デジタル邪馬台国

3.箸墓の幾何学 (6)空白の三輪山麓
箸墓と桧原台地

観測地点は、前方部にセットされた三角縁神獣鏡の反射が見える位置でなければなりません。平地なら後円部に隠されて難しいのですが、箸墓の東側は山沿いの傾斜面になっているために、すこし離れれば可能です。

この箸中の集落の東側の台地は、西端をカットされたような人工的な印象があり、前田晴人氏は箸墓建設の際にここから土が採取された可能性を指摘し、卑弥呼の宮室をこの台地に想定されています。(*1) この台地を国土地理院刊行の『数値地図50mメッシュ(標高)』のデータを使ってレンダリングすると下図のようになります。前田氏のいわれるように、人工的な地形です。(*2)

三輪西山麓 中央が桧原台地 ホケノ山から見た箸中の集落と桧原台地

一方清水真一氏は、三輪山麓の古代の「山の辺の道」を古墳の位置関係から復元されました。氏は、三輪山麓に、まったく遺跡の無い個所があると指摘しています。以下に黄色で図示するように、この台地がまさに遺跡のない場所にあたります。

  <凡例>
古墳
祭祀遺跡
三輪山磐座群
太陽の道
上つ道
古代山の辺の道
空白地帯
井寺池

また、この場所は黄緑色で示した三輪山の磐座群を見上げる位置にあたります。太陽を観測する場所であると同時に、磐座祭祀にもかかわる場所として、この台地は重要な場所だった可能性があります。

桧原台地からは5月初旬から夏至までの
日の出の位置を観測できる

桧原台地上空から
標高88m以上のみ表示

上図右に示すように、三角縁神獣鏡の反射光の範囲はその凸面の角度からこの台地の範囲内に限られます。しかも、この台地の標高は箸墓前方部の標高88mと一致しており、箸墓の前方部はこの東の台地の標高にあわせて、太陽観測のために造成されたものではないかと思われます。

この台地の上にある、井寺池の位置は箸墓と日没の観測に絶好の場所にあります。箸墓を建設した際に同時に、ここに観測用の施設が建設されたとしてもおかしくはありません。井寺池の堤防には標高114.93mの車谷の四等三角点があり、その位置を正確に知ることができます。(*3)

▼井寺池と箸墓
▼井寺池地形図 ▼井寺池からの箸墓 ▼車谷四等三角点
▲井寺池(西池)

この井寺池の位置に観測台があったとすると西面以外の三方向を丘陵に囲繞され、観測者の防御を中心に考えられた設計だったことがうかがえます。

井寺池の樹木 根元に石の層があり樹木はその層の上から生えている

このように、箸墓は東側の台地上からは太陽観測装置ですが、纒向遺跡を含む西側からは、神獣鏡に反射する朝日を見ることができません。さらにその周囲を濠が周囲を囲んでいたとすると、様子がいっそう隠蔽されることになります。このように箸墓が高い前方部や濠で侵入を阻んでいること、そして台地からのみ観測を許すという形態から想像すると、太陽の運行の観測は初期大和政権の基盤となった技術であったために、その核心部は一般には秘密にされていたものではないかと思われます。

黒塚古墳の33枚の三角縁神獣鏡や椿井大塚山古墳の32枚の三角縁神獣鏡、それらの枚数の根拠はこの太陽観測にその起源があるのではないでしょうか。

前方後円墳の起源は箸墓であり、太陽運行観測のためにその形態が生み出されました。けっして壺起源説などのように、漠然とした理由で形が決められたのではなく、明確な理由がありました。ただ、その企図が秘匿されており、後続の前方後円墳は、前代の形態を表層的に模倣したために、原型の意図が失われたものです。弥生墳丘墓の形式は、前方後円墳の要素技術ではありましたが、その意図は弥生墳丘墓を発展させたものではなく独自のものでした。

箸墓&台地

箸墓と台地 北から(右手が箸墓 左の緑が井寺池のある桧原台地・中央はJR三輪線)

台地と箸墓

箸墓と台地 南(中和幹線橋梁)から


(*1) 前田晴人 「卑弥呼の宮室はここだ!文献から探る新・所在地論」 『歴史読本』2000年11月号所収 新人物往来社
(*2) この頁の地形のレンダリングにはDan杉本氏のフリーソフト『カシミール3D』を使用しました。この優れたソフトを開発されたDan杉本氏に感謝します。
(*3) 北緯34度32分07秒307 標高114.93m

3.箸墓の幾何学 (6)空白の三輪山麓

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