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(第60回定期演奏会)おじゃま虫のつぶやき
第60回定期演奏会は、日頃親しく接することの少ない作品を取り上げたので、不安と期待をもって聴いた。前半はリストの「交響詩 前奏曲」で、ビゼーの「アルルの女 第1組曲」をはさんで後半はフランクの「交響曲 ニ短調」。
はじめに、リストはピアノの巨匠でありますが、世論はいざ知らず私にとっては非常に厄介な作曲家です。彼の数多くの宗教音楽と歌曲に親しんだ身には、彼のピアノ作品と交響詩はかなり異質に聴こえます。つまらないのに無視することが出来ない、何とも奇妙な音楽なのです。たとえれば、ひとつかみの砂を水で洗い流したあとに残るわずかな砂金のようなもので、金を含んだ砂こそがリストの音楽であるように思えてなりません。
さて、リストの前奏曲は不安が適中してしまったような演奏でした。この作品は管がよくないと魅力が半減してしまうのに、力みすぎたのか管が大味で、何より響きのバランスが崩れたまま終始したのはいただけない。弦も集中力を感じさせつつ金管にのまれがちで、音がかすれて冴えがない。それでいて演奏には異様に緊張感があって、しかし退屈だったのは何とも不思議な体験でした。金をつかみそこねた、と申すべきか。リストにはさり気なく接するのがよろしいようです。
次にビゼーのアルルの女はさておき、当日のメインとなったフランクの交響曲は、指揮者によって消化された作品の味わいを、あますところなく示してくれた、すご味のある演奏でした。人は好きでない音楽はあまり聴かないのが普通です。ところが、そのような音楽にすぐれた表現がなされるのを聴けば、心穏やかには居られなくなるもので、姫路交響楽団の紡ぎだす存在感ある音づくりには圧倒されました。前回のブラームスの交響曲第3番に勝るとも劣らぬ立派な成果で、音楽づくりの手ぎわのよさでは更に進化したと言えるでしょう。音色、響きとハーモニーも申し分なく、作曲者もこれを聴けば、これ以上は何も要求しないだろうと思えるほどです。そのことは、第1楽章冒頭の弦によるテーマの鳴らせ方にも表れていて、以降の展開を充分予感させ得る表情を持たせるのに成功していることからも伺えます。これは驚きであり、このオーケストラの力を改めて見せつけられる思いがしたものです。
今回は関心のうすい作品を聴いたので、客観的なよい聴き手というものが、実際に存在するのか否かということについて考えさせられました。作品よりも演奏の魅力の方に心をひかれる場合、果たしてそこから責任をもって理性にのっとった客観的な演奏批評が成し得るものかどうか。どうやら、楽しい難題を負うことになってしまったようです。(2008年12月4日)
(第59回定期演奏会)ロマンチストの慎み
あれは、これまでのベストの演奏だったと憚りなく言える幸せに浸りながら、第59回定期演奏会で聴いたブラームスの交響曲第3番についてしるしておきます。
私が夢見るブラームスの管弦楽法にこけおどしは一切なく、万事が控え目です。それぞれの楽器は音楽の流れにそってそのつど的確に登場し、その場の空気と匂い、温度や湿度を定着させます。用法は厳格で格調が高く、たとえばクラリネットの扱いにはひとつまみのスパイスのような趣さえあります。どの楽器も必要だから使用するのではなく、使用しないですまそうと拒み続けるような扱いをブラームスはしています。そこに渋いと評される彼の音楽の必然性をみることができるでしょう。穏やかなタッチで、できるかぎり音を控えながら、何もかもを表現することのできた、何もしないことのできる人でした。生粋のロマンチストと申すべきでありましょう。
では、それでブラームスの何がわかるのか。それは私の中で、彼の灰色に近い音色が濾過され、品格と慎みに裏打ちされた絢爛たる世界が現れることに他ありません。幸いにも当日の演奏で、オーケストラは大変な潜在能力をもって、私がこれまで意識してきたとおりのブラームスを聴かせてくれました。ひとつの音、ひとつの響きを粗末にすることなく、獲得した技術と感性を余すところなくそそぎこんでくれたのです。管楽器は音量、音色、響きがいつになく的確で美しく、このオーケストラの打楽器にも初めて品のよさを感じました。弦楽器はこれまでのようなこなれの悪い響きではなく、ゆっくり熟成させたようなゆるぎのない響きでオーケストラを支配し、申し分ないバランスのよさで、骨のある音楽に仕上げたのは立派です。
当日の演奏をあと2曲。まずベートーヴェンの「レオノーレ」序曲第3番は、よくまとまっているのに、演奏の意図が全く見えませんでした。オペラ「フィデリオ」は作曲者も手こずった難物です。今後演奏を重ね、さらに深化させることが肝要でしょう。つぎにプロコフィエフのバレエ「ロメオとジュリエット」より抜粋で7曲。様々な音色と響きを楽しませてくれましたが、音楽と演奏に行き違いが生じたように思われてなりません。アンコールのブラームス「ハンガリー舞曲」第5番は前回、3年前に聴いたのと同様堂に入った演奏でした。
今回の定期はプロコフィエフを取り上げたことで、ずいぶん意欲的なプログラムになっています。全体の流れとしては、ベートーヴェンから20世紀へと音楽の幅がひろがり、そのために興味の対象が作品そのものから演奏の質に移りつつあるように思われます。これはオーケストラとしては自然の成り行きで、希望を抱かせる兆候と申せましょう。
指揮者と団員たちの大いなる精進に乾杯。(2008年4月30日)