表紙 プロローグ 日 記 掃苔記 CINEMA LIVRE JOURNAL
別冊 ルシイドの部屋 LETTRE PROFIL リンク メールはこちらへ

「お墓」から社会が見えてくる

Journal d’Ohaka

最近のニュースから、お墓にまつわる話題を取り上げたコラム・コーナーです。


<2001年6月までのコラムはこちら>
<最新のコラムはこちら>

<もくじ>
1.ジム・モリソン没後30周年。お墓にファン殺到  (2001年7月3日 ロイターより)
2.キャスター・小谷真生子、「一緒にお墓に」のプロポーズから8年で離婚 
 (2001年7月10日 日刊スポーツより)
3.自殺の名所、青木ケ原樹海の遺体一斉捜索中止 (2001年7月16日付け アエラより)
4.強制連行された韓国・朝鮮の無縁仏、祖国・遺族のもとへ  NEW
 (2001年7月17日付け 西日本新聞より)  

1.ジム・モリソン没後30周年。お墓にファン殺到
   (2001年7月3日 ロイターより)

 1960年代に一世を風靡したアメリカのロックバンド「ザ・ドアーズ」のリーダー、ジム・モリソンの没後30周年にあたり、彼が眠るパリのペール・ラシェーズ墓地のお墓に大勢のファンや観光客が集まった。 墓前は花を供え、写真に収める人々で混雑。墓地内には厳しい警備体制が敷かれたが、アルコールと音楽が禁止されていたせいで、大きな騒ぎにはならなかった。

反逆児は墓地でも異端児!?

 ジム・モリソンについては、以前LETTREのコーナーでも書いたけれど、フランスの文化・芸術にゆかり深い人物が数多く眠るペール・ラシェーズ墓地で、ジム・モリソンは一種特別な存在のようだ。何しろ、時代の反逆児と呼ばれたヒッピー世代のカリスマ。ロック・ミュージックの世界でも今でも奇才の代表のように扱われているし、崇拝者も多い。私はドアーズの音楽を詳しく知らないし、当時の熱狂振りも、バル・キルマー主演の自伝映画が公開されたときにバルのそっくりぶりが話題になって、過去のビデオクリップが流れていたのを見たぐらい。リアルタイムの衝撃はない。そういえばジャニス・ジョプリンも映画「ローズ」のベット・ミドラーを通じて知ったのだ。とはいえ、ロック、ドラッグ、アルコールと3拍子揃うとやっぱり強烈。名前だけはインプットされていた。だから、ペール・ラシェーズでもお墓を探したりしたわけで・・・。

 素朴な疑問は、アメリカのロック・ミュージシャンがなぜパリの墓地で眠っているのかということだった。ネットで調べてみて初めてわかった。1971年3月、彼はパリに住む愛人(妻という記述もある)のアパートに住み始めた。ドアーズ人気が過熱し、ツアーやレコーディングの毎日に消耗した彼はアメリカを逃避行したのだ。いわばシェルター。日本人ばかりでなくアメリカ人にとっても、パリはやっぱり憧れの街なのだろう。そこで、静かに創作にいそしもうとしたジム・モリソン。けれども、すでにアルコールに溺れていた彼は再び酒びたりの日々に。そして7月3日、アパートの浴室で亡くなっているところを発見される。死因は心不全。カリスマは、これでますます伝説の人と化したわけだ。

 欧米では土葬が一般的。遺体をアメリカに運んだりする方が大騒ぎになって大変だったのだろうか。それとも彼の望みだったのか。以来、ペール・ラシェーズが、彼の第二のステージになった。大変なのは墓地サイド。毎年命日になると、ファンが殺到し、大騒ぎになっていたようだ。もっと迷惑なのは、隣近所のお墓たち。墓石はモリソン・フリークたちに落書きされ、踏みつけにあうなど、おかまいなし。安らかに眠るどころではなかったとか。だから今年の命日にも警備関係者が目を光らせていたわけだ。

 でも、スターのお墓にファンが殺到するという話は実に自然な行為に思える。だって、そうでしょう。石原裕次郎や美空ひばりの命日には、昔からの熱狂的ファンが、ひと目墓前に花や線香を手向けようと列をなしたりするのだ。彼らの中では、スターは永遠のストップ・モーションでしかない。 印象に新しいのは、ダイアナ元皇太子妃のお墓。墓参を希望する人が殺到して、遺族が完全予約制にしたりした。そんなジム・モリソンのお墓も、最近は墓参者の数も減る傾向にあるそうだ。さすがの人気も翳りを見せ始めたということか。一方、ダイアナはどうなのだろう。

 そういえば、彼の最期を発見したという愛人も、3年後に彼の後を追うように亡くなっている。彼女は今どこで眠っているのだろうか。

 ページのトップに戻る

 表紙に戻る


2.キャスター・小谷真生子、「一緒にお墓に」のプロポーズから8年で離婚  (2001年7月10日 日刊スポーツより)

 テレビ東京『ワールド・ビジネス・サテライト』の人気女性キャスターの小谷真生子が、今年1月に宝石デザイナーの夫と離婚していたことが明らかになった。二人は93年に結婚。プロポーズは『一緒にお墓に入ろうか』だった。5歳の一女をもうけるも、お墓はやはり別々になりそうだ。


死が二人を分かつ前に

 このニュースを知ったとき、今どきそんなプロポーズをする人いたのかと、妙に感心してしまった。さすがに8年前は、お墓もまだこれほど話題にはなっていなかったと思うけれど。

 ご夫婦の年齢差は14歳。当然、順番では夫が先にお墓に入って、それを妻に守ってもらおうなんて魂胆がミエミエにも思う。少なくともその逆は考えてなかったはずだ。小谷さんも、そんなプロポーズにほだされるのだから、何かすがるものが欲しかったのかもしれない。ところがどっこい、「死が二人を分かつまで」というわけにはいかなかったようだ。現在50歳の夫としては、いよいよボチボチお墓のことが現実問題になってきて、「やっぱり一緒に入らない方が幸せかも」という結論に達したのだろう。あるいは「一緒に入りたくもねえ」心境だったりして。ああ、なんちゅー皮肉。

 いま「墓をめぐる家族論」(井上治代著)という本をLIVREで紹介するべく再読しているところだが、結婚が「家制度」の縛りの中で行なわれていた時代の妻たちの中に、人間としての自尊心を取り戻す術として、夫や夫の先祖代々のお墓に入ることを拒否し、自分だけのお墓を買うケースが出てきたという。著者いわく、「死後離婚」。結婚は愛によって成立するものだから「愛がなくなったから離婚するんです」と語った岡田美里はある意味で正しいのかもしれない。でも、世間体や子どものことに躊躇して、一度踏み込んだ結婚の形から飛び出せない女性が多いのも事実。そんな熟年女性の、「死んでまで一緒にいたくない」という気持ちの表れとしてやはりお墓が登場するのは、あまりに現代的だ。

 一部には夫の事業不振が離婚の原因とも報じられているけれど、今の小谷さんにはおそらくお墓よりお金(経済)。実はご当人はプロポーズの言葉さえ、すっかり忘れているのかもしれない。何しろ、上昇志向が高そうだからね、彼女。キャスターとしては嫌いではないけれど。

 いずれにしても、一見名ゼリフとして残ったプロポーズの言葉も、結果によってはあだになるというお話。お墓で愛は得られない。愛の結果がお墓。いい教訓にしませう、皆さん。

ページのトップに戻る

 表紙に戻る

3.自殺の名所、青木ケ原樹海の遺体一斉捜索中止
   (2001年7月16日付け アエラより)

 富士山麓にある自殺の名所・青木ケ原樹海を管轄する山梨県防犯協会富士吉田支部や県警富士吉田署が、1971年以来毎年秋に実施してきた自殺者の一斉捜索を今年からやめる決定を下した。やめることで「名所」の汚名を返上するのが、狙い。


美しい自然を冒涜するロマンティック自殺者

 自殺する人が増えている。警察庁によると、昨年1年間全国で自殺した人は、3万3048人に上っているそうだ。前年の185人増。98年統計で劇的に増えて年間3万人を超えてから、コンスタントにといってはおかしいが、3万人路線が定着しているようだ。原因動機のトップは「健康問題」だが、経済・生活問題は5人に1人、その後に「家庭内のトラブル」が続いている。男女比は圧倒的に男性が多い。昨年は2万3512人で前年の499人増。女性は減少している。「戦後、女とストッキングは強くなった」といわれたけれど、残念ながら男性のひ弱はこんなところにも見て取れる。

 さて、青木ケ原樹海。その名を有名にしたのは、1960年に発表された松本清張の小説『波の塔』で、ヒロインが樹海に死に場所を求めるというストーリーが、自殺志願者にロマンティックなイメージを提供してしまったという。93年にブームともなった『完全自殺マニュアル』もその傾向に拍車をかけたようだ。清張さんも罪作りなことをしたものだ。

『アエラ』によると、富士吉田署には、別棟の霊安室があるという。広さは50u。今年も5月末までで、16体の自殺体が発見されている。ふもとの村々には村費で建てた納骨堂があり、その1つ、鳴沢村の納骨堂には50年前からこれまで発見された約70体の遺骨が安置されているそうだ。しかも2年前には、200体収容できる広さに建て替えられている。火葬や安置のため1体あたりにかかる費用は約5万5000円。それを村費で賄っているという。遺体の捜索や収容だけでも地元役場の職員や、警察や消防団員などの負担になっているというのに、経済的にも村々を圧迫している事実。一見のどかな富士山麓の村人が、腐乱したり動物に食われた赤の他人の死臭にまみれながら作業しているという現実は、なかなか衝撃的だった。

 掲載されている写真を見る限り、樹木の緑は深く美しく、苔むす地面は腐葉土の宝庫となっている。「富士山麓のおいしい水」じゃないけれど、今はやりのミネラルウォーターの産地でもあるのではないか。そんな、まさに生命の源といえる森の中で、人は何故自らの命を絶とうとするのか。この世から消えようとするのか。引き取り手のない遺骨は、村の納骨堂で帰るあてもなく残されている。『アエラ』には樹海をモチーフに作品を書いているという小説家・早野梓氏が道案内役として登場しているが、彼の言葉は痛烈だ。

「自然は本来、厳しい。青木ケ原にはそれだけ豊かな自然が残っているわけです。樹海を愛する立場で言えば、ここでの自殺は崇高な自然に対する冒涜です」(『アエラ』より)
 青木ケ原樹海で一斉捜索をしないということは、これ以上、自殺者によって樹海を汚したくない、という地元住民の願いなのだ。

 遠くで見る富士山は本当に美しい。けれど、本当はゴミ問題にも泣かされ、そのためにユネスコの世界遺産の登録も見送られていると聞いた。自殺で自分の人生をロマンティックに終えたいと願う人ほど、実はロマンティックとはほど遠い残酷な死に様を迎えなければいけないということを、心が健康なうちに肝に銘じておかなければと思う。特に男性諸君!

ページのトップに戻る
 
表紙に戻る

 

4.強制連行された韓国・朝鮮の無縁仏、祖国・遺族のもとへ
   (2001年7月17日付け 西日本新聞より)

 福岡県飯塚市で、第二次世界大戦中、朝鮮半島から筑豊地区の炭鉱に強制連行され、亡くなった犠牲者のうち、7人の身元が判明。無縁仏だった遺骨は、来日した遺族1人に引き渡された。


罪深き国、ニッポン

 今年もあと1ヶ月足らずで56回目の終戦記念日がやってくる。終戦は私が生まれるわずか15年前のことだったけれど、ものごころついた頃には、すでに戦後の影すら残っていなかった。その後、私たちは繁栄の限りを尽くし、そして今、どん底の不況にあえいでいる。

 犠牲者は、朝鮮半島から強制連行され、炭鉱で働かされた上、無縁仏として遺骨だけが残されていた。昨年12月、地元の在日韓国・朝鮮人の団体や市民グループ「在日筑豊コリア強制連行犠牲者納骨四季追悼碑建立実行委員会」の手によって、飯塚市に無縁仏の納骨堂「無窮花(ムグンファ)」が建てられた。その中に眠っていた55体の遺骨のうち、身元が分かったのは7人。そのうちのたった1人が遺族の待つ祖国に帰ることができたというニュースだった。強制連行の犠牲者の遺骨が遺族に直接引き取られるのは、戦後初めてだという。

 あの時代、この国が、過酷な働き手として、兵士として、または慰安婦として「強制連行」した人はいったいどれくらいいるのだろうか。もはや56年という歳月が流れ、今となっては遺族そのものの判明すら難しくなっている。今日本は、不良債権問題を10年間先送りにしたツケに苦しんでいるが、戦後処理のツケは、56年たってもまだ払われていないということが、分かる。そうか、もともと「先送り」でつないできた国だったのだと思うと、愕然とする。

 当時身重の妻を残して、見ず知らずの日本に連れてこられたこの犠牲者は、遺骨となって、自ら抱くことも叶わなかった娘の胸に抱かれて祖国へ帰ることができた。結末だけを見れば、とりあえずよかったねとは言えるけれども、娘がようやく父との対面を果たしたのが、異国の納骨堂の中だったという悲しみ、やるせなさ。それを第三者が容易に想像することはできない。今、教科書問題で日韓・日中問題は新たな火種を抱えている。このツケを、戦後56年を生きる私たちが背負うには、歴史認識があまりにも不足している。

ページのトップに戻る
 
表紙に戻る