江戸時代の外食・醤油文化

料理本と江戸の味再現江戸料理

1.江戸の味と料理本(1)
■料理本「百珍物」が出版界を席巻した
江戸時代中期の天明二年(1782)、江戸時代のベストセラー『豆腐百珍(とうふひゃくちん)』という料理本が発行された。『豆腐百珍』の人気を受け、翌年の天明三年(1783)には『豆腐百珍続篇』が同じ筆者によって出されている。版元は大坂春星堂の藤原善七郎で、江戸・大坂を席巻した珍書である。
身近にある豆腐という食材で100通りの料理をつくる遊び精神が、当時の人々に受け入れられた。この新しい編集・構成が好評を博し、以降は江戸・大坂では“百珍物”と呼ばれる1種類の素材で100通りの調理法を紹介する料理本が一大ブームとなった。

『豆腐百珍』は当時画期的であり、続いて、寛政元(1789)年出版の『甘藷百珍』、寛政七(1795)年の『海鰻百珍』、弘化三(1846)年の『蒟蒻百珍』など「百珍物」が多く生まれた。その他にも、天明五年(1785)には『鯛百珍料理秘密箱』、『万宝料理秘密箱前篇(玉子百珍)』、『柚珍秘密箱』、『諸国名産大根料理秘伝抄』、『万宝料理献立集』があり、それぞれ表題が示すとお り鯛、卵、柚子、大根、そして最後の『万宝料理献立集』については鳥・卵・魚を主題に多数の 料理法を集め紹介している。
なかでも『諸国名産大根料理秘伝抄』は別名を「大根庖丁物切方之秘伝」とし、輪違大根や各種花形などの飾り切りを紹介しており、料理に関して味覚に拠らない装飾のあり方を模索した贅を尽くそうとする傾向みられる。

米飯に関しても例外でなく、『名飯部類(めいはんぶるい)』(1810)では上下巻で148品目の飯の料理があり、中には33種類の鮨の作り方ものっている。一方で『万家至宝都鄙安逸伝(ばんけしほうとひあんいつでん)』(1833)には数々の米飯食「かて飯」が記載されているが、農村的な食生活で米の増量効果を期待できる食品の紹介が多くなされ、(※)飢饉に際しての救荒書的性格が強いものもあった。
※:一般に近世の四大飢饉とされる寛永の飢饉(1640~42年)、享保の飢饉(1732~33年)、天明の飢饉(1782~87年)、天保の飢饉(1832~36年)のほかにも、大きな被害を出した飢饉がいくつもある。

■庶民文化の「料理本」が育んだ江戸の味
江戸時代の後期は、江戸の都市文化が花開くとともに、食文化も発展した。江戸の発展とともに高級料理店から、定食屋、屋台までたくさんの外食店ができた。食文化が発展した背景には、江戸の周辺に耕地が増大し、たくさんの作物が出回るようになったこと、流通網が発達したこと、酒や「濃口醤油」、みりんなどの調味料が江戸近郊で生産され広まったことなどがある。
さらに、料理技術が一般的に普及し、料理人以外の人が楽しめる料理や食を楽しむという風潮が社会に浸透した。人々の食への関心は高まり、登場したのが料理本である。宝暦から天明期(1751-1789)には、料理本と料理屋に代表される新たな料理文化が花開く。
江戸時代中期の料理書は、大名家に仕える料理人など専門家を対象にした専門書だった。一方、庶民もお金を出せばいろいろな食材が手に入るようになった江戸時代後期に出版された料理本は、庶民向けで分かりやすく、まさに料理本と呼ぶにふさわしい身近なものが数多く登場してくる。


2.江戸時代後期の料理本による再現江戸料理
○『万家至宝都鄙安逸伝(ばんけしほうとひあんいつでん)』天保5年(1833) … 再現料理:「大根飯」
○『料理伊呂波(いろは)包丁』安永2年(1773) … 再現料理:「大根飯」
○『大根一式料理秘密箱』(大根百珍)天明5年(1875) … 再現料理:「揚げ出し大根」、「黄檗(おうばく)天ぷら大根」
○『素人庖丁(しろうとぼうちょう)』文化2年(1805) … 再現料理:「玉子かゆ」、「玉子飯(たまこめし)」 、「牡蠣田楽」
○『豆腐百珍(とうふひゃくちん)』天明2年(1782) … 再現料理:尋常品「木の芽田楽」、尋常品「雷とうふ」、尋常品「 ひりょうず」、尋常品「ふはふは豆腐」、佳品「一種の黄檗とうふ」、佳品「叩き豆腐」、奇品「蜆もどき」、奇品「香魚(あゆ)もどき」、奇品「味噌漬け豆腐」、絶品「雪消飯(ゆきげめし)」、絶品「真のうどん豆腐」、妙品「真の八杯とうふ」、絶品「湯やっこ」
○ 『豆腐百珍続編・附録』天明3年(1783) … 再現料理:「鮓烹(すしに)」、「狸斟羹(たぬきじる)」


■大根飯 『料理伊呂波包丁』1773年
『料理伊呂波包丁』安永二年(1773)刊には、さいの目に切った大根をくちなしの汁で煮しめ、すりおろした大根の汁を米に入れて炊いた大根飯がある。大根をいれた糅飯(かてめし)の一種だと思われる。糅飯とは、量の不足を補うため、米に麦・豆・大根・海藻などをまぜて炊いた飯をいう。
他には、江戸時代後期の天保五年(1833)に刊行された『都鄙安逸伝(とひあんいつでん)』によると「大根飯」は大根をなますのときのように細く切って米に加えて炊き、「しょうゆ味の汁」をかけて食するとある。

『料理伊呂波包丁』に載っている再現「大根飯」料理


■揚出大根 『大根一式料理秘密箱』1875年、素揚げした大根に大根おろしを乗せた「揚げ出し大根」

『大根一式料理秘密箱』に載っている再現「揚げ出し大根」

揚出大こんの仕方
原文「これは右のごとく少しもかハる事なし、ただし、切かた少し小ぶりにすべし、ごまの油にあげ、すぐに醤油をかけ、とうがらし または おろし大こんを少しをきて、こせう(胡椒)をふりて出す也」
また、次の文献もあるが内容は同じである。
「揚出大根 皮を切りて立に二つに割り、少し小ぶりにすべし、ごまの油にあげ、すぐに醤油かけ、とうがらし、またはをろし大根を少しをきて、こせうふりて出す也」

-原本現代訳-
皮をむいた大根を縦に二つに割り、ごま油で揚げる。すぐに「しょうゆ」をかけ、唐辛子か大根おろしを少々のせ、胡椒をふって出す。


■黄檗(おうばく)天ぷら大根 『大根一式料理秘密箱』1875年
皮むき大根を縦に二つ切りして、一端味噌汁にて煮て、うどん粉に炒った黒胡麻を混ぜた衣で揚げた「黄檗天ぷら大根」

『大根一式料理秘密箱』に載っている再現「黄檗天ぷら大根」

黄檗てんふら大根仕方
原文「これも皮をさりて、立に二つに割、みそ汁にて煮たるを取出し、扨くろごまを煎、うどんの粉にまぜ、酒と水とを少し入、とろ\/にねり合せ、大こんをまぶして、ごまの油にてあげるなり、つかひ方ハ何にてもよし」


■玉子粥(がゆ) 『素人庖丁』1805年
玉子粥:白粥を炊き、火を止めるときに、玉子を人数分割り、釜の中の粥によくかき混ぜて盛って出す、かつを出しをかける、かやくは、しょうが、わさび、浅草のり、ねぎ小口(「素人庖丁」)。

『素人庖丁』に収録されている再現「玉子がゆ」料理。

『素人庖丁』に収録されている「玉子がゆ」は、味つけなしのかゆに汁をかけて食べる “汁かけがゆ” である。かゆに「鰹だし醤油汁」をかけ、しょうが、わさび、浅草のり、浅葱(あさつき)といったと4種類の薬味を挙げて、適宜選んでおかゆにのせるとある。当時の卵は一つ10文する高価なものであったのでご馳走であり豪華な料理であった。また、簡単に料理できて滋養があるのでよく食べていたらしい。


■玉子飯 『素人庖丁』1805年
『素人庖丁』に、現在の玉子かけご飯に近いと思われる献立が載っている。釜で炊いた飯に溶いた卵をかけて、蓋をして蒸すという「玉子飯(たまこめし)」である。

『素人庖丁』に収録されている再現「玉子飯」料理


『素人庖丁』享和3~文政3(1803~1820)年刊

「玉子飯」原文
「玉子飯 常のごとく米を能(よく)かし すこし和らかに仕かけ 焚て木をひき 玉子を人数相応に打割 能(よく)かき廻し上よりざぶりとかけ 釜の中(うち)にてませ合し 暫(しばら)く蓋をすべし 其後釜より直に盛り出すか又食籠(ひつ)にうつし出(いだ)すもよし かけ汁 かつをのだし 醤油かげんして 加益(かやく)には こせう 浅草のり ねきの小口 とうからし」

玉子飯:米は炊く。火を止める前に人数分の玉子をほぐして飯に混ぜる。炊上げ直後釜内の飯にたまごをかけて蒸らしてから茶碗に盛る。かけ汁は「鰹だし醤油」昧である。『素人庖丁』の玉子飯は、現在、日常よくみられる茶碗によそった白飯に生卵をかける食べ方ではない。


■蠣田楽(かきでんがく) 『素人庖丁』1805年
江戸中期に編纂された絵入りの百科事典『和漢三才図会』によると、「牡蠣は東北の海に多い。三河の苅屋、江戸の牡蠣は大粒で味が良い。安芸の広島産は小粒で味が良い。尾張、伊勢のものがこれに次ぐ。播磨産は大粒だが肉が硬く味は良くない」と評されている。

『素人庖丁』に収録されている再現「牡蠣田楽」料理、写真:サライ.jp(再現!江戸飯レシピ)


『素人庖丁』享和3~文政3(1803~1820)年刊

「牡蠣田楽」
牡蠣をよく洗って水気を切り、串刺しにする、串刺しにした牡蠣にふき味噌を塗り焼く。 
※ふき味噌とは、ふきのとうを刻んで甘い練り味噌とに混ぜたもの。


■木の芽田楽 『豆腐百珍』1782年
「木の芽田楽」は、『豆腐百珍』の「尋常品」で紹介されている。「尋常品」はどこの家庭でも常に料理するもの。

『豆腐百珍』より再現「木の芽田楽」料理

一、「木の芽田楽」原文
「温湯を大盤に堪へ、切るも、串にさすも、其湯の中にてする也。やはらかなる豆腐にても、危くおつるなどのうれへなし。湯よりひきあげ、すぐに火にかくる也。味曾に木の目勿論なり。醴のかた入れを、二分どほりみそにすりまぜれば、尤佳し多く入れば甘すぎて却てよろしからず」

-原本現代訳-
温湯を大盤に湛え切るにもまた串に刺すも其の湯の中にてすべし。柔かなる豆腐にても危くおつるなどの憂いなし。湯よりひきあげすぐに火にかけて焼くなり。味噌に木の芽を入るるは無論なり。なお醴《あまざけ》のかた入《いれ》を二分どおりみそに摺り混ぜれば最も佳し。多く入れて甘過ぎてよろしからず。
(お湯の中で豆腐を串に刺して、火にかける。木の芽を入れた白味噌に少しだけ甘酒を加え、豆腐にかけて食べる)(一般的な田楽豆腐)


■雷豆腐(かみなりどうふ) 『豆腐百珍』1782年
『豆腐百珍』の「雷とうふ」(つかみ崩した豆腐に醤油、白ねぎ、大根おろし、山葵を加え、油を引いた鍋で炒める)は、家庭でよく料理される「尋常品」のひとつであった。「雷とうふ)」の名前は、熱したごま油に、豆腐をくずし入れた瞬間、バリバリバリっとすごい音がするので名付けられた。

『豆腐百珍』より再現「雷とうふ」料理

十、「雷とうふ」原文
「香油(ごまのあぶら)をいりて豆腐をつかみ崩して打ち入れ、直(じき)に醤油をさし調和(かげん)し、葱白(ひともししろね)のざく/\おろし大根おろし山葵(わさび)うちこむ、又はすり山椒も(さんしょう)よし、南京とうふともいふ」

-原本現代訳-
炒ったごま油に豆腐を砕いて入れ、醤油で味付けする。ねぎの白根をざくざくに切り、わさび、大根おろしを入れる。すり山椒を入れても良い。

■ひりょうず 『豆腐百珍』1782年
「ひりょうず」は、『豆腐百珍』の「尋常品」で紹介されている。「尋常品」はどこの家庭でも常に料理するもの。
「飛龍頭 ひりょうず」は、関東でいう「がんもどき」。現在では豆腐全体に薬味を混ぜて揚げるが、当時は饅頭のあんのように薬味を豆腐で包んで揚げた。

『豆腐百珍』より再現「飛龍頭 ひりょうず」料理

十九、「ひりょうず」
「豆腐の水をしぼりてよく擂り、葛の粉をつなぎに入れ、加役として皮|牛蒡《ごぼう》の針、銀杏、木耳《きくらげ》、麻《お》の実、また小賽形には焼栗か慈姑《くわい》一品を入れ、右加役を油にて炒りつけ(麻の実は後に入れ豆腐に包む)、かくて大小宜しきに随いまた油にて揚ぐる也。うどんの粉をころもにかくる尤《もつと》もよし。いり酒におろし山葵あるいは白酢に山葵の針をおくか、または田楽にして青味噌に罌粟《けし》をふる」

-原本現代訳-
「豆腐の水気を切りよくすってつなぎに葛粉を入れ、かやくに牛蒡、銀杏、きくらげ、等好みの具を入れます。かやくを油で炒って適当な大きさの豆腐に包み油で揚げます。酒を煮詰めておろしワサビか白酢にワサビの細切りを添えます。また、でんがくにして青味噌にけしを振りかけます。」

『守貞漫稿』後集一巻 食類 豆腐(1837〜53)には、飛龍子「京坂ニテ ヒリヤウズ、江戸ニテ ガンモドキ ト云、雁戻也、豆腐ヲ崩シ水ヲ去リ、牛房笹搔、麻ノ實等ヲ加ヘ、油揚ニシタルヲ云也、價八文十二文バカリ也、京坂ニハ栗等ヲ加ヘ精製多シ」とある。いまでも関西では〈ひりょうず(飛竜子,飛竜頭)〉〈ひろうす〉などと呼び、関東圏を中心には「がんもどき」と呼ばれる。

■ふはふは豆腐 『豆腐百珍』1782年
「ふわふわ豆腐」は、『豆腐百珍』の「尋常品」で紹介されている。「尋常品」はどこの家庭でも常に料理するもの。
 
『豆腐百珍』より再現「ふわふわ豆腐」料理、写真:「江戸の美味しさいただきます」岩瀬文庫

二十一、「ふはふは豆腐」原文
「鶏卵(たまご)と豆腐と等分に合摺交せ、ふはふは烹(に)にする也。胡椒(こせう)の末(こ)ふる。鶏卵のふはふはと風味かわることなし。倹約を行ふ人専ら用(もち)ゆべし」

-原本現代訳-
同量の卵と豆腐を混ぜてよくすり合わせ、ふわふわ煮にする。こしょうをふる。卵だけのふわふわ煮と風味は変わらない。倹約するならこれを作るとよい。
料理レシピ:ふわふわ豆腐(豆腐を摺り鉢ですり溶き卵を合わせ、だし汁を温め、塩、醤油で調味し、煮立ってきたら出し汁に流し入れる。器に盛り、こしょうをふる)

■一種の黄檗(おうばく)とうふ 『豆腐百珍』1782年
「一種の黄檗(おうばく)とうふ」は、『豆腐百珍』の「佳品」で紹介されている。「佳品」は、風味が尋常品にややすぐれ、見た目の形のきれいな料理の類である。

「一種の黄檗とうふ」
一種の黄檗豆腐…鍋で淡口醤油と酒を入れて煮立たせ、別鍋に油を入れて沸かしておき、(天ぷらが揚げららえるような状態にしておくことのようです)角切りした豆腐を金網に入れて油の中で2~3回揺り動かした後、すぐに醤油と酒を入れて煮立たせた鍋の中に移して煮る。

四十、「一種の黄檗(おうばく)とうふ」原文
「稀(うす)醤油と酒しほ合せよく沸(にへたゝ)せ、別の鍋に油たつふりと沸せ豆腐を平骰(ひらおほさい)に切りて、金の籠(あみかご)に入れ油へつけて二三べんふりまはし直ぐに、煮醤油の鍋へ入れ烹調(かげにょくに)る也、一説に水をよくしぼりて 「十」雷とうふの如くするを亦(やかた)黄檗といふ。」

-原本現代訳-
鍋でうす醤油と酒を入れ煮立だせる。別に多めの油を沸きだたせておき、平たく角の目に切った豆腐を金網に入れ、油の中で2,3回揺り動かし、すぐに煮え立つ醤油の鍋に移し適度に煮る。

■叩き豆腐 『豆腐百珍』1782年
「叩き豆腐」は、『豆腐百珍』の「佳品」で紹介されている。「佳品」は、風味が尋常品にややすぐれ、見た目の形のきれいな料理の類である。

 
『豆腐百珍』より再現「叩きとうふ」料理、写真:銀座三河屋

五十六、叩きとうふ
焼豆腐を包丁で叩きにし、豆腐とふくさ味噌を七対三の割合で混ぜ、適当な大きさに丸め油で揚げます。揚げたてもよし、冷めてもおいしい1品。
ふくさ味噌はあわせ味噌の一種。赤味噌と白味噌を混ぜたものを特にふくさ味噌といいます。

■蜆もどき 『豆腐百珍』1782年
「蜆もどき」は、『豆腐百珍』の「奇品」で紹介されている。「奇品」は一風変わったもので、人の意表をついた料理とされている。

『豆腐百珍』より再現「蜆もどき」料理

五十七、「賽蜆(しじみもどき)」原文
「豆腐を全(まる)ながら水気なしに文武火(つよからぬひ)にて煮る、水いづるを金匕(かねさし)にてすくひさり、又みづ出(いづ)れば、すくひ幾次(たび)もして、煮かたまりぽろ/\と、みしゞみの如くになるを、油にてさつと揚げ、みしゞみの調味の如く稀(うす)醤油にて煮て、青山椒をおく也」

-原本現代訳-
水をよく切った豆腐を、手で砕きながら鍋に入れ、蜆の身の大きさになるまで、何本かの菜箸でかき混ぜながら、水気がなくなるまで煎り、煎った豆腐を油でさっと揚げ、しじみを煮付けるときのように、醤油で薄味に煮て、仕上げに山椒を挽く

■香魚(あゆ)もどき 『豆腐百珍』1782年
「鮎もどき」は、『豆腐百珍』の「奇品」で紹介されている。「奇品」は一風変わったもので、人の意表をついた料理とされている。

『豆腐百珍』より再現「鮎もどき」料理

六十五、「賽香魚(あゆもどき)」原文
「豆腐を長くはしらに切りあさく油(あげ)て蓼(たで)酢をかくるなり」
(たで酢(蓼酢)は、タデ科の植物、「蓼(たで)」をすりつぶし、酢でのばしたもの。蓼にはぴりりとした独特の辛味があり、焼いた鮎を食べる際、鮎の香りをより引き立てる調味料として用いられる)

■味噌漬け豆腐 『豆腐百珍』1782年
「味噌漬け豆腐」は、『豆腐百珍』の「奇品」で紹介されている。「奇品」は一風変わったもので、人の意表をついた料理とされている。

『豆腐百珍』より再現「味噌漬けとうふ」料理、写真:小学館「和樂web」松橋佳奈子

七十三、「味噌漬けとうふ」原文
「《十五》おしとうふをみの紙に包み味噌に一夜つけをくなり和調(てうみ)好み随がふ」…「十五、おし豆腐 布に包み板を斜めにして並べのせつぶれぬほどの重石をかけよく水気をしぼり生醤油酒しほ等分にて煮染め小口切にす」
(おしとうふを美濃紙に包み味噌に一夜漬けにして好みの味付けする)

■真の八杯とうふ 『豆腐百珍』1782年
「真の八杯とうふ」は、『豆腐百珍』の「妙品」で紹介されている。「妙品」は形、おいしさの二つを兼ね備えた料理の類とある。

『豆腐百珍』より再現「真の八杯とうふ」料理

八十一、「真の八杯とうふ」原文
「きぬごしのすくひ豆腐を用ひ 水六杯酒壱杯よく烹沸(にかへし) 後に醤油壱杯入またよくにかへし とうふを入る烹調(にかけん) [九十七] 湯やつこの如し擦大根をく」

-原本現代訳-
絹ごしのすくい豆腐を用い、水六杯、酒一杯よく煮返し後に、醤油一杯入れ、またよく煮返し、豆腐を入れ煮調(ととの)える。第97、湯奴の如し擦り大根 置く。

■湯やっこ 『豆腐百珍』1782年
豆腐を葛湯の中で煮る「湯やっこ」は、『豆腐百珍』の絶品で紹介されている。「絶品」とは、妙品に優るものである。「奇品、妙品は最上の美味ではあるが、うますぎるきらいがある。絶品は、ただ珍しさ、盛り付けのきれいさに捉われることなく、ひたすら豆腐の持ち味を知り得る、絶妙の調味加減を書き記した。豆腐好きの人ならば、必ず食すべきものである」とある。

『豆腐百珍』より再現「湯やっこ」料理

九十七、「湯やっこ」原文 
「八九分の大骰(おおさい)に切り又は拍子木豆腐とて五七分の方(かく)、長さ壱寸二三分の大きさに切をき、葛湯と至極ゆだまのたつほど沸たゝし豆腐を壱人分入れ蓋をせず見ていて少しうごきいでゝまさにうきあがらんとするところをすくひあげもる也、既にうきあがればはや烹調(にかげん)よろしからず、其あんばい端的にあり尤器をあたゝめおくべし、生醤油を沸し花がつほをうちこみ少しばかりさし、又一へん沸し絹ごしにして別猪口に入れ葱白のざく/\おろし大根唐辛子の末(こ)入る、京都にて是をたゞ湯とうふといふ浪華(おほさか)にて湯やつこといふ豆腐の調味において最も第一品たるべし、古法は白水にて烹るとあれども葛湯にはしかす」

-原本現代訳-
豆腐を3センチ程のサイの目に切るか、拍子木のように切る。葛湯を沸騰させ豆腐一人前を入れ、豆腐が動き出し、浮き上がるところですくい上げ器に盛りつける。醤油を煮だたせ花ガツオをいれ湯をさしもう一度煮だたせる。これをこして猪口に入れ、ネギの白根の刻み、大根おろし、とうがらし粉を入れる。京都にてこれを湯豆腐といい、浪花にて湯やっこという。

■雪消飯(ゆきげめし) 『豆腐百珍』1782年
「雪消飯」は、『豆腐百珍』の「絶品」で紹介されている。「絶品」とは、妙品よりさらに優れたもので、珍奇にたよらず豆腐の真の味を伝える、絶妙の調和がとれた料理である。

『豆腐百珍』より再現「雪消飯」料理、写真:「かき醤油」アサムラサキ
飯と大根を雪に見立てた「雪消飯」。豆腐はだし汁で下味を付けて温ため、大根おろしをのせ、さらにその上に湯洗いしたご飯をのせる。

九十八、「雪消飯(ゆきげめし)」原文
「百」うどん豆腐の如く切り 「八十一」真の八杯とうふの如く烹(に)て 小寧楽(こなら)茶碗を温めをきたるに入れ おろし大根をおき 其上へ湯とり飯をよそひ出す也 風味きゆるが如し 是亦(また)清味(せいみ)第二品にくだらず。湯とり飯は最もしろづきの飯をたき 沸湯へ入れ 撩(かきまは)し笊籬(いかき)へあげ 復(また)もとの釜へ入れ 火気のある竈へかけよく熟(うま)す也。

■真のうどんとうふ 『豆腐百珍』1782年

『豆腐百珍』より再現「真のうどん豆腐」料理

百、「真(しんの)うどん豆腐」
「鍋ふたつをならべ、二タ(ふた)なべとも、湯を最もよく湯玉のたつほど沸(たぎら)しをき、切たる豆腐を羅匕(あみしやくし)にて、直(ぢき)にすくひ、一方の鍋へ、羅匕(しゃくし)ながらつけ、ひたしたるまて煮て、あたゝめをきたる器へよそひ、今(ま)一方のにえ湯をそゝぎ入れ出す也。烹るにおよばすして、烹調(にかげん)最も妙なり。幾数十人に供(もてな)すといふとも、始終烹調少しもかわらづ。汁は、豆油(しやうゆ)壱升・酒三合・だし汁五合、ひとつに煮かへし、別の中ちよくに入れ、擦し大根・辣茄(とうからし)の末(こ)・葱白(しろね)の微塵刻み・陳皮の細末・浅草紫菜(のり)を、加料(かやく)に用ゆ。或は、胡椒一品にても。切やうは、凝菜(ところてん)のつき出し、さきの羅(あみ)を絹糸にて造(こしら)へ、温湯(うんとう)の中へむけて、つき出すなり。尤、其つきいだす手もとまで、湯へつかるやうにすべし。幾百人に供(もてな)すといふとも、即時に切いだすべし」


■鮓烹(すしに) 『豆腐百珍・附録』天明3年(1783)
『豆腐百珍 続編』には本文で100品の豆腐料理のほかに付録として38品の料理が載っている。

『豆腐百珍附録』より再現「いわしの鮓烹」

二十二、鮓烹(すしに)
「大平鍋に雪花菜(きらず=おから)をあつさ六七分にし、き生鰯一ぺんならべしき、復(また)同じく雪花菜(きらず)をし、生いわしをならべ、かくの如く四五層もして真中へ穴を穿け、其穴へ醤油のひたひたに入れ、酒塩をさして煮る」
(鮓烹は、イワシを醤油と日本酒を入れたおからを使って重ね煮にしたもの)

■狸斟羹(たぬきじる) 『豆腐百珍続編・附録』天明3年(1783)

『豆腐百珍附録』より再現「たぬき汁」、写真:DIAMOND online

三十三、狸斟羹(たぬきじる)
「蒟蒻(こんにやく)をつぶつぶに携(むし)り、香油(ごまのあぶら)にて爍(あ)げ、これを実(み)にしてよく摺りたる雪花菜(きらず)の味噌汁なり」
蒟蒻をたぬきに見立てて使う。おからの呼び名も、切らずに使えるから「きらず」と言い、漢字にはその見かけから「雪花菜」という美しい字面が当てられた。

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