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遺構:石垣・堀・巽櫓、坤櫓(重文)など 所在地:兵庫県明石市明石公園
1619年 小笠原忠真の築城 中堀と石垣はほとんど昔のまま残っており、震災で破損した巽櫓と坤櫓も改修され美しい白壁を見ることができるようになりました。東の丸からは明石大橋を望めます。
三田城 (車瀬城、三田陣屋) 平山城 遺構:堀 1582年、山崎堅家が秀吉から与えられ修築、その後、有馬氏、松平氏を 洲本城 山城 標高135m 遺構:石垣・天守台・模擬天守・本丸・東の丸・二の丸・西の丸 1526年 安宅氏の築城 天守(模擬)から間近に海が眺められる山城はそう無いと思います。別峰に独立した西の丸から見た天守は印象的。また植物の宝庫で散策にも最適。
淡河城 (上山城) 平山城 遺構:内堀・本丸・二の丸・天主台 道の駅淡河の裏手から橋を渡り小高い丘に上がると、一面田畑だが遺構と言われている本丸跡(西)、内堀(東)、二の丸(南)が確認できた。 1222年(永久4年)、地頭職として北条一族が派遣され、庄名から淡河氏を名乗り淡河城を築いたのが始まり。南北朝時代には赤松氏に攻められ落城、その後赤松氏から養子を迎え淡河氏は存続する。嘉吉の乱(1441年)で赤松氏(惣領家)が滅び、山名氏の支配下に入り勢力を拡大する。1467年(応仁元年)赤松政則が兵を挙げ山名氏から播磨を奪回した際は赤松氏に属し活躍、その後三木城主の別所氏に属したが、1579年(天正7年)三木城と共に落城し淡河氏も滅亡した。その後有馬氏が城主となるが1601年に三田城に移封、1615年に一国一城令で廃城となる。
三木城 (釜山城) 平山城 遺構:本丸・天主台・井戸 上の丸公園内に本丸・天主台・井戸がある。歴史上三木合戦では有名な城だが、確かに北側は美蓑川が流れ断崖に囲まれた要害の地であったと想像できた。 別所氏は、播磨の守護赤松氏の一族。全盛時は東播八郡24万石を領有したとされる。
中道子山城 山城 標高271.6m 遺構:石垣・本丸・二の丸・三の丸・曲輪群・井戸 途中、櫓台の石垣が僅かに残っていたのでちょっと感動した。
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