本陣屋敷

(江戸時代)

敷地は間口約二十七間、奥行き約三十九間で、千四十三坪あり、建坪も約三百坪(推定)ほどあったと思います。本陣屋敷は、古来より除地(官地)とされ、秀吉公の太閤検地の時も、白河上皇も泊まられた所なので除地となす事と書いています。(公の土地との扱いで、年貢を払わなくても、良かったようです。)長屋門は当時(江戸時代)のままですが、主屋は明治二十三年(1890年)に建て直しています。前栽の踏み石には、この近くにあった海会寺(かいえいじ、約1300年前の、白鳳時代の大寺院)の、伽藍の礎石らしきものが二つあります。元々本陣屋敷に使われていた物が、建て直された時に、庭石に転用されたのかも知れません。

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中庭

(長屋門より主屋を見る.)

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文化五年(1808年)に紀州藩に提出したものです。他にも数枚残っていますが、文政七年(1824年)のものには、地方巡見の堺町奉行水野遠江守様を御止宿の折に、与力様より書いて持参しなさいということで、書いたと添書きがあります。警護の都合上のものだと思います。
この絵図を元に、本陣屋敷をミニチュアで復元できればと考えています。

(主屋より長屋門を見る)

中庭

本陣屋敷絵図

行燈