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第五章 アキアカネ (1)

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2003/09/01 Mon.

 始業式の朝、大宮は文鳥のケージをかかえて登校してきた。
「休みのあいだ、家で世話してたの?」
 僕がたずねると、
「休みのあいだだけって約束やってん。お父さん、生き物飼うの好きやないから」
 そう言って、名残惜しそうにカーブした針金をなでた。
 文鳥は元気そうにチチッと鳴いて止まり木を飛び移った。
 御影が僕らに軽く手を振って通り過ぎた。合唱部の女子生徒たちがすぐに寄ってきて、にぎやかにおしゃべりを始めた。
 千林が入ってきて、いきなり僕と目があった。挑むようににらみつけてきたが、こっちが何も言わないでいるとぷいと横を向き、肩をつっぱらかせてどしんと席についた。
 キアが思い出せよというように僕を目で制した。
「シカトしたれよ。あいつにはそれが一番ましなあいさつや」
 高井田、門真、三国は予鈴が鳴り終わってから姿を見せた。ぶすっと不機嫌そうなのは新学期が始まったせいだけだろうか。
 担任が不在のまま校庭に整列せよと放送がかかり、生徒たちは学年主任に追い立てられてだらだらと移動した。玉出先生が廊下で高井田を呼び止め、どこかへ連れ出していった。
 宇多野先生は校長の訓話にぎりぎり間に合った。赤い目をしょぼつかせ、寝癖のついた頭をとかしたようすもなかった。
 始業式が終わり、教室に戻ってみると、住之江がぽつんとすわっていた。なんだか元気がない。ほとんど日焼けしていないうえに一学期よりちょっと太ったようだ。
「おはよう」
 近寄ってあいさつしたら、お化けにでも出会ったみたいにおびえた顔をして後じさった。身体は固くなっているのに目線が泳いでいる。しかたなく席に戻ってこっそりと観察を続けた。
 住之江が意識している視線のさきには千林と門真がいた。
 僕はそばに立ったキアにささやいた。
「千林と同じ塾に通い続けてたなら、何か言われてても不思議じゃないよな」
「門真は補習の間じゅう、住之江が来てへん言うて文句垂れてたな」
 僕らがまだ友達のつもりでいても、住之江が怖がっていては近づきようがなかった。

 ホームルームが始まり、宇多野先生は保護者あてのプリントを何枚か配った。
 前の席から紙束をまわしてきた女子生徒の指が、受け取ろうとした僕の指に軽く触れた。
 艶よく磨いた長い爪にかすられてどきっとした。女子生徒はすぐに前に向き直ってしまったが、白いうなじにかかる茶色がかった髪が、ふわりとなびいてむせるような匂いを残した。腹の下が熱くなりかけて、あわてて顔をそむけた。
 クラスにこんな子がいたっけか。まぬけな考えをすぐに打ち消した。今学期はまだ席替えをしていないじゃないか。
 僕の前にいるのは一学期と同じ、本山だ。改めてあたりを見まわし、夏休み前とは別人のように雰囲気の変わった女子生徒が他にも何人かいることに気がついた。
 なぜだか、カラスアゲハをつかまえそこねて指に鱗粉だけ残った時のことを思い出した。落ち着かない気分のまま、配られたばかりのプリントに目を落とした。
 夏に開催された中学校総合体育大会の結果報告と、十一月に予定されている駅伝大会の予告。その応援のためのPTA活動報告と賛助のお願い。
 読みすすむうちに頭がさえざえと冷えてきた。
 一学期にも感じていたことだが、同じ小学校の出身でも運動系の部活にはいった連中とは何となく疎遠になってしまった。
 部員同士でかたまっていることもあるし、早朝放課後昼休みさえ練習続きでゆっくり話をする機会もない。
 それだけでなく、連中が僕ら文字通りの「部外者」を疎んじているような雰囲気さえ感じてしまう。
 PTAの世話役はほとんどが運動部員の親たちで、設備の充実だの広報だの試合の応援だのにばかり熱心だ。
 自分たちの都合優先で、クラスや学内のごたごたからわざと距離を置いているんじゃないか。
 僕は頭をぶんと横に振って自分の頬をはたいた。
 千林のせいで妙な被害者根性に染まってしまっているようだ。

 終業時間までに、とうとう姿を見せなかった生徒が二人いた。
 長居と金岡。
 宇多野先生は結局、二人の名前すら口に出さなかった。

 チャイムを待ちわびた生徒たちがばたばたと帰り支度を始めた矢先、高井田が教室に飛び込んできた。
 すぐ後ろに追いついた玉出先生の手をふりほどき、あわててそばに行こうとした三国に短く脅すような声を吐いた。鞄をつかむと生徒たちの流れを蹴散らして出て行った。残された先生はその後ろ姿を見送ってから、あたりをじろりと見渡した。
 宇多野先生はとっくに教室から姿を消していた。
「葺合。ちょっと来い」
 生徒たちのざわめきが一瞬、ぴたりと止んだ。
 キアは初めて出会ったときと同じ、醒めた目で玉出先生を見つめ返したが、黙って鞄をかつぎあげ、先生のあとについて出て行った。
 二人の姿が見えなくなると、あたりは堰を切ったような騒ぎになった。
「高井田のやつ、今度こそやばいんとちゃうか」
「葺合はまた何をやらかしたんや?」
 誰かの声にむかっときて反論しようと振りむいたところに、御影が立ちはだかった。
「思いつきで好き勝手しゃべってるだけじゃない。いちいちつっかからなくてもいいでしょ」
「葺合は何もしていない」
 ぶすっとこたえた僕に、御影は肩をすくめてみせた。
「自分の身を守ろうとさえしてないよね。危なっかしいったら」
「何の話だよ」
「地震のあった日のこと、聡は知らないかな」
 首筋にぞくりと悪寒が走った。
「新道のAマートで集団万引きがあったんだって。現行犯でつかまったのはひとりだけど、珍しく警察がはいって、派手に共犯者探しをしたみたい」
「……葺合は無関係だ」
 僕を捜して店にたどりついただけ、僕が声をかけなかったから身動きとれなかっただけなのに。
 急いで教室を出ようとした僕の背に、御影が皮肉っぽく言い放った。
「まさか、玉出先生にまで吠えつくつもりじゃないでしょうね」
「どういう意味だよ」
「安土先生がおしゃべりなの忘れた?成績を鼻にかけて増長してるって言いふらされてるよ、有名人」
 横っ面をはり倒されたみたいに、足がすくんで動けなくなった。
「身にやましいことはないっていうなら、しばらくおとなしくしてなさい。大事なお友達のためにもね」

 御影が去り、他の同級生たちが去り、最後まで躊躇していた大宮が、結局声をかけそびれて帰って行った。
 がらんとした教室で、文鳥が無邪気にさえずった。
 キアは戻ってこなかった。鞄を持って出たときから、まっすぐ帰るつもりだったのだろう。
 僕はひとり、のろのろと教室を出た。頭の中はごちゃごちゃにちらかっていたが、足はいつもの習慣で勝手に正門へ向かった。
 ようすがおかしいと気づいたのは門をくぐって外に出てからだ。
 普段はにぎやかに騒ぎながら下校していく生徒たちが、うつむいて足早に歩いていく。
 正門の向かい側、民家の外塀に片手をついて大柄な男の人が立っていた。その広い背中が覆いかぶさってよく見えないが、塀とのあいだにもうひとり誰かいるようだ。
 壬生先生が校舎からばたばたと走ってきた。僕を追い越して男の人の前に進み出た。
「あなた、うちの生徒に何をしてるんですか」
 毅然とした態度をとろうと精一杯がんばっているけど、声も足も震えていた。僕は黙って先生の横に並んだ。
 男の人がゆっくりふりむいた。堂島さんだ。
 その後ろでは高井田が塀に背中をはりつけ、青い顔をして縮こまっていた。
「ちょっと話を聞かせてもろてただけですがな」
 壬生先生は目の前につきだされた手帳を見て、堂島さんがいきなり手を出してくることはないと判断したようだ。少しだけ元気になって、背筋をのばした。
「いくら警察の方でも、学校の許可なくこういうことをされては困ります」
「ガッコの中には入ってへん。ここは天下の公道やで」
「下校中の生徒らを刺激せんとって欲しい。そうお願いする言うたら、聞いてもらえるか」
 いつの間にか僕の後ろに玉出先生が立っていた。丁重な物言いとはうらはらに、けんか腰のように堂島さんをねめつけていた。
 堂島さんは不敵な笑顔を見せた。こそこそと横ばいに逃げ出した高井田を追いかけようとはせず、先生たちに会釈することもなく、悠々とした足取りで歩き去った。
 僕は玉出先生に背を向けたまま、ぼそっと言った。
「八月六日のAマートには、僕もいました」
 先生は僕のことばなど聞いていないように、眉間にしわを寄せて毒づいた。
「あの刑事、学校に無断で店側とつるんでかぎまわりおって。まったく、中学生相手に何考えとんねん」
 先生が高井田やキアを何のために呼びつけたのか、尋ねることはできなかった。

2003/09/02 Tue.

 台風が近づいているせいで、生暖かく湿った風が吹き始めていた。クロマツの枝がざわざわと揺れ、青池の水面に白い波がたった。
 僕らは風上を避けて祠の裏に腰をおろした。
 弁当箱の蓋にスルメイカとナスの天ぷらを取り分けてキアに手渡した。キアはぐずぐずに熟れて崩れかけたイチジクをパックからひとつ取って僕にくれた。
 ようやく二人だけでゆっくり話す時間がとれた。
 僕の気持ちを察したように、キアは自分から単刀直入にきりだした。
「昨日、先コにはスーパーであの刑事が何してたか聞かれただけやで」
「一ヶ月近くも前のことを何で今頃蒸し返すのさ」
「玉出は高井田を連れて警察に行くまで、何も知らされてへんかったみたいやな」
「店からも警察からも学校には連絡が行ってなかったのか」
「それか、教頭が玉出に言うてへんかったかや」
 僕はイチジクの皮をむきながら思案にふけった。
「刑事さんが店に来てたなんて聞いてなかったぞ」
「別にええやろ。俺は何もしてへんし、何も知らんかったで通したし」
「事情を聞かれてたせいで帰りが遅くなって、お父さんに叱られたんだろ」
 キアは肩をすくめてイカの天ぷらを噛みちぎった。
 親のことは話してくれそうになかったので、しかたなく質問を変えた。
「最初につかまったのは高井田か?」
「実行犯は金岡や」
 僕は口に運びかけたイチジクを取り落としそうになった。
「玉出がカマかけてきたんで逆に聞き出せた。せびられていた金を払いきれんようになってウロがきとったんやろ。慣れんことするからあっという間につかまって、すぐに高井田の名前を吐いたらしい」
「お前を巻き込んだのは高井田か」
「俺だけやない、あの刑事に絞められて、芋づるで何人か釣りあげられたようやな」
 今までは西中生が万引きをしても、店から家と学校に直接連絡がはいって、親が謝罪に行って弁償して終わり、というのがパターンだった。 誰も警察を呼んだりしないので、補導センターに呼ばれても証拠不十分でたいしたことにはならないと生徒達は高をくくっていた。堂島刑事の介入は管理職の教師たちにとっても予想外だったろう。
 大人たちの世界もしっくり仲良くいっているわけではない。そんなことぐらい知っているつもりだった。
 それにしても、同じ学校の中、同じ警察の中でさえ、情報が伝わらないこともあるんだろうか。
 玉出先生や壬生先生はこの事態をどう考えているんだろう。
 僕はイチジクを飲み込んでキアに向き直った。
 先生たちのことより、今は友達が心配だ。
「キア、『李下に冠を正さず』って知ってるか」
「リカンカン……?」
「いくら悪いことをしてなくても、人に疑われるような行動は慎まないと危ないって意味だよ」
 勇の自転車の鍵を捜してくれたのも、千林を追いかけたのも、事情を知らない刑事さんから見れば不審な行動だろう。
 キアはふん、と鼻をならした。
「大人の顔色ばっか気にして動けるか」
「本当のことを伝えるのが難しい時には仕方ないじゃないか」
 キアは口の端を片側だけ持ち上げて、皮肉な笑みを浮かべた。
「ほんまのことゆうんはな、ラス。大人が自分らの都合にあわせて信じたい思うてることと一緒やねんで」
「そんな……」
「心配せいでも、お前にとばっちりがいくようなドジは踏まんよ」
 言い返そうとしたところで、どやどやと人が近づいてくる物音に気がつき、あわてて祠の陰に身をひそめた。
 白いヘルメットに揃いの作業服を着た大人の男女数名が、三脚だのカメラだのよくわからない計測機械らしきものをかついで池のほとりに集まってきた。
 ひとりはデジカメを構えてあたりの写真を撮り始め、ふたりは巻き尺をごろごろと引き延ばして歩いていった。残りは地図らしき大きな紙をひろげてのぞきこんでいる。
 僕らは作業を進める人たちの目につかないように、身をかがめてそっとその場を離れた。


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