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(第66回定期演奏会)名人の手ざわり
第66回定期演奏会でモーツァルトの「ピアノ協奏曲第23番」、チャイコフスキーの「交響曲第4番」とフンパーディンクの歌劇「ヘンゼルとグレーテル」前奏曲を聴いた。
モーツァルトを偉大な存在にしているものは、その感覚だろう。彼の作品には厳しい古典音楽の規律があり、そこから生みだされた厳格な音楽は演奏家によって軽快、優雅といった衣を着せられ、信じられないほどくつろいだ感覚へと表情を換えています。人が趣味のよい調度品に囲まれた書斎でゆったりとくつろぐような感覚でしょう。
今回のモーツァルトはピアノに遊び心が乏しく、ひたすら曲の奥にひそむ厳しさをすくいとるかのようで窮屈さが残りました。けれんのない、しっかりした音を弾き出してくれたのに、タッチが重すぎて軽快な味わいが指先からするりとこぼれ落ちたようでした。オケもピアノに合わせたかのように表情に伸びやかさがありません。各楽器の音色がきれいに混ざり合わないために、オケの響きがぼやけて軽快な表情が失せたせいでしょう。弦にもう少し伸びとつやがあれば、終楽章のフアゴットはより自在になって、ピアノとオケの対話も盛り上がりを見せたに違いありません。モーツァルトは堅苦しい尊敬の念よりも、心から親しみをもって接するのがよろしいようです。
チャイコフスキーは奔放な熱演で圧倒されました。交響曲第4番を特徴づけている金管の強奏による咆哮は突出しがちですが、よく鍛えられた弦楽器の合奏が金管につぶされずに対応したので、音楽にこれまでにないふくらみが生まれバランスのよい響きに仕上がりました。第3楽章のピチカートは弦が浮き上がるだろうと危惧したのですが、しなやかで、うねるような、それでいて控え目で品のよい表現に徹したのは見事。これで全楽章間の流れにメリハリがつき、音楽の表情が雄弁になりました。
濃厚な味付けで感情をストレートにぶつけるようなチャイコフスキーの管弦楽曲には、嬉々として細部の音づくりに熱中する熟達の名人芸を見る思いがします。人の世の喜怒哀楽を手ぎわよく音と響きに置き換えてゆくオーケストレイションの技は鮮やかで、人を魅了してやみません。孤独、悲しみ、悶えや怒りなど、およそ閉塞感にみちた感情を趣向をこらせて、雄渾荘重な様式美に昇華させるのが彼の手法です。そうして紡ぎだされる甘く、耳ざわりのよい陶酔の魅力に人は翻弄されるのです。姫路交響楽団による演奏は、チャイコフスキーのこうした想いを伝えて、余すところのない演奏だったと記しておきます。
もうひとつ、フンパーディンクの前奏曲は、このオーケストラの合奏力が着実に進化をとげつつあるのを見届けるような、立派で楽しい演奏でした。(2011年12月1日)
(第65回定期演奏会)一筋縄では行かない
管楽器、弦楽器とティンパニーがバランスのよい響きで有機的につながると、オーケストラがひとつの巨大な楽器となって機能することを実証したのが、第65回定期演奏会で取りあげたブラームスの「交響曲第1番」でした。自信と不安の間を不器用に行きつ戻りつ逡巡しながら、呻吟しつづけた作者の息づかいが聞こえてくるような第1番を演奏するのは容易ではありません。
悠然と打ちならされるティンパニーの響きにのって悠揚と動き始める第1楽章の序奏部は、指揮者の指示するテンポと音量が適切で、作品の荘重さを暗示させて心うたれるものがありました。オーケストラがつやのあるぶ厚い弦の響きと表現力ゆたかな管、これを的確に支えるティンパニーによって、この楽章を信じられないほどすっきりした表情にしあげたのは驚きです。たえず走りだそうとするオーケストラを黒田氏が冴えた手綱さばきで制御し、センスのよい表現に昇華させたのでありましょう。
第2、3楽章はリズムとハーモニーが複雑になっても、思いがけぬほどくつろいだ感覚があり、そうした雰囲気を敏感にすくいあげるオーケストラの風通しのよくなった響きに感嘆したものです。弱音部の微妙なうつろいやすい感情をしっかり捉えることが出来たのは当然の成果でありましょう。
さて、第4楽章の主題はベートーヴェンの第9、歓喜の歌に絡めて言及されることが多いようですが、ブラームスはこれを楽章の中間部でいきなり歌わせています。格調高く、まことに劇的な登場です。それだけに快適なリズムにのって歌われる主題は聴く者に新鮮な響きを与えます。この驚きがなければ第1番を聴く意味はより違ったものになるでしょう。第1番をおおう厳格さと混沌とした状態から音楽の流れを逸脱させるためにこの主題は必然です。そうでなければこの主題は浮いたままになってしまいます。オーケストラがこの主題を違和感なく音楽の流れに溶けこませた表現力は見事で、この楽章随一の聴きものでありました。
今回、ブラームスの第1番を屈指の名演奏と呼ぶにふさわしい出来で聴けたのは望外の喜びでした。姫路交響楽団の金字塔のひとつとなることでありましょう。
当日のプログラムからワーグナーの楽劇「ニュルンベルグのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲はさておき、ショスタコーヴィチの交響詩「十月」は、オーケストラの濶達さが作品の内容とあいまって迫力の漲る楽しい演奏になりました。少々通俗的であっても、オーケストレイションのすぐれた作品はこのようにやれば説得力のある生き物になる、そんな証しを見た思いがします。(2011年4月28日)