一般的にアメリカ社会のイメージとして我々が描くものは、例えば銃社会であったり、ドラッグや犯罪の事であったりする。確かにアメリカはそういう社会的問題をたくさん抱えている。コロラドやアトランタでの学校銃乱射事件も記憶に新しい。そういう事件が起こるたびにアメリカでは銃規制が問題になり、それに対するNRA(全米ライフル協会)の根強い反対で問題がなかなか進まない。銃所持の問題は、NRAの反対だけでなく、アメリカの歴史的伝統、憲法上の問題とも係わり、権力に対する抵抗の権利、property 保護の固有の権利と深く結びついて捉えられている。従って問題はそう単純ではない。
最近の犯罪の目立った特徴一つにHate Crime(民族的、人種的憎悪による犯罪とでも訳せようか)と言われるものがある。主として、White Supremacist (白人至上主義者)による黒人やヒスパニック、アジア系住民に対するいわれもなき殺人やリンチ事件などが頻発している。僕がシカゴ滞在中に、大学の西隣の街でこの種の事件が起こりアジア系の住民が殺された。犯人はすぐに逮捕されHate Crimeだと定義され新聞、テレビで報道された。そのニュースが当たり前のように通りすぎて行く。日常茶飯事のようで別に驚くにはあたらないのか知らないがなんだか空恐ろしい。
それなら、アメリカ社会はそれほど危険なのかと言えば、日本ほど手放しで全くの無警戒でも安全という訳にはいかないかも知れないが、必要な注意を払えばそう危険でもないというのが僕の実感だった。必要な注意とは、例えば、人通りの少ない場所での夜の一人歩きは避けるとか、犯罪の多い地域には立ち入らないなどというような事である。これは良く考えてみると程度の差はあれ日本でもこのくらいの注意は誰でもしている事である。犯罪の多い地域はやはり黒人居住区に重なっているケースが多いが、その理由はdrugなどが絡み、いわゆるギャングの抗争、トラブルによるものが一番多いそうだ。
Englewoodというシカゴ南部の街にある高等学校を訪れたときに校舎の外側の壁にSafety
Zoneという看板がかけてあり、この近辺でのギャングへの勧誘や武器、drug等の取引行為の禁止が宣言されているのを見た。逆に言えばそういう行為が多い地域なのである。生徒の大半はAfrican
Americansであるが彼等にとって学校が自分を守る一番安全な場所になっているという。多くの生徒は様々な困難を抱えながら学校へやって来る、それでもDropouts(退学者)が比較的多く、先生達はギャングの手から子供を守り、かれらを学校へ来させるために日々闘っているのである。