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大和郡山城  平城

遺構:天守台、石垣、堀

所在地 : 奈良県大和郡山市
交通:近鉄橿原線近鉄郡山駅下車徒歩10分  

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1580年(天正8年)、大和を支配していた松永弾正(久秀)が滅亡後、筒井順慶が郡山城を修築した。縄張りは明智光秀が行なったことから福知山城ににた構えを持ち、石垣は野面積みで、石塔や石地蔵を使っている点も共通している。天正12年順慶が没し、嗣子定次は伊賀へ転封となり豊臣秀長が入城し改修、拡張を行う。1591年(天正19年)秀長没し1595年(文禄4年)に養子の秀保も急死し断絶、かわって五奉行の増田長盛が入城、関ヶ原の戦い後、水野、松平、本多、1724年から柳沢家が明治まで続く。
石垣、堀、天守台が荒々しく残っている。

                
                                     

高取城  山城

遺構:石垣、井戸跡、本丸・二の丸・三の丸跡

所在地 : 奈良県高市郡高取町
交通:国道169号線から壷阪峠へ

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日本三大山城の筆頭。備中松山城(岡山県)、岩村城(岐阜県)とともに近世の山城として有名。
海抜584メートルの山頂部に高い石垣が完存、井戸跡、本丸、二の丸、三の丸も残る。
1585年(天正13年)豊臣秀長の領有となって家臣の本多氏が入城し、城の改修が継続的に行われ現存する壮大な石垣は関ヶ原の戦いの前後に完成したとされる。本多氏は嗣子がなく断絶、1640年植村氏が入城し明治まで続く。

                                                

和歌山城  平山城

遺構:本丸、二の丸、塀、石垣、堀、岡口門、追廻門(重文)

所在地 : 和歌山県和歌山市
交通:阪和自動車道和歌山ICから車で20分

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1585年豊臣秀長が築城に取り掛かる。その後1586年秀長の家臣桑山重晴が本丸部分を中心に築城を進め、1600年浅野幸長が二の丸部分を整備するなど基礎工事を行う。1619年徳川家康の第十子徳川頼宣が入城し以降、御三家紀伊徳川家の居城となる。
天守は1945年に戦火により焼失、1958年天守が復元される。
岡口門は江戸初期の建造物である。