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第九章 ミノムシ (1)

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2003/10/13 Mon.

「葺合滋さま
 手紙の宛先がわからないので、二宮さんに託すことにします。もしちゃんと届いて読んでもらえているなら、僕のかわりにお礼を言っといてくれますか。
 宇多野先生が横領の疑いで再逮捕されました。学校の備品や図書をこっそり持ち出して売り払っていたらしいです。金額はせこいけど、回数が半端じゃなかったとか。新聞にも載ったから知ってるのかな。
 出戸が逮捕されたこともニュースになっていたけど、多聞さんにぼこぼこにされて警察に逃げ込んだことまでは報道されていなかったと思います。
 傷害罪でつかまった多聞さんが、今まで出戸に指示されてきた悪事を九割方(つまり、江坂がからんでいること以外は)ばらしちゃったんで、そのまま拘置所行きになったんだけどね。娑婆には他にも都合の悪いことがいろいろあるみたいで、保釈もされたくないようです。
 江坂と千林は鑑別所にいるらしいです。
 校長先生は入院中です。悪性腫瘍の精査目的ということになっています。
 教頭先生が職員室で首をつろうとしました。未遂で終わったのでこれも新聞には載らないと思います。
 玉出先生はまだ入院中です。新しい保健室の先生も赴任していません。
 一年C組の担任も不在のままです。HRはいろんな先生が交代で見に来ています。
 先生の指導なんか無いも同然なのに、住之江と長居と金岡以外の生徒はそれなりに登校しています。
 消防がいなくなって、警察の出入りも減って、だんだん以前と同じ西中に戻ってきている感じかな……」

 下校路を少し離れた郵便局に寄って、二重の封筒に入れた手紙を投函した。国道に戻るとすぐに大柄な男の人が追いついてきた。
「大丈夫やとは思うけどな。あんまりひとりで細い道に入りなや」
「チンピラどもとは休戦協定中ですよ。売布の統率力がどれくらいなのかは知らないけど」
 数日前、僕はひとり旧校舎の部室に呼び出された。それなりに覚悟を決めて行ったのだが、あの夜の逮捕劇についてあれこれ聞かれたあとは相互不可侵の提案がすんなり通って拍子抜けするほどだった。そのとき気がついたのは、僕が江坂や宇多野先生に真っ向から挑んだ命知らず、キレさせるとしゃれにならない危険人物とみられていることだった。
 堂島さんは珍しく、僕の顔色を気にしながら話を続けた。
「今週中に青少年課からお呼びがかかると思うで」
「またですか。もう知っていることは全部お話ししましたよ」
「別件や。千林が五月に浮浪者を襲撃したて吐き出した」
「……何を今さら」
「まだ十三歳で初めての触法、関係機関でもノーマークやったからな。親は家に連れ戻す気満々で弁護士も立ててきてんけど、ガキのほうがいやがっとる。親父に叱られ続けるくらいなら少年院のほうがましや、審判を重うしてくれやと」
 なんだかやるせない気分になって、ため息がでた。
「あんなやつ、一ヶ月もたずに家に帰りたいって泣き出しますよ。滋も聴取に呼ぶんですか?」
「この件はもう俺の管轄やないからな……」
 この一週間、堂島さんとは何度か会っているけど、キアのことは何も教えてくれない。守秘義務というより僕が暴走するのを警戒しているようにみえる。
「……ゴルフ場で堂島さんに会ったとき、僕が躊躇せずに訴え出ていれば、事態はここまでこじれなかったのかもしれませんね。滋が深みにはまることも、千林が余罪を重ねることもなかったのかも」
「それを言うんなら、俺のほうが責任重大やて」
 今度は僕のほうがとまどって、堂島さんの顔を見上げた。
 刑事さんは今まで見たこともないほど真剣な目をしていた。
「なんや、その顔は。きみら三人には申し訳ないことしたて思うてんねんぞ。こら。なにがおかしい」
「いえ……子供にちゃんと謝る大人なんて、いないと思ってたから」
「……ふん……」
 それこそ子供のようにむくれた堂島さんを見て、ちょっとだけ気持ちがほぐれた。同時に、またぞろ新しい計画が頭をめぐりはじめた。持ち前の悪い癖だ。今なら刑事さんから情報のひとかけらくらいは教えてもらえるかもしれないなどと……。

2003/10/27 Mon.

「……住之江が登校するようになりました。今回はプリウスじゃなくて、アルトで送迎です。運転しているのはお父さんかな。英語と数学だけは『あすなろ学級』で教えてもらってるけど、それ以外の時間はC組の教室にいます。僕とは朝夕のあいさつと立ち話をするくらいです。世話を焼いてやらなくても、もう誰もちょっかいはかけてないし。高井田は県警の相談室にちょこちょこ呼ばれて、それがまんざら嫌でもなさそうです。宇多野先生がいなくなってからのC組は緊張感がすっかり抜けてダレまくりです……
 ……堂島さんに無理を言って、初音ちゃんと菱一くんの保育園を教えてもらいました。(津守さんには内緒です。二宮さんに知れたらまずいかな?わざわざ表ざたにはしないと思うけど)
 中間テストのあとで行ってきたよ。ふたりともとても元気そうだった。仲の良い双子だね……」

 平日の昼下がりだというのに、逢坂市の南、ターミナル駅前の交差点はたいした喧噪だった。道路からあふれそうな自動車の列をかきわけて路面電車が走ってきた。路肩をすりぬけようとしたミニバンに、隘路から飛び出したベビーカーが危うくぶつかりそうになった。
 僕が片側のフレームをつかんだことで、軽量タイプのベビーカーはくるっと半回転した。ハンドルを握っていた小さな子供が振りとばされそうになりながらなんとか踏ん張った。
「どこ見とんのや、あほんだら!」 
 罵声を浴びせたミニバンの運転手に向かって、立ち直った子供が思い切りあかんべえをした。短く切りそろえた髪に日焼けした気の強そうな顔。泥んこのズック靴。ピンクのスモックを着ていなければ女の子だとわからなかっただろう。
「大丈夫かい?もう少し下がろうか」
 女の子は僕を見て、ベビーカーを奪い返そうとするようにハンドルを引いた。
「リョウちゃんをいじめたら、あかん」
「いじめてないよ。じゃあ、こっちは手を離すから、危なくないとこまで動かしてくれるかな」
 そうこうする間にも僕らのすぐ後ろを何台もの自動車が速度を落とさずに走りすぎた。女の子はちょっと口の端をまげたが、ぐいっとハンドルを押して出て来た細い道に戻った。はずみでベビーカーの前輪が持ち上がった。
 僕ははらはらしながらベビーカーに座った青いスモックの男の子を見守った。わずかに傾いだ細い首がかくかくと揺れたが、本人はいたって機嫌よさそうだった。女の子が顔をくっつけると、男の子がことばにならない声をもらした。僕には仔猫が喉を鳴らすのと区別もつかない音が、女の子には理解できるようだ。
「リョウちゃんが、ありがとってゆうてる」
「そりゃ、どうも」
 僕が男の子に手を振ると、女の子はようやく眉間のしわをゆるめてくれた。
「お名前、教えてくれる?」
「ツモリリョウイチ。あ、あたしはハツネ」
「大通りを渡りたかったの?」
「おうち、かえるねん」
「お迎えが来るまで、園で待ってたほうが良かったんじゃないの?」
「そんなん、いらへん。みち、しってるもん。あたしらだけでかえれるし」
「そう、すごいんだね」
 初音ちゃんは得意げにそっくりかえった。
「あたしらで、おるすばんもするんや。パパがかえってくるまで、ごはんたべてまってんねん」
「ママはいないの?」
「ママ……おるけど」
「ご飯とか、作ってもらうんでしょ」
「でも、リョウちゃんにたべさすんはあたしやもん」
「お風呂も、ふたりではいるの?」
「それはあかんねん。パパがいてへんと、あぶないねん」
「お利口だね。いけないこともちゃんとわかってるんだね」
「ほんまは、いっかいだけやってみてん。あかんかってんけど……」
 初音ちゃんはそこで口ごもり、菱一くんのベビーカーを押しながらとことこと来た道を引き返し始めた。
「ないしょやで。パパにゆうたらあかんねんで」
 パパには内緒。それは誰との約束だったのかな。僕が返事をしないでいると、さらに早口でつけくわえた。
「リョウちゃんがけがしたら、パパめっちゃおこんねんで。ハツがちゃんとみとかんかいゆうて」
「初音ちゃんには、ちょっと大変なお役目だね」
「でも、あたしはおねえちゃんやから」
「今はママがいるから、無理しなくていいよね」
「でも、ママにはケイちゃんがおるから……」
 たいしたでこぼこもない平坦な道なのに、初音ちゃんは何度かつまずきかけて、そのたびにベビーカーの菱一くんが身体を揺らした。僕はいつでも手をだせる距離に並んで一緒に歩いた。
 保育園は迎えの母親たちと、その手にまとわりついたり離れたり、じっとしていない子供たちでにぎやかにざわめいていた。ひとり心配そうにあたりを見まわしていた女の人がこちらに気づいた。胸にかけた荷物を揺らさないように両手でかかえながら、精一杯急いで歩いてきた。ほっそりとした少女のような体つき。切れ長の涼やかな目もとが、あいつにそっくりだった。
 菱一くんが嬉しそうに声をあげた。女の人が身をかがめて二人に手をのばした。初音ちゃんは一瞬びくっと首をすくめたが、優しく頭をなでられてもじもじと身体を揺すった。
 僕はそのようすを少し離れたところから見守った。女の人の荷物が何なのかわかったので、黙ってきびすを返した。

「……素性を明かさないのが堂島さんとの約束だったので、お母さんとは話をしていません。赤ちゃんはちゃんと生まれていたよ。滋が転校してくる前に、予定日もわかっていたんだよね……」

2003/11/10 Mon.

「……連休を利用して神部市に行ってきました。去年、滋ともめた中三生たちはもう卒業しちゃったので、事実を調べるのにちょっと苦戦しました。当事者が誰もいないところで見てきたような噂話だけが垂れ流され、無責任に脚色されるのには腹がたちます。
 三日間あちこちほっつき歩いて与太話ばかり聞かされて、ようやく八尾枝美里さんのお姉さんだという人に会えました。八尾さんは学校にはほとんど行っていないけど、それなりに元気にしているそうです。滋のことを聞かれて、生きていることは確かだとしか言えなかったのに、ずいぶん安心してくれました……
 ……滋の手元には小学校のアルバムとか家族の写真とかは届いているんですか?引っ越し続きで失くしたり、逢坂を出るときに置いてきてしまったり、家の人に届けてもらえなかったりしたんじゃないですか?
 今まで縁のあった人たちのことを思い出す手がかりになればと思って手紙を書いてきたけど。読んでて気分悪くない?
 いやだったら読まずに捨ててください。これ以上詮索を続けるなというなら、二宮さんにそう伝えてください。僕としては、またもや藪に踏み込んでしまって、今頃になって迷いだして、半分は後悔しています。だからといって引き返さないのが悪い性分です。しかたないやつだと思って許してくれるなら、もうしばらく僕の不作法につきあってください……」


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