デジタル邪馬台国

3.箸墓の幾何学 (3)周髀算経

中国古代の天文書『周髀算経』に「インディアン・サークル法」と呼ばれる方位を知る方法が述べられています。

「其術曰。立正勾定之。以日始出立表。而識其〓。日入復識其〓。〓之両端相直者。正東西也。中折之。指表者。正南北也。」

表(棒)を立て、水平な地面で、朝と夕方にその影の長さが一致した位置を結ぶと、正東西の線が得られ、さらに折半して正南北を知ることができるとしています。この方法は、ピラミッドの建設に際して使用された精密な測定方法とされています。(*1)

ここであらためて箸墓の測量図を見てみましょう。後円部の標高97mに明確に正円が測量されています。この箸墓の立地は三輪山に続くわずかな斜面になっていますが、(この測量図上は)厳密に正円の平面が築成されていることに注目すべきでしょう。「壷」模倣説などでは説明のつかない厳密さがこの箸墓の造成にあたっては考慮されているといわなければなりません。この「インディアン・サークル法」による方角の測量には、完全な平面を必要とします。

近年箸墓の周囲が発掘されて、渡り堤が発見され、周濠があった可能性が信憑性を増してきました。周濠は陵墓を周囲から隔離する性格を持つとも考えられますが、満たされた水面は、この後円部の平面を築成する基準ともなりえます。

前章において、箸墓の先端に柱を立てる小川光三氏の説を紹介しました。この柱と箸墓の後円部に周到に造成された水平な円を利用して、正確に東西南北を知ることができます。

ここで、前方部の角度に注目してみましょう。後円部中央の柱と、前方部の両端を結んでみます。測量図は当時の厳密な姿を再現するものではありませんが、南側は30度、北側は10度程度の角度が得られます。すでに述べたように、夏至の日の出は30度の前方部の南端に影を落とします。そして、5月初旬に、前方部の北端に影を落とします。

米田賢次郎氏は中国古代の農法について考察され、農書『齊民要術』が、農耕暦として二十四節気を基準にした「節月」を採用していることを推定されています。

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1 立春
2/4
5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 雨水
19
20 21 22 23 24 25 26 27 28 3/1 2 3 4      
2 驚蟄
3/5
6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 春分21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 4/1 2 3 4  
3 清明
4/5
6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 穀雨20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 5/1 2 3 4 5  
4 立夏
5/6
7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 小満21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 6/1 2 3 4 5 6
5 芒種
6/7
8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 夏至21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 7/1 2 3 4 5 6    
6 小暑
7/7
8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 大暑23 24 25 26 27 28 29 30 31 8/1 2 3 4 5 6 7
7 立秋
8/8
9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 處暑23 24 25 26 27 28 29 30 31 9/1 2 3 4 5 6 7  
8 白露
9/8
9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 秋分23 24 25 26 27 28 29 30 10/1 2 3 4 5 6 7    
9 寒露
10/8
9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 霜降23 24 25 26 27 28 29 30 31 11/1 2 3 4 5 6    
10 立冬
11/7
8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 小雪22 23 24 25 26 27 28 29 30 12/1 2 3 4 5 6    
11 大雪
12/7
8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 冬至22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 1/1 2 3 4 5    
12 小寒
1/6
7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 大寒20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 2/1 2 3      

「箸墓」の農耕カレンダーはこの「立夏」から「立秋」にいたる3ヶ月間にほぼ一致します。

「箸墓」は、その名称に反してまず第一に、厳密に東西を測定する基準器として建造され、農耕暦の管理に使われたのです。

しかし、その測定方法が、後円部の上部に配置されているということは、一般に秘密にされていた技術であることをうかがわせます。


(*1)藪内清 「中国の天文学と数学」 『科学の名著 2 中国天文学・数学集』解説 朝日出版社 1980年
(*2)米田賢次郎 『中國古代農業史研究』 同朋舎 1989年 P236

3.箸墓の幾何学 (3)周髀算経

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