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(第78回定期演奏会)変化の兆し
姫路交響楽団の第78回定期演奏会で、ショスタコーヴィチの「交響曲第10番」を聴いた。この曲は楽団員達の強い要望で決まった由、その意気にはきっと思うところがあったのでしょう。演奏を聴く最大の喜びは、それが新しい考えや魅力を示してくれることにより、絶えず未知との出会いが生まれることにあります。その意思を尊重したい。期待と不安の中、最後まで予断を許さず、まことにスリリングな演奏でした。
第一楽章の演奏は力強く、黒田氏のアプローチは強靭なコントロール、大胆な表示と周到な準備、鋭いリズム感と洞察力で序奏の性格をしっかり捉えます。何より最初のクラリネットのソロのための雰囲気づくりが秀逸で、これは木管のソロには厳しい対応が迫られる演奏になってきたと固唾をのんでいると、クラリネットは悠揚迫らずオーケストラに寄り添い、そぎ落とされたように硬質な感覚でこの楽章の深い孤独な心を語り始めます。音色は気合がこもって静寂に充ち、一抹の危惧を払拭して人の心を強く動かさずにはおかない深々とした音楽を聴かせました。これはいわば、どうしてもこの曲をやりたいと望んだ楽団員達の総意が生んだものであるだろうし、黒田氏が奏者に自分自身の問題として演奏を託した結果とみるべきでしょう。バス・ラインには充実した意図が漂い、弦楽器の響きは人を引きつけて安心感があふれ、姫路交響楽団の驚異的な粘りは繊細で品格の高い、しかもスケールの大きな演奏を生んだ。
第二楽章の黒田氏は様々な口調で凶暴にスケルツォを語ります。オーケストラの蓄積されたエネルギーを一糸乱れず鬱憤を晴らすかのように爆発させて、思う存分悪ふざけをやってのけました。驚くべき表現法であり、この曲の奇妙な冗談と戯れながら、破壊的な統率力で大真面目に疾走したのは傑作でした。スケルツォの後に続く感情の嵐はいずれにせよ品格の乏しいものですが、オーケストラの圧倒的な狂気の形相に引きずられた聴衆も多かったことでしょう。社会主義リアリズムに従うふりをしながら、こんな暴力的な音楽で民衆の不満をすくい取って体制に逆らうのは、よほど勇気の要ることであり、心中を察して余りがあります。
第三楽章アレグレットの中心で、フォークダンスを通して何度も繰り返して呼び起こすホルンのソロが美しい。一方でオーケストラが暗く影の多い背後の意味を探りつつ、地味な背景づくりで雰囲気を整えソロの管を迎えますが、管はオーケストラに飲み込まれないでバランスのよい響きを聴かせた。個々の管も表情が生き生きしてオーケストラと一体になっている。丁寧な音楽づくりで魅力があふれ、この楽章から何ともミステリアスな味わいを引き出したのは驚きである。
第四楽章もまた素晴らしい。まどろむような木管の美しさ、神経を張りつめたプロローグの指揮には圧倒されました。最後の小節でティンパニーの強打がオーケストラと共に意気揚々と轟きます。オーケストラがこの演奏を通して、管の美しさと魅力をもれなく引き出して聴かせたことは記憶に残るでしょう。この曲を覆う深い孤独感を示してくれるのは、木管のソロの際立つ美しさです。この美しさをオーケストラは見事な雰囲気づくりで応え、ソロの管が主体になると説得力のある響きで、つまるところ音楽は愉しくなければやってられない、と言う本質に接した思いがします。ファイナルの開始で、新しい時代の夜明けの香りをかがせるようなオーボエの悲しげなソロが強く心に訴えてきて、これは疑いなく姫路交響楽団の新たな到達点のひとつになると確信させられました。見事な音楽づくりと申すべきでしょう。
当日は他にチャイコフスキーが二曲、ひとつはバレエ組曲「くるみ割り人形」で、最後はアンコールの「アンダンテ・カンタービレ」。これらの演奏については、今後の機会もあることでしょう。その折に書いてみたいと考えております。(2017年12月9日)