西ローマ帝国が崩壊した後、西ヨーロッパにゲルマン民族が国々を建て、ノルマン人、マジャール人の侵入が収まるまでの約500年間は混乱と苦悩の時代であった。人口は激減し文化的創造は顧みられなかった。
その一方、西ヨーロッパの没落を無傷で生き延びた、唯一中央集権化されたカトリック教組織は、継承者間で叙任された主教の活動組織を通じて古代ローマの学問を選択的に保存し書体芸術を維持していた。ヨーロッパが目覚めるきっかけのなったのは諸説あるがザクセンで鉄鉱石が見つかり、武器の他に鍬や鎌が作られ農作物に余剰ができたからである。それらを売るための市は次第に大きくなり、AD.1000年には都市の恰好を備えだした。しかしその時には古代ローマの食は、他の文化と共に既に消え去っていた。古代ローマ時代からつづいていたキリスト教は教義以外に心引かれる対象がなく、創造は神のみの御技であったからである。そんな時代を背景に中世料理は古木の上に芽を吹いた。古代ローマの残影をA.D.1250年頃から現れる中世料理書の中に見ることができるだろうか。

中世の料理書

Form of Cury


リチャードⅡ世のために1390年代に編纂されたイギリスで最も古い料理書。Le Viandier よりも数年遅れて作られ、フランス料理に対する対抗心が垣間見える。



Ein Buch von guter spise 1534


ウェルツブル司教の為にca.1350年にドイツ語で書かれた最初の料理書で、現在ミュンヘン国立大学
(Universitatsbibliothek Munchen unter der Signatur 2' Cod. ms. 731, Cim 4 befinder )に保管されている。




Translation of Libro di cucina/Libro per cuoco (14th/15th c.) (AnoTranslation of Libro di cucina/Libro per cuoco(14th/15th c.)(Anonimo Veneziano)


Ludovico Frati (ed) Libro di cucina del secolo XIV. Livorno 1899を基に, 20032005/1Helewyse de Birkestad, OL  (MKA Louise Smithson) が翻訳。



Le Viandier de Taillevent & Enseignements

初版を1373-1380年の間に出している。ヨーロッパで最初の本格的な料理書であると言える
ジェイムズ・プレスコットJames Prescott)が翻訳した、バチカン図書館所蔵の写本Vatican Jibrary Manuscript ( VAT: Manuscrit du Vatacan ), テレンススカリィTrence Scully)The Viandier of Tailleventを参考にした。

Enseignements qui enseingnement a apareillier tourtes manieres de viandes ( 略してEnseignements )”はフランス王フィリップⅣ世の外科医であったヘンリー・デ・モンドヴィルHenri de Mondeville, ca.1260-1320 )が所有していた料理書である。二つの料理書は関連性が濃密なので併せて載せた。




Menagier de Paris

1393頃に出された家政書。
困難を伴わずに貴女の仕事に役立つように計らうには如何に単純かつ一般的な導きで貴女を教授しようか、と思い巡らせていたのだが,貴女の愛が貴女の言葉通りであるならば、つまり私が貴女のために書き、貴女に贈る319章からなる、一般的な知識をもってなし遂げることが出来と思うのだ~メナジェ・デ・パリから。



Libro della Cocina

1300年後半から1400年初頭にスペインの影響を受けた、イタリア語で書かれた料理書である。著者は不明である。レシピの中にヴェネティアの方言が見られ、フィレンツェ、ロンバルドの地名があることから北イタリアで書かれた可能性がある。



Du Fait de Cuisine

1403年のフィッシュデイの饗宴で出された料理を、救世主イエスキリストの生誕1420年にサヴォア家当主アメーデオ8世(後の、対立教皇フェリクスⅤ世)に仕える料理人、シカールが口述した。初代サヴォア家の名声を高めたシカールの料理は単なる料理ではなく外交手段でもあった。Elizabeth Cookの英語訳である。



Das Kochbuck des Meisters Eberhard 

Giano Balestriere氏によって翻訳された、15世紀のバイエルン-ランドシャット家由来の栄養学及び料理レシピ集である。Meister Eberhard は南ドイツの流れを汲む、15世紀前半のバイエルン・ランドシャット( Bayern-Landshut )家と縁が深い。著者は推定の域をでないが、ランドシャット家の料理人であろう。料理のレシピと栄養に関するテキストをさまざまな文献から引用した内容が圧倒的に多く、セイント ヒルデガルディス ビンゲンシス( St. Hildegardis Bingensis )が書いたものも含まれている



A Treatise of Portugese cuisine from the 15th century

[Collection of recipes, some very original, for the preparation of most varied delicassies] Um tratado da cozinha portuguesa do se’culo XVを男爵夫人Faerisa Gwynarden氏が翻訳したものであろう。15世紀のポルトガル料理を広範囲に集めた料理書である。この時代に合ってヨーロッパの先端を行く気迫とエネルギーに溢れている。特にこの料理集の約半分を占めるスィーツに関するレシピは秀逸である。



Das Kochbuch der Sabina Welserin

サビナ・ヴェルゼリンについては1553年にこの料理書を著した事以外、よくわかっていない。ヴェルザー家はフッガー家の並ぶ中世ヨーロッパのアウスブルグの大富豪一族である。祝祭日や休日の為に、家族に喜ばれる手の込んだ、特別の料理を取りまとめた。数少ない貴重なドイツ料理書のひとつである。


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      ヘンリーⅡ世(1154-1189年在位,プランタジネット朝イングランド王)の祝宴
    A Plantagenet king of England dining (Henry II, Reigned 1154-89)
           Chromolithograph from medieval manuscript .