M氏の部屋~ある一ファンからのメッセージ~
姫路交響楽団の創立当時から演奏会を聴きにお越しくださる熱心なファンの方がいらっしゃいます。その方(M氏)が2002年の第48回定期演奏会から演奏会をお聴きになった感想を私たちに寄せていただくようになりました。これはあくまでも個人の方の私見ですが、多くの方たちにも是非読んでいただきたく、ご本人の了解の元、ホームページ上で公開する事に致しました。
(第92回定期演奏会)50年目の「第9」
創立50周年を迎えた姫路交響楽団が、満を持しベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付」を取り上げた事を喜びたい(第92回定期演奏会)。
冒頭から表情の濃い重量感みなぎる演奏で雄渾そのもの、それでいて音楽が決して重苦しくならない。黒田氏とオーケストラによる成熟した余裕のあらわれであるだろう。たえず跳ね上がろうとする音楽のエネルギーを抑制する氏の姿には、演奏が作品以上に飛躍しすぎないよう音楽と付かず離れずの距離を保ち、オーケストラに演奏の行方を委ねようとする意図が感じられたし、第一楽章における音楽の流れが次第に落ちついたものになり、やがて感動に変化して行くプロセスには何ものにも代えがたい風情が漂った。そうなった理由はひとつ、オーケストラがこれまでにないパワーを身に付けたことによって、指揮者が音楽を捉えようとするスタイルから、音楽の中に飛び込んでオーケストラと共に演奏するよろこびを分かちあおうとする音楽への向き合い方に余裕が生まれた事によるだろう。
第二楽章は黒田氏とオーケストラが自然に作品に溶けこんでスケルツォを楽しむさまが実にほほえましい。元来スケルツォがこのように喜びを表わした音楽であることを思えば、まことに理に適った演奏と申すほかなく、第9が笑いという慰みを含んだ音楽でもあることをあらためて思い知らされた。演奏はよろこびにあふれ、こんな楽しみ方もあったのかと夢見心地を味わったものです。これではまるで大人のための童話ではないかと、笑いが自然にこぼれるような音楽だった。
耳が聴こえないことによる現実とのずれや違和感が、目の前にある現実の風景の向こうにもうひとつの風景を浮かび上がらせてゆく。記憶と現実、この時空を越えたベートーヴェンの心象風景、これが第三楽章の主題であろうか。その音楽は音符と音符の精緻な繋がりの柔らかさこそが命であり、オーケストラが奏でるレガートの滑らかさは何と静かで平穏な音楽を生み出したことか。緩やかな演奏は神への祈りのようにどこまでも静かで清々しい。表面的な祈りではなく人間の本質を音楽で写しとったような演奏である。派手な音の広がりはないけれど、一音符でも除けば何もかもが崩れそうな均衡が演奏を支配します。茫洋とした空間にきりっと引き締まったオーケストラの味わいが何ともいい。オーケストラが歌い上げた雅歌に他なりません。
音楽は弾みさえつけてやれば際限も無く跳ね上がって雄弁になりますが、終楽章はそうした音楽と言えましょう。オーケストラに四人の歌手と合唱を加えた構成には綾があり、熱狂ばかりでなく魅力的な「歓喜の歌」や合唱音楽の醍醐味を味わわせてくれます。
「歓喜の歌」を待ち受ける空気の中で、「おゝ、友よ」と告げるバリトンの朗々として張りのある美声は、あたかも一つの結晶体のように引きしまった。シラーのテキストに入れ込むベートーヴェンの高ぶりをあるいはやさしく、あるいは厳しく精悍に汲み取ってゆくバリトンが包容力を示して「歓喜の歌」を典雅に歌い上げた。他のソリストたちも歌いたいように歌うのではなく、オーケストラと一体になり均整の取れた平明で明快な歌唱を聴かせた。ソプラノとアルトによる二重唱はじめ、四重唱に至るまで指揮者の指示を守ってオーケストラを凌ぐことがない。各々の重唱の魅力を存分に堪能させた演奏だった。満席の聴衆もしまいにはベートーヴェンの心の震えにすっかり参ったことだろう。
また、驚いたのは少人数による合唱でありながら豊かな澄んだハーモニーをもって無理なくオーケストラと一体化し、大合唱に劣らぬ心の強さを発揮した合唱団の存在である。これは姫路市内で活動する三つの合唱団からの有志と申すべきで、敬意を表したい。
さて、創立以来一人の愛好家としてこのオーケストラと付き合ってきましたが、私には何もかもが初めての体験だった。そもそもオーケストラが如何なる組織であるかを理解しない者にオーケストラ活動について語る資格などあろうはずもないのであるが、このオーケストラと今に至るまで付き合いが続いているのは、きっとリハーサルの面白さを知ったからに他ならず、全く思いもかけないことだった。リハーサルが本公演とは比べものにならないほどの魅力と示唆に富んでいて、オーケストラが何であるかを学ぶのは新鮮な経験だった。それ以上にリハーサルという音楽作りの現場に居合わせることは愛好家として望外の楽しみであったし、そこにはそれが何であれ掴みとろうとする若い楽団員たちの懸命さ、熱い気持ちと、例え遅々とした歩みであろうと音楽作りへの強い志が伝わってきたものです
オーケストラの成長ぶりを示した最初の転機は第48回定期演奏会におけるショスタコーヴィチの「交響曲第5番」であろうと考えています。黒田氏の指揮が大らかで曲の触りをことさら強調することなく、ひたすら全体を尊重する姿勢を通した結果、演奏こそが音楽に意味を与えるのだと意識させられたからである。以後オーケストラがいくつかのターニングポイントを乗り越えて行ったことは折々の演奏会評で述べてきたのでここでは改めて繰り返さない。思えば音楽作りを通して、物事への接し方、作り方についても多くのことを学ばせてもらった姫路交響楽団に感謝の思いはつきない。
多くの人たちの支えがあって立派に成長したオーケストラをこれからも市民が支える、そう願ってやみません。
(2024年12月11日)
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