プロローグ 〜初めてのお客様へ〜
このたびはSO−TAI−KIをお訪ねくださって、ありがとうございます。初めてのHPづくりなので、まだまだ未熟ですが、なるべく定期的に更新していくつもりですので、末永くよろしくおねがいします。
さて、「愛」と「死」と「お墓」がテーマと聞くと、なんか辛気臭いような、陰気なイメージを持たれるかもしれません。あるいは、よくあるアンダーグラウンド系サイトと誤解される向きもあるかと思います。
自慢するのも変ですが、構想約3年。それはわが友・林檎(仮名)の死に端を発します。林檎については個人のプライバシーの問題もあるため、詳細に触れることができません。とはいえ、私自身のことを語るにも、彼女の存在は不可欠なので、折に触れ、登場することでしょう。もし、興味のある方は2年前、ハービス旅大賞で賞をいただいた作品をご覧ください。
ただ、私の中ではそれまでにも伏線はありました。一人暮らしを始めたのは偶然にも生まれた街。父方の祖父母が眠る市営墓地もありました。小さい頃からよく訪れていたせいでしょうか。悲しい時、不安な時、私は自転車を走らせてよくお墓参りをしました。墓前に花と線香を手向けると、何故か心が洗われていくようでした。今までは無意識にも「お墓」という存在に救われてきたわけですが、結婚後、家族との関係も変化すると、お墓への興味はますます募っていきました。
人は死んだらどこへいくのか。そして、残された者は愛する人の死とどう向き合えばいいのか。古代より、人間はその恐怖と闘ってきました。だからこそ宗教が生まれ、民俗文化が形成されてきたといっても過言ではありません。
後年、パリの墓地に眠る芸術家たちのお墓を訪ねた時、お墓というのは「生きて」「愛して」「死んでいった」人間の証しなんだということをひしひしと感じました。だからこそ、多くの人たちが今も彼らのお墓参りをし、しばしその姿を偲ぶのです。確かなのは、彼らが残していった歴史を背負いながら、私たちは今を生きているということ。そしてどんな形であれ、次の人に受け渡していることです。
ところで、私はいったいどんなお墓に入るのだろうか。それとも違う形もあるのだろうか。あるいはいや応なしに死を迎え、お墓どころじゃないかもしれない。林檎の存在によって、また1995年の阪神大震災を体験して、私にとっても「お墓」の問題はますます近くなってきました。
そんなこんなで、この3年ばかりいつも「お墓」「お墓」と念仏のように唱えてきました。そのうち、「応募」という字を見ても「基本」という字を読んでも、「墓」としか見えないような、ちょっと墓フェチ状態に陥ってもいました。とはいえ、HPを開設してお墓の何について書けばよいのかについては、長らく迷いがありました。いったい私に何が書けるのか・・・。
そうこうしているうちに「お墓が足らない」とか「お墓なんてない方がいい、自然葬がいい」「夫と同じ墓には入りたくない妻が増えている」など、どんどん「お墓」の話題がクローズアップされてきました。結局、皆も同じことを考えてるんじゃないか。大切なのはやっぱり考え方なんだという思いに至りました。そしてやっぱり、お墓と愛はつながっていると・・・・。昔、「墓のない人生は儚い人生」というダジャレで一世風靡した墓石屋さんのTVCMがありましたが(関西地方だけかも)、私はそうは思いません。悲しいのは「愛のないお墓」なんですね。
そんなわけで、「つべこべいわずに、無手勝流で始めちゃえ」と、こんなコンテンツになりました。最初から完璧にいくはずもなく、当然のことながら未完成ではありますが、好きな映画や話題の本、お墓に関するニュースなども取り上げつつ、今まで訪れたお墓を素人の私なりにご紹介していきます。そして、SO−TAI−KIが1つの媒体として「愛」と「死」と「お墓」について率直に語り合える場になれば、本当に嬉しいと思います。
| SO−TAI−KIでは自由に書き込める掲示板を設けていません。冗談半分の心ないメッセージで、いたずらに誰かを傷つけるような行為を事前に食い止めるためです。 |
| その代わり、投稿は大歓迎です。経験談でも意見でも結構ですから、あなたなりの「お墓」の考え方をお寄せください。ご紹介したい投稿文は「LETTRE」のコーナーで公開させていただきます(お好きなウェブネームを添えてください。なければこちらで勝手につけるかも)。 |
その前言を大きくひるがえすつもりはないのですが、より自由にコミュニケートできるページを設けようと思い、開設後半年で新たに設置したのが「ひといき茶論(さろん)」。当サイトへのご意見、ご感想や簡単なメッセージなどは、ぜひこちらをご利用ください。
もちろん、LETTREも継続しますので、こちらもよろしくね。