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「お墓」から社会が見えてくる

Journal d’Ohaka

最近のニュースから、お墓にまつわる話題を取り上げたコラム・コーナーです。

バックナンバー
●2001年6月までのコラム ●2001年7月までのコラム ●2001年12月までのコラム

<もくじ>

1.エリック・クラプトン 幸福と鎮魂と  (2002年1月4日付け 日経新聞、Yahooニュースなどより)
2.古墳をめぐる新発見もろもろ (2002年3月1日および3月7日付け 日経新聞より) NEW
3.ペットの葬儀、需要は上がり、売上げ下がる (2002年3月4日付け 日経新聞より) NEW
4.キリシタン最古の墓碑  (2002年3月7日付け 日経新聞より) NEW


1.
エリック・クラプトン 幸福と鎮魂と (2002年1月4日付け Yahooニュースより)

 イギリスのギタリスト、エリック・クラプトンが1月1日、故郷のイギリス南部のサリー州リプリーにあるセントメリー・マグデレン教会で31歳年下のアメリカ人グラフィックデザイナーと挙式。二人の間に生まれた生後6ヶ月の娘の洗礼式を行なった後、結婚の誓いを交わした。その教会には、11年前に4歳で亡くなった彼の息子のお墓があり、 式後2人はそのお墓を訪れた。

陰あればこそ光

 エリック・クラプトンというと、ギターの神様とまでいわれ、常に第一線で華々しい活躍をしてきたまさに“スター”というイメージがある。現に56歳で25歳の女性と結婚するなんて、にしきのあきらもびっくりの現役スターぶりだ。けれども、あらためて彼の人生をひもとくと、なんと苦悩の多い歳月だったかと、胸を突かれる。

 まず出生からして複雑だ。私生児として生まれ、祖父母に育てられた幼年時代。音楽にのめり込んだのも、そんな暗い環境からの脱出だったのかもしれない。しかし、ギターテクニックがすべてを解決してくれるわけではなく、音楽の世界でも決して順風満帆ではなかったらしい。人気が出て、世間に認められても、自分が本当にやっていきたい音楽性とのギャップに苦しんだようだ。麻薬、アルコールが彼を蝕んだ。このあたりはリアルタイムで彼の音楽に接していないのだけれど・・・。

 確か私が初めて彼の名前を知ったのがあの名曲『レイラ』だったと思う。『レイラ』は、親友ジョージ・ハリソンの妻であったパティとの道ならぬ恋の苦しさから生まれたもの。原田康子の『挽歌』風にいえば、ジョージはコキュ(寝取られ男)、今風にいえばクラプトンの略奪愛、古典的表現でいえば、パティはファム・ファタールだった。その後、クラプトンとパティは晴れて夫婦になり、さらに名曲『ワンダフル・トゥナイト』もヒットするのだが、これで「めでたしめでたし」といかないのが、人生の皮肉。幸せは長くは続かず、いつしか、2人の間にも溝が生まれていく。

 1986年、クラプトンと別の女性との間に男の子が誕生する。名前はコナー。彼によく似た金髪のハンサムボーイだったそうだ。ジョージ・ハリスンと同じ8月生まれだったことから、その秋に発表したアルバムを『オーガスト』と名づけたのは有名な話だ。かくいう私も、唯一持っているクラプトンのアルバムがこの『オーガスト』だった。LPの時代だったから、今は実家の書棚に眠っているのだけれど、ひところはよく聴いた。

 とにかく、クラプトンはコナーをことのほか可愛がったようだ。1988年、パティと正式に離婚。しかし、コナーの母親と再婚することはなかった。ちょっと身勝手な男という気もするが、彼はある意味不幸な自分の生い立ちをコナーの誕生に重ね合わせたのではないだろうか。肉親の愛に飢えながら、女性と恋をしても愛を育ていくことのできない(と勝手に断定してはいけないけれど)自分が息子という愛すべき存在を初めて知ったのだ。彼はきっと、夫婦ではなく、ただ、血を分けた家族が欲しかっただけなのかもしれない。
 
 1991年、それほどまでに深く愛したコナーを、わずか4歳半でクラプトンは失う。それもニューヨークの53階という超高層アパートからの転落死。想像するのも辛い悲劇だ。いわば幸福のただ中から奈落の底に突き落とされ、クラプトンが精神的にズタズタになったのは当然だろう。音楽活動どころではなかったはずだ。けれども、そんな彼を救ったのは、やはり音楽だったようだ。しかも、かつて自分の妻を彼に奪われた旧友ジョージ・ハリソンが、彼を自分のツアーメンバーとして誘ったという。傷心から立ち直るきっかけをつくったのが、自分が最も傷つけただろう男だった、というのも泣かせる話だ。そのジョージも昨年末に死去。死の淵でレコーディングした最期のアルバムでは、クラプトンも参加しているそうだ。

 ある意味で地獄をみた男、クラプトンが、再び父親の喜びを得た。今度は娘だ。名前はジュリー・ローズ。ニュースでは“できちゃった結婚”だと揶揄するものもあったけれど、確かにロサンゼルスの旅行中に知り合った女性との電撃的な結婚ではあるけれど、それも運命というものだ。辛い時代を乗り越えてようやく、家族という静かな平安を得たのではという気もする。若い奥さんは、それこそリアルタイムで彼の伝説ぶりを知らないはず。それが、彼にとっては心地よかったのではないかと推測される。んが、しっかし、ここで取り上げたのは、どこにもあるクラプトン物語を書くためではなくて、ジュリー・ローズちゃんの洗礼と、やはり「お墓」なんである。(ああ、前段が長い!!)
 
 竹下節子氏の『テロリズムの彼方へ、我らを導くものは何か』という新刊に書いてあったけれど、初期のキリスト教では洗礼を受けると罪をきよめてもらえ、天国にいけると教えられていた。だから、生まれた子どもが洗礼を受けずに死ぬと地獄に落ちてしまう。地獄に落ちた赤ん坊は教会のお墓にも埋葬させてもらえなかったそうだ。昔は乳児死亡率も今よりずっと高かっただろうし、何しろキリスト教では人間はそもそも原罪をもって生まれるから、赤ん坊でさえ罪深い者だったのだ。それに何より「地獄」を恐れた。だから、カトリックでは新生児に洗礼を行なうのは普通の習慣になったようだ。そういえば、映画などでも、洗礼式でまだ産着姿の赤ん坊のおでこに聖水をかけて、赤ん坊がびっくりして泣いちゃう、なんてシーンをたびたび見たような気がする。

 クラプトン夫妻がジュリー・ローズちゃんを生後6ヶ月で洗礼した理由は定かではないけれど、イギリスはキリスト教といってもカトリックではないし、以前ほど地獄への恐怖は薄れているかもしれない(笑)。それでもやはり、愛息をいたましい事故によって失ったクラプトンのこと、それも新年早々に教会で永遠の愛を誓い、娘の洗礼を行なった彼の心境は、なんとも宗教的だという気がする。最近は仏前結婚式がかなり珍しくなってきた日本だが、あちらの教会はおめでたい結婚式からお葬式まで、冠婚葬祭の場としてまだ機能している(それでもフランスでは市役所での人前結婚式がノーマルになっているようだけれど)。またまた映画でいうと原題が『4つの結婚式と1つの葬式』(だったかな)というイギリス映画に出てきた教会は、題名の通り、いつもめでたい結婚式の場として登場する教会が、最後にお葬式の場面で出てきて、登場人物がお墓の横を横ぎるシーンで終わる(と記憶している)。まさに教会は「ゆりかごから墓場まで」なのだ。それにしてもクラプトンが、コナー君が眠るお墓がある教会で晴れて夫婦になり、晴れて娘の原罪をきよめられた後に新婦と亡き子のお墓参りをするというのは、私自身の「お墓」に対する思いにも通じる、象徴的なエピソードだった。一方で、元妻パティとコナーの実母が、今幸せかどうか、実は気になるところでもあるけど・・・。

 60年代から音楽シーンの中で絶えずオーラを発し、若者たちに影響を与えてきたエリック・クラプトン。不思議なものでその栄光が輝かしければ輝かしい分、生い立ちや人生に陰がついてまわる、まさに伝説のような人だ。これぞ「悲しみや苦しみが人を育てる」を地でいった人生。けれど、道が平坦でなかったからこそまた、人々に感動を与えるアーティストであり得たわけで、だとすれば、何もかも満ち足りた人生は案外つまらないのかもしれない。ともあれ、今度こそ末永き幸せを、と一段と遠いところからではございますが、心より祈らずにはいられないのであります。

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2.古墳をめぐる新発見もろもろ
 (2002年3月1日および3月7日 日経新聞より) NEW

その1)
滋賀県能登川町の神郷亀塚古墳で発掘調査中の同町教育委員会は、同古墳築造後に、複数回にわたって、祖先の霊を祀る追祭祀が行われていたことが分かったと発表した。古墳の周濠から土器が出土され、祭祀では墳丘上から周濠に土器を投棄していたようだ。同古墳は、最古級の前方後円墳。

その2)
大阪府河南町のシシヨツカ古墳では、切り石を積んだ石室から馬具や大刀などの豪華な副葬品が出土した。発掘調査を行う同府教育委員会は、7世紀初頭の築造と推定。切り石罪の横穴式石室では最古級で、相当身分の高い武人の墓であると発表された。


温故知新?

 はじめにお断りすれば、古墳の話をするには、私の知識はあまりにも貧困だ。確か小学校の頃、堺にある仁徳天皇陵が教科書に載っていて、前方後円墳だの、前方後方墳など、勉強するにはしたけれど、あの頃はまだお墓について興味なかったからなあ(笑)と、ごまかしておこう。だから、お墓は奥があまりにも深くて、困ってしまうのだ・・・。

 したがって、何のコメントもできないのだけれど、かといって、無視もできない(笑)。その主が豪族であったり、皇室ゆかりのものであったりはするが、何しろ、太古の日本人が残していった葬送のかたちだ。詳細はあくまで専門家に任せるとしても、私もいつか、ここから何かを読み取れたらと思う。ということで、1つの記録としてちょこちょこ、取り上げてはいきたい。しかし、古墳というのは、町の教育委員会がやるもんなのだなあ。何だか、違和感を感じるけれど・・・。

 思えば、エジプトやその他の遺跡からも、副葬品の豪華さは世界共通のようだ。あの世にいっても、権力を誇示できる存在でいたい、そして生命復活のあかつきには、前世の栄華を顕示したい。死への恐怖が大きければ大きいほど、こんなふうに死者を華やかに送り、残された生者の恐怖をも鎮めていたのだろう。その1)の祭祀は、30〜40年ごとに3回ほど行われたというのだから、少なくとも死後100年以上は、子孫によって法要的な催しが行われていたということだ。よほどの大物だったのだろうか。

 過去は確かにあった。では、未来は? 私たちの葬送の未来には、相変わらず不安が渦巻いている。

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3.ペットの葬儀。需要は上がり、売上げ下がる。 
                                 (2002年3月4日付け 日経新聞より)NEW
 ペット葬儀の需要が高まっている。火葬はペット専門の葬儀社や動物霊園を併設した寺院が手がけ、東京・大阪などの大都市圏ではん、体重5キロ前後の小型犬で個別火葬が1頭あたり2〜3万円、合同火葬は1〜2万円というのが相場だ。料金は数年間据え置いているそうだが、返骨や納骨などの付加サービスを希望しない消費者が増えているので、売上はダウン傾向にあるという。

だって、家族だから

 最近ビデオで観た『スチュワート・リトル』というアメリカ映画は傑作だった。1人息子のために養子をもらおうと孤児施設に行ったリトル夫妻は、人間の子どもをもらわずにネズミのスチュワートを養子に迎える。優しいスチュワートは大活躍。ところがリトル家に飼われている猫のスノーベルは、「猫がネズミに飼われるなんて、なんたる屈辱」と、嫉妬のあまり、町の野良猫たちに頼んで、スチュワートの追い出し作戦を企てる・・・。ストーリーはまさに荒唐無稽なファンタジーなのだが、SFXの凄さと登場人物の面白さ、日本語吹き替えの素晴らしさ、に圧倒され、娘も私も大好きになった。本国アメリカでも大ヒットしたようで、今パートUの制作中だという。そこにたびたび出てくる台詞は「だって、家族だから」。人間であろうと、ネズミであろうと、家族の大切さを、説教くさくなく教えてくれる映画だ。

 「アニマルセラピー」という言葉が登場したのは、いつの頃だろう。昔は門に「番犬注意」という注意書きを出していた家が多かったように、犬はすべからく“番犬”だったし、猫もせいぜい首に鈴をつけて、野良猫と区別しているくらいで、ほとんど放し飼い状態だった。人間たちは確かに、そういう動物にどこかで癒されてはいただろうが、癒されるために飼っていたわけではなかった。犬は土の上で、猫は屋根の上で、ただ気ままにのんびりと暮らしていた。

 一方ここ数年、人間たちは、同じ人間とのコミュニケーションを避ける一方で、ペットにはどんどんのめり込んでいる。一時期、シベリアンハスキーやゴールデンリトリバーなどの大型犬が人気を呼んだかと思えば、それも下火で、最近は「飼っていいのは小型の室内犬」という規約を設けているマンションが少なくないせいもあってか、小型犬が主流のようだ。それも血統書つきの。まるでブランド漁りにも似た「はやりすたり」の世界でもある。ただし、マンションのペットたちは、つるつるしたフローリングの床で股関節を傷め、犬も猫も、1人もとい1匹ではどこへも行けず、ほえると「近所迷惑だ」といわれ、抗菌社会だから、とにかく清潔を強いられる。おまけに「癒して、癒して」と擦り寄ってくる人間たち。考えるだに、重苦しい。そして、引越しなどの事情で、あまりにもあっさりとペットが捨てられるという現実もある。これについては、動物収容施設の写真を撮り続けている児玉小枝さんの『どうぶつたちのレクイエム』に詳しい。

 そういいつつも、我が家でも去年犬を飼おうかどうしようかと迷った。ただ、いざ飼うとなると、こちらにも相当覚悟がいる。私たちに飼われて犬は幸せだろうか。第一、ペットの死をちゃんと見とってやれるかどうか。そう思いつつ、兵庫県動物愛護センター(ちょいうる覚え)に行き、飼い主を探している犬たちに合って来たりした(私はどうしても、ペットショップで「犬を買ってくる」という発想になれないのだ)。しかし、ここでも迷うばかり。まるで迷子犬を保護するように、偶然の必然として、犬にめぐり合わなければ、なかなか決心はつきそうにない。

 子どもの頃飼っていた犬は、小学校の担任の先生の家で飼われていた犬の子どもで、ポリーと名づけた。今写真で見ても本当にかわいい。けれど、わずか数ヶ月で亡くしてしまった。それを気の毒に感じられたのか、先生はまた新しい仔犬をくださった。その犬ケリーが子どもを産み、メリーと呼んだ。結局ケリーもメリーもフィラリアで死んだ。メリーが起きられなくなったときの妹の献身的看病ぶりをみて、その情の深さに驚いたものだ。そのメリーもなくなり、妹は本当に落胆。母もショックだったらしく、「もう犬は飼わへん」と、以後ペットを飼うことはなかった。あの頃はまだペット専門葬儀社など存在しなかっただろう、なきがらは保健所に引き渡したと記憶している。

 確かに、ひとり暮らしの高齢者など、ペットが家族そのものという光景は微笑ましいし、「ペットは飼うべからず」という公団的発想が当たり前になった社会は、想像するだけでも寒々しい。世はまさにコンパニオン・アニマル時代。それこそ、大昔から犬猫と人間の関係は切っても切れないわけで、ここまでペットを飼う人が増え、本当に愛情深く飼っていた人ならば、ペットの死を悼み、それなりに弔ってやりたい、という気持ちも自然のことだろう。心を許してきたペットに死なれると、飼い主は本当に落胆し、ひどい場合は鬱状態に陥ることも不思議ではないという。だからこそ、「喪の仕事」が必要なのだ。ペットの葬儀事情にも、そんな背景があるのだろう。

 私の住む町でも、とあるお寺が「動物霊園」を併設し、地元のフリーペーパーにも広告を載せている。こういう新興住宅ならなおさら、家族同然に愛されたペットたちが亡くなったときには、きちんと荼毘に付してもらい、できればお墓の1つもつくってあげたいと思う人は多いだろう。2〜3万円ぐらいのお金、惜しくもないはずだ。ただ、そこにはペットブームにつけこんだ商売臭が、なんとなくつきまとう。

 いかんせん、景気は後退する一方。付加サービスを求めないということは、火葬だけを頼み、後は「野となれ山となれ」ということか。まあ、仏教的にはそれも間違いではないようだ。何しろ、インドでは火葬した骨はガンジス川へ流すだけで、お墓など存在しないというのだから。まあ、全ての飼い主がそこまで考えているとも思えないけれど・・・。

 今はやりのハムスターは、小動物だから、火葬費用はさらに割安になるそうだ。「犬は散歩させなくちゃいけないし、かまってやらないといけないので、猫がいい」というご意見もあるようだが、人間の都合で飼われたペットには、迷惑な話ではないだろうか。
   

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4.キリシタン最古の墓碑   (2002年3月7日付け 日経新聞より)NEW
 
 大阪府四条畷市で、日本最古のキリシタンの墓碑が出土した。洗礼名から、16世紀の地元の武将・田原対馬守のものとみられる。

お墓も隠した、キリスト教弾圧時代

 これも四条畷市の、教育委員会が発表したもの。「教育委員会」というくくりではなく、他の名称に換えるわけにはいかないのだろうか。「いや、日本史は教育だ」といわれたら、「どーもごめんなさい」 というしかないけれど。

 そういえば、日本史も苦手だった。高校時代、教壇の最前列の席で堂々と居眠りしていたら、先生が「あんたは、いつも居眠ってるやないか」と怒られたことがある。だいたい、弥生・縄文時代から始まって、平安、鎌倉、室町、安土桃山、江戸、明治維新ぐらいまでは、いい加減退屈するほど時間をかけて教えるのだが、その頃にはすでに2学期も終盤、短い3学期に入っていきなり駆け足になり、明治後半、大正、昭和を終わらせる。近代日本史はまさしく「終わらせる」のだ。あれからかれこれ30年前後。今の子どもたちには「平成」からの激動まである。ふー、大変だ。

 実は、隠れキリシタンについても、私には大した知識はない。だから、ろくなことは言えないと、お断りしておこう。踏絵を踏まされ、洞窟に隠れて祈り、仏像の裏に聖母マリアを彫ってまでも、彼らが信仰に殉じた気持ちも、こんな無宗教時代にあっては、実感することはなかなか難しい。この墓碑も、田原家の菩提寺から出土したそうだが、その後の徳川幕府による禁教令でキリスト教が弾圧されるまでは、お寺にキリシタンのお墓が存在していても問題なかったわけで、当時は宗教もずっと大らかだったのだろう。むしろ、神道でも「お墓はお寺に」という話を、聞いたことがある(これもうる覚えだなあ)

 将棋の駒のような墓石は高さがわずか44センチ。表面には十字架や洗礼名などの文字が彫られていたという。慎ましいその墓も、激しいキリスト教弾圧の前には、ただただ地下に埋めるしかなかったのだろう。「無かったこと」にすることで必死に弾圧の手を逃れたキリシタンの精神は、やはりなんとも日本人らしい向き合い方だと感じる・・・。

 小さな墓標から時代を読み取る、というのも、なかなか興味深い話だ。

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