さいごに

長男の小学・中学受験を通して、わが家の受験に対する基本姿勢は、
  1 受かるところを受ければよい。
  2 一定の水準以上の授業が確保できるなら、学校は近いほどよい。
  3 精神的・肉体的な余裕を保ったまま、合格できればありがたい。
  4 自分の能力の百パーセント以上を絞り出すような受験を絶対に強いない。
  5 上位で合格する必要などない。
  6 繰りあげ合格でも、立派な合格だ。
  7 「結果として」灘中学に受かれば最高だ。
という形に固まっていった。家族全員で常に確認し合ううちに自然に生まれてきた、まさに、わが家の宝物である。
 受験の日を迎える頃には、この方針に疑いなどまったく持っていなかったし、絶対合格しなければという悲壮感もなかった。ただ、どうしても灘中学に受かりたいという、前向きな希望を胸に抱いていただけだった。
 だからこそ、長男は、ぎりぎりのところまで追い込まれたり追い詰められたりすることなく、あこがれの灘中学にチャレンジすることができた。結果はともかく、そのチャレンジの経験だけでもたいへん貴重な教訓になったはずだ。
 あとは、長男自身が、この受験から得た教訓を肝に銘じて、灘中・高の生徒として恥ずかしくない6年間を送るだけだ。その基礎は、なんとかできあがったと思う。


 最後の最後に。
 「結果オーライ」受験を、絵空事と笑う人がいるかもしれない。あるいは、たまたまうまくいっただけで、万人にあてはまる受験の王道ではないと切り捨てる人もいるだろう。
 確かに、その通り。「結果オーライ」は、しょせん「結果オーライ」でしかない。それ以上でも、それ以下でもないのだ。実際、D塾、E塾、F塾のような進学塾の力を借りなければ、難関中学の受験はほとんど不可能だろう。
 しかしながら、それらの塾は、いわば、規格品の大黒柱を提供してくれるに過ぎない。それを支えにすればきっと家は建つだろうが、それが自分たちの望んでいる家かどうかはまた別問題だ。やはり、家族の意志で規格品の柱に手を加え、自分たちの生き方にふさわしい家を建てるべきだと思う。
 そういう意味で、わが家は、わが家にとって都合のいい形でE塾を利用させてもらったことになる。そこで、わが家らしさを捨てて塾主導の毎日を続けていたら、受験をする前に、長男が、いや家族ともども、つぶれてしまったにちがいない。受験の日を無事に迎えることができなかっただろう。
 いずれにしても、わが家は、いちおう自主的に「結果オーライ」受験を選び、この受験を通して、わが家なりのノウハウをつかんだつもりだ。
 そして、そのノウハウを、次男の受験に実践し始めたところだが、果たしてE塾は、今回もわが家のわがままを許してくれるだろうか。楽しみでもある。

 「余裕」を優先した「結果オーライ」受験で、たとえ受験校のレベルが下がったとしても、あるいは、受験自体に失敗したとしても、絶対に後悔しない。

 この言葉を肝に銘じて、再び、次男の受験の船出を迎えることとなった。


 読んでくださった皆さんへ。
 以前、ある受験専門ポータルサイトの掲示板に、『結果オーライ!!灘中すれすれ合格法』の中のイニシャル表記について質問するスレッドが立ったことがあります。やりとりが気になってしばらくの間注目していたのですが、質問に答える「経験者」さん(もちろん、私ではありません)の書き込みに、一部事実と異なる内容がありました。
 A会やCゼミナールについて、「経験者」さんは「能開」であると答えていますが真実ではありません。「経験者」さんには申し訳ないのですが、少なくともこの部分に関しては、掲示板の管理人さんに訂正を申し入れるべきか今でも迷っています。
 また、これはまちがいというわけではありませんが、「経験者」さんは、「元塾講師の自慢話であり、一般の人がこの本の内容を鵜呑みにしてはいけない」と警告しています。もちろん、出版された本の内容をどのように解釈するかは読んだ人の自由であり、このような発言に関しても、基本的に読者の権利であることに異論はありません。
 しかしながら、わが家の長男の灘中合格が、B小学校のきめ細かい指導に加えて、CゼミナールとE塾を「うまく利用させていただいた」ことのおかげであるのは明らかで、やはり「塾の言いなりになる必要はない、主体性を忘れたくない」という主張もくみ取ってほしいと思っています。
 最後に、イニシャル表記について一言。
 私自身、このイニシャル表記をベストのものと思っているわけではありません。最後まで悩んだ部分です。やむを得ずこのような表記になってしまったために、出版社を通していただいた質問・問い合わせに対しては、私のプロフィールを含めすべてきちんとお答えしてきました。このスレ主さんも、そのような形で質問をお寄せくださればよかったのですが、、、。
 いずれにしても、このスレッドで、インターネットの掲示板の便利さ、応答の良さと同時に、怖さも再認識することができました。