長崎坂づくし   東山手と南山手、小島周辺の坂


坂の名前
別名
町 名
場所と名前の由来
相生地獄坂
(あいおい)
 相生町12.15.
16.17丁目
石橋の電停を西に行った方向にある。 コーポ相生〜相生町公園〜大浦展望公園〜リンガー公園の坂段をいう。この坂を上りきった所が、グラバー園のドッグハウスの真裏に出る。
上り口に「第一相生町自治会」が作った看板があり「相生地獄坂 体力作り坂(223段) 100Kcal(上り70Kcal 下り30Kcal)」と書いてある。
このすぐ近くに、 斜行エレベターが2002年7月に開通しました。
新相生通り
(相生地獄坂
バイパス)
 相生町
10.11丁目
大浦の諏訪神社横(東側)の坂道。この坂を上りきり横道を行くと、相生地獄坂に続く。
上り口に「第一相生町自治会」が作った看板がある。
<長崎総合科学大学工学部建築学科松尾ゼミの皆さんより>
あいさつ通り 川上町
4・5丁目
川上町バス停から大浦国際墓地前のなだらかな坂道。
「川上町下の区自治会」の看板が石垣に掲げられている。
オランダ坂コンスイ通り 東山手町唯一、全国銘柄。切り通しから活水坂、ジョーコインの坂、新教会跡の坂を一般的に言う。
<「永島正一著続長崎ものしり手帳、昭和52年9月長崎放送発行」の中の、オランダ坂に詳しく書かれている。>
オランダ坂新教会跡の坂東山手町 オランダ坂の元祖。ジョーコインの坂から海星高校、活水女子学院寮への石畳の坂。ピエルロッチ居宅があった十人町の坂(下る坂)へ続く。
海星高校体育館の登り口に「英国聖公会、会堂跡」の標識が石垣に埋め込まれている。 文久2年1862年に建設され、日本キリスト教史に永久に記念される日本最初の新教会堂である。
”文久元年居留地設定計画書の中で、石橋から教会に至るゆるやかな坂道を作って 完全舗装する事を決定した。日曜ごとに沢山の外国人がこの道を通り教会に行ったので、この坂道をオランダ坂と呼んだ。”と記してある。 
下り松
(さがりまつ)
オランダ坂
グラバー通り南山手町東急ホテルから大浦天主堂・グラーバー園に行く坂。
長崎では外国人のことをすべて「オランダさん」と呼んでおり、東山手と南山手の居留地に通じる石畳の坂は、みんなオランダ坂と呼んだという。 東山手のオランダ坂と区別するために、下り松(さがりまつ)オランダ坂と言うようである。ただし今は一般的には、グラバー通りと呼ばれている。
グラバー邸に大きな松の木があったので、グラバー邸を”南山手一本松”と称し、この一本松の名称から海岸通りの埋め立て地を”下がり松”と呼んだ。その後縁起が悪いというので、松が枝町に改称されたという。
現在”下り松”の名前が残っているのは、史跡「旧長崎税関下り松派出所」に使われているくらいである。
<浜崎国男著長崎異人街誌、昭和53年9月葦書房発行>
活水坂オランダ坂東山手町 オランダ坂から活水大学に上がる坂。オランダ坂の写真に必ず写る坂である。
一般的には、活水坂もオランダ坂に含めている。
亀の子坂 出雲一丁目
出雲二丁目
石橋の電停から川上町の中山酒店を右折して、二本松に上る坂の”上部の急坂部分”を言う。
今はアスファルトになっているが、昔は滑り止めのため亀の形をした石敷きであったという。 今でも亀の子坂と、地元では呼ばれている。
<長崎出身で今は東京にお住まいの井手浩様より>
グラバー通り
の坂
南山手の坂南山手町大浦天主堂、グラバー園に行く坂
五十段坂 東山町
 13番地
 14番地
北大浦小学校から遍照院の前を通り、北大浦小学校グランドへ行くときに上る坂。東山町13-10ハイツオーシャンビュー前の坂。
階段が下から13段、5段、そして50段と続く。
<長崎総科大学工学部建築学科松尾ゼミの皆さんより>
コンスイ坂ゆずりはの坂南山手町杠葉(ゆずりは)病院から海岸側に下りる坂。海洋気象台の南側の坂。
コンスイとはロシア語で領事館のことで、ロシア領事館があった。
(杠葉病院の本館は英領事館員の住宅、別館は貿易商レスナーの住宅であったという。)
<長崎ユネスコ協会の世良恭二様より>
コンスイ通りオランダ坂東山手町東山手にはプロシア、英国領事館、ベルギー、ポルトガルなどの領事館があった。 コンスイ(ロシア語で領事館)がある通り。
東山手十二番館(長崎市旧居留地私学歴史資料館)が、1868年(明治元年)にプロシア領事館として建築されたと推定されており、居留地に現存する最古の遺構として、県の有形文化財に指定されています。
南山手のコンスイ坂と区別するため、コンスイ通りと呼んだ。
<長崎ユネスコ協会の世良恭二様より>
坂の名前
別名
町 名
場所と名前の由来
じごく坂  上小島4丁目
と5丁目境
南高校バス停手前を東側へ降りる急坂。田川建設・アパートがある。
タクシーの運転手さんや、南高校の学生にそう呼ばれている。 お客さんを乗せて下りるのは良いが行き止まりで、帰りは急坂をバックで登らなければならない。行きはよい良い、帰りは地獄! 
また南高正門に至る急な上りでもある。
<みなとタクシー運転手の皆さんと、南高OBの皆さんより>
ジョーコイン
の坂
オランダ坂 東山手町誠孝院前の坂道、オランダ坂の南部分。
急な坂で石畳のため、自転車通行禁止の標識があります。
浜崎国男著”長崎異人街誌”によると、この坂がオランダ坂と呼ばれた第一号だという。
活水坂の所にオランダ坂の標柱があるが、本来の場所に無いのはおかしいと言うこともあり、最近オランダ坂の標柱があらたに、東山手地区町並み保存センターの入口に建てられました。
またこの坂の横に、中国歴代博物館 孔子廟があり、北京故宮博物館の至宝が展示されている。
ドンドン坂  南山手町馬渡外科医院前からマリア園への坂道。
歩きだしたら急勾配で止まらない。
明治中期建設の洋館群がある。
子供時代を東山手ですごされた宮本誠さんのお話では、活水坂の上部とジョーコイン坂も”どんどん坂”と呼んでいたとの事です。昔は急坂を”どんどん坂”と総称していたのでしょう。
<扇町の宮本誠様より>
坂の横に立て看板がありその説明は、「ダラダラ坂→ドロドロ坂→ドンドン坂と移り変わり、雨が降ると流れが急なので”雨のどんどん坂”となったと言われている。」と書いてありました。
ばってん坂 東山手町
 5丁目
 13丁目
海星高校横(東側)から関食料品店(東山手町13丁目)の間の坂で、石段が147段あるそうです。
風景も良く石畳のきれいな坂道で、幅も156cm〜280cmあり要所にベンチなどが置いてあります。側溝は石造りで目地は漆喰で埋められています。
60歳すぎの方に話を伺いましたところ、子供の頃は「オランダ坂」と呼んでいたそうです。 長崎らしい坂の名前をということで、坂の中間にある宮崎さんが、「ばってん坂お休み処」と「迷い道・たずね道マップ」を設置されたそうです。
<長崎総科大学工学部建築学科松尾ゼミの皆さんより>
ピントコ坂おいらん坂
傾城坂
(ケイセイ)
上小島一丁目 長崎(鶴鳴)女子高校横(東側)から田上に上る墓地の間の坂。
1690年,明国の商人の何旻徳(カピントク)が偽金造りの疑いで、この地で処刑されたという。愛人の丸山筑後屋の遊女阿登倭(おとわ)は遺体をもらい受け、 坂ぎわに葬ったあと後追い自殺したとの伝説が残されている。
後に二人の死を憐れみ、碑を建てその霊を慰めた傾城(けいせい)塚が、坂から入った墓地の中に残されている。
坂の途中左(東)側に”ライオンの塔”と言う供養塔がある。1712年長崎で大流行した天然痘の犠牲者の供養塔で、台座の礎石にライオンの像が刻まれている。
<長崎名勝図絵S6年4月発行、長崎の民話・未来社発行他より>
プール坂 南山手町浪平小学校プールの横の坂
昭和57年9月プールが出来てからそう呼ばれるようになった。
<桜木町の小川一朗様より>
まるい坂あたご新道星取町〜
川上町
あたご自動車学校から大平橋バス停の間の坂。
あたご自動車学校の30周年記念行事として、着工から1年6ヶ月の歳月をかけ平成4年6月1日開通した。
カーブが多いことと、あたご自動車学校の”交通に一輪の花を咲かせる”「互譲の心」から、まるい坂と命名されました。
坂には四季を感じさせる植裁がされており、路上教習用の私道であるが、地元の人々にも利用されて喜ばれている。
まんねん坂亀の子坂南が丘町
八景町
南町のバス停を少し上って、右に入る坂。南が丘町警察官駐在所前の坂。
急坂のためコンクリート道路に滑り止めの亀の形を入れている。”鶴は千年、亀は万年生きる”のたとえから、万年坂と呼ばれているのではないでしょうか。
<南高OBの峰淳一様より>
よしわら坂  下町
東山町
石橋電停の信号の先から北大浦小学校へ上る141段の坂段。
下町自治会の”北大浦小学校 吉原坂登る200m”の案内看板がある。
<長崎文化No.41(特集長崎の坂)より 神並春枝さん>
ゆうれい坂 大浦東町1石橋のバス通り「福島ビル」裏手から、北大浦小学校の方へ上る坂道(私道)。 大浦東町1-31の浅田さん・竹本さん前の坂道で、北大浦小学校への近道として利用されているようです。
とくに上部の階段は急なうえに蹴上げが高く踏みづらは狭く、「怖い」というより「危険」を感じました。
幽霊坂は、「こわい」坂から付けられたという。
<長崎総合科学大学工学部建築学科松尾ゼミの皆さんより>
ロティ坂 
オランダ坂
東山手町
1・2丁目
オランダ坂の活水大学下の切り通しの坂をいう。この名前は今は使われていないようです。
フランスの文豪ピエル・ロチから来ているのでしょうか?
女の坂
(おなごのさか)
 
 
深堀〜
善長谷
市内からは離れていますが、思い出に残る坂道でしたので収録しました。
隠れキリシタンの里・善長谷と深堀をつなぐ道でした。今は途中まで通れますが、善長谷までは草木が生い茂って行けません。


 坂マップその3 オランダ坂〜グラバー園 

長崎中心部の坂 (ヘフリ坂、六角道、けんか坂)

長崎街道(蛍茶屋から東長崎)の坂 (はらきり坂、日見の七曲がり)

浦上周辺と時津街道の坂 (打坂、永井坂、力馬坂)

稲佐地区の坂 (上の坂)


坂に関する雑学 「休み石」 対州馬 ほか

坂の想い出

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