弥生の興亡
1,魏志倭人伝から見える日本(改定、2022-02-07)
2,中国・朝鮮史から見える日本
3,帰化人の真実
4,縄文の逆襲
1は、魏志倭人伝の原文を精密に分析、解説したもの。2は、史記などから中国、朝鮮の歴史を探り、日本と関連する事項を抽出したもの。3では、帰化人と表された人々の真実の姿を明らかにします。4は、記、紀や風土記等の記述を検証し、大和朝廷を縄文系とする根拠を示します。以上を通して、弥生時代の歴史の流れが明らかになります。日、中、韓の古代文献や民族学、民俗学資料、言語学資料等を駆使し、データを積み重ねてありますので、最初から読まなければ理解できない部分があります。
魏志倭人伝(原文、書き下し文、現代語訳)
詳しい解説は「弥生の興亡 1,魏志倭人伝から見える日本」へ。
後漢書倭伝(原文、現代語訳、解説)
倭国伝の変遷(魏志から旧唐書まで)
魏志倭人伝から旧唐書倭国伝に至るまで、日本関係の記述がどのような資料を採用し変化していったか、背後にどういう思考が流れているかを分析します。
魏志倭人伝、各国の風景
「魏志倭人伝から見える日本」の補助資料です。地図と写真を活用し、魏志倭人伝の各国を案内します。
金印(漢委奴国王)の真贋を考える
バラバラに書いていた金印に関する記述を整理し、最新の発表に対する意見を加えました。
三角縁神獣鏡の銘文と神仙思想(卑弥呼の鬼道)
三角縁神獣鏡と崑崙神仙世界。銘文の和訳。漢鏡、呉鏡との比較。魏鏡、倭鏡論争等
邪馬台国(邪馬壱国)北九州説の研究
邪馬台国(邪馬壱国)北九州説がどのような考え方をしているのか、興味を感じて、著名な論者の著作を分析してみました。 今のところ、古田武彦氏、松本清張氏、森浩一氏
「邪馬壹(邪馬壱)国」説を支持する史料と解説
魏志倭人伝の「邪馬台国」と覚え込まされていますが、実際の魏志には「邪馬壱国」という表記しかありません。 邪馬壱は邪馬台の転写間違いとする通説は間違いで、魏志の記述通り「邪馬壱」が正しいことを解説します。
東夷伝(原文と和訳)
魏志韓伝、後漢書韓伝、後漢書倭伝、魏志濊伝、魏志東沃沮伝、魏志高句麗伝、魏志夫餘伝、魏志挹婁伝、晋書倭人伝等。 解説付きもあります。
漢書地理志(原文と和訳) 燕地 楚地 呉地 粤(越)地
隋書俀国(倭国)伝
隋書地理志 揚州 荊州
時代は異なりますが、魏志倭人伝の倭人の風俗とつながる記述があります。
翰苑の解読と分析
注にある魏略逸文が注目されている翰苑ですが、本文にも重要な情報が秘められています。目にする機会も少ないので紹介することにしました。
魏略逸文と魏志倭人伝
両書の記述の違いからうかがえる、編纂者、魚豢と陳寿の思考の違いを分析します。
補助資料集
「弥生の興亡」の補助資料です。独立して読めるように工夫しました。「饒速日の来た道」、「和邇坐赤坂比古神社」、「村屋神社」、「大樹伝説と和泉黄金塚古墳」等
徐福は日本へ来たか、亶洲(澶洲)は何処か?
補助資料集に入れるつもりだったのですが、徐福はインパクトが大きいということで、トップページに置きます。高麗史地理志が鍵になります。
初期天皇の諡号の秘密(欠史八代の謎を解く)
神武等の漢風諡号は淡海御船が勅撰したという説があると釈日本紀の注は記しています。それが正しいかどうか判定する材料はありませんが、初期天皇の諡号には深い意味があり、統一された思考から生み出されていることは間違いありません。秘められた歴史に基き、考え抜いて選ばれていることを解説します。
新撰姓氏録(氏族系統別再編)
各氏族が好き勝手に書いたように見える新撰姓氏録は、ほぼ正確な氏族伝承であることが判明しました。地域別に書かれている姓氏録を氏族系統別に再編したものです。氏族系統に関しては「弥生の興亡」を読まないと理解できません。
天皇号の成立と聖徳太子、推古天皇(聖徳太子は大王だった)
推古天皇時代に日本に渡来した裴世清のデータに基づくと思われる隋書は、倭王が男であることを示しています。日本書紀の記述との矛盾を解きほぐし、真実を明らかにします。
漢字の起源(白川静氏を買わない理由)
外部リンク
ブログ「古代史&PClife」
