ゼミ読書会  by   新野幸次郎ゼミナール

新野先生のコメント2013年
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伊丹敬之著「日本企業は何で食っていくのか」日経プレミアシリーズ2013年5月

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 日本経済研究センターは設立されてから今年で50周年を迎えるが、私も永年、同センターの役員を仰せつかり、特に金森久雄さんたちと一緒になっていろいろな研究や提言をしてきた。以前お話をさせていただいた話と重複することになるが、今回の読書会のテーマとも関連するので、まずは、日本経済研究センターの理事長の岩田一政さん、少し前まで日銀の副総裁としても活躍されておられたが、、、彼から伺った「2050年の日本経済を展望する〜日経センターの長期予測から」というレポートについてお話ししたい。

岩田さんは2050年に向けて3つのシナリオを提示している。一つ目が「成長シナリオ」で、日本人一人当たりGNEが2010年に4,2万ドルであったものが、2050年に8.8万ドル、世界第3位になるというもの。二つ目が「停滞シナリオ」で、この場合は5.4万ドルで順位は17位。最後の「破綻シナリオ」では3.9万ドルで、こちらの方は29位となるというもの。その鍵を握るのが社会的インフラストラクチャーとしての政治、市場開放度などの諸制度の質で、それが生産性向上をもたらす最大の要因としている。ソローの生産関数はY=Af(L,K)という式で表され、 Yの生産量を決めるのはLの労働とKの資本との間の関数であることを示しているが、それに乗じるAが全要素生産性と呼ばれるもので、労働と資本しかないのに全要素というのは少しおかしいが、、、この全要素生産性が、資本や土地よりも重要な役割を果たすとする。私がよく引用するアルフレッド・マーシャルの資本、労働、土地に次ぐ、「第四の生産要素」の議論。情報だとかノウハウがこれになるのだが、資本、労働、土地といったモノより、人間の英知が大事だとした。以来、知識資本主義だとか、第三の波だとか言われるが、大体同じ事を言っているのである。

 さて、日経センターの提言では全要素生産性を引き上げるのが、3つあるとしており、最初が市場の開放度向上で、貿易、投資、金融の三分野での市場開放の重要性を訴えているが、中でも、対外証券投資への偏重の解消が急務としている。二つ目は女性の活躍で少子高齢化社会を迎え、労働人口が減少に転じている中、その重要性は極めて高い。本報告では、結婚・育児に伴う女性労働の中断、所謂M字カーブの解消を前提に、オランダ、北欧並みの女性の労働参加を目指すべきとしている。また、女性をリーダーへの登用を積極的に進めるべきであり、ジェンダー格差是正が必須であると主張する。子育てを終えて折角職場に復帰しても補助的な仕事を分担したり、非正規雇用ということでは意味がなく、欧米のように女性を真に戦力化し、活躍してもらわなければ意味がない。三つ目が起業・労働市場の改革で、起業は米国とは圧倒的な差があるが、逆に改善の余地が大きいとしているのである。先日の新聞記事ではOECD諸国で大人の地力調査で日本人がトップという久々と言ってよい報道があった、日本は世界的に見れば、相応の人材がいるのである。クール・ジャパンの評判が良く、それと関連して世界的にもユニークな人材も豊富。ところが、前回の読書会でとりあげた吉川洋さんの「デフレーション」で詳細に分析されているが、日本では失われた20年の間、解雇をせず、賃下げで難局を乗り切ったこともあり、逆に、成長産業への人材の流動化という意味では諸外国に比べ極めて限定的であったと言わなければならない。但し、日本の終身雇用も日本のお家芸ではなく、日本の大企業の平均勤続年数の25年に対し、欧州では20年を少し超えたレベルとなっているが、解雇も辞さないから、全般的には流動性は極めて高い。いずれにしても、現下、アベノミクスの成長戦略の中で議論になっているが、グローバル競争を前提とした労働市場の改革は急務である。

 その他、出生率については仏国並みの2.1人に回復すべく、対策を講じるべきであるとし、一部移民の受け入れにも言及している。先日、安藤忠雄さんとお話をする機会があったが、建築業界には働き手が少なく、かなり深刻であるようだ。勿論、生活水準が一定水準以上の国では、若者がきつい仕事を敬遠し、日本と同じような悩みを抱えるのだが、欧米では、こういった職場には、議論はいろいろあろうが、移民が空白を埋めることになる。しかし、事実上、単一民族国家と言ってよい日本では、移民のあり方について、まともな議論ができていないのが現状で、少子化が一層進展していく中、建設業界のみならず、様々な分野で、労働力の不足、偏在が将来の停滞を生み出す懸念がある。 

 ところで、タクシーの乗務員も建設業と同様に若者がやりたがらない仕事の一つであるが、アメリカなどでは英語がよくわからない運転手、その多くは移民であるが、そんな運転手が至る所にいる。一方、日本では、年金暮らしの高齢者とご婦人のアルバイトがタクシー運転手の主流となったのは興味深い。高齢者と女性の活用の例としてあげてよいだろう。高齢者、女性の活用、出生率向上、移民受け入れなど、要は労働人口を減らさないこと、その上で成長分野への人材の投入が急務なのである。

 日経センターの分析では、ジェンダーや高者、女性といったヒトの問題の重要性を強調するが、日本の成長への貢献度という意味で、最も大きな役割を果たすのが、市場開放である。少子化で国内市場では限界がある中、TPPなど、海外マーケットを開拓することが必須としている。本書のピザ型グローバリゼーションの議論にもある通り、日本は海外市場の展開という意味では低水準で、その意味では成長余力が大きいのである。(管理人注:p99表4-1 GDP比で直接投資は米国の半分、ドイツの4割、輸出も国内市場の巨大な米国に次ぐ低さであり、ドイツや韓国の1/3程度である)

 クルーグマンは、米国はモノづくりを放棄し、国民を雇用しない企業経営者や抜本的な対策をしない政府に対し、辛口のというか、容赦のない批判を続けているが、日経センターの予想では、米国は、技術革新やシェールガス革命の恩恵もあり、製造業が復活すると予想、IT関連や最先端産業の強さもあり、2050年においても覇権を維持するとの見方をしている。その米国も現下、かつての日本のように、政治は「ねじれの状態」であり、物事を決められない国に転落している。特に今は政府債務の上限問題で身動きが取れない状況であり、ヘラルドトリビューン紙にはオバマ大統領が米国内に鎖を繋がれ、APECに行きたくても行けなかった漫画が掲載された。本研究では米国は今後も覇権を維持するという楽観的な予想だが、それほど単純ではないかもしれない。

 一方、中国をどうみるか?テキストでは「中国」とは、いろいろあるにしても、辛抱強く付き合っていくしかない(具体的にはASEANとのバランスをとりながら、日中両国の分業の深化を強調 P196,P199)とし、1章を割いて論じている。 しかし、日経センターは中国が「中所得の罠」を脱することが出来ない上、人口がボーナス期からオーナス期に転じること、さらにキャッチアップはできても自立的イノベーションが難しいことなど、今後は低迷せざるを得ないという、2050年にGDPで米国を抜くとしたOECDとは異なる予想をしている。共産党一党独裁という体制の中、ちょっと前までは国家資本主義などという独特のやり方で経済を大きく拡大させてきたが、現在、格差問題や公害などに代表される安心・安全、言論や人権問題、人件費の高騰など数々の矛盾を抱えている。日本経済研究センターの分析では、国営企業の問題も含め、市場開放の問題がとりわけ重いと予想、現状の政治経済体制のままでは成長は大幅に減速すると結論付けているのである。かといって、体制を一気に、変革・開放すると国自体コントロールできない状況にまで、それなりの発展を達成してしまっており、これからの舵取りが益々難しい局面を迎えそうだ。

 そういった中、アベノミクスに対し、中国の李克強首相が掲げるリコノミクスと言われる経済構造改革の目玉の一つとして、上海において30平方キロにもなるエリアを自由貿易特区とする計画を進めているそうだ。この特区では貿易自由化、投資の自由化、金融の国際化、行政の簡素化という4つの方針のもと、中国国内では制限されているインターネットも解放されるようであるが、大胆な自由化の実験を行い、最終的には第二の香港を目指すという。そしてこれが、うまくいけば、大連や重慶他、他地域でも自由貿易特区をつくりたいとしている。理財商品など、目先だけでも、まだまだ片付けない問題を抱えてはいるが、今申し上げた経済特区などのように、日本では考えられない大胆な計画を進めることができるのが中国の強みといってよいかもしれない。 以上申し上げたことは、日本経済の将来をマクロで捉えようとしており、大変意欲的な試みであると思うが、一方、今回のテキストのテーマ、即ち、企業レベルで日本は何で食っていくかという視点も極めて重要である。アベノミクスの成長戦略とも関連するが、世界に類のないGDPの2.5倍の負債を克服しながら、将来にもわたって、国民が豊かでいられるためには、何が必要か?

 負債比率に関しては、本書(第一章:リーマンショック、欧州危機、超円高、東日本大震災、電力と財政の危機など著者は第三の敗戦と位置付ける)にも触れられているが、今の水準は第二次大戦後の日本と同じで、このときは、敗戦後の占領下という特殊な状況であったから、預金封鎖、新円切り替え、そして、最高税率90%と言われる財産税をかけて、一気に片づけることができ、さらにこの時期には、他の大胆な経済改革が進められた。平時においては、とても、このような荒業は不可能であるが、議論の中にあった通り、国家の負債はその資金が国民の預金等で賄われており、その意味では、国の発展は国民の資産の劣化を食い止めることでもある。そのためにも国民のコンセンサスが欠かせないが、これはなかなか難問である。農業問題とも共通するが、国民全体に危機感が薄く、問題を先送ってきたツケが今問われようとしている。

 本書では、日本企業の将来を考えるとき、6つのキーワード、即ち、電力生産性、ピザ型グローバリゼーション、複雑性産業、インフラ、中国、化学が特に重要でポテンシャルがあるという主張がされているが、特に電力生産性は非常にユニークな視点である。もともと著者の伊丹さんは現場に入り込んで研究されるやり方をされる方だが、東北大震災の被災地にも、よく足を運んでおられるようで、フクシマでの強烈な経験から、電力問題に関しては、なんとかせねばという強い思いがあるのだろう。

 ファクターは極めて重要で、先ほどの生産関数の話の続きではないが、ボールディングは、一般に言われる生産の三要素である資本、土地、労働というのは、分配を正当化するための議論であり、真に生産に必要な三要素は、資源、エネルギー、ノウハウであると考え、エネルギーの重要性を強調した。また、日本では安定的な電力供給が当たり前であるが、途上国のみならず先進国においても電力供給が不安定な国があり、朝、電車が走っていないので、仕事に行かずに、そのまま家にいるなんてこともよくあるのである。

 ところで、本書に記載のある、失われた10年は電力生産性の急落の10年であった(p75)というのは、少し言い過ぎで、電力生産性の分子の付加価値の総量であるGDPがマイナスであったのだから、単にエネルギー効率が低下したということにはならない。また、皆さんの意見にもあったが、分母の使用総電力の中に家庭用が含まれていることや、オイルショック以降、日本は官民挙げて、省エネ技術に取り組み、その水準は世界トップクラスであること、原発停止後の電力費の上昇も生産コストに占める割合が僅少であり、全体でみれば大きな問題にならないことなど、いろいろな議論が出てきて面白かった。

--------------------------------------------------------------------------------------*電力生産性(付加価値総額÷使用電力量) 使用電力対比企業が生む付加価値に特化すべきとする

*ピザ型グローバリゼーション

 単純な海外展開は産業空洞化(ドーナッツ型)をもたらす。筆者はその問題を克服するため

 企業内の工程間国際分業(製品設計、基幹部品生産、一般部品生産、西遊製品組立)によるピザ型グローバリゼーションにより、国内空洞化を避けるべきとしている。

 (ピザはドーナツと異なり付加価値のある工程が中心がある)

*複雑性産業 ピザの中心に複雑な機械、複雑な素材、複雑なインフラ、複雑なサービスを据えるべきとしている。

 自動車、化学、宅配ビジネスなどが例示されるが、どの産業にも複雑性が一定割合存在するとしている。 

*インフラ産業

 筆者はインフラの定義を「社会インフラ産業(公共的社会基盤としての施設・システム)」と「他国のインフラとしての国内産業」に分類し議論を展開

*化学産業

 エレクトロニクスに代わって化学が様々な産業の生産プロセスや製品の根幹部分に化学技術や化学製品が必須の部分で使われることを強調している(p215)

-------------------------------------------------------------------------------------話は少し変わるが、本書では電力生産性を議論しながらも、原子力発電をどう考えればよいかということについて触れられていない。そんな中、先日、一橋大の斎藤誠さんのお話を聞く機会があった。斎藤さんは原子力問題の専門家ではないが、綿密な調査研究をされ、福島原発の前所長にもインタビューされたようであるが、それらを裏付けにして、例えば、「炉心溶融は防ぐことができたか」ということに関しては、炉の耐用年数をポイントにして、廃棄予定の原発であるが故に、再稼働を気にせず、いろいろ打つべき手があったとの結論を引き出す。また、GE製のものを、本来、高台に設置する予定であったものが、同社からの要請でそれをしなかったことも問題だとし、高台につくった女川原発は津波被害もなく、正常に停止したことなどを指摘する。こういった具体的な議論を展開しながら、600年に一度の津波を恐れるあまり、安全に運行できる対策があるのに、合理的なで冷静な議論なしに全原発を停止することの愚を指摘する。反原発派から猛烈な抗議を受けているようだが、世の中の風潮に流されずに、ひとつひとつ、丁寧に事実を積み上げ、具体的な対策を論じておられる姿に感服した次第である。

 複雑性産業について。自動車を除けば、日本が苦戦しているのは、コモディティというかBtoCの分野であるが、部品産業や化学製品など、本書も取り上げられているとおり、BtoBビジネスは比較的堅調である。もともと 専門性が高く、熟練を要することも多く、簡単に真似がされないため、サムスンの売り上げが増えると日本からの部品の輸入を増やさざるを得ないといったことになっており、中・韓両国との貿易は恒常的に日本の黒字という構造が定着している。

 また、インフラも今後伸びるというのが本書の主張であり、日本のきめ細かい公共サービスの優位性がその根拠となっているが、私は別途、日本独特と言ってよい、総合商社の役割を強調しておきたい。海外市場に強力な足掛かりのある商社が、従来、輸出産業とみなされていなかったインフラ産業をうまくアレンジして途上国を中心に輸出するという図式であり、既に大きなビジネスとなっているのである。

 日本国内のサービス産業について前田君がその将来性について論じていたが、まさにその通りで、介護分野などシルバー産業は今後も雇用を吸収するのだろう。一方では少子化の中、どうやってヒトを確保するかという課題に直面しそうだ。先ほどの安藤忠雄さんとのお話の中で、一部のホテル・旅館では部屋があっても、サービスを提供するスタッフが不足していて、宿泊を希望されているお客様の予約を断っているという話もあった。看護師などの医療分野も同様の問題を抱えているようだが、移民の問題も含め議論の余地が大きい。また、高齢者や女性の活用というのが重要であるが、旧来の男の協力も欠かせないだろう。

 本書にも指摘されている(第9章、日本の内なる病)が、議論の中で指摘の多かった人材の問題も避けて通れない。皆さんの世代とは違い、豊かさや戦後の教育制度などが、若者の職業倫理感を大きく変質させ、あるいは使命感を喪失させた。

 勿論、オリンピックを目指すような、本当にすごいバイタリティを発揮するような若者もいるのだが、南谷君の話の中にあったOA制度や指定校入試制度(受験勉強せずに11月には実質的に合格が決まっている)など、必死の努力をしなくても大学に入れるうえ、最近では学生の将来に配慮するあまり、原則として留年をさせない仕組みが定着している。また、大学のクラブ活動でも、関学のアメリカンフットボール部を指導された武田健さん(関学元学長)によれば、比較的やる気もあり根性もある彼らに対しても、昔のように叱ってはだめで、褒めて指導しなくてはならないそうだ。 

 そのうえ、卒業しても、適当にアルバイトをすれば生活に困らない程度の収入がもらえ、何か嫌なことがあったら、頑張るよりもやめたら良いという考えも一般的になりつつあるようで、それを助長する風土、様々な体制ができあがっている。これでは、昨今叫ばれているグローバル人材の育成も覚束ない。

 最後に、今日は新しく二人が参加してくれたが、こうやって読書会で一つのテキストに基づいて議論してみる。すると、他のメンバーが自分の知らなかったことを教えてくれたり、考えつかなかったようなロジックを展開してくれたりで、自分なりに得るものがあるだろう。皆で議論することの醍醐味と言えるし、認知症の予防としての価値も高い(笑)。是非、次回以降も、時間の許す限り参加してみてください。

(平成25年10月12日、神戸都市問題研究所/文責:管理人)

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吉川洋 著「デフレーション」日本経済新聞出版社2013年1月

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 本書のタイトルは「デフレーション」であるが、著者は貨幣数量説乃至近経の議論を紹介しながら、副題にある通り「日本の慢性病の全貌を解明する」という意欲的な内容になっている。果たして、その目的を達成することができたと皆さんはお感じになっただろうか?本書の論旨に沿って言えば、著者は貨幣数量説を否定的に捉え、マーシャルやケインズでさえ、貨幣数量説の実際の経済の適用に躊躇したことを引き合いに、その貨幣数量説をベースにインフレ期待を生み出し、かのケインズの言う「流動性の罠」に陥っている日本経済を救うとしたクルーグマンの議論を否定している。(流動性の罠=金融緩和により利子率が一定水準以下に低下した場合、投機的動機に基づく貨幣需要が無限大となり、通常の金融政策が効力を失うこと)

 そして、本書のP8にある通り、デフレは長期低迷の原因ではなく結果であると主張(p206)、そして、そのデフレの原因につては、筆者が明確に否定するマネーサプライの不足はもとよりや巷間言われるような人口・高齢化問題、円高や新興国の台頭などではなく、まず、プロダクト・イノベーションがおろそかになったこと(p210)を要因としてあげ、さらに、本書の大変ユニークなところであるが、なぜ日本だけがデフレに陥ったのかという議論の中で、「日本の賃金決定に生じた大きな変化」(第6章全般及びp212)が日本のみに起こっており、これがデフレの根本的な原因であるという主張を展開する。

 もう少し詳細に申し上げると、バブル経済崩壊の過程で、わが国においては、労使協調的な雇用関係の下、雇用確保が優先され、大幅な賃金カットが、特に大手企業を中心に、しかも労組もバックアップして実施されたこと。さらにまた、新規雇用も非正規雇用が主体となり、結果、全体として労働者全体の所得の低下が、深刻な消費低迷をもたらし、上述の慢性病の原因となったとしているのである。実際、このような大規模な賃下げは世界に例が無い。他の先進諸国では解雇規制が弱いこともあり、一定の失業補償などのセーフティネットの下、簡単に解雇が出来る土壌があるが、反面、成長分野への労働移動が進む。一方、日本では、雇用調整助成金の存在もあり、労働の移動は極めて限定的であり、本書によれば、賃金の低い「医療・福祉」関連の雇用のみが増加した(p190)としており、成長を牽引するような構造転換は進んでいない。

 尤も、本書で批判されているかたちとなっているクルーグマンは、オバマ大統領が共和党と妥協した結果、首切りを前提とした労働政策と過度の緊縮政策を推し進めたことが、リーマンショックからの回復を遅らせているとして、米国政府に対し少し過激とも思える批判をしているのは興味深い。日本の場合は、労働分配率が高く、また、上述の通り、賃下げにより全体の雇用を守ってきたことから、不況といえども、相応の生活水準が維持されたといったプラスの側面もある。一方、マルクスの時代の最大の問題は雇用或いは失業であったが、資本主義が様々な社会保障制度を取り入れている現代においては、「雇用」は重要課題であることに変わりは無いが、最優先課題でなくなっており、その意味で、「成長戦略」と「雇用」に関し、どう整合性を持たせるべきであるのかということが大きな課題となっている。 さて、本書の結論と言ってよいのか、皆さんのご感想にもあった通り、著者は最近のクルーグマン流の金融緩和政策について、完全に否定している(本書では「なぜデフレは簡単に止まらないのか、その答えはマネーサプライの中にはない」p200)が、ならば、デフレからどう脱却すべきか、本書には処方箋と呼べるものがないし、デフレは「合成の誤謬」であり、デフレからの脱出は簡単ではない(p192)とあっさり片づけているのは、少々残念であると言わざるを得ない。

 いずれにしても本書では現下のアベノミクスに対し懐疑的な立場をとるが、京大名誉教授で、大変親しくさせて頂いている伊東光晴さんは「安倍さんも黒田さんも何もしていない」といったタイトルで雑誌「世界」の8月号に寄稿されている。それによれば、「よくメディアは、アベノミクスによる大幅な金融緩和や財政出動が株価上昇と円安につながったと喧伝するが、株価上昇や円安という変化は安倍政権による政策以前から始まったもので、変化を起こしたのは、株式市場でのヘッジファンドなど海外投資家たちの差益を狙った投機であり、通貨政策とは直接関係ないこと。さらに、日銀が貨幣供給量を増やしたといっても、その大部分が日銀にある各銀行の当座預金の増加であり、設備投資など実体経済の活況化をもたらすものにはほとんどなっていないこと。さらに、トヨタ自動車の業績にしても、円高の是正の影響は全利益の11%に過ぎず、利益の大部分は自己努力で、政策と何の関係もなく、しかも販売増は海外市場におけるものであること」などとして、かなり突っ込んだ批判をされている。

 現時点では、自民党が大勝した昨年の衆議院選挙以降、急激に進んだ株価の上昇や円安効果もあり、経済は表面的には、順調な回復過程にあるようにも思えるが、それが、運がよかったのか、それとも、アベノミクスの提唱者の一人であると言われる浜田宏一さんの主張に沿った大胆な金融緩和政策を行った結果、期待通りの効果が現れているのか、その評価が固まるまでには、まだ、時間がかかるだろう。

 ところで、吉川さんは本書でプロダクトイノベーションの不足を日本の長期低迷のひとつとして掲げておられる(p210)が、なぜそうなったか、或いはどうしたら良いのかというような吉川さんの言及はないが、それに対して少しコメントしておきたい。、

 まずは国家としての政策。シンガポール(管理者注:同国の科学技術研究庁が中心となる)では将来的にカネになりそうなバイオテクノロジー、情報通信、エレクトロニクスなど特定の分野に集中した独特の研究開発政策を持ち、世界中から、技術及び技術者を、カネを使って集め、そのために必要なインフラを戦略的に整備しながら人材育成を進めている。国家レベルでイノベーションをどう生み出すかと言う意味で、大変積極的な産業政策であると言えよう。

 個々のレベルでは何をすべきか?いろいろあるだろうが、神戸大学の三品和広教授は、最近の著作である「リ・インベンション」の中で、今後日本企業が進むべき方向性として、従来型のイノベーションではなく、驚きを与える製品をどう作るかということが重要であるとしている。そして、具体的に自転車用の見えないヘルメット、ノートと音声を連動させたペン、頭脳戦の要素を組み込んだベーゴマなどの実例を紹介している。

 先程、デフレは「合成の誤謬」であり、デフレからの脱出は簡単ではないとした著者の結論について述べたが、この「合成の誤謬」も、もともと、ケインズが最初に本格的に言い出したことで、「個人で見ると節約と貯蓄は美徳だが、社会全体で見るとむしろ所得減少と不況を招きうる」というような議論を展開した。ミクロの議論ではこのような誤謬が起こることは、様々な場面で見られるが、ケインズの真骨頂は、国民所得理論を持ち出したことにあり、個々でバラバラであったものを分析しつつ、全体のバランスをどう考え、どんな政策をとるべきか、その手段を提供したことにある。加えて申し上げれば、経済に係る諸問題の解決の為には、一面の現象だけを捉え、それに都合の良い前提条件を置き、一次解を求めるというようなやり方であっては意味を為さないことが多い。そういったことを踏まえ、現状の分析から始まって、現実的な様々な方法で、どう解決し、乗り越えていくかというのが、より重要であろう。家庭内で起こったことを奥さんに言われて、単に批評したり、そのまま放置したら大変なことになる(笑)。経済学はそのような奥さんに対するような緊張感を持って事に当たり、行動を起こすものでなければならない。

 経済学はアダム・スミスから始まった。当時の重商主義と呼ばれた絶対王政の諸制度の中では様々なところに矛盾が生じ、このままでは社会全体が発展しないことはベンサム、ホッブス、ジェームス・スチュアートなどが、精緻な議論が尽くしていたが、それでは、重商主義を止めて、国王による統制を廃止したら本当に大丈夫かといった反論の前には全くと言ってよいほど、具体的な対案を出せずにいたのである。その硬直した議論に突破口を与えたのが「神の見えざる手」であった。アダム・スミスの提示した「価格メカニズム」こそが、長年論争されてきたこの問題を打破したのである。そういったことを考え合わせると、現状の問題点を分析、批判といったことに留まらず、日本が今後成長するための具体的な方策と長期的プラン、理念などが必要とされているように思える。

 その意味において、そういった将来の方向性を示しているのが、日本経済研究センターの岩田一政の示している「2050年の日本経済を展望する〜日経センターの長期予測から」というレポートである。このレポートの中では、まず2050年に向けて3つのシナリオを用意する。一つ目が「成長シナリオ」で2010年の一人当たりGNEが4,2万ドルであったものが、8.8万ドルとなり、世界第3位になるもので、今ひとつの「停滞シナリオ」では5.4万ドル(同17位)、最後の「破綻シナリオ」では3.9万ドルで29位となるとしている。その鍵を握るのが社会的インフラストラクチャーとしての制度の質で、それが生産性向上をもたらす最大の要因としている。

 ソローの生産関数、Y=Af(L,K)を思い出してみよう。

 Yは生産量、Lは労働投入量、kは実質資本ストックであるが、何よりも大事なのはAで技術水準など「全要素生産性」を表す指標である。マーシャル流に言えば、資本、労働、土地に次ぐ、「第四の生産要素」ということになるのだが、本レポートでは全要素生産性を引き上げるのが、

 ?市場の開放度向上で、貿易、投資、金融の三分野での市場開放の重要性を訴えているが、中でも、現状対外投資に偏重の解消が急務としている。さらに?女性活用の期待度も高い。この中ではリーダーへの登用を積極的に進めるべきであるとする一方、結婚・育児に伴う女性労働の中断、所謂M字カーブの解消を目指すと共に、オランダ、北欧並みの女性の労働参加を目指すべきとしている。そして?起業・労働市場の改革についても多くのページを割いている。大学発の起業は米国とは雲泥の差であり、改善の余地が大きいとしているのである。

 その他、出生率については仏国並みの2.1人に回復すべく、対策を講じるべきであるとし、一部移民の受け入れにも言及している。諸外国では米国はシェールガス革命の恩恵もあり、製造業が復活、2050年においても覇権を維持すると予想する。一方、中国は「中所得の罠」を脱することが出来ない上、諸制度の質的向上が難しく、人口がボーナス期からオーナス期に転じること、さらにキャッチアップはできても自立的イノベーションが難しいことなど、今後は低迷せざるを得ないという予想をしている。

 岩田さんによれば、現在、詳細な分析を行っている最中であり、今後、さらに具体的な対策を提示できるらしいのだが、このようなかたちで、日本の将来をマクロ的に捉え、経済成長を実現するために、どの分野をどう改革していくべきかデザインすることは、かつてない試みであり、今後も注目したい。(平成25年7月20日 神戸都市問題研究所にて 文責:管理人)

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翁百合、西沢和彦、山田久、湯元健治 著

「北欧モデル 何が政策イノベーションを生み出すのか」 日本経済新聞出版社2012年11月

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 本書を今回読書会でとりあげたきっかけ、動機は、本格的な高齢化社会を迎える中、いかに現状のデフレ乃至、長期低迷を克服し、成長を促進すべきかという我が国の根源的な課題に対し、比較的順調な経済運営がなされている北欧の経済モデルから学べるものがあるのではないかということである。

 リーマンショック以降、明らかになったように、アングロサクソン流の自由放任主義では、社会が極めて不安定となり、また格差が拡大するといった弊害が指摘されている。さりとて、ケインズの一般理論に書かれているような政策を採用すると、財政規律をどこまで守れるかということにもよるが、財政の悪化や効率性の低下を招いてしまうことが多い。また、中国にみられるような国家資本主義は、新興国に経済成長など、それなりの成果をもたらしたことは事実であるが、未だ問題が山積しており、そのことが、連日のように報道されている。そういった意味でも、本書をひとつの題材として、上述の3つとは異なる北欧モデルを考察してみる意義は大きいだろう。

 もとより、北欧諸国は人口レベルや経済規模で見れば小国であり、GDP世界第三位の大国である日本にそのままあてはめるわけにはいけないし、本書にもそう書かれている(p11)が、自ずと限界があることは押えておきたい。先の民主党政権では、デフレの克服に加え、教育の再生と福祉政策の強化を謳い、北欧モデルを参考にした政策が試みられたが、皆さんもご存知の通り、単なるバラマキに終始してしまった感があり、全く中途半端であった。

 さて、北欧諸国は世界でも特筆すべき高福祉国家をつくりあげているが、それを実現するために必要な負担を前向きに捉える国民の存在、或いは国民のサポートを抜きにして、その成功を語ることはできない。本書においても、国民による国への信頼の高さが強調されるが、逆に、その信頼を勝ち得るために、国家の方も国民に対し透明性を確保し、政策や制度に対する情報公開を徹底しているところも見逃してはいけない。

 私はかつて「現代経済の常識」(有斐閣1977年11月)中で、ケネス・E・ボールディングが提唱した社会交換(exchange)、 統合(integration)、脅迫(threat)という考え方を紹介した。交換は経済関係を示しており、お互いに利益があることから、一定の組織内で個々が結びつくことになる。さらに一歩進んで、理想的な組織のあり方は「統合」によるものであり、例えば、皆さんの家庭が幸せなのは、北欧諸国ではないが、透明性が確保されており、別の言葉で申し上げると、隠し事がないということだが、その上でお互いが夫々の役割を認め合い、必用な協力を惜しまないという関係が出来上がっている。そういった中で、信頼感が生まれるのであり、これが先ほど述べた、統合の状態ということになる。

 たとえ何かの事情で収入が少なくなったとしても、夫々がお互いを慮って、我慢し支え合うのが良い家族である。もし、自分だけが財産を隠して贅沢な生活をし、嘘をついている人がいたりすると、信頼が失われて、家族間の「統合」は揺らぎ始める。さらに、不足や不満を訴える家族を暴力で「脅迫」して抑えつけ、自分だけは相対的に豊かな生活を維持しようとするようなことになると、そんな家庭はきっと崩壊するだろう。

 勿論、組織が、家庭から、コミュニティ、そして国へと大きくなると、「交換」や「統合」だけでは組織を引っ張って行く事が難しくなるから、ある程度「脅迫」も必要となることも忘れてはならない。

 我が国では高度成長期が終わるまでは「交換」が大変うまく行ったし、社会全体に一体感があり、「統合」も十分に作用したが、グローバリゼーションの進展や経済の長期低迷を受けて、パイが大きくならない、ないし、格差が拡大するといったような状況になると、それはそれで仕方の無いことかもしれないが、徐々に「統合」が失われていく。一方、「脅迫」については、我が国は、従来から痛みを強要することを避けてきた経緯があり、また、農耕民族の国民性なのかも知れないが、例えば有事の際に、この「脅迫」をどう活用するか、その道筋が全くと言っていいほど、欠落していると言えるだろう。

 国にとって脅威には「自然の驚異」と「社会的な脅威」がある。「自然の驚異」については、阪神淡路大震災に加え、東日本大震災の生々しい経験から、一定レベルまで国民の意識も変わっており、有事の際はどうすべきか、コンセンサスも芽生えつつあり、現下では、例えば南海トラフに対する備えをどうするかということが議論されるようになってきている。

 一方、竹島や尖閣諸島の領有権や北朝鮮問題などに見られる社会的な脅威に関しては、これまで、正面からの議論を避け、問題を先送りしてばかりしていて、元寇以外に海外から侵略されるという経験を持たなかった我が国は世界的にも稀なくらい、脳天気な対応、体制となってしまっている。北欧諸国の中で申しあげると、フィンランドは永らくロシアの支配を受けてきたことから、強い危機感を国民が共有しているし、ベルギーにいたっては、祖国が蹂躙された歴史の記憶からか、土地を所有しようという概念がない。いつでも逃げようという意識なのである。

 英エコノミスト誌の特集で「Leaderless Japan」 (Jun 3rd 2010)というのがあったが、毎年のように総理大臣が変わり、政治のリーダーシップがとれない状況では、憲法改正の問題も含め、こういった脅威に対する議論は殆どできないし、また、国民の政府や政策に対する信頼感も醸成できずに身動きができない状況となっている。

 何しろ、政府の中では財務省という、元々内向きな役所が最も力を有しており、諸外国に比べ外務省や防衛省の地位が極めて低いことも、有事への備えが甘いことの証左である。今後は生きていくために、何らかの危機感を共有することが重要で、従来のように「何とかなる。大丈夫」という意識を捨てなくてはならない。 

 さて、話を元に戻そう。北欧諸国は、国家イコール「国民の家」ということを標榜しているように、極めて「統合」の意味合いが強い国々である。その歴史的な背景として、本書にはあまり触れられていないが、やはり、ロシア革命の影響が大きく、共産党こそ政権をとることはなかったものの、欧米流の資本主義とは一線を隔す政策が、社会民主党政権の下、実行に移されてきた(管理人注:「国民の家」は1920年代の社会民主党の中核メンバーであったハンソンが唱えた)。即ち、社会民主党は福祉政策を全面に掲げ、医療・介護、教育を無料とし、失業対策を充実させ、本書では特に強調されているが、単なる世代間の仕送りではなく、“持続可能な年金制度”を整備するなど、所謂“高負担・高福祉社会”を実現したのである。 そして、重要な点であるが、高い税金、負担も結局は自分に帰ってくるという、本書では北欧では負担と給付との関係が明確であるという論旨になっているが、老人は何もせずに酒ばかり飲んでいるといった、高齢化社会に内在する問題を、歴代の社会民主党政権は克服していったのである。

 話は変わって、いかにしてグローバル経済の中で競争力を維持していくのか?北欧では経営不振の民間企業を国家が救済するようなことをせず、寧ろ、そういった企業を淘汰すると同時に、成長産業へ人材シフトを促すため、極めてきめ細かい職業訓練制度を持つなど、積極的な労働政策を採用している。結果、世界でも有数の競争力を誇っており、リーマンショック後の経済も比較的堅調である。

 **管理人注:競争力という意味では、低い法人税率(26.3%)、富裕層を取り込むことを狙った相続税の廃止、R&Dへの投資(08年対GDP比でOECD諸国でトップの3.7%)、女性の積極的活用(就業率は約7割)、各地域ごとの起業支援組織の存在などが本書で紹介されている(第3章など)。

また、スウェーデンでは1990年代の金融危機をいち早く乗り切り、再生した金融機関は積極的に対外進出を行うまでになっている(第2章)

 信頼ということに関して、もう少しコメントしておきたい。読書会のテキストとしてもとりあげた、神野直彦さんの「わかち合いの経済学」(岩波新書)の中でも、北欧の経済モデルが扱われており、過去皆さんと議論したが、その神野さんの熱烈な支持者でもある慶応大学の井手英策さんの「日本財政 転換の指針」(岩波新書)には、日本社会のどこが壊れてしまったのか、議論を進めている。少し極端な論理展開になっているところもあるが、政治への信頼と言う意味では、我が国は先進国中、最悪の状況であることを指摘するなど、本書との関係でなかなか興味深い視点を提供してくれている。

 また、ダヴ・シードマンが書いた「人として正しいことを」(月と海社)にも信頼が強調されている。原題は「HOW: WhyHow We Do Anything Means Everything」で、かのビル・クリントンが序文を書いているが、ともすると、きれいごととして片づけられてきた「正しい行動」をとることが、長期の繁栄につながることを事例と共に紹介している。その中で、信頼とは「自分の一番大切なものを与えることができること」としており、まさに統合(integration)ということであるが、これが組織を構成する個々人に利益をもたらす重要なポイントになるとしている。

 京大の藤田正勝さんは西田幾多郎の哲学の研究者としても有名であるが、藤田さんの書いた「哲学のヒント」(岩波新書)がわかりやすく西田幾多郎の哲学を解説してくれる。それによると、モノを理解するのは、西欧的でロジカルな「知」だけでよいが、特に人との関係をとらえるには、知情意(知識、感情、意志)がそれぞれに働かなくてはならないと主張するが、日本ではこの3つの内、「情」が重要な役割を果たすのである。石井淳蔵さんは、マーケティングにこの知情意を取り入れて、経営の現場でそれを活かそうと独自の取り組みをされている。

 最近、私は中国大連市の商工会の方々と交流する機会が多くなっている。中国では過去10年以上にわたり、経済が好調で今まで組織内部の信頼関係をどう構築すべきか考える必要が無く、結果、そういったことも含めて、勉強してこなかったそうなのである(笑)。しかしながら、流石に、リーマンショック以降、組織運営のあり方、従業員のモチベーション確保などなど、経営について、40代の社長が、必死で勉強しているそうで、稲盛さんの本などに感銘を受けていらっしゃる経営者も多いらしい。中国も頑張っているが、兎も角、大切なのは変化を恐れないことであり、「いつか何とかなる」という危機感の欠如が最も駄目なのである。(平成25年4月20日  神戸都市問題研究所  文責:管理人)

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大石久和著「国土と日本人−災害大国の生き方」中公新書2012年2月

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  かつての旧制高校は今のような受験一色ではなく、学生は政治・哲学書などの難解な本を読んで、本当は理解できていないことのほうが多いのだが、何かわかったような気にならなければならないと言った風潮があった。外国の名著と呼ばれるものや倉田百三の「出家とその弟子」、和辻哲郎の「風土」、物理学者の寺田寅彦さんの数々の随筆などを読み漁ったのである。

 これらの本は、日本や日本人とは何かと言ったことを考えさせられることを含んでいる。また、後年のことになるが、農耕民族としての日本の自然と日本人の特性を書いた山本七平の著作も興味深く読ませて頂いた。神戸大学ではかつて、山本七平さんをお呼びして講演をして頂いたことがあるが、事前のPRが十分でなかったせいで、聴講生が少なく、山本さんには大変申し訳ないことになってしまったが、その後も永らくお付き合いを頂戴した。

 本書の関連で言えば、寺田寅彦さんの随筆集の第五巻(岩波文庫)に「天災と国防」というエッセイがあるが、地震・台風などの天然災害は文明が進むほどその劇烈の度を増すという日本の自然環境を前提とした先駆的な天災論である。短いエッセイであり、一度目を通しておかれたらと思う。少し脱線するが、寺田寅彦は実に多才な人で、物理学者が本職ながら、作家、俳人でもあり、俳句論も特筆すべきであろうか。その仲間に(雑誌「ホトトギス」)に山口誓子さんがおられ、神戸大学には山口さんのご一族からご寄付を頂戴するなど大変に縁が深い。

 さて、本書の著者である大石久和さんは神戸ご出身で、旧建設省の道路局長、国土交通省の技監を経て、京大の特命教授でもいらっしゃる。本書をテキストに選んだのは、今後の公共事業を考えるにあたり、単に景気刺激策とか財政負担から論じるだけではなく、細長い国土を持ち、その国土の7割が山地で、台風や地震、津波などの天然災害が多い我が国の特徴とそこに生きてきた日本人について一度整理しておかないと議論がおかしな方向に向かってしまうと思ったからである。

 特に前半は日本列島の自然条件(管理人注:国土のゆがみ、四島に分かれていること、脊梁山脈と急流、地質が複雑・不安定、狭い平野、軟弱な地盤に加え、地震・津波、集中豪雨台風、豪雪など)及び国土の社会条件(管理人注:土地の保有概念、進まない地籍の確定、土地の細分保有)などに関しては良くまとめられているし、また、私自身知らなかったことも多い。そして、本書ではそのような国土を受け継いだ先人がどのように国土を守り、利用してきたを示し、最後に天皇の教育係であった小泉信三の言葉を持ち出し、今後も将来世代に責任をもって前代よりもよりよい形にして国土を引き継がなければならないとする(p233)。 我が国は森林の多い豊かな自然を持っており、森林面積の国土に占める割合は世界271カ国中5番目で、大変に恵まれていると言ってよいが、神戸は市域に六甲山系をすっぽり抱える、他に例のない大都市である。ニューヨークには有名なセントラルパークがあるが、そのご自慢の“人工公園”も六甲山には到底及ばないだろう。

 私は神戸新聞の高志社長に誘われて六甲山大学の名誉学長をやらされているが、江戸期に都市化された阪神地区の後背にある六甲山はかつて禿山で、明治時代に我々の先輩が地道に植林し、現在のような緑豊かな山にしたのである。しかし、土地の所有が複雑で、このことは本書にも書いてある通り(p105)であるが、今後、この緑豊かな六甲山を維持することはそう簡単ではない。間伐などの維持管理、前述の土地所有者の問題などに加え、地球温暖化の影響で海抜931mある六甲にもブナが育ちにくくなったという環境変化もある。

 話は変わって、我が国土は自然災害をもたらすが、同時に恵みももたらす。京都大学の尾池和夫総長は「四季の地球科学 日本列島の時空を歩く」(岩波新書)などの著作があるが、日本列島の多様性を強調し、俳句の季語などについて語りながら自然の恵みを愉しむべきと説いている。

 東大の小宮山宏さんのプラチナネットワーク構想は高齢者を含む日本人に、エコ(グリーン)、健康(シルバー)、IT(ゴールド)など、さまざまな輝きをもった一ランク上の暮らし(=プラチナ)の実現を目指しているが、美しい国土を持つことが大前提である。

 四国の山間の町上勝町はより積極的である。町の大半を占める森林のめぐみを活かし、葉っぱ(つまもの)を全国に出荷する。1000万円も稼ぐおばあちゃんもいて、生き生きした町づくりにも成功している。

 一方、杉を中心とした人工林は事実上放置状態であり、光を取り入れ、立派な木を育てるための間伐があまり行われていないのが実情であり、将来の懸念材料である。そんな中で、石城謙吉さんの「森林と人間―ある都市近郊林の物語」 (岩波新書)も大変興味深い。苫小牧市の郊外の荒れ地を、自然の再生力を尊重する森づくりを行い、豊かな「都市林」として見事に再生した話である。

 厄介なのが、7割の民有地に対する取引について、農地のようなその所有に規制がないため、国内で土地の所有権が認められていない中国人が喜んで買い占めているという。 一方、ベルギーなどは絶えず戦争で国そのものを奪われた経験があり、土地所有にあまりこだわらない。本書では明治期に導入された壬申地券が導入され、土地所有についての考え方が定着したとしているが(p92)、このように国や時代によっても考え方が違うのである。

 ところで、皆さんもお気づきのように、本書では今後、国際競争を勝ち抜くためのインフラ・交通ネットワークの整備(p173)、地震、津波、集中豪雨に対する防災(p198)、高度成長期に大量につくられたインフラの改修(p224)などの必要性が強調され、公共事業を増やしたい自民党の議員に都合よく利用される懸念があることは指摘しておきたい。

 そうならないためというわけではないが、以下、今後の国土をどうやって後世に引き継ぐかということ考えるに際し、重要なポイントをあげてみる。

  まずは、川口君が指摘していたが、今後の公共事業を語る上で、将来の人口構造をどう見るかということは極めて重要である。昭和50年代のピラミッド型人口構成は2050年には蛸型に変化し80歳代が一番多いということになる。勿論、人口を増やしていくということも考慮しなくてはならないが、限りある財源を真に必要な公共工事に充当しなければならない。国民の各階層の利益が密接に絡んでいるだけに、一次方程式ではなく複雑な連立方程式でのみ解が得られる。そのためには夫々が歩み寄るということが何よりも大切である。

 そうなると、公共事業に対する透明性をいかに確保できるかということが重要。熱血授業で有名なハーバード大のマイケル・サンデルは、功利主義を批判し、正義論を確立した同じハーバードのジョン・ロールズに対し、共和主義あるいは共同体主義(コミュニタリアニズム)を唱えた。共和主義の弱点は、共産主義国家でその弊害が指摘された「皆のものはだれのものではない」という状況に陥ることであるが、敢えてこれに挑戦し、「皆のものは皆のものである」という共同体意識を社会全体が受け入れることが重要であり、その前提が透明性であるとした。家庭では辛うじて(?)透明性が確保され、共同体として機能しているが、これが会社になり、自治体から、国へと組織が大きくなるに従い、“エゴイズム”と“無責任”が蔓延することとなりやすい。

 その点で言えば、人口が多く、国としても大きいが、日本は案外、有利であるかもしれない。河合隼雄さんによれば、日本人は個人主義もしくは「個」が確立されておらず、「皆がやるから私もやる」という国民性であり、これは世界的に類が無いように思えるが、共同体主義を社会の規範として受け入れるにはこれほど恵まれた国は無いということになる。

 別の角度から申し上げると、ケネス・E・ボールディングは経済領域においては交換(Exchange)が,政治領域においては脅迫(Threat )が,コミュニティ、、、身近な例では家庭ということになるのだが、、、統合(Integrative System)が組織原理として中心的な役割を果たすとした。そして、統合には何よりも信頼が無くてはならず、その信頼の前提が先に申し上げた”透明性”である。

 少し横道に逸れるが、翁百合、西沢和彦、山田久、湯元健治さんの書いた「北欧モデル 何が政策イノベーションを生み出すのか」(日本経済新聞出版社)が、大変面白い視点を提供している。即ち、北欧は長らく社会民主主義的な政治路線をとり、高福祉国家をつくりあげたが、それを支える「高負担」が一般に受け入れられている最大の要因は社会や政治への信頼である。 

 次に考慮すべきは、リーダーシップ。山本君のコメントにあった住友の総理事であった伊庭貞剛は別子銅山の争議や煙害問題に自ら向き合い、奔走し、問題を解決した。煙害対策として銅の精錬所を四阪島に移したが、伊庭はこの島を個人で購入している。また、煙害でやられた別子の山に毎年百万本の植林をしたのである。引き際も鮮やかであった。(管理人注:引退時に「事業の進歩発展に最も害するものは、青年の過失ではなくして、老人の跋扈である」という言葉を残した。)

 伊庭貞剛のケースは明治期のリーダーの中でも特筆すべきであるが、その他にも、神戸大学の金井壽宏さんの心理学をひとつのベースにおいたリーダーシップ論やアメフト部の指導経験から“褒めること”をリーダーの素養の第一とする関学の武田建さんについては過去何度か紹介した通りである。最近、先日の読書会でとりあげたハンターの「サーバント・リーダー」の出版社である海と月社から、感想を求められることが多くなったが、その中で、クーゼス&ボズナーの「リーダーシップチャレンジ」ではリーダーシップの基礎は信頼であり、それを前提に、自ら模範となり、共通のビジョンを示し、環境を整えてあげ、心から励ますことが肝要であると論じる。 

 最後に日本の官僚制度について。いろいろ批判はあるものの、残念ながらと言って良いのか、今後の我が国の国土政策をどうするかということを考えるには、やはり官僚の力は欠かせない。米国ならワシントンだけで100ものシンクタンクがあり、それらの力を借りて、議員立法方式で法案が提出される。現時点において日本のシンクタンクにはそのような力は無い。また、現在の大学も残念ながら、国の政策を立案できるような能力は持ち合わせていない。民主党は官僚抜きで改革を断行しようとしたが、結果的に殆ど成果をあげることが出来なかった。官僚は立案能力のある人材を抱え、豊富なデータを持ち、現地をつぶさにみることができる。安倍政権が国のデザインを示し、その実現のために官僚と対話し彼らをコントロールできるか、政治のリーダーシップに期待したい。(平成25年1月19日、神戸都市問題研究所 文責:管理人)

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