon(全体子)とも関連の深い概念で、全てのものは自ずと矛盾を抱えているが、それが対立とならないように共生に持っていけるかが、益々重要になっていると言えよう。  

 さて、その他、個人的にやらなければならないと考えている3つの課題がある。一つは「阪神大震災」の総括であり、いまひとつは、現在、大学院中心の運営に組織が変わっている「神戸大学」のこと。凌霜会のこともある。そして最後に経済学の分野では、今日のような価格メカニズム万能、規制緩和だけで本当によいのか?という問題である。最近、ジョン・サットンの『経済の法則とは何か−マーシャルと現代』と言う本が出版されているが、その中で、彼はSanDiegoでのタクシー業界の規制緩和を例にあげ、自由競争の弊害と規制緩和の限界を論じている。昨今、我国においてもタクシーの規制緩和の問題点が指摘されるようになっているが、格差、公共財、外部経済・不経済などを含め改めてこの問題を整理してみる必要性があると感じている。経済学は物理学的手法・機械的集合論を前提に大きく発展したが、もとより、人間は機械でもなければ部品ではない。  

 最後に脳のお話を。東北大学の川嶋隆太さんは「脳力開発・トレーニング」の分野で有名だが、氏によれば、脳を動かすには一に読み・書き・計算、二に対話、三に手を動かすことだそうである。また、脳の研究家である岡田英弘さんによれば、「生きること」「生きていること」は違う。人間が他の動物と全く異なるのは前頭前野が大きく発達している点。この前頭前野を刺激し、単に知識の習得のみならず、創造し、人間性を高めて行きながら、「生きる」こと、皆さんにも是非お勧めしたい。(文責:管理人) 

 

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      『日本人の宿題 −日本人論の中から』

大阪凌霜クラブでのご講演要旨平成19年4月17日 於:大阪凌霜クラブ

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かつて、マックスウェーバーはあらゆる価値判断を廃し、今から見れば不穏当な記述であるが、経済学は中国人でも理解できるくらい普遍性がなければ、科学ではないといった論理を展開した。逆にシュラー(G.J.Schuller)は「経済学の方法における孤立主義(Isorationism in Economic Method)」と題する論文の中で、資本主義経済という同じ事象を見て多様な学派があるのは、研究者のイデオロギー乃至着眼力に起因する「answer-begging-question」的なアプローチによる唯我的論理解釈によると考えた。即ち「はじめにこういうことを言いたいと着想すると、そういう答えを引き出すのに最も有用な論理を使い、それが言えるための前提条件を予め明確にしておく」やり方である。 

今回取り上げる「日本人論」は、そう言った意味で少し割り引いて考えるべき問題であるが、明治の開国以来、実に多くの人がユニークな視点と着想を以って挑み、多様な論理や解釈が展開されてきたテーマである。特にアジアの中で日本のみが近代的な資本主義を導入後、目覚しい経済発展を遂げこともあり、強烈な民族主義的見地から最初の日本人論が生まれた。そして戦後も奇跡的な復興・高度成長の中でやはり日本のみが違うという所謂「日本経済特殊性論」が展開された。ところで、オーストラリアでは移民が人口の1/3を占めるようになったことを背景に「オーストラリア人」とは何かという議論が盛んになったが、日本もグローバリゼーションが急速に進展する今こそ、冷静に、この問題を考えてみることも良いのではないか。 

さて私は経済を分析する傍ら実に多くの日本人論を読んできたが、その一例を私なりに以下の7つに分類して皆さんにご紹介したい。

(実際の御講演の中では下記の紹介した本の中から、少しピックアップして具体的に解説を頂いた。)

(1)自然条件と環境適応とを結びつけた日本人論

①寺田寅彦「寺田寅彦随筆集第五巻」岩波文庫

②鈴木秀夫「森林の思考・砂漠の思考」NHKブックス

③上野景文「現代日本文明論」RBA新書

④辰巳慧「風呂敷文化と袋の文化」晃洋書房

⑤山本七平「日本人とユダヤ人」山本書店

⑥ 同  「日本人とは何か上・下」PHP

佐々木高明「日本文化の基層を探る−ナラ林文化と照葉樹林文化−」NHKブックス

同 「照葉樹林文化の道」NHKブックス

⑨飛岡健「日本人のものの考え方」実務教育出版

⑩上山春平・渡部忠世「稲作文化−照葉樹林文化の展開−」中公新書

⑪川勝平太編「海から見た歴史」藤原書店

⑫和辻哲郎「風土」岩波文庫

(2)日本語の特性と結びつけた日本人論

①角田忠信「日本人の脳」「続 日本人の脳」大修館書店

②須田勇「第二の知」紀伊国屋書店

③新野幸次郎「日本経済の常識と非常識」大阪書籍

④金田一春彦「日本人の言語表現」講談社現代新書

⑤大野晋「日本語の起源」岩波新書

(3)「個」がなく「世間」や「感情的一体感」で発想・行動するとする日本人論

①阿部謹也「世間とは何か」講談社現代新書

②河合隼雄「日本人の心のゆくえ」岩波新書

③浜口恵俊「間人主義の社会 日本」東洋経済新報社

④アレックス・カー「美しき日本の残像」朝日文庫

⑤  同     「犬と鬼−知られざる日本の肖像−」講談社

⑥21世紀日本の構想懇談会「日本の構想−日本のフロンティアは日本の中にある」講談社

(4)外国人の日本人論(代表的なもの)

①李御寧「縮み志向の日本人」講談社文庫

②朱冠中「切り志向の日本人」NESCO文藝春秋

③ドナルド・キーン「果てしなく美しい日本」講談社芸術文庫

④ベネディクト「菊と刀」現代教養文庫

⑤佐伯彰一・芳賀徹編「外国人による日本論の名著」中公新書

⑥築島謙三「日本人論の中の日本人 上・下」講談社学術文庫

⑦ビル・エモット「日はまた沈む」草思社

⑧ 同   「日はまた昇る」草思社

(5)日本経済の発展を誘導した日本人についての試論

①新渡戸稲造「武士道」岩波文庫

②内村鑑三「代表的日本人」岩波文庫

③森嶋通夫「なぜ日本人は成功したか」岩波文庫

④司馬遼太郎・ドナルドキーン「日本人と日本文化」中公新書

⑤K・E・ボールディング「地球社会はどこへ行く(上)」講談社学術文庫

⑥加護野忠男「日本的経営の改革」PHP研究所

⑦伊丹敬之「日本型コーポレートガバナンス」日本経済新聞社

⑧ロナルド・ドーア「日本型資本主義と市場主義の衝突」東洋経済新報社

⑨尾高邦雄「日本的経営−その神話と現実−」中公新書

⑩宮本又郎他「日本型資本主義」有斐閣

⑪新野幸次郎「日本経済の常識と非常識」大阪書籍

⑫郷原信郎「法令遵守が日本を滅ぼす」新潮新書

小島祥一「なぜ日本の政治経済は混迷するのか」岩波書店

(6)市場主義的見地からの日本人論

①竹内靖雄「日本の終わり−日本型社会主義との決別」日経ビジネス人文庫

②吉田和男「日本的経営システムの功罪」東洋経済新報社

(7)最近の雑誌の特集

①文藝春秋2006年8月臨時増刊号「私が愛する日本」

②中央公論2007年4月号「日本と日本人を知るための120冊」

是非、皆さまも時間が許す限り、実際に本を読んでみて頂きたいが、これらで論じられた日本人の特性を踏まえ、今後21世紀を乗り切っていくための云わば、「日本人の宿題」として次の5つをポイントとしてあげておきたい。  

第一点は「組織の存在条件である統合=和と協同を活かしきること」である。ケネス・ボールディングは、いかなる社会にも「脅迫」、「交換」および「統合」という三つの「組織因子」があると主張したが、自分の企業や産業に誇りを持ち、会社を株主の所有物とは考えず、ステークホルダーを重視するなど日本は元々多神教でお互いを認め会う「和」あるいは思いやりの精神を持っている。これこそ、ボールディングの言う「統合」であり、今後も強みとして活かすことである。

第二点目は「組織の時代(20世紀)」から「個の時代(21世紀)」にいかに進むかということである。かつて日本の製造業を中心に日本が世界を席巻したかに見えた時代にMIT特別委員会が「Made in America」という論文をまとめ、組織、チームワークや協調の精神について日本に大いに学ぶべきであると力説したが、一方では大量生産時代と異なり、これからの知識産業の時代においては逆に組織が日本の弱点となることを予言した。今後は個を生かしながら考え行動してゆくことが大切であり、また「個」が思う存分頑張れる社会でなくてはならないが、阪神大震災では救援組織がない中、「若い個」のボランティアが力を発揮したことも触れておきたい。 

第三番目のポイントは「言語使用の明確化」である。従来ははっきりした議論をすることは、仲間に嫌われたり、ウチの社風に合わないという悲惨な結果をもたらすことになったが、グローバリズムの時代にあっては「阿吽の呼吸」は通用しない。大脳生理学では虫の声を左脳で判別し論理と非論理が分離されていないなど、議論が苦手な日本人(前掲の角田忠信氏の主張)が世界に向けて、明快な言葉で説明をしていかなくてはならない。 

第四番目に、「Vision=Missionの確立と歪曲化の克服」である。過去、国は問題を曖昧にし、積極的に明確なVision乃至Missionを示そうとしてこなかった。例えば公共投資の問題では明治22年に「予定価格を定めて入札を行い、最も低い価格を提示した業者が落札する」と決めた談合を排除する法律は守られないし、責任を果たそうとしない。また、労働法は極めて曖昧で官僚の作文、通達の類で殆ど物事を処理する。次回ゼミの読書会でも取り上げる予定の小島祥一氏の「なぜ日本の政治経済は混迷するのか」では、日本の政治メカニズムを少しオーバーに表現しているようなところもあるが、そこには場当たり的な政策決定が繰り返されたことが強調されている。なかなか厄介な課題だ。 

最後に「自然保全と地球環境改善の先導」。日本人は古来より、自然と共生してきた生活様式・文化に加え、公害やエネルギー問題等を克服した独自の技術など、今後このお家芸とも言える分野で世界をリードすることが期待される。  (以上文責:管理人)

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「阪神大震災から11年〜教訓として企業が学ぶべきもの」 

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企業の災害は二つに分けられる。第一が企業自身の欠陥から生じる災害である。第二は企業の外から発生する災害で、震災や風水害など自然災害から生じる災害、テロや犯罪による災害、ステークホルダーにおける事故による災害などである。我が国は有事体制を持たずに平和的に過ごしてきた為に、災害時の組織の在り方、責任者の継承の順位等が未確立といった欠陥が露呈、震災対策の必要性は論じられていたものの、阪神・淡路大震災以前にかかる体制は未構築であったのが現実である。我が国でも、事業継続計画がスタートしたが、実際に災害が起きたときに、いかに対応すべきか多様な場面を想定した教育・訓練も重要である。対策の参考までに、震災時の神戸市のライフラインでは、例えば1月17日の震災から電気は23日に応急復旧が完了、電話は31日に復旧した。しかし水道は2月28日、ガスは4月11日、下水道は5月まで復旧せず、交通ネットでは、名神高速道路の復旧は7月29日、阪神高速道路が翌年9月末、港湾は実に復旧まで2年以上かかった。公的機関に関しては、消防は火災の同時発生を想定すると対応不可能であり、警察官・自衛隊も大震災には明らかに不足した。 

地震災害に対して企業が対応すべき課題として以下の4点。第1に建物、施設、機械等の耐震度のチェックと耐震能力向上の措置が必要。第2は地震保険への加入。地震保険に加え、機会損失保険なども検討していく必要がある。第3が企業の経営戦略として、自然災害やテロ等のリスクへの対応策の組織的構築。第4はステークホルダー、地域コミュニティー、行政との連携を確立である。例えばコープこうべは、震災前から神戸市と緊急物資協定を締結、震災当日にパンを市内区役所に配達した。併せて、企業と地域住民との連携、協定等の確立不可欠である。さらに顧客と企業との関連も重要。例えば震災後、ある建築会社は自社が建てた顧客の建物を見回り、緊急物資の調達等を通じて顧客との関係を強固にし、その後の発展に繋がっている。寺田寅彦氏の言葉に「文明の進化とともに災害も進化する」があるように、同じ震度の地震でも震災の程度はますます激しくなっている。そのことを肝に命じて我々は、震災に備えた準備を行うことが重要である。  (平成18年1月18日 日経ホール )

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-21世紀文明シンポジウム-基調講演-

「21世紀文明創造に果たす地方シンクタンクの役割」  

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 死者6千有余人、焼失家屋7千戸、全壊家屋10万戸等、甚大な被害をもたらした阪神淡路大震災は我々に二つの課題、即ち地域主体の復興の必要性及び現代文明への挑戦・警告を突きつけた。

 先進国の人口集中地帯での大地震は稀有であるが、安全と安心の確保が重要となっている現代にあっては、(帝都復興院による関東大震災後の対応とは異なり)自治体と地域住民の主体的な動きが極めて重要となっている。その意味では震災当時、村山首相が「初めてのことですから」と自ら吐露したように、官の危機管理体制が未整備であった中、震災の5日後に始まった兵庫県の創造的な復興計画、特に都市計画論、地震学、建設工学、行政法、財政学等夫々の有識者を集めた都市戦略策定懇話会や汎太平洋フォーラムのユニークな提言等には、21世紀文明への多くの教訓と知恵が包含されていると言えよう。

 過去を振り返れば、大火に見舞われたロンドンでのチャールズ国王による防災型都市計画や、鳥取県若桜町の土蔵による町づくりなどは、大胆な復興プランであり、且つ、公共の利益と自助の重要性を示したものであるが、阪神大震災の教訓とともに多様化する地元の事情を熟知した地方シンクタンクが今後果たすべき役割と方向性を検討する上で大変参考となる事例である。  

ところでわが国は中央官庁が政策・法令の立案及び執行のみならず巨大なシンクタンクの役割を果たしてきたことに加え、約300あるシンクタンクの内6割は東京にあり、かなり歪な構造となっている。米国では地方が出来ないことを国が行う補完性原理があり、地方自治にシンクタンクの役割は欠かせないものとなっているが、そんな中で英国のチャタムハウスの世界に向けた情報発信活動、米国のアスペン研究所を支援するサポーター組織等は今後の地域シンクタンクとしての役割を論じる上で意義深い先行例だ。 

寺田寅彦さんは災害が文明の進歩とともに進化することを喝破されたが、その中で鍵となるのは、ボールディングも強調しているとおり、現代社会・文明の発展を支えるのは伝統的な三大生産要素(土地、労働、資本)でない知識、ノウハウにあり、その意味では日本、とりわけ震災体験のある神戸には21世紀に通用するその種の知恵や情報を有していると言えるのではないか。(平成18年7月4日 新神戸オリエンタルホテル)