日 記

| 2003年8月4日(月) 一生懸命 |
ひと仕事終えて、ようやく日記を書き始めている。長岡京アンサンブルの「四季」をヘッドフォンで聴きながら。いやあ、「夏」の楽章は秀逸! 実は24日に書きかけて保存したままだったのだが、あまりにも内容がいまさらなので、自己ボツにした。 こうしてぽつぽつとしか書けなくなくなって、自分でもつくづく、文が下手っぴーになっているような気がする。前は、日記のページさえ開けば、するりと書けたものだけど。 やっぱり、継続は力なりである。そういえば、娘もこの夏休みは百ます計算を励行している。肝心の学校からの宿題はお預けなのが笑えるけれど。 何でも屋のドンキ・ホーテで入手した中国製のストップウォッチで計り始めたのだが、とにかく最初は1枚し終えるのに倒れるほど遅かった。本人の名誉のために何分かは言わないけれど(笑)。それが1週間ほどで当初の半分の時間に縮まりつつある。それでも、遅いんだけど(笑)、続けていくうちに、人並みにはなるであろう。その姿を見ていても、そうだ、やっぱり続けなくてはと感じ入る。 7月は早かった。その間にもいろいろなことがあった。たいていは、愚にもつかない失敗であったりする。今朝は、セルフのガソリンスタンドでガソリンを入れて、ふたを閉めるのを忘れて帰ってしまった。気がついたのは夕方。車の左後ろにある給油口の扉が半開きになっているのを発見して、ふたをスタンドに忘れてきたことに気がついた。嗚呼。 急いで財布からレシートを探してGSに電話。「ふた?1つありますね」との返事に安堵したけれども、取りに行けるのは明日の午後。それまでにも車を使う予定がある。締めるべき部分が空いているというのは、何とも不安なものだ。しかもガソリンの給油口とくる。最近、セルフのGSを好んで利用しているのだけれど、お兄ちゃんが入れてくれる通常のGSなら、こんなことあり得なかっただろう。値段の陰にこんな落とし穴が(って、こんなことをする人はそうそういないだろうけど) 今日はもう1つ、とほほなネタがあるぞ(笑)。 セブンイレブンで、700円以上買うとくじが引け、はずれくじを3枚集めて応募すると、プジョーの自転車やデジカメが当たるというキャンペーンをやっていた。はじめ偶然2枚はずれくじをもらい、どっちでもいいやと思いつつ、ふとあと1枚集めて応募してみるかという気になり、後日1350円の買い物をして、あと50円ぐらいで2枚もらえるけれど、まあいいやと思ってくじを引いたらカップヌードルが当たってしまった。 次の機会にくじを引いたら、今度はお菓子が当たってしまった。当たりくじはお店に没収されてしまう。いつまでたってもはずれくじは2枚のまま。応募できない。 こんなとき、人間はムキになる。今日は意を決して、大して用もないのに700円分買おうとあれこれ選び(普段ならコンビニでは買わない牛乳なんぞも買い)、レジに持っていったら、900円ぐらいになってしまっていた。あちゃ。 しかも、その店ではくじを引く箱がどこにもない! レジの端をふと見ると、「くじがなくなり次第終了させていただきます」と書いてあるじゃあないか。がーん。うなだれて、私は店を後にした。 結局、無駄な買い物をして、結局応募くじは2枚のまま。キャンペーンの締め切りは明日だよ。はは。何のこたあない、セブンイレブンの罠にまんまと引っかかってしまったちゅーことやね。く〜。 先週土曜日に観た『すいか』というドラマが、なかなかおもしろい。その中で、市川実日子演じる下宿屋の娘がもう1本もらえるというくじつきアイスで偶然当たりをゲット。喜んでもらいに行ったら、また当たっていた。それを交換したら、また当たりが。今度こそ当たりませんようにとお宮で拝んでも、また当たりが〜。それで、結局ようやくはずれが出て、「わーい、はずれた〜」と喜ぶという落ち。ドラマでは何にでも終わりがあるほうがいいという、人の死にも結びつけた展開にもなっていて、その実なかなか深いところをついていた。 まあいいさ、私もセブンイレブン事件では、いろいろと勉強させてもらったし(負け惜しみ)。 そのかわりといっては何の関係もないけれど、明日からはちょっとしたお楽しみが続く予定。そのドタバタ劇にも、こうご期待だあ! それにしても、『すいか』はいい。はまりそう。 |
| 2003年7月23日(水) 眠気復活 |
張り切っていざ更新!と思いきや、容赦なき眠気でギヴ・アップ。 ただいま夜の11時20分。 危うく睡眠障害になりそうだったので、こういう傾向は素直に喜ぼう。 体内時計を元に戻したら、元気も倍増するであろう。 このところ、TVの星占いはいまいちだけど、心は比較的穏やかモード。ささやかなれど、嬉しいこともちょこちょこあったりする。 今のうちにエネルギー、ためとこうっと・・・。 では、Bonne Nuit! |
| 2003年7月22日(火) 唖然呆然 |
3連休の後の今日。月曜日だとばかり思っていた。そんなわけで、娘のおけいこ事をうっかり忘れてしまった。あちゃあ。 九州の豪雨による土砂崩れは、あまり意識していなかったけれども、犠牲者が多い。全員が家の下敷きになってしまったおうちもある。子供や高齢者も目立つ。たかが雨、恵みの雨、それでも襲われてしまえば、本当に恐怖の存在だということを、私も忘れないようにしよう。 地球全体いたるところ、いつ異常気象に飲み込まれるかわからないのだから。 2年前、花火見物中の陸橋で起こった明石での大事故が起こった日でもあるという。この事故で2人の子供を失った両親がニュースで紹介されていた。 2人の我が子を一度に失ってしまった悲しみはいかばかりだろうか。 イラクでは、アメリカ人兵士が攻撃にさらされている。現地では厭戦気分が充満し、「早く家に帰りたい」と訴えている兵士もいた。 そんなことを知ってか知らずか、小泉さんはイラクへの自衛隊派遣の実現を喜々として進めている。 彼の詭弁は今に始まったことではないけれど、まさに隔靴掻痒。国会答弁では、アホの一つ覚えよろしく「フセインが見つかっていないからといって、フセインがいなかったわけじゃない」というような、まさしく妄言を「いい答弁だと思う」と自画自賛する始末。あのへらへら顔、なんとかならんかい。 そうこうしているうちに、バルセロナでは、日本人選手が水泳で世界新記録を樹立していた。 悲しみも怒りも喜びも、一日のうちでこんなにある。 分かりきったことだけど、ただ呆然とするばかりだ。 とかく、世の中は、メランジェ・・・。 気分を変えて、表紙のBGMをチェンジ。 ささやかな、こんなことが、嬉しかったりもするのである。 |
| 2003年7月20日(日) どーも、すみません |
| 書きたいネタはいっぱいあるのに、近頃はどうにも睡眠のバランスが崩れていた。14日の日記、途中まで書いて、意識朦朧。どうしても眠気に勝てず、保存だけして、そのまま仕事部屋の床に倒れ込んだ。 ということで、14日分も続けて読んでね。 無理をして夜なべすると、もう早く寝てもいい状況になっても、すぐには寝られず、さりとて、もうちょっとというところで、急に眠気が襲ってくる。 このところ、まともにベッドに寝た時間は数えるほど。あとは、ソファーか、仕事部屋の椅子の上か、はたまたフローリングの板の間か。 こんな調子で、日記もなかなか更新できないので、「再開したら、教えてください」とありがたくもメールを書いてくださった方にも示しがつかず、まだお知らせもできていない。だったら、ここは誰が見てくれているのだろう、はは。 そうこうしているうちに娘は夏休みに突入。こっちもお休みモードに入りそうになるのだけれど、本当の夏休みまではまだ少しあったりする。 それにつけても、世の中のめまぐるしさよ。 昨日から今日にかけては、九州の集中豪雨のすさまじさにおののいている。その前は小学生監禁事件。その前は・・・忘れてしまいそうだ。そうそう、辻元さんもついに逮捕とあいなった。ムネオ氏を糾弾する、国会でのあの有名な場面が、何度もリフレイン。まさか、あのときは、自分がお縄になったニュースで使われるとは思いもよらなかっただろうな。でも、今日は一転、詐欺罪を認めたという。何だか、哀れ・・・。 社会の異常性に、大人たちが驚愕し、心の闇だなんだと声高に議論しているけれど、しかし、何ですよ。 そもそも自分の中に寸分の闇も抱えていない人など、いるのだろうか。 何を今さらという気がする。それじゃあ、皆さん、どれだけ清廉潔白なんですかってんだ。辻元氏の例を見るまでもなく、いっぱし正義の味方然としている人たちの中に、人には絶対言えない「胸の内」というものは、ないと言えるのか。 私が記憶する限り(急に小者の例で恐縮だけど)、既に幼稚園の頃から、私には邪心もあったし、どうも虚言に充ち満ちていた。それは、「○○をしたら、あかんよ」とたしなめられることで修正できるものではない。どこか、自然発生的に芽生えてきたものに違いなかった。 だから、娘が日に日に小憎たらしい言葉をはき、嘘をついてこそこそ何かをやっていることなど、一応はとがめるけれど、じゃあ自分はどうだったのかといわれると、そりゃもう「ごめん」と言うしかない。 そういう、ごまかしごまかしする中で、袖振り合うも多生の縁的に、人は寄り添いあっているのである。 今夜はベッドでちゃんと寝よう。 とにかく、人の心の闇をあれこれ邪推する前に、自分自身の心の健康を、私は大事にせねば。 あさってあたりから、毎日更新をめざします。うまくいったら、おなぐさみ。 |
| 2003年7月14日(月) 幸も不幸も |
| 一週間のご無沙汰でした(古〜)。ほおっておいたら、どこまでもそのまま放置しそう。でも、確かに大変ではあった。 「よっしゃー」と受けた仕事で地獄を見つつ、でも、自分が選んだ状況だからと思えば、どうしても「辛い」とは思えず、むしろ「乗り越えるしかない」というすがすがしい気持ちでもあった。 ただ、肉体的には厳しかったなあ。性懲りもなく、今週も受けてしまったけれど、とほほん。 巷では、長崎の中学生による殺人事件を連日報道。新しい情報というより、同じニュースソースをやり繰りしているだけ。コメンテーターのコメントも空しいばかりだ。 12歳の子供の犯行は確かにショッキングだ。けれども、類似の事件には別の犯人も浮上している。中年の男だという。そっちの方がむしろ怖い。 鴻池さんの市中引き回し発言。埼玉知事の辞職。大人の見識のなさ、職権乱用、厚顔無恥。子供たちに、しめしがつかないことをいい年の男たちが平気でやっていることが、腹立たしい。ったく、責任者出てこい、なのだ。 昨日は、どしゃ降りの中、長岡京室内アンサンブルの演奏会へ。慌ただしい生活の中で、これくらいの贅沢は許してよと思う。 会場となった某ホールは木組みの天井が真新しく、いい音響を期待したのだけれど、予想したほど響きは伸びず、期待はずれの感あり。 ただし、演奏そのものはしっかり堪能した。バッハとヴィヴァルディというバロック音楽にはさみうちされるように、日本が誇る武満徹の現代作品を並べるという、心憎さ。どれもこれも、今、長岡京室内アンサンブルだから聴けるライブ感。まったくもって、コンテンポラリーだなあと思った。 武満徹が、これまたよかったんだよねえ。不協和音一歩手前の不可思議な旋律。なのに心地いい。よかった。 |
| 2003年7月7日(月) 幸も不幸も |
| 七夕であることはわかっていたけれど、土曜日に「七夕って何? 先生がお父さんとお母さんに聞いたら、絶対教えてくれるっていわはった」と聞かれたときは、正直焦った。 「織り姫と彦星が好き合ってるんやけど、年に一回しか会えないことになってしもたんやって。その日が七夕」と説明するのがやっと。そのくせ、買い物したスーパーでもらってきた笹には、「お金がたまりますように」なんて、願い事を短冊に書くアタシ。なんちゅうー、現金な(笑)!? いろんなことが身に降りかかってくる。かれこれ2カ月以上、入院していた義母が、いい加減そろそろ自宅療養に切り替えてあげられそうと思った矢先、看病していた義父がついにダウン。同じ病院に検査入院することになってしまった。老々介護の日々に、いつかはこんな日が来るのではと恐れていた、いわば最悪事態。先週まで自分に起こったアクシデントで一喜一憂して、ようやく落ち着きを取り戻しつつあっただけに、それなりにショックではあるけれど、自分でも不思議なくらい落ち着いている。 こんなときに限って仕事もやらなければいけないのだが、憂鬱な気分はどこかへ吹き飛び、「よっしゃあ、受けてたったろう」と、何だかポジティブ・シンキング。朝からむしゃくしゃすることが続いて、妙にキレていたのに、今じゃあ、そのことすら、笑ってすませることができるから、自分でもおかしい。病院から戻り、夕食の支度に追われつつ、愛犬コータローの散歩も何とかいとわずにやった。 人の一生、生病老死の苦しみから、どうしたって逃れることはできない。子供が大きくなるにつれて、自分自身が年をとっているのだから、親世代が老いの時期を迎えて、遠からず死を迎えるのも当然。それを見送ることも、子として当たり前のことだ。 世の中には、不条理にも悲惨な結末でいのちを断ち切られ、それすら叶わない人がたくさんいる。それに比べりゃ、自分の周りで起きていることなど、どうってことないんだなあと思うのだ。 独身の頃は、自分のために24時間使える自由があった。一方で、その自由と引き替えの空虚な孤独ともつき合っていかなければならない。 結婚すれば、まして人の親になれば、煩わしいこともたくさんある。時間はいくらあっても足らないし、一人のときとは違う孤独だってある。それでも、あたり前の幸せや喜怒哀楽が、人生をより味わい深くする。 いいことばかりじゃない。だからこそ、悔いのない見送り方をしなければと思う。幸か不幸か、まだ本当に最悪の事態にはほど遠いし。 他人から見える幸せや不幸せではない、自分の中の基準が確かにある。ピンチはチャンス。幸も不幸も、受け止め方いかんでどうとでも変わるのだなあと、今さらながら思う。 夕方、猛烈な夕立。突然の豪雨に雨宿りすらできずに濡れねずみになった人も多かっただろう。それに比べれば、家の中で慌てて窓を閉めて回った私なんか、大したことない。その後、少し雲が切れた夜空に、半月がのぞいていた。その月に感動できる自分。幸せモンじゃあーりませんか。 |
| 2003年7月4日(金) 我思うゆえに我あり |
昨日、久しぶりに日記を更新すべく、しこしこと書き連ねながら、保存しただけでなんとなく、アップしないままにしてしまった。 ゆえに、2日連ちゃんで読んでいただければありがたい。 このところ、恐ろしく日の過ぎるのが加速している。嗚呼と言っている間にもう週末。気がせいているせいか、「もう夏休みやなあ」と娘に言ったら、「まだ7月4日やで」とたしなめられた。あんまり、親がせくのもダメなんだよなあと反省しきり・・・。 ニュース・ステーションを観ていたら、哲学家の池田晶子が出演していた。今は文筆家という肩書きで仕事しているという。いいなあ、文筆家で生計立てられるなんて、うらやましい。 しかし、久米宏との会話がなんともかみ合わない。彼女は「どう生きるかを考える前に、生きている自分をどう考えるかが大切」なんてことを言っていた。番組では、彼女の著書のタイトル『14歳からの哲学』が紹介されていたが、私はまさに14歳のとき、自分の中でスイッチが入れ替わった。その兆候は13歳のときに既にあったのかもしれない。いや、自分の中に何か人と違うものを感じ、また求めたのは10歳だった。1970年。世の中が変わり始めていたときでもあったけれど。 ともかくも、14歳という年齢にはことのほか思いが強い。とにかく思いっきり内省的になり(つまり暗くなり)、「私って何?」と悩み、過剰なまでの自意識とコンプレックスを抱えながら、他人とどう折り合いをつけていいのかわからず、とても苦しかった。大学を卒業するまでの8年間、時々はふざけてみても、基本的には、まるで井戸の中にいるような感覚があった。 私だけではない。この時期に悩まない人などいないだろう。だからこそ、どっぷりと考えよと、池田氏は問いかけているのだろうし、この時期に愚にもつかないことに悩み、考えることをしないまま過ぎると、それこそ、何も考えられない大人になってしまうのだ。 広島では、民間人から登用された小学校長が自殺し、その事後処理に追われていた教育委員会の次長が自殺するというニュースが飛び込んできた。哀れというしかない。 長崎では4歳の子を連れ去り、駐車場の屋上から投げ落として殺害するという、痛ましい事件も発生した。 都会と呼ばれるところだけではない。風光明媚な地方の町でさえ、心を病み、生き急いだり、何の関係もない幼いいのちをないがしろにできる人間がうじょうじょしている。 それもこれも、本質的な思考をストップさせたまま、バーチャルなマニュアル世界の中でやりづごしてきた日本全体への強烈なしっぺ返し。 ここ数年、刃向かう力を持たない子供たちが犠牲になる事件があまりも多い。子供たちを守れないのは、大人たちが大人になりきれていない何よりの証拠だろう。 過去を考えているのも、未来を夢想できるのも、今自分がここに生きているから。だから時間は流れていない。今があるだけ。死を思うのは、今自分が生きているからと言う池田氏の言葉は重かった。 いつも女性のゲストにへらへらしている久米宏。今夜は若干神妙ではあったけれども、池田氏がそこそこフォトジェニックだったせいか、その片鱗はついぞ隠しきれなかった。しょせん、その程度の男であろう・・・。 |
| 2003年7月3日(木) バカも休み休み |
| 更新おさぼり傾向は、再リニューアル後もなかなか改善されない。 でも、何かの義務感にかられて書くような、ご大層なものでもないし、自分なりに、ぼちぼち、でいいのかもしれない。 昨日は気持ちいい晴天に恵まれたのに、今日はまたどっぷり梅雨。この天気は、しばらく続くそうな。いい加減梅雨明けして〜、と考えることは皆一緒だけど、そこの天気予報も「まだ3週間ぐらい先です」と申し訳なさそうに言っているのが、おかしい。 いつだって、どんなことでも、人は次の展開を心待ちにしている。同じ繰り返しは、こりごりなのだ。 今、ぶっちぎりで頑張っているのは阪神タイガースぐらいかな。ちょっと出来過ぎで怖いぐらいだけど、ダメ虎復活は、ファンのみならず、低迷続きの日何か“復活”するような象徴みたいで、嬉しくなる。やや単純。 世間では、ロシアの女子高校生デュオ タトゥーのドタキャン騒ぎ。ある種几帳面な日本人のメンタリティでは考えられないいい加減さだけど、ああいう人たちにつける一番の薬は、取り合わないってことだ。相手にしなきゃ、あっちもより好みできないわけだし。だいたい、ベッカムにしても、ちょっとチヤホヤが過ぎるよね、日本のマスコミは。そっちのほうがうんざりする。 うんざりいえば、例のレイプ容認失言でお騒がせなあのパネルディスカッションに出ていた森前総理も、しっかり失言をかましていた。 「子供を産まない女性の老後を国が補償するのはいかがなものか」という要旨。彼は正真正銘のアホですな。後で追求されて、あれこれ言い訳していたけれど、それならそう聞こえる発言になるはず。言葉として出たものは、彼の頭の中そのものなのだ。本当にそう思っているから出ただけだ。だから、アホとしか言えないのだ。 じゃあ、大した実績も残さず、「元」というだけで生きながらえている彼のような政治家の議員報酬を国民の税金でまかなうのは、いかがなものか。 そもそも、少子高齢化が進んでいるのはなぜだろうと、一度でも真剣に考えたことがあるのだろうか。 夜な夜な料亭でくっちゃべってきただけの男。子育ての経験も、市民の生活に思いをはせることもなく、たわむれに失言を繰り返すこの男に、少子化問題を語る資格なし。 そういう場を喜々として仕切る田原総一郎の思慮のなさ。 小泉純一郎が、それよりまともなことを考えているとも思えない。ここまでバカがはびこるとは・・・(ため息)。 |