ピントコ坂・傾城(ケイセイ)坂  上小島二丁目

ピントコ坂から長崎市街を見おろした風景
長崎(鶴鳴)女子高校横(東側)から田上に上る墓地の間の坂。車で行くには南高校から下りていく。

1690年,明国の商人の何旻徳(カピントク)が偽金造りの疑いで、この地で処刑されたという。愛人の丸山筑後屋の遊女阿登倭(おとわ)は遺体をもらい受け、 坂ぎわに葬ったあと後追い自殺したとの伝説が残されている。
後に二人の死を憐れみ、碑を建てその霊を慰めた傾城(けいせい)塚が、坂から入った墓地の中に残されている。
坂の途中左(東)側に”ライオンの塔”と言う供養塔がある。1712年長崎で大流行した天然痘の犠牲者の供養塔で、台座の礎石にライオンの像が刻まれている。

<長崎名勝図絵S6年4月発行、長崎の民話・未来社発行他より>



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