ヒ ネ モ ス 

の た り 日 記


                               BGM/バッハ「2声のインベンション14番変ロ長調」

2004年7月26日(月) 晴れときどき曇り

 
娘の夏休みにつきあう日々に早くも疲れてきた。

といっても、休日は夫が遊びにつれていくことが多いから、

少しは楽なはずなんだけど、

平日は学校に送り出してやれやれという、

あの解放感がないせいだろうか。

ま、これもぜいたくな悩みのうちに入るのだろう。



昨夜は、とある組織の打ち上げ会。

女性ばかりの集まりだったが、予約の個室では偶然にも席の位置が、

お酒が飲める派と飲めない派にぱっくり分かれてしまった。

千円追加で飲み放題のコースではあったけど、

飲めない派はお茶とかコーラとかノンアルコールカクテル、

飲める派は生ビールに始まって、焼酎、ジントニックと

お代わりのピッチも早い。

私はもちろん・・・飲めない派。

昔から、ビール1杯で顔が真っ赤、心臓バクバク。

特にすきっ腹で飲むと、てきめん気持ちが悪くなる。

顔が赤くなるから、相当飲んでるように思われるのが、

学生の頃からコンプレックスですらあった。

不思議なことに、一見飲めそうな人がまったくダメで、

楚々としたタイプの人がグビグチいけるクチという、

人は見かけによらぬ現実を思い知ったのだった。



当然、テーブルの半分が異様な盛り上がり。

何を言ってもゲラゲラ。まるで箸がこけてもおかしい小娘状態だった。

楽しいお酒だからだれも困ることはないのだけど、

飲めない派のグループとしては、その勢いに到底乗り切れない。

落ちついて会話しようものなら、

あっちの席から怒濤のような笑い声にかき消されてしまうし・・・。

「飲める人がうらやましいよね」と

負け惜しみにも似た会話でお茶を濁すしかなく、

狭い個室には明らかに違う空気が流れていったであった。


その個室には立派なカラオケシステムが備えられていたけど、

大笑い状態の中では無用の長物。

結局だれ一人歌うこともなく、終わってしまった。

飲んで、呑んで、食べてしゃべって。

でも、帰ってから考えると、いったいどんな会話が展開していたのか、

何に盛り上がっていたのか、まるで実体がなかった。

それほど、日ごろ、子を持つ母親たちは、

世のサラリーマンのように

こういう宴会の機会がなかなかなく、だからこそ

打ち上げという名のもとに、

ともあれ好きなだけお酒をかっくらう(笑)、

「場」がほしかったんだろうなと思う。


彼女たちはほとんどが専業主婦。

一方、私が別に付き合いのある女性グループはバリバリのワーキングマザーたち。

彼女たちの会話は、仕事のことであれ、子育てのことであれ、

いつも新鮮な話題が飛び交う。

お酒が好きな人も多いけど、ますます快活に話が展開するという感じで、

話が尽きないまま時間が過ぎていく。

私はもちろん飲めない派なのだが、飲める人との境目を感じたことはなかった。


結局、実があるかないかなのだろう。

職業のあるなしを云々するつもりはない。

専業主婦でもバリバリでもない、

中途半端な存在の私は、

そんなふうに、いろいろな立場の女性の生態(?)を

観察することをただ楽しんでいるだけだけど、

残念だったのは、やっぱりカラオケ・・・(笑)。




2004年7月24日(土) 晴れ


きつーい、徹夜仕事を久しぶりにやって、ヘロヘロになっていたのは、

先週の連休あたり。

その後は仕事は一段落したものの、娘のお稽古事の

発表会、リハーサル、本番へとなだれ込み、

今日になって、ようやく肩の荷も下りて、いつもの週末を

過ごすことができた。

気がつけば、もう7月も終わりじゃん。

今日は図書館から、娘の名前で借りている本の返却が遅れているとの

電話があった。あちゃー。

母の私も返し忘れておりました。

しかも、借りておきながら、まだ1ページも読んでないよ。

返却日をとっくに過ぎているちゅうのに。

本を読むひまぐらい、やっぱりつくらなければ。

ひところ順調だった早起きも、

今夜みたいに夜更かしパターンへと戻るので、一進一退なのである。


土曜日はお決まりの『冬ソナ』の夜。

おまけにお昼は『ホテリアー』も始まってしまうし。

しかし、どうも後者は画面に集中できないせいか、筋も分らないまま。

若いペ・ヨンジュンはいかにもな演技で、

いまいちのめりこめず、このままリタイアの可能性もなきにしもあらず。


『冬ソナ』16話は、登場人物たちの心がそれぞれ痛々しく、

それだけに、ラストの教会の場面は、幸せの絶頂でありながら、

その先に忍び寄る不幸な展開を暗示させた。

切なすぎる台詞。美しすぎるキスシーン。

こうきたか〜、と感心しきり。

先週のラストの「サラエ(愛してる)」にもやられたけど、

今週の「サランヘヨ(愛しています)」もなあ。

そしていよいよ来週はますますドロドロと・・・。


ペ・ヨンジュンを見ていると、

ときどき佐良直美に似ているなあと思うのは、私だけ?

(佐良直美自体、知っている世代が少なすぎ〜)

タートルネックのせいなのか、

精悍なはずの彼がふと、ふっくらしたおばちゃん顔に見えてしまうのだ。

それによく見ると、サラサラ茶髪も、とき方によって、

手入れし忘れたようなヤンキーヘアになっていて、

ノーブルさから遠ざかってしまうのだ。


それにしても、日本の『冬ソナ』ブームは、加熱の一途。

そりゃ、私も正直はまっているけど、

どうもマスコミの盛り上がりには、胡散臭いものを感じてしまう。

ここへ来て、小泉首相までチェ・ジウ嬢とご対面。

開口一番の「おー、冬のソナタ」には心底しらけた。

殺人的スケジュールの中で20話を見たとでもいうのだろうか。

ありえない。ヤツはただ、世間の話題に便乗しているだけなのだ。

ジェンキンス問題でさえも人気取りの道具にしてしまうのだから。


それに比べれば、パク・ヨンハがゲストに登場した

『徹子の部屋』の黒柳さんは立派だ。

最終話までは知らないまでも、今展開しているドラマの筋をちゃんと把握した上で、

パク・ヨンハ君の素の魅力をあますところなく

番組の中でクローズ・アップしていた。

ぺ・ヨンジュンを役名のチュンサン・ミニョンとは呼ばずに、「ヨン様、ヨン様」と

連呼していたところはいただけなかったけど、

そのたんびにパク・ヨンハが笑い転げていた、

あの図はほかでは見られないし、なかなか捨てがたい。

黒柳氏がドラマの照明の美しさを指摘し、

彼もそのことに共感して答えていたところは、

演技者としての対談としても立派に成立していた。

「ミュージック・ステーション」で、

サザンの桑田啓佑が

「チェ・ジウさんはどんな匂いなんですか」

なんて、オヤジな質問を投げかけて、いたのとは月とすっぽんである。


実をいえば、私はただいま現在、この場ではっきりと

(いや、別に宣言するほどのこともないけど)

パク・ヨンハのファンであると公言いたしまする。

いや、ファンになったのだ。

彼の歌声を聴いてから。

amazonですこぶる評判のいい彼の日本デビューアルバムを、

入手したのは先週。

「ミュージック・ステーション」では、幾分硬かった彼の歌声も、

アルバムの中では、炸裂する歌唱力にうなりましたよん。

ある種、衝撃でもあった。

素直に伸びやかな声。奇をてらわない歌い方。

桑田啓佑にも爪の垢を飲ませてやりたい〜。

(だって、酷かったよ、桑田氏の歌は)

そして、私の脳裏に鮮やかによみがえった人がいた。

約30年前。ラジオからきこえてきた彼の声に

ノックアウトされた、部屋の様子まで、私は覚えている。

忘れかけていた偉大なる私の心のアイドル、

バリー・マニロウその人だった。


彼の歌を聴いてバリーを思い出すのは、

世界広しといえども、おそらく私ぐらいだろう。

実際、ちょっとハスキーなヨンハ君の声は

バリーに似てなくもない。

声量はバリーのほうがはるかに凄いのだけど、

特にバラードの歌いっぷりと、後半転調して盛り上がる曲構成は、共通するものがあるし、

ヨンハ君ならバリーの曲をカヴァーしても、きっと歌いこなせるだろう。

歌ってほしいぞ、“Even Now”。


だいたい、日本の歌手でそんなことを感じた人は皆無だった。

西城秀樹とかいけしゃーしゃーとカヴァーしたこともあったけど、

ああいう、なんちゃって歌唱力の人が、

バリーの世界に近づくのは100年早いのだ。

(案の定、今西城秀樹はまともに歌手活動していないのではないか)

しかも歌を唄い始めてまだ2年ぐらいというから、

ヨンハ君のエンターテイナーとしての成長は、ますます期待できる。


かといってなあ。

追っかけとか、ライブにおしかけるミーちゃんハーちゃんの中には、

絶対入れないだろうなあ。

なにせ、血の気の多かった30年前でさえ、日本公演中のバリーを追って

空港に行きましょうと誘われても、行けなかった私なのだ。

せいぜい、コンサートで生歌に酔いしれるだけ。

すべからく、私は奥ゆかしい(笑)。

いいのよ、私はあくまで実質本位。

だから、人知れず、ヨンハシ〜、サランヘヨ・・・。



2004年7月10日(土) 雨のち晴れのち雨

 恐ろしいばかりのカラ梅雨。

今日みたいにたまに降ったら集中豪雨。

そして猛暑。

やっぱり地球が相当へそを曲げているようだ。

人間たちの横暴に。

国を牛耳る奴らの、エゴイスティックなやり方に。

殺伐とした世の中に。

そのせいだろうか。こんなにも、

人々が純愛物語に熱狂するのは。

14回目にして、いよいよ佳境に入ってきた『冬のソナタ』を観ながら、

ふとそんなことを思った。

相変わらず突っ込み満載なんだけど、

(いつまで冬やってんだとか、いっつもとっくりセーターやんとか、

ユジン、コート来たまま寝るなよとか(笑))

それを思わず棚上げしてあげそうになる、よくできたストーリーに、

今さらながらうなってしまう。

この期に及んでキスシーンの一つもない

韓国の若者たちの、自制的、犠牲的精神性の高さに恐れ入りながら、

それにしても、よく泣く人たちである(笑)。

しかも目薬作戦なしの、本物だというから、

日本のお手軽なタレント劇とは、やはり思い入れが違うんだろうか。

たしかに、ペ・ヨンジュンの切ない表情には、恥ずかしながら引き込まれるぞ。

この人気に乗じて、ついにNHKもノーカット・字幕バージョンの再放映を検討しているとか。

吹き替えの俳優さんには悪いけど、

やっぱりあの声、好きだなあ。

最近買ったばかりのDVDに録画して、必ず副音声で見直す私であった。

くー、我々ながらはまっている。

今日はチェリンとサンヒョクに泣かされた。


あんなに初恋の人を思い続けていられるものだろうか。

それには、その人が死んでしまうということがキーポイントだ。

考えてみれば『世界の中心で愛を叫ぶ』もそう。

現実にある色恋は否応なしに色あせてしまうのに、

成就することなく消えてしまった初恋は、

死によって引き裂かれた恋は、

ひたすら美しい。だからこそ執着してしまうのだろう。

どろどろした世の中だからこそ、

あるはずもない純粋さを希求する。

悲しいニンゲンのサガ。


冬ソナの主人公たちもまっつぁおなほど、

数奇な運命に翻弄されているのが、

ジャカルタにいる曽我ひとみさんだ。

家族とのご対面は、たしかに感動的だった。

繰り返し流れるアメリカナイズな抱擁シーンや、

ジャカルタでの熱狂的ともいえる歓迎ぶりは、

彼女のせいでは決してないのだが、

今ひとつ違和感を禁じえないのは、

それが見事に政治的だからだろう。

日本はこれで北朝鮮にもインドネシアにも、

理不尽ながら、多大なる借りをつくってしまった。

今は再会の喜びに打ち震えて最高級のスィートルームで

穏やかな時間を過ごせているジェンキンス一家だけど、

その無菌状態を一歩出れば、

またもや過酷な運命が待っているかもしれない。

そのことの方がやるせない。


それにしても、蓮池、地村家の子どもたちの帰国では

対面シーンをあえて放映しなかったのに、

今回、あんなに仰々しく

しかも北朝鮮までもが生中継するというやり方が

まかり通ったのはなぜだろう。

「人道的配慮」とか「家族の絆」とか、

いくら耳ざわりのいい言葉で飾ってみても、

政治家たちの思惑が透けて見えてしまう。

参議院線選挙がなければ、

事態はまた違ったふうになったのだろうか。


1年9ヶ月ぶりの再会セレモニーの陰で

まだ生存すら確認されていない拉致被害者たちが

ないがしろにされているような気がしてならない。

中学生の娘をさらわれて、もはや20数年も

再会はおろか生存さえもうやむやに

され続けている横田さんを初め、

他の行方不明者たちの家族には、

今回の政府と北朝鮮のやり方がどう映ったのだろう。


いずれにしても、夜が明ければ投票日。

日本の未来もこれで大きく変わるのだろう。

いや、変わらなければ、この国の未来はない。





  

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