デジタル邪馬台国

1.神獣鏡の図像学 (7)青龍三年鏡

京都府の丹後半島にある大田南五号墳や大阪府高槻市の安満宮山古墳から、青龍三年銘がある方格規矩鏡が出土しています。青龍三年は西暦235年にあたり、卑弥呼が魏に遣いを送った西暦239年の4年前になります。このため、卑弥呼が魏から下賜された鏡の候補ともされています。

大阪府高槻市 安満宮山古墳出土 青龍三年銘方格規矩鏡

論理的、抽象的な方格規矩鏡からマジカルな神獣鏡という形式変化が不自然なものだとすると、これらの青龍三年銘の方格規矩鏡はどう位置付けられるでしょうか。

方格規矩鏡は魏の前代の後漢鏡に端を発する様式の鏡です。様式は年代とともに簡略化していくと考えられています。これらの青龍三年鏡には四神が描かれ、これらの青龍三年鏡をこの様式史に位置付けると、「復古的なデザインの鏡」という位置付けをされることになります。

この鏡が魏鏡であるという立場からは、あえて復古的なデザインの鏡を、鬼道をおこなう女王卑弥呼に(倭人の嗜好にあわせて)与えたと考えることができます。たしかに卑弥呼がもらった鏡が「青龍三年」の銘を持っていた可能性は大きいと考えられますが、これらの「方格規矩四神鏡」ははたしてそれらの鏡なのでしょうか。

立木修氏は「方格規矩鏡」の図柄の割付方法について考察されています。(*1)立木氏によれば、これらの幾何的なデザインは一定の割付方法に則って作られているといいます。妥当なものだと考えます。

しかし、氏も述べておられるように、これらの青龍三年鏡はこの法則にのっとっていません。したがって、整然と並ぶべき区画の位置関係が狂っています。

青龍三年鏡

京都府 弥栄町・峰山町 大田南五号墳出土 青龍三年銘方格規矩鏡

この事実をどう解釈するか。魏の製造技術の低下と見ることも可能でしょうし、青龍三年製造の原鏡の倣製鏡と考えることも可能でしょうが、これらの「方格規矩四神鏡」が後漢鏡を真似て、あらたに日本でデザインされ、製造された可能性も否定できません。

福永伸哉氏は、「方格規矩鏡の特異な一群」に注目し、これらを技法の共通性から中国鏡と主張されています。

もし、日本製だとすると、以下のような推論が可能です。魏では抽象的なデザインの鏡を下賜したが、日本でその年号をのみ生かし、マジカルな復古的なデザインに仕立てた。やがて画文帯神獣鏡と三角縁神獣鏡という神獣鏡の副葬モデルを作り出していった、その方向性の萌芽がこれらの鏡にうかがえるのだと。その場合、本来抽象的なデザインの鏡にマジカルな装飾を加えたのは、日本人の意図だと考えられます。 マジカルな神獣鏡を流行させる直前のデザインが、これらの方格規矩四神鏡である可能性があります。

大阪府高槻市 安満宮山古墳内部

やがて「その年」の年号鏡、つまり「景初三年」「景初四年」「正始元年」鏡を生み出すことになる方向性は、そもそも「青龍三年」鏡にあったのではないでしょうか。マジカルに修飾されるべき対象はまさに卑弥呼が下賜された鏡にあったこの「青龍三年」という年号にあったのです。

大阪府高槻市 安満宮山古墳


(*1)立木修「方格規矩鏡の割付」『文化財論叢Ⅱ』奈良国立文化財研究所創立40周年記念論文集刊行会 平成7年

1.神獣鏡の図像学 (7)青龍三年鏡

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