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第七章 エンマコオロギ (4)

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2003/10/03 Fri. 13:40

 県住につく頃には太陽が雲に隠れ、風もないどんよりとした天気になっていた。
 葺合家に誰かが帰ってきたようすはなかった。僕は玄関ドアに背中をくっつけて通路の塀ごしに向かいの畑を見おろした。
 やはりそうだ。地上からこのドアを監視するなら、例の空き倉庫がぴったりの位置にある。
 コウモリがいなくなっているのを見たときに、気がつくべきだった。
 階下におりて車道をわたり、ナスからカブに植え替えのすんだ畑をまたぎ越した。倉庫の裏にまわり、ぽつぽつと並んだ窓のうちにひとつだけ、割れたガラスをきれいにはずした枠をみつけた。
 そこから中にもぐりこみ、ひび割れたコンクリむきだしの床に降りたった。しきりのない大きな部屋はがらんとしていたが、空気は思いのほか暖かく、かすかに何かを燃やしたにおいがした。部屋の中央からすこしずれた位置に木箱と灯油缶と平らな紙製の菓子箱がひとつずつ並べて置いてあった。
 木箱に腰をおろして見上げると、正面の高窓越しにちょうど四階のドアが見えた。視線を下げると灯油缶の中に木っ端の燃えかすがたまっていた。
 四角い缶にたてかけられた太い針金を持って中身をかきまわしてみた。火は完全に消えていた。
 背後に人の気配がした。僕は振り向かずに声をかけた。
「ゆうべ、ここから僕が見えていた?」
「声かけよか、せんど迷ぅた。他のやつが外におったから知られとなかった」
 キアは僕の隣に片膝をついて、手にした紙袋の中身を菓子箱にぶちまけた。小指大の黒っぽい毛虫が三十匹ほど。モンクロシャチホコの幼虫……いわゆるサクラケムシだ。
「それが晩のおかず?」
「クソ出さしてもてから焼く」
 さらりと言って菓子箱の蓋を閉めた。
 この場所から一番手近で手に入る食料なんだ。お父さんの帰りを待つ間、遠出はしたくなかったんだな。
「昨日一日、ここで張り番してたのか」
「出張中は夜勤も多いからな。何時に帰ってくるとか、決まってへん」
 玄関ドアの前に居座ったって隣近所に助けを求めたって良かったろうに。誰にも知られないように、ひとり隠れて待ち続けるのがお前の流儀なのか。
「さて……お前、誰を連れてきたか知っとんか」
「え……」
 すっかり錆ついていると思っていた倉庫の鉄扉が、がちゃがちゃと騒々しい音をたてて開けられた。
 ひょいと顔をのぞかせたのは堂島さんだ。室内を見わたしてから僕らの前まで大股で歩いてきて、おもむろにあごをしごいた。
「ふむ。江坂たちとは別行動やってんな」
 キアはこわばった僕の手から針金を抜き取り、先端をぴっと堂島さんにむけた。
「お巡りが他所んちに押しいってええんかよ」
「不法侵入はそっちやろが。俺はちゃあんとあっちの畑におった持ち主の許可を取り付けてきたわ」
 刑事さんは時代遅れの不格好な鍵を振って見せた。
 僕はようやく事態を飲み込み、木箱を蹴ってたちあがった。
「どういうことですか。僕をつけていたと?」
「捜査には公平な情報が必要やからな。誰かひとりの言い分だけで事実がわかるわけはない。きみの報告も裏をとらせてもろてただけのことや」
 キアの腕がひゅんとしなった。針金がまっすぐに飛んで鉄扉にあたり、がん、と大きな音をたてた。裏に隠れていた人影が泡を食ってとび出した。
「千林!」
「僕を狙ったな。見たでしょう、刑事さん。こいつが僕を……」
「威嚇した。ちゃんと的ははずしとった」
 堂島さんはぴしゃりと言い放ち、千林を黙らせた。
「お前の訴えも今んとこ証拠なしや。葺合が悪いとは決まっとらん」
 胸がむかむかしたが、今はそれどころではない。刑事さんに伝えなくてはならないことを思い出した。
「僕なんかより見張って欲しいやつがいます。宇多野先生です。保健室から持ち出した証拠品を……」
 携帯の着信音が鳴り出し、僕の声をさえぎった。
 堂島さんは最初めんどくさそうに携帯を開いて耳にあてた。
「しばらく連絡は控えろ言うたやろが……」
 話を聞くうちに、その表情がみるみる険しくなった。
「くそぼけどもが。俺を出し抜いたつもりか」
 たたきつけるように携帯を閉じ、三人の中学生に向き直った。
「お前ら、今すぐ学校へ戻れ。この週末は家族か教師の目の届くとこでおとなしゅうしてろ」
「何があったんですか?」
「交通整理中の警官の目の前で、複数の中学生が夫婦のライダーを突き飛ばして輸入モンのバイクを強奪した。すぐに検問と捜索が始まる。お前らが網にかかったらややこしい」
「今まではバイク泥なんてまともに取り締まりもしてなかったのに……」
「被害者の女性が後続車にはねられて腰の骨を折った。強盗致傷や。今までとは罪状のケタがちゃう」
「あのずっこいグループの連中がそんなドジを踏むはずが……」
「はめられたんや。誰かが事件をお膳立てして、警察に捜査の口実をくれた」
 信じられない。教師たちすら手玉にとってきた江坂の上を行くやつがいるなんて。
 キアが肩をすくめた。
「出戸なら、やりかねん」
「そんな。だって……」
 父親じゃないか。そう言いかけてことばを飲み込んだ。
「追い立てられる連中と鉢合わせすんのも危ない。お前、江坂に目ぇつけられとうからな」
「でも、宇多野先生が……」
 キアがふいに高窓を見上げた。視線を追うと、葺合家のドアがちょうど閉められるところだった。
「帰ってきた……」
「お父さんだ」
 キアの顔に動揺がはしった。
 意外だった。すぐに家へ向かって走り出すかと思ったのに、立ちつくしたままぐずぐずと動かない。僕にちらと目を向けてすぐにそらした。
 怯えている?こいつが?
「早く行かないと……また出て行っちゃうかも……」
 おずおずと声をかけた僕と、なおも動けずにいるキアを見比べて、堂島さんはふん、と鼻を鳴らした。
 そうしていきなりキアの背後から手をまわして軽々とその身体を持ち上げた。
「なっ……離さんかい、ぼけぇ!だぼぉ!」
 隙をつかれて不覚を取った。キアが顔を真っ赤にしてののしった。
 いくら敏捷な彼でも相手が堂島さんでは体格と腕力で圧倒されてしまう。
 両手両足をがっちり固められ、いくらもがいても逃れることはできなかった。
「親子げんかしてもて詫びのいれ方がわからんのやろ。俺がかわりにとりなしたるがな。外の騒ぎがおさまるまで家から出さんとってくれ言うてな」
 堂島さんはそう言い放つと、そのまますたすたと倉庫を出て行こうとした。
「あとの二人、一緒に学校へ戻れ」
「させるか!烏丸には俺がついてくんや、おろせ、クソ刑事!」
 千林は僕をにらんで拳をつきあげた。
「なんでこいつと……」
「お互いのアリバイや。職質にひっかかりとなかったら、さっさと動け」
「烏丸!絶対ひとりになるな!宇多野なんかほっといてええから!」
 刑事さんはわめき続けるキアを抱いたまま県住に向かった。
 呉越同舟か。僕は堂島さんを見送り、千林を手招きして駆け出した。後ろを確かめはしなかったが、同級生は黙ってついてきているようだった。
 キアのことは心配だったが、僕が彼の父親に何を言えるだろう。堂島さんなら大人の男同士でうまく話をしてくれるかもしれない。
 国道を避け、未舗装の旧街道を走りながら千林に声をかけた。
「僕を恨むのは勝手だけど、葺合に手を出したら承知しないぞ」
「あの低脳が転校してきてから、すべてが狂いだしたんだ。もっと早く逢坂かどっかで捕まえてくれてりゃ良かったのに。とんだ迷惑さ」 
 逆恨みだ。やっぱり楠さんのときにふんじばってもらうべきだった。
「僕の人生、終わっちまってるんだよ。親にも教師にも見離されたしな。こうなったらお前らも一緒に引きずり落としてやる」
 どんな顔をして言ったのか見たくもなかったが、千林の声はどす黒い憎悪に満ちていた。

 僕らが教室へ駆け込むのと同時に六限目開始のチャイムが鳴った。
 すぐ後に続いて階段をあがってきたのは教科担当の教師ではなく、制服の警官と担任の教師たちだった。
「何をぼさっとしてる。さっさと席に着け」
 宇多野先生がさっきよりしゃきっとして見えるのは、そばにいる警官のせいだろうか。
 スーパーの塩鯖のような目をした生徒たちと一緒に追い立てられ、僕はうっかり椅子の座面を確かめずに腰をおろしてしまった。
 ぐちょり、と柔らかいものが大腿に押されてはみ出す感覚がした。
「本校の校区内で中学生によると思われる重大事件が起きた。警察からの要請で、今から点呼をとるからな」
 ついさっきまで警察を目の敵にしていたくせに。江坂に見切りをつけて立場の強いほうにくっついたな。
 スラックスに生暖かい液体が滲みこみ、裾までつたい落ちていくのと同時に、有機物のねっとりした臭気が漂いのぼってきた。
「今後の方針については明日の臨時全校集会で連絡する。それまでは家でおとなしくしていろよ」
 横一列離れた席の大宮が、こちらを見て真っ青な顔になった。震えた肘に押されてノートが床に落ちた。御影が黙って拾いあげた。
 僕は女の子たちから顔をそらし、無表情を装って席に座り続けた。

 事件はTVのローカルニュースでも取り上げられた。けがをした女の人はそこそこ有名な前衛舞踏家だという。火事騒動とのつながりで、メディアの論調は学校と警察に批判的だった。これが本当に出戸の仕組んだ罠だったとしたら、江坂はパトロンから手ひどく裏切られたことになる。
 堂島刑事の接近を知ってのトカゲの尻尾切りか。

 夕食後、珍しく父さんが僕の部屋を訪れた。
 作業中の机上には工具と一緒にプラモデルの部品を広げて偽装したつもりだったが、電池やハンダごてを何に使うのかと問いつめられたらごまかしきれるものではなかっただろう。
 僕が内心どきどきしながらプラモを組み立てるふりをしている間、父さんはゆったりとドアにもたれて待ち続けていた。三十分以上経過して、ようやく僕から口を開くつもりはないと判断したようだ。
「親に話しといた方がいいことはないかね」
 前置きなしの直球か。
「制服を汚しちゃったことは母さんに謝ったよ。パンツと靴下は自分で洗ったし」
「どうしてそんなことになったか説明はしたのか」
「雑巾の下に何があるか気がつかずに座っちゃったんだって」
父さんは腕を組んでじっと僕の顔を見た。まだ出て行ってくれそうにないな。
「御影さんの奥さんが心配してくれてたよ。最近、涼香ちゃんと仲たがいしてるのかい」
 あのおせっかい女。つい、いらっとした声になってしまった。
「小さいときから家が近かったってだけで、仲良くしなきゃならないって法はないだろ」
「母親どうしは仲良しだからな。最近クラスの雰囲気があまり良くないらしいね」
 御影のおばさんならもっとオーバーな表現をしたはずだ。父さんがどこまで知ってるのかわからないけど、僕から直接説明をさせたいということか。
「話すことなんて別にないんだけど」
 父さんは表情も声のトーンも変えなかった。
「母さんが旅行をキャンセルすると言い出してね」
 僕は思わず椅子をまわして父さんの顔を見た。
「そんな……久しぶりの同窓会なんでしょ。半年も前から日程調整して、新しいスーツまで買ったのに」
「保護者向けの説明会を開けと学校にねじこんでいる人たちがいるようでね。明日の全校集会には間にあわなくても、明後日の日曜日には実現するかもしれない」
「そんなの、わざわざ予定を変えてまで参加しなくたって……」
「母さんから聞いていなかったのかな。二週間ほど前から、担任の先生が頻繁に電話をくれるようになったそうだ。なんだか要領を得ない内容なんで、のらりくらりとかわしていたらしい。それが段々けんか腰になってきたもんだから、とうとう私にお鉢がまわってきたんだが」
「……僕がぐれてるとでも言ってたかい」
「私が出た途端に通話を切られてしまった」
 あのタコ担任、僕の知らないところであることないこと母さんにくっちゃべってたのか。僕は腹立ちまぎれにベッドにどすんと座り込んで、枕に拳をたたきこんだ。父さんの話はまだ終わらなかった。
「いったい学校で何が起きているんだい?いいかげん、説明してくれてもいいんじゃないかな」
「火事もバイク盗も、悪いのは一部の生徒だけだよ。僕とは関係ない」
「母さんはな、聡が困ったときに父さんには話をしづらいんじゃないか、自分が家にいないと間に合わないことがおこるんじゃないかって心配してるんだよ」
「そんなこと……取り越し苦労だよ」
 父さんがじっと僕を見ている。わかっていて顔をあげられない。
「心配しないで出かけておいでって、僕から母さんに説明してくる……」
「私から言っておくよ。聡と二人きりでは話ができないんじゃないかと疑われているもんでね」
 冗談めかしてそう言ったあと、父さんの声はまたきまじめになった。
「大事なことは、本当に話してくれるんだな」
「……うん……」
 ようやく出ていってくれた。僕は枕に顔を埋めてぐったりとベッドにのびた。
 親にばれないように立ちまわっていたつもりが、見透かされ泳がされてたってことか。
 だからってここからひきかえすわけにはいかない。本気で止めに入られたらどうするか、それはその時に考えよう。


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