第6章 不振が続く

① 低落傾向2月の月例テストで
    国語 69、 算数 68、 理科 62
    平均 66
という、バランスのとれた偏差値をとって以後、偏差値がまったく伸びなくなった。
 いや、伸びないというよりも、むしろ「安値安定」ともいうべき低迷が続き、特に、6年生の5月から、わが家に最大の危機がやってきた。たとえば、5、6、7月の平均偏差値を見ると、
   国語 65、 算数 61、 理科 53
    平均 59
であり、順位も、男子だけの中で常に200番以下と、灘中学など、遥かかなたに遠ざかっていった。理科が原因で、月例テストの偏差値が伸びなくなったということなら、まだあきらめも納得もできた。ところが、本番で頼りにすべき算数と国語の低迷が原因では、暗くなる一方だった。
 これには、5月から受け始めた学校指定の「G模擬テスト」も影響していたように思う。余裕を持って、というより、精神的余裕だけが頼りの受験生生活を送っており、そんな中で1日に2つも模試を受けるなど、やはり無理にちがいなかった。
 また、E塾では、月例テストの偏差値が重要で、それによってクラス落ちしたり、受けられない授業ができたりと、その影響力は大きかった。
 これでは、いくら学校を優先するとはいっても、「G模擬テスト」を受け続けるわけにはいかなかった。せめて、塾の月例テストと重なるときだけでも、塾を優先せざるをえなかった。
 しかも、長男は、ちょうどこの頃に、E塾の一般コース用の理科のテキストを購入して、自学自習で少しずつ理科に力を注ぎだしたところだった。
 人一倍遅れていて、常に月例テストで足を引っ張る元となってきた理科だった。これをなんとかしようと頑張り始めたために、頭の中の整理がつかない状態で、算数や国語に影響が出るようになってしまった。
 得意のはずの算数や国語で得点を稼げなくなり、一方、理科ですぐに結果が出るわけもなく、月例テストでは全体的に得点が停滞し始めた。先の見えないトンネルの中に入り込んでいた。
② 第2回志望校判定模擬テスト 6月7日、第2回志望校判定模擬テストがおこなわれた。ゴールデンウィークの第2回灘中模擬テストで、思ってもみない成績がとれたとはいっても、その後受けた月例テストと「G模擬テスト」で、見るべき結果が出ていないので、今回も期待できなかった。
 難問ぞろいの灘中模擬テストで、他の塾生と伍してそれなりに争うことができたというのに、なぜ、それより全体的にずっと易しい月例テストや「G模擬テスト」の問題が解けないのだろうか。しかも、月例テストの算数では、正解率が3、40%程度の問題でも、ぼろぼろ取りこぼしがあった。この不可解なミスは、原因がつかめないまま、最後までずっと悩まされ続けた。
 このときの志望校判定模擬テストでは、今まで第3志望校の欄に書いてきた、関西学院中や明星中はやめて、灘中学と甲陽学院中だけにしてみた。
 結果は、
    国語Ⅰ 71、 国語Ⅱ 73、 算数Ⅰ 71、 算数Ⅱ 67、 理科 61
     灘中型の総合偏差値  68
だった。全体的に、これといって不満はなく、理科でさえも偏差値60を越えている。もちろん、灘中学も甲陽学院中もA判定だった。
 今考えてみると、月例テストが低迷を続けていたこの時期の、第2回灘中模擬テストと第2回志望校判定模擬テストが絶頂期だった。これ以降、わずかながら持ち直していく月例テストと反比例するかのように、灘中模擬テストも志望校判定模擬テストも偏差値が下がる一方だった。
 トップ合格を目指しているわけではなく、とにかくどんじりでいいから、合格ラインに引っかかろうということなので、灘中学受験をあきらめるつもりはなかったが。


③ 担任制度 7月から、本格的な日曜難関中学特訓が始まるとともに、各塾生に対して、担任講師が設置されることとなった。この担任講師は、原則として、対象となる塾生をよく知っている講師がなり、各塾生に対してきめ細かく対応していこうというものだった。
 理科のY先生が、長男の担任講師に決定されたと連絡があった。理科が素晴らしく苦手な長男には最適の人選で、Y先生の熱心な指導により、だんだんとそれなりの形がつくようになった。
 Y先生は、一般コースの理科のテキストには、入試に必要なものがすべて含まれており、それを何度も繰り返すのが一番いいという持論で、そのテキストを復習するためのプリントを独自に作成して、受け持ちの塾生に配布し始めた。
 長男の理科の勉強も、そのプリントをするようになって、それまでまったくの手探り状態で、やみくもに続けていたものが、たいへん効率がよいものになり、理科の勉強に適切なペースが作られた。
 その上、
 『このプリントを、きちんと続けていけば、9月の月例テストには、偏差値60に届くようになるから、ガンバレ!』
と、太鼓判を押してくれたのだ。1人で理科を勉強していた長男には、本当に力強い言葉だった。
 長男は、そのアドバイスを信じて、定期的に渡されるプリントを確実に提出し続けた。その結果、先生のアドバイスより1ヶ月遅れはしたが、10月以降の月例テストの理科で、偏差値60を切ることはなくなった。
 6年からでも十分間に合うと、励ましてくれたX先生と、適切なプリントで長男のリズムを作ってくれたY先生には、どれだけ感謝してもしたりない。はっきりいって、理科は、6年からでもなんとか間に合うし、一般コースは受講しなくてもなんとかなるものだ。
 E塾には申し訳ないが、これは、絶対の真実だと思う。
④ 夏期講習 夏期講習を申し込む時期がやってきた。いくら学校を優先しようとも、夏休み中には、ほんの数日しか学校の補習はなく、塾の夏期講習を受けざるをえない。
 学校の授業がないのだから、少々塾に多く通っても、なんとか長男はしのいでくれるだろう。いざとなれば、親が調整して、適宜休みを入れればいいのだ。
 そんな思いで、夏期講習を申し込むことにしたが、今までどおりの塾の授業を受けたうえで、週に5日、3時間ずつの夏期講習を受講するのは、かなりの冒険だった。
 E塾では、夏期講習も能力順のクラス編成になっており、希望のコースに通うには、受講資格をクリアしなくてはならない。わが家が希望する灘コースは、
1 5~7月の月例テストで、少なくとも1度、62以上の平均偏差値をとっている。
2 6月の第2回志望校判定模擬テストで、灘中学についてB以上の判定をとっている。
のいずれかを必要としていた。この条件を満たさなければ、いくら灘中学を志望していても、灘中学用の夏期講習さえ受けられないのだ。
 長男は、月例テストがまったく駄目なために、条件1をクリアできる見込みがないが、条件2をなんとかクリアしているので、一番上の灘コースを受講することができたが、本当にひやひやものだった。
 また、この偏差値の基準は、2ヶ月ごとに少しずつあがっていったので、それを毎回クリアしていくのは、たいへんなことだった。
⑤ 第3回灘中模擬テスト 7月26日に、第2回志望校判定特訓講座がおこなわれ、ここでも、なんとか灘中学の基準を越えることができた。そのため、月例テストの結果が悪いことをあまり気にせずに、第3回灘中学模擬テストを迎えることができた。
 第3回は、「夏の入試だと認識せよ!」という叱咤とともに、3日間の日程が組まれていた。受験生には、当然、お盆休みなど関係ないということで、世間ののんびりムードと対決するかのような日程だった。わが家でも、祖父の法事の日程と重なったが、長男は、もちろん灘中模擬テストに全力投球だった。
 1日目の8月13日は、灘中学入試演習と解説講座。2日目の14日は、午前中に本番の1日目さながらの模試があり、午後から、2日目のテストの対策講座がおこなわれる。最後の15日は、午前中に本番の2日目と同じ模試があり、午後には、逆に1日目の対策講座がおこなわれた。
 結果は、
   国語Ⅰ 70位、 国語Ⅱ 9位、 国語総合  13位
   算数Ⅰ 111位、 算数Ⅱ 98位、 算数総合  102位
   理科 46位
   総合順位 203人中 58位
だった。
 今回も、なんとか国語が引っ張りあげてくれて、総合で60位には入ったものの、算数の結果は、目を覆いたくなるものだった。あいかわらず、算数に勉強時間の大半を当てているのに、効果が見られなかった。
 他の受験生が、一般コースの負荷にも耐えて鍛えられてきているのに対して、わが家は、つらいことをできるだけ避けてきているので、何ヶ月か経つにつれて、少しずつ差がついてしまったのかもしれない。それでも、あきらめるほどではない。まだ、なんとか合格ラインに引っかかっているのだから。この頃から、
 『どんじりで合格できれば十分、繰りあげだってOK』
が、合言葉になった。わが家は、誰もめげていなかった。
⑥ 泥沼 めげていないとはいっても、算数がぱっとしないのは大問題だった。灘中学合格の可能性があるとすれば、すべて算数の伸び次第といったところ。
 そもそも、長男の勉強方法は、とにかく与えられた課題をすべてきちんと片づけるのが第1で、どれだけ時間がかかろうと、自分が納得できるまで考え続ける。だから、1日4時間の勉強時間では、算数の勉強だけでほとんど手一杯になり、国語には、残ったいくらかの時間を割ければいいところなのだ。当然、理科に満足な時間をかけたことなどなかったし、社会を入試科目ととらえて志望校を考えたことなど1度もなかった。
 ところが、4時間の勉強時間内で、算数だけさえもこなせないと分かると、精神的なバランスがあっけなく崩れてしまう。難問ぞろいのトップクラス講座の算数の問題ともなれば、そうそう思いどおりに片づかないのが当たり前なのに、長男は、そのような状況をすんなりと受け入れられなかった。
 この頃には、勉強時間がだらだら延びて、寝る時間が削られ、朝起きられないこともでてきた。与えられた時間内で解けるようになるべく努力するところを、時間を延ばすことによって対処しようとしていた。端から見ていると、ほとんど意地になって解いているようで、まったく生産的ではないし、そもそもわが家の方針から、大きくはずれている。
 宿題をすべてやり終えなければ、塾の授業に出られないと考えているふしもあったが、そんな考えは、ナンセンス。塾の宿題など、クラス落ちしない程度に頑張るという、発想の転換も必要だ。もう少し肩の力を抜いて欲しかった。
 通塾の回数を減らし、課される宿題の量もできるだけ減らしてきたのは、一体なんのためだったのか。その性格からして、追い込まれれば追い込まれるほど、効率が悪くなり、逆効果になるにちがいないのだ。
 長男のこのような頑なやり方が正しいわけではないだろうが、だからといって、じっくり考えたいという気持ちを、いちがいに否定できるものでもない。もう一度原点にかえって、受けられるところを受けるだけだということを、再確認すべきときだったかもしれない。

⑦ 個人懇談 9月から始まる後期日曜難関中学特訓の申し込みに際して、1番上の灘コースを受講するには、
1 7月か8月の月例テストの平均偏差値が63を越えている。
2 9月6日実施の第3回志望校判定模擬テストで、A判定の成績を収めている。
のいずれかを満たしていなければならないのだが、長男の月例テストの結果は、
7月 60、 8月 61
という平均偏差値で、条件1の受講資格の63を満たしていなかった。そのため、8月末に受け取った成績表の内容では、1番上のコースを受講する資格がなかった。6月の第2回志望校判定模擬テストや8月の第3回灘中模擬テストでは、どちらもA判定をとっていたのに、月例テストが悪いために希望コースの変更を余儀なくされる状況にあった。
数多くの塾生に対して、1人ひとりの細かなデータまでチェックしきれず、機械的に線を引くのも仕方ないかもしれないが、今まで灘コースを受けていたのに、
『はい、「結果オーライ」君は、来月からはちがう中学校対象のコースね』
といわれて、簡単に気持ちを切り替えられるはずもなかった。
自分に力がないから落ちるのだが、またもや、余分なストレスをため込むことになりそうだった。ひとまず1つ下のコースを受講して、捲土重来を期するのも1つの方法だろうが、わが家の方針からすると、我慢してまで通塾する必要は感じらなかった。
家族会議の結果、灘コースの受講資格がとれるまで、日曜難関中学特訓を休むことにした。さっそく事務所に連絡すると、またもやその日のうちに、X先生から電話があった。
『コンピュータで機械的に線を引いて成績表を作成しているので、牧瀬君の場合、月例テストの偏差値から受講資格がない、という判定になってしまいましたが、今まで通り灘コースが受けられるように、協議します。日曜難関中学特訓をやめるのは、もう少し待ってもらえませんか』
『いえ、うちの子供が、実際に月例テストで得点できないのが原因ですから。無理に上のコースにいかせて欲しいと、ごり押しをするつもりはありませんし』
『実は、このような例は、いつもあることなんです。今回も、牧瀬君以外に、何人か協議中になっていますから、別にごり押しというわけではありません』
他にも同じような塾生がいるというのに、ここまで慰留を受けて、なおやめるといい張るのはあまりにも大人げない。協議の結果を待つことにした。と、同時に、X先生に、教育相談の機会をもっていただくことにした。月例テストで得点が伸びないことの原因を、一緒に考えていただければという思いだった。
8月末、長男とわたしの2人で、E塾に出かけていった。
『月例テストの算数で、簡単な問題を間ちがえるのは、どうしてでしょうか。子供に力がない、というだけのことでしょうか』
『たぶん、短時間でテキパキ解くという訓練が足りないのでしょう。普段、どんなやり方で勉強していますか』
『解けるまで、納得するまで考えるということが多いようですね』
このようなやり取りの後で、直接長男に、
『灘中の2日目を考えると、そのやり方も必要だけどね、1日目の算数のためには、それだけでは駄目だ。算数の勉強時間を2つに分けて、半分は、とにかく時間を区切って、解ける問題から解くという本番のようなやり方にしたらどうかな』
というアドバイスをいただいた。
このアドバイスを聞いて、長男はさっそくタイマーを使い出した。X先生のいうことは、素直に聞けるのだった。

 

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