日 記
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| 2003年1月14日(水) コンヒューズ |
世界でも日本でもいろいろなことが起きている。瑣末なことでも気になって、それをいちいち書きたいのだけれど、うまく書けないなあと思っているうちに、今度は今日一日、自分の身にもいろいろなことが降りかかってきた。それをまたいちいち書いてみたい気もするけれど、逐一思い出すのも、ちと辛い。
ネタ元は、犬にあり。
鳥インフルエンザの件で、まだ生きている鶏を大きな穴にすべり入れて、埋めていく作業の一瞬が、ニュースで流れた。殺処分という言葉と、その映像を見ながら、かわいそうやなあと思っていた自分が、ある一匹の犬にも、同じようなことをしてしまったような、そんな一日だった。
はっきり言って、「なんで、私やの」という思いが強い。閑静な住宅街。豪邸もちらほらあるという一角で、遭遇してしまった私とその一匹。「2、3日前からうろうろしていますよ」とある住人。その2、3日の間に、誰一人、何もせず、その一匹をそのままにしていたと言うのか。ペットショップに並ぶ愛犬グッズ。大枚はたいて手に入れたワンちゃんにおめかしをさせ、ドッグランで遊ばせている優雅な愛犬家があんなにも多い昨今。うらぶれた、しかし笑ったようなそのさまよい犬には、何ひとつ与えることもしなかったのか。なんて、冷たい人たちなんだ。だけど、それは私だって同じなのだ。水のほかには。
動物愛護センターでもらってきた我が犬、コータローを散歩させていただけなのに、その犬がコータローの後を嬉々としてついてきたばっかりに。
その犬は首輪をしていた。飼い犬らしい。いや、飼い犬だったというべきだろう。ふさふさとした茶色の毛は、さわるとごわごわしていた。2、3日どころか、もう何日も、このあたりをうろついていた感じだった。ただ、軽快な歩き方には、疲れの色はなかった。当然リードもなく、好きに動ける自由さを、謳歌していたようにさえ見えた。
しかし、私は困り果てた。この犬をいったいどうすればいいというのか。
そうだ。愛護センターに連絡すれば、保護してくれるのではないか。うちのコータローだって、元々は野良犬の子なのだ。
そんな思いとは裏腹に、その犬に与えられた時間は、あまりにも短かった。
選択できる条件は3つ。@うちで引き取るか、A自力で新しい飼い主を探すか、B動物愛護センターにゆだねるか。
私に与えられた時間は、もっと短かった。@はまったく自信がなかった。Aについては2、3、心当たりを当たってみた。けれども、諸事情かつ急な話への戸惑いもあって、成立しなかった。だからといってじっくり探すと、今度はその犬への情がわいて、ますます墓穴を掘ることになる・・・。夫とも相談の上、結局、決断した。
動物愛護センターの職員の人たちがやってきて、その犬を鉄製の檻に入れ、車で運び去った。そのときの、その犬の震える姿が、今も目に焼きついている。自由に振舞っていたときとは、明らかに表情が違っていた。
夕方、コータローの散歩中、ふいにリードが外れた。何とか捕まえて事なきを得たけれども、数日前にもそんなことがあって、どうもリードの留め金がゆるいようなので、抱っこして帰ろうとした。その瞬間、コータローはこれまで聞いたこともなかったような悲鳴を上げて、抱っこを拒絶した。どこを触っても鳴いておびえるコータロー。
そうだ。コータローは見ていたのだ。その犬が、職員の手で運び去られた一部始終を。その姿に、生まれたばかりの頃、親と引き離され、4匹の兄弟とともに、動物愛護センターに連れてこられた情景がオーバーラップしたのかもしれない。そして、私が抱き上げた瞬間、そのときの言いようのない恐怖がよみがえったのではないか。
そうとしか説明のつかないコータローのおびえた目が、私にはショックだった。少なくとも、どんな犬であれ、仲間の情というものを、その犬に感じていたのかもしれない。
それを飼い主の私が無理やり連れていかせたのだという怒りだってあるかもしれない。
犬の感情は、本当に豊か。だからこそ、私もどうにもやるせない。久々、落ち込んだ。
ごめんね。どうか、あの犬の飼い主が現れることを祈るけれども、捨てた犬を引き取るはずもなく、そうでなければ、あの犬を飼いたいと思う人がどうか現れてと願うしか、ない。
何と言う偶然だろうか。フランスのパトリックからクリスマスカードのお礼のメールが届いていた。そこに添付されていた写真は、彼の家の犬、ルーキーの姿。幸せそうに、草の上で、おすまししているルーキー。うわーん。哀しすぎる偶然。いい飼い主に飼われている犬は、幸せだ。でも、その反対の犬も、どれだけ多いか。
世の中にさまざまなカオスが渦巻いているように、動物愛護センターという所も、その名と矛盾する現実がいっぱいあるのだろう。これも、哀しい。
というわけで、本当に疲れてしまった。お風呂に入って寝るしかないな。でも、本当に眠れるだろうか・・・。
※先に17日の日記をお読みください。
| 2003年1月6日(火) 無茶苦茶でごじゃりまする |
昨日から(正確には3日の夜からぼちぼちと)仕事を再開して、年明けから今のところダラダラな生活が、したくてもできない状態。ほおっておいたらすぐグータラになる身ゆえ、これぐらいがちょうどいいのかもしれない。
そうはいっても3が日はけっこうとりあえずお正月モードだったけれども。
今日はまだ冬休み中でもてあましている娘を連れてランチ&買い物。これが結構疲れる。食べるのも何するのも万事のんびりのわが娘。入ったレストランで頼んだ食事に小さな髪の毛(いや、あれはまつげだろうな)が入っていて、それを店の人に指摘したら、えらく低姿勢に謝られ、「何か1品おつけしたい」なんて言ってきた。でも、それが同じ前菜だと言うので、娘に本来はついていないパンを2つもらったのだけど、考えてみれば私の食べたランチはパンのおかわり自由だと言っていたはず。そのパンも娘は食べきれないと言うので、1個は私が食べて、1個は一口ちぎって結局お残し。なんだか食べ物を無駄にした上に、私はパンだけでお腹が膨らんでしまったというお粗末。どうせなら、デザートぐらいほしかったなどと、欲の皮だけは張っている私であった(笑)。
買い物へ行けば何度も行方知れずになる娘。結局見つかるからいいものの、近頃は本当に怖い。帰宅後観たTVでは、小学生の女の子がわいせつ目的で20〜30代の男に昼間連れ去られるケースが多いという話題を取り上げていた。
昨日も今日も公園で遊んでいた女の子に見知らぬ男が刺したり殴ったりして逃げる事件がおきていた。新聞では、深夜営業のコンビニでの犯罪を恐れて経営者が店をたたんでしまうという記事があった。
安全なはずの公園もコンビニも、もはや安心できない場所になっているという恐怖は、いったいどうすればいいのだろう。テロを恐れるより、本当はこっちのほうが深刻だと思う。子供に危害を加えることに妄想を膨らませて町を徘徊している若者がうじょうじょいるという事実が。
ときどきいなくなる娘を探したり、お菓子を選ぶのに手間取る娘に付き合ったり。仕事以上に疲れた。
まあ、それでも子供の頃は私もそうだったように、若干いちびりのわが娘。早くもオヤジな一面をのぞかせるので、小さいオヤジ、略して「コヤジ」とあだ名を付けた。だってねえ、いちいち呼びつけるのに親も子も揃って桜田淳子のものまねをして、「きて〜、きて〜、きて〜、きて〜、サンタモーニカー♪ ヨンタモーニカ〜♪」と歌ったり、驚くときに「あらまっちゃん、きゃーめぐろ」なんて言っているのは、恐らくうちぐらいのものであろう(笑)。顔の一発芸もレパートリーは4つぐらいあり(って私が仕込んだんだけど)、お正月に実家で妹家族たちと集まったときには披露して一応受けたのだけれど、今日はそれをレストランでも突然やろうとするので、親としてはやっぱり必死に止めたのだった(笑)。
いつも心にユーモアを。そして、死についても考える。だから、愛もある(笑)。この奥深さが、SO-TAI-KIの真骨頂だ(わけわからん)。そんなわけで、仕事でがんじがらめになるときもままあるけれど、何とかまた1年、細々と紡いでいけたらと思う。
松の内に一歩を進めてよかった、よかった。しかし、話は支離滅裂。きれいなBGMも台無し・・・。たあー。