日 記
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| 2003年10月12日(日) ファンタジー |
10月過ぎて、エアコンをつけるとは思わなかった。 金木犀の薫りもピークを過ぎ、もはや秋は深まる一方だと思い、文字通り朝夕は寒さすら感じていたと言うのに、昨日からの湿気を帯びたなま暖かい空気は、今日になって、「暑い」とすら感じるほどで、長袖のシャツも思わず半袖に着替えた。 家の近くの大きな銀杏の葉はまだ緑色。だいたいいつ頃黄色く色づくんだったろう。何だか、季節感が年々薄れていく。 このところ、仕事でパソコンとにらめっこしているせいか、日記を書く気にもなかなかなれなかった。今日もほぼ一日パソコンの前にいて、本当は肩もゴリゴリ、目もしょぼしょぼ、手もこわばっているのだけど、頑張った分、気持ちには少しだけ余裕があるようだ。 昨日は友人と京都で公演中の劇団四季『美女と野獣』を観にいった。 京都劇場は、JR京都駅構内にあり、便利この上なし。ただし、2階席だったため、驚くほど傾斜のきつい階段を昇り、席につくと、前の席との間がこれまだ驚くほど狭い。小さな空間に、できるだけのキャパを確保して、効率をよくしたいという劇場側の狙いはわからんでもないけれど、座り心地はすこぶる悪し。休憩時間にトイレに立てば、これまた収容人数よりもトイレの数が少ないのか、案の定長蛇の列。もっと驚いたのは、男性客がトイレで列をなしていたこと。壁の見取り図を観ると、なんと男性トイレの数が女性トイレの5分の1ぐらいしかない。観劇ファンは圧倒的に女性が多いとは言うものの、こりゃかなりの冷遇(笑)。目を宙に躍らせながら、男性がトイレの外まで女性の列の隣で列をつくっている姿は、初めて見た。女性トイレでは係の女性がいて、交通整理をしていたのにもびっくり。こういう劇場のトイレは、休憩時間に殺到するのだから、係の人がいなくてもさばけるような十分な空間がほしいものだ。 と、トイレ談義に終始してしまったけれど、観劇の感想も書いておかなければ(笑)。 実は97年頃、大阪で公演していたときも観に行っていた。そのときはまだ2歳にもならない娘も一緒で、開演早々泣き出したりして大変だった。昨日も途中で赤ちゃんの泣き声が聞こえていたけれど。 2階席は、残念ながら舞台との距離がありすぎて、目の前で生身の人間たちが踊ったり歌ったりしているにもかかわらず、いまいち臨場感がなかった。2階座席の後ろからライトの光が伸びる構造になっているので、そのライトが使われるたびに座席にも光が当たって、ますます集中できない。あれはちょっといただけなかった。 ただし、舞台における歌、演技、踊りの素晴らしさは、さすがに四季。まったく安心して観ていられる。特にガストン役と相棒のルフウの息の合ったコンビには魅了された。歌だけじゃだめ、踊りだけでもダメ、そして何より配役にぴったりと合った俳優のレベルの高さが、四季の真骨頂だと思う。 ストーリーは今さら話すまでもないけれど、昨日は美女=ベルに比べて、野獣=王子の性格づけがもう一つわかりにくかった。ちょっとコミカルすぎて、王子の苦しみみたいなものが感じられない。俳優の力量なのだろうか。だから、何だか、最後には結ばれましたとさ、めでたし、めでたしという感じで、感動するより、ちょっといじわるく、だから美人はいいよねえ、なんてひねくれてしまう私なのであった(笑)。ただ、奥に深いものを秘めたまま、表だってはきらびやかなファンタジー、おとぎ話の世界というのも、けっして悪くはない。いや、むしろ、こんな殺伐とした現代社会にあっては、こういう美しいファンタジーが必要なんだという思いを、改めて強くした。 本当に、来る日も来る日も悲惨で凄惨な事件、事故の連続。日本人もここまですさみきったかと思うほど、世の中は悲しみや憎しみが渦巻いている。拝金主義、弱肉強食社会。緊張と絶望と不安に充ち満ちている。 だからこそ、美しいものを観て、心に栄養を与える時間が必要なのだ。 野の草花でもかまわない。絵本のお話でもいい。展覧会で絵を観ることとか、生のピアノの調べとか。非行や不登校、凶悪犯罪に手を染める人はきっと、今まで何かに感動したりすることがなかったのではないだろうか。 それがどれほどの贅沢なのだろう。ブランドものに血道を上げ、身を着飾ることなど虚しいだけ。そこに真の感動がないのなら。 |
| 2003年10月3日(金) 不可解 |
| 今日は朝からお昼まで銀行にいた。とある銀行に7〜8年入れっぱなしの定期預金を解約し、新たな銀行に預けなおしたのはいいけれど、7〜8年前の金利というのは、思えば今とは比べものにならないくらい高くて、利息だけで元金の8割ぐらいになっていた。それを新たに運用するときの金利の寂しさよ。解約せねばよかったなあと後悔先に立たず。 しかも、ペイオフの対象にならない金融商品に手を出したりなんかして。うまくすればおいしいけれど、元金目減りする可能性も十分。ただ、今まであまりにも無頓着すぎたので、少しは経済の動向とやらに目を向けるためにも、チャレンジしてみたのだが、さて、どうなることやら。 それにしても、銀行員という職業は大したものだ。細々とした作業、豊富な知識を、優しく、頭の回転の悪いお客にも説いて聞かさなければいけない。しかも、私よりうんと若そうな女性だ。思わず、凄いなあと思う。 公務員、銀行員、教職員は、私には絶対向かない職業だと思う。向いている職種も、なかなかないけどさ。所詮は、風来坊。 そんなこんなで午前中をつぶしてしまったおかげで、午後からの大忙しなこと。夜、一息つきたいとソファにごろんとしたのが運の尽きで、またしてもうたた寝。結局、早い就寝が見込めなくなった。 そして、今、真夜中のパソコン。 田中真紀子の動きが不穏だ。時期衆議院選挙に無所属で出馬するとかしないとか。そうなると、自民党批判に打って出るのではと、戦々恐々。民主党と手を組むんじゃないかという噂も飛び交っているけれど、それにしてもしぶといのう。まさに憎まれっ子世にはばかるだ。あれだけ、無能さを露呈し、人気も凋落していたかに見えた彼女が、今度は一転、期待の星になったりしている。マスコミも、にわかに「真紀子さん、真紀子さん」と賑やかだ。本当に、分からん。人気の根拠も、今回の騒がれ方も。結局、巷は政治にトリックスターを求めているだけなのだろうか。民主党も、ちょっとは理性というものを持ち合わせてほしい。 千葉の墓地を舞台に、またしても若い女性を巡る殺人事件が起きている。16歳の、まだ少女とも言える女性がスナックで働き、戸籍上の夫がいて、怪しげなトラブルに巻き込まれる世の中って、何だろう。親はどこでどうしているのだろう。本当に痛々しい事件だ。 刹那的に生きている人がいかに多いか、という証でもあるのだろう。 そりゃ、私だって、ある意味不埒に生きてきたけれど、おおよそドロドロとした事件に係わることは、幸運にもなかった。けれども、こう嫌な事件、わけのわからないことが起きると、日本もいよいよ危なくなってきているなあと思う。 それにつけても、死者にとっては平安の場所であるはずの墓地が、いとも簡単に殺人や自殺の現場になってしまうのは、お墓フェチとしては許せない話なのだ。変な憤慨だけど・・・。 |