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 2003年10月2日(木) 金木犀の薫り
 
 10月に入ったので、日記も衣替え。今夜は、半月じゃ。朝、玄関のドアを開けたとたん、金木犀の薫りが流れ込んできた。こんなとき、自然の偉大さをつくづく実感する。昨日まではまだ匂わなかったのに、今日はもう、いたるところ、金木犀の薫りでおおわれている。どこでどうスイッチが入れ替わるのか。気がつけば、あの夏は完全に過去になった。そして秋は、そこに長くとどまることもなく、冬を連れてくるのだろう。

 9月なのに、月末は31日だと思い込んでいた。30日が最後だということに、今日ようやく気がつく。我ながら、呆けた一日だった。

 何だかあっという間の9月。やり残したこと、あまた。10月はもう少し、テキパキとやらにゃあ。

 睡眠もよくとらにゃあ。といいながら、もう夜中の2時半じゃあ。とほほ。
 とりとめもなく、ここまで・・・。

 
 2003年9月28日(日) たまにはババンと、のーんびり
 
 こんなに穏やかでのんびりとした日曜日を、我が家で過ごしたのは、いつ以来だろう。

 空は秋晴れ、ときに爽やかな風が吹く。最高の季節だ。

 娘は、散らかりまくっていた自室の掃除に精を出し、昼食後、私は食卓で、図書館から借りていた本をふと開いたら、その面白さにどんどん引き込まれていった。

 『パリ左岸のピアノ工房』というノンフィクション。パリに住むアイルランド系アメリカ人のフリーライターが、住まいの近所で見つけたピアノ工房に出入りし始める体験記とともに、ピアノの歴史をひもといていく。翻訳のうまさもあって、軽妙かつ洗練されたその語り口に、もともと遅読な私でも、さらさらとページをめくっていけた。

 そのうち、ソファへと移動。時間がゆっくりと流れていく。

 だいたい、昼間に本を読んでいること自体、滅多にないこの頃。昨夜、夫に「明日はどうする?」と聞いたら、「明日は何もしない。じっとしといたらいいだよ」と、半分腹立ち紛れに返事され、「何、怒ってるんだよ」と、こっちも腹を立てたのだけど、このところ仕事に追われ、要領の悪さゆえ、カリカリしていた私に休息を与えてやろうとしていたのかもしれない。自分自身もお疲れ気味だったのだろうし・・・。

 気がついたら、本をポトリと傍らに落としたまま、居眠っていたらしい。陽は早くも落ち加減の4時半になっていた。

 ご飯を炊飯器にセットし、今夜の献立を算段していたら、夫が近所の串カツ屋に行こうという。慌てて洗濯物を取り込まんとベランダに出たら、風はもう冷たく、洗濯物も少しひんやりとしていた。

 娘の部屋は、すっかりきれいになっている。ほぼ一日働いて、出たゴミは大きなビニール袋2つ分あった。

 出かけた串カツ屋は、カウンターのみで20人も座れない小さな店。厨房では4人の料理人が黙々と自分の持ち場をこなしている。おまかせコースであっという間にお腹がふくれ、入って1時間もしないでおあいそをしたけど、まつたけとか、有頭海老とか、食材がちょっと高級だったせいか、、けっこうな料金。それでも清潔感があり、食器にもセンスが感じられたし、食後にはデザートやお茶菓子、おいしいほうじ茶も出てきて、余は満足じゃ。お客さんもそれなりに入っていた。今度はいつ行けるか分からないけれど、けっこう店じまいが目立っている界隈だけに、不景気風は、このあたりにも吹いているけれど、いいお店というのは、確かに生き残れてもいるんだなと思う。

 娘も夫もいつもより早くベッドに入ったので、お風呂に入った後は、件の本を少し読み進めつつ、明石家さんま主演のドラマ『さとうきび畑』を流し見。うーん、どうもさんまちゃんの演技は『男女七人夏物語』から一向に進歩していないなあ。子だくさんの父親には、どうしても見えないし、セリフもこなれていない。ユーモラスに描くことで戦争の悲惨さ浮き上がらせようとしたらしいが、いくら関西出身という設定でも、戦場と化した沖縄で、極限状態を生きている感じが希薄すぎる。言いたいことは分かるけど、なぜ今夜これを放映しなけりゃいけないのか、その意図がつかみかねた。その上、さんまちゃんだけでなく、ほかの役者も含め、ちょっと演技力不足はいなめない。森山良子の原曲が持つエスプリとも、なんか違うし。

 しかも、終戦のときに生まれた娘をさんまちゃんの妻役だった黒木瞳が、二役で演じているのだが、現在58歳の設定としてはあまりにおばあちゃん風な演出だし、その孫役の上戸彩は、これまたさんまちゃんの娘役との二役で登場するんだけど(ややこしい!)、高校生ぐらいとしても、58歳のおばあちゃんなら40歳で孫ができるのは、ちょっーと早すぎやしませんか。イマドキの58歳は、もっと若いし、孫も最低小学生ぐらいにしとかないと、違和感がありすぎるぞ。と、見ていない人には何のことやらって感じだろうけど・・・。

 そうこうしていたら、こんな時間に。やっぱり夜更かしグセはそのままだけど、久しぶりにのんびりできて、気持ちにも少し余裕が生まれたような気がする。

 明日もそれなりに、いい日にしたいよ。


 
 2003年9月22日(月) いやはや
 
 ぬうぁんと、まったく日記更新の余裕もなかったこの10日間。いや、実は14日には一度書いたんだけど、完成をみずに睡魔でgive up。
このところ、またしても夜なべに次ぐ夜なべだ。なーんか、うまく時間が調整できない。ちょっと、おさぼりすると、てきめんに手痛いしっぺ返し。かといって、少しは楽しむこともせにゃあ、やってられないよ、という思いもある。

 独身の頃は1日24時間が全部自分のものだったけれど、家族がいればそうもいかないのである。世のワーキングマザーには、ほんと、頭が下がる。私なんて、ちょろいはずなんだけどなあ、やっぱり頑張りがきかないのは、確実に歳のせいだろうな。

 楽しみといえば、20日、会期ぎりぎりに行ったクリムト展。期待にたがわぬいい展覧会だった。早めの夕食をとって美術館に入ったら、思ったほど混んでいなかったので、かなりゆっくり、絵も間近に見ることができた。

 やっぱり、クリムトは天才だ。あの構図、完璧な美しさ。100年前とは思えない独創性に、ただ驚くばかりだった。

 展覧会に行くと必ず図録を買う。今回も例外なくそうしたけれど、写真と実物の違いをこれほどはっきり感じた作品もない。本物の絵のすごみ、輝きは、まさに時代を超える。

 同時代の他の画家の作品も、とてもセンスよく選ばれていたし、クリムトのアトリエにあった自らデザインした家具なんかも展示されていて、いや、ウィーンに行かなきゃ見られない美術品をこんなにじっくりと見ることができて、なんか得した気分。いつまでも余韻の残る展覧会だった。

 時間がなくても、何がなんでもつくってしまえるのは、やはりwantがどれだけ強いかなんだろうな。いい加減に生きるのは、もったいないなと思う。

 ただ、あんまり覚醒状態が続いているせいか、脳みそがかなりお疲れ気味。ちょっと立ち止まりたい気もするよお。

 大好きだったTVドラマ『すいか』が終わってしまった。
 あのまったりとした時間、気持ちよかったなあ。それでいて、人の気持ちはちゃんと動いていた。その絶妙なテンポ。絶妙なセリフ。何気ないシーンがきちんと伏線になっていたりして。久々上質のドラマを見た気がする。とにかく、最近のドラマは酷すぎる。

 最後まで視聴率は低かったようだけど、密かにはまった人も少なくないようだ。暮れにはDVDが発売されるそうだから、手元に置いてみようかな。

 それにしても、どうよ、小泉さん。総裁選に圧勝したら、またまた独走、爆走。人の裏をかいては、ほくそ笑んでいる。
 彼のやり方を見ていると、政治はまるでショーだ。見せ物でしかなく。国民はただの観客でしかない。

 一見誠実そうな紳士ヅラ。実は、とんでもない策士。みんなが思っている以上に怖いヒトかもしれない。彼には、本当の意味の情が希薄なのだ。それは、彼の生き様そのもの。本当に、ああいう人に権力を握らせちゃ、いけなかったんだよなあ。ただ、いかんせん、他の候補者が勝負にならなさ過ぎた。
 
 つくづく、ロマンスグレーには、だまされちゃいけないのだ。


 2003年9月12日(金) ぼー

 夫が出勤、娘を送り出し、ゴミをまとめて出し、犬の散歩をし、洗濯物を干す。朝の一連の作業をすると、脱力感満々。学校の夏休みが明けて、ようやく自分の時間が作れたというのに、このダラダラ生活は何だろう。

 何をする気にもなれず、ぼーっとしている間に、昼が来て、夕方になり、またバタバタになる。夏の疲れかもねえと思いつつ、どうも時間のやり繰りが下手なんである。

 「目的を失っているよなあ。いかん、いかん、こんなことでは」と焦るのに、やっているのは、やっぱり、ぼーっとすることだけだ。ふー。

 連休はリフレッシュしたいと思いつつ、天気はいまいち。おまけに気温は8月のまま。それだけで、イライラする。そういうのは、私だけでもないだろうけど。

 ただ、頑張らねば、と思うのはやめとこう。となると、またぼーっ。
 いやはや・・・。

 こんな時でも、石原東京都知事の失言騒ぎには、敏感に反応してしまうアタシ。そもそも、候補者に人気がないからといって、あの人を自民党総裁選の応援に担ぎ上げること自体、亀井陣営の計算違いだ。

 中央政権に未練たらたらの彼にすれば、ここで自分の人気と力を鼓舞したいという利害が一致したわけで、亀井さんを心から応援しているわけじゃないはず。だからこそ、応援演説で外務省批判をぶち上げるのだろう。昨日の釈明演説では、さすがにしどろもどろだったけれど。

 謝罪や発言撤回が嫌いなんだそうだ。それじゃあ、小泉さんと一緒じゃないの。

 ルックスがいいとか、何でもはっきり言ってくれるから「ステキ」と大事な票を投じてしまう主に中年女性たちよ。彼らの中味をよく吟味するべきだ。いい加減。


 2003年9月10日(水) 表裏一体

 んもう、のっけから、疲れている。
 ただいまは11日の真夜中。おおよそ2時間、パソコンの前で七転八倒していた。原因は、ブロードバンド。

 永らく使っていたeo64にいい加減おさらばし、料金的には倍額になるものの、早さと安定性に期待して、eoホームファイバーに切り替えた。その前に、5年ほど使ったデスクトップを廃棄し、最新ノートパソコンを準備。これまた最新型ルーターも買って、世に言うブロードバンドへの道をスタートさせたまではよかったけれど、2台同時にネットが使えないことが判明した。んな、ばかな。
 
 メーカーに問い合わせると、どうやら、ルーターとeoホームファイバーとの間に不具合があるらしい。
「バージョンアップのファームウェアをダウンロードすれば、同時に使えます」と明るく答えるオペレータの言葉を信じ、軽い気持ちでトライしたものの、ダウンロードから大こけ。以来、一度は設定したネット環境のインストール、アンインストールを何度繰り返したことだろう。つくづく、「こんなもん、歳いったら、できるわけないやんけ」と毒づいてしまう。不満たらたらながら、さっき、ようやく完成を見た。

 つながってみれば、ヒジョーに快適だ。スピードも格段に速いし、なんと言っても、すぐぶち切れて、何度も接続しなおさなければいけなかった64の不快感がないのが嬉しい。けれど、そのために費やした労力たるや! 便利さというのは、かくも不便をかこうものなり。苦あれば楽ありと言うけれど、複雑すぎて、素人にはさっぱりわからない。もっとシンプルにできないものだろうか。

 そんなわけで、書けなかった数日のことがいろいろあるものの、「麻呂は疲れたぞ」(口調がおじゃる丸モード)。今後ますますピッチを上げて、取り組む所存である、と宣言した途端に忙しくなることも、ままあるけれど、そのバヤイは許してたもう。
 
 それにしても、政界は魑魅魍魎。野中氏の政界引退を賭けた大ばくちが、チョーと出るかハンと出るか、ますますわからなくなった。誰がビンボウくじを引くのか知らないけれど、どっちもどっちだろうな。じいさん同士が子どもの喧嘩みたいで、興ざめするし。政局もショー化の一途だけれど、ともかく酷いのは、一番大切な政策論争があまりにもお粗末なことだ。


 2003年9月4日(木) 虚か実か
 
 今夜は星がきれいだ。ふと思い出して、火星を探すも、東南の方角には3階建ての家が建っていて、思いの外空をふさいでいる。こんなに空が澄んでいるのに、見あたらないのは、そのせいだろうと勝手に解釈した。いや、3階建てのおうちに罪はないのだけれど。

 そういえば、このお宅、まだ若いご夫婦と2歳ぐらいの子どもさんの3人家族だけれど、毎朝、ダンナさんが子どもを抱いた奥さんを車でどこかへ送っていく。どうも奥さんがお勤めで、子どもは保育園に連れて行くらしい。そしてダンナさんが1人で帰ってくると、車は終日停まったままで、家も静まりかえっている。夕方、だいたい同じ時間帯にまた車がなくなり、奥さんと子どもを乗せて帰ってくる。

 おしゃれな佇まいのおうちはまだ新しく、その大きさを考えても、奥さん1人の働きではまかなえないようにも思う。さりとて、ダンナさんは家にこもりっきり。謎だ。

 そうなると、ますます想像力がたくましくなる。あのダンナさんは、今はやりのSOHO業者でネットで株取引でもしているのかもしれない。はたまた鈴木光二か重松清ばりに兼業主夫しつつ、著作に励む有名な小説家だったりして。

 そんな妄想に走りつつ、こんな場末なサイトで紹介されているとはご本人はつゆぞ思わないだろうなあ。

 私も誰かに書かれていたりして(!?)

 その人の本当の姿は、実はなかなかわからない。

 自民党総裁選のおちゃらけも、さっぱりその姿がわからない小泉さんに対抗する候補者の、さらにうさんくさいこと。周囲も支持するだのしないだのと茶番劇を繰り広げている。ニュースを見ていて、「お前も役者やのう」と笑ってしまったのが、橋龍こと橋本龍太郎。彼は首相就任早々の小泉さんから「龍ちゃん」呼ばわりされ、キレたそうだ。彼なら、言いそうな軽口だ。

 そういえば、ちょっと古いネタだけど、ユニバーシアードでは北朝鮮の美女軍団も、恐ろしく嘘くさかった。男どもは平気で鼻の下をのばすけれど、軍団の中には彼女たちの亡命逃亡を防ぐ目的で、監視役が紛れ込んでいたそうな。つまり、思想統制でがんじがらめになりながら、一糸乱れぬ応援で、あくまでも南北統一をアピールしたというわけ。政治に利用された笑顔。おしろいを塗りたくったその素顔の本音は、決して表には表れない。何とも哀れだ。

 「ニュースステーション」を本当に降板する久米宏の心のうちも、さあ、なかなか計り知れない。彼に関しては、別に知りたくもないけれど、外国からのゲストと若い女性への露骨な態度だけは、許せんものがあった。彼には内面からにじみ出るような品性が欠けていた。後任の古館伊知郎には、どうか一つ、筋肉番付のような、世界水泳のような、愚にもつかない比喩でニュースをまとめてくれないことを望む。某ニュースは、政治や事件、スポーツをワイドショー以上に「ネタ」として貶めた。最近はNHKまで真似するようになって、うんざりだ。せめて視聴者として、TVに取り込まれないようにせねば。

 昔からミーハーは苦手だったけれど、それでも若い頃は虚構の美しさや見てくれに惹かれた。歳を追うごとに、ハリボテじゃない本当のもの(本物)、実(ジツ)のあるものでないと受け付けなくなっている。それって、やっぱり、歳のせい? むむむ、笑えない・・・。

 わかったぞ。私がサザン・オールスターズが好きになれない訳。あの空々しい虚の世界が嫌なんだ(それと変な日本語)。


 2003年9月2日(火) ラッキー

 お盆を境に、我が家のバタバタ度が急加速。夏休みの余韻を楽しむ間もなく、9月に突入した。暑いしね。今頃になって。夏が地団駄を踏んで別れを惜しんでいるのだろうか。でも、やっぱり暑さはこたえる。秋が来てほしいと思う。

 最後の週末は、かつて住んでいた三田を訪れた。昔から街であった宝塚は、その分道は狭く、公園も少ない。ファミリーランドも温泉も衰退し、高齢化も進んでいる。

 その点、最近ひらけた三田のニュータウンは、広い道路と大きな公園、この広々感が魅力だ。久しぶりにその心地よさを感じた。引っ越す前は、人工的なまちづくりが何だか落ち着かなかったんだけど、何でも失ってから気づくものだ。いわゆるないものねだり。

 本当にいろいろあった。三田から帰るなり、娘が怪我。状況からいえば、骨の1本も折ったって不思議ではないぐらいなのに、擦り傷程度で済んだのはラッキーだった。大人だったら、もっとえらいことになっただろう。

 そう、思えば、いろいろなことが次々と起こった8月後半。そのたびに慌てるのだけれど、結果的には大事に至らないばかりか、物事が好転すらしているのが、本当にラッキーだ。

 つい2ヶ月前にほぼ寝たきりで、誰かの介護なしには生活できなかった義母は、義父の発病を機に、むしろ自立的になってきた。すると朦朧としていた意識がはっきりして、拒み続けていた人との接触も前向きになってきたのだ。高齢者も環境やまわりの手助け次第で、生き生きとしてくるんだなと実感する。年を取ってもこころ次第で変わるのだと。

 今は一瞬一瞬で、後戻りはできない。「あのとき、ああしていたらなあ」と後悔することは多いけれども、できなかったことは仕方ない。過去はあっという間につもっていくし、未来もあっという間にやってくる。ただ悔やみ続けるのではなく、そのときできることをするほかにはない。ときには怠惰をむさぼることもあるけれども、その中で見えてくることもある。すべてのことが次につながっている。

 新学期が始まって、私の生活もルーティンに戻るけれど、考えてみれば戻るのではなく、次のステージに向かっているんだなあ。とりあえず進める私もラッキー。

 

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