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第六章 ヒラタシデムシ (1)

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2003/09/15 Mon.

 騒動の翌日もキアは何事もなかったような顔をして登校してきた。さすがに跳んだり走ったりは控えていたが、ふつうに歩くぶんには悪いところがあるようには見えなかった。
 体育は引き続き剣道の授業で、素振りの練習が始まった。伏見先生はキアと門真だけを体育館から連れ出し、ペナルティと称して応接室の片づけを命じた。
 二人だけにして目を離しても大丈夫かと心配したが、とくに揉め事はおこらなかった。門真はキアとかかわること自体もうこりごりだと思っているようだ。
 住之江は母親同伴で登校してくるようになった。教室には入らず、用意された空き部屋にずっとこもって、母親がつきっきりで勉強を教えている。たまに教科担当の教師が部屋にはいると、教頭先生が母親を迎えに来て長いこと話し込んでいたりする。
「教育委員会に直訴されんのが心配で親のごきげんをうかごうとんのや」
というのが同級生たちの見解だった。
 教室の隅には主のいないケージがぽつんと置かれていた。
 一度は宇多野先生に「片づけてしまえ」と言われたが、大宮は目を伏せて聞き流した。その後も毎日の水換えをやめようとはしなかった。

 そろそろ体育大会の練習が始まるということで、一年生は総合的学習の時間にグラウンドの草抜きを命じられた。
 オオバコ、ノゲシ、カタバミ、スベリヒユ、シロツメクサ。
 春には小さな花を咲かす草も人間が使う場所にはびこればすべて雑草と呼ばれる。
 広いグラウンドにぱらぱらと散らばってしゃがみこんでいた生徒たちは、教師の目を盗んでひとり減りふたり減り、チャイムが鳴る頃にはほとんどの男子と女子の三分の一がいなくなっていた。
「力仕事にかぎってあてにならへんねんから」
 残った女子たちはぶつぶつ言いながら引き抜かれた草をポリ袋に詰めていった。できあがりはけっこうな重さと大きさになった。僕とキアがゴミ置き場まで運ぶ役を引き受けた。
 両手にゴミ袋を提げて管理棟の前にさしかかると、見慣れない大人の男女が出入り口に立っていた。男の人は紺のスーツ。女の人は煉瓦色のワンピース。めだった特徴のないのが特徴みたいないでたちだ。
「誰かの親かな?」
 なにげなく話しかけたつもりが、キアの姿が煙のようにかき消えていた。狐につままれたみたいだったが、仕方なく残されたゴミ袋をひとりで抱えあげた。
 近寄ってみると、男の人は大学を出たてくらいの若さだった。背中をまるめて居心地悪そうにもじもじと足を踏みかえていた。女の人は相方よりずっと年上で、ずっと場慣れした態度に見えた。夫婦や姉弟ではなさそうだ。
 何人もの教師が校舎を出入りしていたが、部外者に声をかける者はいなかった。
 ゴミ置き場からの帰り道にも、二人は辛抱強く何かを待ち続けていた。そのとき、渡り廊下をぱたぱたと走ってきた壬生先生が二人に話しかけようとして、あわてて飛び出してきた教頭先生に阻まれた。教師たちはなにごとかごちゃごちゃと言い合いながら、もつれるように職員室へ入っていってしまった。
 壬生先生の思いつめた表情が気になったが、始業のチャイムがなってしまったので急いで教室に引き返した。
 次の休み時間、階段の踊り場に出てグラウンドを見下ろしてみた。
 さっきの二人組が手ぶらで正門を出て行くところだった。門の外で待ちかまえていた人影が二人を呼び止めた。あの体格は……堂島刑事だ。
「うっとい連中やな」
 いつの間にかキアが僕の横にいた。
「さっきはどこに行ってたんだよ」
「あいつらと顔をあわせとうなかった」
「あいつらって、あの男女二人組?」
 キアは返事する代わりにじろりと僕をにらんだ。
「ラス。お前、保健の先コにちくったな」
 思わず首をすくめてしまった。別にやましいことはしていないのに。
「……薬を返しに行ったときにつかまっちゃってさ……」
「どこまで話したんや」
「先生たちの目の前で起きたことだけだよ」
 窓から抜け出して池まで逃げたなんて言えないだろ。
「何か、まずかったのか」
「さっきの二人組、壬生が呼びつけたんや。おせっかいが」
「あの人たちが何者か知ってるのか」
「ああいう風体で学校に来るんは教育委員会か児童相談所に決まっとう。教頭は相手しとったか?」
「完全無視。壬生先生が話しかけようとして教頭に邪魔されてた」
「なら、児相やな」
「……詳しいんだね」
 転校してくる前にも、ああいう人たちとかかわりがあったのかい。
 黙って後ろを向いたキアに続いて教室へ戻った。
 声高に話し合っている男子生徒の一団がいた。
 運動部に所属はしていても、あまり目立った活躍もしていない連中。
 僕らを見てぴたりと口を閉じた。それでも会話の最後あたりはしっかり聞こえてしまった。
「……葺合のこと、聞き込みに来たんやて」
「やっぱあれか、他でも盗みとかしとったん……」
 さっと横を見たが、キアは顔色ひとつ変えず、すっと席に戻った。
 僕のほうは背筋を冷たいものが流れ落ちた気がして、その後の授業はちっとも頭にはいらなかった。
 耳ばかりが過敏になって周囲のひそひそ話を拾い上げてしまう。
「……金岡の金……」
「……本山のピアス……」
「……が転校してきてから……」
 さらに次の休み時間が来るまでじりじりしながら待ち続け、チャイムと同時に席を蹴って常盤をつかまえた。
「話がある」
 常盤は別に驚いた顔もせず、僕の後についてきた。トイレを通り過ぎ、奥の廊下の行き止まりまで来てあたりを見まわし、誰もいないことを確かめた。
「おい、どういうことだよ。わけわかんない噂が……」
 用件の内容は予想していた。常盤はそんなふうに肩をすくめた。
「金岡の金を盗ったんは葺合やて話やろ」
「そんなはずないだろ。最初に盗難があったのは」
「わかっとうよ。あいつが越してくる一日前やった」
 ぽかんと口を開けた僕の目の前で、常盤はスラックスの尻ポケットから手垢のついたシステム手帳をひっぱりだし、ページを開いてのぞきこんだ。
「烏丸がどう思てたか知らんけど、俺はウラのとれたネタしか流したこと無いで。そら、多少おもしろうするために話を大きぃすることはあるけど」
 手帳から上目遣いにちらっと僕を見た。
「ガセと知っててしゃべったことはない」
「それじゃあ……」
「適当な思いつきでも陰険な言いがかりでも、喰いつくやつが多かったら広まってまうんや。噂っちゅうんはな」
「……思いつき?……言いがかり……」
「心当たりあるんやないの?」
 僕は短くうめいて髪をかきむしった。
 思いつきや悪意でキアの悪口を言いそうなやつ。それを喜んで広めるやつ。 
心当たりがありすぎて参ってしまった。
 いったい僕らはいつのまに、こんなに敵を増やしてしまったのか。
「どうすりゃいいんだよ。僕が本当のことを言ったって、誰も聞いてくれやしないんだろ」
 自業自得。常盤はきっとそう思っていただろうに、そこまでは言わずにいてくれた。
「俺かて嘘やとわかっとう話が垂れ流されるんは気に入らんよ」
 手帳をぱらぱらとめくりながら思案げに首をひねった。
「そうやな……もっと刺激的で、みんなが聞きたがるようなネタがあがれば流れが変わるかもな」
「……そんな簡単に都合のいい話がみつかるかよ」
 弱音を吐いてしまってから、ふと思いついたことがあった。
「本当に泥棒をしたのは宇多野先生だっていうのは?」
 常盤はぶっと息を吹いて、あきれた顔で僕を見た。
「大人がなんでガキの小遣い銭に手をつけんねん。意味ないで」
「そうかな……案外……」
 考えてみればつじつまの合わない話ではない。
「やばすぎるで。ほんまやったらぶち抜き大見出しやけど、はずしとったらごめんですまへん」
「証拠をあげればいいんだろ。やってみるよ」
 頭がおかしいと思われたかもしれないが、僕としては数パーセントの可能性でも賭ける気になっていた。
「協力はせえへんで」
「わかってるよ。それとは別にお願いなんだけど……教室でどんな噂が流れてるかとか、言いだしっぺは誰だとか、気がついたら教えてもらえないかな」
「それくらいやったら」
「もうひとつ。今の話は葺合には内緒にしてほしい」
「あいつはもともと俺なんかに話しかけてきたこともないで」
 常盤はぱん、と音をたてて手帳を閉じた。
「気ぃついとったか?葺合と用事ぬきの話ができんのは、このクラスでお前と住之江だけや」
「そうか……」
 僕が急接近してしまったせいで、キアはクラスに溶け込む機会をのがしてしまったのだろうか。もしそうだとしたら、これからはあんまりぴったりそばにいないほうがいいのだろうか。
 ……たぶん、今からでは遅すぎる。少なくとも、みんなの間にはびこった誤解を解いてからでなければ、やり直したくても難しいだろう。

2003/09/17 Wed.

 体育の時間、玉出先生が高井田の首根っこをつかまえて体育館にひっぱってきた。伏見先生は露骨にいやな顔をした。指導に乗らない生徒は出席しなくていい。そのかわり成績は最低ランクにつける。それがこの先生の方針だ。
 かといって一度出席した者を追い出すわけにもいかない。伏見先生はしかたなく、面打ちの稽古を始めた生徒たちとは場所を分けて、高井田、門真、そしてキアを並ばせた。
「お前らは基本の所作からやりなおしや」
 起立、礼、直れ、正座、起立、礼……。
 単調な繰り返しを強制されて、いやいや従う門真の姿勢はふにゃふにゃだ。高井田は注意されるたびにますます反抗的になり、喧嘩腰の勢いで手足をふりまわした。真ん中のキアが淡々と、しっかり急所を押さえた所作をこなしきるので、二人のだらしなさが余計にめだってしまった。
 そのことが伏見先生をさらに苛立たせた。
 授業の後半には他の生徒などそっちのけで三人に怒声を浴びせ続けた。
「背筋のばせ!膝まげるな!なんや、そのへっぴり腰は!性根いれんかい!」
 チャイムが鳴ってしまったあとも説教は続き、男子全員が次の授業に遅刻した。高井田と門真はそのままエスケープを決め込み、残ったキアだけが同級生の冷たい視線にさらされた。
 僕は唇を噛んで事態を見守るしかなかった。

 終業前のSHR、例によって宇多野先生は遅刻した。
 ひょっとしたら今日はもう来ないつもりかもしれない。そんなムードがただよい、生徒たちがだらだらと帰り支度をしていると、階段のほうから玉出先生の声が響いてきた。
「しゃんとしてくださいよ。生徒らにしめしがつかん」
 すでに帰る気になって廊下に出ていた男子生徒があわてて引き返してきた。
「玉出がウタノンを追いたてとうで」
 何人かの生徒が釣られて中窓から廊下をのぞき、すぐに頭をひっこめてばたばたと席についた。
 額に青筋をたてた宇多野先生とその後ろにぴったりくっついた玉出先生が廊下を歩いてきた。宇多野先生は玉出先生に背中を押されるようにして教室に入り、よろけながら教壇にあがった。
 玉出先生は出入り口の外で立ち止まり、しかめっ面で中のようすを見届けると、どすどすと足音をたてて引き返していった。
 壇上の宇多野先生はぶるぶると手を震わせながらチョークをつかみ、黒板に何かを書こうとした。線をひきかけたところでぽきりとチョークが折れ、上半分が転がり落ちて先生のスリッパに当たってくだけた。
 それが限界だった。
 先生は残りのチョークをたたきつけるように置き、唖然としている生徒たちに向かって声をはりあげた。
「もうたくさんだ。みんな帰れ。とっとと帰れ帰れ!」
 そうして玉出先生に負けないほどの勢いで教室を飛び出していった。

 僕とキアは並んで正門をくぐり、指定の下校路を離れて新聞販売店へ向かう細道を歩いた。
 夕刊配達の時間にはまだ少し早かったが、青池では本格的な工事が始まっていて、表通りからは中に入れなくなっていた。僕らの足は少し先の児童公園に向いた。
 クマゼミたちの饗宴はとっくに終わり、子供たちの遊ぶ姿もない。去年、やたら塀の高い家が公園の隣に建った。日当たりも見通しも悪くなって、幼児の母親たちが寄りつかなくなった。
「最近の玉出先生、なんだかひとりで走りまわってるな。越冬前のハチみたいにかりかりしてる」
「壬生のお守りにてこずっとんや」
 僕はちょっと驚いてキアを見た。
 教師の事情になんか興味ないだろうと勝手に思っていたから。
「あの女、児相呼んで教頭に目ぇつけられてからグジャグジャや。それでも懲りんと俺にからんできよる。昨日も保健室前でつかまりそうになってな……通りがかった玉出に乗り換えてぐちり始めたんで、逃げてこれてんけど」
 もともと本気で生徒たちをなんとかしようとしていた教師はこの二人だけだった。他の先生たちが成り行きを見ながら及び腰になっていることで、玉出先生はますます焦っているわけか。
 物思いにふける僕の横をしばらく黙って歩いていたキアが、親指をたてて背後を指した。
「中で追い立てられたら、外へはみだすアホも出てくる」
 僕は後ろを向いて、前屈みに格好をつけている茨木と巨体の淡路、そしてきょときょと落ち着かない門真が近づいて来るのを見た。
 逃げ込むところなどない、公園のど真ん中だ。
 人通りの少ない場所に来てしまったことを悔いたが、キアは足をとめて平然と三人に向き直った。
 追いかけっこできるほどには足が回復していないのかもしれない。そのことで不安を感じていたとしてもおくびにも出さなかった。
 茨木が肩をいからせ、あごを上げて気持ちの悪い笑いかたをした。
「門真から聞いとうで。最近ますますでかいツラしよるてなあ」
 門真がひくっと後じさり、淡路に押し戻された。
「住之江のボケとお前らのでしゃばりのせいで、えらい迷惑やて。俺らの身内怒らせてただですむ思うてんのかよ。ええっ」
 門真はおどおどと茨木の袖を引っ張った。
「べつに俺は……仕返しして欲しいとか言うてへんし……」
「ここまで来てひきさがんのかよ。さっきまでええ調子でぶっこいとったやないか」
 キアはわずかに眉をあげた。
「江坂には外で勝手に動くな言われとんやろ」
「うっさいわ。上の都合やらぐだぐだ聞かされて、いつまでも辛抱しとれっかよ。なあ門真。そない言うてたなぁ」
 茨木に肩をはられて、門真はかくかくと身体を揺らした。
 淡路がはじめて口をきいた。
「びびりぃの一年なんかほっとけや。とっととやってまお」
「今日は俺が仕切るて言うたやろが。かかるときはいっぺんや」
 僕は三人から目を離さず、キアの左を守るように横に並んだ。
 茨木はキアの実力を知っていて慎重になっている。三人がかりで抑え込もうという腹だったのだろうが、門真は逃げ腰だし、淡路は茨木の出方を値踏みしているみたいだ。
 僕が誰かひとりにくらいついて時間を稼げば勝算はあるだろうか。


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