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4.石屋戸の神話学 (4)鎮魂祭の秘儀

「鎮魂祭」とは、天石屋戸神話を起源譚に持つ、大嘗祭もしくは新嘗祭の前日である十一月中寅の日におこなわれてきた祭祀です。

岩戸神楽乃起顕 三代豊国

三代歌川豊国 錦絵 『岩戸神楽乃起顕』 江戸時代末期

スサノヲの狼藉によってアマテラスは天石屋戸にこもり、世界は闇につつまれました。神々はヤス川に集まって合議し、石屋戸前でアメノウズメが舞い、神々の笑い声を気にしたアマテラスは岩戸を開けて、タヂカラヲに引き出されて、世界に明るさがもどりました。これが天石屋戸の神話です。

「鎮魂祭」がこの神話に基づくことは、少なくとも平安中期から認識されています。旧記では、『古事記』の天石屋戸神話の詳細を記し、それが十一月に鎮魂祭をおこなう理由だといっています。
「舊記云 天照大神天石戸隠坐之時、忌部遠祖太玉命根掘天香山眞賢木 以賢木祭神之由此也 種々幣取垂棒持、中臣遠祖天兒屋根命祷申、猿女公遠祖天鈿女命日影為縵、取竹林手石屋戸伏船蹈登、動揺而為神楽、八百萬神一共咲之 十一月鎮魂此由也」(『平安遺文』「神祇官勘文」村上天皇・天暦三(949)年五月)

また、『古語拾遺』は「鎮魂の儀」は天鈿女命から伝わるものだとしています。
「凡鎮魂之儀者。天鈿女命之遺跡也」(齋部広成『古語拾遺』)

実際におこなわれた「鎮魂祭」の次第は下記のようなものでした。(*1)

  1. 琴師・笛工の音取と合奏

  2. 御巫の舞

  3. 御巫が賢木で宇気槽の上を衝く

  4. 神祇官の一人が、葛筥にいれた木綿の絲を十度結ぶ

  5. その時、一二三四五六七八九十の唱えごと

  6. 女官蔵人が、天皇の御衣を入れた筥を開き、これを振り動かす

  7. 猿女の舞

  8. 盃事

  9. 倭舞(諸司による)

『貞観儀式』『西宮記』『北山抄』『江家次第』などによる「鎮魂祭」次第

これ以外の情報が残っていないので、詳細は分かりませんが、「3.御巫が賢木で宇気槽の上を衝く」にアメノウズメがウケ舟を踏みとどろかせた所作を伝え、「2.御巫の舞」「7.猿女の舞」が石屋戸前の舞を伝えているのでしょうか。

どのような内容がおこなわれたかをさらに追っていくと、「鎮魂歌」にいきあたりました。この舞で歌われたと思われる「鎮魂歌」が鎌倉時代の『年中行事秘抄』に収められています。

 アチメ(一度)、オオオオ(三度)、天地あめつちにきらさかすは、さ揺らかす、かみわかも、神こそは、 きねきこう、き揺らならは。

 アチメ(一度)、オオオオ(三度)、いそかみ布瑠社ふるのやしろの、太刀たちもがと、ねがに、たてまつる。

 アチメ(一度)、オオオオ(三度)、猟夫さつおらが、真弓まゆみ奥山おくやまに、御狩みかりすらしも、ゆみ弭見はすみゆ。

 アチメ(一度)、オオオオ(三度)、のぼります、豊日孁とよひるめが、御魂みたま す、もと金矛かなほこすえ木矛きほこ

 アチメ(一度)、オオオオ(三度)、三輪山みわやまに、ありたてるちかさを、今栄いまさかえでは、何時いつさかえむ。

 アチメ(一度)、オオオオ(三度)、吾妹子わきもこが、穴師あなしの山の山の山もと、人も見るかに、深山みやま縵為かずらせよ。

 アチメ(一度)、オオオオ(三度)、魂筥たまはこに、木綿取ゆうとりしでて、たまちとらせよ、御魂みたまり、たまりましし神は、今ぞ来ませる。

 アチメ(一度)、オオオオ(三度)、御魂みたまみに、ましし神は、今ぞ来ませる。魂筥たまはこ持ちち、去りくるし御魂みたま魂返たまかえしすなや。

 ひと ふた み よ いつ むゆ なな や ここの たりや

『年中行事秘抄』 鎮魂歌

なんとも面妖な歌詞です。

意味不明な箇所も多いのですが、石上、三輪山、穴師などの奈良盆地東南部の地名と、「豊日孁とよひるめが御魂欲す」という歌詞。三輪山~穴師のあたりで、豊日孁とよひるめが、(の?)どこからか去ってきた「御魂」を魂筥たまはこに取り込もうとしているらしいことは読み取れます。
これまでの論考で、石屋戸は古墳だったことはほぼ間違いないと思われます。
この鎮魂祭が実際にあった事件を元にしているなら、三輪山麓でアマテラスの死のあとにおこなわれた古墳前の祭祀が伝えられているように思えます。

三輪山・穴師

三輪山・穴師・桧原台地・箸墓の位置関係図
(国土地理院データを元にカシミールでレンダリング、Pov-Rayで箸墓レンダリング後、PhotoShopで合成。)

「鎮魂祭」は大嘗祭・新嘗祭の前日におこなわれます。したがって延喜式の次第では天皇の誕生・新年の儀礼前にヒルメの死の儀礼を用意していたということになります。

アマテラスの死によって王権が成立した

―――延喜式の次第からはそのように読み取れます。

「アマテラスの死」によって何が起こったのか?「アマテラスの死」を神話ではなく、実際にあった歴史的事実と仮定して、これから考えていきます。それはアメノウズメが『古事記』と『日本書紀』でどう描かれているかを比較することによって再構成することが可能です。


(*1) 『貞観儀式』『西宮記』『北山抄』『江家次第』などによる。松前健『古代伝承と宮廷祭祀』

4.石屋戸の神話学 (4)鎮魂祭の秘儀

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