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 2003年8月16日(金) 重すぎず、軽すぎず

 日本は寒い夏。アメリカでは大停電。ヨーロッパは熱波。どこもかしこも異常事態。

 異常といえば、我が家も実はただいま大変な状態になっている。それで、お盆休みも事実上なし。ただ、それを深刻ぶって語ったところで、何になるだろう。いや、当事者は怒りながらも、TVの『吉本新喜劇』を見て、けっこう笑ったりしている。

 大事なのは、心の健康だと、しみじみ感じる。

 今夜も『すいか』に酔いしれた。1人で観てるのに、1人で笑ったり。今週はお盆に引っかけて、死者と生者の交流があったりして、いかにも私好みだった(笑)。

 幸せのただ中にいる人ほど、幸せを実感しないのだろうと語る最後のナレーションも、毎回やたらと心に染みる。某NHKの連ドラ『こころ』で流れる岸恵子のしょーもないナレーションとは、ほんに月とスッポンだあ。

 そう、このドラマは、本当ならシリアスなテーマを、ユーモラスに扱いながらも決して笑いだけにとどめず、さりとて決して重苦しく料理しないのが、いい。まさにこの続掃苔記のタイトルそのものの、重すぎず、軽すぎない話を、ファンタジーの要素もちりばめて、物語は淡々飄々と展開しながらも、観る者のハートを実に適度に動かすのだ。この点も、大上段にかまえながら、最後には「なんじゃそら」と思ってしまう『こころ』とは、えらい違い。

 ついでながら、石原プロの『西部警察』の放映打ち切り事件は、私に言わせれば愚の骨頂。石原プロは、何が悲しゅうて、過去の遺物のようなドラマに、いつまで固執するのだろう。裕次郎頼みもたいがいにしなさいと言いたい。案の定、21世紀の裕次郎も泣かず飛ばずだし、渡哲也以外の俳優も、もうコケが生えそうだし。結局ますます苦境に立たされるハメになっちゃってお気の毒だけれど、いい加減、裕次郎の幻影から抜け出しなさい。残念ながら、あの事故はそういう警告だったのではない?

 話はまた『すいか』に戻る。

 キャスティングもそれぞれにいい味出してて最高。特に、浅丘ルリ子がいい。タイトルは忘れたけど、昔、日本テレビのドラマに浅丘ルリ子がよく主演していた。そこで流れたビリー・バンバンの『さよならをするために』という歌も好きだったなあ。あの頃の、上質なドラマの匂いもする。近年、ドラマにはさっぱり食指が動かなかったけれど、土曜の9時だけはチャンネルを10に合わせなくちゃ。

 そういえば、今夜は大文字の送り火だった。つかのまこの世に帰っていた死者たちも、もうお帰りになっただろうか。

 
 2003年8月13日(水) メメント・モリ お盆
 
 ちらっと見るだけの表紙より日記の方がいいかなと、BGMを移動した。ま、どっちでもいいのだけどね。 

 娘が夏休みに入って以来、何だか慌ただしかったけれども、今週に入ってようやく気分的にものんびりしている。・・・と思ったら、世間でも夏休みモード。そうだ、今日からお盆だったのだ。

 あいにく明日から天気が悪いらしいので、今日のうちに娘を連れて祖父母のお墓参りを決行した。このところすっかりお見限りだったので、今年は行かねばと思っていたのだ。

 娘にとってはひいおばあちゃん&ひいおじいさんのお墓で、実家に帰るとお仏壇におみやげやご飯のお供えをするたびに話をしていたので、わかっていると思いきや、「誰のお墓?」と聞いてくる。

 ところが質問に答えるも、この「ひい」の関係はどうもわかりにくいらしい。「お母さんのお父さんのお母さんとお父さん」と言っても、「おじいちゃんのお父さんとお母さん」と言っても、自分との関係はいま一つ、こんがらがるようだ。

 墓地につくと、臨時駐車場も一杯になるほど混雑していた。世の中はC調にバカンス気分が蔓延しているかと思いきや、意外にもヤンママ風の若い家族連れの姿が目立った。どの墓石もお供えの花は真新しい。にぎやかな墓地というのも、これまた一興。「どこに行く予定もないから」という理由だけではないだろう。お墓参りをしたいと思わせる何かが、お盆にはある。

 思えば、私も子供の頃からよくこのお墓に来ていた。娘を連れている自分にもあたらめてはっとした。自分が子供の頃の夏がふとよみがえったのだ。

 まだ何もわからない小さい時分にうすぼんやりとでもそんな思い出を持てるから、大人になってもまた同じように、自分の子供を連れてくることもできるのだろう。

 お盆が何たるかをお勉強するよりも、親が身を以て経験させた方が絶対強いのであった。

 昨夜は、娘のリクエストで、沢知恵のニューシングル『死んだ男の残したものは』を聞きながら食事をした。このシチュエーションは、かなりシュール。でも、こんなけったいな母親を持っているせいか(笑)、娘も「死」を普通の話題にしてくる。

 ただし、私個人はニューシングル・バージョンよりも、1998年に発表した『沢知恵 いいうたいろいろ』に収録されている方がさらりと重くて、好きだ。シングルのライブ・バージョンは、ちーとセンチメンタルなのだ。

 いずれにしても、8月は原爆や日航機墜落事故や終戦記念日、そしてお盆が重なって、日本人にとってはまさに「メメント・モリ=死を想え」にふさわしい月。この国でバカンス気分がなかなか定着しないのも、思えば仕方ないことかもしれない。


 
 2003年8月10日(日) あれだけやって、あれだけ?

 本当に、なんてこった。
 来る日も来る日も、日記を書き終わるまでに眠たくなってしまうぞ。
 そういうわけで、ここから下は、8月4日、7日と遡ってもう一度、ここに戻ってきていただきたい。でないと、話がさっぱり見えないだろうし・・・。

 さて、10日に戻る。
 コータローは痛々しい。未だに噛まれた足を上げ、3本だけで歩いている。傷と腫れは徐々に収まりつつあるようだけれど、獣医いわく、からだにも毒が回っているだろうし、まして今まで経験したことのない痛みとショックで、どんな犬でもしばらくは必ずぐったりとし、食欲も落ちるそうだ。このところ、めきめき体重を増やし、肩まわりの筋肉もますますついてきたと思っていた矢先だっただけに、また元の華奢な姿に戻ってしまった姿は、かわいそうだ。ただでさえ、ビビリの性格なのに、散歩も家の近くをうろうろしてすぐ戻ってきたがるそぶりを見せる。本当に、大した災難だったよのお。

 今日は、娘と電車に乗って図書館へ。と思いきや、娘が駅で帽子を置き忘れたりと、ハプニングには事足りない(笑)。

 図書館では、養老孟司共著の『死の発見』なる本を発見。なかなかおもしろそうなので、この1冊だけを借りてきた。何とか完読したい。

 夜は地元の盆踊り大会。踊りの輪の中に夫が入ったのはいいけれど、いつまでたっても、倒れるほど鈍くさい。最初はぎこちない人でも、乗ってくれば自然と踊りもまとまるもんだけれど、夫に限っては、見事なまでに勘が悪いのだ。思わず「あれだけやって、あれだけかいな(笑)」と突っ込んでいる私だった。初めて聴いた宝塚音頭。「大阪・神戸から30分の〜♪」という歌詞が笑ろた。でも、盆踊りって、何だかいいものだ。

 7日の日記があまりにも長かった(7日も未完成のままだったので、本日追加したのであった。ふうー)ので、10日は少しだけにしておこう。
では、また明日。

 表紙の音楽はドビュッシーの「パスピエ」。音楽同様、日記もさくさくと更新できていけばいいのだけれど・・・。


 
 2003年8月7日(木) 大災難

 8月の更新がまた滞っている。
 4日の分は書いたままUPしていなかったのか。なにせ、眠気で朦朧としていたので、記憶が定かでない(笑)。

 そんなわけで、2日分を一度に更新しておく。

 昨日から、1泊で滋賀のペンションに。犬のコータロー(仮名)を伴い、ペットOKのペンションに出かけたのだ。思えば、無謀なる計画であった。コータローは車が大の苦手。本来は、もっと車に慣れてから連れていくべきだったのかもしれないけれど、日頃はリードに固定されていることの多いコータローのために、我が家にコータローがやってきた記念すべき夏休みのメインエベントとして、広いドッグランで思い存分遊ばせてやりたかったのだ。ちょっと拙速だったようだ。

 かかりつけの獣医で言われたように、子供用の車酔い止めを飲ませていったものの、交通渋滞も手伝って、途中休憩を挟んだとはいえ、昼前に出発して、ペンションに到着するまで、約4時間。初めは少ししか出ていなかったよだれは、ペンションに着く頃には、ねっとりとした水のごとく、口からしたたっていた。

 実際、チェックインしてからお風呂、夕食までは、ペンションに隣接した広いドッグランで、旅の疲れもふっとぶがごとく、飛び跳ねているコータローだった。

 第1の悲劇(?)はその後起こる。
 夕食時、部屋のケージにコータローを部屋に残していたため、寂しさがつのったのか、夜は異様な興奮状態。ケージの中でバタバタしている。

 見かねてしばし相手をしたので、逆にこちらが気になって眠れない。

 おまけに、人里から離れた高原にありながら、夜は羽虫が入ってくるため、エアコンを止めることができない。

 思えば、我が家の寝室より狭い部屋に3つのベッドと椅子とテーブルのセット、そしてコータローのケージ。締め切った部屋。なんとも寝苦しい夜が流れた。

 そして起こった、第2の悲劇(こっちはマジだ)。
 昨夜の興奮状態を緩和させるべく、夫と娘が先に朝食をすませ、私はコータローと部屋で待機。食べ終わった夫とバトンタッチして、私が食堂で食べている間、夫はコータローを散歩に連れ出した。

 ふと、窓の向こうを見ると、夫が何か合図を送っている。急いで外に出てみると、コータローに異変が。

 みると、足に血が滲んでいる。「びっこ引くようになったんだよ。ちょっとおかしい。まむしに噛まれたかもしれない」と夫も慌てている。私はペンションのオーナー夫婦のもとに駆け込んだ。

 散歩をさせていたドッグランは、実はパターゴルフ場。とはいえ、イマどきパターゴルフを楽しむお客も少ないだろうし、実質的には犬を放して遊ばせるドッグランとしての用途になっていたのだ。その奥に森が続いていた。コータローはその森の中に入り込むのが好きなようだった。どうやら、そのときも森に入ってしばらくして飛び出してきてから、様子がおかしくなったという。

 私の話を聞いた奥さんの反応は意外だった。「まむしはいませんよ。そんな話、今まで聞いたことがないですわ。うちの犬たちは森の中には入りませんしねえ」

 最寄りの動物病院に電話をしてもらい、私たちはそそくさとペンションを後にした。病院につき、コータローの状態をひと目見た獣医は、足の傷を見ることもせず、「まむしに噛まれたね」。夜行性のまむしは、朝夕に出没することが多いそうだ。

 すぐさま注射を打たれ、飲み薬を処方されて、診察はものの5分で終了した。
  
 思えば、そのペンション、ちょっと変わっていた。どこも清潔で、気持ちよかったものの、肝心のオーナー夫婦が、妙にシャイなのだ。夏休みといえどもお盆前の平日だったせいか、その日の予約客は我が家オンリー。それなのに、夕食もおすましまで既に並べられ、しかも冷めていた。ビールを頼んでも、持ってきたら特急で厨房に入り、うんともすんとも言わない。まるでこちらとの接触を極力拒んでいるかのようだった。食後、食堂の横のくつろぎスペースで娘とゲームをしていたが、二人は隣の事務所でひっそりとテレビを見ているだけ。ほかに泊まり客もいないから、貸し切りの気楽さはあっても、なんだかなあ。

 朝は朝でコーヒーを運んで来たら、また速効で厨房へ。普通、何か話しってものがあるんじゃなかろうか。しかも、犬好きであるはずの彼らが、コータローに何の関心も示さなかったのが不思議だった。

 挙げ句の果てに、素人目にもまむしに噛まれ、へたり込んでいるコータローを見ても、あり得ないごとく、まむしと認めたがらない様子もおかしかった。

 廊下も浴室も洗面も、ピカピカに磨き上げられたペンションK。ただ一つ、ペンションならではの良さである親しみ深いホスピタリティを、たった1家族にも示さなかったというのは、理解に苦しむ。

 ほら、やっぱり、まむしやんか。そう、オーナー夫婦に吐き捨てたい気もないではないけれど、不況に追い打ちかけるような天候不良で、ペンションも不景気なのだ。彼らを責めてもざんないことではある。おそらく彼らは土地の人ではないのだろう。

 かわいそうなのは、コータロー。車中では食べたものを吐き、食欲もないので見るからに弱って、飲み薬のせいか、ほとんどぐったりと眠っていた。傷口のまわりも通常より2倍ほど腫れ上がっている。それでも、犬は人間が噛まれるよりも軽くで済むようなので、身を以て家族に危険を知らせたのかもしれない。獣医から結果は伝わっているようなので、オーナー夫婦も、この際近くにまむしが生息している事実を実感したことだろう。大災難だったけれども、ある意味、名誉の負傷だナ。

 ありがとね、コータロー。 

 2003年8月4日(月) 一生懸命
 ひと仕事終えて、ようやく日記を書き始めている。長岡京アンサンブルの「四季」をヘッドフォンで聴きながら。いやあ、「夏」の楽章は秀逸!

 実は24日に書きかけて保存したままだったのだが、あまりにも内容がいまさらなので、自己ボツにした。

 こうしてぽつぽつとし
か書けなくなくなって、自分でもつくづく、文が下手っぴーになっているような気がする。前は、日記のページさえ開けば、するりと書けたものだけど。

 やっぱり、継続は力なりである。そういえば、娘もこの夏休みは百ます計算を励行している。肝心の学校からの宿題はお預けなのが笑えるけれど。

 何でも屋のドンキ・ホーテで入手した中国製のストップウォッチで計り始めたのだが、とにかく最初は1枚し終えるのに倒れるほど遅かった。本人の名誉のために何分かは言わないけれど(笑)。それが1週間ほどで当初の半分の時間に縮まりつつある。それでも、遅いんだけど(笑)、続けていくうちに、人並みにはなるであろう。その姿を見ていても、そうだ、やっぱり続けなくてはと感じ入る。

 7月は早かった。その間にもいろいろなことがあった。たいていは、愚にもつかない失敗であったりする。今朝は、セルフのガソリンスタンドでガソリンを入れて、ふたを閉めるのを忘れて帰ってしまった。気がついたのは夕方。車の左後ろにある給油口の扉が半開きになっているのを発見して、ふたをスタンドに忘れてきたことに気がついた。嗚呼。

 急いで財布からレシートを探してGSに電話。「ふた?1つありますね」との返事に安堵したけれども、取りに行けるのは明日の午後。それまでにも車を使う予定がある。締めるべき部分が空いているというのは、何とも不安なものだ。しかもガソリンの給油口とくる。最近、セルフのGSを好んで利用しているのだけれど、お兄ちゃんが入れてくれる通常のGSなら、こんなことあり得なかっただろう。値段の陰にこんな落とし穴が(って、こんなことをする人はそうそういないだろうけど)

 今日はもう1つ、とほほなネタがあるぞ(笑)。

 セブンイレブンで、700円以上買うとくじが引け、はずれくじを3枚集めて応募すると、プジョーの自転車やデジカメが当たるというキャンペーンをやっていた。はじめ偶然2枚はずれくじをもらい、どっちでもいいやと思いつつ、ふとあと1枚集めて応募してみるかという気になり、後日1350円の買い物をして、あと50円ぐらいで2枚もらえるけれど、まあいいやと思ってくじを引いたらカップヌードルが当たってしまった。
 次の機会にくじを引いたら、今度はお菓子が当たってしまった。当たりくじはお店に没収されてしまう。いつまでたってもはずれくじは2枚のまま。応募できない。
 こんなとき、人間はムキになる。今日は意を決して、大して用もないのに700円分買おうとあれこれ選び(普段ならコンビニでは買わない牛乳なんぞも買い)、レジに持っていったら、900円ぐらいになってしまっていた。あちゃ。

 しかも、その店ではくじを引く箱がどこにもない! レジの端をふと見ると、「くじがなくなり次第終了させていただきます」と書いてあるじゃあないか。がーん。うなだれて、私は店を後にした。

 結局、無駄な買い物をして、結局応募くじは2枚のまま。キャンペーンの締め切りは明日だよ。はは。何のこたあない、セブンイレブンの罠にまんまと引っかかってしまったちゅーことやね。く〜。

 先週土曜日に観た『すいか』というドラマが、なかなかおもしろい。その中で、市川実日子演じる下宿屋の娘がもう1本もらえるというくじつきアイスで偶然当たりをゲット。喜んでもらいに行ったら、また当たっていた。それを交換したら、また当たりが。今度こそ当たりませんようにとお宮で拝んでも、また当たりが〜。それで、結局ようやくはずれが出て、「わーい、はずれた〜」と喜ぶという落ち。ドラマでは何にでも終わりがあるほうがいいという、人の死にも結びつけた展開にもなっていて、その実なかなか深いところをついていた。

 まあいいさ、私もセブンイレブン事件では、いろいろと勉強させてもらったし(負け惜しみ)。

 そのかわりといっては何の関係もないけれど、明日からはちょっとしたお楽しみが続く予定。そのドタバタ劇にも、こうご期待だあ!

 それにしても、『すいか』はいい。はまりそう。

 

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