第二章 学校に任せよう

① B小学校B小学校では、合格者のための最初の学校説明会から、
 『男子のほとんどの人が中学受験をしますので、今からそのつもりで頑張ってください』
という激励があり、実際、少ない人数の中でそれなりの合格実績をあげていた。最初から分かっていたこととはいえ、やはり気持ちが引き締まった。
 たとえば、ある年度の卒業生の入試結果を見ると、灘中、甲陽学院中、東大寺学園中、洛南中、甲南中など、有名中学の名前が並んでいる。1人でいくつか合格している例もあるのだろうが、可能性は十分あるのだ。
 もちろんこの時点で、灘中学など、受験することさえ想像できなかったが、この学校でもまれていけば、もしかするとそこそこの中学校に合格できるのではないかと、学校の授業に期待が高まった。塾ではなく学校の授業に重点を置こうというわが家の基本姿勢は、ここで決まった。
 有名進学塾では、学校の授業そっちのけになるほど生徒を拘束して、難関私立中を目指しており、その程度のことは知識として知っていた。ハチマキを締めて必死になっている子供たちの姿を、いろいろなメディアを通して何度も見たことがあった。現実に、そのようなやり方で実績を残しているのだから、進学塾の自信満々の態度も仕方がないし、素人がそれを簡単に否定するわけにもいかない。
 それでも、わが家は、学校に優先順位を置くことに決めた。学校さえも投げ棄てて、受験だけを目指す塾主導の生活を、長男に強いるつもりにはなれなかった。少しでも余裕を持って、受かるところに受かってくれればいいという気持ちを捨てられなかった。全精力を振り絞って難関中合格を勝ち取るのも、確かに、尊いことかもしれないが、入学後のことを考えるならば、たとえ1ランク下の中学校になったとしても、80%の力で受かって欲しい。
 もちろん、この方針によって、長男の可能性を狭めてしまうかもしれないし、さらに悲しいことに、中学受験に失敗してしまうかもしれない。それでも、わが家は、余裕を持って受験する方を選んだのだ。結果によって、絶対に後悔しないことも確認できた。それが「結果オーライ」受験の必須条件である。
 果たして、この方針は正解なのか。  本当に、このやり方でいいのか。
 受験レースの途中で、何度、この自問自答を繰り返しただろうか。不安な言葉は、長男の前では決して口にするわけにはいかなかったが、いつも考えていた。
 どの中学にチャレンジするにせよ、いや、受かりそうなところを受けるだけにせよ、やはり、失敗は避けたかった。12才の子供には、受験失敗はトラウマになりかねない。ましてや、周りの同級生が合格していけば、取り残された気持ちになってしまうにちがいない。
 失敗を避けるためには、なりふりかまわずなんでもするというのが、親の側の最低限の務めかもしれない。同時に、子供にも、なにはともあれまず合格を目指すのだと思い込ませるのも、親の責務かもしれない。
 ただし、そうなっては、もう「結果オーライ」受験とは無縁の世界だ。わが家の目指した受験とは、まったくの別物になってしまう。
② B小学校の授業  では、実際に、B小学校が中学受験をするためにどう独自の授業をおこなうか。
 まず、作文の宿題について。
 低学年のうちから、たびたび作文の課題があった。最初のうちは、これをきちんと提出するだけでもたいへんだった。原稿用紙2、3枚分のまとまった量の文章を書くのは、慣れないうちはかなりの負担だ。親としても、この宿題が一番気が重かった。自分の考えを、頭の中でまとめるだけでも難しいのに、それを実際に文章に表わすとなると、そこには大きな隔たりがある。
 とはいえ、この課題のおかげで、長男に、まとまった量の文章を敬遠する気持ちが生まれずに済んだ。真面目に続けているうちに、だんだん文章を書くということも苦でなくなり、国語の力を伸ばすのにたいへん役立ったと思う。
 それにつれて、長い文章を読むという逆の作業にも十分効果があった。少なくとも、国語の読み取り問題に対処する基礎力がついたのは事実だ。受験まで、国語の読み取り問題であまり苦労した覚えがないのは、この課題に負うところが大きい。文章を読み取る力は、塾の訓練だけで簡単に伸びるとは思われないので、本当にありがたいことだった。
 次に、漢字のテキストの存在がある。
 教科書の新出漢字を練習する際に、ただその漢字を繰り返して書くだけでなく、別のテキストを使って、その新出漢字を用いたかなり難しい熟語まで練習する。たとえば、「土」という漢字を初めて習うときに、同時に「土産」という熟語まで練習するというわけである。
 発展的な熟語を練習することによって、まだ習っていない漢字の読み書きも同時に覚えていくことになる。漢字の書き取りのテストでも、発展的な熟語を問われるのだ。
 新出漢字を何度もノートに書かせるだけでは、その作業があまりにも単調過ぎて、記憶として定着する前に単純作業に飽きてしまい、うわべだけで通り過ぎてしうのではないか。そこに難しい漢字をからませることによって、常に刺激を与えることができたと思う。
 さらにもう1つが、朝の暗算の練習だ。
 授業前の短い時間を使って、ほんの10問ほどの暗算の練習がおこなわれた。少ない問題数の練習ながら、暗算であるために、その集中力はかなりのもので、暖まりきっていない脳を活性化するのには最適ではないか。
 しかも、1年生から6年生まで全学年が同じ問題を使って暗算をするので、低学年などは、習っていない分数や小数の問題が解けるわけがないのだが、それでも、習っていない問題まで解けるようになりたいと、長男自身に、前向きの姿勢が出てきた。
 このように、国語・算数の基礎的な訓練が日常的におこなわれることこそ、今思うと、たいへん重要なことだった。決して特別なことが必要なのではない。基礎的な訓練を6年間着実に続けることによって、6年後には大きな効果があらわれ、生徒たちの可能性がますます広がったのだ。
 基本からきちんと鍛えるという方針によって、長男は、毎日家で最低限どれだけ勉強すべきかという、基本的なリズムが身についたといえる。

③ そのままCゼミナールへ  学校の授業を中心にして中学受験を目指すとはいえ、まったく塾にいかないという決断を下すほど楽観的でもなかった。やはり、本人の負担にならない程度には、外の風にも吹かれるべきだ、という気持ちはあった。
小学校受験のために通ったA会には、その上に、小学生向けのCゼミナールという同系列の塾があり、それまでと同じ教室で授業がおこなわれていた。わが家では、そのままそこにお世話になることにした。
週に1回、国語と算数だけの授業だった。それまでと同様に少人数であり、慣れた教室での授業だったため、無理なくスムーズに通塾のリズムができた。
週に1回だけとはいえ、テキストはなかなか難しく、復習が適度にたいへんだった。この「適度な」負担は、わが家の方針にぴったりで、特に不満もなく安心して任せていられた。
しかしながら、学校から作文の課題が出される日と、塾の日が重なると、週に1日通うだけでも、途端に塾が負担になった。
塾から帰って作文を書き始めるのだが、それにつれて就寝時間もずれてくる。疲れてもいるし、眠くもなっている。中学受験を目指すなら、睡眠時間が少々犠牲になるくらいのことはのはやむをえないのだろうが、「結果オーライ」受験には、そこまでの覚悟ができていなかったのだ。
結局、どうしてもという時には塾を休んだ。最初、長男は、塾を休むことに抵抗もあったようだが、そのような機会が何度か重なるうちに、長男にも、親の気持ちが分かってきたようだった。どんな時でも休んでいいと、安直に塾を休ませるつもりはなかったが、学校の授業や宿題に支障をきたすなら、塾を休むのが当然。とにかく学校が第一だった。
この姿勢は、少なくとも5年生になるまでは、まったく変わらなかった。

 

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