第六章 ヒラタシデムシ (4)
2003/09/27 Sat.
古書店には約束の十分前に着いた。
長居は五分遅れて現れた。このあたりの呼吸は小学生の頃と変わっていない。
目配せされて一緒に店を出た。広い駐車場の前には国道がのび、トラックや乗用車がびゅんびゅんと行きかっていた。
長居はまっすぐに古書店の隣のパチンコ店に向かった。ファミレスと見間違えそうな妙に明るい配色の店舗から、じゃかじゃかと騒々しい音楽が聞こえてくる。壁面は総ガラス張りで、目隠し模様のストライプの隙間から中でゲームにいそしむ人たちが見えていた。
長居はしばらく店の中に目をこらしていたが、やがてちょっとがっかりした顔でその場を離れた。
国道を駅から遠ざかる向きにてくてくと歩き、さらに二軒のパチンコ店をのぞいた。
生徒だけで校区外をうろつくのは校則違反だったけど、二人ともそんなことは口に出さなかった。
四軒目でようやく目当てのものをみつけたようだ。長居は店頭の宣伝のぼりに半分隠れるように立ちながら、僕にささやいた。
「左端の列の、一番奥から三つ目」
示された席では、ポロシャツの袖をまくった細身の男の人が台にかじりつくように座っていた。
無精ひげの生えた青黒い顔。玉の動きを凝視する目が憑かれたようにぎらぎらと光っている。
狙っていた的をはずしたのだろうか。いきなり台のガラス面を叩いて罵声をあげた。
「宇多野先生……」
教室では見せたことのない殺気だった姿に愕然とした。
いや、一度だけ、ピアスのことで大宮を問いつめたときには片鱗を見せていたということか。
残り少ない玉の一個が手元から転がり落ちた。先生はあわてて両膝をつき、玉を追いかけて這いまわった。
すぐ隣の席からスーツ姿の若い男がすっと立ちあがった。深紅のメッシュもこの店内では違和感がない。むしろ、ここが自分の住む世界なのだと主張しているようにさえ見えた。
江坂は自分の台の下に置かれた満杯の玉ケースを革靴のつま先で宇多野先生の足元に押しやった。スーツのポケットからオイルライターをとりだし、慣れた手つきでタバコに火をつけた。
一服くゆらしてふいにこっちを向いた。
あわてて身を隠そうとした僕らのことなど、とうに気がついていたんじゃないか。へらっと笑って隅の売店に向かい、売り子の女の人と馴れなれしく話しはじめた。
宇多野先生はあてがわれた玉を自分の台に流し込むのに忙しく、僕らに気づかないどころか江坂の動きさえ気にとめていないようだった。
僕らは店を離れ、国道を引き返した。
「……先生のこと、どうやって知ったんだ?」
「最初は偶然。ひとりで買い物に出るようになって、夕方に西明智の駅前まで来てた」
西中の生徒と顔をあわせたくなくて遠出してたのか。
「そんときは駅のすぐそばのパチンコ屋で店員ともめてた。トラブるたびに転々とお店をわたってるみたいだ。もうずいぶん東まで来ちゃったね」
先生も、西中の生徒には会いたくなかったわけだ。
「なぜ僕にこのことを教えようと思った?」
「知りたかったんだろ」
「だからなぜ僕が調べてることを……」
「……千林から、いろいろ聞いたよ」
長居はちらっと僕の顔を見た。僕はわざと視線をそらした。
「あいつが何をやったか知ってるのか?」
「全部は教えてくれなかったけど、見当はつくよ。保育園から一緒だったし。何でも人のせいにするヘタレなのはわかってる。でも……」
「長居のつきあいに口出す気はないけどさ」
「あいつ、もう僕のとこにも遊びに来れないんだ。烏丸ががんばったぶん、成績順位が下がっただろ。親がマジギレでさ。時々電話はくれるけど全然元気ないんだ。SFマンガのコレクションも全部捨てられたって言ってた」
「……身から出た錆だ」
「あいつと仲直りしてくれない?」
想定外のことばに足を止めてしまった。長居は申し訳なさそうにうなだれた。
「烏丸にくっついていたかっただけなんだ。他にかまってくれるやつなんていなかったしさ。方法はまずかったんだろうけど」
「まずいなんてもんじゃなかった」
無実の友達を責めているみたいで気分が悪かった。それでも長居はひきさがらなかった。
「許してやってよ」
「……もう、無理だよ」
和解したい気持ちがなかったわけじゃない。残された可能性を踏みにじったのはあいつのほうだ。
長居は大きなため息をついた。
「千林には宇多野先生にかかわるなって忠告しといたよ。烏丸も気をつけてくれよ」
2003/09/30 Tue.
「養護の先生が退職しました」
「はあ?」
「表向き病気療養とか言って実際はクビです。そりゃあ管理がルーズだった先生の落ち度もあるけど、ほんとに悪いのは書類を持ち出したやつで……」
「ちょっと待ちぃな、聡君。話が見えんぞ」
「すみません、のぼせちゃって。刑事さんは知らなかったですね。ちょっと前、一部の保護者から学校に問い合わせがあったんです。生徒の個人情報が……学校以外には知らせたことのない健康状態や家族の病気なんかのことが、よくわからないものを売ってる会社や怪しげな宗教法人に流れているって」
「その流出元が保健室の教師やてか」
「壬生先生は自分からそんなことする人じゃない。他の誰かが保健室に入り込んで健康調査票か何かを持ち出したんですよ。売り込み先に心当たりのあるやつが」
「それが、宇多野か江坂やて言いたいんか」
「江坂にそそのかされて宇多野先生が動いたんでしょう。かたや厄介払い、かたや小遣い稼ぎだ」
「証拠もないのに、えらい決めつけやな」
「だからなんとかして証拠をみつけて欲しいんです。学校のなかで犯罪行為が横行してるんですよ。ほっといていいんですか」
「そないにかっかすんな。そもそも情報の流出があったことも、保健の先コに責任があるゆうんも公式発表やないんやろ。被害の届けも現認もない事件の捜査ができるか」
「校長はスキャンダルを隠すのに必死です。壬生先生に責任をとらせたことだって、クレームをつけた保護者だけ呼んで内々に話をつけようとしてるんだから。宇多野先生の行動なんて絶対に認めないんだから」
「せやかて、俺にどないせえっちゅうねん」
「学校に手が出せないんなら、さっさと江坂をつかまえてくださいよ」
「わかっとる。物事には段取りがあるんや。今、微妙なとこやねんから邪魔せんといてくれ」
「そっちから協力しろって言っといて今さら邪魔だとか……」
がちゃりと通話が切られた。
僕は受話器をフックにたたきつけ、足元の通学鞄をつかんで公衆電話ボックスの扉を押し開けた。
とたんに強い風にあおられて目が開けられなくなった。まばたきをくりかえして顔をあげると、数メートル離れた民家の塀に誰かがさっと身を隠すのが見えた。
もう追いかけても間に合わない。あれは男子生徒の制服だ。校門を出たときからつけられていたのか。
たぶん千林だ。あいつは長居から僕のことをどんなふうに聞かされているんだろう。
唇にはりついた砂粒を手でぬぐった。今のあいつは僕の足をひっぱることしか頭にない。次の中間テストで僕が手加減したところで、成績を取り戻すのはきっと難しい。
また強い風が吹いて庭木の枝をがさがさと揺らし、まだ緑色の葉をちぎり飛ばした。
台風が接近しているのだ。雨は降り出していなくても空気は湿り気を含んでどんよりと重かった。
額に手をかざして歩きだそうとしたとき、ふわりと足元が持ち上がってすとんと落ちた。一呼吸おいてゆらりと風景が傾いた。
風のせいじゃない。地震だ。
ブロック塀から離れて道路の反対側の生け垣に身を寄せた。しばらく息を詰めて待ちかまえたが、それ以上の揺れはこなかった。
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