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Himeji Symphony Orchestra

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(第84回定期演奏会)コロナに耐える

音楽はやはり音楽であって代わりがないものであると、コロナ禍のなかでつくづく思い知らされました。音楽が聴けるのは普通のことではないのだと痛感。こうした状況下にあって第84回定期演奏会が開催されたのは驚きでした。プログラムが二曲のみに限定され、セレモニーのたぐいを排して実のある公演に成しえた楽員達の厖大な努力と英断に感謝と敬意を送りたい。

さて一曲目、リストの交響詩「前奏曲」はまるで歌を欠いたオラトリオを聴いているような印象を受けました。曲からあふれるロマンの香りがそう思わせるのか、演奏がそのように感じさせてくれたせいなのかは判然としなかったのですが、リストは声楽をこよなく愛し熟知した人でありますから、仮にこの曲をオーケストラによるオラトリオであると承知すれば、こめられたであろう歌のひとつやふたつを掬いあげるのはそう難しくはないはずです。演奏を聴きながら曲から何かを聴きとり想像を逞しくすることは自然な楽しみ方ではないでしょうか。オーケストラがいくつかのフレーズで歌心を喚起させてくれるような表情を響かせてくれたのは大きな喜びでありました。

黒田氏の目ざしたものが何であれ、氏はリストのロマンに寄り添いつつも安易に情緒的な音楽づくりをすることは避け、この曲の演劇的な魅力、面白さに迫ったと考えられます。歌をつけ加えるだけでそのままオラトリオになってしまいそうな、静から動への感情の変化のプロセスがしっかり捉えられていたからです。こうした個々の表情に誘われるようにして歌を掬いとり一人口ずさんでおりましたが金管、木管と弦楽器のアンサンブルにぶれが生じたり、弱音の響きが弱音として聴きとりにくく、十分機能しなかったことは惜しまれてなりません。結果は次へのステップとして納めておくつもりです。ふくみの多い演奏だったと思います。

音楽はどのように聴いてもよいものですが、いかように演奏するかは奏者にゆだねられています。次にチャイコフスキーの交響曲第5番、黒田氏はよくこなれた語り口で、ロシアの暗闇に光をもたらしました。

第1楽章冒頭でクラリネットが低音を思いのほかさわやかに響かせたし、弦楽器が美しくよく通る響きで木管楽器を心地よく支えて有無を言わせぬ出来ばえ。いずれもロシアの明と暗を象徴しているのでしょうが、ただようドライな感覚にはうなりました。極上の第5番の始まりです。ファゴットやオーボエ、フルートを含めた木管楽器と弦楽器による第2主題も感情に走らず、管と弦のバランス感覚が実に好ましい。

第2楽章のアンダンテカンタービレでも管楽器のひとりひとりに生彩があり、響きが簡潔です。

全楽章を通してチャイコフスキーは内心の葛藤を晒しものにするかのようにねちっこく重ねていきますが、黒田氏はカラッとした感覚でさらりとあしらいます。響きの派手な金管楽器にも硬直したメッセージを騒々しく訴えさせず、木管や弦楽器とほどよいバランスを保つことで、作曲者の苦い思いを逆に強くあらわにします。それをもたらしたのは弦楽器の表情づくり、表現が大きかったでしょう。また切れのよいリズム感や滑らかな合奏のダイナミズム、美しい響きは常に安定して管楽器を支え、緊張感と穏やかな表情を生みだしていました。

演奏は平易で丁寧、それでいて芯が強く、さわやかさが心にしみました。今回の非常時に費やされた楽員達の努力を偲びながら心よりのエールを送りたいと思います。感謝。(2020年11月27日)

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