内閣府が2004年に、20歳以上の男女6000名を対象にして「年齢・加齢に対する考え方に関する意識調査」を実施しました。その中の「どのような時期からが『高齢者』『お年寄り』だと思うか」という設問についてみると、最も多かった回答は「身体の自由が利かないと感じるようになった時期」(39.8%)でした。以下、「年金を受給するようになった時期」(23.1%)、「仕事から引退し、現役の第一線を退いた時期」(12.3%)と続きます。
私の場合、63歳で定年を迎えたとき、療養中だったので仕事から身を退くしかなく、直ちに年金を受給するようになったのですから、これで自分も高齢者の列に加わった、人生行路も「たそがれ期」入りだ、と感じて何の不思議もなかったということでしょう。
ただ、「第2の人生」が体調の改善に伴って、「おまけの人生」としての気楽さと同時に、それなりに充実したものにできるとの確かな手応えを感じさせるようになってきたのも、間違いのないところです。そう言えば、先の意識調査では、何歳からが高齢者だと思うかとの問に、ほば半数の人が70歳以上と答えています。健康を取り戻す過程で「60代も捨てたものじゃない」の気分がしてきたのも、また自然の摂理なのかもしれません。
ひたすら暮れゆくばかりではない、ときに夜明けを思わせる残照の中を往く場面だってなしとしない――そんな私の心象風景を自分なりに探訪した随想4篇を収録します。合わせれば、はからずも実質的に「六十代の自分史」となります。
そうこう言っているうちに、2013年12月に古稀を迎えました。さて、どのような七十代になるのか、したいのか。自分へのエールのつもりで書いた1篇も載せておきます。
「もはや病後ではない」。70代に入った自分自身に対して送る激励のエールです。六十多惑(2010年12月完結)稀代の大思想家・孔子と張り合おうなどとはゆめ思わないけれど、私とて概ね「四十不惑」でした。しかし、60代はうって変わった迷い多き日々となっています。「六十多惑」もまたよしと半ば居直って綴った、自己弁護めいた随想です。
「人生万事塞翁が馬」、「禍福はあざなえる縄の如し」、「災い転じて福となす」と慰めの言葉はいくつもあるのですが…。ベッドで手帳に書きとめたメモに基づいてとりまとめた闘病記です。
経済学者としての私
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快気、そして古稀 六十多惑 胃癌に出会うの記 鴨川の河畔にありて 京都大学の思い出
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