西ローマ帝国が崩壊した後、西ヨーロッパにゲルマン民族が国々を建て、ノルマン人、マジャール人の侵入が収まるまでの約500年間は混乱と苦悩の時代であった。人口は激減し文化的創造は顧みられなかった。
その一方、西ヨーロッパの没落を無傷で生き延びた、唯一中央集権化されたカトリック教組織は、継承者間で叙任された主教の活動組織を通じて古代ローマの学問を選択的に保存し書体芸術を維持していた。ヨーロッパが目覚めるきっかけのなったのは諸説あるがザクセンで鉄鉱石が見つかり、武器の他に鍬や鎌が作られ農作物に余剰ができたからである。それらを売るための市は次第に大きくなり、AD.1000年には都市の恰好を備えだした。しかしその時には古代ローマの食は、他の文化と共に既に消え去っていた。古代ローマ時代からつづいていたキリスト教は教義以外に心引かれる対象がなく、創造は神のみの御技であったからである。そんな時代を背景に中世料理は古木の上に芽を吹いた。古代ローマの残影をA.D.1250年頃から現れる中世料理書の中に見ることができるだろうか。
ヘンリーⅡ世(1154-1189年在位,プランタジネット朝イングランド王)の祝宴
A Plantagenet king of England dining (Henry II, Reigned 1154-89)
Chromolithograph from medieval manuscript .