はじめに

灘中学・高校の校是は、
「精力善用」
「自他共栄」
であり、教育の方針は、
1 自他共栄の精神に徹した健全な社会人を育て上げる。
2 自主性を養い強固な信念を育てる。
3 質実剛健をモットーとし勤労をよろこぶ習慣を養う。
4 運動を奨励し強靭な体力と明朗闊達なスポーツマンシップを育成する。
5 豊かな趣味を養い高尚優雅な品性を育成する。
とされている。
また、2度ほど、灘中学の先生のお話を聞く機会に恵まれたが、いずれのときも、
『詰め込まれ、追い込まれた生徒は欲しくない。勉学にも運動にも、自主的に励む子供が欲しい。そうでなければ、灘の教育方針には馴染まない。のびのびと成長できない』
ということを強調されていた。
まさに思った通り、教育の理想像がそこにある。しかしながら、その理想の教育を受けるためには、日本一難しいとされる入学試験を突破する必要がある。
たいへん大きなギャップだ。
学校そっちのけで進学塾に通い、朝早くから夜遅くまで鍛えられてやっと手に入る、というのが現実である。
灘中学の先生のお話に頷きながらも、過熱した厳しい受験戦争を目にすると、そこは、わが家とは無縁の世界だった。
ところが、阪神・淡路大震災のあおりを受けて、ある進学塾に通い出したことから、事態は、思わぬ方向に大きく変わってしまった。
わが家なりに手抜きをしながらも、なんとかついていけることが分かると、駄目でもともと、灘中学を受けてみようかという気持ちになってきた。
長男は、軽度ながら喘息という持病をあるので、あくまでも、余裕重視の受験で灘中学を受けることができるなら、ということであり、失敗しても後悔しないと、家族全員で意見が一致したからである。
これで万が一、「結果的に」灘中学に合格できれば、まさに、灘中学の先生のお話にかなうのではないか。追い込まれも、詰め込まれもしないで進学できるのだ。
そう思って、「結果オーライ」受験でどこまでやれるものなのか、灘中学にチャレンジすることになった。
これからここに書き記す受験体験記は、固有名詞などがイニシャル表記に変えてあるものの、すべて、わが家の長男が経験した事実に基づいている。

→第1章へ