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           快気、そして古稀

                 (2014年1月上旬)




 

   【目次】      

1.新春の締まらない一幕
2.家族倍増のわが家
3.腰痛ベルトをギュッと締めて

4.体力向上と白内障手術の恩恵

5.講演を経ての快気宣言

6.元指導教授の特典と古稀の花束
7.敬老乗車証に思う「おらが春」
8.本屋めぐりを再開したけれど…
おわりに



1.新春の締まらない一幕



 2014年が明けて3日目の午後、ゆえあっての家族数倍増と孫たちの冬休みとでドタバタ度がかつてなく高まっているわが家に、ちょっとした静寂の時が訪れました。孫の一人が昼寝中に、もう一人も母親と近所に買い物に出かけたからです。早朝から雑事に追われていた私には、ほっと一息のコーヒータイム。カップ片手に、テーブルの花瓶におさまった花束をぼんやり眺めていて、ふと思い立ったのが外出でした。

 やっと来てくれたチャンスを無駄にしてなるものかと、先月もらったばかりの敬老乗車証をポケットにねじ込んで、そそくさと家を後に。バスと地下鉄を乗り継いで向かった先は繁華街の大型書店です。頼まれている原稿を書く上で目を通しておきたい専門誌を買うつもりでした。なのに、3軒本屋を回っても望みの品はゲットできず!

 すごすごと手ぶらで帰宅し、再びテーブルの前に座って花を見ながらコーヒーカップ片手に、今度はフーとため息。直後に家庭の喧騒がわっと押し寄せてきて、足腰の痛みに耐えての家事労働再開となった私でした。

 わずか2時間余の出来事、それもてんで締まらない話ではありますが、私自身には図らずも最近の身辺事情をぎゅっと凝縮した一幕のように感じられました。というのも、家族倍増、喧騒と家事労働、足腰の痛み、本屋めぐり、原稿執筆、敬老乗車証、花束といった語句は、今の私の心象風景を言葉で描こうとするさいのキーワードそのものなんですね。で、御用とお急ぎでない方にお付き合い願えればと思って、キーワード説明型の近況報告に歩を進めることにいたします。



2.家族倍増のわが家


 それなり経緯があって、一昨年の秋、私と妻、長女の住む家に、次女とその子2人が合流しました。戸籍上の形式はともかく、私の実感としては家族数の倍増です。この大家族化によって、かつてのひっそりした家の空気はどこへやら。とくに孫たち(小学校低学年の女児と保育園に通う男児)の在宅時間には、賑やかさや騒々しさが常態になってしまいました。それはそれで刺激的で面白いし、子供の喜怒哀楽と成長に日常的に立ち会える喜びも大いに感じています。
 その一方、家庭内の仕事量の増え方ときたら半端ではありません。人数は倍増であっても、孫たちがせっせと汚れ物の山を築いてくれるので、洗濯量は3倍以上に跳ね上がった感じです。ちなみに、わが家の洗濯機はかなりの容量(9kg)なのに、1回で洗い切れる日などあったためしがありません。多い場合は4連チャン、乾燥までコースに組み込むと機械は半日以上動きっぱなしと相なります。
 ドラム式洗濯乾燥機の有能さは認めるにしても、彼奴が乾いた洗濯物を畳んで収納するところまでやってくれるわけじゃなし。意外に人手を要するものですね、洗濯ってのは。おまけに酷使に耐えかねたようで、先々月には購入後2年しか経っていないのに部品が破損してしまいました。今のところ騙し騙し使っていますが、近々修理を頼まなければならないのが目に見えています。でも、無遠慮な酷使をやめるわけにはいかないのが辛いところです。
 食料や日用品の消費量も一気に激増。週一回の生協の宅配分を冷蔵庫やクローゼットの収容限界まで膨らませたのに、宅配の翌々日からスーパーやホームセンターに日参する始末。消費税の増税までにできるだけ備蓄をと思いはするものの、買っても買ってもストックができないので、今やあきらめ状態です。その他もろもろ、家事全般にわたって仕事量がどんと増え、次女が会社勤めをしている以上、相当部分を私と妻とで請け負う形にならざるをえませんでした。
 育児と教育への協力もなかなか大変です。孫たちを近所の公園に遊びに連れて行ったり、プラレールを組み立てたり、仮面ライダーや名探偵コナンをビデオ録画しておいて頼まれたときに見せてやったり、学校の宿題をせっついてやらせたり…。接触時間の長さと中身の多様さから、まるで自分たちの子育て時代を追体験しているように感じる時さえあります。
 ただ、いかんせん歳が歳なのでね。往年の体力は無く、子供のエネルギーに翻弄されてヘトヘトになるのが辛いところです。
 とまれ、昨今はやりの「イクジー」の一員として、私は今夕も学童保育(あるいは学校の部活、あるいは塾)から帰宅する孫娘を迎えに家を出るのです。疲れた足を引きずるようにして。内心では、2人で話しながら家路(「哲学の道」がそうです)をたどるのを楽しみに、ポケットにキャンディやビスケットをしのばせて、いそいそと。



 3.腰痛ベルトをギュッと締めて


 長女の長期療養に次女母子の同居が重なって、家事と介護に追われる私たち老夫婦には、もはや静かな余生など見果てぬ夢と化してしまったようです。「この歳になって人生で一番忙しい思いをしている」との妻の言は、決してオーバーではありません。
 体調不良が続く長女をこの数年とくに悩ませているのが歩行障害で、2年半ほど前から車椅子を使いだしました。購入した車椅子は、介助用(自走式ではなく介助者が押すタイプ)のもので、持ち運びに便利なように超軽量かつ折りたたみ式になっています。ネットで種類や特徴を調べ、バスやタクシーへの持ち込みの容易さを重視して、それに決めました。旅行にも便利だというので「旅ぐるま」なんて洒落た名前がついています。

 実は、長女の具合は、いったん本人が車椅子をシルバーカーふうに押して歩けるまでに改善しました。一昨年の夏には念願の家族旅行にも行けて、旅ぐるまの霊験あらたかだと喜んだのですが、とたんに思いもかけぬ大どんでん返し。旅先の宿舎内で長女が転倒し、右腕を脱臼骨折してしまったのです。かくて、振り出しに戻る、いや振り出しより一段とシビアな状態に急降下。

 恐怖感から体が硬直するのでしょう。起立と着席もスムーズにできない彼女を車椅子に乗せ、さらに交通機関を利用して外出させるには2人の介助者を必要とします。以前には私か妻のどちらかが介助すればすむケースも多かったのに、長女の怪我以来、3人で一体となって移動するしかなくなり、現在もなおその形が続いています。

 あちこちの病院に通うだけでも外出の頻度はけっこう高く、大変といえば大変です。だけど、家に引っ込みすぎずに世間の風にあたる機会を確保する方が望ましかろうとの考えから、逆効果にならない範囲で、散歩や外食などもするように心がけています。車椅子プラス3名のユニットの早期解消を望みながら。

 長女の通院・外出介助の車いす押し、部屋の片付け、食器洗い、ごみ処理、洗濯物の山との格闘、食料・雑貨の買い出し、孫娘のエスコート、わんぱく男児のご機嫌取り…――私がこなすヘルパー的業務も多岐にわたり、妻とどっこいどっこいの盛況ぶり。連日のハードワークときては足腰の痛みの慢性化も無理からぬところでしょう。
 目を覚まして体を動かすと、腰にギクッと電気が走るのが常です。日替わりで痛む箇所も幾つかあり、起き上がるのが一苦労。車椅子押しや重い荷物の持ち歩き、孫のお相手で疲れた翌朝は、いつもより多くの湿布で体のあちこちを飾り、おまけに腰痛ベルトを粋にギュッと締め、隠れたおしゃれを気取っても難儀なことに違いありません。
 一息ついてコーヒーを沸かし、パソコンをつけ、6時になったら痛む足でぎこちなく階下におりて洗濯機のスイッチをセットする。まだ明けやらぬ早朝の日課をこなせば戦闘モードです。さあ、敵よ来たれ。
 ちょっと嬉しそうじゃないって。そうなんです、実はそうなんですよ。私が、自由になる時間の大半を介護、家事、孫育てに費やしている生活に、身動きのとりにくさを痛感しているのは間違いありませんが、ひたすらそこからの脱出を願うほど辟易としているわけでもありません。私の中には、ヘルパー的スキルの向上に悦に入っている部分も確かにあるのですね。



 4.体力向上と白内障手術の恩恵


 「禍福はあざなえる縄の如し」とはよく言ったもの。歳に不相応の、きつい家庭内労働が知らぬ間に体を鍛える効果をもたらしてくれたのでしょう。私の体力水準はずいぶん上がったように感じます。
 思えば、2006年夏に胃癌の手術を受けてからは、著しく低下した基礎体力に常にもどかしさを覚えてきました。術後1年余の抗癌剤投与が終わって体調が上向きだしてからも、介護と家事の分担をこなせば余力などほとんどなし。手術の半年後には京大を定年退職したので、暇がなかったとは言いませんが、暇の大半は疲労回復に当てざるをえず、研究者らしい活動は申し訳ほどにもやれないのが実情でした。ところが、労働強化に反比例して余力の高まりを自覚し、単発ながら学会での討論報告や依頼された論文の執筆もできるようになったのだから、意外と言えば意外な展開です。
 これと幾らか関係しているのですが、昨春、在職中から全身状態が整うのを待って長々と先延ばしにしてきた白内障手術を受けました。ぐずぐずしている間に両眼とも白濁が進み、術前の2年ほどは日の当たらぬ場所では書籍や新聞の文字をほとんど読めない有り様でした。パソコンの画面もぼやけるのでネットでの資料の収集と読解もむずかしかったし、書棚に並んだ本の題名が見えなければ書店や図書館に通う気持ちもおのずと萎えてしまいます。ある学会で討論報告にたったとき、用意していた拡大印刷の原稿が全く読み取れなかったのには、さすがに愕然としましたね。視力低下の不便が日常生活全般に広がるに及んで、ついに手術に踏み切った次第です。
 1週間開けて片目ずつおこなわれた手術の後、コロコロ感が薄らぐのに何か月かかかりましたが、それと並行して本を読んだり書き物をしたりする楽しみが私のもとに戻ってきてくれました。まだ慣らし運転の段階でしたが、長女の通院介助の合間に鴨川のベンチに腰掛けて、涼風に吹かれながら休み休み1時間半ばかり消費税関係の本を読んだとき、なんとも安上がりな贅沢だと嬉しくなったのを思い出します。
 どうやら研究継続の可能性が開かれた。その恩恵を、それもさしたる痛みもなしに私に与えてくれた、高水準の眼科医学とうら若き女性の執刀医に感謝、感謝であります。
 もっとも、研究に関する明るい展望と言っても、それは身体機能面に関してだけのことで、環境条件はまだ目の調子がだいぶマシだった頃より輪をかけて不利になっているのが、客観的な事実です。鴨川の水面のきらめきに目を細めつつ、「デフレ脱却のための異次元の金融緩和」のようなアベノミクス並みの目眩まし的な奇策が私にもあってくれれば、と苦笑したことも忘れられません。



 5.講演を経ての快気宣


 体力がらみの話をもう少し続けると、私が研究者としての仕事とみなしている範囲内で最も敷居が高かったのは、長時間の講義や講演です。話す中身の用意なら、体がしゃきっとしていなくても休み休みマイペースでやれますが、いったん壇上に登ればそうはいきません。所定の時間きちんと起立して、いろいろ気配りしながら語り続けるのは、相当な重労働です。
 かつては1日に4コマも5コマも講義してひどく疲労した後でも、とりたてて重労働だなどと感じたことなどなかったのに、胃癌の手術を機に感覚が一変しました。たまの機会に講演をしても、椅子に腰掛けて話す場合ですら30分もすれば思考のまとまりがなくなり、1時間ももたずに意識が遠のいてギブアップ。その点は、癌完治のめどとされる5年を過ぎても改善なしでした。
 しかし、先述の無意識の筋トレによる体力回復を実感するに及んで、ひょっとしたらこのハードルだって越えられるかもしれないとの思いが頭をもたげ始めました。それとドンピシャのタイミングで実地に試してみる機会を与えられたのは、時の氏神の粋な計らいだったのかもしれません。具体的には、大阪のある大学の教授から、アジア関係のワークショップで社会人大学院生を相手に講演をするようにとのオファーを受けたのでした。
 渡りに船とばかり、とはいえやたら張り切ってではなく、むしろ臆する心に突撃の号令をかけて、承諾の返事をしました。届けた演題は「サムスンとアップルの特許紛争」。私が研究対象の一つとしてきた知的財産権問題の領域から、世界的規模で関心が集まっているホットなイシューということで選んだものです。これを機会にじっくり勉強するのもよしと、数か月がかりで準備にあたりました。パワーポイントの使い方も、書斎にプロジェクターとスクリーンを設置して、ばっちりおさらいしました。
 実際に演台に立ったのが昨年の晩秋でした。肝心の講演の出来はさておき、喋って質問に応えて約2時間もふらふらせず立っていられたことに自分でも驚きました。「もはや病後ではない」――遅まきながら快気宣言を発したい心境でした。



 6.元指導教授の特典と古稀の花束


 大阪での講演の2か月ほど前に、京大の研究棟の一室で「国際政治経済学研究会」の第1回会合が開催され、私も呼びかけを受けて参加しました。それまでにも幾つかの研究会に顔を出したことはありますが、あまりなじみのない学問分野に関する知識や教養を深めようといった、いささか野次馬的な動機にもとづいての行動でした。私自身が専門としてきた領域に直接関わる学術的な議論の場に身を置いたのは、退職後これが初めてです。
 正直に言って、専門的研究会への参加も私には越えにくいハードルでした。半日を通して複数の報告・討論に真剣につき合うのには、当然、体力面の心配がありました。でも、それ以上に、心理的な縛りが作用したのかも。冷静に自己分析すれば、こんな気持ちだったのでしょう。
 ――抗癌剤治療中に迎えた定年を機に研究者廃業もやむなしと覚悟したのではなかったか。研究再開の欲求が芽生えてからも、健康と家庭事情の制約が強くて「趣味の学習」の域にとどまっているのが実情だ。それなのに、今さら専門家面をし直したいと望んでいるなんて思われたくない。たとえ望んでも「昔とった杵柄」が通用するような甘い世界じゃない。よって敬して遠ざけるべし。
 ただし、他方で、時々訪ねてきてくれる若い研究者たちと学問的な会話をしたり、学術書の書評を引き受けたりできる程度の知見は備えておきたいとの見栄もあって、ひそかに独習を重ねてはいました。そして、かつて京大大学院の坂井ゼミに出入りしていた人たちが、各地の大学等に職を得たり、留学したり、昇進したり、博士号を取得したり、専門書を公刊したり、個性あふれる家庭を築いたりするのを幾度も見るうちに、私の意識も変化しだしたようなのですね。
 私自身が研究会で精度の高い研究成果を発表するなんてことは、夢のまた夢だろう。けれども、自分なりに研鑽を積む過程で気づいた点を生煮えのままでも伝えられれば、それでもOKなのでは。すでに研究者として立派に独り立ちして己の道を歩んでいる人たちが、ひょっとしたら私の提起をヒント(あるいは批判材料)にして、私には及びもつかない成果を生み出してくれるかもしれない。時とともにそんな元指導教授の特典に心惹かれるようになった次第です。
 私の健康や心情の動向を察知してくれたのか、元大学院生たちが中心になっての国際政治経済研究会の立ち上げは、私にはきわめてタイムリーでした。初回の会合に参加して、多少は忸怩たる気分を残しながらも、改めて元ゼミ教員としての誇りと生き甲斐を感じました。無理のない間遠な頻度で回を重ねるそうなので、できる限り出席したいと思っています。私も面子にかけて研究面で皆に伍していくだけの気概を失うまいと、ひそかに自分に発破をかけつつ。
 昨年末には、やはり元院生たちが私の古稀を祝う会を開いてくれました。あわただしい年の瀬に、それもみぞれ混じりの雪が舞う寒い夕刻に、鹿児島、北九州、千葉、東京など遠方の住人を含めて多忙な若い先生方に集まっていただき、大感激。中学・高校の同級生だった妻もお誘いを受けたので、介護や孫の世話を妻の妹と姪に頼み、夫婦二人して祝っていただく気分で楽しい語らいのひと時を過ごさせもらいました。花束と文集、おまけに素敵な記念品までプレゼントされ、いみじくも義妹が口にしたとおり「教師冥利に尽きる」の巻でした。
 淡い黄色のバラ、薄紫のスイトピー、私には名前のわからない大輪の紫色の花…。わが家とっておきのボヘミアガラスの花瓶に生けられた花束の花たちは、今もダイニングのテーブルの上に鎮座まします。



7.敬老乗車証に思う「おらが春


 古稀といえば70歳。京都市では70の誕生月の初日から敬老乗車証を使えることになっており、私も昨年の11月中に手続きをしてもらっておきました。
 昔は無料交付だったのに7年前に負担金制度(所得に応じて年0〜1万5千円)に切り替えられたので、「もらった」の表現は不適当かもしれません。でも、私個人の感覚では、もらったようなものなのです。何分にも、市内のあちこちの病院、スーパー等に、介助係や買い出し役として足繁く通う生活を続けているものですから。市バスを利用する頻度も高く、そのペースからして元を取るのに何か月もかかろうはずはありません。ましてや地下鉄にも乗れるとなれば…。
 事実、先月以来、私は敬老乗車証の恩恵に大いに浴してきました。再来月から妻も市バス・地下鉄全線フリーパスの優れものを携帯できるようになるのを、年金家計への援軍をお迎えする気持ちで心待ちにしています。ああ、それなのに。
 私が交付を受けた翌日に、ネットのニュースを拾い読みしていてギクッ。京都市長の諮問に対する福祉審議会答申の内容を報じた新聞記事が載っていて、敬老乗車証制度の抜本的改革が迫っていることを知りました。高齢化の進展に伴う財政負担増を歯止めし、利用頻度による利用者負担の不公平を正す目的のもとに、近隣の神戸や大阪にならった応益負担方式の導入に踏み切ろうというのです。基本的には1乗車当たり100円といった形に変えられるようで、高頻度利用者にとっては間違いなく負担の大幅増につながります。
 移行の準備に何年かかかるとはいえ、敬老乗車証の有り難みの半減がすでに決定的だとは。でもって、「めでたさも中ぐらいなりおらが春」と相成り候。
 敬老乗車証が手に入った直後に、今度は区役所から国民健康保険高齢受給者証が郵送されてきました。70歳の誕生日の翌月からは、私だと今月から、これを国保の保険証に添えて受診した医療機関に提示するわけですね。そうすると、今まで3割だった一部負担金の割合が原則2割に減額されることになっています。それだけでも結構な話ですが、実際には7074歳への軽減特例措置が続いてきたおかげで1割の負担ですみます。再来月に70歳になる妻の場合は、持病のために私よりずっと医療費がかかるので、4月から窓口負担が1割になってくれれば家計面で大助かりというものです。
 ところが、ここでも暗雲が頭上に広がっています。昨年12月に国会を通過した社会保障改革プログラム法にもとづいて、来年度から7074歳の医療費窓口負担割合の引き上げがなされるのが確実だからです。報道によると、4月以降に新たに70歳に達した人から順次2割負担を適用する方向にあるようで、それだと私たち夫婦はぎりぎりセーフ。でも、本当にそうなのかどうか、私には知るべくもありません。仮に私たちは2割の適用を免れたとしても、わずかに年下の人たちの不運を思えば気分が沈みます。やっぱり、めでたさは「中くらい」ですね。
 中ぐらいでも、いや小であっても、めでたければまだ救われますが、年金生活者に吹く風の容赦のなさときたら…。骨身にしみる冷たさが増すばかりです。
 介護サービス利用時の自己負担引き上げの取り組みも、近く本格化するでしょう。頼みの綱の年金については、最初に減額ありきです。過去の物価スライドの温情的な運用から生じた特例水準の解消をうたって、本来水準にまで段階的に給付を減らす措置の第一弾が、昨年10月に実施されました。今年の4月に2回め、来年4月に3回めの引き下げが予定されており、計2.5%のマイナス改定です。しかも、その後には、「マクロ経済スライド」が控えています。物価や賃金が上昇しても、年金給付額はその伸び率よりスライド調整率(0.9%)分だけ低い増加率に抑えられる。過酷な時代になったものです。
 かてて加えて4月には消費増税、一体どうなるのだろう。こんなことを書いていると、どこかから「あんたも財政学者の端くれなんだから、個人的な嘆きや不安もいいけど、きちんとした対策を考えなさいよ」との声が降ってきそうです。微力ではあれ、その努力を忘れまいと自戒する「おらが春」であります。



8.本屋めぐりを再開したけれど…


 白内障手術後の両眼のコロコロする異物感がおさまった昨夏から、暇な折にあちこちの書店に入ってみるようになりました。メガネをかけていれば書棚に並ぶ書物の題名が見えるし、メガネをはずせば本の中身を読み取れる。メガネの着脱は面倒でも、2年ばかり不可能だったことが出来るようになって、本を渉猟する楽しみを再認識しました。
 もっとも、本屋めぐりに熱心だったのは、ほんの2か月ほどの間にすぎません。現代政治経済分野の書物群をくまなく眺めわたしても、私の興味を引く題材を扱っている新刊図書は新書や四六判のビジネス書ばっかり。ビジネス書に関してどうこう言うつもりはないけれど、平積みされて妍を競う各社の新書の場合には、昔日の岩波新書の濃密な重量感を知るだけに、当て外れの失望感にげんなりすること度々です。
 魅力的なタイトルとは裏腹に、内容はすかすかで論文1本分の重みもなし。まともな論証抜きに、自説を声高に唱えるだけ。こりゃなんだって思うケースの多いこと。新書の性格変化に無理解な古い奴なのかもしれませんが、闇雲に新書を漁るよりもテーマの近い政府文献・資料をネットで集めて読むほうが勉強になると悟ると、書店の誘引力もガタ落ちになりました。
 とはいうものの、必要とあらば本屋めぐりを厭いはしません。先日も、まだ三が日内なのに、殊勝にも書評原稿の準備に取りかかる気になって、掲載される学術雑誌の最新号を探しに出かけました。1行の文字数や小見出しの付け方など、書評欄の体裁を知っておきたかったからです。
 学界では名の知れた歴史のある専門誌で、一昔前ならどの大手書店でも買えました。ところが、今回は繁華街の大型書店を3つ回っても、同誌の姿は見ずじまい。3軒目で店員にたずねると、初めて聞く雑誌名だとのこと。帳簿を調べてもらったら、入荷の実績なしでした。
 長い出版不況にもみくちゃにされる中で、書店の性格も変化してきているのでしょう。研究者としては、売らんかな主義に安易に乗っからずに、かつ発表媒体のミニコミ化に抗して、研ぎ澄ました論考をより広く伝えるための方途を見出す必要が急速に強まっているように、私は感じています。とくに、はたして電子書籍がこの思いにかなう類のものなのかが、私の当面の関心事です。
 ごく端緒的なレベルながら、電子書籍の可能性を自分なりに試してみるのも悪くないなと思ってもいます。夢想に終わる公算が大ですが、「70の手習い」よろしく電子書籍の個人出版にチャレンジしてみるのも一興とばかり、Kindleダイレクト出版の手引書を買い求めました。電子媒体を使おうとして紙媒体の本を買うなんて、ちょっと笑えます。
 大きな声では言えませんが、実は私、まだ電子書籍リーダーのKindleを持っていないのです。ごたくを並べる前に、買うものを買えと叱られそうですよね。




 おわりに


 長い、とんでもなく長い近況報告になってしまいました。この長さを書き切ったのは、一つには体力回復の証、また一つには古稀を越えた老人のうだうだ習性の証とご理解いただければ幸いです。たとえ長話の聞き手がいなかったとしても、それはそれで構いません。70代に入ったばかりの私の前向きな心境を整理して記し、もって70代を生きる私自身へのエールにしたい、と思っているからです。


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