この「アメリカ見聞録」は現在私が生徒向けに発行している"Taka's English Weekly"に連載中のものの抜粋です。
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連載エッセイ アメリカ見聞録 1

冨 田 隆 文

シカゴのtransportation system

  シカゴで4週間暮らして感じた事の第一は、交通機関の便利さだった。CTAという市営の地下鉄、バスが市内を縦横に走り、料金はどこまで行っても$1.5(約エ165)の定額料金制。Pre-paidカードがあって利用するときに改札口やバスの入り口で機械で引き落とされる。乗り換えは2時間以内なら30セントなので割安だ。そのカードは使い捨てではなく、vending machine(自動販売機)で幾らでも価値を追加出来る。

シカゴの街は碁盤の目のように真四角で、南北と東西のstreetの名前と番地で住所が特定できるので分かり易いのだが、我々外国人にとって不便だったのはバス停に名前が無い事だった。大学はHalsted St.の南700番地にあってそこから北4000番地近くのリグレイ・フィールドというシカゴカブスの本拠地へ行くのに絶えず回りの建物に書いてある番地を気にする必要があるのだった。

  

UIC(University of Illinois at Chicago)はLoopと言われるdowntownの端にあって、街の中心から地下鉄で3つ目の駅で、歩けば20〜30分位の比較的便利なところにあった。ところがシカゴのdowntownはほとんどがオフィスビルでいわゆるfancy restaurantsやshopsがなく他の外国の都市との様子の違いに戸惑ったものだった。後にいわゆる繁華街はもう少し北のミシガン通り沿いにある事を知ったのだが。この辺りにはSears Towerの次ぎに2番目に高いJohn Hancock Center Building、Water Tower Placeにある高級店が集まる Shopping Mall、アメリカ一の規模を誇る書店チェーンの Border'sやRalph Lauren, Chanelなどのブランド店が集まっている。そこからChicago St.をさらに西へ行くと、有名なMichael Jordan's RestaurantやPubs、それにthe House of Blues、Blue Chicago等のBlues Houseが立ち並ぶ。大学からだと地下鉄のブルーラインからレッドラインに乗り換えて20分位で来れるのでdowntownへ行くよりもこちらの方へついつい通ってしまう事になった。 (尚、このMichael Jordan'sレストランは近く名前が変わってSammy Sosa'sレストランになるというのだからスポーツの世界の栄枯盛衰もなかなかのものではある。)

このdowntownの「空洞化」はシカゴの経済的発展と人種差別とに深く結びついているのだった。これは次節以降でもう少し詳し述べる事にする。

 シカゴの街と経済的発展  

  シカゴはニューヨーク、ロサンジェルスに次ぐアメリカ第3の大都会なのだが、その発展の歴史はアメリカの産業の発展と固く結びついている。今回初めて知ったのだがシカゴは内陸部に位置するにもかかわらず、産業の立地条件に恵まれているという。シカゴがミシガン湖沿岸の都市だという事は周知の事実だが、ここから東は五大湖、ハドソン川を通ってニューヨーク、大西洋に通じ、南はミシシッピー川を下ってニューオーリンズ、メキシコ湾まで通じる交通の要所なのだった。その結果シカゴはアメリカ有数の重化学工業地帯として発展し、それが多数の移民や南部からの黒人を労働力として受け入れる経済的基礎になったのである。

  シカゴはcultural diversityの町と言われ、多くのethnic groupが存在し、特定の地域に固まってそれぞれcommunityを形成している。それらは例えば、Italian, German, Polish, Bohemian, Greek, Irish, Chineseなどであり、特にシカゴのPolish Townはその首都Warsawの次ぎにPolishの人口が多いという。シカゴの人口の6割は黒人で彼らの大半はAfrican American Neighborhood(黒人居住区)に住んでいる。

 シカゴの街の発展は1871年の大火事の後、産業の発展と共に縦と横に広がっていった。街の中心downtownには各会社のheadquarterが集まり、上へ上へと伸びて行き、skyscraperとなった。その周りには労働者の住む地域が形成され、人口増加に伴い人々は市の中心部をぐるっと囲む外側に移住しcommuter zone(通勤圏)が形成される。さらにその外側に郊外の高級住宅地が形成されmiddle-class, upper middle-classの人々がそこに住む。移住する余裕の無い人々はそのままdowntownに取り残されworking-classとなる。やがてそこはスラム化し更地にされgentrificationと言って再生がはかられたりする所もある。こうしてMiddle-classの移動に伴い小粋なレストランやshopping mallなどもdowntownからはずれた所に作られて行く。

Loopと言われるシカゴのdowntownが我々touristにとって何の魅力も無い所になっているのはそのような訳だった。

  シカゴの街と人種差別

  このurbanization(都市化)の過程でなにより重大な事は、市役所、裁判所、不動産業者等白人社会総がかりでcolored people(有色人種)の居住をある地域から排除するsystemが歴史的に作られて来た事だ。黒人がある白人居住地域に住むと、それを理由にそこの地価を下げる。底値までいかないうちにと白人がそこを売り、出て行く。やがてそこは黒人ばかりになる。地価がドーンと下がったところで再開発が行われ不動産業者が儲ける。土地の価格を維持するために白人社会はcommunityを形成し,様々な制限を設けて白人以外の移住者を制限する。これは彼等にしてみればprivate property(私有財産)を守る手段として機能してきた訳なのである。こうして、Zoningと呼ばれる住み分けが進んできて今に至っているのだ。

  ある日僕は、このZoningの実態を初めて実際に体験する事になった。その日の昼下がり、友人のPeterと大学の南側に昔からあるというpubを探してHalsted St.を歩いていた。Tailor St.という割と賑やかでレストランなども結構ある通りを南へ下るとRoosevelt St.という広い通りに出る。目当てのpubはなかなか見つからない。2人で喋りながらRooseveltを越えさらに南へと歩いていた。僕達は突然、周りの雰囲気が急に変わっているのに気づいた。Halsted St.もいつのまにか少し細くなり、周りの建物は古びてあちこち壊れていてもそのまま放置してある。通りの向こうでは3,4人たむろして大声で何やら議論している。明らかにすでに酒が入っている様子だった。僕達はいつの間にか黒人居住街に入っていたのだった。

  僕達が一番驚いた事は、通り一本隔てるだけで,街のたたずまいがガラット変わってしまうzoningの徹底ぶりだった。


アメリカ見聞録 2 アメリカ社会と犯罪

アメリカ見聞録 3 豪華な(?)アメリカの食事

アメリカ見聞録       10

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