第10章 貴重な体験を通して

① A会私立小学校を受験するために、適当な塾を探しているときに、たまたま新聞広告で見かけたのが、A会だった。わが家から近いというだけのことで通い始めた。他に特別な理由があって選んだわけではないが、結果的には、長男の性格にうまく合っていた。
 第1に、ずっと少人数のクラス編成だったことが挙げられる。塾に通い始めた頃は、幼い長男にとっても親にとっても、不安が大きかったが、少人数のクラスは、通塾に慣れるのにたいへんありがたいことだった。
 1クラスの人数などは、入塾する段階で確認できることなので、やはりきちんと確認しておくべきだ。塾によっては、塾生の入塾状況に合わせて、クラスの生徒数がかなり変化するところがあり、いったん通い始めて慣れてきたところでは、人数が増えて嫌だと思っても、簡単には他の塾に移れないからだ。
 第2に、きちんとした担任がいたこと。幼い子供たちに対応するには、経験をつんだ担任が不可欠である。
 担任制度がない、あるいは、制度はあっても担任がよく交代する塾もあり、これも気をつけるポイントである。塾業界では、アルバイト感覚の先生も多く、塾生よりも先生の方の定着率が悪いという、笑うに笑えないところもある。
 第3に、合宿や特別授業を強制しなかったこと。
 これは、担任の先生に負うところが大きいのかもしれないが、たとえば、夏のプレ受験合宿なども、長男の性格からして効果が大きいとは思えなかった。その旨を伝え、合宿を辞退すると、あっさり認めてくれた。
 このような通常以外の授業は、塾にとっては大きな収入源なので、全員参加が原則と決めている塾がほとんどで、費用も、自動引落のところが多い。そのような状況で、参加しないと申し出るだけでも簡単ではないのだ。
 以上のような3つの点で、たまたま通い出した塾が、結果的にはまずまず満足のいくところだった。本来なら、実際にその塾に通っている人から、実態を聞くのがベストだ。
 わが家では、情報収集することもなく、A会に決めてしまったが、これはかなり危険なことだった。担任の先生に恵まれたことなどは、まさにわが家にふさわしい「結果オーライ」でしかない。
 ただし、同じA会でも、他の教室でわが家と同様にいくつかの幸運に恵まれるとは限らない。やはり、あわてずに、じっくり情報を集めるべきである。
② B小学校A会の薦めによって、B小学校受験を決めたのだが、この第一歩が、今の灘中学合格につながっているのはまちがいない。
 1学年の人数が少ないこと、先生に1人ひとりの生徒の顔が確実に見えていること、その結果、いわば手作りとも呼ぶべき環境が保たれていること、この3つがB小学校の最大の特長だ。
 さらに長男にとっては、通学が便利という利点があって、精神的にも肉体的にもかなりの余裕を持ったままで、6年間通学することができた。5年生の少々残念な1年間はあるにせよ、まさに、少人数の強みでていねいに育てられた6年間だった。
 残念ながら、学校の授業だけで、灘中学のような難関中に合格する力が身につくとはいえないが、そのような高いレベルの実力につながる階段は、しっかり用意されていた。
 低学年のうちに算数と国語の基礎力を養うこと、教科書を補完するかなり高度な問題集に徐々に慣れさせること、5、6年生では能力別クラスで鍛えることなどが、その階段の根幹をなしている。
 塾を重視するあまり、学校の授業に力を注ぐ体力も気力も残っていなくて、これらの階段をきちんとのぼっていくことができない生徒もいたが、本当に残念に思う。そのような人たちは、目の前の好機をみすみす見逃してしまったのだ。
 ただ、できることなら、算数と国語で能力別授業をするだけでなく、理科や社会についても、そのような形をもっと積極的に取り入れて欲しかった。
 学校側が、最初から、中学受験も視野に入れて頑張って欲しいと公言する以上、実戦的な授業の割合を、もっと大胆に増やしてもいいのではないか。塾を優先する生徒に対しては、学校の授業の中身の濃さをアピールして、堂々と対抗すべきだと思う。やはり、きちんと一線を引いて、学校の毅然たる態度を示すのが当然だろう。
 もちろん、そのようなアピールに見合うだけのカリキュラムを組む必要があり、場合によっては、塾の先生を招いて、さらに実戦的な受験用の授業を実施するのもいい考えかもしれない。
 現行の生徒数では、今の授業の環境や水準を保つだけでも、決して簡単ではないだろうが、さらに少数精鋭主義を貫いて、実績をあげていって欲しい。
 最後に一つだけ、B小学校の方針に疑問を呈したい。
 学校が配布する問題集の解答の扱いについてである。せっかくレベルの高い問題集を採用しているのに、この解答を配布しないために、自分から進んで活用したいと思ったときに、この問題集がまったく役に立たないのだ。
 解答を配ると、不真面目な生徒がそれをすぐ見てしまって勉強にならないという意見もあるが、そのような生徒は、解答を配っても配らなくてもきちんとしないわけで、どちらにしても同じことだ。
 ところが、逆に、自主的に進めたい生徒は、解答がなくてもきちんと解いていくだろうが、解答があれば、自分で答え合わせもできてさらに効率がよく利用できる。真面目な生徒を主眼に置けば、解答も配布して当然だと思うが、どうだろうか。


③ Cゼミナール 長男は、あまり深く考えることなく、A会からそのままCゼミナールに進んだ。通い慣れた同じ教室だったことが、一番大きな理由であった。ここも、A会と同様にごく少人数のクラス編成だったため、移行するのが楽だったし、他の進学塾のように、まず厳しさを前面に押し出す、ということもなかったからだ。
 長男が通った小学3年生までは、国語と算数だけの授業だったが、使用していたテキストはかなりレベルが高く、ある程度難しい内容をあせらずじっくり教えるという方針だったように思う。
 難しいとはいっても、宿題が多いわけでもなく、また、クラス替えのテストもなかったので、実際のところ、精神的にはかなりのんびり通うことができた。小学校低学年から大きな負荷を与える必要はない、という印象を強くしたのも、このCゼミナールのおかげである。
 その後通ったE塾では、講義と同じくらいの時間をかけてテストがおこなわれ、そのテストのできによって、常にクラス落ちの恐怖があったが、そのようなストレスは、やはり高学年からで十分ではないか。
 長男自身も、親の方も、1年生から通い始めたCゼミナールにすっかり慣れ親しんで、そのまま6年生までずっと通い続けるつもりでいたが、阪神・淡路大震災の影響で、その教室が突如閉鎖されてしまった。思わぬ軌道修正に迫られ、あくまでも次善策のような形で、E塾に4年生から通い始めることになった。

③ Cゼミナール 長男は、あまり深く考えることなく、A会からそのままCゼミナールに進んだ。通い慣れた同じ教室だったことが、一番大きな理由であった。ここも、A会と同様にごく少人数のクラス編成だったため、移行するのが楽だったし、他の進学塾のように、まず厳しさを前面に押し出す、ということもなかったからだ。
長男が通った小学3年生までは、国語と算数だけの授業だったが、使用していたテキストはかなりレベルが高く、ある程度難しい内容をあせらずじっくり教えるという方針だったように思う。
難しいとはいっても、宿題が多いわけでもなく、また、クラス替えのテストもなかったので、実際のところ、精神的にはかなりのんびり通うことができた。小学校低学年から大きな負荷を与える必要はない、という印象を強くしたのも、このCゼミナールのおかげである。
その後通ったE塾では、講義と同じくらいの時間をかけてテストがおこなわれ、そのテストのできによって、常にクラス落ちの恐怖があったが、そのようなストレスは、やはり高学年からで十分ではないか。
長男自身も、親の方も、1年生から通い始めたCゼミナールにすっかり慣れ親しんで、そのまま6年生までずっと通い続けるつもりでいたが、阪神・淡路大震災の影響で、その教室が突如閉鎖されてしまった。思わぬ軌道修正に迫られ、あくまでも次善策のような形で、E塾に4年生から通い始めることになった。

④ E塾のんびりムードが強かったCゼミナールとは大きくちがって、まさに進学塾。子供どころか、親の方のとまどいも大きく、たちまち壁に突き当たってしまった。どう考えてみても、わが家の「結果オーライ」受験とは相容れない部分が多過ぎた。
 一般コースを受講し、それに加えて、順次他の講座を追加するというのがE塾の基本スタイルで、塾の指導に従っていくと、あっという間に塾中心の毎日になる。4年生で週4回の通塾は当たり前になってしまう。子供にとっては、肉体的にも精神的にも大きなストレスになり、親にとっても、経済的な負担が大きい。
 塾主導では、必ずこの道を進むことになってしまうが、わが家は、それに馴染めず、退塾を決意した。ところが、X先生のアドバイスに従って、まずトップクラス講座から始めたところ、結局は、あれよあれよという間に、難関中学受験のレールに乗せられてしまった。
 確かに実績が示す通り、受験をすることだけに凝縮されたシステムは非常に効果的で効率がよく、そのレールに乗ってゴールに突き進むことになった。
 ただし、強調しておきたいことは、いくらE塾が誇る実績のあるシステムとはいっても、システム全体を受け入れる必要はない、ということだ。
 それは、あくまでも最大公約数的なレールであり、自分の子供が、そっくりそのまま受け入れる必要があるのかどうか判断しなければならない。自分の子供にとってどれが必要でどれが不要なのかは、親がきちんと取捨選択すべきことである。
 その際に、役に立つのがE塾の教育相談という制度で、担当の先生に、率直に自分の意見を伝えるべきである。常に、受ける授業は少しでも減らしたいという気持ちで教育相談に臨んだが、決して強制を受けることはなかったし、長男にとって一番いい方法をアドバイスしてもらえた。
 こちら側の意見をはっきりさせておきさえすれば、必ず的確でリーズナブルなアドバイスがもらえた。やはり、親の主体性の問題といえるだろう。
 もう1つ強調しておきたいことは、E塾の難問集である。
 中堅程度の中学校を目指すなら、市販のテキストや問題集でも十分立ち向かえるだろうが、最難関中学を目指すためには、E塾独自の難問テキストを使用せざるをえないのではないか。あれほど高レベルの問題集は、他では手に入らない。
 もちろん、ライバル塾のD塾やF塾にも、同じような独自のテキストや問題集があるだろう。だからこそ、D塾、E塾、F塾の3塾で、灘中学の定員のうちの、かなりの合格者を占めることができるのだ。
 残念ながら、やはり、このような進学塾のお世話になって実力を磨かなければならない、ということになってしまうが、だからこそ、そこで、親が主体的にきちんと取捨選択して、自分の子供のレールを軌道修正してやる必要がある。
 繰り返すが、塾のシステムすべてを受け入れる必要はない。というより、それは、1人ひとりの子供にとってのベストな形ではないので、自分の子供に合うように親が責任を持ってアレンジすべきである。


⑤ 家庭教師 塾だけで、思うような効果が出ないときとか、親が貪欲にさらなる効果を求めるときなどに、家庭教師の問題がでてくる。
しかしながら、有能な家庭教師を選ぶのも、たいへん難しい。自分の子供が今どのような段階にいて、どのような家庭教師が必要なのかを判断しなければ、本当に「有能な」家庭教師を選ぶことなどできないからだ。
たとえば、E塾の教育相談に出かけ、個人的な要望を持ち出すと、塾と家庭教師の併用を勧められることがあるという。
別に、E塾に家庭教師派遣部門があるというわけではなかろうが、それなりの先生を紹介してくれるとのこと。中には、E塾のトップクラスの先生なのか、時給2万円などと、空恐ろしいランクの家庭教師もいるという噂だ。
ちょっと考えてみれば分かるが、週に1度1時間来てもらって効果が出るとは思われないので、1回2時間とか、週に2回とか増えていって、その費用も、月に10万、20万とかさんでくる。もちろん、それだけの結果がついてくるならば決して高くはないだろうが、その金額に見合うだけの効果を引き出すためには、家庭教師を雇う側にも雇われる側にも、相当な覚悟がいる。
たとえば、最難関中学を目指している子供が、その先生から、限られた時間内に十分な効果を引き出すためには、次のような状況が必須だろう。

1 あらかじめピックアップしておいた問題について、疑問点を明確に伝える。
2 家庭教師は、考え込むことなく、ポイントを的確に指摘して疑問点を解消する。
3 次の質問に移る。

これを、時間の許す限り続けるわけで、非常に中身の濃い時間だが、その場で先生が考え込むようでは、時間はあっという間に無為に過ぎてしまう。
トップクラスの難問を、しかもどの問題を訊かれるかわからない状態で、次から次へと答えられる先生といえば、かなりの経験者だろうが、果たして、そんな先生を紹介してもらえるのだろうか。
それだけの先生なら、時給2万円も仕方ないのかもしれないが、わが家にそれだけの金銭的な余裕はなさそうだ。
有能な家庭教師に巡り合うのは、本当に難しいことにちがいない。

 

→最後に